村本大輔氏を支持します(3)
2018年1月17日
宇佐美 保
先の拙文《村本大輔氏を支持します(2)》を、今年の元旦(1日未明)に放送された『朝まで生テレビ!(テレビ朝日)』(YouTube)を引用させ得て頂きつつ、以下に続けます。
“世界の秩序を維持するとはどういうこと?”との村本氏の質問に対して、
森本氏は
“ロシアの「クリミア」、「ウクライナ」、「グルジア」への対応が問題なのだ!”的な発言されました。 |
しかし、このロシアの件よりも、森本氏は、真っ先に日本が密なる同盟を結んでいる米国の問題点を、例として取り上げるべきだったと存じます。
その後、話題に登場した「湾岸戦争」に関しては、“冷戦も終わっていたので、いつもは拒否権を発動するソ連も、発動せず、米ソが一致して、国連でやろうということになって……”との田原氏発言を受け、米国の関与(ひいては、日本の参加)を出席者の方々は正当である旨の発言をされて居られました。
(尚、この米ソの一致の裏事情に関しては、次の拙文《村本大輔氏を支持します(4)》をご参照下さい)
ところが、ラムぜー・クラーク氏(1961〜68:米国法務省次官、長官)の著した『湾岸戦争』(地湧社発行)には、次のように記されております。
(更なる詳細は、私のホームページ《暴君はフセインですか?米国ではありませんか!》をお訪ねください)
悪魔化されるサダム・フセイン 米国は、報道機関の助けを借り、戦争を国民に納得させようと、サダム・フセインを悪魔のような人物に仕立て上げた。イラン・イラク戦争の期間は米国とイラクの問に緊密な外交、経済、軍事の協力があったが、戦争が終って数年すると、サダム・フセインは突然、「ヒットラーより悪い」独裁者となった。 ……ラムゼー氏は、このイラクのクウェート侵攻はアメリカによって仕掛けられた罠であった事を示してくれます。 その罠は、イラン・イラク戦争で疲弊し復興を図るイラクに対して、(アメリカの差し金で)クウェートは石油の過剰な増産を企て国際的な石油価格の暴落を図り、イラクの石油からの利益を削減させた上、イラク油田の盗掘等を行いイラクを徹底的に痛みつけ、イラクがクウェートに善処を請うと、イラク、クウェート、サウジアラビア、UAEによる四ヵ国の石油相会議の席上では、クウェートのサバハ外相は“(イラクに)対応するつもりはない。(中略)気に入らないことがあるなら、イラクはクウェートの領土を勝手に占領すればいい。(中略)我々は米国を引き入れる”とのも発言しています。 |
それでも、「イラク戦争」に関しては、流石に米国の行動に異を唱えても居られましたが、片山氏、三浦氏からは驚くべき発言が飛び出していました。
片山氏の驚くべき発言
“小泉氏の日米同盟を強固にするとの信念から、イラクに自衛隊を派遣した……” |
「イラク戦争に関心を持ち研究の道に進んだ」言われる三浦氏の驚くべき発言
後から見て、大量破壊兵器が見つかりませんでした、だから悪い戦争ですとなり、 大体の多くの戦争は犠牲が多く出過ぎたか、後から考えてみれば正当な理由がなかった、 “イラク戦争を後から見て、犠牲が少なくイラクの治安が維持されていたら、良い戦争といわれるかも……” |
この様な見解を恥ずかしげもなく披露する三浦氏が「研究者」と名乗るのは「おこがましい」ものです。
何しろ、私ですら、後からではなく、イラク戦争開始(2003年3月20日)の2日後の3月22日に、先の拙文《暴君はフセインですか?米国ではありませんか!》をホームページに掲げました。
その冒頭で、次のように記述しました。
マスコミは、“サダム・フセインは暴君であるから、この暴君たるフセインを取り除くのが当然だ”旨を盛んに報じ、又、小泉首相も「サダム・フセインを危険な独裁者」と断定して、アメリカのイラン攻撃を正当化しています。
更にアメリカは、“独裁者フセインを追放して、イラク国民に民主主義をもたらす為に正義を遂行する”と息巻いていますが、そのアメリカ自体が民主的国家なのでしょうか?
民主的運営が図られるべき国連では、査察官の“イラクの大量破壊兵器に対する査察はまだ時間が欲しい”との意向を無視し、国内では反戦を表明したハリウッド俳優らに嫌がらせをしたり、(次の[ロサンゼルス 4日 ロイター]の記事をご参照ください)各種の情報操作などをした上で、圧倒的な軍事力を駆使しイラクを攻撃する国が民主国家なのでしょうか? |
上記の三浦氏的な見解を井上氏は別の箇所で次のように発して居られました。
丸山眞男という人が、「戦争責任の盲点」ということを述べていた。
戦争責任の盲点として、一つは「天皇の戦争責任」、二つ目に「共産党の戦争責任」をあげている。 この「共産党の戦争責任」に関しては、共産党は道徳的に潔癖で正しかったというが、丸山は“お前たちは、あの戦争を止めさせられなかったろう。” |
井上氏は付け加えて
“政治というのは結果責任” |
とまで吠えました。
この井上氏の“政治というのは結果責任”となってしまいますと、三浦氏のイラク戦争に関する発言と同じとなってしまいます。
だったら、“気に入らない政府があったら、「首相」を殺して、新たな秩序ある政権を作れば良い”との暗殺国家になってしまいます。
更に、井上氏は共産党批判を続けました。
“共産党は自衛隊を認めると云いつつ、いつまで認めるのかと問うと“日本国民の圧倒的多数が、自衛隊が無くてももう大丈夫という日まで認める”と云う、これでは、日本人に一寸でも現実感覚があったら“そんな日は永遠に来ない”と思うでしょう、だから、共産党は自衛隊を永遠に認めているといっているのと同じ。” |
そこで、もう一度、丸山眞男に関して、フリー百科事典ウィキペディアに行きますと、「批判欄」に次の記述を見ます。
梅原猛は、思想的伝統が日本には形成されなかったと定義する丸山に対し、『法華経』などの古典を読まず、また、日本の美術、文学、風俗を調査せずにその様な断定を行うのは許しがたいと批判した。
なるほど、なるほど、丸山も、或いは井上氏も「法華七喩」の「化城喩品」を御存じないのかと疑わざるを得ません。
そこで、フリー百科事典ウィキペディアを参照してみましょう。
の4番目の例え話は「化城喩品」です。
化城宝処(けじょうほうしょ、化城喩品) 宝のある場所(宝処)に向かって五百由旬という遥かな遠路を旅する多くの人々がいた。しかし険しく厳しい道が続いたので、皆が疲れて止まった。そこの中に一人の導師がおり、三百由旬をすぎた処で方便力をもって幻の城を化現させ、そこで人々を休息させて疲れを癒した。人々がそこで満足しているのを見て、導師はこれは仮の城であることを教えて、そして再び宝処に向かって出発し、ついに人々を真の宝処に導いた。 |
そして、私はかつて(2015年4月6日)《 自衛隊は軍隊でなく仮城です》をホームページに掲げました。
是非ともお訪ねください。
私達の社会は、ゆっくりではありますが進歩しているのです。
村本氏の“何故北朝鮮が日本に攻めてくるのですか!?”との質問に対して、平林氏が挙げられた“日本が豊かな生活をしている、日本が自分たちと異なる思想を有している……(あまり悍ましかったので、書きとることをしませんでした)”と同じく、“私達のお隣は豊かな生活をしている、考え方が違う”と云って、武器も持っていないお隣に殴り込んで行き、財産を奪い取るなど致しません。
更に村本氏が
“このまま軍備を拡張していったらどうなるのですか!?” |
といった発言した瞬間、田原氏は、
“黙れ!” |
と村本氏の発言を遮りました。
何故止めたのでしょうか?
多分このままの状態を続けたら、軍事費はどんどん増大していってしまうでしょう!
それでは、“北朝鮮は、核開発のために、国民の生活を犠牲にしている”との非難が私達に帰ってくる事態が早晩やって来るでしょう。
(そんな事態に日本が陥っても、同盟国(?)である米国が日本に援助の手を差し伸べますか!?)
私は村本氏の見解を支持します。
デモクラTVの「ウッチーのデモくらジオ #246:初回放送・2017年12月29日」
に於いて、詩人のアーサー・ビナード氏は、次のように話されました。
米国憲法(今では世界で一番古い憲法)設立の際、アメリカ独立宣言(1776年)の主要な作者であるトーマス・ジェファーソン(英: Thomas Jefferson)は、米国憲法設立時、常備軍を作くると、その軍は力を持ち、予算確保のためには、その武器を使って戦争するようになるから、常備軍を持ってはならないと主張していた。 しかし、この案は、マジソンたる人物によって削除されてしまった。…… |
更に、東京新聞(2018年1月6日)では「9条支持、国連決議を 本紙報道きっかけ 埼玉の日独学者ら活動」を紹介しております。
趣意書のポイント ・1945年から数年間の人類の振る舞いを範とする。各国は自国を守る権限の一部を国際機関に委譲し、その傘の下に入ることによってしか、自国の安全を守れないというのが国連の安全保障観。憲法9条は、この要求の正当な後継者。しかし、この流れは多くの国で滞っている。 ・日本は自衛隊を保有しているが、9条のおかげで他国にない抑制的な運用が可能になっている。結果として諸外国と友好関係を築け、自由と安全のバランスがほどよく取れた国として存在感を示している。 ・平和的手段により平和の達成を目指す国々に9条を発信することは、日本人の務め。国連総会で9条を支持する決議の採択を目指す。 |
そして、また、東京新聞のコラム「この道」には、阿刀田高氏の次の記述を見ます。
究極の理想 ……「わるい奴に攻められたら、どうする」 それ訴える仲間もいたし、私自身も考えた。そしで結論は、 ──その時は死ぬのだ── つい先日まで天皇のために死ぬ覚悟があつたのだ。理想のために死んで、なにがわるかろう。……まつたくの話、赤紙一枚で召集され、なんのためかもはっきりせず犬死にしたケースは山ほど聞かされていた。高い志のため国際社会の蛮族に殺されても仕方ない。 まともな大人の考えとして、平和憲法を守ること、それも命がけなのだ。ひどい侵略があれば無力である。 国際協調は死にものぐるいでやっていかねばなるまい。が、憲法九条は人類が到達すべき究極の理想なのだ。軽々には損なえない。 私は個人の倫理として、“人を殺すくらいなら自分が死ぬ”と(本当に実行できるかどうかはともかく)信じている。同意する人もいるだろう。同じことを国家の倫理として言うのは……政治家はむつかろう。しかし小説家は「まさかのときは死ぬのです」と、これは個人的な“小さな説”だろうか。 |
この様に発信される阿刀田氏に比べ、今回の出席者の方々は、日本国民の代表者的存在なのでしょう?
日本国民の多くが“今だけ、金だけ、自分だけ”であるから、自分たちは「日本国民の代表者的存在なのだ!」と主張されるのなら、成程!頷きましょう。
しかし、「憲法九条は人類が到達すべき究極の理想」であるとの思いを抱かぬこの様な方々に、国民を改憲に導いていって貰いたくありません。
私としても微力ではありますが、《平和憲法は奇跡の憲法》、《奇跡と仮城の平和憲法》などをホームページに掲げました。
(追記)
この様な私のホームページに対して、“お前なんか暴漢に襲われても何もできないくせに、グタグタ書くな!”などと非難のメールが来たこともありましたが、私は手何も持たず一人泥棒を追いかけ、捕まえて「警視総監章」を授与もされました。
感謝状 |
警視総監章 |
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この件に関しての詳細は《小泉首相、改憲を支える世論と空き巣事件》をご参照下さい。
更には、《村本大輔氏を支持します(4)》
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