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平和憲法は奇跡の憲法

200338

宇佐美 保

 「米国を守るのに誰の許可も必要としない」(ブッシュ大統領)として、国連決議を無視してでも「イラク攻撃」に踏み切ろうとするアメリカに対して、日本政府は、高らかに“NO!”の声を、何故、上げないのでしょうか?

 

 小泉首相は“今、「イラク攻撃反対」と表明すれば、イラクを利すことになる”と発言していました。

更に驚く事には、国連安全保障理事会公開討論会(2月18日)で、原口国連大使は、イラクが湾岸戦争後、安保理決議1441に基づく査察に対して完全かつ自発的な協力を行っていないと指摘し、査察の有効性に疑問が生じていると主張した上、「武力行使」には直接言及しないながらも、国際社会の断固たる姿勢を示す「新たな決議」の採択に安保理は努力すべきだと訴え、アメリカの強引なイラク攻撃への応援演説まで行いました。

川口外相は“事態の進行を見て、「国益」を考えて日本の態度を決定する”と発言します。

 

 この「国益」という言葉は、最近は川口外相以外の方々から盛んに飛び出してきます。

(田中前外相の問題の際も、“外交はなんと言っても「国益」が大事であって、それを確保する為には、素人では不可能”といった類の発言が、特に外務省OBの評論家の口から盛んに吐き出されました。)

 

 特におかしいのは、“核兵器を持つという北朝鮮問題への協力が得られなくなるから、今、アメリカの「イラク攻撃」に反対することは、「国益」に反する”という政治家、外交評論家達の言葉です。

さもしくはありませんか?

こんなにもさもしい国民に、「平和憲法」を有する資格があるのでしょうか?

 その前文には、「われらは,平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ。」と書かれています。

 こんなにもさもしい国が「国際社会において,名誉ある地位を占めたいと思ふ」と憲法で謳い上げても、国際社会は拒否するでしょう。

 

 ところが、この憲法の高貴な精神を自ら貶める人物が、2001年9月11日の「多発テロ」以降、大勢登場してくるのです。

 小泉首相は第153国会の開会に臨んで所信表明演説中に、次のような驚くべき見解を披露しています。

「朝日新聞(2001/09/29)」

 米国において発生した同時多発テロは、米国のみならず人類に対する卑劣な攻撃です。……

 卑劣極まりないテロに対して、全世界が、これに屈することなく、敢然と闘おうとしています。我が国は、日本国憲法前文において、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ」との決意を世界に向かって明らかにしています。世界人類の平和と自由を守るため、国際協調の精神の下、我が国としても、全力を挙げて、この難局に立ち向かおうではありませんか。

 国民並びに議員各位のご理解とご協力を心からお願い申し上げます。

 

 このような屁理屈を捏ねる輩が、小泉首相のみならず、自民党議員達そして評論家達などに出現してきました。

例えば、元内閣安全保障室室長の佐々淳行氏も次のように書いています。

……憲法前文の本義に立ち返って、わが国は独立国家として、自主的に今後の具体的行動を行っていくべきである。前文によれば、「諸国民の公正と信義に信頼して」、「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と、日本国民としての願いが記されている。その通りに行動することこそが、今回のテロの犯人への徹底的な制裁につながることに何ら疑問を差し挟む余地はないだろう

……

また、ふたたび前文にあるよぅに、「われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のだから、対岸の火事のごとく今回のアメリカの悲劇を見過ごすことは、憲法の精神にも反するエゴイスティックな態度ということになる

……

(文芸春秋2001年10月緊急増刊号)

 

 人間は、心が捩じれていると、文章の意味迄も捩じれて解釈するようです。

憲法の前文を以下に抜粋します

┄┄

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

(赤&青文字処理は私が施しました)

 (なんと素晴らしい憲法ではありませんか!)

何故この前文から、佐々氏は、“われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」のだから、対岸の火事のごとく今回のアメリカの悲劇を見過ごすことは、憲法の精神にも反するエゴイスティックな態度ということになる。”と言った、「目には目を」的な暴力的な解釈が出来るのでしょうか?

 

 この日本国憲法の前文中の「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」と言う事は「自国の利益だけを慮って、他国を侵害してはならない」と謳っているのではありませんか!?

 佐々淳行氏は、頭がおかしくなってしまったのでしょうか?

でも頭がおかしくなったと思われる人は、佐々氏だけではないようです。

 

 9月11日のアメリカ同時テロ発生直後に、ブッシュ大統領は「これは、テロではなく新たな戦争である。……米国と我々の友人である同盟国は世界の平和と安全を守るためにテロリストに対し共闘する。」と息巻きました。

 ……米中枢同時テロ事件発生から一夜明けた十二日、ブッシュ大統領は同日午前、前夜に引き続きテレビを通じて声明を発表、米中枢同時テロ事件について「周到かつ、ひどい攻撃は、テロ行為ではない。戦争行為だ」と明言した。大統領は「善対悪の戦いだ。そして善が勝つ。あらゆる手段を使って敵を打破する」と述べ、強い口調で犯行グループに対し徹底的報復を行う決意を表明。米国民に結束を促すとともに、国際社会にも広く協力を呼びかけた。

中日新聞(Chunichi Web Press)

これに呼応して、小泉首相は、アメリカから今回は“アメリカ支援の為、自衛隊の派遣”をぶち上げました。

首相『報復なら支持』

 政府は十二日、米中枢同時テロ事件で、今後、米国が犯行グループに報復行動を取った場合、「支持」する方針を決めた。小泉純一郎首相は同日夜、首相官邸で記者団に「黙って見過ごすわけにはいかない。犯人を捜し出し、この重大な犯罪行為に対して断固たる処置を取ることはブッシュ米大統領にとって当然のことだ」と述べ、米国が報復すれば支持する考えを明言した。 ……

訪米中の小泉純一郎首相は二十四日夜(日本時間二十五日朝)、ワシントン市内のホテルで同行記者団と懇談し、米中枢同時テロに対する報復攻撃を行う米軍などへの後方支援について、「『自衛隊を危険なところに出しちゃいかん』では話にならない。武力行使はしないが、危険を伴っても自衛隊に活動してもらうということに、国民の理解を得ていくことが大事だ」と述べ、自衛隊による後方支援が戦闘に巻き込まれることも想定していることを明らかにした。……

中日新聞(Chunichi Web Press)

 『報復なら支持』と宣言する事は、「自国(日米)のことのみに専念して他国(アフガニスタン)を無視してはならない」と言う前文の精神に悖るのではありませんか?

 

 更には、元内閣総理大臣中曽根康弘氏は、当然の如くです。

 湾岸戦争で日本は百三十億ドルも拠出しながら、国際社会から「トゥーレート、トゥーリトル(支援が、「余りに遅く、余りに少ない」)」と揶揄されたうえ、クウェートが『ニューヨーク・タイムズ』に掲載したお礼の広告から、日本の名前がはずされるという悲哀を味わっている。国際協力とは、カネだけで済む問題ではなく、汗と時には血であがなうことさえも必要であるとの教訓をわれわれは湾岸戦争で学んだと思ぅ。今度こそ国家の名誉と独立性を有した対応を明確に行うべきである。……

(文芸春秋2001年10月緊急増刊号)

クウェートが日本に御礼を示さないのは、日本が悪いと言うよりもクウェート自体が可笑しいのではありませんか?

 

京都大学教授中西輝政氏までも、次のように書きます。 

 第二に、日本人が忘れてならないのは、湾岸戦争で繰り返し味わった苦い経験である。アメリカは日本にとって他の国とは違う。いうまでもなく同盟国として、日本の安全保障の大きな部分を支えてもらっている現実が、疑いなく厳としてある。その善し悪しを議論するのは、平時の議論である。いま、国家中枢に大打撃を受けたそのアメリカに、日本がどう対すべきか明らかだ。

 日本がイスラム強硬派とアメリカの間に立たされて股割きに遭うという視点をとることは、百害あって一利ない。

……

 こうした国としての基軸が狂うと、百三十億ドルを拠出しながら、「敗者ニッポン」と貶しめられた湾岸戦争の経験を繰り返すだけで、さらなる非難と誤解をうけることになるだろう。この愚挙を繰り返してはならない。……

(文芸春秋2001年10月緊急増刊号(赤字処理は私が施しました))

 “「敗者ニッポン」と貶しめる”国々が正義なのですか?

「平時の議論」と「緊急時の議論」と違うのですか?

(と言うより、中西氏の頭の中には、「日本の安全保障の大きな部分を支えてもらっている現実が、疑いなく厳としてある。それを悪である議論するのは、平和ボケの輩のすること」との認識が煮えくり返っているのでしょう。)

 

更には、日本国の憲法の前文(青文字処理部分からでも)から、どうして、佐々淳行氏のように“「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」と、日本国民としての願いが記されている。その通りに行動することこそが、今回のテロの犯人への徹底的な制裁につながることに何ら疑問を差し挟む余地はないだろう。”との捩じれた解釈が生じるのでしょうか?

 「国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ」と言う事は、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」との決意を実現させる事が如何に大変なのかを物語っているのです。

 何しろ、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」自ら武装放棄してしまうのですから。

 これは、いわば、ガンジーの無抵抗主義の再現でもあるのです。

そして、この無抵抗主義を貫く事によって初めて「国際社会において、名誉ある地位を占める」ことが出来ると謳っているのです。

 

 更には、先に掲げた、“百三十億ドルを拠出しながら、「敗者ニッポン」と貶しめられた湾岸戦争の経験” と嘆く中曽根、中西氏が可笑しいのです。

そして、“国際協力とは、カネだけで済む問題ではなく、汗と時には血であがなうことさえも必要である”との一般概念を振り払ってこそ、日本国民は将来いつの日か「国際社会において、名誉ある地位を占める」為への未知の第一歩を踏み出すことが出来るのだと認識すべきなのです。

そして、その道中、多くの国から侮蔑の声を浴びせられ事を覚悟しなければならないのです。

 

 ところが、2001年10月20日のテレビ番組「スクープ」を見ていたら、次の事実が紹介されていました。

先の湾岸戦争の際に、駐在の外交官の子供達は学校で、日本が湾岸にお金だけ出して兵力を送らなかった事で苛められ、外務省の役人達には辛い思いをしたといって、なんとしても、自衛隊をアフガニスタンへ向けて派遣しようと焦った。

 とんでもない事です。

更には、テレビ朝日2001年11月3日放映の「朝まで生テレビ」で、歳川隆雄氏(インサイドライン編集長)は、次のように語っていました。

今回のテロ特措法がどうして出来たかと言うと湾岸のトラウマです。この法律を作る為に実際に一番動いたのは、外務省なのです。この中心になった人達は91年の湾岸の際、今の野上次官は中東アフリカ局の参事官だったし、谷内総合外交政策局長は駐米大使館の参事官だったし海老原条約局長は中東一課長、130億ドル出しただけで攻められた当事者だった、で今度こういう事があったらどうしたらよいか、ということで、周辺事態法の延長では絶対に対処できない、そこで新法で行くしかないが先にあり。

 

 可笑しいではありませんか!

外務省こそが、日本の平和憲法を世界中に知らしめる役目を担っているのではありませんか!?

(その紹介の為にこそ、豊富な外交機密費を使えばよいではありませんか!)

そして、その役目の為には数々の辛い試練を経なければならないのは当たり前ではありませんか!

外務省の方々は、どのような心を抱いて入省したのですか?

日本の平和憲法を世界に広める為にこそ外務省に入ったのではないのですか!

駐在の外交官の子供達が学校で、日本が湾岸にお金だけ出して兵力を送らなかったと言って苛められたら、駐在の外交官は、自分の子供に日本の役割をじっくり教えるべきではありませんか!

更には以前にも書きましたが、日本の平和憲法の精神を、何故駐在員たちは、その国の方々に紹介して来なかったのでしょうか?

 何故外務省はこの憲法の成り立ち、その内容を広く世界に訴え続けてこなかったのでしょうか?

駐米(いや各国に駐在)の外交官がパーティーを開くならば、(己の食費の捻出などに精を出さずに、)アメリカ市民を公邸に招き、真珠湾奇襲の真相、そして、平和憲法への思いを彼らに訴えて来なかったのでしょうか?

 

 それどころか湾岸戦争の対応に対して、インターネットのホームページの続きには、次のように記述されています。(http://business.nifty.com/column/econo_org/back/33.html  

九〇年八月二日、イラク軍がクウェートに電撃侵攻して世界を揺るがせた湾岸戦争が勃発した。この時、駐クウェートの日本大使は夏休みを取って帰国していた。何の情報も持っていなかったのだ。
 湾岸戦争で日本は増税までして百三十億円の軍事費を負担する多大の国際貢献をした。これは米軍の直接戦闘経費の全額に相当する。にもかかわらずクウェートは「ありがとうアメリカ。そしてグローバル・ファミリーの国々」と大見出しを付けた感謝新聞広告に日本の国名を出さなかった。外務省がこれに抗議したという話は聞かない。

外務官僚は戦前は軍部の圧力に屈し、戦後は日米安保体制の下で真っ先に“平和ぼけ”してしまったのだろうか。

 あきれ果てた外務省の方々です。

こんな方々の先輩達が、国益論をぶっているのです。

国益云々を言うなら、先ず自分達の後輩の襟を正すように努力したら良いではありませんか!

それとも今の外務省の人達は、先輩を見習っているのでしょうか?

 

 タカ派の人達は、「平和憲法維持」「戦争反対!」と声を上げる人達を、「平和ボケした、能天気人間」となじっていますが、私は、「再軍備だ!」「戦争だ!」と喚いている立場の方がずっとお気楽だと思います。

舛添要一参議院議員は、雑誌「諸君:2003.4」での鼎談にて、“┄┄私がヨ−ロツパで徹底的に教えられたことは、〈平和がほしければ戦争の準備をしなさい〉ということです。┄┄”とも語っていました。 

「戦争だ!」と喚き散らす人達が、戦地へ行くのですか?

戦地へ赴くのは、何も知らない若者達ではありませんか!

 一方、「戦争反対!」と声を上げる人達は、先の大戦中にも、獄中に繋がれ、拷問にかけられ、獄死したりしたのではないでしょうか!

平和を訴える人こそが苦難の道を歩くのです。

 

 私はいつも思っています。

「戦争だ!」と喚く人達は、中曽根氏にしても、中西氏にしても、真っ先に最前線に一兵卒として出陣すべきです。

今時の戦争は、ハイテク兵器で行われるのですから、どんなに力がなくても老人でもそれらの武器は扱えるはずです。

ですから、今回若し、アメリカがイラクに攻め入るような事態になったら、佐々氏、中曽根氏、中西氏らはどうか真っ先に、その最前線に志願兵として出かけてください。

自分が戦地に出向かないで、戦争だ!と喚く輩こそが、一番卑怯だと思います。

 

 そういう輩の論法を聞いていると、彼らは冷暖房の利いた座敷で、お茶を飲みながら、将棋でも指している感覚で、国際情勢、戦力を分析していると思えてなりません。

テレビでの評論家たちの討論も然りです。

(昔は、よく軍隊将棋をやりました。彼らもそんな感覚なのでしょう。“日本のイージス艦をこの辺に配備してと┄┄、北朝鮮から攻撃して来るといけないから、日本の法律をこの様に変えてと、┄┄”といった具合に)

 

 事実、石原氏は、田原総一郎氏との対談「勝つ日本:文芸春秋発行」において、次のように、麻雀的戦略戦術を語っています。(将棋ではありませんが)

 相対感覚というのは、「オレはこれをもっている」「あれは持っていない」というように、自分のことを良く知る事だ。

最適な例が麻雀で、┄┄さまざまな戦術、戦略がとれる。

 戦後から今日までの日本を見ると、この麻雀的感覚がない。┄┄いまの日本人は自分のことを知らない。複合的な発想がなぜかあまりできない。すぐに思いつくのは猪突猛進。だから一億玉砕、そして次には手のひらを返したような一億総懺悔になってします。┄┄

 

元朝日新聞編集委員の田岡俊二氏は常々“一般的に、文官は戦争に積極的でも、武官は戦争に消極的である”と発言されておられます。

その背景は、ここに私が述べた事実を裏付けているのだと思います。

何しろ、いざ戦争となれば、武官は(場合によっては、自ら先頭に立って)自分の部下を戦地へ(死へ)送り込まなければ、ならないのですから。

一方、文官は、自宅で高枕を決め込めるのですから。

 

 石原慎太郎都知事は、“北朝鮮に拉致された方々の救出には戦艦を北朝鮮に向けるべきだ!”と発言したり、“今の憲法では、それが不可能なら、この憲法を変えればよいではないか!”との類の談話を頻繁に発せられます。

(石原氏ご自身が、北朝鮮へ単独ででも乗り込んだら良いのにと思います。)

 

 しかも、石原氏は、先に引用した「勝つ日本:文芸春秋発行」において次のように語っています。

┄┄弱い軍事力しかなければ、国際政治の世界では低い地位にしか見られない、と言う原理だ。

この力学に背を向けるのは勝手だが、その影響から逃れることなど出来はしない。だから、相手を無視して、こちらは諸手を挙げて武器を持たない、軍備はしません、と言っても、そんな能天気な心構えがいかなる相手にも通じるかどうか考えてみたらいい。

ところがこの石原氏は法華経を信奉されておられるのです。

そして、石原氏は「法華経を生きる(幻冬社発行)」を執筆されているのです。

そして、その著作中で、「霊友会」の小谷教主とご自身との関わりを書かれています。 

 

そこで、「霊友会」のホームページ(法華経)を見ますと、常不軽菩薩について次のような記述があります。

http://village.infoweb.ne.jp/~fwie2933/aokyokan/08.htm

 仏がお亡くなりになって時が経ち、その教えもすたれようとしていた時に、一人の菩薩がおりました。常不軽という名前でした。

 その頃の修行者たちは、教えを自分勝手に解釈して、それに固執していたのですが、常不軽菩薩はそんな修行者を見つけると、近づいて行っては、こう言うのでした。「わたしは、あなた方を軽んじませんよ。なぜならば、あなた方は菩薩の道を行ずることによって、必ず仏となるのですから。」

 人々はそれを聞いて、嘲笑したり、悪口を言ったり、ののしったり、あてこすりを言ったりしましたが、常不軽菩薩はじっとそれを堪え忍んでいました

 そんな常不軽菩薩が、自分の宿業を果たしてこの世の寿命を終えようとする時、この法華経の教えを聞くことができて、心と体の汚れが洗い清められました。その結果、不思議な力を得て寿命も延びましたので、また多くの人々に対して、この教えを説き広めました。 自分勝手な教えの解釈に固執していた多くの人々は、皆この菩薩の教化によって、正しい教えに入ることを成し遂げ、仏へとつながる道を歩むことができるようになりました

┄┄

 その時の常不軽菩薩というのが、すなわち、わたし(仏)の前世の身にほかならないのです。┄┄

 法華経を弘めることに命をかけた日蓮聖人は、この常不軽菩薩を法華経の行者の範としていたそうです。

 また、『常不軽菩薩品第二十』の長行の中で、常不軽菩薩が人々を礼拝してこう語ります。「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べしと。」(わたしはあなた方を深く敬います。けっして軽んじたり、見下げたりはしません。なぜならば、あなた方は皆、菩薩の道を行ずることによって、必ず仏になることが出来る方々だからです。)これは、漢文では「我深敬汝等。不敢軽慢。所以者何。汝等皆行菩薩道。当得作仏。」と二十四文字で表わされています。日蓮聖人は、この二十四字は法華経の肝要を説き示したものであるとして「略法華経」と名付け、この二十四字と妙法蓮華経の五字は同じ意味であると述べています。

(赤文字処理は私が施しました)

 私は、常々、日本はこの「常不軽菩薩」たるべきだと思っています。

そして、日本(常不軽菩薩)は、世界各国に向けて“「菩薩の道(即ち、「平和憲法」:戦争放棄)を行ずることによって「(即ち、平和)」になりますよ。”と説いて廻るべきだと思っています。

 そうすれば当然のこととして、世界各国はそれを聞いて、嘲笑したり、悪口を言ったり、ののしったり、あてこすりを言ったりしますが、日本(常不軽菩薩はじっとそれを堪え忍ばなくてはならないのです

そして、いつの日か、(世界各国)この菩薩(日本)の教化(即ち、戦争放棄)によって、正しい教えに入ることを成し遂げ、仏(平和)へとつながる道を歩むことができるようになりました

となるべきだと思っているのです。

そして、その宿命を日本が負わされているのだと思っているのです。

 

 ところが、悲しい事に、この「平和憲法」が、日本での評判がさほど芳しくないのです。

2001年11月3日放映の「朝まで生テレビ」で、評論家の田原総一郎氏は、「平和憲法」に対して、“素晴らしい憲法であって、言論の自由、婦人参政権、結社の自由、宗教の自由を謳っている。”と評価しつつも、“その中には、日本を理想的な国にしようとしたアメリカの思いと、日本を弱体化しようとした思い(第9条)の両方が混じっている憲法”と語ったりします。

 

 ですから、残念な事には、石原氏をはじめとして、「アメリカは、日本(黄色い猿達)がアメリカに再び楯突く事のないよう(日本の武器を徹底的に取り上げる為)に、戦争放棄を盛り込んだこの「平和憲法」を、日本に押し付けたのだ。」と非難し、改憲を訴える方が、多いようです。

しかし、少なくとも、この憲法に携わったアメリカ人の方々の中には、田原氏が語るように、「戦争のない世界平和への人類の永遠の願いと祈り」を込めてこの草案を練られた方が多数居られた筈だと私は思います。

 

 その意味からも「平和憲法」は、特殊な状態で生まれた、奇跡の憲法だと私は思っています。

(現状では、人類の奇跡だと思います)

現状で、この様な憲法を発布できる国がどこにありましょうか?

ところが日本人の多くは、“この憲法は日本人独自の憲法でなくて、アメリカ側から押し付けられた憲法だ、従って日本独自の憲法を新たに制定すべきである”と思い、思い込まされています。

 

 人間は、生まれによって、貴卑、貴賎が決まるのですか?

確かに、釈迦は王宮の中で、王子としてこの世に生まれました。

でも、キリストは、馬小屋で、名もない女性の子として生まれました。

釈迦とキリストに貴卑、貴賎の差があるなどと誰が言うでしょうか!?

 

石原氏は先の著作の中で、次のように書かれています。

釈迦は身分の格差を不条理なものとして捉え、それを踏まえて人間の存在の意味を考え、それを考え切ることで人間の救済の術について考え出したのです。

 その救済のための最大の所以は釈迦が法華経で力強く説いた万人平等の思想、つまり人間には誰しも皆それぞれが仏になることの出来る可能性、すなわち『仏性』があるのだというメッセージです。釈迦はそれを教えの中で陰に陽に説いています。

(この様に書かれる、石原氏は、当然、週刊誌などに“20年前のことで、私にとって若気の至りというか、私の不徳というか。”と答弁されていますが、石原氏によって同様な愛が石原氏の多くのお子様方に、注がれていると思います)

 

 更に、釈迦の言葉を付け加えるなら、中村元訳『ブッダの言葉』(岩波文庫)に、次なる記述があります。

 生まれを問うなかれ。行いを問え。火は実にあらゆる薪から生ずる。賤しい家に生まれた人でも、聖者として道心堅固であり、恥を知って慎むならば、高貴の人になる。

 

 ですから、私には、「平和憲法」は「馬小屋で生まれたキリスト的存在」とも思います。

そして、私達日本人は12使徒でもあるのでしょう。

12使徒は、彼らの生前、世界的に信奉されているキリスト教の現状を思い描く事が出来たでしょうか?

今に至るために、12使徒、それに続く信徒たちが、「キリスト」を信じ、「キリスト教の普及の道すがら」どんなに多くの迫害を受けたかを計り知る事は、今の私達日本人にはとても出来ない事です。

 

 従いまして、朝日ニュースターの番組で、最近頓に視聴率が上がって司会者がはしゃぎ回っている「パックインジャーナル」で、その司会の愛川欣也氏は、“僕は臆病だから、平和ボケと言われようと、戦争は反対!”ではいけないのだと思います。

臆病は結構ですが、平和ボケではいけないのです。

 

憲法改正論者は、“「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して,われらの安全と生存を保持しようと決意した。」といって、武力放棄したらどうなるのだ。

諸国民の公正と信義に信頼」するのは、わが日本国の勝手であって、敵は、そんな「信頼」は不必要とばかりに攻めて来る時に攻めてくるのだ!”がよく言います。

 

だからこそ私たち日本人は、日々「平和を維持し,専制と隷従,圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において,名誉ある地位を占め」るべく努力しなくてはならないのです。

ですから、この憲法の前文の最後に書かれた“日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。”は大変重い言葉です。

 

湾岸戦争後に“金だけ出して、血も汗も流さない!”と非難されたからといって、すぐに自衛艦をインド洋に出したりして、テロ行為には直接関係のないアフガンの人達を殺傷する片棒を担ぐべきではないのです。

アメリカがイランを攻めた後の石油の取り分を考えたり、北朝鮮問題の決着を期待して、アメリカに加担すべきではないのです。

戦争放棄を誓っていながら戦争に加担しては、どうして、わが国を平和国家と信頼するでしょうか?

 

 日本は世界各国にODAを実施してきました。

でも、このODAの多くは、利権まみれのために、相手国からの感謝の念を得る事が出来ませんでした。

こんな不幸はあるでしょうか?

若しも日本がODAを相手国家国民の利益を最優先に実施していたら、もう少し日本は世界から信頼されていたでしょう。

(注:ODA:Official Development Assistance(政府開発援助):日本国から途上国の政府を通じて行う援助を指し、経済開発や福祉の向上を通じて、国民の生活向上に役立つことが目的)

 

そして、外務省は世界に向けて、わが国の平和憲法の精神を各国へ訴え続けてきたでしょうか?

私の別分「外務省の怠慢」に書きましたように、先の開戦の際「野村大使以下の在米大使館員が責任感を持って職務を遂行していれば、アメリカ人が“卑怯な日本人”と声をあげる理由はなかったのです。」そして、少なくも、その外務省怠慢行為の責任を、はっきりと世界各国へアナウンスしていれば、日本はもっと各国から信頼されていたはずです。

 

過去現在すべての外務省関係者のうちで、最も全世界の人たちから尊敬の念をむけられているのは、日本国からの指令を無視して、「人問としての信念を貫かなければ」と決心し、ナチスから迫害の魔の手を振り切ってきたユダヤの人たちにすくいの手を差し伸べ、世界中のユダヤ人から日本のシンドラーと呼ばれている杉原千畝氏(1900 - 1986)ではありませんか?

http://www.town.yaotsu.gifu.jp/spot/sugihara/sugihara.html

そして、その杉原氏に対して大戦終了後には、外務省はどのような処遇をしたと言うのでしょうか?

今偉そうな評論をする外務省のOB達は、これら全てを棚上げにして“外交は駆け引きだ”などとイケシャアシャアとの宣わっています。

駆け引きなどいつまでもやっていたら、いつかは足元をすくわれるのです。

こんな人達が世界各国からの信頼を勝ち得る事が出来るのでしょうか?

 

 石原氏は、「日本人には、相対(麻雀的)感覚が無い」と非難していますが、それで良いのではありませんか?

日本人はそもそも打算的に動く民族ではないのでは?

そして、それがわが日本人の美点でもあるのではありませんか?

 

 打算なくして、無抵抗主義で生き残れるか?との問いに答えるべく、ホームページを探してみましたら。次のページを見る事が出来ました。

http://www1.ocn.ne.jp/~koinonia/koino40/kazu.htm)

 ここには、有史二〇〇〇年の間、イエスが歴史の文化・文明の中でどう解釈されてきたかという本Jesus Through The Century : His Place in the History of Culture.」の中での、トルストイが死ぬ二、三年前にガンディー(南アフリカで弁護士をしていたころ、トルストイの考え方に傾倒していた)に宛てた手紙が次のように紹介されています。

 「長い人生をこうして生きてきて、特に今、死が近くなってきているときつくづく、人々に伝えたいこと、そしてこれほど重要なことはないと思えることがある。それは文字通り、「無抵抗主義」、すなわち本質的には間違った解釈でゆがめられていない、愛の教え以外のなにものでもないのだが.....この法則は、世界人類の全ての賢者、インド人、中国人、ユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人の違いをこえて、特に、私の思うところでは、キリストによっていちばん明確に表現されている。キリスト教文明は、表面的にすばらしいが、時として、明らかに奇妙な、意識的なもしくはほとんど無意識的といってよいほどの誤解と矛盾をかかえている。一九〇〇年間のあいだ、キリスト教国家の人類はこのやり方で生きてきた。現在明らかな矛盾が存在する中で、遅かれ,早かれ、多分、非常に早い時期に、この矛盾が暴露されるときがくるであろう。そして権力維持の必要性のためにキリスト教を受け入れることに終止符を打つか、それとも、軍と軍によってサポートされる暴力に対して終止符を打つかのどちらかになるであろう。このイエス・キリストに名目上忠誠を誓っている貴方のイギリスと、私の国、ロシアはこの矛盾とそれがもたらす結果に直面しなければならなくなるだろう。」

(赤文字処理は私が施しました)

 更には、ガンディーが暗殺された年に、ガンディーから多大の影響を受けたアメリカのキング牧師が神学校を卒業しているということです。

 

 ガンディー、キング牧師の「無抵抗主義」は、見事な成果を結実している事は、誰でも承知の事実です。

 

 そして、トルストイがユダヤ人の賢者としての、キリストの教えの本質については、『キリスト教がよくわかる本』(井上祥治著:PHP研究所:1998.12.10発行)の50頁には、次のように書かれております。

『マルコによる福音書』一二章には、次のような会話がのっています。

「一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。『あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか』。イエスはお答えになった。『第一の掟は、これである。〃イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい〃。第二の掟は、これである。〃隣人を自分のように愛しなさい。この二つにまさる掟はほかにない』」

神さまを全力をあげて大切にし、隣人を自分と同じように大切にする。これがイエスの教えた最大の掟です。

┄┄

┄┄隣人になるのに、相手が外国人であろうと神の敵である罪人であろうと、そんなことは関係のないことなのだということです。ここに善人と悪人との間の垣根を、また自国民と他国民との間の垣根をとびこえた、イエスの悲愛の掟の普遍性があると言えましょう。

 であるからこそ、ミケランジェリは人類への遺産「ピエタ像」をサンピエトロ寺院に残してくれたのだと思います。(ピエタ:慈悲)

(ところが、最近の日本では“隣人を愛す”どころではなく、“隣りは何をする人ぞ”という風潮になってしまっているのは大変悲しい事ではありませんか。)

 

 そして、このイエスの心も、仏陀(トルストイの言う「インドの賢者」)の心も、その本質では同じなのです。

中村元氏は、氏の著書『温かな心』(春秋社:1999.3.21発行)の17頁で、

   慈悲ということ

 人間の永遠の真理というのは何かということになりますと、それは人々に対する温かいこころということが言えるかと思うのです。くりかえしになりますが、それを仏教では慈悲という言葉を使って昔から述べております。慈悲の教えというのは、原始仏教聖典の中では、ものによってはサンスクリット語で説かれておりますが、パーリ語でも述べられて、説かれております。

(後略)

(太字下線処理は私が行いました)

 と書かれて、仏教において、“慈悲(トルストイの説く“”)の重要性を説いています。

  

 そして、「仁」の項目で広辞苑を紐解きますと、中国の賢者「孔子」の心の根幹も「慈悲」であることに改めて気が付きます。

仁:孔子が提唱した道徳観念。礼にもとづく自己抑制と他者への思いやり。……儒家の道徳思想の中心に据えられ、宋学では仁を天道の発想とみなし、一切の諸道徳を統べる主徳とした。……慈悲

 

 ですから、世界は、外交は、駆け引きで動くのではなく、「慈悲」の心で動くべきなのです。

そのような世界へと徐々にながらも変革する任務を担ったのが、奇跡の憲法(を天から)授かった日本人なのです。

 

 最後にもう一度繰り返させていただきます。

今の時代、どこの国でもこの「平和憲法」を制定したくても絶対に出来ない憲法なのです。私達の「平和憲法」は「奇跡の憲法」なのです。

この「奇跡の憲法」の氏素性は全く関係ないのです。

氏素性を問題にする事こそ「下賎な行為」と言う事です。

 

 私達が戦後の荒廃から、ここまで発展して来られたのは、私達日本人だけの力では決してありません。

アメリカなどからの援助もありました。

迷惑をかけた国からの暖かい気持ちも頂いてきました。(補足参照)

そして、更には、戦争で犠牲になった多くの方々の霊を慰めるべく、この「奇跡の憲法」を担い、幾多の苦しみをも乗り越え、私達が、この「奇跡の憲法」授かった名誉を胸に秘め、恒久の平和を念願し、やがて来る崇高な理想の世界へと、この「奇跡の憲法」を継承してゆくのが、私達の使命なのだと思います。

 

 そして、スペイン、カタロニア地方の鳥(補足:2をご参照下さい)のように、私達は「平和(スペイン語では、パース)」「平和(パース)」と訴え続けてゆこうではありませんか。

 

 

 

(補足:1

 「迷惑をかけた国からの暖かい気持ち」の例として、“小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)”から、次の部分を抜粋して掲げます。

 

今の日本の繁栄と平和は、日本独自の力で築き上げたのでしょうか?

私は、サンフランシスコ平和条約の席上でのセイロン(現スリランカ)大統領の発言を以前NHK教育テレビで知って感激しました。

そして、発言をしっかり胸にとどめようとして、その発言を紹介している本を探していましたが、今まで見つけることが出来ませんでしたが、最近、愛国顕彰ホームページに紹介されているのを見ることが出来て感激を新たにしました。

その一部を参照させて頂きます。

昭和26年9月、サンフランシスコで開かれた対日講和会議で、米国の対日講和構想に対してアジア・太平洋諸国は、軍事制限条項が盛り込まれなかったことこと、賠償請求権が否定されたことに強く反発した際に、スリランカ民主社会主義共和国(当時セイロン)のジュニアス・リチャード・ジャヤワルデネ前大統領は、日本と日本国民に対する深い理解と慈悲心に基づく愛情を示した。

ジャヤワルデネ前大統領は、この講和会議の演説にブッダの言葉を引用した。

人はただ愛によってのみ憎しみを越えられる

人は憎しみによっては憎しみを越えられない

「実にこの世においては怨みに報いるに怨みを以てしたならば、ついに怨みの恩むことがない。怨みをすててこそ恩む、これは永遠の真理である。」

ジャヤワルデス前大統領は、講和会議出席各国代表に向って、日本に対する寛容と愛情を説き、日本に対してスリランカ国(当時・セイロン)は賠償請求を放棄することを宣言した。

 ジャヤワルデス前大統領、そして、彼の影響下で賠償請求を放棄するとのアジア・太平洋諸国の「愛」無くしては、今の日本の平和と反映はなかったのではないでしょうか?

 

 

 

 

(補足:2

世界最高のチェロ奏者であったカザルスは、スペインのフランコ独裁政権に反対し、またそれを追認する世界に対して「公開の場では演奏しない」と宣言し、プエルトリコ(彼の母の生地)に引き籠もっていましたが、95歳直前の19711024日の「国連デー記念コンサート」で国連総会参加の各国代表とその家族たちを前に演奏会を開き、その最後に、カザルスは“これから短いカタロニアの民謡《鳥の歌》を弾きます。私の故郷のカタロニアでは、鳥たちは平和、平和、平和!と鳴きながら飛んでいるのです”と語りかけた後「鳥の歌」を奏でたのです。


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