改憲して軍隊もってどうする?
2005年8月28日
宇佐美 保
7月の初め頃の、テレビ朝日『報道ステーション』にて、中曽根根元首相は、
憲法を改正して『防衛軍』を持ち日陰者から脱却して真の独立国になる |
旨を語っていました。
だったら、今は、真の独立国でなく米国の属国だと言うのでしょうか!?
イラク侵略の大儀もなく、米国の侵略を賛成したのも、属国だからだったのでしょうか!?
『週刊朝日(2005.8.5)』のコラム「ギロン堂」で田原総一朗氏は次のように記述しています。
…… 92年というのは、日本の世論が大きく変わる微妙な年であった。 きっかけになったのは、もちろん湾岸戦争だ。イラクによるクウェート侵攻に対して、国連安保理の採択によって、多国籍軍が結成。91年2月にイラク軍をクウェートから追い返したが、日本の自衛隊は参加しなかった。 アメリカに求められて130億ドルを提供したが、肝心のクウェートからは評価もされなかったのである。 この一件をきっかけに、自衛隊による国際貢献が必要だとする意見が盛り上がり、しだいに改憲論も勢いが増していった。 …… |
更に、扶桑社の『新しい歴史教科書』には次のように記述されています。
国際社会における日本の役割 1990年8月、イラク軍が突然クウェートに 侵攻し、翌年1月、アメリカを中心とする多国籍軍がイラク軍と戦って、クウェートから撤退させた(湾岸戦争)。この戦争では、日本は憲法を理由にして軍事行動には参加せず、巨額の財政援助によって大きな貢献をしたが、国際社会はそれを評価しなかった。国内では日本の国際貢献のあり方について深刻な議論がおきた。 共産主義陣営の崩壊によって、世界規模の戦争の危険は去ったが、一部に共産主義の国家が残り、また民族や宗教の対立をもとにした地域紛争もなくなりそうにもない。 こうした中で、独自の文化と伝統をもつ日本が、自国の安全をしっかりと確保しつつ、今後、世界の平和と繁栄にいかに貢献していくかが問われている。 |
しかし、湾岸戦争の際、「巨額の財政援助によって大きな貢献をした」が、日本が軍隊を派遣しなかったで、「国際社会はそれを評価しなかった」と書かれたりしていますが、
「米国、クウェート以外に、日本を評価しなかった国は? 国連で日本は非難されたのでしょうか?」 |
それに又、「湾岸戦争」は正当な戦争だったのでしょうか?
(私は、拙文《キーワードは軍産複合体》、《暴君はフセインですか?米国ではありませんか!》等にも書きましたが、「湾岸戦争」は、「米国によるマッチ/ポンプ戦争」と感じています。)
今回の米国のイラク侵略に、日本軍として加担していたらどうなったのですか?
サマワに、自衛隊でなく日本軍を送り込んでいたらどうなっていたのですか?
それにしても、今の時代、軍隊を有して役に立つことがあるのですか?
扶桑社の『新しい歴史教科書』では、「一部に共産主義の国家が残り、また民族や宗教の対立をもとにした地域紛争もなくなりそうにもない」と記述して、あたかも「北朝鮮からの侵略に備えての日本軍の整備が不可欠」とほのめかしています。
現に、北朝鮮の核爆弾保有説(これまた、米国のマッチ/ポンプでは?と私は感じています)に踊らされて、日本政府は、2007年3月から導入費用が一兆円もする超高額兵器MD(飛来する弾道ミサイルを人工衛星、レーダーなどで探知・追尾し、これを迎撃・破壊する)システムの配備を開始するというのです。
この件に関しては、東京新聞(2005.7.15)から以下に抜粋させて頂きます。
ミサイル防衛(MD)システムの運用手続きを定める自衛隊法改正案が二十日に成立する見通しとなった。二〇〇七年三月からの配備開始を前に運用の法的枠組みを整えた格好にはなるが、政府も「近未来兵器」の実像は完全に把握していないのが実情。国会答弁では「欠陥」が散見し、MDで国民が守れるのか、あらためて疑問が強まった。 ┈┈┈┈ 二〇〇三年五月の日米首脳会談で小泉純一郎首相が意欲を示し、その年の閣議で導入が決定した。政治判断によって導入された対米追従のシンボルともいえる武器類で、「費用対効果」の発想は最初からなかった。 |
第一、北朝鮮が、日本を攻撃するとしても核兵器を使用しますか?
核兵器を使用したら、北朝鮮は世界から爪弾きされてしまいます。
では、北朝鮮は正規軍を日本に差し向けますか?
正規軍が日本に上陸してきても、北朝鮮は(海上)補給路をどうやって確保するのですか?
だとしたら、北朝鮮は、テロを日本に差し向けるのが一番の得策でしょう!
そのテロに対して、新たな日本軍が対処可能ですか? |
米国本土は、テロ(米国のマッチポンプ?)の温床から、大西洋、太平洋で隔絶されています。
しかし、北朝鮮と日本を隔てる日本海は、テロにとっては陸も同然?
世界最強の軍隊である米国軍が、ヴェトナム、アフガニスタン、イラクで勝利を収めましたか? 世界最強の米国軍隊ですらテロを制圧できないのに、何故日本に軍隊が必要なのですか? (米国の傭兵となるためですか?) |
今の日本には、「自衛隊」で十分ではありませんか!?
この「自衛隊」に関しては、拙文《小泉純一郎氏とヒトラー》から再掲いたします。
自衛隊に30年居られた作家の浅田次郎氏が『それでも私は戦争に反対します:平凡社発行』に次のように記述されています。
┈┈┈┈ おまえ、撃たれても撃ち返すな。橋や学校をこしらえていて、もしゲリラが攻撃してきたら、銃を執らずにハンマーを握ったまま死んでくれ。 正当防衛も、緊急避難もくそくらえだ。他人を殺すくらいなら、自分が死んでこその人間じゃないか。 自衛隊は世界一猥褻な、世界一ぶざまで滑稽な軍隊だけれど、そんな俺たちには誰も気付かぬ矜りがある。それは、五十何年間も戦をせず、一人の戦死者も出さず、ひとつの戦果さえ挙げなかったという、輝かしい不戦の軍隊の誇りだ。 GHQと戦後日本政府がこしらえたおもちゃの兵隊が、実は人類の叡智の結晶ともいえる理想の軍人であることを、ブッシュにも、無能な政治家どもにもわからせてやれ。 いいか。俺は昔の戦で死んだ大勢の先輩たちと、ほんとうの日本国になりかわっておまえに命ずる。 やつらの望んだ半長靴を、人間の血で汚すな。われらが日章旗を、人間の血で穢すな。誰が何と言おうと、俺たちは人類史上例を見ない、栄光の戦わざる軍人である。 復唱せよ。 |
そして、私は、拙文《奇跡と仮城の平和憲法》にも記述しましたが、今の日本にとっての自衛隊は、法華経が説いている「仮城」であると認識しています。
仮城(日本国語大辞典:小学館) 法華経に説く七喩の一つ 大乗の究極の悟りを宝所にたとえて、そこに達する途中の遠くけわしい道で、人々が脱落しないよう一行の導師が城郭を仮作して人々を休ませ、疲労の去った後、更に目的の宝所に導いたというたとえ。 大乗の涅槃に達する前段階としての小乗の方便の涅槃をいう。 |
更には、「平和憲法」こそが、「最強の軍隊」(逆説的ですが)であると信じています。
ですから、いつの日か、日本は「自衛隊」(仮城)も放棄できる(目的の宝所に辿り着く)日を夢見ています。
ところが、扶桑社の『新しい歴史教科書』は、「平和憲法」に関して次のように記述しています。
日本国憲法 GIIQは,大日本帝国憲法の改正を求めた。日本側では,すでに大正デモクラシーの経験があり、憲法に多少の修正をほどこすだけで民主化は可能だと考えていた。しかし、GHQは1946年2月,わずか約1週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して,憲法の根本的な改正を強くせまった。 政府はGHQが示した憲法草案の内容(注)に衝撃を受けたが,それを拒否した場合・天皇の地位がおびやかされるおそれがあるので,やむをえず受け入れた。 GHQの草案にもとづいて政府は憲法案をつくり,帝国議会の審議を経て,1946年11月3日、日本国憲法が公布された(施行は1947年5月3日)。 日本国憲法は,世襲の天皇を日本国および日本国民統合の象徴と定めた。さらに国民主権をうたい,国会を国権の最高機関とし、議院内閣制を明記するとともに,基本的人権に関する規定が整備された。また,国際紛争を解決する手段としての戦争の放棄と,そのための戦力をもたないことを定めた。 (注)交戦権の否認(のちの9条)などが書かれており、国家としての主体性を否定するものと、当時の指導者は受け止めた。 |
この教科書の記述は、「平和憲法」が、あたかも粗悪な押し付け的憲法と解釈しかねないような作為的な記述をしています。
ところが、「押しつけというよりもいまの憲法は日米共同草案として始まった」と、「与野党共通の認識として共有されていると承知しております」旨、保岡興治氏(衆議院議員:自民党憲法調査会会長)は、語っているのです。
この件に関して、拙文《石原慎太郎都知事とテロ》にも引用させて頂きましたが、『通販生活(2005夏号)』の、井上ひさし氏(作家:日本ペンクラブ会長)と保岡興治氏の対論から抜粋させて頂きます。
井上
……保岡さんのホームページを拝見したら、「現憲法の基礎となったマッカーサー草案は、GHQの二十数名のスタッフにより7日間で起草された」と始まっていました。 |
保岡
それ、3年前に書いた文章なんですが、その後いろいろ勉強を重ねまして、いまは単にマッカーサー憲法だったから改正が必要だというふうには考えていません。 |
保岡氏は、こんな重大な視点の変更を3年も放置して、日本の多くの人達に“今の憲法は、アメリカからの押し付け”と刷り込んでしまっているのです。
そのことへの反省も謝罪もありません。
井上
それならいいんですが、いまの新憲法ができたとき、当時の日本人はマッカーサーに押しつけられたというふうには受けとめていなかったのです。新憲法ができたとき、ぼくは小学枚(当時はまだ国民学校といっていましたが)5年生でしたが、ちょうど世の中の動きに興味を持ち出した頃で、かなり正確に当時の雰囲気をおぼえているのです。その記憶に、そのあと調べたことを足して言いますと、当時の日本人の中には自発的にそれまでの憲法を変えようとする人たちが大勢いました。 |
保岡
終戦直後からですね。 |
井上
ええ、直後からです。当時の日本自由党、社会党、共産党、それぞれが憲法案をつくり始めていますし、それに民間案がたくさん出ています。松本蒸治国務大臣が委員長になった政府の憲法問題調査会(松本委員会)は有名ですけど、それだけじゃなかった。この頃のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本から質問があれば答えるという感じで、まだアメリカ側も日本の新憲法に対してははっきりした具体案を持っていなかったみたいですね。当時の日本人は戦争に負けて食べるのに汲汲としていたと同時に、これから新しい国をつくるんだというエネルギッシュな動きをはっきりと示し始めていたのです、官も民もね。 なによりも新憲法には、そうした民間案、とくに憲法研究会案が採用されています。だからぼくは、押しつけというよりもいまの憲法は日米共同草案として始まったと解釈しています。 …… |
保岡
5年前に発足した衆議院の憲法調査会でも新憲法の制定経緯というものを、いろんな関係者を呼んだり、資料に基づいてお互いに論議したり勉強しました。いま、井上先生が言われたような事実関係のおおむねはそのときに、与野党共通の認識として共有されていると承知しております。 |
井上
釈迦に説法でしたか。 |
このように、自民党憲法調査会会長である保岡興治氏が認識しているのに、何故、扶桑社の教科書は、「GHQは1946年2月,わずか約1週間でみずから作成した憲法草案を日本政府に示して,憲法の根本的な改正を強くせまった」と記述するのでしょうか?!
更には、朝日新聞(8月14日)には、“非軍事国家を目指すことを憲法に明記する構想が、日本側にあった”旨の、次の記述があります。
日本国憲法の制定前の46年1月、後にA級戦犯として終身禁固刑を受けた白鳥敏夫・元駐イタリア大使=服役中に病死=が、9条の原型となる戦争放棄や軍備撤廃を新憲法の条項に盛り込むべきだとする提案をまとめた書簡を、当時の吉田茂外相を通じて幣原喜重郎首相に送っていた。┈┈┈┈ 9条の基になる考えが日米どちらから出たのかについては議論が分かれているが、非軍事国家を目指すことを憲法に明記する構想が、日本側にあったことになる。 ┈┈┈┈ 戦争放棄を新憲法に盛り込む発想は46年1月24日のマッカーサー・幣原会談で出たとされる。幣原が言い出したとされるが、どちらから出たのか、あるいは合作なのかについては論争があり、決着はついていない。 1月20日ごろに検閲が解除され、吉田外相を通じてマッカーサーとの会談前の幣原首相に届けられた可能性が高い。 ┈┈┈┈ |
更に、次のようにも書かれています。
白鳥元大使の書簡については、極東軍事裁判で白鳥元大使の弁護をした広田洋二氏が56年に雑誌「日本週報」に書いているが、研究者の間でもあまり知られていなかった。 |
(この件に関して、ドキュメンタリー番組制作者鈴木昭典さん(76)による取材成果をまとめた番組「田原総一朗スペシャル戦後60年〜私達は間違っていたのか」が14日テレビ朝日系列で放送されたそうですが、残念ながら私は見落としてしまいました!)
そして、評論家田原総一郎氏は、“扶桑社の『新しい歴史教科書』の何処が悪いんだ!悪い箇所など無い!”とテレビで吼えまくっています。
何故?
そして、挙句の果ては朝日新聞(8月2日)には、次の記事が載ります。
自民党の新憲法起草委員会(委員長・森前首相)は1日、新憲法草案の条文案を公表した。現行憲法が制定されてから、主要政党が条文の形で改憲案をまとめたのは初めて。焦点の9条は平和主義の理念は維持しつつも、「自衛軍」の保持を明記。自衛軍は「国際的に協調して行われる活動」にも参加できるとして、海外で武力行使を伴う活動にも ┈┈┈┈ 第2章は「戦争の放棄」から「安全保障」に改められ、「戦争その他の武力の行使又は武力による威嚇を永久に行わない」とする一方、現行憲法にある「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を削除した。新たに「自衛軍の統制」という項目を立て、自衛軍の活動は事前か事後に「国会の承認を受けなければならない」とした。 |
“「交戦権の否認」を削除”とは、全く、前掲の扶桑社の『新しい歴史教科書』の思惑通りではありませんか!?
なにしろ、扶桑社の『新しい歴史教科書』は「交戦権の否認(のちの9条)などが書かれており、国家としての主体性を否定するものと、当時の指導者は受け止めた」と記述しているのですから。
そして、「自衛軍の統制」の件は、先のテレビでも中曽根元首相は、“「自衛軍」”の武力行使には、「国会の承認」などの歯止めが必要と語っていましたから、その中曽根氏の見解の反映なのでしょう。
しかし、「国会の承認」などが歯止めになりますか?
先の「自衛隊のイラク派遣」では、「国会」が歯止めの役を果たしましたか?
その上、その国会の役目を減じるような次の仕掛けを仕組んでいるのです。
憲法改正の手続きでは、国会での発議要件を、 現行の衆参各議院の総議員の「3分の2以上」から 「過半数」にハードルを下げた。 |
即ち、今後幾らでも、好きなだけ憲法は改正(否!改悪!)可能なのです。
歯止めが必要なのは、このような「改憲(改悪)の動き」に対してではありませんか!?
ここで、週刊金曜日(2005.8.5)の自費出版『検証・憲法第九条の誕生』の編著者である岩田行夫氏に関する次の記事“改悪を許せば元には戻せない”の抜粋を掲げさせて戴きます。
− 『検証・憲法第九条の誕生』は議事速記録を起こし、憲法づくりの過程を再現しています。 なんといっても、議論の流れ全体がおもしろかったですね。九条の戦争「放棄」という文言も、そこに落ち着くまで」「否認」、仮名の「ホウキ」、「抛棄」などいろいろな案が出ています。どの文一言を使うかで真剣に議論しているんですよ。 もっと核心的な部分では、当時、第二項の「国の交戦権を否認することを声明する」という案を「──宣言する」としたらどうかとの議論。 修正案討議の小委員会がこのまま空中分解しちゃうんじゃないかというぐらい激論を交わしています。 ┈┈┈┈ 妻には、葬式はやらなくていい、墓もいらない、遺言代わりにこの本を自費出版させて欲しい、と頼みました。最初、一〇〇〇冊の予定だった出版部数を五〇〇〇冊としたときには、〃こんな良い本が売れないような日本ならば、改憲されても仕方がないだろう″と腹を決めました。今の状況を傍観していたら一生悔いが残る、一度、憲法の改悪を許してしまえば、あとで一〇〇倍がんばっても元の平和憲法には戻せない、と思ったわけです。 ┈┈┈┈ 戦後、新しい憲法を作るのに、当時の国会議員などは右から左まで、非常に率直に今、問題になってきているようなことも含め、ほぼ網羅的に憲法論議をし尽くしています。そこから考えると、今、自民党などがやっている論議は「新しい憲法づくり」ではなく、「新明治憲法づくり」なんです。彼らがやろうとしているのは軍隊の復活と、天皇の元首化による復権です。これでは完全に、戦前の国家へと逆戻りです。 |
この記事から、先の扶桑社の『新しい歴史教科書』の記述の欺瞞が暴露されます。
更に、岩田氏の“今、自民党などがやっている論議は┈┈┈┈軍隊の復活と、天皇の元首化による復権です。これでは完全に、戦前の国家へと逆戻りです”との警告を裏付けるように、中曽根元首相は盛んに「天皇陛下の靖国参拝」の復活を唱えています。
そして、又、件(くだん)の扶桑社の『新しい歴史教科書』は、“日本人の自国の戦争に対する罪悪感は、GHQの占領直後からの宣伝工作の結果だ!”旨の記述を行っています。
●戦争への罪悪感● GHQは,占領直後から,新聞雑誌,ラジオ,映画のすべてにわたって,言論に対す るきびしい検閲を行った。また,日本の戦争がいかに不当なものであったかを,マスメデ ィアを通じて宣伝した。こうした宣伝は,東京裁判と並んで,日本人の自国の戦争に対する罪悪感をつちかい,戦後の日本人の歴史に対する見方に影響をあたえた。 |
「自国の戦争に対する罪悪感」は人間としての自然の発露です。
なのに、例の教科書は、中学生達に「GHQの宣伝工作の結果」と刷り込もうとしているのです。
このような危険な動きに対する
いかなる理由(大義)をこじつけようが、戦争には「正義の戦争」など存在しません。
戦争は常に罪悪です。
一般生活では、人殺しは罪悪です。
何故、国家間だと人殺しが許されるのですか!?
隣人が押し込んでくるといけないからと、武器を常備する人はいません。
悲しい事に、米国は、家庭内に武器を常備したりしています、悲しいことです。
百歩譲って「自衛の戦争」が許されるとしても、先の戦争で先に手を出したのは、我が日本国です!
「平和憲法」こそが、人間社会にふさわしい憲法です。
若し、日本人が誇り高い民族ならば、軍隊、戦争を放棄した「平和憲法」を守り、この憲法を世界に広めることを使命と感じるべきです。
拙文《平和憲法は奇跡の憲法》にても、訴えましたが、「平和憲法」は今のどの国にも無く、又、どの国でも持つ事が出来ない「奇跡の憲法」なのです。
そして、岩田氏の
「今の状況を傍観していたら一生悔いが残る、 一度、憲法の改悪を許してしまえば、 あとで一〇〇倍がんばっても元の平和憲法には戻せない」 |
との思い通り、この「奇跡の平和憲法」を一度失ってしまったら、私達は、二度と手にすることは出来ないでしょう。
私達、誇り高い日本人が、国際貢献する道は、軍隊による貢献ではなく、平和憲法の推進普及であるべきです。
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