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石原慎太郎都知事とテロ

2005年5月12日 宇佐美

 

『通販生活(2005夏号)』の巻頭特集としての、井上ひさし氏(作家:日本ペンクラブ会長)と保岡興治氏(衆議院議員:自民党憲法調査会会長)の「憲法九条大論争」の前頁に、1枚の絵が掲げられてあり、次のような文章で始まっていました。

 

ここに一枚の絵があります。

1945310日、10万人が焼死したと言われる「東京大空襲」の生存者が描いたもので

この絵から、あなたはどんな感想を持ちますか。

a 

「このような悲劇を未然に防ぐために、抑止力としての正規の軍隊を持つべきだ」ですか。

b 

「武力には武力で、と張り合っていくと、いつか再びこのような悲劇を招いてしまう」ですか。

 

憲法九条をめぐって、いま、わが国の将来を左右する論争が始まっています。……



 

 この井上、保岡両氏の対論については、後で取り上げるとしまして、この雑誌を見る2ヶ月ほど前の、310日の東京大空襲の日(今年は60年目)の夜、カーラジオのニュースが石原都知事の発言を紹介していました。

その時の発言を正確に、この場に記したいと、新聞などを捜しましたが見つける事が出来ませんでした。

しかし、次のホームページで、4年前の「2001310日の都知事の発言」を知る事が出来ました、そして、その内容が、先日カーラジオで耳にした発言と全く同じと思いましたので、以下に、引用させて頂きます。

http://www.geocities.jp/social792/isihara/isihara_gendou2001.html

 

「都民が被った惨禍の事実を風化させることなく東京の平和と繁栄が尊い犠牲のうえに築かれていることを忘れてはならない
(同日、墨田区の都慰霊堂で行われた「慰霊大法要」で)

 

 この石原発言を“おかしい!”と感じませんか?

 

昭和20年310日の344機のB29(各機平均6トン以上の焼夷弾を搭載)による約二時間半にわたって波状絨毯爆撃によって、性別も判らないような一塊の炭と化すまでに焼き殺された10万人以上の都民の方々(そう!冒頭の絵にかかれた方々のように)は、今日の東京の平和と繁栄の礎となる為に亡くなられたのでしょうか?!

 

 そんなことは絶対無いはずです!

犠牲者の方々は、なんとしても生き続けたい、それが駄目ならせめて自分の子供だけは守りたい!との願いの内に亡くなられた筈です。

決して今の東京の平和と繁栄を願って犠牲になったのではありません。

 

 なのに、“東京の平和と繁栄が尊い犠牲のうえに築かれている”と犠牲者の方々への感謝(?)する石原発言を、亡くなられた方々は喜ばれるでしょうか?

 

 今生きている私達が、東京大空襲犠牲者の方々の為に起こす行動は、私達が犠牲者の方々の受けた苦しみを自らの苦しみとして感じ取り追悼することです。

そして、私達の親たち、祖父母達が戦争を食い止める事が出来なかった為、悲惨な犠牲を強いてしまった事を詫び、せめて今後は、東京大空襲、原爆投下などを必ず引き起こす戦争を起こさないと誓うことではありませんか!?

 

 更に、このホームページには、又、石原氏の恐ろしい発言が紹介されていました。

 

「いくさのない世の中は本当にありがたいと思うが、平和に慣れてしまうことは危険だ」「例えば、北朝鮮にお米をさしあげることで拉致された日本人が帰ってくるわけではない。平和を維持するために、もっと努力しないとだめだ
平和に慣れてしまっては、戦争で亡くなった同胞に申し訳がたたない
(2001
310日、都庁で開かれた東京大空襲の犠牲者を追悼する「平和の日記念式典」にて)

 

 これらの石原発言を“おかしい!”と感じませんか?

 

私達は、「平和に慣れてしまうことは危険だ」との石原発言と反対に「平和に慣れること」こそ必要なのです。

そして、私達は世界中に「平和に慣れること」の重要性を世界に訴えてゆくべきです。

但し、私達民間人は、私達自身がその平和を訴え維持する為、日頃から、近隣諸国は勿論、世界の国々の方々との友好に努めていなければならないのです。

 

 しかし、私達民間人では解決できない部分に於いて為政者達が平和維持に全力を傾けるべきなのです。

なにしろ、戦争を引き起こすのは為政者達なのですから!

そして、戦争を引き起こした後は、その遂行を民間人に押し付けるのです。

ですから、私達は、為政者達の戦争へ誘導する策略に嵌ってはいけないのです。

 

平和に慣れてしまっては、戦争で亡くなった同胞に申し訳がたたない”との石原氏発言こそは、私達を戦争へ誘おうとする巧妙な罠ではありませんか?!

 

平和に慣れるといけないので、時々戦争をしなければならない!

戦争しないまでも、その戦争に備える準備をしなくてはいけない!

平和は戦争の代償である!

と石原氏は思っておられるのでは?

 

「北朝鮮にお米をさしあげることで拉致された日本人が帰ってくるわけではない。平和を維持するために、もっと努力しないとだめだ」との石原発言は、為政者達への、“武力を用いない平和的な外交にもっと努力せよ!”、即ち、

湾岸戦争時に他国から”金だけ出して、血を流さない!”と非難されても、
”平和の為に不当な非難に堪えなければならない!”

との発言であるべきでが、“戦う心構えをしろ!”的に都民に対して発せられています。

(それにおかしなことに最近、政治家達は“血を流す”と言うべきところを“汗を流す”に換言して誤魔化します。
“汗を流せと言うなら、お金も汗です、お金は汗の結晶です”。
この認識がないから、政治家達は税金を無駄使いします。)

 

これらの点から、残念ながら、石原都知事は、冒頭の絵の前に書かれた“この絵から、あなたはどんな感想を持ちますか”との質問の答えは、a項の

「このような悲劇を未然に防ぐために、抑止力としての正規の軍隊を持つべきだ」

であることは明らかである事が推測できます。

 

先に掲げたような発言を繰り返す石原慎太郎氏から為政者の資格を剥奪すべきと存じます。

 

 為政者たるべき者は“平和が当たり前となる世界の築かなくては、私達は、戦争で亡くなった同胞に申し訳がたたない”との気概を持ち続けるべきではありませんか!?

 

 為政者の最大の務めは“戦争を排除する”事ではありませんか!?

現在、大国で戦争を引き起こしているのは、米国だけです。

何故そんな国に日本は追随するのですか?

このゴールデンウィークの連休中に多くの国会議員が米国詣でをしています。

 

週刊文春(2005.05.05.12)には、石原慎太郎 緊急提言 「いまこそ尖閣諸島に自衛隊を派兵せよ」との次のような記事が載っています。

 

いま日本がなすべきことは、尖閣諸島に自衛隊を常駐させることです。海上保安庁ではなく、武装した自衛隊を駐留させて尖閣諸島の実効支配を進めることが、中国に対する我が国の明確な意思表示になる。……

 日本の領土、領海なのだから、自衛隊を送ることは国際的に全く問題はない。

もし中国の艦船が領海内に侵入し、警告しても退去しないならば、撃沈すればいい。それで中国との摩擦が生じて紛争が起きたならば、日米安保に則ってアメリカが出てくるだろう。でなければ何のための安保か。……

 その後、共和党政権に替わり、昨年三月に中国人の活動家が尖閣諸島に上陸した際には、国務省のエアリー副報道官がすかさず「尖閣諸島は日本政府の施政下にあり、日米安保は尖閣諸島にも適用される」と発言した。そう明言している以上、アメリカに踏み絵を踏ませればいいのです。

 アメリカは世界戦略上、沖縄の基地を手放すわけにはいかない。ならば日本はアメリカに恩を売りつつ、バーターでアメリカを日本の対中国戦略に巻き込むべきでしょう。そして安保の条文を改正して、日本に関する紛争が発生したときには、現行の「適切に協力する」ではなく「日本を防衛する」と明記させるべきなのです。

 

 どうも石原氏は持論をお忘れのようです。

拙文《平和憲法は奇跡の憲法》にも引用させて頂いた部分を次に再掲します。

 

 ……石原氏は、田原総一朗氏との対談「勝つ日本:文芸春秋発行」において、次のように、麻雀的戦略戦術を語っています。……

 

 相対感覚というのは、「オレはこれをもっている」「あれは持っていない」というように、自分のことを良く知る事だ。

最適な例が麻雀で、┄┄さまざまな戦術、戦略がとれる。

 戦後から今日までの日本を見ると、この麻雀的感覚がない┄┄いまの日本人は自分のことを知らない。複合的な発想がなぜかあまりできない。すぐに思いつくのは猪突猛進。だから一億玉砕、そして次には手のひらを返したような一億総懺悔になってしまいます。┄┄

 

 でも、先の石原氏の発言は、全て自分の最初のシナリオ通りにアメリカが行動するとの感覚です。

アメリカが日本の意を汲まなかったらどうするか?が欠落しているではありませんか!?

 “アメリカを日本の対中国戦略に巻き込むべき”と言ったって、アメリカは巻き込まれないかもしれないではありませんか?!

アメリカに踏み絵を踏ませればいい」と言っても、踏まなかったらどうするのですか?!

“日本に関する紛争が発生したときには、現行の「適切に協力する」ではなく「日本を防衛する」と明記させるべき”と言ったって、明記したからアメリカがその条約を守る保証が何処にありますか?!

 

アメリカがいつまでも日本を同盟国として扱いますか?

アメリカは、日本を振り切って、中国と友好関係(同盟関係)を結ばないとも限らないではありませんか?!

 

 そして、次なる談話も、“アメリカは巻き込まれないかもしれない”の発想が全く欠落しているのです。

 

 中国がいくら軍事力を増強しているといっても、米軍の誇る最先端技術にかなうわけがない。アフガン戦争で駆使されたピンポイント爆撃を目の当たりにして中国は、固唾を飲んだ。また、米軍は二年ほど前に、潜水艦発射弾道ミサイル「トライデント」を搭載していた原子力潜水艦を改良して、巡舵ミサイルの「トマホーク」を発射できるようにしています。その改良した原潜四隻のうち二隻は東シナ海に配備されている。

巡航ミサイルは核兵器ほど破壊力はないが通常兵器だけに使いやすく、ひとたび撃ち合いになれば中国は防ぎようがなく、三峡ダムも北京も破壊されるだろう

 もちろん米軍の力を借りずに、まず我が国独自の力で我が国の領土を防衛すべきことは言うまでもない。

尖閣諸島やEEZ(排他的経済水域)に侵犯してきた中国の艦船や工作船に対しては、第三次中東戦争でイスラエルが…開発したガブリエルのような艦対艦、艦対空の強力なミサイルを搭載した小型艦艇を配備して応戦すればいい。航続距離の短い艦艇ですから、あくまで専守防衛の兵器です。

 

 2ヶ月前に、東京大空襲での犠牲者の方々への追悼の言葉を述べたばかりの石原都知事が、“巡航ミサイルは核兵器ほど破壊力はないが通常兵器だけに使いやすく、ひとたび撃ち合いになれば中国は防ぎようがなく、三峡ダムも北京も破壊されるだろう”と語っているのですから驚きです。

こんなことしたら、中国の北京市民ら一般人は、東京空襲時の都民同様の無残な犠牲を強いられるのです。

 

 更には、次のようにも発言しています。

 

 よしんば中国での経済利権を失ったとしても、他に目を向ければいいのだ。十三億人の中国市場を失っても、米・露と組んで資源が豊富なシベリア開発をすればいいし、インドヘの進出を始めることも出来る。そういう二枚、三枚のカードを手の内に持っていれば、中国の挑発にいちいち付き合わずにすむのです。

 

ここでもアメリカ依存です(インドの件は兎も角)。

 

 でもこんな夢を吹聴できるのも、日本経済がしっかりしている事が前提です。

 

 ところが、日本は国の借金が、1000兆円ほどあって、それを国民の貯金が支えているのです。

今後、国民の預金の残り分400兆円ほどを食い尽くしてしまったら、誰が日本の国債を買い支えるのですか?

どこの国が買い支えるのですか?

日本国の前途は暗澹たるものです。

誰も何処も日本の国債を買い支えなかったら、日本国は破産してしまうのではありませんか?!

 

そんな状態になった日本をアメリカは大事にしますか?!

見捨てるのが当然でしょう?!

アメリカに見捨てられれば“米・露と組んで資源が豊富なシベリア開発”は水泡に帰してしまいます。

又、“インドヘの進出”しても途中の海路を中国に絶たれたらどうするのですか!?

石原都知事の手持ちのカードは、全てアメリカが日本を支援していなければ効果のないカードなのです。

 

 なのに、石原氏は、次のように発言しています。

 

“「愛国無罪」と叫びながら北京の日本大使館や上海の日本総領事館にペットボトルや石を投げつけた反日デモの姿は、「革命無罪、造反有理」をスローガンにしていた文化大革命の紅衛兵を髣髴させるものでした。

あの光景を目にして、日本人は中国の本性を思い知ったのではないでしょうか。

いわば、民度の低さと言ってもいい。”

 

しかし、民度に関しては日本も大同小異ではありませんか!?

 

次のような「反日デモの嫌がらせ?」との新聞記事を目にします。

 

 先ずは、毎日新聞(2005年4月20日)から、

 

  斐川町の縫製工場の壁に「中国人2人殺」と書かれた落書きがあったことが、19日、分かった。同工場には中国人女性約7人が働いており、出雲署は器物損壊の疑いもあると見て捜査している。……

 

更に、

 ……

 大使館には、19日午後カミソリ入り、20日には銃弾のようなものが入った封筒が届いた。抗議文のような文書も入っていた。総領事館には20日午前、脅迫文が入った封筒3通が配達され、うち1通には銃弾のような金属も入っていた。文書には「反日行動が続けば、在日中国人の安全は保障しない」などと記されていたという。

 大使館などには、これまでも同様の不審な手紙が郵送されるなどの嫌がらせが続いている。

毎日新聞(2005年4月21日)

 

 そして、今回のJR西日本脱線事故後では次のような記事を目にします。

朝日新聞(2005年5月11日)

 

 JR宝塚線(福知山線)の脱線事故後、JR西日本の乗務員を狙った悪質な嫌がらせ行為が相次いでいる。同社が8日までに確認できただけでも、120件に上る。事故当日のボウリング大会開催など一連の「不適切な行為」(同社)の発覚直後には、女性運転士がホームでけられてけがをする傷害事件も発生。レール上に石などが置かれる事件も多発しており、同社の3労組は10日、安全運転に協力を求める異例の共同声明を出した。

……

 

 先の拙文《JR西日本の脱線事故と戦争》に引用させて頂きましたメールの一部を再び掲げさせて頂きます。

 

私が某社に入ったときの上司(今でも鮮明に覚えている名前;S.U)は戦争帰還者で中国に行っていました

日本刀で数多くの中国市民を切り捨てたと平然と言っていました

しかもいろいろな殺し方を楽しんだと酒の席で自慢する有様です。

……

当時の軍隊のトップの教育が日本人にあらずんば人にあらずという(虫けら論)ことを忠実に守り、戦争が終結し10数年、平和の精神が蔓延しても、全く反省しない人がいるということで、教育の恐ろしさを感じます



 この
S.U氏ような方は戦時中の日本軍では稀なケースと石原氏は、認識しているのですか?

 

 私は、稀ではなかったと存じます。

愛国無罪」「革命無罪、造反有理」をスローガンにして叫びながら北京の日本大使館や上海の日本総領事館にペットボトルや石を投げつけた反日デモの姿から、私は、イラクで人質になった方々の帰国を「自己責任」のプラカードを持って非難し迎えた日本人の姿を連想します。

 

勿論、又、何度も書いていますが、戦争などでの残虐行為は、日本人だけでなく何処の国の兵隊でも行う可能性があります。

ですから、戦争などすべきではないのです!

 

 ユダヤ人大量殺戮(ホロコースト)は、ナチの仕業です。

でも、ナチは特殊な人達ではありません。

彼らはれっきとしたドイツ人です。

 

 勿論、我が国のA級戦犯もれっきとした日本人です。

 

 そして、日本人の民度の低さを端的に表しているのが他でもない石原氏ご自身なのです。

作家石原慎太郎としては、私は彼を評価します。

と申しましても、新潮文庫の2冊(『太陽の季節』、『完全な悪戯』)を読んだだけですが。

 

 一寸、ここで『完全な悪戯』に於ける江藤淳氏の解説を抜粋させて頂きます。

 

 この集に収められた五つの作品は、五枚の花弁のようにひとつの中心に連なっている。そして中心にあるのは、「完璧」と言う観念である。「完全な悪戯」は、それを徹底的に外面かした。……

ところで、個々の作品についていうなら、およそ「完全な遊戯」ほど日本の批評家というものの道学者ぶりを露わにさせた作品はなかった。ここに描かれているのは、金持の不良少年たちが白痴の女を車にひっぱりあげて輪姦し売りとばしたあげくに海につきおとして殺してしまうというだけの話である。女が礼次という少年に寄せる淡い恋情のようなものを除いては、ここには人間的なものがすこしもない。あるのは行動の即物的な記述だけで、当然批評家たちはこの作品の倫理感覚の脱落を非難したのである。

 

 そして、私が(引き釣り込まれるようにして一気に)読んだこの2冊の文庫本に納められた作品からは、この江藤氏の「完全な悪戯」への「人間的なものがすこしもない」の解説は、全ての作品に当てはまるのです。

他人への、特に女性への思い遣りは石原作品には全く欠如しています。

 

 もちろん、作品は作品、作家自身の人間性は別と言うのなら納得できます。

しかし、次の発言では、作品はご自身の人間性の反映である事がはっきりします。

(次のホームページから引用させて頂きます。)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/ishihara/data/19990918fuchuu.htm

 

1999年9月18日、府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)視察後の記者会見

 

 ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやってやっているのは日本だけでしょうな。
人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。

(出典:朝日新聞1999年9月18日

 

 この発言を知ると、先の江藤氏の「金持の不良少年たちが白痴の女を車にひっぱりあげて輪姦し、売りとばしたあげくに海につきおとして殺してしまうというだけの話である。」との解説では済まなくなります。

話(小説)では無いのです。石原氏の本音なのですから。

 

 更には、毎日新聞(1999年4月30日)には次の記事が載っています。

 

石原知事が初の定例会見 隠し子を不徳と暴言。

4月23日の就任日に写真週刊誌が「妻以外の女性との間に息子をもうけ、子供は5年前に認知した」と報道した件について真偽を問われると、やや動揺した表情ながらも「事実です。20年前のことで、私にとって若気の至りというか、私の不徳というか。しかし男として従前の責任をとったと思います」と認めた。……

 

 このような事態を経て、石原氏は反省したのでしょうか?

否です!

先のホームページから又引用させて頂きます。

 

『国家なる幻影』(1999p.668

私は議員辞任の挨拶の中でこの国を、思わずも、男の姿をしながら男の能力を欠いた宦官に譬えたが、実体はもっと無残で、日本はアメリカが恐れる余りに意図し完成した日本の実質解体の結果、自らの足で立って歩むことを嫌ったかつての為政者によって、纏足をほどこされて囲われた妾のようなものでしかない。
 自ら立とうとしても、萎えきった足では自分を支えて立ち上がることも出来ぬ女の哀れさ惨めさが、決して他人のものではないということをそろそろ政治家をふくめて国民全体が意識し、まずその修復への意思を持ち直すべき時に違いあるまい。

 

 石原氏の「若気の至り」、「私の不徳」のお相手は弱者ではありませんか?

そして、ここでの比喩の対象である「纏足をほどこされて囲われた妾」も弱者ではありませんか?

何故石原氏には、弱者(妾、隠し子を産まされた女性を、弱者にしているのは石原氏のような男性ではありませんか!?)に対して思い遣りの心が働かないのでしょうか?

石原氏の「若気の至り」、「私の不徳」の言葉が、全く反省の心から出たのではない事が、この発言から判るのです。

男として従前の責任をとったと思います」にはならないのです。

 

 このような方が為政者として発言すれば、中国も韓国の方々も“日本は反省していない!”と抗議するのは当然なのです。

早々に石原氏には、為政者の立場から引退して頂きたいものです。

 

 ここで、又、先の『通販生活(2005夏号)』から対論の一部を引用させて頂きます。

 

保岡 

 国の自衛、つまり独立と安全は、国民生活や経済などすべての基礎だと思います。

国家がこれを確保することは最大の責任ですから、いかなる脅威に対してもこれを   未然に抑止するカ、外拘の理不尽な言動に対して適切な主張をしっかりできる体制   は整える必要があると思うのです。


井上

 そうおっしゃるけれど、国家が国民を守ってくれたためしはこれまで一度もないん   ですよ。空襲から生まれた戦災孤児がいい例です。沖縄にしても旧満州にしても、   いち早く国民を捨てたのは軍隊ですからね。その軍隊さえも本当に戦って死んだ人   はわずかで、70%が飢え死にして、兵士たち自身も被害者になっていった。これま   で私たちは軍によって守られたということは一度もないんですよ。


 ここでの井上氏の発言から、拙文《衣食足りて礼節を忘れた日本人》に引用させて頂いた沖縄県在住の作家:目取真俊氏の記述

皇軍兵士たちが沖縄で行った住民虐待や食料強奪、壕追い出し

「敗残兵となった日本兵に住民が抱いた恐怖

を思い起こします。

 

 このように自国民を護ってくれない軍隊が他国と争いを起こして何にあるのですか?!

いわんや一時的に、他国を武力で制圧したとしても、日本中にテロが発生しないと誰が言えるのですか?!

 

 今までは、鉄道のテロと言えば「新幹線が危ない」との認識でしたが、今回のJR西日本の尼崎での事故を思えば(同時発生した信号故障で、特急が停止しなかったら尚の大惨事でした)、過密ダイアの日本は何処をとってもテロの脅威にさらされた危険地帯だらけです

 

 そして、アメリカが信頼できる国ですか?!

新しい歴史教科書を作る会会長の西尾幹二氏は『国民の歴史(産経ニュースサービス社発行)』に於いて、次のように記述しています。

 

1941年9月、真珠湾攻撃に先立つ三カ月前に、アメリカ軍はもちろんいまだ開戦していない段階で、米軍爆撃機とパイロットを投入して、日本本土爆撃を計画していたことを示す公文書である。具体的には、三百五十機のカーチス戦闘機、百五十機のロッキード・ハドソン爆撃機を使用するとし、全体を三段階分け、日本本土爆撃を含む第二段階は、二百機の戦闘機と百機の爆撃機によって九月に実施するとした。

大阪、神戸、京都、東京、横浜の爆撃には、軽くて木造住宅の多い日本民家に効果のある焼夷弾を使用すべきであるとの報告書も計画案には添付されていた。

 

 その上、「大量破壊兵器を保有している!」との口実で、イラクを侵略した後、“イラクには大量破壊兵器はなかった”と発表して平然としているアメリカ。

9.11の同時多発テロの犯人が、オサマ・ビン・ラディンだと触れ回ってアフガニスタンを侵略して未だに、その明確な証拠を提示していないアメリカ。

それどころか、拙文世界を操る大きな力》にも引用させて頂きましたが、ボーイング757-200によるペンタゴンへのテロ攻撃は本当だったのか?とのコンノケンイチ氏等の疑いは、(http://helicopt.hp.infoseek.co.jp/pentagon04.html)にも、同様にボーイング757-200

主翼スパンの大きさから見れば、建物はもっと大きく壊れたはずだが、実際に壊れた部分はごく小さい範囲に限られている等などの疑問を呈しています。

 

 更には、最近、私は『9 11 ボーイングを探せ』のホームページに行き着き、9 11のボーイングが果たして民間機であったのか?と次のように疑問を投げかけるDVDを入手しました。

http://www.wa3w.com/911/index.html

 

ペンタゴン(米国防総省)の外壁が崩れ落ちる以前のビデオや写真が公表されていないのはなぜか? 外壁は最初の衝突から35分間崩壊しませんでした。……

ペンタゴンの外壁がまだ崩壊していなかったとすれば、国防総省が提出した証拠写真にはっきりと映っている「わずか直径16フィート(4.9)の穴」に、高さ44フィート(13.4m)・幅125フィート(38.1m)飛行機がどうやって収まるというのか? 物理的に説明がつきますか?

(消防士たちが消火に当たっているのに、直径16フィート(4.9m)の穴しか開いていず、その周辺には衝突で破損したはずの飛行機の残骸は何一つ写っていない画面を見ることが出来ます。)

……

さらに詳しく調べると、ペンタゴンの被害は世界貿易センターに衝突した機体による被害とはまったく違うことに気づきました。「貿易センターに衝突した飛行機が引き起こした火災があまりにもすごかったので、鉄骨が溶解しビルを崩壊させた」と私たちは聞かされていました。ところがペンタゴンの左側を見ると、そこには煙や熱による被害などはほとんど見られません3階を見ると、コンピュータが載っているファイルキャビネット(引き出し)がはっきり見えます。どちらも損傷していません。2階には木製の机があります。それも燃えていません。1階には寄妙な光景が写っています。木製のスツールに載っている本が開いていて、なんと、ページが焦げてもいないのです。

(本当に、崩れた壁から覗いている木製の机も本も燃えていないのが画面からはっきり判ります。)……

 

 その上、貿易センタービルに関しては、

「突っ込んだ飛行機は窓がなく民間機ではなかった」とのFOXテレビ従業員の証言。

「各階ごとに次から次へとビルを解体するように爆発して行った」との消防士の証言。

や、他の疑問点が紹介されています。


最初にあいた直径5m弱の穴 35分後に崩壊 燃料による火災の後がない


 

 それに、私が最も疑問に抱くのは、今もってイラクでは多くの自爆テロが発生しているのに、何故アメリカでは、9.11の後、テロが発生していないのでしょうか?!

アメリカの防護体制が完全になったから?!

それよりも、やはり、アメリカの自作自演であったからではありませんか?!

なにしろ、自作自演であれば、その目的(テロの恐怖を、アメリカ国民、或いは世界の人々へ植えつけること等)が完了した今では、もう自作自演を行う必要がなくなり、テロが発生していないのだ!と私は疑っているのです。

 

 更に心配なのは、いつの日か、“日本は原子力発電所から発生したプルトニウムを核爆弾に転用した!”と難癖をつけて、日本を侵略し、傀儡政権を樹立した後、その政権に“日本は、アメリカの51番目の州に編入して頂く!”と決議させるかもしれません。

そして、ある日本人達が“韓国人自身が、韓国が日本の植民地となることを願っていた!”と発言しているように、アメリカも“日本人はもともと、日本が、アメリカの51番目州に編入されることを願っていた!”と吹聴するかもしれません。

 

 従って、アメリカに頼っての軍事同盟、ひいては自前の武器で国を護るなどとの発想を捨てて、近隣諸国、そして世界のあらゆる国々と仲良くする平和への道を日本は模索してゆくべきであると私は信じているのです。

 

 なのに今時、憲法を改正してまでも、何故、軍隊を持ちたがるのでしょうか!?

再び、『通販生活(2005夏号)』の、井上ひさし氏と保岡興治氏の対論から抜粋させて頂きます。

 井上 

……保岡さんのホームページを拝見したら「現憲法の基礎となったマッカーサー草案は、GHQの二十数名のスタッフにより7日間で起草された」と始まっていました。


保岡 

 それ、3年前に書いた文章なんですが、その後いろいろ勉強を重ねまして、いまは単にマッカーサー憲法だったから改正が必要だというふうには考えていません。

 

 保岡氏は、こんな重大な視点の変更を3年も放置して、日本の多くの人達に“今の憲法は、アメリカからの押し付け”と刷り込んでしまっているのです。

そのことへの反省も謝罪もありません。

 

 先を続けます。

井上

 それならいいんですが、いまの新憲法ができたとき、当時の日本人はマッカーサーに押しつけられたというふうには受けとめていなかったのです。新憲法ができたとき、ぼくは小学枚(当時はまだ国民学校といっていましたが)5年生でしたが、ちょうど世の中の動きに興味を持ち出した頃で、かなり正確に当時の雰囲気をおぼえているのです。その記憶に、そのあと調べたことを足して言いますと、当時の日本人の中には自発的にそれまでの憲法を変えようとする人たちが大勢いました

保岡 

終戦直後からですね。

井上 

 ええ、直後からです。当時の日本自由党、社会党、共産党、それぞれが憲法案をつくり始めていますし、それに民間案がたくさん出ています。松本蒸治国務大臣が委員長になった政府の憲法問題調査会(松本委員会)は有名ですけど、それだけじゃなかった。この頃のGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は日本から質問があれば答えるという感じで、まだアメリカ側も日本の新憲法に対してははっきりした具体案を持っていなかったみたいですね。当時の日本人は戦争に負けて食べるのに汲汲としていたと同時に、これから新しい国をつくるんだというエネルギッシュな動きをはっきりと示し始めていたのです、官も民もね。

 なによりも新憲法には、そうした民間案、とくに憲法研究会案(注l)が採用されています。だからぼくは、押しつけというよりもいまの憲法は日米共同草案として始まったと解釈しています

……

 

保岡 

5年前に発足した衆議院の憲法調査会でも新憲法の制定経緯というものを、いろんな関係者を呼んだり、資料に基づいてお互いに論議したり勉強しました。いま、井上先生が言われたような事実関係のおおむねはそのときに、与野党共通の認識として共有されていると承知しております

井上 釈迦に説法でしたか。

 

 如何ですか?

驚きではありませんか!?

自民党憲法調査会会長である衆議院議員保岡興治氏から、このような発言(井上氏の「いまの憲法は日米共同草案として始まった」発言を是認)を私達は聞かされた事がありますか!?

こんな無責任な話でよいのでしょうか?!

 

 そして、次の保岡氏の発言には、がっかりしてしまうのです。

 

保岡 

 いえいえ、私も単なる押しつけ論はとりませんが、この憲法の成り立ちを見たときに、GHQの占領下であまりにも短期間でつくられたこと、それから、日本が再び戦争をするような国にならないためにということでしょうが、日本国固有の良き伝統や文化などを一切排除してしまった。天皇制だけは象徴天皇という形で占領政策が遂行しやすいように残しましたが、あとはきれいに入れなかった。この辺りが問題だと思うのです。

 

 驚いてしまいます。

憲法改正の必要性の第一番 GHQの占領下であまりにも短期間でつくられた”がと言うのですから!

憲法(作品)の良否は、その制作にかけた時間の長短で決定されるのではないのです。

(国会審議は、もう何十日も討議したのだからとの理由で強行採決を平然と行っていますが……)

 

 アインシュタインは、「奇跡の年」と言われる1905年の一年間で、3つの偉大な革命的論文を仕上げているのです。

1.光量子仮説

2.ブラウン運動の理論

3.特殊相対性理論

 

 そして、この「光量子仮説」で1921年度ノーベル物理学賞を受賞しています。

ブラウン運動の理論」は、当時まだ仮説としてのみ存在していた原子・分子の実在性の実証へ導く理論なのです。

更に誰もがご存知の「特殊相対性理論」です。

 

 更に、保岡氏は、次のような愚論を吐かれています。

 

 いまの憲法の内容だけを見ると、どこの国の憲法なのかはっきりしない。世界に共通する原理や考え方は非常に多いが、日本の長い歴史、伝統、民族がつくり上げてきたすばらしい精神文化、その中の生きる知恵、お互いに共有しているところの日本人の持つ価値観、こういったものが全くといってよいほど反映されていません。当時の敗戦国の状況を考えるとやむを得なかったんでしょうけど。

 

 そして、井上氏は次のように反論していました。

 だったら、なぜアメリカのまねをして集団的自衛権を認めちゃうんですか。あちらはいまも銃を持っているけど、日本は太閤秀吉の刀狩り以来、1割ぐらいの武士は刀なんか差して歩いていたけど、普通の人たちは丸腰でやってきたんじゃないですか。丸腰で生き抜いてみせるという覚悟こそ、あなたのおっしゃる日本の文化、日本の精神を生かすということじやないんですか

 

 この保岡氏の愚論への私の反論は、先の拙文《衣食足りて礼節を忘れた日本人》に書きましたので、ご参照いただけたら幸いです。

 

そして、井上氏の見解には私は全く同感です。

 私は、上記拙文で次のように書いているのですから。

 

従って、帯刀の時代から、

武器を持たないで戦う、身を守る武術:『空手』、『柔術』


を育んで来た日本に一番似つかわしいのは「武器を持たない憲法=平和憲法」ではありませんか?!

 

 更には、この平和憲法の下では、「愛国心」「日本の伝統の継承」などを教育基本法改正を行って強制するのではなく、(先の拙文《衣食足りて礼節を忘れた日本人》、《JR西日本の脱線事故と戦争》にも記述しましたが)「お釈迦様の言葉」、「キリストの言葉」更には「笹川良平氏」の言葉を胸に刻み込む事が重要と存じているのです。

 

 即ち、お釈迦様のお言葉:

あたかも、母が己がひとり子を身命を賭して護るように

 そのように一切の生きとし生けるものどもに対しても

 無量の(慈しみの)心を起こすべし
             出典:『スッタニパータ』149

 

 そして、言い換えればキリストの

“汝の敵を愛せ”

です。

 

 更には、笹川良平氏の言葉:

「人類みな兄弟」

 

 これらの言葉が、全ての日本人の心、いや、世界中の人々の心に息吹いて来たら、

平和憲法が当たり前の世界

になるのではありませんか!?

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