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文系の方々も「理」の心を(3)へ

 

文系の方々も「理」の心を(4)(靖国神社について)

 

2004年12月11日

宇佐美 保

 

 今回も、前文《文系の方々も「理」の心を(3)》に続いて、靖国神社について考えて見ます。

 

 靖国神社に、どのような手順で戦没者は祀られたのでしょうか?

この件に関して、山中恒著《靖国神社問題:小学館発行》から引用させて頂きます。

 

 大日本帝国では、すべての戦没者を平等に扱うのではなく、まず、戦没者名簿から靖国神社の神様に祀る者を選びだして、霊璽という特別の名簿を作ります。次に天皇が霊璽に記載されている者を靖国神社の神様に祀ってもよいと許可します(註=あるいは、「祀ってやれ」と命令すると書いてもよいかもしれません)。そこでようやく靖国神社に合祀されるのです。霊は一柱、二柱と数えます。新旧二柱以上の神霊を合わせて靖国神社の神に祀ることを合祀といいます。

 

 ところが、戦後の1946年1月1日に、天皇陛下ご自身が「現人神であることを否定し、人間宣言」をなされたのです。

 

 ここで「天皇の人間宣言」に関して、次のホームページから引用させて頂きます。

http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/ninngennsenngenn.htm

 

1946年1月1日、天皇裕仁(ひろひとー当時46歳)が「新日本建設に関する詔書」によって、自らの神格性を否定した宣言が、この「天皇の人間宣言」である。

 

 ‥‥私は国民と共にあり、その関係は、お互いの信頼と敬意とで結ばれているもので、単なる神話や伝説に基づくものではない。私を神と考え、また、日本国民をもって他の民族に優越している民族と考え、世界を支配する運命を有するといった架空の観念に基づくものではない‥‥。

 

 そして、この原文も、次のように掲げておられます。

 

……朕ハ爾等國民ト共ニ在リ、當ニ利害ヲ同ジクシ休戚ヲ分タント欲ス。朕ト爾等國民トノ間ノ組帶ハ、終止相互ノ信頼ト敬愛ニ依リテ結バレ、單ナル神話ト傳説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神(アキツミカミ)トシ旦日本國民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル觀念ニ基クモノニ非ズ

 

 そして、この「天皇の人間宣言」の翌月(19462月)に宗教法人法が改正されて、靖国神社は他の一般宗教と同じように宗教法人になることを選択し、辛うじて存続を許されたのです。

山中恒著《靖国神社問題:小学館発行》参照)

 

 そこで、宗教法人となった現在、どうしているのかとの靖国神社への電話質問に対して、次のような回答を下さいました。

 

昔の国の基準に基づき、祭神調査を行い、神社独自の合祀委員会にて決定し、戦死者を合祀している。

当然、東条英機元首相ら東京裁判のA級戦犯十四人の合祀も、一九七八年十月に、このような手順で行われた。

 

 従いまして、「国家神道」に時代に、天皇陛下が“靖国神社の神様に祀ってもよいと許可”されるによって、〈国家〉が〈神〉として祀られた魂は、天皇陛下が、「現人神であることを否定し、人間宣言」なさった今は、〈国家〉ではなく、靖国神社が宗教法人として〈神〉として祀られておられるのです。

 

 そして、「靖国神社が宗教法人として〈神〉として祀られておられる」限りにおいては、

靖国神社の裁量(A級戦犯の合祀なども含めて)に対して、国家も個人もとやかく言う筋合いのものではない筈です。

この点では、私が、A氏の魂が天上におわすと信じる事に対して、他人がとやかく言う筋合いのものではなく、又、他人が、B氏の魂が天上に赴いたと信じることに対して、私がとやかく言う筋合いのものではないのと同様です。

 

 しかし、そのような靖国神社に、日本国の要人が、その公式な肩書きのままで参拝する、即ち、〈国家〉の代表の公式参拝となると話が違ってきます。

その行為は、戦前戦中の「国家神道」への逆戻りとなります。

 

 ここで、「国家神道」について広辞苑を引いてみますと以下の通りです。

 

明治維新後、神道国教化政策により、神社神道を皇室神道の下に再編成してつくられた国家宗教、軍国主義・国家主義と結びついて推進され、天皇を現人神とし、天皇制支配の思想的支柱となった。第二次大戦後、神道指令によって解体された。

 

 そして、恰も、この国家宗教、軍国主義・国家主義へ逆行せんとする石原都知事の靖国神社参拝に対する発言を朝日新聞(2004年8月15日付け)の記事を次に抜粋いたします。

 

  「年ごとに英霊に報告申し上げることが、もうだんだんなくなって来ました。やっぱり日本は相当、衰弱してきた感じがします」

 −−どういう点でか

  「外国の言いなりになって領土まで侵されて、人質も帰ってこない。人質は殺されているかもしれない。オリンピックの騒ぎで、みんな、それを忘れないでもらいたいけどね」

−−来年は終戦60年。天皇陛下に靖国神社を参拝してもらいたいと提唱しているが

  「是非、天皇に私人として1人の国民として国民を代表して参拝していただきたい。そうすることで大きなものが必ず変わると思います」

 −−今日の参拝は、都知事の石原さんが、ということか

  「都知事でもある石原が、ですよ

 −−公人か私人か

 「非常にくだらない質問だね。人間ってのはいろんな面を持っている

 (15日午後、千代田区の靖国神社を参拝後に。石原知事が就任後、終戦記念日に靖国神社を参拝するのは00年以来、5年連続)

 

 石原氏は、日本語を的確に駆使する作家なのでしょうか?

天皇陛下に対して「私人として参拝していただきたい」と言いつつ「国民を代表して参拝していただきたい」と言うのはどういうことですか?!

私人が、どのような資格、名目等で、国民を代表」するのですか?!

 

 そして更におかしいのは、石原氏個人の参拝が「公人か私人か」と問われたのに対して、「非常にくだらない質問だね。人間ってのはいろんな面を持っている」と答えています。

石原氏ご自身の場合は「公人か私人かの区別は出来ない」としながらも、天皇陛下の場合には「私人として参拝していただきたい」と述べているのです。

天皇陛下の場合は「公人か私人かの区別が可能」と石原氏は考えておられるのでしょうか?

天皇陛下の場合には、石原氏以上に「公人か私人かの区別は出来ない」のではありませんか!?

 

 天皇陛下が国民の前にお出ましになる時は、いつも必ず「公人(象徴天皇)」です。

 

 それとも石原氏は天皇陛下が今も「現人神」であられて、その特殊な能力によって「私人、公人」が自由に使い分ける能力をお持ちなのだとでも信じておられるのでしょうか?

 

 それとも、石原氏の“天皇に私人として1人の国民として国民を代表して参拝していただきたい。そうすることで大きなものが必ず変わると思います”との発言は、次のような意味(天皇陛下の御言葉)となるのでしょうか?

 

 戦前戦時中、国家神道という枠組みの中で、戦没者の方々を〈軍神〉として、ここ靖国神社の祀ってきた行為を、昭和天皇が「人間宣言」をなされた観点に立ち、撤回致します。

 

 石原氏は、靖国に参拝して“年ごとに英霊に報告申し上げることが、もうだんだんなくなって来ました”と発言したり、前文《文系の方々も「理」の心を(3)》にも引用しましたが、自民党の安倍晋三幹事長代理は“国のために殉じた英霊に尊崇の念をささげることは当然だ”と、小泉首相は、“心ならずも戦場に行かなければならなかった方々に敬意を表すため”と語ったり、国会で答弁をしていますが、どうもこの方々は自己中心的で、心の通い方が、この方々から「英霊」へとの一方通行です。

 

即ち、“英霊に報告申し上げる”、“英霊に尊崇の念をささげる”、“敬意を表す”とか参拝者側から「英霊」への発信だけで良いのですか!?

 

小泉首相の答弁のように、戦没者の多くの方々は“心ならずも戦場に行かなければならなかった方々”ではありませんか!?

英霊」たちの本心に耳を傾けるべきではありませんか?!

 

イラクにおいても、亡くなった多くの方々の無念さには耳を傾けず、単に“フセイン前大統領が追放されたから米軍等のイラク攻撃は成功だった”と言う前に、米軍などの攻撃で命を落とされたイラク国民の声に耳を傾けるべきです

そして、同様に、「心ならずも戦場に行かなければならなかった方々の英霊」の本心に耳を傾けるべきではありませんか?!

 

しかし、小泉首相は、反論されるかもしれません、と申しますのは、小泉氏は、3年前、鹿児島県の特攻隊の基地であった知覧の特攻平和会館にて特攻隊員の残した遺書に涙したとの事ですから。

ところが、先に抜粋させて頂いた山中恒著《靖国の問題:小学館発行》には次の記述があります。

 

……靖国神社の祭神も激増しました。戦争が長引さ、激しさを増すと。靖国神社が果たす役割はさらに重要になりました。太平洋戦争が始まる頃には、出征兵士たちは「天皇陛下のために戦って、名誉の戦死を遂げてまいります。靖国神社でまた会おう」と、挨拶するようになったからです。

 

一九四五年から日本は、敗戦への道をひた走りに走り、しまいには日本中が神がかり状態になりました。神風特攻隊員は、戦死する前から、靖国の神の如くに振る舞うように求められました。

新聞雑誌は、特攻隊員は生前から靖国の神のようだと書き立てました。靖国神社に祀られることを前提とした遺書のひな形があらかじめ用意されていました。特攻隊員は、それを参考にして、故郷への思いや、家族への別れの言葉を書き加えて、遺書にしました。江田島出身で最後の特攻隊員だった信太正道さんは、そのことを新聞に書いて明らかにしました。つまりやらせだったのです。信太さんは、そんな遺書を見て「感動した」と涙ながらにいう小泉純一郎さんは、変だといっていました。そんな遺書を書かされて、片道だけの燃料を搭載した特攻機で、死にに行かされた若者の本当の気持ちを理解していない。はっきりいってほめ称えてほしくないというのです。

私も本当にその通りだと思います。

 

(そして、この件に関しては拙文《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)》の(補足:4)「戦争を美化し幻影をおうのは危険」をもご参照下さい。)

 

更に続けますと、最近は「政治家の提灯持ち」の感のあるジャーナリストの田原総一郎氏は、

“私だって、子供の頃は、〈特攻隊員〉になりたかった”

旨をテレビで度々発言しています。

田原氏が、散華する(一瞬にして花と散る)〈特攻隊員〉ではなくて、“汚泥の中でも匍匐前進する歩兵部隊に志願したかった”とでも発言するなら、「田原氏は、自ら進んで国家のために命を奉げようとしていたのだ」と思いもしますが、“だって、陸軍に入ったら行軍など大変ですからね”との言を付け加える田原氏は「学生時代、周囲の者が皆〈安保反対のデモ〉に参加するものですから、安保の本質を何も知らずに、〈安保反対のデモ〉に飛び込んで行った無知の私(拙文《私が60年安保闘争で学んだ事》をご参照下さい)」と大同小異と存じます。

 

拙文《自衛隊と軍隊 どっちが分かり易い?》にも引用させて頂きました『指揮官達の特攻』(城山三郎著:新潮社発行)に記述されている「桜花」「橘花」「梅花」「回天」「震洋」「蛟寵」それに「伏龍」などの任務に就くと判っていても、田原氏は、軍人になろうと思ったでしょうか?

 

 そして、伏龍については、城山氏は次のように書かれています。

 

……一万五千を超す少年兵が再多数振り向けられそうになったのは、「伏龍」部隊である。

 隣りの分隊が「油壷送り」と知って、私たちに言葉を失わせたその油壷を中心に展開している特攻隊で、機雷を棒の先につけて持ち、潜水服を着て、海底に縦横五〇メートル間隔で配置される

 敵艦船が来たら、その棒を敵艦の艦底に突き上げて、爆発させる

 もちろん、当人も、周辺に配置された隊員たちの命も、一挙に吹っとぶ

 かつての村上水軍にそれに似た戦法があったというが、実戦の記録は無く、それを三、四百年後、少年たちを使って実行しょうというわけで、「桜花」以来の人間爆弾、人間魚雷などの最終篇である

 少年兵の命など花びらよりも紙きれよりも安しとする日本海軍ならではの発想である。

 そういえば私たちは、「きさまらの、代わりは一銭五厘(当時の葉書の値段)で、いくらでも来る」

 と、幾度聞かされたであろうか。

 

 勿論、当時でも、このような「伏龍」部隊の存在などは、国民には伏せられていたでしょうから、私とて、田原氏と同年代であったなら、前文《文系の方々も「理」の心を(3)》に山中恒著《「靖国神社」問題》から抜粋させて頂きましたように、

“勝ち抜く僕等少国民/天皇陛下の御為に/死ねと教えた父母の

と歌う軍国少年であったでしょうし、田原氏よりも年上だったら、“勝ち抜く僕等少国民”と歌いながら、「天皇陛下のために戦って、名誉の戦死を遂げてまいります。靖国神社でまた会おう」と、軍隊に志願していたに違いありません。

そして、戦場に赴き、敵弾に怯え、飢餓に苦しみ“こんな筈ではなかった”と嘆きつつ命を落としていたかもしれません。

 

ここで《あゝ同期の桜(海軍飛行予備学生第十四期会編:光人社発行)》より、終戦の4ヶ月前、昭和二十年四月十二日、南西諸島方面にて特攻戦士されたHIさんの死の数日前に書かれた書簡の一部を掲げさせて頂きます。

 

 お母さん、とうとう悲しい便りを出さねばならないときがきました。

……

 ほんとに私は、幸福だったです。我ままばかりとおしましたね。けれども、あれも私の甘え心だと思って許して下さいね。

 晴れて特攻隊員と選ばれて出陣するのは嬉しいですが、お母さんのことを思うと泣けてきます。母チャンが、私をたのみと必死でそだててくれたことを思うと、何も喜ばせることができずに、安心させることもできずに死んでゆくのが、つらいです

 私は至らぬものですが、私は母チャンに諦めてくれ、ということは、立派に死んだと喜んで下さい、ということは、とてもできません。けど、あまりこんなことは言いますまい。

母チャンは、私の気持をよく知っておられるのですから。

……

 でも私は、技量抜群として選ばれるのですから、よろこんで下さい。私たちぐらいの飛行時間で第一線に出るなんて、ほんとはできないのです。

……

 お母さんが楽しまれることは、私がたのしむことです。お母さんが悲しまれると、私も悲しくなります。みんなと一緒に、たのしく暮して下さい。

 ともすればずるい考えに、お母さんの傍に、かえりたいという考えにさそわれるのです が、これはいけないことなのです。洗礼をうけた時、私は「死ね」といわれましたね。ア メリカの弾にあたって死ぬより前に、汝を救うものの御手によりて殺すのだといわれまし たが、これを私は思い出しております。すべてが神様の御手にあるのです。神様の下にあ る私たちには、この世の生死は問題になりませんね

 エス様も、みこころのままになしたまえと、お祈りになったのですね。私はこの頃、毎 日聖書を読んでいます。読んでいると、お母さんの近くにいる気持がするからです。私は、 聖書と讃美歌を飛行機につんで、つっこみます。それから校長先生からいただいたミッションの徽章と、お母さんからいただいたお守りです。

……

 お母さんだけは、また私の兄弟たちは、そして私の友だちは、私を知ってくれるので、私は安心して征けます。

 私は、お母さんに祈ってつっこみます。お母さんの祈りは、いつも神様はみそなわして下さいますから。

 この手紙、梅野にことづけて渡してもらうのですが、絶対に他人にみせないで下さいね

やっぱりですからね。もうすぐ死ぬということが、何だか人ごとのように感じられます。

いつでもまた、お母さんにあえる気がするのです。逢えないなんて考えると、ほんとに悲しいですから。

 

 このHIさんの書簡は、“この手紙、梅野にことづけて渡してもらう”という事ですから、検閲を受けていないのだと思います。

そして、この書簡から、私の最も大好きな「ブッダのお言葉」“あたかも、母が己がひとり子を身命を賭しても譲るように、そのように一切の生きとし生けるものともに対しても、無量の(慈しみの)心を起こすべし”の根幹である「母親の子供への愛」をひしひしと感じられます。

 

そして、“天皇陛下の為に命を捨て、靖国神社の神とならん”との思いは綴られていません。

お母さんの傍に、かえりたいという考えにさそわれる”とも書き、“絶対に他人にみせないで下さいねやっぱりですからね”との本心が綴られています。

更には、HIさんは、「日本の神」ではなく「エス様」を信奉されておられたのです。

ですから、HIさんは、戦死した後、靖国神社に〈軍神〉として祀られたことが幸せだったのでしょうか?

 

 次にはご遺族の方の記述を抜粋させていただきます。

 

 ……知りつつも主張できず、曲げて一丸となり身を投じた尊い命。……

 

 私の家では特攻隊員として散ったこの久夫と、七歳年下の弟照一が、海軍通信兵として満十五歳でフィリピンにて戦死しました。若年の五人の子供を抱えての生活は、今もなお傷の手当のように感じます。それだからこそ、平和で民主的で、より明るい助け合いの美しい社会を、待望しております。

 援助を求めているのではありません。より多くの人が、二度とあのような犠牲を出さないように、平和を愛し、協調の精神を一貫して強く持ち、共通の理念を持ってほしいと願うのです。犠牲者や家族だけが馬鹿を見る社会。そうした現実。こうした社会が、何らかの形で半歩ずつでも前進して行くことを、願ってやみません

 

  この御遺族の方の“知りつつも主張できず、曲げて一丸となり身を投じた尊い命”の記述に於いて、“何を知りつつも”の何が明確には書かれてせんが、私には、“戦争の無益さを知りつつも”と補い、そして、“この自己の主張を曲げて一丸となり身を投じた尊い命”と読ませて頂いております。

 そして、

犠牲者や家族だけが馬鹿を見る社会

との言葉が私の胸を痛いほど強く打ちます。

そして、この御遺族の息子さん(犠牲者)のお手紙には、次のような記述があります。

 

母上、南無阿弥陀仏を私も唱えますから、一緒にお唱え下さい。

多幸な御生涯を祈りつつ。

 

そして、最後のお手紙は、次の言葉で終えられています。

 

 父上、母上、私のために泣かれるな。いろいろと有難うございました。

兄弟よさらば、俺は征く、後を守って幸福になれ。

 

 “母上、南無阿弥陀仏を私も唱えますから、一緒にお唱え下さい”と手紙に書かれた、この犠牲者の方は〈軍神〉として祀られることを生前願っていたのでしょうか?

“後を守って幸福になれ”と最後の手紙に書き記したこの犠牲者が〈軍神〉となられることで、御遺族の方々は幸福になれるのでしょうか!?

 

 私達は、そして、小泉首相が代表している日本国も、犠牲者の方々の無念さを胸に刻み込みつつ、御遺族の“援助を求めているのではありません。より多くの人が、二度とあのような犠牲を出さないように、平和を愛し、協調の精神を一貫して強く持ち、共通の理念を持ってほしいと願うのです”との願いを真摯に受け止めるべきなのだと存じます。

 

 そして、この願いを真摯に受け止めているならば、小泉首相は、形式的に靖国神社を参拝し、“不戦を誓った”と発言することでお役御免では困るのです。

“不戦を誓った”という小泉氏が、何故、米国のイラク攻撃、更には、ファルージャ攻撃を支持するのですか!?

小泉氏は、逆に、ブッシュ米国大統領に「不戦」の思いを植え付ける努力をすべきだったのです。

今からでも、行うべきです。

 

 “平和を愛し、協調の精神を一貫して強く持ち、共通の理念を持ってほしいと願う”心を無視する国家指導者が(又、その尻馬に乗るマスコミが)、大衆を騙し操り、国民を戦争に駆り立てることは、いとも容易い事です。

この端的な例は、ブッシュ氏(現大統領の父親)は大統領として、イラクへ攻め込む「湾岸戦争」に、反対の声が多かった米国民を巻き込むことに成功した「ナイラの保育器の報道」という「宣伝工作」でした。

 

一九九〇年十月十日、人権に関する議会コーカスにおいて「ナイラ」とのみ紹介された十五才の少女は、イラク兵士が嬰児を保育器から取り出して、「冷たい床の上に置き去りにして死なせる」のを目撃したと主張した。この話は、戦争に向けて突き進むブッシュ政権によってすぐさま利用された。

 

そして、不思議なことには、この報道が、自由クウェート市民との団体が、アメリカの大手広告代理店「ヒルトン&ノートン」に依頼して「駐米クウェート大使の娘」ナイラと名乗らせ作成した「宣伝工作」であったと後日判明しても、ブッシュ前大統領等の責任問題にもならなかったことです。

(拙文《暴君はフセインですか?米国ではありませんか!》をご参照下さい。)

 

そして、その息子のブッシュ大統領も、「イラクに大量兵器あり」との大儀でイラクに攻め込み破壊した後に、「イラクに大量兵器あり」は偽りであることが判明しても、“暴君フセインが大統領の座から追放されたのだから、イラク国民は以前よりも幸せになった”との暴言を吐きつつ、ブッシュ大統領も米国民も小泉首相も日本国民も誰もイラクの方々に謝罪しません。

 

そして、今回の「イラク侵攻」に於いても、米陸軍兵士(当時)ジェシカ・リンチさんを戦争のヒロインとした『情報操作』を、次のような朝日新聞記事(2003.11.08)に見ることが出来ます。

 

「私は利用されただけ」。イラク戦争中に捕虜になり、戦争のヒロインとして大々的に報道された元米陸軍兵士ジェシカ・リンチさん(20)が、米テレビのインタビューを受け、軍当局の情報操作を批判した。

 ……

 米軍当局は3月23日にリンチさんが捕虜になった状況を「イラク軍に応戦した末、敵弾で重傷を負った」と広報した。しかし実際は、襲撃を受けて混乱した味方の車どうしが衝突した事故が負傷の原因だった。

 ……

 米軍の特殊部隊は4月2日、収容先のイラクの病院からリンチさんを救出した。当時、劇的な救出場面が全米に繰り返し放映された。

 しかし、リンチさんは「なぜ彼らが救出場面を撮影しているのか理解できなかった。私は負傷していて、救助だけが必要だったのに」と話し、軍当局の演出を非難した。

……

 一方、イラクの病院関係者には感謝している様子を見せ、「誰も私をたたいたり、張り飛ばしたりしなかった。生きていられるのは彼らのおかげだ」と語った。

 

 このような情報操作が罷り通っていて良いのですか!?

 

 そして、私達日本人も今以って、いとも簡単に騙され続けているのです。

小泉首相は“よその国が自分たちの考えと違うからよろしくないと言って、はいそうですかと従っていいものなのか”即ち、“中国が反対するから、靖国参拝を止めるわけには行かない”と変な口実で、己の靖国参拝を正当化しています。

更には、小泉首相の提灯持ち(?)と化した田原総一郎氏は、週刊朝日(2004.12.10号)のコラムで「日中対立を煽りすぎてはいないか」と書いています。

その一部を抜粋させていただきます。

 

 1121日、チリのサンティアゴで開催されたアジア太平洋経済協力会議(APEC)に出席した小泉首相が、中国の胡錦涛国家主席と1年ぶりに会談した。……

胡主席ははっきりと、「日本の指導者が靖国神社を参拝していることで、日中関係を困難にしている。適切に対処することを希望する」と言い切った。……

 これに対して小泉首相は「誠意を持って受け止める」という前提をつけて「心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いのために参拝している」と説明した。参拝をやめるとは言わなかった。

……

 わたしの偏見かもしれないが、メディアが日中対立を煽っているようにさえ思える。

 胡主席の発言を知って、わたしは中曽根首相時代の胡耀邦総書記を思い出していた。中曽根首相は靖国神社に参拝する前に、密使を中国に派遣し、「あまり騒ぎ立てないでほしい」と頼んだ。

胡耀邦はこれを了承した

 だが、中曽根首相の靖国参拝に対して、中国政府と北京のメディアに先んじて、旧満州地域の地方紙が「金で国を売るのか」と痛烈な批判ののろしを上げ、批判が中国全土に広まった。これが胡耀邦の失脚につながったのである。

……

 

 この田原氏の記述「中曽根首相は靖国神社に参拝する前に、密使を中国に派遣し、「あまり騒ぎ立てないでほしい」と頼んだ。胡耀邦はこれを了承した」の旨を、一月ほど前、サンデープロジェクトにゲスト出演した中曽根氏に田原氏が質した際に、中曽根氏は笑い顔のまま否定はしませんでした。本心はどうなのでしょうか?

何しろ、中曽根氏は“A級戦犯の分祀が妥当”と語っていたのですから。

 

 中国がA級戦犯が合祀されている靖国神社への公式参拝に対して反対している根拠は、拙文《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)》にも引用させて頂きましたが、文芸春秋:20019月特別号に古山高麗雄氏の書かれた「万年一等兵の靖国神社」と私は思います。

(以下に再度引用させて頂きます。)

 ……元中国大使の中江要介君は……、六月末の「東京新聞」にその理由を書いていた。

 その要旨を簡単に言うと、一九七二年、当時の首相田中角栄が、日中国交正常化のために訪中したとき、当時の中国の首相周恩来は、「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり、一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。すべからく日中両国人民は、共に軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、それを今後の教訓とすべきである」と言って、賠償請求を放棄した。だから中国政府としては、東京裁判のA級戦犯を合祀する靖国神社に日本の首相が参拝することによって、A級戦犯の戦争青任が曖昧になったり、その名誉が回復されたりすると、自国民を納得させられない、というのである。

 だから、中曽根首相は、A級戦犯合祀の再検討が困難になると、以後参拝をやめた。ところが橋本首相は、国のために一命を捧げた霊を弔って何がいけないのか、と参拝を復活させた。小泉首相も同様である。私も、橋本首相や小泉首相とはいささか違うが、靖国に首相が参拝して何が悪いと思っていたのである。日中の事情を知らなかったのである。新聞が中江君のような説明をしてくれたら、ああそういうことだったのか、それなら首相は行かない方がいいな、大事なことは見せることではない。弔う心を持つことだ。ならば官邸内で祈ればいいではないか、と思う。

 首相ともなれば、知らなかったでは怠慢になるが、知っていてなお強行するとなれば、これは中国に対する非礼である。礼節はまもりましょうや。

 

 私は、田原氏の発言よりも、この古山高麗雄氏による記述内容を信じます。

ですから、田原氏の記述の「中曽根首相は靖国神社に参拝する前に、密使を中国に派遣し、「あまり騒ぎ立てないでほしい」と頼んだ。胡耀邦はこれを了承した。」が正確だとしたら、当時の中曽根首相(そして、また、胡耀邦総書記も)古山高麗雄氏の記述通りに、「日中国交正常化当時の首相田中角栄と、中国の首相周恩来との談話内容」を怠慢にも知らなかったのでしょう。

(それにしても、何故、日本は、このような外交等での交渉経緯が克明に文書化されていないのでしょうか?

若し文書化されているとしたら、この際はっきりと、「日中国交正常化当時の首相田中角栄と、中国の首相周恩来との談話内容」を公開して欲しいものです。)

そして、この事情を知った後に、中曽根氏はA級戦犯の分祀に動いたのだと思います。

 

 しかし、

一宗教法人の靖国神社が「神と祀った方々の霊魂」を国の都合で、分祀せよと介入するのもおかしな話です。

それも、“東条氏のご家族以外からは分祀の合意を取り付けた”と言う中曽根氏の発言もおかしな話です。

本来、靖国神社の合祀は、ご遺族のご意向に無関係に(天皇陛下のご意向で)行われていたのですから。

 

 そして、私達の心に深く刻んで置くべき大事な点は、

 

あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり、一般の善良なる日本人民は、……戦争に駆り出された犠牲者……その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。」

 

との、当時の中国首相周恩来の大英断です。

そして、この大英断に感謝すべきです。

(本来は、あの戦争の責任は、私達日本人全員が負い、莫大な賠償金を支払ってしかるべきと、私は存じます。)

そして、この大英断を中国国民全員に納得させるには、多大な能力労力が不可欠でしょう。

なのに、日本国首相の靖国参拝で、いったん納得させた中国国民の気持ちを逆撫でして、呼び起こしてしまう事態は、「恩を仇で返す」の類と存じます。

従って、この事実を怠慢にも知らずに、或いは無視して、「東京裁判のA級戦犯を合祀する靖国神社に日本の首相が参拝することによって、A級戦犯の戦争青任が曖昧になったり、その名誉が回復されたりする」とあっては「中国政府としては、自国民を納得させられない」と日本国政府にクレームをつけるのが当然ではありませんか!?

 

 更に又、田原氏の記述を以下に引用します。

 

前回の「朝まで生テレビ!」で、小泉首相の靖国参拝の是非を視聴者に問うたところ、なんと69%が「参拝すべし」であった。官邸の調査でも同様で、国民の約7割が首相に帝国参拝をせよと求めている

もしも小泉首相が中国の要請を受け入れて靖国参拝をやめると表明すれば、間違いなく支持率は大幅に落ちる。つまり、日中いずれも強気で押さねばならない事情を抱えているのである。

特に中国は、貧富の格差への不満が爆発する危険性さえある。

 小泉・胡両首脳は、お互いの立場を理解して、厳しいことを言い合ったのである。日中両国の関係重視、共存関係の発言を繰り返し強調して、会談は予定時間の2倍、1時間に及んだ。

どうもメディアは、日中関係を靖国参拝に特化しすぎである

 

 田原氏は“メディアは、日中関係を靖国参拝に特化しすぎである”と記述していますが、メディアは、日中間の靖国参拝問題を考える際に必要不可欠の根本的知識である「中国首相周恩来の大英断」を国民に報道していますか?

田原氏はその旨を紹介しましたか?

否!田原氏は、知らないのでは?!

田原氏は、「中国首相周恩来の大英断」知っていたら、“815日には、小泉首相が「不戦の誓いを靖国神社で行っている」と中国側に説明すればよいのだ”などとの発言をする筈はありません。

そして、「A級戦犯を靖国神社から分祀すれば良い」等との姑息的な案を口にする筈はないのです。

でも、悲しい事に、このようなことを田原氏はたびたびテレビで発言していました。

 

 戦後、70%の国民が「首相の靖国参拝」を、支持したことがありますか!?

なにしろ、「首相の靖国参拝」に反対していた人は、誰しも、山中恒著《靖国神社問題》の次の記述の主旨(靖国神社が今回の戦争を推進するための強力なエンジンであった事)が頭の中、心の中を占めていた筈です。

 

 日本独特の「天皇と国民の一体感」にひたらせ、「天皇陛下の始めた聖戦は、正義のための正しい戦争だ。天皇陛下のために戦死することは名誉だ」という信念を持って戦うことが靖国精神です。この靖国精神を最高に発揮した状態が、戦死、玉砕です。日本の戦争指導者たちは、「日本の兵士は靖国精神に燃えているので迷いがない。迷いがないから死を恐れない。だから日本兵は世界で一番勇敢で強い」と、国民をおだてました。

 

何故、70%の国民が「靖国支持」へ変化してしまったのでしょうか?

その原因は、「中国首相周恩来の大英断」も国民に報道せず、

よその国が自分たちの考えと違うからよろしくないと言って、はいそうですかと従っていいものなのか

式の世論操作が見事に効果を発揮した結果ではありませんか!?

 

この小泉首相の靖国神社参拝に賛成している国民の70%の大多数は、安保の何かも知らずに、“安保反対!”と叫んでデモをしていた私と変わりないようです。

何しろ、小泉氏の“心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いのために参拝している”との屁理屈に対して、誰も異議を唱えないのですから!

 

 靖国神社は、英霊(自ら進んでお国のために命を投げでして戦争で亡くなった戦没者の魂)を〈神さま(軍神)〉として祀られているのです。

なのに、小泉氏は、その靖国神社に祀られた神様に対して、「心ならずも戦場に赴いた人々」と、その上、戦争を勝利に導く〈神さま(軍神)〉に「不戦の誓いのために参拝している」と発言していては、出鱈目にもほどがあると言うことです。

 

田原氏は以前テレビで、“小泉首相は815日に靖国神社に参拝して、「不戦の誓い」をしているんだと中国に説明すればよい”旨を発言していましたから、今回の小泉氏の発言は、田原氏の差し金かもしれません。

 

小泉首相が、815日に不戦の誓いをするのなら、靖国神社で、「心ならずも戦場に赴いた人々に哀悼の誠をささげ、不戦の誓いのために参拝している」と言うのではなく、先に《あゝ同期の桜(海軍飛行予備学生第十四期会編:光人社発行)》から引用させて頂いた御遺族の“平和を愛し、協調の精神を一貫して強く持ち、共通の理念を持ってほしいと願う”とのお気持ちに報いる為にも、そして、犠牲者の方々も仏教徒の方も、キリスト教徒の方も居られたのですから、早急に「無宗教の国立戦没者追悼施設」に建立して、全国民に向けて、否!全世界に向けて「不戦の誓い」を発信すべきではありませんか!!!?

 

 今回の戦争の犠牲者は、「心ならずも戦場に赴いた人々」だけではありません。

原爆の被害者、空襲の被害者(私の家は、東京大空襲で消失しました)など等多くの方々です。

その為にも、一宗教法人の靖国神社でなく、宗教色を排し、又、戦場で亡くなられた方々だけでなく、多くの戦争被害者を追悼する為の施設を建設し、全世界に向けて「平和」を発信すべきです。

 

 小泉氏の靖国参拝は、いみじくも「小泉首相が中国の要請を受け入れて靖国参拝をやめると表明すれば、間違いなく支持率は大幅に落ちる」と田原氏が書いているように、支持率対策の一環でしょう。

このように「戦没者の霊」を政治家の支持率対策に悪用されては、そして、その行為を誰も非難しないのなら、御遺族の“犠牲者や家族だけが馬鹿を見る社会”の想いは強まるばかりです。

そして、「犠牲者や家族」の方々に対して余りに失礼ではありませんか!?

その失礼な行為を平気で行う政治家、そして、その政治家を支持するジャーナリスト達を、私達は信じていて良いのでしょうか?!

 

 昭和天皇の「人間宣言」後の今、日本政府は「犠牲者や家族」の方々の為にも、戦前戦中の靖国神社の役割をはっきりと清算すべきと存じます。 

 

 その清算すべき役割とは、先に引用させて頂いき再掲いたします山中恒著《靖国の問題》の靖国神社の役割に関する次の記述部分です。

 

……戦争が長引さ、激しさを増すと。靖国神社が果たす役割はさらに重要になりました。太平洋戦争が始まる頃には、出征兵士たちは「天皇陛下のために戦って、名誉の戦死を遂げてまいります。靖国神社でまた会おう」と、挨拶するようになったからです。

 

更には、次のように記述されています。

 

 戦時下の出版である『護国の書』(一九四三年・直霊出版社)の中で、当時の靖国神社宮司である陸軍大将鈴木孝雄が「靖国の神」と題して、次のような一文を寄せています

  ……この神様に対する我々奉仕の考え、また遺族をはじめ参拝される一般の方々の考え方というものをはっきりさせねばなりません。

 即ち日本国民の精神が此処靖国神社に凝って永く存在ましまして、我々現在活動しているものに対して国民精神の精華を見せつけて居られるのでありまして、我々国民と致しま  しては、靖国神社に祀られたる神様の精神に頼って、そして自分たちが国家に対する忠誠に過ちなからしめ、此の点について過ちのないことを神様が守護しておるというような考え方が大事だと思うのであります

そこで、靖国の神様は、始終我々国民の毎日々々の行動を照覧せられ、そうして我々を  導いて行くという立場におられると考えなければならんと思います。──

 

 ここでいわれている国民精神というのは、単純な国民の精神ということではなく、「天皇陛下の御為に命を投げ出して肇国の精神である八紘一宇(世界制覇)を成し遂げようとする」精神です。

つまり、大日本帝国が始めた戦争を完遂する精神です。靖国の神は、その精神を高揚強化させるように国民を導く立場にあるというのです。

 ですから、靖国神社に参拝して拝礼をして崇敬することは、「私もあなた方戦死者に習って、あとに続さます」と誓うことです。したがって、小泉首相が靖国神社に公式に参拝することは、「日本の首相は、A級戦犯の東条英機などを崇敬し、東条英機などを手本としこれに習い、あとに続きます」という意味になります。だから中国や韓国・朝鮮は、激しく抗議をするのです。特に韓国や朝鮮では、旧植民地時代に、日本軍は朝鮮人の独立運動などを弾圧しにいきました。そのとき、朝鮮人の抵抗にあって死んだ日本兵も神として靖国神社に祀っています。

 

 最近では、政治かもジャーナリストも《国益》《国益》、《国益》が全てに優先するように語っています。

これでは、悲しい戦争の最中の《八紘一宇》(日本の世界制覇)と同じ思想ではありませんか!?

 

 しかし、同じ《八紘一宇》でも、文字通りの《全世界は、一つの家》の想いを強く持つべきではありませんか!?

一週間ほど前のNHKのハイビジョン放送「原作:司馬遼太郎NHKスペシャル 空海の風景」を出掛けにチラッと見ました。

 

 (そのチラッと見た場面では、)空海は遣唐使船に乗って唐(中国)に渡り、当時の文明の中心地であった唐の都(長安)にて、多くの異邦人たちとの交流の中で、「人種」や、「国籍」、「文化」などに拘らない「普遍性」と「国際性」を獲得していき、「国家」という枠に縛られない視野を持ち続け、更に、密教の師恵果は、多く(千人乃至数千人)の中国人弟子達の不平に耳を貸さず、ただ一人空海を正当な後継者と認め、且つ、今もって中国の空海ゆかりの地では、中国の方々が空海を信仰されていると紹介されていました。

 

 なのに、今の時代の私達は、《国益》《国益》、《国益》と喚きたて「国家」という枠に縛られた視野を持ち続けて、他国と事を構えなくてはならないのですか?!

 

 私達の人生は、《国益》《国益》、更には《愛国心》と喚きたて「国家」のために尽くすことですか!?

そして、その「国家」なるものが、他の「国家」と争うことが人間社会のあるべき姿ですか!?
そんな事はない筈です。


国を愛する前に人を愛すべきではありませんか!?

 そこで、先に掲げさせて頂いた 平和を愛し、協調の精神を一貫して強く持ち、共通の理念を持ってほしいと願う”との御遺族のお気持ちに報いる為、そして、悲しい戦争の多くの犠牲者の為にも、早急に我が国は「無宗教の国立戦没者追悼施設」に建立して、全国民に向けて、否!全世界に向けて「不戦の誓い」を発信すべきではありませんか!!!?

と、改めて綴って、一先ずこの章を閉じたいと思っております。

 

(補足)

 《空海の風景:司馬遼太郎著》よりの抜粋

 長安百十坊、坊はすべて路幅四、五十問もある都大路で区切られている。しかしながら、長安ノ大道、狭斜二連ナル、と詩われるように、大道はさらにいくつものせまい路地につながってゆく。遊里や酒房はそういう狭斜の路地の両側に軒をならべていることが多く、日が傾くと、弦歌、嬬声が満ちた。貴となく賎となく、この町をぞめき歩くなかに、逸勢も空海も、ひとの踵を踏みつつ歩いたかと思える。長安には常時、四千の異国の使臣と随員が滞留していたというし、そういう異土の人と袖を触れあいつつゆくこと自体が、狭斜を歩く楽しみであった。科挙の試験をうけるために上京してきている官吏志願者だけで、毎年千人、多い年は二千人を越え、そういう者も、この町へくる。そういう者の中には、異人種もいた。白い皮膚と赤い髪の西胡さえいたというから、長安が世界の都であることが、この狭斜の風景でも知ることができる。六朝は貴族政治であるために門閥を重んじたが、唐朝は思想として普遍性を尚び、皇帝の補佐をする人材はひろく天下にもとめ、試験でもって登用し、人種を問わなかった。唐の皇帝の原理には、皇帝は漢民族のみの皇帝であるという意識はなく、世界に住むすべての民族を綏撫するという使命をもち、華夷のわけへだてをするということがない。唐朝において大きく成立したこの普遍的原理を、空海が驚歎をもって感じなかったはずがないであろう

かれがのちにその思想をうちたてるにおいて、人間を人種で見ず風俗で見ず階級で見ず単に人間という普遍性としてのみとらえたのは、この長安で感じた実感と無縁でないに相違ない


文系の方々も「理」の心を(5(再び、靖国神社に関して)


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