私が60年安保闘争で学んだ事
2002年4月12日
&2003年5月11日
宇佐美 保
数ヶ月前(?)、筑紫哲也氏、榊原英資氏を招いて、田原氏は“あの盛り上がりとは何だったのかを、この番組で徹底的に検証したい”と、冒頭発言して放映された番組BS朝日の「田原総一朗の戦後史を巡る旅(なぜあの時、若者たちは安保反対と叫んだのか?)」を見て奇異に感じました。
1960年の安保闘争のデモには、田原氏も榊原氏も参加したとのこと、(当時)東大の1年で、(当時全学連委員長)西部邁氏(現評論家)が振る旗のもと国会議事堂の南門に突っ込んだ経緯を榊原氏は“社会主義が輝いて見えたし、知識人がこぞってデモをサポートしており、(安保には)反動のイメージがあったので”と語り、また、朝日新聞に入社して2年目で地方支局勤務であった筑紫氏は“国鉄の地方拠点でのデモ隊への取材側であったけれども、東京に居たらデモに参加していたろう”と語っていました。
そして、テレビ画面に登場した江田五月参議院議員は、“議論もしないんだから民主主義とはいえないと、国会に突っ込んだ”と。
又、当時全学連の政治評論家森田実氏は“戦争に大きな責任を持つ岸(当時の首相)さんが登場して,戦前に戻るのではとの、逆コースを恐れた”と語っていました。
田原氏は、“当時の新聞は全て「安保改訂反対、強行採決反対」(読売新聞だけが安保改訂賛成、強行採決反対)一色であった”と語りました。
ですから、世の中の大多数の方々共々、テレビ出演者達も日米安保条約を直接読むことなく、またその条約の本質を知ることなく「安保反対!」を叫んでいたのです。
そして、当時その反対デモに参加人達からは、自らの行動に対する反省の声は聞かれず、専ら「昔、共々戦った思い出に耽り、武勇伝を語り合う」と言った感じでした。
そして、A級戦犯の岸氏が手がけることだから悪いに違いないとの思い込みを正当化していました。
一方、岸首相の当時の秘書官であった中村長芳さんは、“50年経ったら評価される(星霜50年を待つ)”との岸首相の当時の心境を話しておられました。
勿論、私とて、大学の仲間と一緒にデモに参加していました。
いつも、遊ぶことにしか興味を示さない私が家に帰ってテレビを見ていた両親に“これからデモに出かける”と言ったらとても喜んで送り出してくれたのです。
私の身近な大学仲間でデモに反対したのはたった一人でした。
彼の言い分は、“せっかく結構な学校に入ったのだからこのまま穏便に卒業して、大企業に就職した方が、ずっと利口だよ”でした。
(彼のその後の消息はわかりませんが)
しかし、この私の安保反対デモへの参加は、テレビ出演者達のように思い出話としては語れない体験でした。
その体験は心に深い傷跡を残しました。
そして、貴重な教訓を残してくれました。
何しろ、当時の私は「安保の“あ”の字」も知らずに「悪人岸を倒せ!」の勢いで、国会デモに参加したのですから。
ですから当時を振り返るたびに、自分が如何に付和雷同し易い人間かと言うことを思い起こさせてくれるのです。
そして、世の中の人達も。
この体験を思い出すと、挙国一致して勝つことを信じてアメリカと戦った戦前の日本人を「愚か!」とは決して言えなくなりました。
ですから、ヒステリックに独裁者金正日を称える北朝鮮のアナウンサーを安易に非難は出来ませんし、そしてまた、その国の方々をも安易に非難は出来ません。
そして、ネオコン達がマスコミを操り仕掛けたイラクに侵略戦争に賛成するアメリカ国民を「愚かな国民」とも安易に言えなくなりました。
司会の田原氏は、石原氏を招いての別番組「なぜ日本は負ける戦争をしたのか」で、メディアの責任の大きさを次のように語っていました。
“日露戦争から調べたのだが、大体メディアは最初反戦だけど、反戦では売れないので、途中から参戦にまわる、太平洋もメディアは開戦を盛んに煽った。実際、東條さんの娘さんから、当時首相に就任しても直ぐに開戦に踏み切らない東條首相へ日本国民から「腰抜け死ね!」「やれ!早く!」と言った類の3千通程(行李一杯)の手紙を見せられた”と。
なのに、田原氏は、安保闘争に対するマスコミの存在を無視していました。
マスコミ報道がなかったら、私がデモに参加するなどとても考えられないことでした。
安保闘争の際には「岸よ死ね!」と多くの国民は叫びました。
太平洋戦争前に「東條よ死ね!」との声を上げた国民と何ら差はないのではありませんか?
そして、ネオコンによる偏向報道に操られて、イラクへの侵攻に熱狂するアメリカ国民と同じではありませんか?
勿論、ヒットラーに操られたドイツ国民も我々日本人と同じなのです。
私達、人間は、人種の違いを超え、全て簡単に扇動され易いのだと言うことです。
ですから、尚のこと、マスコミはこの事実をしっかり認識して、その真の責任を果たすように努力すべきと存じます。
(補足)2003年5月11日
この件に関しては、書きかけのまま放置していたのですが、最近の不穏な世情を思い書き上げることにしました。
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