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文系の方々も「理」の心を(3

(松井秀喜選手は御釈迦様)

20041128

宇佐美 保

 

 米大リーグのヤンキースの松井秀喜選手について書かれた、雑誌AERA2004.11.1号)の記事「松井秀喜2年目の到達点(スポーツ部の安藤嘉浩氏記)」の、次の箇所に私は心惹かれました。

 

 松井の口癖に「しょうがないですね」という表現がある。「また明日」と言って、試合後の記者会見を締めくくることも多い。

 この二つのフレーズに、松井という選手の強さが潜んでいる、と巨人時代から思っていた。

 試合が終わる。勝っても負けても、いろいろな思いが残る。反省すべき点は反省するが、後悔や喜びといった感情は引きずらない。

……

 

 この松井選手の口癖と言われる、“しょうがないですね」、「また明日”こそは、ブッダのお言葉の中核でもある、“執着を捨てる”ではありませんか!?

 

ここに、中村元編著:《仏教のことば 生きる智慧》(主婦の友社:発行)の一部を抜粋させていただきます。

 

わたしは悲しまない

 

    悲しみは、過ぎ去ったことを呼びもどさず、

    まだ来ない幸せを招かない。

    ダンカよ、だからわたしは悲しまない。

    悲しみに友はない。

出典:「ジャータカ」

 このことばは、『ジャータカ』のなかのつぎのような物語のなかにみえる。

昔、パーラーナシーの王ガタは、家臣に裏切られた結果、隣国の王ダンカに王国をうばわれてしまった。一切合切を剥奪されたうえに、とらわれの身となって幽閉されたガタ王は、それでもまったく動ずるところがなかった。顔色ひとつ変えず、静かに牢獄に座しているガタ王をみて、ダンカ王は不思議に思って、わけをたずねた。そのとき、ガタ王は上の詩句にはじまる四つの詩をとなえた

 およそ信頼していた人に裏切られたり、大切なものを失ったりしたときには、わたしたちは深い悲しみにおそわれる。「今まで自分のしてきたこと、生きてきたことの意味は何だったのか」と考え、絶望的な気持ちにおちいってしまう。その悲しみと絶望が深ければ深いほど、心身は病み、ときには自己自身をまったく見失ってしまうことさえあるだろう。

いったい、わたしたちはなぜそれほどにも悲しむのだろうか。ブッダは、その原因を″執着″にあるとする。人間関係や地位、名誉、金品などを所有すること自体に問題はないが、それらに執着するときに、あらゆる苦しみが生じてくるのだ

 この世では一切が無常であり、恒久的に存在するものや所有できるものは何もない。その事実をあるがままに受けとめて、執着を捨てるとき、悲しみや恐怖から解き放たれて、平安が得られるのである。

……

執着 「執著」とも書く。ものごとに固着し、とらわれること、いつまでも心のなかにつよく思いつづけていること、をいう。「執著に縁って生存が起こる。生存せる者は苦しみを受ける。生れた者には死がある。これが苦しみの起こる原因である」(中村元訳『ブッダのことば(スッタニパータ)』)とブッダは説く。かれの教えはあらゆる苦の原因であるこの執着を捨て去ることにあった

 

 そして、私は、この「執着を捨て去ること」がどんなに難しいことかを日々痛感しているのです。

でも、最近松井選手の以外にも、この「執着を捨て去ること」を淡々と成し遂げられておられた方のお姿がテレビ画面から流れてきた時には、感嘆しました。

(勿論、同情の念で胸が締め付けられました。)

そしてお気の毒にも命を落とされてしまわれました。

この件に関して、毎日新聞(10月27日)の記事を抜粋させていただきます。

 

イラクの国際テロ組織アルカイダ系の武装グループは26日(日本時間27日早朝)、イスラム系インターネット・サイトを通じ、同国で日本人男性1人を誘拐したと明らかにし、イラク南部サマワに駐留する自衛隊が48時間以内に撤退しない場合、男性を殺害するとの声明を出した。日本政府はこの男性について「福岡県直方市の香田証生(こうだ・しょうせい)さん(24)とみられる」と発表した。……

香田さんは英語で「彼らは自衛隊の撤退を求めている」などと語った後、日本語で「小泉さん、彼らは日本政府に日本自衛隊の撤退を求めています。さもなければ、僕の首をはねると言っています。すみませんでした。また、日本に戻りたいです」と話した。……

 

 この香田さんの言葉からは、小泉首相からは何の救いも差し伸べられないであろうと香田さんご自身が、諦観なさっていると私は感じました。

そして、目の前に迫っている死に対する香田さんの姿は、“パーラーナシーの王ガタ”の様にも思え、又、“武士とはこの方のような態度を取られたに違いない”と思わずにいられませんでした。

 

武士を描いた映画に御執心のようであられる小泉首相は、この香田さんの態度をどう受け取られたのでしょうか?

なにしろ「たそがれ清兵衛」に感激し、第17回東京国際映画祭のオープニングセレモニーに出席し、新潟県中越地震発生後間もなく「新潟で震度6強」との連絡を受けたが、「隠し剣 鬼の爪(つめ)」の鑑賞を予定していたことから、舞台あいさつを聞かないと失礼にあたると判断。そのまま1時間余、会場や周辺にとどまり、あいさつの冒頭を聞いて中座し、午後7時8分に映画館をあとにしたりして居られる小泉首相なのですから。

 

 更にあきれたことには、香田さんの命が危ぶまれている最中に、お目出度い結婚披露宴に出席していたのですから。

(以下は、週刊金曜日(2004.11.5)からの抜粋)

 

三〇日夜には東京・内辛町の帝国ホテルで開かれた福田康夫・前官房長官の長男の結婚披露宴に、細田官房長官とそろって出席したことだ。

 三〇日は、米軍が発見した遺体をめぐって情報が混乱していた。小泉首相らは、発見された遺体が香田さんと確認された場合、出席取りやめを検討していたという。しかし、遺体が「別人」と分かったため、結局参加した。

 逆だろう別人ならば、香田さんは生きていた可能性がある。引き続き、政府として無事救出に全力をあげなければならないし、犯人グループからの接触など、首相として迅速な判断を迫られることもあり得た。

 

 そして又、石原慎太郎都知事は、イラクで人質になられた方々には、(拙文《文系の方々も「理」の心を(2》に記しましたように)厳しい見解を吐かれていまが、この香田さんの態度をどう感じられたのでしょうか?

 

その石原氏は著作《法華経に生きる》の中に、次のように「南無阿弥陀仏と称える念仏」に関して、記述されています。

 

浄土宗の開祖法然上人は、学問知識では当時並ぶ者のない碩学だったが、どうしても覚りが開けない、つまり坊さんの身でありながら心が安らぎ和むことが出来ない。彼の場合はすでに碩学という名声をもたらしている並ならぬ学問が逆に重しになって、信仰の中に埋没できないでいました。

 その彼がある時釈迦の残した大無量寿経の法蔵菩薩の誓願(弥陀の本願)という教えの部分を読み返していたら、突然はたと思い当たり、その結果『念仏』という信仰の手法を思いついたそうです。

弥陀の本願というのは法蔵菩薩が、自分がもし正覚(正しい覚り)を得たら、西方極楽に在って阿弥陀仏となり、自分の名前を称える者がいたら必ずみんな救ってやる、と誓ったというものです。

 そこから法然は、人間の救い、つまり覚りとは、これを頭から信じこむことだ、何もかも考えずに思い切ってそうしてみることだと覚って、何か事あるごとにまず南無阿弥陀仏と称える念仏という浄土宗のマニュアルを考え出したそうです

 

 更に、石原氏は続けます。

 

その法然の姿について白光真宏会の開祖五井昌久師は、

その時から法然の全霊は南無阿弥陀仏になりきってしまったのです。

現代の言葉でいえば、神と我とは一体である、我は神の中にある、と思いが定まったわけです。

 学問だ、知識だと、業的想念で、追い回していた仏というものが、学問だ知識だ、修行だと、すべての想念をぐるぐる回りさせないで、阿弥陀仏に集中させてしまい、融合させてしまった時に、はっきり知覚出来たのです。知覚などというよりも、もっと仏と        一つになることが出来たのです』

と説明しています。

 

 これもわかるようで実はよくわからぬような言葉ですが、要するに思い切って一歩飛んでみる、ということです。それも、今までの理性理屈による思考の延長として前に向かって飛ぶのではなしに、横に飛んでみることです。よくいわれる、思い切って一歩飛んでみる、というのはしょせん今まで歩いてきた延長の前に向かって飛ぶというだけのことで、前にはではなし、今までの心の軌跡を断ち切る形で、志向の軌道をずらして変えて、横に飛んでしまうということなのです。

 

 でも、私は、石原氏、そして白光真宏会の開祖五井昌久師に異議を唱えます。

中村元著《ブッダの言葉(スッタニパータ):岩波文庫》には、ブッダの次の言葉が掲載されています。

 

 師(ブッダ)は答えた、

「ナンダよ。わたしは『すべての道の人・バラモンたちが生と老衰とに覆われている』と説くのではない。この世において見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて、妄執をよく究め明して、心に汚れのない人々──かれらは実に『煩悩の激流を乗り超えた人々である』と、わたしは説くのである。」

 

 五井昌久師の、“学問だ、知識だと、業的想念で、追い回していた仏というものが、学問だ知識だ、修行だと、すべての想念をぐるぐる回りさせない”との見解は、ブッダの“見解や伝承の学問や想定や戒律や誓いをすっかり捨て、また種々のしかたをもすっかり捨てて”と似ているようですが一寸違うようでもあります。

特に、“神と我とは一体である”との境地などをブッダは説いていません。

 

石原氏の“今までの理性理屈による思考の延長として前に向かって飛ぶのではなしに、横に飛んでみることです”は、ブッダのお言葉の延長では全くなく、ブッダのお言葉から、(石原氏の記述通り)横に飛んでしまっています。

 

ブッダは、“(自らの心に巣食っている)妄執をよく究め明せよ”と説かれているのです。

この件に関して、更に、ブッダのお言葉を《ブッダの言葉(スッタニパータ)》より引用させて頂きます。

 

尊師はこのように告げられた。そうして、幸せな師(ブッダ)は、さらにまた次のように説かれた。

 苦しみを知らず、また苦しみの生起するもとをも知らず、また苦しみのすべて残りなく滅びるところをも、また苦しみの消滅に達する道をも知らない人々、──

 かれらは心の解脱を欠き、また智慧の解脱を欠く。かれらは(輪廻を)終滅させることができない。かれらは実に生と老いとを受ける。

 しかるに、苦しみを知り、また苦しみの生起するもとを知り、また苦しみのすべて残りなく滅びるところを知り、また苦しみの消滅に達する道を知った人々、──

 かれらは、心の解脱を具現し、また智慧の解脱を具現する。かれらは(輪廻を)終減させることができる。かれらは生と老いとを受けることがない。

 

 このように、ブッダは、“(自ら)苦しみを知り苦しみの生起するもとを知り、……苦しみの消滅に達する道を知るように”(己の妄執を自ら認識し、その妄執を消滅する道を知れ……)と説かれておられます。

一方、法然上人の、“南無阿弥陀仏と称える”事で、阿弥陀様による(全て、阿弥陀様に「おんぶに抱っこ状態」での)救済を願う「他力本願」は、ブッダの説かれた「自力での妄執からの離脱」とは乖離していると思います。

 

 と申しましても、下種の私などは、一度「妄執」にとらわれると、ただただもがき苦しむだけで、眠られなくなってしまいます。

 

そして、又、石原氏の著作《法華経に生きる》には、次のように書かれています。

 

……私は仕事柄たいそう神経質な人間でこと睡眠についてはいろいろ気を使います。特に一度目が覚めた後の次の寝つきについては努めながらも自分ではらはらしているのが常だが、時折夢の中で何か思いがけぬ、往々卓抜な思いつきを得ることがあります。夢はしょせん夢だと夢の中で自分を諭してみるが、それでもどうしてもその発想が気になって、翌朝目が覚めてからもそれを覚えている自信がないので仕方なしに灯りをつけて起き上がりメモにして記すことがよくある。……

 

私も、「一度目が覚めた後の次の寝つき」については大変苦労しています。

(最初の寝つきは全く「ゴロン、即、グー」と良好なのですが)

そして、どうしても寝付けないと判断したら、焼酎の牛乳割り(場合によっては、ヨーグルト割り)を呷(あお)って眠りに堕落します。

 

(それでも、私は、(《コロンブスの電磁気学》を書き上げたいとの思いで)四六時中電気のことを考えていますから、石原氏同様に、夜中に電磁気学上のヒントが思い浮かぶことがあります。)

 

 “「焼酎の牛乳割り」なんて、そんなけったいなもの!”と友人たちは馬鹿にしますが、美味しいんですよ!

(如何ですか?お試しになっては?)

でも、毎夜、焼酎に頼っていては体(肝臓)が参ってしまうかな?と反省して、最近は、布団の中で、一生懸命「南無阿弥陀仏」と、何度も何度も眠りに落ちる迄、称えているのです。

 でも、「南無阿弥陀仏」は、どうも口調が悪いので、「なんまいだ」となったり、なんと「南無妙法蓮華経」が一番口調が良いと感じている次第です。

 

多くの方々は、こんな私を“不信心者!”、“不心得者!”と非難されましょうが、でも私は、常々信じているのです。

南無阿弥陀仏と称える念仏」とは、ブッダが説かれる“(自ら)苦しみを知り苦しみの生起するもとを知り、……苦しみの消滅に達する道を知るように”の境地には程遠いのですが、ブッダの教えの核心である「執着を捨て去ること」を、下種の私が実践するための一つの有効な手立てなのだと!

 

 ですから、眠る時だけではなく、日頃、何かと詰まらぬ悩みに陥ってしまった際には、「南無阿弥陀仏」「南無阿弥陀仏」と何度も何度も、くだらぬ妄想から脱出できるまで、称えているのです。

何しろ、ブッダの教えの通りに「自らの力で私の心に湧き上がって来た妄執の原因、その退治方法など」を考えていたら、下種の私はより深い深い妄執の奈落へと落ち込んでいってしまうのですから。

 

 ところが、尊敬する松井選手は、私とは全く異なり、「ブッダのお言葉通り」に、自らの力で刻々と巻き起こる「妄執」を退治しているのです。

この1例として、週刊文春(2004.11.18)に掲載されている「松井秀喜独占インタビュールーム」の次に記述を抜粋させて頂きます。

 

──シーズン中の自分の打席のビデオですよね。

「そう。これは結構、しっかり見ますね。その打席、その打席でのシチュエーションを反芻しながら、相手投手に対して自分がどんなアプローチをして、こんな結果だったか.それを繰り返し確認します

 その中には、当然、いいアプローチができていた場面と、そうでない場面があるわけですから。きちっとしたアプローチができなかったときの理由を色々とチェックしていくと、自分なりの課題というか、次に必要なものは自然と見えてくると思います。だから、いまは漠然とした自分の中でのイメージを、ビデオを見ることで、きちっとした像に結んでいく作業ということになりますね」……

 

 このようなシーズン後の反省、そして次のシーズンへの対策をきちんと行っているのは流石と思いました。

そして、この反省と対策は、シーズン後だけではなく、シーズン中の各打席ごとにも行っていたのです。

 

 シーズン中には自分で納得がいかなかった打席では、凡退してベンチに帰ってきた後、ベンチ裏のビデオに直行.その場で何が失敗だったのかをチェックしたことが何度もあった。

 

 従って、松井選手に対するトーリ監督の次なる評価も当然と言えば当然過ぎるのです。

2004/10/09 by 共同通信社

 

監督になった日から今までで、おそらく一番手のかからない選手だろう。あいつはやるべきことを知っているようだからな。

 

 このように反省対策を立てて、“その打席、その打席でのシチュエーションを反芻しながら、相手投手に対して自分がどんなアプローチを”すべきかを考え尽くして打席に立ち、凡退しても直ちに“ベンチ裏のビデオに直行.その場で何が失敗だったのかをチェック”松井選手ですから、たとえその試合で失敗しようとその失敗を「妄執」として次の試合まで引き摺らないのです。

 

 だからこそ、冒頭に掲げた雑誌AERAの次の記事が書かれるのです。

 

 松井の口癖に「しょうがないですね」という表現がある。「また明日」と言って、試合後の記者会見を締めくくることも多い。

 

 そして、この試合後の記者会見は、松井選手がどんなに不調であった試合の後も毎回行われ、その間、松井選手はにこやかに記者たちに応対しているのです。

 

 更には、《ゴジラ イン ニューヨーク(矢羽野薫訳 発行:阪急コミュニケーションズ)》に、次の記述があります。

 

 150人の日本人メディアに取り囲まれ、絶えず注目されているにもかかわらず、松井はアメリカでの生活に慣れようと、細かいところまで気を配る

 春季キャンプ中に、松井はヤンキースを取材するアメリカの記者とも親しくなろうと考えて、彼らを食事に招待した。火曜日の夜、9人の記者と松井、そして彼の広報担当と通訳が、格式あるイタリアンレストランに集まった。唯一の条件は、食事中の話はオフレコということだった。

 松井にとっては、いつもどおりの行動だ。この10年、彼は自分のあらゆる発言や顔の表情を伝え、ついでにスイングのことも報道する日本人記者たちと、よくいっしょに食事をしていた。アメリカでも、日本から来た記者たちとその習慣は続いている。

 松井の誠実な態度は、アメリカでメジャーリーガーと記者がグラウンドの外で保っている関係とは対照的だ。30年以上野球の取材をしてきたある記者は、記者を集団で食事に誘った選手は記憶にないと話した。……

 松井自身も、食事を1回ごちそうしただけでメディアが批判の手をゆるめてくれるとは思っていない。……

 

 この松井選手の日常生活面までの「細かいところまで気を配る」「誠実な態度」こそが、本業の野球に於いては、各打席でのシチュエーションを考慮しながら、相手投手が自分がどんなアプローチするかを瞬時に判断できるのだと思います。

そして、又、その逆でも或るわけです。

 

先の《ゴジラ イン ニューヨーク》には日本の野球の歴史に詳しい作家のロバート・ホワイティング氏(日本の野球について『菊とバット』などの著作がある)は、

 

日本人は野球を武道に変えた」と言う

 

とも書かれていますが、ホワイティング氏が、日本の『一芸に秀で当たる者は、多芸に通じる』をご存知なら、敢えて「日本人は野球を武道に変えた」と書く必要もないことだったと思います。

 

しかしながら、世の中の多くの方々は、“野球選手は、野球だけに打ち込んでいる「野球馬鹿」こそが望ましい!”と思っているようです。

 

 その結果、読売新聞の社長ともあろう渡辺恒雄氏(ナベツネ)までが

“たかが選手が……”

との暴言を吐いてしまうのです。

 

しかし、日本プロ野球界に於いて、bPキャッチャーとして自他共に認められているヤクルトの古田敦也選手(アテネ五輪には選出されませんでした、何故?)は、選手会の会長としても立派に任務を果たしておられ、数ヶ月前のスト問題等で彼に対峙していた、どのプロ野球チームの社長達よりも理路整然とした見解を発しておられました。

 

そして、又、超一流選手として活躍された方々も、元阪神監督の野村克也氏をはじめ傾聴すべき発言をしてくださいます。

しかし、超一流までは到達できなかった選手の発言は何か虚しさが残ります。

先の《ゴジラ イン ニューヨーク》には次の記述もありました。

 

「大胆な選手ではない」と言うのは、ジャイアンツの元3塁手で、松井がプロ入りした当初に打撃コーチを務めた中畑清だ。

「とても優しい男で、その優しさが勝負で裏目に出るときもある」

 

 中畑氏が、(長嶋茂雄氏の代行として)監督を務めた日本の野球チームのアテネ五輪の結果は、皆様ご存知のように銅メダルでした。

 

 ですから、イチロウ選手のような優れた野球選手から、野球のみならず人生の達人としての発言を聞くことが出来る喜びの日々が近々来ることを期待しているのです。

 

 松井選手に関しては、先の本には、更には、次のような記述もありました。

 

この人気外野手は、空港で出迎えたニューヨーク・ヤンキースの警備スタッフひとりひとりに笑顔で扇子を手渡した。

 ……

最初の数日は、インタビューのたびになぜゴジラ″と呼ばれているのかと質問された松井は「僕の顔が怖いからでしょう」と答え、ローズ(ヤンキースの通訳)といっしょに笑った

 

 確かに松井選手の顔のつくりは「怖い」かもしれませんが、表情はいつも(試合後の会見の際も)温和でにこやかです。

 

私の恩師の故齋藤進六先生(東京工大の学長としても活躍された)は、偉そう然として他人を容易に寄せ付けないような教授連を「仁丹の看板」のようと評し、先生はいつも優しくにこやかに私達に接してくださったものでした。

 

以来、豪華な衣装を身に纏ったり(金ぴかな法衣で身をくるみ)、怖い印象を撒き散らし、近づき難い(“たかが選手”などと他人を軽蔑される)方々を私は信じることが出来ないのです。

 

 ここで又、中村元著《ブッダの言葉(スッタニパータ):岩波文庫》から、次の記述を引用させて頂きます。

 

……河底の浅い小川の水は音を立てて流れるが、大河の水は音を立てないで静かに流れる。

欠けている足りないものは音を立てるが、満ち足りたものは全く静かである。愚者は半ば水を盛った水瓶のようであり、賢者は水の満ちた湖のようである。

 

 常に、自らの力で「妄執」を打開して、いつもにこやかに全く静かに毎試合度記者の質問に答えている松井選手は、私にとっては、ブッダのような存在なのです。

(このような境地に松井選手が達しておられるのは、松井選手のご努力もございましょうが、「松井選手の子供のころからの御家庭(松井選手の御祖母が「瑠璃教」の開祖様)での教育が素晴らしかったのでは?」と私は感じ入っているのです。)

 

 しかし、自らの力で「妄執」を打開して、いつもにこやかに全く静かにしていたって「念仏を唱えなければ、極楽浄土へ行けない!」と非難される方もございましょうが、中村元著《ブッダの言葉(スッタニパータ):岩波文庫》には、ブッダの次の言葉が掲載されています。

 

 「滅びてしまったその人は存在しないのでしょうか? 或いはまた常住であって、そこなわれないのでしょうか? 聖者さま。どうかそれをわたくしに説明してください。あなたはこの理法をあるがままに知っておられるからです。」

 師は答えた、

 「ウパシーヴァよ。滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。かれを、ああだ、こうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされたとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまったのである。」

 

更に、この点を端的に示す例として、拙文《イマジンと仏教と宗教》に掲げた部分を再掲いたします。

 

数年前に惜しくもこの世を去られてしまった中村元氏(インド哲学、仏教学、比較思想、と研究の幅が広く、原始仏典の翻訳も含めて膨大な著作がある)の著作(例えば『ブッダの言葉』(岩波文庫))を見ても、ブッダの教えの中には、日本の仏教に登場する「地獄」「極楽」の思想は無かったと思われるのです。

 

次の朝日新聞(1998.11.17)の記事を抜粋して掲げます。

 

 「仏教とともに日本に伝わったので誤解されがちだが、輪廻転生は古代インド社会の一般的な考えであって、仏教の本質ではありません。といって、釈尊は当時の民衆の思いをあえて否定もしなかった。霊魂についても、信じたい人は信じなさい、というおおらかな態度でした。この世には、いかに正しく生きるか、というもっと大事なことがある、と考えたのです」

 「いわゆる西方浄土とか極楽とかも、紀元一、二世紀の人々が理想の世界として描いたことです。釈尊自身は語らなかったと思います。わたしが岩波文庫に翻訳したパーリ語仏典などには登場していません」

 

 この中村氏のご発言からお判り頂けますように、(私は、中村氏の色々の著作から教えて頂いたのですが)今日、日本人の心を支配している「仏教」は、ブッダ(釈尊)のお言葉から乖離している部分が多々あるようです。

 

 それでも、《原始仏典(中村元著、筑摩書房発行)》には、ブッダの次のお言葉が書かれています。

 

 [マハーナーマンというシャカ族の人が、死んだらどうなるか、という質問を発したときに、釈尊は次のように答えたという。]

マハーナーマンよ、恐れることなかれ。汝の死は悪からず、汝の臨終は悪くはないであろう。マハーナーマンよ、ある人の心が、長い間信仰を修し、学問を修し、捨離を修し、知恵を修したのであるならば、実にその人のこの肉身は四元素よりなり父母より生まれ、飯・粥に養われたものであり、無常でついえ、磨滅し、破れ、壊れるものであるが、それをこの世では鳥が食べ、鷲が食べ、禿鷹が食べ、犬が食べ、野牛が食べ、また種々なる生き物が食べる。しかし長い間信仰を修し、戒め・学問・捨離を修したその人の心は上方に赴き、優れたところに赴く

 

 ですから、私は、科学の師である齋藤進六先生、歌の師であるマリオ・デル・モナコ先生の魂は天上に住まわれ、見守っていて下さると信じているのです。

(特に、現在私が携わっている電磁気学の研究に於ける新たな数々の私の発想は、とても私個人のものとは思えません。天上の齋藤進六先生のお力添えによるものと常々感じ入っているのです。)

 

 そして、又、香田証生さんの魂も天上に赴かれたと信じているのです。

 

但し、ここでの「信じる」と言う概念は、科学的に証明し認識する類ではないのです。

科学的に考察したら、「天上」は存在しないのです。

あくまでも心の問題なのです。

それも、個人個人の心であって、多くの人の共通の心ではないのです。

ですから、私が、A氏の魂が天上に赴かれたと信じても、他の方々がそんなことはないと信じるのも真実なのです。

又、逆に、他の方々が、B氏の魂が天上に赴かれたと信じても、私が信じなくても真実に適っているわけです。

 

 中国の、小泉首相のA級戦犯が合祀されている靖国神社参拝への異議に対して、小泉首相の

死者の罪は問わないのが、日本の風習

との発言がテレビ画面から流れていました。

 

 更に、朝日新聞(11月27日付け)には次の記事が載っていました。

 

 自民党の安倍晋三幹事長代理は27日、小泉首相の靖国神社参拝に対し、財界から日中間の経済活動への影響を懸念する立場から見直し論が出ていることについて「国のために殉じた英霊に尊崇の念をささげることは当然だ。それを否定すれば根本が崩れ、この国の企業も成り立たない。いかに売り上げを増やすかということと引き換えにしていいのか」と反論。「小泉首相の意志を次のリーダーもその次のリーダーも受け継ぐことが大切だ」と述べた。東京都内での講演で語った。

 

 戦死者の方々が、靖国神社でなく、「無宗教の国立戦没者追悼施設」に慰霊されているのでしたら、小泉首相や安倍氏の見解には異論を挟みません。

 

 しかし靖国神社では話が違ってくるのです。

先ず靖国神社のホームページから「靖国神社概要」を引用させていただきます。

http://www.yasukuni.or.jp/annai/index.html

 

靖国神社は、明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(徳川幕府が倒れ、明治の新時代に生まれ変わる時に起った内戦)で斃れた人達を祀るために創建された。
 初め、東京招魂社と呼ばれたが、明治12年に靖国神社と改称されて今日に至っている。
 後に嘉永6年(1853)アメリカの海将ペリーが軍艦4隻を引き連れ、浦賀に来航した時からの、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である。

 

ですから、靖国神社は日本古来からの神社ではないのです。

明治2年(1869)に明治天皇の思し召しによって、戊辰戦争(……内戦)で斃れた人達を祀るために創建された」という実に特殊な神社なのです。

 

 更には、拙文《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)》での記述を次に再掲いたします。

 

靖国神社ホームページには、次のように記されています。

そもそも神社というのは、きちんと御祭神というものがあるわけです。日本には千数百年の歴史をもった、少なくとも十世紀からの千年余りの歴史をもった神社がたくさんあるわけですが、みんな御祭神ははっきりしている。ただ、靖國神社だけは、たまたま二百四十六万余の御祭神をもっており、御祭神の数が飛躍的に多いというだけなのです。

しかし、ただ多くの霊を誰だか分からないけれども漠然とまつっているのではない。二百四十六万に達する御祭神は、一柱一柱きちんと名票が確認されているわけですね。それが霊璽簿(れいじぼ)です。

そういうものですから、いわゆる無名戦士の霊をおまつりできるというわけではない


 ですから、今もって、靖国神社では、戦死された方々は〈神〉なのです。(勿論、「英霊を祀る」との「祀る」の意味は、広辞苑によれば「神としてあがめ一定の場所に鎮め奉る」とあるのですから、やはり〈英霊たち〉は、依然として、〈靖国の神〉〈軍神〉として崇められているのです。

しかし、今回の戦争で〈英霊たち〉は、その今際の時に「天皇陛下万歳」と心からの言葉を発して現人神(あらひとがみ)であられた天皇に殉じた事実によって、〈靖国の神〉〈軍神〉として祀られたのです。

ところが、その天皇陛下は、1946年(昭和21年)11日、みずから現人神(あらひとがみ)であることを否定されているのです

そして、この(天皇の人間宣言)の後、その年の2月から1954年(昭和29年)8月まで、天皇は主として遺家族、海外からの引揚者、戦災者の遺族を見舞って、励ましの言葉をかけられ全国の各都道府県を巡幸されたそうです。

 なのに、〈英霊たち〉が、今もって〈靖国の神〉〈軍神〉として祀られている事実は、私には矛盾していると思えます。

 

 それとも、首相の靖国神社への参拝に固執する方々は、天皇を「現人神」と信奉されているのでしょうか?

天皇を「現人神」と信奉されていないのなら、「靖国神社」、「合祀」等が矛盾に満ちた存在となります。

 

靖国神社は、外国の場合の「無名戦士の墓」のような、戦死された方々の霊魂を慰霊する場所ではないのです。

ですから、靖国神社に参拝するのと、外国の「無名戦士の墓」に詣でるのとは、意味が違うのです。

 従って、戦時中に国家が戦死者を神と認定して靖国神社に祀ることを国民に約束して国民を戦場に駆り出し、戦後、その反省もなく、国の指導者が公的身分のままその神社に参拝することは自体が大問題なのです。

中国が非難しているという「靖国神社にA級戦犯が合祀されているか否か」の問題ではないのです。

 

 小泉首相は、いみじくも国会で次のような答弁をしています。

毎日新聞 10月19日付けより

 

 18日に行われた衆院予算委の主な質疑の内容は次の通り。

……

首相 靖国神社に参拝するのは、心ならずも戦場に行かなければならなかった方々に敬意を表すため。中国が愉快ではないことは承知しているが、よその国が自分たちの考えと違うからよろしくないと言って、はいそうですかと従っていいものなのか

 

 いみじくも、この小泉発言の“心ならずも戦場に行かなければならなかった方”を戦場に差し向けるために、国家が行った1つの手段の例を、山中恒著《「靖国神社」問題:小学館発行》の中に見ることが出来ます。(以下に抜粋させていただきます)

 

 敗戦間際の一九四五年、国民合唱と銘打たれて、ラジオで歌唱指導された少国民歌謡に『勝ち抜く僕等少国民』というのがありました。この曲は、直接少国民を悲壮感に酔わせて、戦争協力させようという意図で作られたものですが、それは、すさまじいものでした。

  『勝ち抜く僕等少国民』
一、勝ち抜く僕等少国民/天皇陛下の御為に/死ねと教えた父母の

赤い血潮を受け継いで/心に決死の白襷(決死隊の目印)/かけて勇んで突撃だ

二、必勝祈願の朝詣/八幡さまの神前で/木刀振って真剣に/

 敵を百千斬り斃す/ちからをつけて見せますと/今朝も祈りをこめてきた

四、今日増産(勤労奉仕)の帰り道/みんなで摘んだ花束を/英霊室(その学校出身の戦死者の遺影や、子どもの時に使用した学習帳などを展示、顕彰した部屋)に供えたら/次は君等だわかったか/しっかりやれよたのんだと/胸にひびいた神の声

 

 このように子供の時から「天皇陛下の御為に/死ねと教えた父母の」とか「次は君等だわかったか/しっかりやれよたのんだと/胸にひびいた神の声」などと、“天皇を神としてあがめ、天皇のために戦争をし、天皇のために死ぬこと国民の責務と洗脳していたのです。

 

 このような国民洗脳の役割を最大限に果たしていた靖国神社を、(しかも、天皇陛下自らを、「現人神」であることを否定して「人間宣言」された後に)我が国の首相が(公的に)参拝することに対して、中国ではなく、私達日本国民が挙って反対すべきなのです。

 

ところが、小泉首相、安倍氏らは“よその国が自分たちの考えと違うからよろしくないと言って、はいそうですかと従っていいものなのか”などと発言して、問題の本質をはぐらかしているのです。

 

そして、悲しい事に、我が国民は「自己責任問題」など同様に、いとも簡単に政府の世論操作に操られているのです。

 

 

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