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ストップ・ザ・コイズミ(1

2004619

宇佐美

 

 はじめに

 いま私たちは、世界と日本の新しい現実を目の当たりにしている。

 超大国アメリカが他国や他者の云うことに耳を傾けず、気に入らない国々を軍事力で蹴散らし、さながら〈帝国〉としてふるまい始めた現実。

 日本政府がそのアメリカに追随し、自衛隊を戦地に送って、戦後の日本人が最も大切にしてきた原則を踏みにじっていく現実

 このどちらの現実にも言葉がない。相手に、他者に、他国に、語りかけ、共感を誘い、合意を作り上げていく言葉のプロセスが最初から抜け落ちている。言葉を失ったまま、軍事力を誇示し、力で押し通し、既成事実だけを積み上げていく。……

……

……本書にあるのは新しい現実を読み解く答えであるよりは、より大きな問いかもしれない。私達が望むのは、ここにあるひとつひとつの言葉が刺激隣、誘い水となって、あなた自身の言葉が発せられ、私たち一人ひとりの言葉と響き合いながら、この現実を少しでも変えていくことである。

編者

 

 との前書きで始まる『それでも私は戦争に反対します。』(平凡社発行)には、45人の多分野の方々が、題目の趣旨を踏まえた文章を寄せられております。

(作家浅田次郎氏の文章は先の拙文《小泉純一郎氏とヒトラー》にも引用させて頂きました)

 

 その中で、「自衛隊は、もうイラクに行ってしまったのだから、その件に関しては、反対はしないが……」旨の見解が何件かありました。

この見解には、私は賛同しかねます。

 

 ジャーナリストの江川紹子氏は、

彼(小泉首相)は、記者会見の冒頭の発言の中に、こんな一言を紛れ込ませている。「決して安全ではないかもしれないが、危険を伴う困難な任務に決意を固めて赴こうとしている自衛隊員に対し、願わくは多くの国民が敬意と感謝の念を持って送り出してもらいたい」

 要するに、「私たちの自衛隊員を支持しよう」という呼びかけである。

 私を含めて自衛隊のイラク派遣に反対している人たちの多くは、派遣される個々の自衛隊員を批判しているのではない。むしろ、最高指揮官である内閣総理大臣の命令に従わざるを得ない彼らの立場を痛ましく思い、日本を守るために今の職についた彼らがなぜ、アメリカのイラク攻撃の後始末にかり出されなければならないのかと思っている

 だが、小泉首相の物言いを聞いていると、内閣の方針に反対することで、戦地に送り出される自衛隊員を傷つけている気分にさせられ、ついつい批判の前にこうした言い訳がましい説明をしたくなる。

 

 更に、作家の森詠氏は、

 

 ぼくは小泉政権が強行する自衛隊派遣政策には反対だが、派遣される自衛隊の隊員には尊敬の念を抱いている。むしろ彼らを武人として誇りに思う。自衛隊は国の命令でイラクの戦場へ派遣されたのであって、自ら進んで行くのではない。彼らは軍人であり武人だから、個人の意志を抑えて、国の命令に服し、イラクの戦場に出ていくのだ。その彼らを非難する言葉は、ぼくにはない。非難されるべきは、彼らを日米同盟のために無理遣りイラクヘ出そうとする政治家たちだ。

 願わくば、派遣される自衛隊員たちが、イラク人に銃を一発も射つことなく、誰一人として血を流さず命も落とさず、全員無事に任務を終え、一刻も早く愛する家族や父母、恋人の許に帰って来てほしいと祈るばかりである。

 

 『バカの壁』の著者で有名な解剖学者養老孟司の記述は次のようです。

 

 派兵反対の意見のなかには、「すでに派兵が決まった以上は、最善を尽くす」ことは当然とした上で、それについて申し上げている意見もあるのです。私がここで申し上げているのも、それです。それならば、イラクでの外交官二人の犠牲について、日本政府としての責任問題を、まず明らかにしていただきたい。それが日本にとって、過去の戦争と真に決別する重要な契機となるでしょう。……

 

ジャーナリストの田原総一朗氏は、

 自衛隊のイラク派遣に賛成か反対かをここで論じるのはいささか空しく、すでに自衛隊はイラクに派遣されてしまっている。この事態をどう捉え、それを命じた責任者小泉首相をどう捉え、何をどうすべきなのか。そのことを記したい。……

 

 更に付け加えますと、この本の記述ではありませんが、拙文《私は天木直人氏を支持します》にも、掲げましたが、昨年末(1228日)テレビ朝日放映の『田原総一朗スペシャル(今年最大の不可解を斬る)』に於いて、岡崎久彦氏(元サウジアラビア、タイ大使)は、次のように語っていました。

 兵隊を出す事は、世界のどの国でも大変な事。しかし、民主主義では、(兵隊を出した事を)議決して決めたら世界中一致してそれを支持し、それを如何にプラスに持って行くかが一番大事

 

 おかしいではありませんか?!

一度決まってしまった後は、問答無用と云うのでは、反省、見直しなんて入り込む余地がありません。その後に残される道は、「イケイケドンドン!」となってしまいます。

それに、自衛隊は軍隊ではないのです。

自衛隊員は、徴兵制度の下で自衛隊員となっているのではないのです。

自衛隊員は、自らの意志で自衛隊員としての職業を選択されているのです。

従って、森詠氏の“彼らは軍人であり武人だから、個人の意志を抑えて、国の命令に服し、イラクの戦場に出ていくのだ”との記述は、不適切です。

 以前、ある週刊誌(?)に、恋人の自衛隊員がイラクに行くのを阻止すべく「彼をイラクへ行かせないで」との街頭署名活動を一人で始めた方へ、

“恋人がイラクへ行くのに反対なら、恋人に自衛隊を辞めさせるのが筋ではないか!”

との怒りの記事を見たことがあります。

(この記事を探して、見つからないうちに、随分と日が流れてしまいました。)

 

 ですから、イラクへ行くことに反対な自衛隊員は、自ら進んで自衛隊を辞すればよいのです。

 

 ノンフィクション作家吉田司氏は、次のように書かれています。

 

 まず、デフレ不況下のこんな物語から始めよう − 完全失業率五・二%で働き場所を失った若者やフリーターたちの″おれおれ詐欺″が「全国で三千八百七件発生し、被害総額が約二十二億六千万円に上る」(『東京新聞』20031120日付)というが、これは小泉構造改革で「弱肉強食」型社会の考え方が浸透し、最も世情に疎い「弱者」(お年寄り)が集中的にねらわれているための現象だろう。追いつめられた若者たちが老人層を無惨に食い散らかしている地獄図で、自分が生きのびるためだったら「何をしてもいい」という《自衛主義》が大手を振り始めている

私は思うのだ、そんなアコギな青春を送るくらいなら、「自衛隊に行きなよ」と。これからの日本で一番の花形産業は「自衛隊」になるんだから。

 「日本政府は、今回、(殉職)自衛隊員に対する賞恤金の最高額を六千万円から九千万円に引き上げる。……これに首相の特別褒賞金一千万円が上乗せされる」(同紙116日付夕刊)

 「イラクに派遣された自衛隊員が死亡したり、けがした場合に補償する傷害保険が金融庁に許可された。死亡時の最高額は一億円。……これと別に、ほとんどの自衛隊員が加入している防衛庁団体生命保険の死亡時最高額は三千九百万円。二社に加入していれば、さらに二倍」(同紙23日付朝刊)

 合計すれば、総額一人二億七千八百万円!!ねっ、リストラ中高年の「自殺者三万人時代」が五年間も続き、サラリーマンの「年収三百万円時代の到来」(経済アナリストの森永卓郎)と言われるデフレ日本の中で、こんなに突出したトンデモ死亡額を提示できる花形産業は自衛隊をおいて他にない

 

 この様な見解は、イラクでの任務を遂行している自衛隊員に対して不謹慎?!

私はそうは思いません。

(更に付け加えますなら、“若者たちが老人層を無惨に食い散らかしている地獄図で、自分が生きのびるためだったら「何をしてもいい」という《自衛主義》”は、今盛んに日本で唱えられている「国益主義」の縮図ではありませんか!?)

 

 この吉田氏の記述に比べて、江川氏の“私を含めて自衛隊のイラク派遣に反対している人たちの多くは、派遣される個々の自衛隊員を批判しているのではない”との見解は、甘いと思います。

 

 最近相次いで、数々のリコール隠しの実体が露呈されている三菱自動車の場合は、悪いのは、不正隠しを指示した幹部達であって、人命の危険性を知りつつも、上役の命令に従った社員達には罪はないのですか?!

 

 なにしろ前述の森詠氏は、次のようにも書いているのですから、自衛隊員も確信犯(?)ではありませんか?!

 

自衛隊の隊員たちは、政治家たちがなんといおうと、自分たちが戦場に行かされるのだということを知っている。派遣の目的もイラクの復興支援のためとはいっていても、実際にはアメリカ軍への支援であることを、彼らは重々承知している

 

 そして、田原氏のように、“自衛隊のイラク派遣に賛成か反対かをここで論じるのはいささか空しく、すでに自衛隊はイラクに派遣されてしまっている”で済ませてしまって良いのですか!?

小泉首相に、ドンドンと既成事実積み上げさせてしまって良いのですか!?

 

 更に、江川紹子氏は、次のようにも書いていました。

 

そうこうする間に、アメリカにこれまたズルズルズルッと引きずられ、戦地に自衛隊を送るような事態にまでなってしまった。今のアメリカ政権はとりわけ好戦的だし、わが首相ときたらその政権にべったり。いったい日本はどこに連れていかれるのか……。

 そんなグチをこぼしている私に、チョムスキーはピシリと言う

日本はこれまでもアメリカ軍国主義に全面的に協力してきました


 今の問題は、昨日や今日になって突然起きたことではない。日本は、アメリカがアジア地域で引き起こした戦争に加担することで経済発展の基盤を築き、その後も例えばインドシナ半島の破壊行為に加担することで国を肥やしていった、とチョムスキーは指摘する。

(他人の犯罪に目をつけるのはたやすい。東京にいて『アメリカ人はなんてひどいことをするんだ』といっているのは簡単です。日本の人たちが今しなければならないのは、東京を見ること、鏡を覗いてみることです。そうなるとそれほど安閑としてはいられないのではないですか)

 

 ならば、江川氏は“自衛隊のイラク派遣”に反対し続けなかったのですか!?

 

 小泉首相は、これら「行ってしまったからには、文句は、云わない」の態度を有り難く頂戴し、この既成事実の延長で、「自衛隊の多国籍軍参加」を国会の審議もせずに決定してしまったのです。

(朝日新聞:618日)

 政府は18日午前の閣議で、自衛隊のイラクでの多国籍軍参加についての統一見解を了解し、イラク特措法施行令に多国籍軍駐留の根拠となる国連安保理決議1546を加えることや関連する基本計画の変更を決定した。見解は「自衛隊は我が国の主体的な判断の下に、我が国の指揮に従い、人道復興支援等を行う」とし、こうした点について「米英両政府と我が国政府との間で了解に達している」と明記した。今月30日のイラクの主権移譲後、自衛隊が初めて多国籍軍に参加することが正式に決まった。

 

 この様な政府の勝手な振る舞いを阻止する為にも、作家の池澤夏樹氏のようにイラク派遣へ反対し続けるべきだと思います。

 

 今、自衛隊が行くことには何の意味もありません。

 イラクの人々の暮らしがよくなるわけではないし、国際社会で日本の評判が上がるわけでもない。

 得るものより失うものの方がずっと多い。

 イラクにアメリカ軍が駐留する限り、治安の安定は望めません。彼らに手を貸しても、結局、ブッシュ政権の当面の利を支えることにしかならない。

 アメリカ革に撤退を進言し、NGO的な活動を支援する方がイラクの未来につながるでしょう。

 自衛隊の派遣は大きな間違いであるとぼくは考えます

 

 この様に、「一度決まってしまった物は仕方がない」では、国会の議決の過半数を占める与党はやりたい放題ではありませんか!?

今回の多国籍軍然り、年金問題も、……

 

 作家の浅田次郎氏は次のように記述されています。

 

自衛隊は軍隊じゃないから、「軍」と「兵」の字は禁忌だというわけで、「工兵」を「施設科」とか、「憲兵隊」を「警務隊」とか、まあどれもうまく名付けたものだが、「歩兵」の「普通科」だけはどうにもいただけない。「普通科連隊」。おかしいよな、やっばり。

 国会答弁で、総理大臣が「軍隊でしょ」と言ったのには驚いた。そりや、有難いといえばそうだが、あんなふうにアッサリと言われたんじゃ、身も蓋もあるまい。なんだか五十年の難難辛苦を、「ごくろうさん」の一言で片付けられちまったみたいな気がした。

 そう言やあ、「日米同盟」なんて言葉も、いったいいつから堂々と罷り通るようになったんだろう。同盟というのは、軍事同盟のことだな。そんなもの、いったいいつの間に締結したんだ。

もしや安保の異名かね

 

 とんでもないことではありませんか!?

 

「日本はフツーの国で、フツーの国に軍隊があって当然」

との記述が、養老孟司氏の文章にも書かれていました。

本当に、いつの日から「日本に軍隊があって当然」等という言葉が、日本中を闊歩し始めたのでしょうか?!

 

何故日本が、軍隊を持つ必要があるのですか?

日本はフツーの国ですか?!

(況わんや、「フツー」であっても、私達は、何故「フツー」に憧れるのですか?!

まるで何事も独力で決定することが出来ず、群れている若者達のようではありませんか?!)

平和憲法を有し、広島長崎に原爆を投下された国がフツーの国でよいのですか?!

原爆でなくなった方々の無念を思えば、軍隊を遠ざけるのが当然ではありませんか?!

軍隊を持つことこそが異常ではありませんか?!

今回のイラクで米軍が何をしましたか?!

民家への爆撃、虐殺、拷問……

 でも、今回の米軍の行動が異常だったのでしょうか?!

ベトナムに於いても然りだったではありませんか?!

 

 しかし、米軍だけが異常ですか?!

かっての日本軍も同じだったのではありませんか?!

日本軍と米軍だけが異常ですか?!

ユーゴの内戦ではどうですか?!
(この件では、拙文《愛国心と政治家と戦争》を御参照下さい)

同じようなことが繰り返されているではありませんか?!

  

 更には、45人の執筆者の一人でもある作家米原万里氏は、週刊文春(2004.6.24)の「私の読書日記」で、“戦争などの極限状態に置かれた人間が民族を超えて発揮しうる残虐さの普遍性を証明ていて、おぞましさのあまり震えが止まらなくなる”と、秦郁彦、佐瀬昌盛、常石敬一監修『世界戦争犯罪事典』(文芸春秋一万八000円+税)の存在を次のように紹介されています。

 

……二〇世紀に人類が犯した狭義の戦争犯罪だけでなく、侵略戦争のような平和に対する罪や、ナチスによるユダヤ人迫害ポル・ポトによる自国民虐殺など人道に対する罪をも網羅している。七三一部隊やナチスによる人体実験、広島、長崎への原爆投下、ベトナム戦争中の米軍による枯れ葉剤使用やソンミ虐殺など、よく知られた史実と並んで、二〇世紀初頭に起きたトルコによるアルメニア人大虐殺やベトナム戦争に動員された韓国軍による虐殺事件についても触れている。平和憲法の伽が無ければ、自衛隊員が同じことをする羽目になったかもしれない。……

……また、今まで黙過されてきた、戦勝国側による敗戦国の兵士や民間人に対する蛮行も記してあるのが画期的だ。

 日本とドイツで刊行されたようだが、是非とも英、仏、露、中国語などに翻訳されるべき偉業である。国連は多国籍軍を結成して米英軍の尻ぬぐいをするよりも、こういう本の出版普及に力を入れる方がより平和の達成に貢献できるはず

 
 この様に、如何なる民族といえども戦争となれば当然極限状態になり、おぞましい残虐性を発揮するのです。
戦争するのは愚かです。

 私は、米原氏の見解に大賛成です。

(私も、購入して読んでみようと思います。)

 

 それでも軍隊を持つことが「フツーの国」ですか?!

「フツー」どころか、「異常の国」ではありませんか?!

 

 昨年書きました拙文《自衛隊と軍隊 どっちが分かり易い?》に書きましたことをここに再掲します。

 

小泉首相は、本年(2003年)520日の参院有事法制特別委で、自衛隊について次の如く答弁した旨、朝日新聞記載されていました。

私は、自衛隊が我が国の平和と独立を守る軍隊であることが正々堂々と言えるように将来、憲法改正が望ましいという気持ちをもっているが、いまだにその機運には至っていない。

外国の侵略に対して戦う集団となれば、外国からみれば軍隊と見られても当然でしょう。日本では憲法上の規定がある。自衛隊を軍隊とは呼んでいない。そこが不自然だから、憲法を見直そうじやないかという議論がいま出ている。

私は実質的に自衛隊は軍隊であろうと。しかしそれを言ってはならないということは不自然だと思う。いずれ憲法でも自衛隊を軍隊と認めて、違憲だ合憲だという不毛な議論をすることなしに、日本の国を守る、日本の独立を守る戦闘組織に対して、しかるべき名誉と地位を与える時期が来ると確信している。

 

……

 更に、先日、ラジオから、次のような小泉発言が飛び込んできました。

 

 今のままでは、「自衛隊」は、「軍隊」だかなんだか判らない。

小中学生にも判るように、もっとはっきりとすべきである。

 

 こんな単純な理由、しかも「小中学生にも判るように」との理由で「憲法でも自衛隊を軍隊と認めて」良いのでしょうか?!

 少年少女による残虐な事件のたびに大人の世界は衝撃を受けています。しかし、分別あってしかるべき大人達が(集団で、しかも、殺傷することを目的として開発された兵器を駆使して)残虐行為を行い、且つ、その行為を正当化している事実を、少年少女達はどのように感じるのでしょうか?!
小中学生に判りやすい事実でしょうか?!
「フツー」と感じるのでしょうか?!

 
 asahi.com を見ていたら、次の元自衛官の投稿記事に出会い、驚愕しました。

 

……

 退官後の02年7月から、NGO「日本地雷処理を支援する会 (JMAS)」 のメンバーとして、カンボジアで不発弾処理をしている。 PKO活動や各国の援助、NGOの活動、国連開発計画 (UNDP) の支援金などで、カンボジアは着実に復興へ向かっている。 日本は今後も積極的に自衛隊を海外派遣し、国際貢献事業に参画すべきだ。

 そのためにも、出来るだけ早く現行憲法の改正に着手した方が良い。まず「自衛隊は軍隊である」と明確に定義すべきだ。自衛隊の立場のあいまいさは、海外ではなかなか理解してもらえない。このままでは「あいまいな日本人」への不信感ばかりが募ってしまう

 一緒に不発弾処理をしているカンボジア政府機関の職員や欧米のNGOメンバーに「日本は憲法に武力を放棄すると書かれているのに、自衛隊という軍隊を持っている。『自衛隊は軍隊でない』という日本の主張は理解できない」とよく言われる。全くその通りで、反論が出来ない。

 カンボジアPKOに参加していたときのことだ。国連カンボジア暫定行政機構(UNTAC)に参加していた各国の軍人に「我々は日本の陸上自衛隊です。よろしくお願いします」とあいさつすると、そのたびに「自衛隊とは何だ」と聞き返された。英語で「グラウンド セルフ ディフェンス フォース」と説明しても分かってもらえない。

 いよいよ困って、最後に「ジャパニーズ アーミー」と言うと「何だアーミーか。ウエルカム ジャパニーズ アーミー」と握手をしてくれることが多かった。

 自衛隊が問題なく国際貢献に参加できるように、憲法条文に明記すべきだ。 政府が憲法を改正しないまま対処している限り、国民に分かりにくい説明しかできない

……

 誰も戦争や紛争を望みはしない。しかし、世界の現実はそうではなく、その後片付けは誰かがやらなければならない

 

 「戦争の後片付けをするのに、何故軍隊でなくてはいけないのですか?!」それに、説明しにくいとの理由で「自衛隊を軍隊に変えて良いのですか?!」、どんなに相手が自衛隊を理解しにくくても、自衛隊の本質を、日本憲法をどんなに苦労してでも相手に理解して貰うことこそが、国際貢献ではありませんか?!

 

 私は、次の作家赤瀬川隼氏の見解に賛同します。

 

 @日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

 A前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

 

 施政方針演説で憲法前文を引用した小泉首相が、続けて読むのを怠ったのが、この第九条だ

この条文こそが、この憲法の最大の特色であり、個性であり、日本人がどこに行っても誇るべき、世界に冠たる武器である

 ことばは武器である。日本で武器といえばこれしかない。形容を絶する戦争の惨禍から脱してもうすぐ六十年、世界の血腥い推移の中で、日本が他国に一度も武力を行使せず、他国から一度も武力を行使されなかったのは、このことばという武器の帯びる抑止力ゆえであろう。

 このことを、世界中に知ってもらわなければならない。この武器を手に、手分けして世界行脚に出よう。日本国憲法を多くの言語に翻訳したヴァージョンをたずさえて行く。要人に会うだけではだめだ。大きな会場に多くの人を集めて、テレビで中継してもらう。政治家のような演説をぶつ必要はない。淡々とした講話調がいいだろう。称して「日本国憲法世界行脚隊」。……

 

 この赤瀬川氏の「この憲法の最大の特色であり、個性であり、日本人がどこに行っても誇るべき、世界に冠たる武器である」との大事な認識が、前掲の投稿者である元自衛官の方には欠落しているのだと思います。

 

 この大事な認識が最も欠落しているのが小泉首相その人なのではありませんか?!

ノン・フィクション作家の保坂正康氏は次のように書かれています。

 

 私は、自衛隊のイラク派遣に反対です。その理由はたった一点に集約することができます。

つまり、(小泉内閣は昭和という時代の教訓に学んでいない)ということです。

 もとより反対の理由には、現在の憲法に反する行為であるとか、アメリカの軍事政策に追随すべきではないとかさまざまな理由も挙げられるでしょうが、私はそうしたこと以前に、これほど歴史の教訓に意を用いない首相や閣僚の姿勢に基本的な疑問をもっているのです。……

もっとも重要なことは、「日本の政治・軍事指導者は『戦争』の内実を知らなかった」ということであり、「この国は軍事行動を支える思想やシステムをもっていなかった」という点に尽きるのではないかと思います。……

昭和前期の教訓に学び、軍事にかかわる思想やシステムを確立したというのなら話は別ですが、日本はそのような道を模索していない以上、少なくとも現在や近い将来は軍事にかかわる資格はもっていないと考えるのが妥当です。……

小泉首相もこの資格に欠けていることをどのような形でか意識しているためでしょう、たとえば二〇〇四年一月五日の年頭会見での記者団の質問(「不測の事態が起きた場合、撤退するのか」)に対して、「考えたくない事実を想定するよりは、危険な目に遭わないよう、最悪の事態が起こらないよう準備するのが政府の責任」と答えています。「考えたくない事実を想定する」ことは、私の思考のなかにはいっていない、という意味になりますが、この答えこそ小泉首相の本質であると断言していいでしょう。なぜならこの回答をひきだした記者の質問こそ、真剣に、真面目に考えをつめていけば、われわれの国は自衛隊を軍事衝突の続いている地域に派遣する資格をもっているかという深刻さにいきつくからです。にもかかわらず、「そういうことは考えたくない」というのは無責任きわまりないと、私には思えます。

 少なくとも首相には――文民支配の責任者でもあるわけですから――、自衛隊の派遣でどのような事態になることが予想されるのか、その可能性はすべて想定しておく必要があるはずです。……

 

 この小泉氏の「「そういうことは考えたくない」というのは無責任きわまりない」姿勢は、今回の曾我ひとみさんの御主人(ジェンキンスさん)への対応に認められます。

 524日の東京新聞には、次のような記事が載っています。

 北朝鮮による拉致被害者曽我ひとみさん(45)の夫で元米兵のジェンキンスさん(64)が22日に小泉純一郎首相と面会した際に、米国政府が脱走罪の訴追免除を表明するならば、日本行きを検討してもよいとの考えを伝えていたことが23日、分かった。

 政府関係者によると、ジェンキンスさんは
小泉首相ではなく、米国が自分を捕まえないということをはっきりさせてほしい。そうすれば日本へ行くことを考えてもいいと述べた。首相は「米国への働き掛けを含めて努力する」と応じた。


 

 小泉氏は、「「そういうこと(ジェンキンスさんの発言)は考えたくない」というのは無責任きわまりない」心構えで、訪朝しジェンキンスさんの説得に臨んだのでしょうか?

全く行き当たりばったりの対応ではありませんか!?

小泉氏以外の方が首相であったならば、先の訪朝の1年半前から、何度も何度も、ジェンキンスさんへの恩赦に関して米国との交渉を行っていたはずです。

 

 そして、今頃になって、「ジェンキンスさんの処遇について、8日(日本時間9日)のブッシュ大統領との日米首脳会談で言及する考えを明らかにした。」との記事が、紙面に出てきました。(朝日新聞:68日)

 

……外務省はこれまでの米側との折衝で、大統領から現時点で訴追免除などの約束を得ることは期待できないとの感触を得ており、首相としては状況の説明にとどめ、具体的な措置を求めることは避ける見通しだ。

 

 あまりにもお粗末ではありませんか!?

 

今から1年半前の2002年 12月 9日付けの東京には次のように書かれていました。

 

 小泉純一郎首相と福田康夫官房長官は9日午前、アーミテージ米国務副長官と首相官邸で会談した。……
 同席した安倍晋三官房副長官は、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に拉致された曽我ひとみさん(43)の夫で元米兵のジェンキンス氏(62)の処遇について大統領恩赦などの善処を要請アーミテージ氏は「真剣かつ慎重に検討している」と返答。会談後記者団には「解決策を見つけるため、持ち帰って極めて真剣に検討したい」と述べ、前向きに対応する考えを強調した


 米国のイラク侵攻前のこの時期(米国の国内状態が安定していた時期)に於いて、小泉氏はもっと真摯に米国と交渉し解決しておくべきでした。

 更には、
小泉氏の「考えたくない事実を想定するよりは、危険な目に遭わないよう、最悪の事態が起こらないよう準備するのが政府の責任」”との言葉から、三菱自動車の不祥事が想起されます。

(朝日新聞:6月18日付け)

 

 三菱自動車製大型車のクラッチ系統の欠陥から02年に起きた死亡事故で、神奈川・山口両県警の調べに対し、同社元社長・河添克彦容疑者(67)=業務上過失致死容疑で逮捕=が「00年に旧運輸省に重要な不具合を報告するよう求められた際、98年4月以降の分しか報告しないことを了承した」と供述していることがわかった。……

……三菱自が長年にわたり様々な不具合情報を隠蔽し、ヤミ改修をしていたことを熟知していたと判断。不具合情報の中に重大事故につながる欠陥が含まれることを予見できたのに、最高責任者として精査して知ろうとしなかった点を過失とみている

 クラッチ系統の欠陥はクラッチを格納する部品が破損し、車が制動不能になったり、火災を起こしたりする。三菱自は95年ごろ、原因を調べる実験をし、設計上の欠陥と判明。96年3〜5月にかけて計3回開かれた「リコール検討会」などの会議で「非常に危険な欠陥」という結論が出たが、適切な改善措置をとらなかった。

 

 

 小泉氏の「考えたくない事実を想定するよりは、危険な目に遭わないよう、最悪の事態が起こらないよう準備するのが政府の責任」”との言葉から、三菱自動車の不祥事が想起されます。

(朝日新聞:6月18日付け)

 

 三菱自動車製大型車のクラッチ系統の欠陥から02年に起きた死亡事故で、神奈川・山口両県警の調べに対し、同社元社長・河添克彦容疑者(67)=業務上過失致死容疑で逮捕=が「00年に旧運輸省に重要な不具合を報告するよう求められた際、98年4月以降の分しか報告しないことを了承した」と供述していることがわかった。……

……三菱自が長年にわたり様々な不具合情報を隠蔽し、ヤミ改修をしていたことを熟知していたと判断。不具合情報の中に重大事故につながる欠陥が含まれることを予見できたのに、最高責任者として精査して知ろうとしなかった点を過失とみている

 クラッチ系統の欠陥はクラッチを格納する部品が破損し、車が制動不能になったり、火災を起こしたりする。三菱自は95年ごろ、原因を調べる実験をし、設計上の欠陥と判明。96年3〜5月にかけて計3回開かれた「リコール検討会」などの会議で「非常に危険な欠陥」という結論が出たが、適切な改善措置をとらなかった。

 

川添元社長は、今回の「リコール隠しが続々と暴露される」という「考えたくない事実を想定するより」、「会社(というより自分達幹部)が危険な目に遭わないよう、会社(というより自分達幹部)にとっての最悪の事態が起こらないよう準備するのが社長(というより自分達幹部)の責任」と思い、行動していたのでは?

 

小泉氏も同様?

 

 そして、養老孟司氏は、前掲の保坂正康氏の“これほど歴史の教訓に意を用いない首相や閣僚の姿勢に基本的な疑問をもっている”との見解同様に、“責任者に対する必罰がない。私のように古い世代は、そこに重大な欠陥を感じます。それが戦前の陸軍の体質だったからです”と次のように書かれています。……

 

(おことわり)

あまりに長文となりましたので、この辺で一旦中断しまして、続きを「ストップ・ザ・コイズミ(2)」に掲げようと存じます。


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