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愛国心と政治家と戦争

20031019

宇佐美 保

 「愛国心とは何か? 教育基本法改正論議で見えた自民・文教族の変質」との記事が『週刊朝日(2003年06月20日)』に記載されていました。

そして、そこに登場する政治家が余りにもお粗末なので日本の行く末が心配になりました。

そこで、その記事の一部を抜粋させて頂きます。

 

 教育基本法の見直しをめぐり、自民党と公明党が「愛国心」の扱いで譲らず、今国会に改正案を出すのは難しくなった。……

 町村信孝前文科相は、今回の改正論議のキーパーソンである。……

 町村氏の抱く「愛国心」のイメージはこうだ。

わが家に暴漢が侵入してきたら僕はバットを持ってでも家族を守ろうとするでしょう。それと同じく、わが国が侵略されようとしたら実力で国を守るでしょう。ふるさとを愛し、家族を愛し、国を愛する――三つ並べても何の違和感もない。200年も300年も前から洋の東西を問わず変わらないもの。自分が生まれた環境・社会・風土、それをつくってくれた先人を愛する。自然な人間の心情だと思いますがね」……

 

 最近、憲法改正に関して等の街頭インタビューで、悲しい事に、町のおじさん、若者達が、町村氏同様の「わが家に暴漢が侵入してきたら僕はバットを持ってでも家族を守ろうとするでしょう。それと同じく、わが国が侵略されようとしたら実力で国を守るでしょう。」との馬鹿げた比喩を吐いています。

 

 何故こんな馬鹿げた比喩を、国の中枢に席を占める政治家が吐くのでしょうか?

こんな比喩を吐く政治家は、「アホ」だと私は思います。

「我が家に進入する暴漢」は、日頃面識が無い輩でしょう。

日頃面識のある人が暴漢として進入してきますか?

万一進入してきても、その面識ある人へバットで殴りかかって行くのですか?

それよりも何よりも、そんな事態にならない為にも、日頃の近所付き合いが大切なのではありませんか?

 

 そして、国の場合だってそうです。

宇宙人がUFOに乗って地球に攻め込んで来るような場合は、暴漢の侵入かもしれません。

しかし、地球上の国々は、互いの国へ大使館を置いたりして、日頃から互いの友好関係を築こうと努力しているのです。

ところが時折とんでもない政治家が出現して、この友好関係が崩壊してしまいます。

 

 今回のイラク侵略を行ったアメリカブッシュ大統領、そして、その彼に尻尾を振り続ける小泉首相は、このとんでもない政治家の仲間です。

しかし、多くの方々は次のように反論されるかもしれません。

“悪いのはブッシュ、小泉ばかりでなく、そもそもはクウェートへ無法にも攻め込んだイラクのフセインが今回の戦争の根元であって、あんな暴君には外交など無益、あんな奴をのさばらせる事は諸悪の根元、従って今回のイラク攻撃は正当!”と。

どうかこのような反論をされる前に、元アメリカ法務省長官ラムゼー・クラーク著『湾岸戦争』(中平信也訳:地湧社発行)をご覧になって下さい。

或いは、その著作を引用して書かせて頂いた拙文《暴君はフセインですか?アメリカではありませんか!》並びに《戦争とマスコミ》を、ご一読下さい。

 

 そして、アメリカ共和党の大物パトリック・J・ブキャナン氏の著作『病むアメリカ滅びゆく西洋(宮崎哲弥監訳:成甲書房発行)』には、愛国者(パトリオット)に関して、町村氏に輪をかけた戯言を記述しています。

 

 二〇〇〇年の大ヒット映画『パトリオット』への反応はどうだったか。

 メル・ギブソン演じる主人公ペンジャミン・マーチンはかつてフレンチ・インディアン戦争の勇士だったが、現在は七人の子供を抱える父親で反戦主義者である。だが目の前で残虐な英軍大佐に次男を殺され、長男を連れ去られて復讐のために立ち上がる。舞台はサウスカロライナ、マーチンは独立戦争の英雄フランシス・マリオンとゲリラ戦士ダニエル・モーガンをミックスさせた人物で、英軍士官は伝説的冷酷大佐バナスター・タールトンを基にしている。

 二つの印象的な戦闘シーンが物議を醸した。一つめは、次男の射殺を目の当たりにした後、マーチンがその下、十三歳と十歳の息子たちに銃を持ってついてこいと指示する場面。親子は奇襲攻撃で英軍を一蹴し、マーチンは最後の一人を手斧でぶった切る。殺された次男の仇を討ち、リンチに処せられそうな長男を救ったのだ。二つめは英軍士官がマーチンヘの仕返しに村人たちを教会に閉じ込め、火を放てと命ずる場面。

『パトリオット』を観終えた直後の評論家のなかには、息子の惨殺現場を目にした直後のマーチン以上に怒り狂う者もいた。「あれを歴史だと思ってはいけない」。ジェイムズ・ヴァーニアは(ボストン・ヘラルド)でそう述べた。「アメリカのプロモーション映画だ」と。そうだとしていったい何が問題なのか。

 

 多くの批評家から非難を浴びたと言うこの作品(パトリオット:愛国者)をブキャナン氏は“父親と七人の立派な息子達の感動の物語”と書き綴っているのです。

(私は、この粗筋を見ただけですが)こんな物語は、復讐に対する復讐と、際限なく繰り返される暴力の連鎖ではありませんか!

 

その上「愛国心」に関して、まだブキャナン氏は次のようにほざくのです。

 母を慕う気持ちは自然に芽生えるものだが、国家への愛情は教えられなければ芽生えない。

子供は学習することによってのみ、自分の属する国家を知る。第二次大戦前に生まれた世代は簡単に愛国心が芽生えたものだ。ラジオ、映画、新聞、漫画、会話、何もかもが一つのメッセージを伝えていた――われわれは善良で疑うことを知らない、だから真珠湾で奇襲を受けた。

多くの勇敢な米兵が彼の地で、あるいはパターン死の行進で命を落とした。必ずや日本にこの借りは返してみせる、と。

 今までにない連帯感がそこにはあった。われわれは真の意味で一つの国にまとまっていた。

┄┄いずれにせよ「正義の大戦」は今なお歴史のなかで燦然と輝き続けている。決着がどうあろうと、敵は悪の権化で、われわれは神の側にいた

 

 その上、次のように過去を懐かしがる一方、最近の改革派を非難するのです。

 

 改革派はいかにして古い価値観を捨てさせ新しい価値観を吹き込むのに成功したのか。真珠湾直後は陸海空軍とも入隊志願者が殺到し、農家の少年ばかりか大学生までもが列を成して並んだものだ。それが世界貿易センターでの大殺戮の後は、まだ報復攻撃も始まらないうちに全米のキャンパスで反戦集会が開かれた。

 

 いみじくも、ブキャナン氏は「愛国心は教えなくては芽生えない」と述べているのです。

「愛国心」は、本来人間に備わっているものではなく、いわゆる情報操作によって「愛国心が芽生えるのです」

まさに真珠湾に関しては、(『真珠湾の真実』(ロバート・B・スティネット著、妹尾作太男訳:文芸春秋発行)に書かれているように、米国ルーズベルト大統領は、日本に対して無理難題を押し付け、勝つ見込みの無い対米戦へ追い込んで、参戦に反対するアメリカ国民を故意に戦争に引きずり込んだ、情報操作の最たるものではありませんか!?

 

この情報操作の件として、城山三郎著『指揮官達の特攻』(新潮社発行)の冒頭に認められます。

それは真珠湾攻撃に向かう日本海軍の200機近い大編隊が、はじめてアメリカに姿を見せた地点、オアフ島最北端を著者が取材した際の次のエピソードです。

 

 帰りのタクシーの中で、そうした話をしていると、往路は無言に近かったT運転手が、今度は思いがけぬことを言い出した。

 アメリカの策略で、日本は罠にはめられるように、真珠湾攻撃に誘いこまれたのだ、と。

「最近、そのことをテーマ忙した本がベストセラーになっているが……」

 私が水を向けると、

「いや、そんな本は知らない。私は十年ほど前、ハワイの新聞で読んだ。それに、お客さんたちからも聞いたのだが、日本軍の空襲は実に正確で、軍事基地だけに集中し、おかげで市民はバルコニーに出たり、屋根に上ったりして見物できたそうです

 T運転手はそこで一息ついた後、小首をかしげ、

ところがおかしなことに、当時のニュースでは、ハイウェイをドライブしていた事が日本機に撃たれて、カップルが死に、海に出ていた漁師三十人はどがやはり銃撃され殺された、とか

要するに、関係の無い市民まで殺したということで、日本への憎しみをかき立てようとしたらしい」

 そういえば、日米開戦に反対していた山本五十六連合艦隊司令長官らは、空母を中心とする航空戦力が海戦の勝敗を決するとしていたのに、日本機が攻めこんだ真珠湾には、アメリカ空母はすべて出払っていて、ただ図体の大きな戦艦ばかりが繋留されたまま、格好の目標という形で並んでいた。

偶然とかもあったであろうが、見方によっては、その辺にもアメリカの先手というか、策略を感じることもできる。……

 

 この様に戦前戦中、日本側を「悪の権化」に仕立て上げておいて、今時「決着がどうあろうと、敵は悪の権化で、われわれは神の側にいた」と書くブキャナン氏の神経を疑います。

その上、世界貿易センターへのテロは、拙文《911の同時多発テロを今思うと》にも書きましたが、「大殺戮」ではなく、テロと事故の連続による「大量の死傷者の発生」ではありませんか?!

 

日本の真珠湾奇襲をして、ブキャナン氏の「敵は悪の権化」的認織は兎も角、アメリカ人は、今もって事あるごとに「卑怯な日本人」との声をあげます。

何故日本はこのようなアメリカ人にNO!の声をあげないのですか?!

日本の開戦の経緯(『真珠湾の真実』参照)や、開戦布告は真珠湾の攻撃の前にアメリカ側に手渡される予定であったが、駐米日本大使館の怠慢行為で、奇襲となってしまった事をアメリカ国民に、詫び説明すべきではありませんか?!

(この件は、先の拙文《外務省の怠慢》、《外務省とマスコミの怠慢(吉田茂氏の謎)》にも書きました)

 

駐米大使館は、現在このような地道な仕事をしているのですか?

駐米大使館でなされるレセプションの際には、アメリカ人に対して、このような話をしないのですか?

天木直人氏(元レバノン大使)の著作『さらば外務省!』を読むと、このような活動は全くしていない事を感じます。

 

 例えば次のように、小泉氏の体たらくぶりが暴露されています。

 年に一度、東京で開催される「中東大使会議」に集まった中東地域に駐在する大使が、小泉首相を表敬訪問して、各大使が中東情勢の生の声を伝えた後の小泉首相の返事は、中東情勢には全くない様子で、たった一言“君たちの重要な任務はその国の首脳と親しい関係を作ることである”と言い残して席を立っていった。


 

 ここで暴露された小泉氏の外交姿勢は、彼が常に実行している対米姿勢を端的に示しています。

即ち、ポチとまで言われながらも、小泉氏の対米外交は「アメリカの首脳であるブッシュ大統領との親しい関係を作る」に徹しているのですから。

 

 日本は、このような浅薄なアメリカ盲従外交をしていては、早晩、世界の孤児となるのは明らかです。

 

 なにしろ、前出のブキャナン氏の著作『病むアメリカ滅びゆく西洋』には、次のようにも書かれているのです。

 

しかし今、アメリカ人を「一つに結束した民」と考える人がいるだろうか?

 われわれは同じ祖先の血など引いていない。同じ言語も話していない。宗教も違う。もはやこの国は、社会学者のウィル・ヘルベルクが一九五五年に『アメリカ宗教社会学小論』で評したような、プロテスタントとカトリックとユダヤ教の国ではない。モルモン、ムスリム、ヒンドゥー、仏教、道教、神道、サンテリア、ニューエイジ、ヴードゥーから、無宗教者、無神論者、ヒューマニスト、ラスタフアリアン、妖術使いまで何でもありだ。ブッシュ大統領は就任の際の宣誓でイエスの名を口にしただけで、「無神経」「軋轢を生む」「排他的」との批判を浴びた。(ニュー・リパブリック)誌は社説で「キリスト教の先制パンチ」を就任式から追放せよと痛罵した。もはや国民の問に神の存在、生命の起源、倫理の定義に関する同一の認識など存在しない。われわれは「似通った風俗や慣習」など持っていない。「長きに渡る流血の戦を共にくぐり抜け」てもいない。偉大なる世代はくぐり抜けたが、それも今は昔のことだ。「長きに渡る流血の戦」と言われて思い浮かべるのはヴェトナムだが、あれは「共に」戦ったなんてものではない。

 

 このように、アメリカ自体が、その内部から、どんどん変革を突き付けられてゆくでしょう。

そして、ブキャナン氏は次のようにも書いているのです。

 

 二〇〇〇年の国勢調査でさまざまなことが露見した。カリフォルニアでは初めて白人がマイノリティとなった。白人の他州転出はかなり前から始まっていた。九〇年代、同州の人口は三百万人増えたが、アングロ系は「五十万人近く減少し……人口学者を唖然とさせた」。ロサンジェルス郡は四十八万人の白人を失った。共和党の砦、オレンジ郡も、大脱出により白人人口の六%を失った。「もはや白人中産階級の州のふりはできない」とサウスカリフォルニア大学南カリフォルニア研究所研究員、ウィリアム・フルトンは語る。同州州立図書館司書ケヴィン・スターによれば、カリフォルニアのヒスパニック化は避けられない自然の流れだという。

 

 更に、次のようにも書かれています。

 

 一九九〇年に六〇%だったテキサスの英米系人口は今では五三%。白人のマイノリティ転落というアラモ以来初の事象が目前に迫っている。

(ダラス・モーニング・ニューズ)によると「二〇〇五年にはテキサス州民のうち白人は半数を割っている」

 全米がカリフォルニア、テキサスに続きつつある。「一九六〇年に全米で八八・六%だった白人の割合が一九九〇年にはわずか七五・六%−三十年で一三%の減少……(二〇二〇年には)白人の割合は六一%にまで減少する」と、(フォーブス)のピークー・ブリムロウは述べる。共和党の最大にして最も信頼の置ける支持母体である欧米系民族が二〇五〇年にはマイノリティに転落する。

 

これら事実等からして、ブキャナン氏は、白人のアメリカが失われてゆくのを恐れ、白人社会への警告を発しているのです。

 

でも、何故ブキャナン氏は、白人を他の人々から別格に取り上げるのでしょうか?

それに、ブキャナン氏は「プロテスタントとカトリックとユダヤ教の国ではない。モルモン、ムスリム、ヒンドゥー、仏教、道教、神道、サンテリア、ニューエイジ、ヴードゥーから、無宗教者、無神論者、ヒューマニスト、ラスタフアリアン、妖術使いまで何でもありだ。」と記述しています。

でも可笑しいではありませんか?

プロテスタントとカトリックとユダヤ教」を一つに纏めるなら、何故その中に「モルモン、ムスリム」が一緒にならないのですか?

 

この著作の監訳者の解説において宮崎哲弥氏は「全体を見渡せば、宗教的にはキリスト教至上主義、民族的には白人優越主義の思想体質が透けて見える。……」と書かれていますが、このブキャナン氏のような偏狭さが、人々を不幸に導いてしまうのだと思います。

 

この民俗・宗教への偏狭さによる不幸を、ユーゴ紛争に認められます。

(以下、『ユーゴ紛争:千田善著:講談社発行』を参照させて頂きます)

 日本の7割弱の国土に、主要民族だけで6つ(少数民族を含めると30近く)、宗教は、三大宗教(東方正教、ローマ・カトリック、イスラム教)のほかに、数は多くないが、ユダヤ教やプロテスタント、更には仏教系焼きリスト系の新興宗教、聖人の1割以上が「無神論」の共産主義同盟に加入と言った具合の「モザイク国家」と言われていたユーゴはチトー大統領のもとで統一が図られていましたが、1980年彼の死後、1991年からは民族間の独立紛争の嵐によって多くの人の血が流されたのです

 

 そして、民族的なモザイク状態は、家族内でもその複雑さを呈しています。

この点を、千田氏は次のように記しています。

 

祖国を失った「ユーゴスラビア人」

 旧ユーゴで独特だったのが「ユーゴスラビア人」(以下「ユーゴ人」)だ。彼らは、古典的な「民族」にはあてはまらない。

 ムスリム人が「民族」として認められていなかった時代、彼らの多くが「ユーゴ人」と名乗った(そう指導された)。その後は、出身民族がことなる両親の子どもたちが「ユーゴ人」の中心になった

 ボイボディナ自治州には「ユーゴ人」が多い。主要民族以外にも多くの少数民族が何世代も住んでいる。九二年夏に会った難民収容所(体育館)のボランティアは、父方と母方の祖父母の民族籍がハンガリー人、スロバキア人、ルーマニア人など、全部違っていて驚いた。「ボイボディナでは珍しくない」と語っていたそのボランティアを含め、州人口の8.7%、11人に一人が「ユーゴ人」だ。

 ボスニアでも、九一年には五・五%の「ユーゴ人」が登録されていた。とくに都市部で多く、サラエボ中心部の小学校のあるクラスでは、同級生22人中18人が異なる民族籍の両親から生まれた子どもだった。サラエボを脱出した若い母親は「ユーゴはなくなったので、この子は、これからボスニア人ね」と、腕に赤ちゃんを抱きしめていた。

 七一年には全国で1.3%しかいなかった「ユーゴ人」は、81年には5.4%(121万9000人)に増えた。前年に死去したチトー大統領の遺志を継ぐため、多くの人が「ユーゴ人」として生きる決意を固めた影響もあっただろう。

 反対に、民族主義のうねりの中で実施された91年調査では、「ユーゴ人」をやめるものも多かった。調査員の中には「ユーゴ人なんて、冗談でしょう」と半ば強制的に、特定の民族名を申告させようとした者もいたという。

 国勢調査は民族主義を刺激すると、回答を拒否した人もいた。若者の中では「パンク」「黒ヒョウ」など、でたらめを記入するのも流行したという。ユーゴ崩壊と戦争を恐れて、新たに「ユーゴ人」と記入した人も、少数だがいた。91年に登録されたのは約72万人(3.1%)だったが、この人たちはその直後に祖国を失ってしまった。

 

 このような民族のモザイク国家(別にユーゴだけに限らず今後アメリカを初め世界の国々は皆民族のモザイク国家となって行くでしょう)が、民族の独立を煽れば、とんでもない不条理が生じます。

 

 その一例を、千田氏の「ボスニア政府軍の捕虜になり、己の罪の重さを痛感して、裁判長に自ら「死刑にしてください」と答えたというセルビア側兵士ポリスラフ・ヘラク(22歳)」に関する次の記述に認められます。

(引用文中、名前、地名などは一部省略させえて頂きました)

 

 戦争がはじまるまで、小学校卒(義務教育は入年制で、日本の中学二年相当)のヘラクはサラエボ市内の繊維工場で台車を押す労働者だった。友人の中にはムスリム人も多く、民族(宗教)が違うという理由でトラブルがあったためしはない。断食明け(パイラム)などイスラム教のお祝いの時にはムスリム人の家に招かれたし、セルビア正教のクリスマス(新暦一月七日)には逆に彼らを自宅に呼んだものだった。

 他民族と仲が悪いどころか、姉(三〇歳)はムスリム人のタクシー運転手のところに嫁いでいる。父方の祖母はクロアチア人だ。民族が入り混じって共存するボスニアの多くの人間同様、ヘラクも「純粋のセルビア人」ではない。戦争がはじまった後もへラクは、サラエボからセルビア側陣地に向かう五月一六日まで、ムスリム人やクロアチア人と一緒に、サラエボ防衛のための自警団パトロールに参加していた。

 ヘラクがセルビア側兵士になろうと決心したのは、しつこく誘う伯父の「来なければ民族の裏切り者になる」というひとことだった。「セルビア軍に志願すれば、家もテレビも、それに給料ももらえる」というのも魅力だった。「裏切り者」になりたくはなかったのはもちろんだが、いつかテレビを買うのが夢だったからだ。それに伯父は「サラエボに残っていれば、ムスリム人に殺されることになる」とおどかした。

……

その数日後、はじめて人間を殺した。サラエボ近くのDB村で捕虜にした六人のボスニア軍兵士だ。ヘラクは命じられて、三人をカラシニコフ銃で撃ち、残り三人は後ろ手に縛ったままナイフで殺した。○○という名の男は「たのむ、殺さないでくれ。おれには女房とまだ小さい子どもが二人いるんだ」と何度も叫んだ。ヘラクはだまって○○の首にナイフを当てた。上官から忠誠心を試されている、やらなければ自分がやられるとヘラクは思った。

しばらくして○○は、ヘラクの夢の中にあらわれるようになった。ヘラクは同じ夢を何十回も見た。そのたびに汗びっしょりになって目覚める。タバコをふかし、眠りに落ちると、また○○があらわれるのだった。

サラエボの北西七キロほど、A村での略奪のことはよくおぼえている。六月後半の午前中で、よく晴れた日だった。

 この日、ヘラクら100人ほどの部隊はトラック三台でA地域に到着した。現場には、セルビア本国からの「××部隊」約八○人がすでに到着していた。ヘラクは、元溶接工のR(四七歳)とその息子のD(一九歳)という親子兵と三人組になった。

 上官の命令は「A地域はセルビア陣地の間にある戦略的な地域で、セルビアの村として浄化しなければならない。動くものはすべて殺せ。村はムスリム人とクロアチア人だけで、セルビア人はいない。家はすべて焼き払え。仮に生き残ったものがいても、戻れないようにするのだ」というものだった。実際には略奪も目的だ。月給一〇ドイツ・マルク(約七〇〇円)ほどの兵隊たちにとつては、割りのいい「副収入」になる。

 最初の家には子どもを含む五人がいた。タンス預金のドイツ・マルクや金などの装飾品を出させた後、全員を撃ち殺す。電化製品など目ぼしいものを集めていると、外にトラクターが到着した。戦利品を荷台に乗せ、次の家に向かう。ここでは五〇〇マルク(約三万五〇〇〇円)を分捕った。主人夫婦が「セルビア人」と書かれた身分証明書を出したが、二人とも撃ち殺した。上官は村にセルビア人はいないといっていたし、テレビを持っているような金持ちは、たとえセルビア人でも殺してかまわない、とヘラクは思った。

 三軒日の家に入ると、……年取った方の頭をいきなりカラシニコフで吹き飛ばす。……中年の女も射殺した。

四番日の家では、子ども四人、女二人、男四人の一〇人が地下室に隠れていたのを見つけた。金目のものを出させた後、銃を突き付けながら、……だれかが「撃て」と叫んだ。……カラシニコフ自動小銃を腰だめにして引き金を三回引き絞ると、三〇発入りの弾倉が空になった。目ぼしいものを運ぶために、トラクターがもう一台必要だった。

 この「作戦」の後、ヘラクは近くのセルビア人の村で、念願のテレビを買った。テレビのほか、ビデオデッキと電気掃除機も買った。

 

 この様に悪行の限りを尽くしたセルビア兵士ヘラクが死刑になるのは当然ではありましょうが、戦争なんかが起こらなければ彼は民族への拘りもない一般市民だったのです。

ユーゴ紛争発生当時、日本に来られたユーゴの女性の方が、「昨日まで、お互い民族など意識せず無関係に仲良く暮らしていたのに、何故、急に憎しみ合い殺し合いを始めてしまったのか?とても悲しい」と嘆いておられる姿がテレビ画面に映っていました。

 

 何故斯くも、平和に暮らしていた市民が地獄に突き落とされるのでしょうか?

 

 困った事に、ブキャナン氏は、次のように又とんでもない事を書いているのです。

 

 若い世代は自国の歴史に驚くほど無知だ。テストの結果にも表れている。これは悲劇であると同時に危機でもある。最高裁は公立学校での宗教教育を禁じることはできても歴史教育を禁じることはできない。教師と父兄は適切な教科書を選定し、どの学年でも必ずアメリカ史を教えるよう取り計らうこと。わが国の歴史に比肩する歴史を持つ国はない。世界中がそう認識しているのだ――われわれが知らなくてどうする。歴史に夢中になる子は愛国心ある人間に育つ。……

 

ここで、ブキャナン氏は、「わが国の歴史に比肩する歴史を持つ国はない」と書かれていますが、「アフリカのイヴ」(或いは「ミトコンドリア・イヴ」)をご存じないのでしょうか?

地球上の人類のミトコンドリアDNAを追求した結果、全人類はアフリカの一人の女性(仮称:イヴ)に辿り付くのです。

同じく、アフリカの男性(仮称:アダム)に。

この件に関しては、下記のホームページに親切に解説されてあります。

http://www.biowonderland.com/OmoshiroBio/JapBasic13.html

ですから、どの国民もどの民族も、自分達の優位性を主張しても、皆歴史を遡れば、同じ祖先に行き着くのです。

 

このような事実を無視して、更には、いわゆる民族も宗教も複雑に入り組んできた現在の地球上では、民族、宗教の相違で争う事は全く馬鹿げた事なのです。

 

それでも、民族の歴史の件に関しては、ユーゴ紛争の中核ともなっている「コソボ」について、千田氏は次のように書かれています。

 

 セルビア民族にとつて教会以上に重要なのが、伝説である。クロアチアには、そのよう

な説話文学・伝承はない。

 なかでも六〇〇年前の「コソボの合戦」の悲劇的敗北は、民衆が文字を知らないなかでも、「グスラ」という、弓で弾く楽器に合わせ、うなるように物語を聞かせる語り部(グスラール)によって語り継がれ、歌い継がれてきた。……

 コソボの合戦は1389年の「ヴィドヴダン」に戦われた。セルビアのラザール公の率いるキリスト教連合軍が、服従を強要するオスマン帝国(オスマン・トルコ)軍に、……「コソボ・ボーリエ」で挑んだ。……

 セルビア側は、ラザールの娘婿M・オビリッチが、スルタンのムラトT世を殺す大戦果をあげた。投降すると偽り、スルタンの靴にロづけすると見せかけ、隠していた短剣で刺殺したのだ。しかし多勢に無勢、ムラトの息子バヤジツトが引き継いだオスマン軍にキリスト教連合軍は大敗した。……

 伝説のラザールは、オスマンの大軍相手の勝ち目のないいくさを前に、信仰と永遠の栄

華のため、全滅の道を選び、敵の軍勢の中に突撃して行く。

 伝説のラザールのように、実よりも名を、屈辱より死しての栄光を取る、そんな生き方

を理想とする考え方は、いまでも根強くセルビア人の中に残っている。また、日本人にと

っては卑怯な方法に思えても、スルタンと刺し違えたオビリッチはいまも英雄である。……

 史実としては、ラザールの後継者たちはオスマン軍の一翼をにない、ハンガリーやオー

ストリアの攻撃にも参加した。セルビア人による「キリスト教への裏切り」である。しかし、伝説にはあくまでも美談だけが残る。セルビア人は「キリスト教文明とヨーロッパを異教徒から守るために勇敢、悲劇的にたたかい、犠牲になった」自負を形成した。この伝説とキリスト教(正教)が、セルビア人の民族的自覚の根源となった。

 

 このように600年も前を引きずって、事ある毎に、民族間に憎しみの感情が湧き起こるのは余りにも愚かしい事ではありませんか?

それに「伝説にはあくまでも美談だけが残る」と言う事では、尚更です。

そして、更に、今では、オスマン軍の子孫、セルビア軍の子孫の多くは、互いの血が混ざり合っているのではないでしょうか?

 

歴史と言えば、日中、日韓間の歴史認識(少なくも第2次大戦中の南京虐殺、慰安婦問題等々)は、互いに異なっているではありませんか!?

何を持って歴史とするのでしょうか?

伝説ですか?

(いずれにしても、歴史伝説は、「コソボの合戦」のように、自国に都合良く語り伝えられて行くのではありませんか?!)

 

 それに、我が日本自体、国と国民の関係が成立したのは、明治以降ではありませんか!?

それまでは、全国を統一した徳川の時代でも、幕府と庶民の関係は、国と国民の関係ではなかったではありませんか?

 

 更に、徳川までは多くの藩のもとに分裂していた私達、より過去へと遡れば、私達は縄文人、弥生人、アイヌ人、或いは朝鮮、中国、中近東、はたまた、ロシアから来られた方々との血がいり混ざったりしているのでしょうが、今やそんな昔に拘ることなく、一国民として仲良く暮らしているではありませんか!

(只、「幕末の争いを未だに忘れずいがみ合う町間の合併が暗礁に乗り上げている」と言った市町村合併に関する新聞記事を見た事がありますが。)

 

 こんな私達が、日本国内で、民族だ、宗教などで分裂した旗印を掲げて争うのでしょうか?

例えば、道州制を導入の延長で、北海道、本州、四国、九州が恰もここの独立国形態になったとしても、お互いを敵国とみなし、自国のみの愛国心を高めるでしょうか?

そんな事はないでしょう?

現に、アメリカは50の州から成り立っておりますが、互いの州が敵対はしていません。

ブキャナン氏の指摘のように、近々カリフォルニア、テキサスにおいて、白人がマイノリティになっても、これらの州と、他州が敵対関係となる事はないでしょう。

 

でも、絶対ないとは言い切れないかもしれません。

オーム真理教の松本知津夫のような、とんでもない人物が現れて来て、人々を無差別殺人、戦争へと引き摺り込むかもしれません。

 

千田氏の『ユーゴ紛争』の「はじめに」に於いて次のように記述されています。

 

「○○民族が悪い」という書き方はしていない。悪いのは民族ではなく、民族主義をあおり、戦争をすすめた指導者達である。強制的に動員され、戦場で人間を殺させられた兵士をふくめ、圧倒的多数は犠牲者だ。……

 

 この「指導者達」が「民族主義をあおる」手段は、「マスコミと情報操作」となります。

千田氏は、次のようにも記述しています。

 

マスコミと情報操作

 旧ユーゴではかなり前から各共和国の利害、主張が対立していたが、テレビやラジオの全国放送はなかった。全国紙は一紙だけ。各地の方言・言語で印刷され、内容もバラバラの六共和国二自治州の新聞全部を読まないと「本当のユーゴは分からない」といわれたが、わたしは四紙がやっとだった。

ユーゴ紛争は八○年代後半、民族主義をあおったこれらのマスコミが準備した。戦時下でも、軍隊並かそれ以上に戦局を大きく左右した。各当局にとって、マスコミは国民を戦争に動員し、国際世論に訴える重要な武器だった

 

 更には、ノーム・チョムスキー氏(マサチユーセッツ工科大学教授)は『911 アメリカに報復する資格はない』(山崎淳訳、文藝春秋発行)の中で次のように記しています。

 

……人々を不合理で殺人的で自殺的である行動に駆り立てる、巧みなプロパガンダ組織の力を軽視すべきではない。冷静に見ることができるよう遠い例を挙げよう。第一次大戦だ。敵味方ともに、最高の目標のため気高い戦争を行った、などということがありえたはずがない。しかし、両軍とも、兵隊たちは相互虐殺に向かって大いなる高揚をもって行進して行った。ドイツでは、知識層と、兵士を動員した者たちの歓呼の声に送られて、政治的立場を超え、左から右まで、世界で一番力のある左翼政治的軍団をも含む軍隊は進撃して行ったのである。例外は非常に少なかったので名前を挙げることができる。最も優れた人のなかには、この戦争の気高さを疑ったため刑務所に入れられた人もいた。ローザ・ルクセンブルク(ドイツのマルクス主義者・革命家)、パートランド・ラッセル(英国の数学者、思想家)、ユージン・デブス(アメリカの労働運動家)らである。ウイルソン(米国の大統領・国際連盟の創始者)のプロパガンダ機関と、進歩的知識人の熱心な支持の助けによって、平和主義国家が数カ月のうちに狂ったような反ドイツ・ヒステリーに陥り、野蛮な犯罪者に復讐をする態勢を整えた。野蛮な犯罪の多くは英国情報局が発明したものだった。これは決して不可避ではなかった。われわれは近年の民衆闘争の教化的効果を過小評価すべきではない。進軍命令が出たというだけの理由で、破滅に向かって断固として歩き出す必要などない。

 

 この「巧みなプロパガンダ組織の力を軽視すべきではない」とのノーム・チョムスキー氏の指摘を裏書きするように、アメリカ・ブッシュ親子政権は、巧みな情報操作の結果、湾岸戦争、イラク侵略と、イラクを徹底的に壊滅状態に陥れました。

更には、冷戦終了後、当然の流れとして軍事費の縮小が期待されたのに、今では逆に以前に増して、ブッシュ親子、又、ブッシュ政権の主要人物等が直接間接的に関連する軍事産業は大繁盛で大喜びでしょう。

(拙文《ブッシュ元大統領と国防関連企業への投資会社との関係》等を御参照下さい)

 

なにしろ、我が国の小泉首相は「北朝鮮の脅威」を最大限に利用して、アメリカの軍事産業に多大の寄与をしようとするのです。

毎日新聞(2003.08.30)には、次のように書かれています。

 

防衛庁:概算要求4兆9600億円 ミサイル防衛1423億円

 防衛庁は29日、04年度予算の概算要求を発表した。総額は今年度比0.7%増の4兆9600億円。北朝鮮の弾道ミサイルに対処するため、ミサイル防衛(MD)システム導入の初期費用1423億円を、例年の防衛予算に上乗せする形で盛り込んだ。また同システム構築のための見積もりとして、07年度までに少なくとも総額5000億円が必要とする全体構想を明らかにした。

 防衛庁のMDシステムの全体構想は、04〜07年度に5000億円を投じ、(1)米国が独自開発したイージス艦発射型の迎撃ミサイル「SM3」と地上発射型の迎撃ミサイル「パトリオットPAC3」の購入(2)現有イージス艦4隻の改修(3)現有パトリオット発射システム(4個高射群分)の改修(4)地上レーダーの開発――などを順次行う。……

 

 そして、北朝鮮の脅威を振り回して、小泉首相は、「平和憲法の国」を「戦争する国」へと引きずり込んで行くのです。

 

 ブキャナン氏は“しかし今、アメリカ人を「一つに結束した民」と考える人がいるだろうか?”と記述され、そして、又セオドア・ルーズヴェルトの“この国をだめにし、国家として存続できなくさせる絶対的方策は、民族のごたまぜ状態にすることだ”との言葉を引用されて、又、ブキャナン氏は、ジョン・レノン氏と彼の作品であり、メッセージでもある『イマジン』を著作の中で皮肉を込めて非難していましたが、今日(10月19日)開幕した大リーグ・ワールドシリーズのヤンキース先発メンバー10名の内、アメリカ人は4名でした。

そして、その内の一人ジータ選手は、白人と黒人の混血です。

いわゆる民族のごたまぜ状態でした。

 即ち『イマジン』に歌われている「国」も「宗教」も超越した状態でした。

そして、ヤンキースのプレーヤーは、(勿論、対戦相手のマーリンズのプレーヤーも)一つに結束してプレーしていました。

 

 私達は、ヤンキースやマーリンズのプレーヤー同様、国籍、宗教の違いを超えて、仲良く手を携える事が出来るのです。

又、日頃は、手を携えているのです。

(紛争前のユーゴ国民同士のように。)

 

 ところが、一握りの政治家が、「戦争だ!」と声を張り上げ、マスコミがそれを煽ると、私達は、日頃仲良くしていた人達を殺傷してしまう、恐るべき戦争に簡単に突入してしまうのです。

 

 ですから私達は、日頃から、『イマジン』の歌詞に歌われる“その為に殺したり死んだりしなければならない国や宗教なんて無いこと”との言葉をしっかりと肝に銘じておくべきと存じます。

(なお、『イマジン』の歌詞への解釈に関しては、ブキャナン氏、また、その本の訳詞にも、私は、納得できませんので、拙文《イマジンと仏教と宗教》を書きましたので御参照戴きたく存じます。)

 

 そして、私達を陥れようと目論む政治家やマスコミに、日頃から、私達は目を光らせていなくてはならないのです。

 

 そして、戦争を仕掛けた側は勿論、仕掛けられた側も戦争を是認した政治家(又、マスコミ)は、少なくも戦争終了後は、自ら命を絶つべき事が当然と認識される世界に、私達は導いて行くべきと存じます。

 

 

 

(補足:2003.10.26

 今朝のサンデープロジェクトで、元首相の中曽根氏は、小泉首相から議員引退勧告を突き付けられた件で、次のように怒りの声をあげている様子が紹介されました。

 

 私は、マッカーサーの占領から解放された後は、憲法の改正、教育基本法の改正を訴え続けて、今まで、50年間、その使命感のもとに一途にやってきた。

その最後の仕事が、いよいよ目の前に来た状況になって、絶対に議員を辞める事は出来ない。

 政治家の使命感とはそういうものだよ。……

 

 この中曽根氏の「使命感」は、私には「執着」でしかないと存じます。

一般的には、或る目的の為に50年間一途に努力され、その目的の達成が目前まで来た時点で、己の年齢が85歳になっていたら、そこまでの道を築いた己に誇りを持ち、己は表に立つ事無く、その果実を摘む大役を若手に譲るのが人の道と存じます。

 

 しかし、中曽根氏が、斯くも「政治家の使命感」を叫ぶなら、自衛隊がイラクに派遣される際には、又、自衛隊が軍隊にでもなろう時には、中曽根氏は真っ先に志願して、戦場に出向いて頂きたいものです。

(そして、命を捨てて下さい。)

だとしたら、中曽根氏が訴える政治家の使命感に納得致します。


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