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政治家は議員を辞めたらタダの人の怪

20031029

宇佐美

 

 今回の衆議院選挙から、「自民党の比例区議員定年73歳制度」を実施すべく、小泉首相が、中曽根(85)、宮沢(84)両議員に引退を依頼した際、宮沢氏が潔く後進に道を譲るべく引退を了承したのに対して、中曽根氏は“突然やってきて引退勧告をするなど、まるで政治的テロだ”といった発言をして一時は引退を拒否されました。

 

 この件に関して、1026日のサンデープロジェクトでは、高野孟氏(インサイダー編集長)の“中曽根氏は引退して若者を集めて「愛国塾」等を開けばよい”旨の発言に対して、慶応大学教授の草野厚氏は“国会議員は再選されないとタダの人と言われるではないですか!あれだけの外交や、安全保障に対する見解を持って居られる方なのですから、もう一期位は、良いのではないでしょうか?”と発言していました。

 

 この“国会議員は再選されないとタダの人と言われるではないですか!”との草野発言は、一般社会常識をそのまま口にしてしまっているだけであって、若者に学問を教える立場にある大学教授としては誠に不的確な発言と存じます。

 

 この発言をそのまま受け取れば、次のいずれかの事態となります。

1)                     世の中の全ての人は、所詮「タダの人」でしかないが、「国会議員になると、タダの人から何か特別な人に豹変するのである。」

2)                     所詮「タダの人」の能力しかない輩が、国会議員なっているので、そんな奴等は、国会議員を辞めたら、もとの「タダの人」になるだけだ。

 

少なくとも、一般常識は、前者ではなくて、残念ながら、後者の、“「タダの人」ばかりが、国会議員になっている”との意味でしょう。

 

 でもこんな事態を私達は、当然の如くに受け入れて居て良いのですか!?

 

 更には、日本道路公団の藤井治芳総裁が、石原国土交通相と105日に会談した際、「藤井氏は、政治家のイニシャルを挙げて道路行政と政治家の不正を示唆した」とのニュースが流れても、私達は、“当然そんな事はあろうな”的感覚で受け止めてしまいます。

事実マスコミも、当初は石原報告をおもしろ可笑しく報道する位で、“藤井発言の真相を問いただせ!”とか、石原氏や政府などを追及する姿勢を取っていませんでした。

 

 このように、私達は、「政治家はタダの人」だったり、「不正を当たり前のようにやる人種」と認識し続けていて良いのでしょうか?

そんな政治家達には、懲りずにあくまでも「NO!」を言い続けなくてはいけないのだと思います。

 

 ですから、草野氏が中曽根氏の能力を評価すればする程に、中曽根氏の国会議員への執着を、草野氏は悲しむべきだと思います。

 

 拙文《愛国心と政治家と戦争》に書きました、私の中曽根氏への見解をここに再掲させて頂きます。

 

 ……サンデープロジェクトで、元首相の中曽根氏は、小泉首相から議員引退勧告を突き付けられた件で、次のように怒りの声をあげている映像が紹介されました。

 

 私は、マッカーサーの占領から解放された後は、憲法の改正、教育基本法の改正を訴え続けて、今まで、50年間、その使命感のもとに一途にやってきた。

その最後の仕事が、いよいよ目の前に来た状況になって、絶対に議員を辞める事は出来ない。

 政治家の使命感とはそういうものだよ。……

 

 この中曽根氏の「使命感」は、私には「執着」でしかないと存じます。

一般的には、或る目的の為に50年間一途に努力され、その目的の達成が目前まで来た時点で、己の年齢が85歳になっていたら、そこまでの道を築いた己に誇りを持ち、己は表に立つ事無く、その果実を摘む大役を若手に譲るのが人の道と存じます。

 

 一方、宮沢氏に関しては、田原総一朗氏が、“宮沢氏は、保守本流を歩いてきた人である。そこである時、宮沢氏に「保守本流の政治家に一番大事なものは何か?」と聞いたら「品」だと、「品格」だと答えた”と大変示唆に富む話をされていました。

(確かに宮沢氏には、穏やかな「品」を私は感じます。)

「品」のある人間が、殺し合いである戦争をやろうとするでしょうか?!

勿論、宮沢氏は「護憲論者」です。

 

 しかし、今時、テレビに映し出される、どの政治家の顔に「品」、「品格」を感じますか!?

「品」どころか「貧」ではありませんか?

特に、テレビ朝日の「たけしのテレビタックル」に出演する保守の政治家(評論家)達は、男女を問わず醜く顔を歪めて怒鳴り合っていますよ。

 

彼等醜い政治家達でも、「貧」ではなく、「品」を高めて行くと「貴(noble)」となるのでしょう。

 

となりますと、拙文《戦争なんかいらない》にも書きましたが、「noblesse oblige」を必然的に自ら感じるでしょう。

(研究者新英和辞典に拠りますと、「高い身分に伴う(道徳上の)義務」とあります。)

(「金持ち喧嘩せず」でもあります。)

 

 ジミー・カーター氏の大統領時代には、私は新聞テレビから縁遠いサラリーマン生活を送っていました、それでもカーター大統領は大好きでした。

カーター氏がレーガン氏に大統領選で敗れ去ったのがとても信じられませんでした。

 しかし、大統領退任後は、最も偉大なアメリカ元大統領との賛辞を受けつつ、「世界平和」へと個人の資格(NGI(Non-Governmental Individual. 非政府個人)で活動され、ノーベル平和賞を授与され、又、アメリカのイラク攻撃の際には、ニューヨークタイムズに、「イラク戦争批判論」を寄稿(3月9日)されております。

その全訳文がホームページ(下記)に掲載されてありましたので、その一部を謹んで抜粋させて頂きます。

http://www1.jca.apc.org/aml/200303/32819.html)

 

……我が国の安全が直接脅威にさらされているわけでもないのに、また世界中のほとんどの国々や人々から圧倒的に反対されているにもかかわらず、アメリカは文明国史上空前の愚行に今まさに踏み切ろうとしている。

 すでに広く一般公開された作戦計画によると、まず開戦直後、数時間のうちに3000発ものミサイルや爆弾を無防備に近いイラク住民に投下するという。その目的はというと、爆弾によって人々を傷つけ士気をくじけば、彼らがあの不快なフセイン大統領を追い出すだろうとふんでいるのである。ただ、これらの集中爆撃の最中、フセイン自身は避難場所に隠れて安全に空爆をやりすごすだろう。……

 ……攻撃が正当化されるためには、国連などの認めた法的な裏付けがあることが必要である。

満場一致で可決された、イラクの大量破壊兵器を破棄するという安保理決議は今でも尊重されるべきだが、アメリカ政府が発表した新しいゴールは、政権交代を実現させて、米軍の支配下に置き、民族的に分裂したイラクで長ければ10年もの間占領政策を続けるというものだ。……

 今ある政治体制をぶちこわして築かれる国家は、以前よりも明らかに改善された平和社会でなくてはならない。

 イラクの将来については、平和と民主主義のビジョンはあるものの、軍事侵略の余波を受けて湾岸地域が不安定になり、テロ活動を誘発して米国内の安全まで危機におとしいれる可能性が大きいのである。……

 ますます単独主義的にいばりちらす政策は、国際社会における我が国の信頼を、思い出せる限り最低のレベルまで失墜させてしまった。もしここで国連のお墨付きもなく侵略戦争に踏み切ったなら、アメリカの名声は確実にさらなる衰退を招くだろう。……

 

 実に素晴らしい論評ではありませんか!

アメリカのイラン侵略後の今をも、的確に予見されておられます。

 

 日本の政治家も、カーター元大統領を見習って欲しいものです。

 

 結局は、小泉首相の引退勧告を受け入れた中曽根氏は「(終身比例1位という)党の厳粛な決定を蹂躙するのは許されない。」と改めて批判しつつ、今後も持論の憲法改正や教育基本法改正などの課題に取り組むとの事ですが、何か変ではありませんか?!

 

 中曽根氏ご自身は、憲法や教育基本法を改正しようとなさっていて、「(終身比例1位という)自民党の決定」が改正されると怒っておられるのは、可笑しくありませんか?

自民党の決定の方が、憲法よりも厳粛な決定なのでしょうか?

 

 中曽根氏は教育基本法をも改正したいようですが、教育とは教える側が「斯くあれ!」と押し付けるのではなく、教わる側が「その様になりたい」と思うのが自然なのではありませんか?

例えば、「松井秀喜選手のようになりたい」とか、「中田英寿選手のようになりたい」とか、或いは、もしかしたら「ノーベル賞の田中さんのようになりたい」と言った具合に。

 

若し、中曽根氏を尊敬する子供が居たら、何も教育基本法を変えずとも中曽根氏のようにその子供はなろうと努力するでしょう。

しかし、中曽根氏以外に教育基本法の改正に熱心だと言われている森前首相、町村前文科相(拙文《愛国心と政治家と戦争》を御参照下さい)の様になりたいと思うお子さんが居るのでしょうか?

 

 「品」とは、保守本流の政治家だけに必要なのではありません。

人間誰しも、金よりも名誉よりも、人生の最後の到達点は「品」、「品格」ではないでしょうか?

 

 先の番組で、松原聡東洋大学教授は、“宮沢さんは、拡張財政をやってきた人で、これからは緊縮財政の時代になってきたので出番はないかもしれないが、中曽根さんは憲法改正ですから、今こその思いが強いのでしょう”旨のありきたりの発言されていましが、私は反対です。

 

今の時代だからこそ、「品」を尊ばれた宮沢氏に、私は、より以上の活躍を期待したいのです。

 

 私達日本人は、ほんの少し前までは「エコノミック・アニマル」と世界から嘲笑されました。

そして、今や、アメリカ追随主義の「国益アニマル」への道を驀進しようとしています。

(拙文《日本は「奇跡の憲法」を捨てて「国益アニマル」に転落するのか》を御参照下さい)

 

 もういい加減に、アメリカ、日本などの先進国は「国益(とんでもない政治家達の利権)」を度外視して、「noblesse oblige」を他国に遂行する義務があるのではないでしょうか?

 

 そして、今一度、日本は大事な平和憲法(人類の宝となるべき「奇跡の憲法」(拙文《平和憲法は奇跡の憲法》を御参照下さい))を、そして、その前文を思い起こして下さい。

 

日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであって、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 この平和憲法の前文に盛り込まれた精神を全うしようと努力する事で、私達日本国民の「品」「品位」が自ずと高まって行くのではないでしょうか?

この前文こそが、教育の基本ではありませんか!?

 

 勿論この精神を貫いて行くのは並大抵な事ではないでしょう。

時には、世界中から罵声を浴びせられ、疎んじられるかもしれません。

(或る意味では、「湾岸戦争」の際のように)

そして、その様な時こそ、政治家(そして、外交官)は世界に向けてこの平和憲法の精神を全力をあげて訴え続けるべきなのです。

そして、日本国民がこの崇高な目的が達成出来るように道を切り開いて行く努力をする事こそが、政治家の使命なのだと思います。


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