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外務省とマスコミの怠慢(吉田茂氏の謎)

2003719

宇佐美 保

 田中真紀子氏は、外務大臣任期中に余りの能力の無さ(特殊能力は別として)を露呈されて、外務省OBなる方々から、“営々と築き上げてきた外務省の歴史を汚す人物”と非難されていました。

 

 しかし、その外務省の歴史は、本当に輝かしい歴史なのでしょうか?

彼等の同僚であるワシントン駐米大使館員達の怠慢行為により、太平洋戦争開始の宣戦布告が真珠湾奇襲の後にしか、アメリカ側に通告出来なかった為に、我々は「卑怯な日本人」と呼ばれる嵌めに落とし入れている事実を彼等は忘れているのでしょうか?

(この件は、拙文「外務省の怠慢」にも書きました。)

 

 そして、この件をより明確に確認する為、外務省の第十二回外交記録公開(平成611月)で公開された「昭和16127日対米覚書伝達遅延事情に関する記録」全文のコピーを入手すると、尚、驚くべき事実に出くわしました。

 

先ず、「昭和22814日付・結城司郎次極東軍事裁判証言予定要旨並びに在米大使館の責任問題に関する私見」の記述を見れば、「築き上げられてきた外務省の歴史」が如何なるものかを認識されるでしょう。

即ち、次なる記述です。

(1)      今更責任者ノ処分ヲナスハ不適当ト認ム

……

要スルニ本件ハ関係者ノ怠慢トカ官紀ノ弛緩等ニ依ルノデナイコトハ、十ケ月ニ亙ル日米交渉ヲ通ジ関係者ノ献身的努力ノ実績ニ徴シテモ明カデアル。

 事情右ノ通ナルト共ニ、他方過去数年問処分セズニ放置セル問題ヲ世間ガ問題ニシクルガ為今更慌テテ渋々乍ラ処分シタトノ印象ヲ与へルコトハ、外務省ノ威信ヨリスルモ賢明ノ策トハ考へラレナイ

 とんでもない失態をしでかしそれを隠蔽しようとする外務省に「外務省ノ威信」なるものが存在するのでしょうか?

その上「本件ハ関係者ノ怠慢トカ官紀ノ弛緩等ニ依ルノデナイコトハ、十ケ月ニ亙ル日米交渉ヲ通ジ関係者ノ献身的努力ノ実績ニ徴シテモ明カデアル。」と白を切っているのです。

そして、この時点から、国民が世界中から卑怯者との非難を浴びようが、外務省の(中身の希薄な)威信を大事にするというお役人根性が既に蔓延っていた事が判ります。

 

一方、西春彦・元外務大臣東郷茂徳被告の主任弁護人(元外務事務次官)が岡崎勝男外務事務次官に宛てた、遅延事情の真相説明を求めるとともに外務省関係者の証人選定を依頼した書簡には「斯る重大問題に失態ありし以上切腹して御詫び申すが至当なり」との記述が見られます。

……本日の部会に於て例の十二月七日の対米覚書手交遅延問題が取上げられ種々の意見出で申候。日く当時の海軍武官補佐官某氏(目下巣鴨入監中)は事情を知り居るとの事故証言を求め可然、日く野村大使に証言を求むるは適当ならず井口又は松平氏に依頼しては如何、当時の担当者は誰か(奥村氏なる事先般野村大使より弁護団に話されたり)、事件の始末書は外務省に詳細出来し居る由の処、斯る重大問題に失態ありし以上切腹して御詫び申すが至当なり、彼は今何を為し居れりや等々。

 小生は過去半歳に亘り本件証人を得るに腐心せるも未だに成功せず。嘗て寺崎次官に申入れしも、大臣の御意向として本件は此侭になし置く様にと仰せ付かり居れりとの事にて、始末書の件も況や証人問題も全く要領を得ずに引取り申候。……

 

 この結城氏と西氏のどちらの言い分が正当かはその他の史料を見れば歴然としています。

 

先ずは、問題の127日(アメリカ(ワシントン)時間)以前の電文には、昭和201030日付・奥村勝蔵陳述書に「本省カラ電信暗号機ハ一台丈ケヲ残シテ他ハ破壊セヨトノ訓令ガ来タ」との記述を見る事が出来ます。

……本省カラ電信暗号機ハ一台丈ケヲ残シテ他ハ破壊セヨトノ訓令ガ来タ。(注:1)当時暗号機ハ二台使用中デ、又之デ電信処理ハ充分行ハレテ居タノデアルガ、私ハ、今後日米交渉ガ如何ニ発展スルカモ知レズ、従釆ノ経験デハ一台ヲ以テシテハ急ノ間テ合ハナイコトヲ知ッテ居タカラ、私自身ノ責任ニ於テ、此ノ訓令ハ差当り執行ヲ見合セル様電信課ニ注意シタノデアル。……

(注:1)外務省記録には見あたらず。いわゆる『マジック』によれば、122日東郷大臣発電報第867号を指す(THE MAGIC BACKGROUND OF PEARL HARBOR VOLUME W)

このように「暗号機ハ一台丈ケヲ残シテ他ハ破壊セヨ」との訓令に接したら、事態は緊迫していると思うのが世間の常識でしょう。

(更に驚くのは、此処で、奥村氏は「私自身ノ責任ニ於テ、此ノ訓令ハ差当り執行ヲ見合セル様電信課ニ注意シタ」との訓令違反行為を得意げに記述しているのです。)

 

 この背景のもと、126日、日本から打電された第901号電報を次に掲げます。

昭和16126日東郷外務大臣より在米国野村大使宛(電報)

 「対米覚書」発電について

別 電 一二月六日付東郷外務大臣より在米国野村大使宛第九〇二号「対米覚書」

付 記 右別電訳文

本省 126日 発

第九〇一号

一、政府二於テハ十一月二十六日ノ米側提案二付慎重廟議ヲ尽シタル結果対米覚書(英文)ヲ決定セリ

二、右覚書ハ長文ナル関係モアリ全部接受セラルルハ明日トナルヤモ知レサルモ刻下ノ情勢ハ極メテ機微ナルモノアルニ付右御受領相成りタルコトハ差当り厳秘二付セラルル様致サレ度シ

三、右覚書ヲ米側ニ提示スル時期ニ付テハ追テ別二電報スヘキモ右別電接到ノ上ハ訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様文書ノ整理其他予メ万端ノ手配ヲ了シ置カレ度シ

 

 そして、この第901号の別電たる第902号(対米覚書:MEMORANDUM)の内の13通を本省は6日午後830分に打電します。

以下に掲げるこの覚書の第1項からして、国交断絶の最後通牒である事が直ちに判ります。

 (付 記)

一、帝国政府ハ「アメリカ」合衆国政府トノ間ニ友好的諒解ヲ遂ケ両国共同ノ努力ニ依リ太平洋地域ニ於ル平和ヲ確保シ以テ世界平和ノ招来ニ貢献セントスル真摯ナル希望ニ促サレ本年四月以来合衆国政府トノ間ニ両国国交ノ調整増進並太平洋地域ノ安定二関シ誠意ヲ傾倒シテ交渉ヲ継続シ来リタル処過去八月ニ亘ル交渉ヲ通シ合衆国政府ノ固持セル主張並ニ此間合衆国及英国ノ帝国ニ対シ執レル措置ニ付玄ニ率直ニ其所信ヲ合衆国政府ニ開陳スルノ光栄ヲ有ス

なにしろ、これに続く電文は、凡てこの様に、「帝国(日本)が誠心誠意日米交渉に打ち込んできたのにアメリカ合衆国は、自国の主張のみを押し付け、帝国の立場を無視せんと断じざるを得ない。」旨を書き綴っており、新たな交渉の提言は一字一句たりと無いのです。

ですから、最後の第14通目は、見るまでもなく、その内容が、日米交渉の打ち切り宣言である事が判ります。

 

 武蔵野女子大学教授の杉原誠四郎氏の著作「日米開戦とポツダム宣言の真実(亜紀書房発行)」には次の記述があります。

 真珠湾奇襲前日の十二月六日夜、日本の最後通告第十三部までの解読電報を読んだルーズベルトは、「これは戦争を意味している」とつぶやいた。

 更には、この最後の第14通を打電する前には、次の注意書きが送られているのです。

昭和16126日 東郷外務大臣より在米国野村大使宛(電報)

「対米覚書」の機密保持方訓令

          本 省 126日 発

第九〇四号

往電第九〇二号ニ関シ

申ス迄モナキコト乍ラ本件覚書ヲ準備スルニ当リテハ「タイピスト」等ハ絶対ニ用セサル様機密保持ニハ此上共慎重ニ慎重ヲ期セラレ度シ

 

 この様に、“暗号機ハ一台丈ケヲ残シテ他ハ破壊セヨ”“右別電接到ノ上ハ訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様文書ノ整理其他予メ万端ノ手配ヲ了シ置カレ度シ”“「タイピスト」等ハ絶対ニ用セサル様機密保持ニハ此上共慎重ニ慎重ヲ期セラレ度シ”との異常と思える警告電報を受けながら、(事実、“ルーズベルトは、「これは戦争を意味している」とつぶやいた”というのに、)大使館員は、全員送別会に出掛けてしまうのです。

この嘆かわしい様子は、次に掲げます。

昭和21620日付・堀内正名回答書

  日米開戦当時華府大使館デノ対米通告ノ電報解読並ニ浄書ニ関スル事実ニ付テ。

当時ノ大使館電信官 堀内正名記

               (昭和二十一年六月二十日提出)

……

三、事ノ緊急性ヲ判断シ電信課員ニ警告ヲ与エルノハ其ノ地位カラシテ井口参事官ノ責務ダツタロウト思ウガ、対米通告ノ電報ニ関シテハ誰カラモ何等ノ警告ヲ受ケナカッタ。

 電信課員ハ本件通告電報ノ十三本目迄ヲ処理シタ時ハ、之ガ緊急電報デモナカッタシ又内容カラシテ最後的ノ緊急且重大ナモノトハ認識セズ非常ナ緊迫ハ感ジナカッタ。当日書記官室ノ方デモ本件電報ヲ見乍ラ「戦争ニナル時ハ最後通牒ガ来ルヨ」ナンテ話合ッテイタシ、同夜(六日夜)(本件電報十三本目迄解読後)館員全部ガ支那料理屋デ寺崎書記官ノ南米転勤送別会ヲヤッテイタ様ナ次第デ、他ノ館員モ同様本件電報ヲ以テ最後的ノ重大電報トハ認メテ居ナカツタ様ニ思ウ。尚皆緊迫ノ場合ハ前以テ予テノ通知ニ基ク警戒警報ガ来ルト言ウコトガ頭ニ在ツタコトト思ウ。……

 

 如何に大使館員全員に緊迫感が無かろうが、「右別電接到ノ上ハ訓令次第何時ニテモ米側ニ手交シ得ル様文書ノ整理其他予メ万端ノ手配ヲ了シ置カレ度シ」、そして、「「タイピスト」等ハ絶対ニ用セサル様」との電文を受け取っているからには、タイプ役の一等書記官奥村氏は、少なくとも送別会後に大使館に戻って、既に到着解読済みの13通のタイプ打ちを行っているべきだったのです。(なにしろ、彼自身の報告書では、彼のタイプの腕前に関して“「タイプ」は決して上手な方ではない”と書いてもいるのですから。)

 

 ところが、先の杉田氏の著作には、次の記述があります。

AERA』(平成三年八月二十日号)「「真珠湾騙し討ち」は在米大使館員の怠慢」の記事で、この件については、開戦当時外務省内で東郷の秘書官を務め最後通告文打電にかかわった加瀬俊一、開戦当時ワシントンで海軍武官補佐官を務め、開戦後日本に帰るまで外務省職員と大使館に同居した実松譲、また当時の大使館員藤山楢一が証言していた。これらの証言により、奥村が緊迫の前夜、打つべきタイプを放置して知人宅にトランプをしにいったという件は疑いえない明白な事実となった

 

そして、次に掲げる、第14通目は、7日午後4時(ワシントン時間:7日午前2時)までに発電完了しています。

七、惟フニ合衆国政府ノ意図ハ英帝国其ノ他卜苟合策動シテ東亜ニ於ケル帝国ノ新秩序建設ニ依ル平和確立ノ努力ヲ妨碍セントスルノミナラス日支両国ヲ相闘ハシメ以テ英米ノ利益ヲ擁護セントスルモノナルコトハ今次交渉ヲ通シ明瞭卜為リタル所ナリ斯クテ日米国交ヲ調整シ合衆国政府卜相携へテ太平洋ノ平和ヲ維持確立セントスル帝国政府ノ希望ハ遂ニ失ハレタリ

仍テ帝国政府ハ茲ニ合衆国政府ノ態度ニ鑑ミ今後交渉ヲ継続スルモ妥結ニ達スルヲ得スト認ムルノ外ナキ旨ヲ合衆国政府ニ通告スルヲ遺憾トスルモノナリ

 

 ところが、この非常事態電報を受け取る体制として、先の堀内報告書には、次の記述の通り電信課員の宿直を井口参事官は拒否していたのです。

二、電信課ニハ最後マデ宿直者ハナカッタ。

 交渉開始後モ館内ニ宿直者ノ居レル余地ガナカッタシ(自分ノ着任(十六年三月)以前ニモ電信課宿直員ノ話ガ出タガ、部屋ガナクテ駄目ニナツタト聞イテ居タ)、皆自動車ヲ持ッテ居テ、最急ノ場合ハ十分以内デ躯ケツケレルカラ大丈夫ダト言ウ考カラ宿直者ヲ置カズニヤッテ来テ居タガ、交渉ノ進展ニ伴レテ宿直者ヲ置コウジャナイカト言ウコトニナリ、偶近藤、吉田ノ両課員ガ増員トシテ着任シタノデ、確カ十一月ノ中旬卜記憶スルガ、両名ヲ宿直者トシテ大使館内ニ宿泊サシテ呉レト自分達カラ井口参事官ニ御頗イニ行ツタガ、部屋ガナイト言ウコトデ実現に至ラナカツタ

 

 それでも、奥村書記官がトランプに行かず、前もって、第13通までをタイプしていたら、開戦通告は、真珠湾奇襲の前(ワシントン時間:午後1時)に間に合っていたのです。

昭和214月・堀内正名陳述要旨

 ……右別電中十三本ハ同夜即チ七日午前一時頃迄ニ全部解読ヲ了シ、最後ノ一通ヲ待チタルモ来ラズ。一応帰宅ノ上朝食後可成早ク登庁スルコトトシ、午前五時半帰宅セリ。

一、「七日午前九時半頃、大使館宿直者ヨリ至急電接到シ居ル旨電話連絡アリ。他ノ電信課員ニモ至急連絡ノ上午前十時頃登庁セル処、至急電、普通電合計四、五通アリタリ。(電報到着ノ時刻ハ記憶ナシ)

 「午前十時頃ヨリ直ニ至急電ヨリ解読に着手セル処、……最後ノ至急電ハ対米通告手交時間指示ノ訓令ニシテ、本訓令解読終了ハ午前十一時頃ナリ。

一、次デ普通電解読に着手セルガ、之対米覚書ノ第十四通目ニシテ其ノ出来上リタルハ丁度正午頃ニシテ、電信課員一同間ニ合フベシト思ヒ喜色アリタリ

 

 なにしろ、第14通目の英文は、次のように短い文章です。

Z Obviously it is the intention of the American Government to conspire with Great Britain and other countries to obstruct Japan’s efforts toward the establishment of peace through the creation of a new order in East Asia, and especially to preserve Anglo-American rights and interests by keeping Japan and China at war. This intention has been revealed clearly during the course of the present negotiation. Thus the earnest hope of the Japanese Government to adjust Japanese-American relations and to preserve and promote the peace of the Pacific through cooperation with the American Government has finally been lost.

 The Japanese Government regrets to have to notify hereby the America Government that in view of the attitude of the American Government it cannot but consider that it is impossible to reach an agreement through further negotiations.

 (英語の不得意な私(一字一句綴りを確認しながら)でも、この文章をキーボード入力するのには15分で出来ました。)

 

従って、大使館から国務省への道のりが約10分ですから、タイプ打ちを2回位訂正したところで、約束の1時(遅くとも、真珠湾攻撃予定時刻の午後130分)には間に合っていたのです。

 

ですから、以下に抜粋しました「(昭和216月)・大野勝巳総務課長による総括意見」は誠に当を得ているのです。

……

第二、判断

 以上の諸点に鑑み左の判断が下される。

1)大使館首脳部が電信課員のみに依る電信非常時執務態勢を整備せしめて置かなかったということは、あの国家非常の時に際しての在外公館の事務遂行上不行届きであったという非難を免れない。〔欄外記入B〕

2)十二月六日深更までに解読を了していた十三本分のテキストの浄書が時を移さず着手されていたとしたら、翌七日の朝に浄書のために費やした時間と労力を省き得たものと考えられる。即ち最も好調に進行していたとしたら、翌朝は訂正電を挿入するのと十四本目の解読分を付加するのみで仕事は完成していたと思われるが、この点は直接電信課を統轄し且つ浄書の任に当った首席書記官〔欄外註記C〕の任にあった館員の職務怠慢乃至注意不十分たるの責めを免れない。以上。

 欄外記入     B「野村大使、若杉公使、井口参事官」、C「奥村書記官」

 

 ところが、前掲の西春彦主任弁護人の書簡に“大臣の御意向として本件は此侭になし置く様にと仰せ付かり居れりとの事にて、始末書の件も況や証人問題も全く要領を得ずに引取り申候。……”と書かれているように、当時の外務大臣吉田茂は、この不始末を不問に付そうとしていたのです。

 

 その理由として、先の杉田氏は著作の次の記述の中で吉田氏の無能を非難しています。

昭和二十年九月十七日、重光葵の後を継いで吉田茂が外相となった。昭和天皇とマッカーサーの最初の会談は、マッカーサー元帥側からの発案で九月二十日にその意向が伝えられた。

 当然その際、通訳が問題となるが、吉田茂外相は、よりによって日米開戦に当たって重大な失態を犯した外務省職員奥村勝蔵を通訳に当てた。……

 この点で、私が思うに、吉田外相は、大事な会談の通訳にこんな奥村氏を当ててしまった不明を恥じて、奥村氏の罪を外務省の内部調査から隠蔽しようとしたのかもしれません。

 

 しかし、杉田氏の著作は、引き続き次の事が書かれています。

 この第一回目会談のとき、当然この「騙し討ち」のことが問題になった。まだマッカーサーも「騙し討ち」の真相は知らず、日本が計画的、意図的に「騙し討ち」をしたとしか公式には分からない段階である。

 このとき、アメリカの記録では、天皇は、アメリカ政府が日本の宣戦布告を受け取る前に真珠湾を攻撃したのは天皇の意図ではなかった、東条に騙されたのだ、と述べたとある

 昭和天皇の人柄からして、ほんとうに東条に「騙された」(tricked)という言い方をしたかどうかは疑問だが、アメリカ側としてはそのように聴きとれる可能性のある発言があったことはたしかである。昭和天皇もこの時点では、真珠湾攻撃が「騙し討ち」となったことの真の理由を知らなかった。しかしそのとき通訳をしていた者がその原因を作った張本人であったのである。

 

 そして、次のようにも杉田氏は、吉田外相総理を非難しています。

 このような日本大使館の失態にかかわる人物はさらにいる。……当時の参事官を努めていた人物がいる。この人物は、昭和二十年十月に、終戦連絡中央事務局総務部長になり、その後、戦時下での東京ローズの謀略放送を担当したかどで公職追放となるが、昭和二十五年外務省に戻り、いきなり外務次官になり、講和会議の際の政府随行員の中心を務めている。……

 何ゆえに、いまから見れば「騙し打ち」の失態にかかわったこれらの人物にこのような不思議なことが起きたのか。この時期に外務大臣、総理大臣をつとめた吉田茂の責任は大きい。……吉田の首相時代、外務省への人事介入は放恣をきわめ、吉田に気に入られない者はつぎつぎと追い出されたようだ。

それでいて駐米日本大使館の館員であった者で追われた者はいない。それどころかその失態の最高責任者二名は、外務省の最高の職に就くことができたのである。右の昭和天皇とマッカーサーの会見の通訳を務めた人物は、アメリカ英語が不得意であるにもかかわらず抜擢されたので訝しく思ったが、それは吉田の直接の指図によってであったことをあとから知ったと手記で述べている。

 

 更に、杉田氏は次のように書き吉田茂元首相を非難しています。

 昭和三十五年、日米修好百年祭が行われた。時は安保闘争のさなかで必ずしもよい時機ではなかったが、このとき吉田は、特別親書使節団の団長になってアメリカに渡った。その途次五月十二日、ハワイのホノルルに立ち寄った。日米開戦の地ハワイに戦後の日米関係を形成したとされる元首相吉田茂が来たのであるから、日米開戦に当っての声明が何か出るものと地元では待ち構えていた。しかし声明は何もなかった。たまらなくなって記者団が会見を申し込んだが、しかし吉田は「老体で疲れているから」と言って記者会見を断った(それでいて食後にフラダンスを見に行っていた)。

 本当に、マッカーサーも(天皇も)、そして又、吉田氏も「真珠湾攻撃が「騙し討ち」となったことの真の理由」を知らなかったのでしょうか?

そして、吉田氏が単なる無能者だったのでしょうか?

 

 杉田氏は別の箇所で、次のようにも書いています。

 ヤルタ会談でも、チャーチルは日本に対しての「無条件降伏」方式をやめたらどうかと意見を出したが、ルーズベルトと、すでに日本に野心をもっていたスターリンはこれに反対した。

 つまりルーズベルトの「無条件降伏」とは、勝敗が決定的となった状況にいたっても、いっさいの降伏条件を示さず、まさに「無条件」の降伏を迫るというものである。いっさいの降伏条件を示さないわけだから、相手国は降伏の機会を得ることができず、また降伏後のことがいっさいわからない無条件降伏なるがゆえにいっそう結束して戦わぎるをえず、結局、戦争は最後の最後まで続くことになる。そうして相手国が崩壊し、相手国の領土が焦土と化し、完全な軍事占領が打ち立てられたとき戦争は終結するということになる。……

 ルーズベルトが、偏執的とも思えるほどに「無条件降伏」方式に固執したのはなぜか。ルーズベルトの心中は不明だが、彼が日米開戦にあたってさまざまな弱みをもっていたことを忘れてはならない。今日、ルーズベルトは日米開戦に当って日本帝国海軍の真珠湾攻撃を事前に知っていたということがほぼ実証されている……しかるに前線に対してこれを通知せず、何らの防禦策も講じなかった。……真珠湾攻撃の翌日、ルーズベルトは議会で「日本政府は、平和の維持について偽りの言明と表示のもとにアメリカを欺いていた」と言って国民を誘導した。アメリカ国民は、日本は計画的に「騙し討ち」をしたと戦争が終わるまで思い込んで戦った。大統領としては開戦も避戦も完全に自由にし得たのに、あえて開戦を選んだことを考えれば、開戦責任を対等に議論しあう余地の残る講和による終戦は、ルーズベルトとして絶対に認めることはできなかったであろう。……

 

 そして更に、次のように書かれています。

大統領ルーズベルトが戦後に国際連合を設立しょうという野心をもっていたこととも関係するのだが、ルーズベルトは、枢軸国に対して無条件降伏を強要する理由のひとつにもなった。これは、枢軸国が壊滅するまで戦争を続けるということで、その意味するところは、終戦後、開戦責任について日本やドイツに、対等に話し合う立場が残ってはならないということであった。だからユダヤ人が虐殺されているのを知っていたのに、ドイツの無条件降伏までその虐殺を放置したのである。

 当然、彼は日本にも無条件降伏を強いた。たださいわいなことに、一九四五年四月、ルーズベルトが急死した。そのために日本の降伏は、ルーズベルトの予定した無条件降伏方式にはよらなかった。ルーズベルトが急死したとき、はげしい沖縄戦が繰り広げられていた。

 

 杉田氏が非難されるように、吉田氏は本当に単なる無能無責任者だったのでしょうか?

私には、彼が有能と言えないまでも、少なくとも狡猾な人物だったのだと思います。

即ち、彼はアメリカ側と取引したのだと思います。

(この取引をどちらが最初に持ちかけたのかは判りませんが。)

 「東条が、真珠湾の奇襲を成功させる為に、故意に最後通牒を攻撃後にアメリカ側に手渡すように仕組んだ。(況わんや、大使館員の責任ではない!)」との日本側見解と交換に、アメリカ側から「天皇制の存続」或いは、その後の数々の援助、「日米安保条約」等々を引き出したのではないでしょうか?

 

 何故この様な、吉田外相とアメリカ側との取引が成立したかは、アメリカ側の立場に立てば、いとも簡単に判ります。

(ですから多分、アメリカ側の圧力に吉田は応じたのだと思います。)

若し、日本側が、故意に開戦通告を遅らせて「真珠湾の騙し討ち」を成功させたのではなく、本当は、攻撃前に開戦通告をして、それから「真珠湾の奇襲」を仕掛ける予定だったのに、ワシントン駐在日本大使館の怠慢行為で開戦通告が奇襲後になってしまって事情が、東京裁判なのはっきりと、世界に認知されてしまったら、どうなるでしょうか?

それまでは、「卑怯な日本人」で片付けられていた話が、ガラリと様相を変えてしまうではありませんか?

即ち、「怠惰な日本の外務省」と「間抜けなアメリカ人」と世界中が騒ぎ立てる事となりましょう。

なにしろ、開戦通告が予定通りワシントン時間の1時にアメリカ側へ通告されていたら、アメリカは、その30分後の真珠湾攻撃に何ら対処出来ず、いわゆるの「真珠湾の騙し討ち」通りに、「真珠湾の奇襲」が成功してしまっていたのです。

(勿論、日本を騙し討ちに引きずり込んだアメリカ側は、あんなにも見事な奇襲を仕掛けられるとは夢にも思っていなかったでしょう。)

 

 この事実をアメリカ国内が知ってしまったら、亡くなってしまったルーズベルトは兎も角、その側近達,又、彼の跡を継いだトルーマンも非難の嵐に巻き込まれるはずです。

っして、この非難の嵐が巻き起これば、ルーズベルトの仕込んだ、日本を開戦に導く為の罠(ひいては、アメリカ国民を参戦に誘導する仕掛け)が、次々とアメリカ中世界中に暴露されていった事でしょう。

そんな事態を、当時の(現在のでも)アメリカ上層部は、なんとしても避けようと図ったはずです。

 

 そして、その解決策として、敗戦国という弱い立場の日本へと圧力を掛けたでしょう。

その圧力に屈したふりをして、その圧力を吉田外相は旨く利用したのかもしれません。

(或いは、仕方なく屈したのかもしれません。)

 

 このアメリカ側の申し出(私は多分そうだと推測しているのですが)を、実行するには、罪を全てA級戦犯になる東条に押し付けるのが一番簡単で一番ボロが出ないのです。

 

 ですから、吉田外相は、天皇とマッカーサーとの第一回目会談のとき「真珠湾の騙し討ち」を、「天皇は、アメリカ政府が日本の宣戦布告を受け取る前に真珠湾を攻撃したのは天皇の意図ではなかった、東条に騙されたのだ」と、本来なら、東京裁判で戦犯として裁かれて当然の、大失態をしでかした当時ワシントン大使館一等書記官奥村勝蔵(彼の失態がなければ、真珠湾の被害者の何人かは助かっていたとの論理が成り立ちます)に、因果を含めて通訳させたのでしょう。

(勿論、天皇は日本語でどのように説明されたかは、マッカーサーには判らないし、奥村も、天皇のお言葉ではなく、吉田に言い含められた言葉をマッカーサーに英語で述べたのかもしれません。)

 

 そして、吉田外相は、その後に、秘密が漏洩しないように、彼、そして又、彼の上司であった当時の参事官井口貞夫(館務統括)を、外務次官までに引き立てて、外務省内部の調査告発の道を閉ざしてしまったのではないでしょうか?

 

 しかし、この吉田氏の狡猾な振る舞いのお陰で、日本は経済的には発展出来ましたが、「卑怯な日本人」と蔑まれ続け、以来日本では問題の責任者が責任を取る事が無くなり、無責任国家へと没落してしまったのです。

 

何故、ワシントンの大使館のトップだった野村大使、来栖大使等は率先して責任を取らなかったのでしょうか?

そして、冒頭に掲げた 「昭和22814日付・結城司郎次極東軍事裁判証言予定要旨並びに在米大使館の責任問題に関する私見」の記述に又驚かされるのです。

三)万一処分ヲナス場合ハ直接ノ係官ノミナラズ大使館首脳部全部ヲ処分スルコト然ルベシト認ム。

 本件ノ様ナ不幸ナ事実ノ発生シタノハ単二直接事務担当者(事務総長井口参事官、奥村書記官、堀内電信官等)ノ責任ノミデハナク、前記ノ如ク平和維持ニ対スル自己ノ熱意ニ影響セラレタル大使館首脳部ノ事態ノ認識欠如ニ原因スルトコロ大デアル、依テ両大使、若杉公使ハ別トシ、直接担当官ノ外他ノ一等書記官及本省ヨリ出張援助中ナリシ結城書記官等モ共ニ処分方然ルベシト認ム。

 何故役人達は、「両大使、若杉公使ハ別トシ」との如くに、自分たちのトップを庇うのでしょうか?

この体質は、西弁護人にも「野村大使に証言を求むるは適当ならず井口又は松平氏に依頼しては如何……」との記述のように纏わり付いているようです。

悲しい事に、日本人は、この体質を今も引き摺っているようです。

 

そして、「平和維持ニ対スル自己ノ熱意ニ影響セラレタル大使館首脳部ノ事態ノ認識欠如ニ原因スルトコロ大デアル」と言った具合に、現在の多くの日本人に認められる自己弁護に始終するのです。

この自己弁護は、別の記述にてより如実に顔を出しています。

(ロ)又東京政府モ攻撃開始直前僅々三十分間ニ斯カル重大ナル結果ヲ伴フ通告ヲ了セシムルガ如キ際ドイ芸当ヲ企図スル以上、手続上ノ訓令ハ今少シク親切ニスルコト然ルベク(例ヘバ「訓令次第何時ニテモ手交出来ル様予メ書類等ヲ準備シ置カレタシ」ノミデナク、日曜日中ニモ手交ノコトトナルヤモ知レズトカ、十四本目ノ接到ヲ侯タズ接到セル分ヨリ直ニ清書シ置クベシトカノ一寸シタ注意等)、然ラバ本件ノ如キ間違ハ起ラナカッタト思ハレルガ、他方斯カルコトハ当時ノ日本ノ実情トシテハ防牒上ヨリモ困難デアツタノダト思ハレル。)

 こんな馬鹿げた自己弁護をすれば、より自分が惨めな存在になる事を、役人達には判っていないようです。

大使館館員全員、日本の運命を背負っているとの認識を持っていれば、「今少シク親切ニスルコト然ルベク」等と、甘ったれた要望を一瞬たりとも頭に浮かべる事を、恥ずかしいと感じる筈です。

それも書面に認める等、以ての外です。

 

 最近、愚かな政治家達が、戦前の教育勅語的な教育が必要とほざいていますが、その教育勅語で教育された役人達は、以上の有様なのです。

(そして、愚かな政治家達も多分同様な教育を受けてきたのでしょうが?)

 

 それにしましても、このような体たらくなワシントン大使館館員達の不手際によって「真珠湾の奇襲」が「真珠湾の騙し討ち」となってしまい、その結果、「真珠湾の騙し討ち」が、アメリカの原爆投下の口実にもなっているのですから、原爆での被害者の方々は、憤懣やる方ない想いではないでしょうか?

そして、亡くなった方は、何ともお気の毒です。

更には、ルーズベルトの決断次第では、やらなくても良い戦争だったかもしれないのですから、日米ともの多くの戦争犠牲者は大変お気の毒と存じます。

 

 そして、この吉田取引で、ルーズベルト大統領の謀略が、闇へと葬られた結果、その手法が永続して、現在ブッシュ大統領に引き継がれていると思うと、アフガニスタンやイラクの方々がお気の毒で堪りません。

勿論、この吉田取引説は、私の想像です。

でも、その存在を疑い追求すべきと存じます。

 

我々日本人は、今日の繁栄と引き替えに、卑怯者達の烙印を押されているのですから、吉田取引説の解明もさることながら、外務省の怠慢行為を、外務省もマスコミも世界の人々に明らかにして、日本人の身の潔白性を世界に広めて欲しいものです。

更には、ルーズベルト大統領のように、自国民を騙して戦争へ巻き込んでも、いずれその嘘はばれる事を明確にして欲しいのです。

 

 
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