目次へ戻る

戦争とマスコミ

2003年4月9日

宇佐美 保

 私は、アメリカのイラク攻撃に関するマスコミ報道に大変不満です。

アメリカは「イラクの大量破壊兵器保持」を非難していたのに、「大量破壊兵器」が見つからないと、ついには「暴君フセインの圧政からイラク国民を解放する」を旗印にしてイラクを攻撃してしまいました。

イラク国民の誰が、アメリカにフセインを倒してくれと依頼したのですか?

最近では、ポスト・フセインに亡命イラク人の某氏を据えるなどとテレビは放映しています。

だたしたら、その某氏は「戦争によって、多くのイラン国民が血を流し、命を落とそうと構わないから、イラクに攻め入ってフセインを倒してくれ」とアメリカに嘆願していたのですか!?

 

何故、このアメリカの変遷、理由無きイラク攻撃をマスコミは非難しないのでしょうか?

 

フセインは本当に暴君なのですか?

週刊誌などに紹介されるイラクからの亡命者達の話はどの程度真実なのですか?

アメリカの侵入前に、数日間バグダッドを取材した結果のテレビ放映画面からは、北朝鮮と違って明るさが私達に伝わって来ていました。

(取材に赴いた評論家田原総一朗氏は“フセインが怖くてはっきりした真実を彼等は述べることが出来ないのかもしれないが……”との推測を付け加えていました。)

 

 しかし、益岡賢氏のホームページ(http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/)には、「マイケル・アルバートによるノーム・チョムスキーへのインタビュー」が掲載されていましたのでその一部を抜粋させて頂きます。

サダムが犯した圧倒的に最悪の犯罪は、国内で犯されたものである。1980年代後半の、クルド人に対する化学兵器の利用と、大規模な虐殺、残虐な拷問、そして、想像しうる限りのあらゆるおぞましい犯罪を犯した。これは、正しくも、サダムが現在批判されている犯罪のトップにリストされているものである。これに対する熱のこもった批判と憤りの雄弁な表現が、「我々の援助で行われた」という句をどれだけ伴っているかどうか調べるのは有用である。

当時からこうした犯罪はよく知られていたが、その当時、西洋はそんなことにほとんど関心を示さなかった。サダムは、軽く叱責されただけだった。評論家たちは、議会が厳しい非難決議を行うのは、行き過ぎだと述べていた。レーガンやその取り巻き、そしてブッシュ一世は、サダムという怪物を、彼が最悪の残虐行為を行っている間もその後も、同盟者として、そして大切な貿易パートナーとして歓迎していたのである

ブッシュは、サダムがクウェートに侵略するその日まで、貸付保証を与え、大量破壊兵器(WMD)に適用できることが明白な先端技術を売却していた。しばしば、それを阻止しようとする米国議会の努力を乗り越えてである。英国は、クウェート侵略数日後まで、軍事機材と放射性物質の輸出を認可していた

ABC特派員で現在Zネットのコメンテーターをしているチャールズ・グラスが生物兵器施設を(商業衛星と脱走者の証言で)発見したとき、ペンタゴンはその話をただちに否定し、その話は葬られた。この話は、サダムが、クウェート侵略により、最初の「真の犯罪」である、米国への不服従の罪を犯し(あるいは米国メッセージを誤解したとき)、友人から即座にフン族のアッチラの再来とされたときに、再び持ち出された。

 このノーム・チョムスキー氏の談話にありますように、フセインはとんでもない暴君であったのかもしれません。

だからといって、欧米社会の人間がイラクに攻め入って彼を倒す権利があるのでしょうか?

(それに、「レーガンやその取り巻き、そしてブッシュ一世は、サダムという怪物を、彼が最悪の残虐行為を行っている間もその後も、同盟者として、そして大切な貿易パートナーとして歓迎していたのである」とあっては、尚更です。)

 

イラクと現代の欧米社会と事情が違うのではありませんか?

日本の現在と、何百年か前と社会事情が違うのと同様に。

 

 日本での英雄的存在の織田信長をフセインと比較すると、どうなるでしょうか?

信長は、弟信行を殺し,比叡山の焼き討ちし、一向門徒の大量虐殺を犯しています。

更に、先見の明ある彼は戦いに鉄砲を日本で最初に投入し、その鉄砲隊で長篠の戦に武田勢を見事に破った事実ですら、見方を変えたら、槍刀の戦いに大量破壊兵器(鉄砲)を持ち込んだと非難することも可能でしょう。

しかし、こんな事を書いたところで、織田信長は、時代のヒーローなのです。

時代が違うのです。

文化も違うのです。

 

 ですから、フセインの世界と我々も含めた現代の欧米社会と違うのではありませんか?

物事の尺度が違うのではないでしょうか?

 

 と申しましても、何よりもフセインの真実を、日本で一番はっきりと把握している(把握していなければならない)のは、膨大な機密費を抱えている外務省ではありませんか!?

何故その外務省からのフセインの暴虐さが私達に伝わってこないのですか?

(少なくとも、小泉首相の発言の際など)

それに若し、フセインが暴君であるとの情報をつかんでいたら、外務省は何故今まで、その件でフセインに異論を唱えてこなかったのですか?

日本は、多額のODA援助などで、(今までは)イラクに厚く信頼されていたのではありませんか!?

なのに、今回のアメリカ侵攻前の川口外務大臣の発言は「日本の国益」のみでした。

 

別文「暴君はフセインですか?アメリカではありませんか!」にも書きましたが、今、私達にマスコミから伝えられている情報が、ラムぜー・クラーク氏(1961〜68:米国法務省次官、長官)の著した『湾岸戦争』(地湧社発行)の記述とあまりにも乖離しているのです。

 

 マスコミの携わる方々はこの著書を読んで居られるのでしょうか?

それとも読んでこの著書は「虚実の書」とでも思われているのでしょうか?

私はこの本のどのページを開いても、驚愕の事実に目頭が熱くなります。

 

 例えば、先の湾岸戦争の嚆矢だったイラクのクウェート侵攻を、私達はとんでもないフセインの暴挙と理解していましたが、ラムゼー・クラーク氏は、“アメリカの策略にフセインが踊らされた結果”であると以下のように記述しているのです。

 ブッシュ大統領がイラクのクウェート侵攻を防ぎたいと思っていたなら、なぜ、その意図をサダム・フセインに伝えなかったのだろうか。ブッシュ政権は、その意図を知らせるのではなく、別のシグナルを送り続けた。国務省のケリー次官補とグラスピー駐イラク米国大使はサダム・フセインに対し、クウェートとイラクの紛争は地域間題だと、すなわち米国の介入はないと、はっきり伝えている。イラクのクウェート侵攻のちょうど四カ月前、ケリー次官補はサダム・フセインを「紛争の抑制力」と呼んでいる。米国民はこの国務省次官補の発言に大きな注意を払わなかったが、外国の首脳もまたそうだった。けれども、ペルシャ湾岸の石油資源が、欧州、日本、米国の経済にとって死活問題となるほど重要なことを知っていながら、イラクの明白な軍事力増強を目の前にして、なんら侵攻防止を講じようとしないことなど想像できるだろうか。防止する意思がそもそもあったのだろうか。

一方、もイラクのクウェート侵攻を知ると、ブッシュ大統領は信じられないほど俊敏に動いた。サウジアラビアへの軍事支援を発表し、米軍を受け入れるようサウジアラビアに圧力をかけ、米軍をサウジアラビアに派遣し、軍事的にも政治的にも使えるものはすべて動員して、紛争の解決に役に立ちそうな交渉を妨害した。

これだけでも、大統領がイラク破壊の意図をもっていたと主張するに足る証拠である。

 この記述を見て、はたと当時を思い出しました。

確かに、「グラスピー駐イラク米国大使とサダム・フセインとの会談」が、マスコミに登場していました。

しかし、当時は、この会談がアメリカの謀略の一翼とは、多くのマスコミも(私も)気が付きませんでした。

中日新聞 1990/09/14を下記に引用させて頂きます。

イラク大統領の侵攻意図 米大使が読み違え? 7月末会談 軍事行動を“黙認”

【ワシントン13日三輪特派員】イラク軍のクウェート侵攻の直前、フセイン・イラク大統領と会談した駐イラク米大使(女性)が、クウェートに対する軍事行動を示唆する大統領に、反論しないばかりか、黙認するかのような態度をとっていたことが13日、明るみに出た。ホワイトハウスは直ちに「米政府が侵攻を認めるような態度をとったことはない」と否定したが、会談の内容については認めている。
会談の記録全文を入手したとするワシントンポスト紙が13日付で報じたもので、それによると、フセイン大統領がエイブリル・グラスピー米大使とバグダッドの大統領官邸で会談したのは7月25日。

その席で大統領は「われわれは(石油価格の維持に協力しない)クウェートの経済政策を一種の軍事行動とみている。もし、解決策が見つからない場合、自らの死を受け入れることはできない」と、対抗手段としての軍事力行使の可能性を示唆した。また「米国の社会は一度の戦いで、米側に1万人の死者が出ることを受容できないだろう」と、多数の犠牲者が出る危険をおかしてまで米国が介入することはないとの見方を示した。

これに対しグラスピー大使は「イラクが戦後再建のため資金を必要としているのは分かっている。イラクとクウェートの国境紛争のようなアラブ国家間の問題にはわれわれは介入しない」と述べ、さらに「米大統領はイラクとの友好増進を望んでいる。彼は知的な人間で(議会が進めようとする)対イラク経済制裁には反対だ」と答えた。

ホワイトハウスのフィッツウォーター報道官は「大使が、フセイン大統領の意図を読み違えたのではないか」とする記者団の質問に対し「当時の米国はイラクとの友好関係を増進中であり、大使は米国の意思を正しく伝えた。イラクの行動を黙認したとする見方は全くばかげている」と述べた。

グラズピー大使はキャリア外交官。フセイン大統領との会談後の30日からロンドンで夏休みに入り、クウェート侵攻の8月2日以降は帰任する代わりにワシントンの国務省で執務中という。

 この記事を見るように、誰もが“駐イラク米グラスピー大使は、なんと愚かな発言をフセインにしたのだろうか、そんな発言をしたからフセインは図に乗ってクウェートに攻め入ったのだ”とグラスピー大使の愚かさに憤りを感じていたのです。

ところが、グラスピー大使は愚か者ではなかったのです。

彼女の行動発言はブッシュ謀略の一環だったのです。

 

 そして、このような背景から次の記事(読売新聞:1990・08・05東京朝刊)を見るとアメリカはクウェートを(そして、全世界を)も騙していたことがはっきりと浮かび上がってきます。

 

「イラクのクウェート侵攻ないと保証された」駐米大使会見国防総省ヨミ違い

【ワシントン三日=山田寛】クウェート領内に侵攻する前、国境地帯に集結したイラク軍の企図について、米国防総省と中央情報局(CIA)のヨミが大きく食い違い、ブッシュ大統領ばかりかクウェートまで惑わせたことが明らかになった。

クウェートのナシル・アツサバハ駐米大使は二日記者会見した中で、イラクの企図について「われわれは疑いを持っていたのだが、米国などから侵攻はないと保証された」と、ぶぜんとした表情で打ち明けた。

だが、CIAのスポークスマンによれば、CIAは今回「非常に良い情報活動を行い、事態を正確にフォローしていた」という。

だが、国防総省が、イラクは、あくまで脅しの大デモンストレーションをしているだけ−−との見方で固まっていて、CIAの足を引っ張ったようだ

また、先に駐イラク大使がサダム・フセイン・イラク大統領に会見した際、直接侵攻はないと保証されたことも、国務省の安心ムードを強めたらしい。

CIAと国防総省の情報機関とは激しいライバル関係にある。

 当時は、この記事にあるような事実を、この記事を書いている記者共々誰もが、アメリカ国防省の判断ミスと思わされていたのに、今、気が付きます。

 

 ですから、この件に関して、ラムゼー・クラーク氏は次のようにも記しているのです。

 イラクのクウェート侵攻が行われた一九九〇年八月二日以前から、米国がイラクの破壊を計画していたという証拠が大量にあるのに、メディアはこの検証を行わなかった。また、米国がクウェートと共謀してサダム・フセインを攻撃へと駆り立てようとしたという証拠が大量にあるのに、メディアはこれを一度もまともに取り上げようとしなかった。

 イラクのクウェート侵攻の直前に行われたエイプリル・グラスピー駐イラク米国大使とサダム・フセインとの会談の内容メモについて、連邦裁判所は一九九二年四月、政府の主張通り、国務省はこの公開を行わなくてもよい、との判断を示した。この時、メディアは「もみ消し」だと騒ぎもしなければ、メモの公開も求めなかった。騒ぎも公開要求もせずに、どのような話し合いがなされたのかという事実そのものを無視した。

 何故メディアはこの会見内容のメモの公開を求めないのでしょうか?

 

 その背景を、ラムゼー・クラーク氏は続けます。

 他国の人々を収奪するという点で、米国に比肩する帝国は歴史上存在しない。第二次世界大戦後から一九六〇年代に至るまで、米国は、世界の五%の人口で世界の生産の半分以上を消費した。米国国内の富の集中と貧富の格差はともに著しく、他の先進諸国と比べようがないほどである。

一九九二年には、米国の世帯数の一%の最富豪族が、米国の全資産の三七%、営業資産の六二%、公開株の四九%、非居住用不動産の四五%を所有するに至った。

この豊かな一族は、メディアを所有し、メディアに広告を出す広告代理店を所有し、ごく限られた範囲の考え方と情報しか国民に与えないようにしている。これは、自分たちの利益と欲望を米国の国内・海外政策に反映させるためである。米国を統治しているのは、この富豪階級である。

(中略)

米国の宣伝工作と文化的帝国主義は、自由、民主主義、善意、友好、多民族調和を売り歩く。だが、米国以外の国々の何百万人もの人々が、この美名のもとに、米国の軍国主義と暴力の謳歌という伝染病に感染して苦しんでいる。

 日本のマスコミは、このようなアメリカ・マスコミと同じとは思いません。

でもおかしいではありませんか?

今回のアメリカのイラン侵攻でもマスコミ報道は全てアメリカ政府の統制下にあります。

その上、アメリカ軍は「カタールの衛星テレビ局アルジャジーラ」(同国政府の出資を受けながらも、アラブ世界の中では並外れて独立した報道姿勢を保っている)のバグダッド支局を攻撃二人の記者を死傷させ、又、外国人ジャーナリストが取材の拠点にしているホテルを戦車から砲撃し数人を死傷させています。

 しかし、この件に関して朝日新聞には次のように書かれていました。

……米統合参謀本部のマクリスタル作戦副部長は同日の会見で、「市街戦の危険性は何度も説明してきた。それでも、そこに身を置いたのはあなた方だ」とメディア側に責任を転嫁する一方、兵士には自衛権と応戦義務があることを強調した。謝罪の言葉は一切なかった。

 (中略)

3人のジャーナリストには短い哀悼の言葉のみで、「戦争は本質的に悲劇的なものだ」と述べるにとどめた。 ……

 「兵士には自衛権と応戦義務がある」ということは、ジャーナリストの命よりも「兵士の権利と義務」が優先するというのでしょうか?

戦争は本質的に悲劇的なものだ」というなら、そんなものは止めて下さい。

なのに、日本のマスコミはこんな不条理な戦争を非難しません。

“戦争には「情報戦争」も包含されるのであるから、アメリカ政府から流される「宣伝工作」も許される”と多くのマスコミ人が発言しています。

「フセインのイラク社会へ民主主義をもたらす」とブッシュは発言して居ますが、「情報操作して国民に真実を伝えない」アメリカは民主主義なのですか?

 

 情報を一部の人間が占有して政治を行うのでは民主主義ではなく寡頭政治ではありませんか!

それとも、ラムゼー・クラーク氏の記述にある、「一%の最富豪族」内の民主主義なのですか?

 

 そんなアメリカと知ってか知らずか、元駐タイ大使岡崎久彦氏は“日英同盟で発展し、その後英国を離れ独伊と組みアメリカと争った悲劇を思い起こす迄もなく、日本は歴史的にアングロサクソンと与して行くのが一番幸せなのだ”とテレビで発言していました。

 こんな二度程度の体験で日本の運命が判断出来るというのですか?

又、たとえ、日本にとって幸せでも、米英の立場では日本と組むのが幸せですか?

(片思いではありませんか?)

彼等が日本と対等の付き合いをしますか?日本を利用するだけではありませんか?

金の切れ目が縁の切れ目となりませんか?

彼等が日本をしゃぶり尽くし放り出したら、その後日本はどうするのですか?

 民主主義の恩恵からはじき出されている残りの99%のアメリカ人が、目覚める時が来ないわけでもないでしょう。

そんな時には、主体性のない日本は相手にして貰えなくなっているかもしれません。

 

 しかし、以前、朝日ニュースターの番組「パックインジャーナル」中で、東海大学助教授の葉千栄助教授が“日本の国土は、アジアに浮かぶ不沈航空母艦的(無料で使用出来、お金まで貰える)存在でもあるのだから、日本がいくらアメリカに苦言を呈しても、アメリカが日本を見捨てることは無い” と発言し、元朝日新聞編集委員の田岡俊治氏も同意されていました。

 

 でも本当にそうでしょうか?

確かにアメリカにとって日本はアジアでの重要な戦略基地ではありましょう。

しかし、アメリカはいつまで日本を対等なパートナーと見なしますか?

ある日突然アメリカが“日本は原子力発電用のプルトニュームを核兵器に転用している”と言いがかりをつけて、今回のイラクへの侵攻同様に「自衛的先制攻撃」と宣告して日本に襲いかかって来ないとも限りません。

(これが怖くて、日本はアメリカにNO!といえない「アメリカの属国」となるのですか?)

 

 かって、衛星放送の画面を通じてではありましたが、テレビ東京の番組WBSに出演中の亀井静香氏へ面と向かって“腐った政治家”と罵倒した、ニューヨーク市立大教授の霍見芳浩氏は、日刊ゲンダイの紙面では次のように発言されています。

(そして、亀井静香氏が腐った政治家であること実証のように、そのとき以降、霍見芳浩氏の姿を、テレビ東京の画面で拝見することが出来なくなりました)

 拙著「アメリカのゆくえ、日本のゆくえ」でブッシュ帝国主義の暴発を警告したが、ネオ・コンの源流は40年ほど前になる。それまでは東部の富裕な中道穏健派が共和党の主流で、内向きの保守政治を好んでいた。しかし、その後南部や西部の石油成り金や中小企業主の国粋保守派の白人たちに占領された。

 彼らは使用人以外の有色人種を嫌い、民主的市民連帯の内外策を敵視する。民主主義の騎士を気取るが、保守反動で言論の自由、妊娠中絶、人種平等そして国際協調を拒否し、自分たちの偏見を「神の教え」と正当化する。ワシントン・タイムズ紙やフォックス・ニューズテレビなどの御用メディアを使い反対者を潰すのには手段を選ばない。「テロ奇襲の後ろ盾がサダム・フセイン」とのブッシュの大ウソなどネオ・コンの手口である。この大ウソを信じたのが米国民の半分と小泉首相である。

 このようなアメリカのとんでもないウソを信じる日本人は小泉首相だけではなく、アメリカ報道をそのまま垂れ流すマスコミ、そして、それに踊らされる大多数の日本人です。

こんな事で良いのですか!?

 

数ヶ月前でしたか、アメリカの「湾岸戦争」への突入を煽った「保育器の報道」(「ナイラ」とのみ紹介された十五才の少女が、イラク兵士が嬰児を保育器から取り出して、「冷たい床の上に置き去りにして死なせる」のを目撃したと主張した)が、駐米クウェート大使の娘が「ナイラ」になりすました偽証であって、しかも、この裏には、この偽証をクウェート市民団体の出費でアメリカの大手広告会社が取り仕切っていたと紹介していました。

ところが、この偽証に対して、マスコミは偽証少女、クウェート、アメリカなどを非難することなく、戦争には、“情報操作も当然”ですましていました。

 

 この度のイラン侵攻の象徴的場面でもある「フセイン像の崩壊」に対する放送も、ラムズフェルド国防長官は「ベルリンの壁の崩壊に匹敵する」と得意げなコメントを記者達に開陳していましたが、その際のテレビ画面にはフセイン像を引き倒したアメリカ軍の車両は映っても居ません、又、フセイン像を取り巻くイラク人の人数はバグダッドが寒村なのかと思う程の少なさでした。

そして、その場のイラク人がどのような人達かをマスコミは追求していません。

画面を見た世界中の多くの人達は、「フセイン像の崩壊」は「アメリカのやらせ」と解釈したでしょう。

でも、このやらせをほとんどのマスコミは非難しません。

アメリカ軍の砲撃を受け死傷者も出したホテルには約300人の世界からのジャーナリストが宿泊していた筈なのに、何故彼等からの報道がないのでしょうか?

アメリカの規制ですか?では何故この規制に非難お声を上げないのですか?

戦争には危険でない場所はないのだからと報道関係者への砲撃を正当化し、情報を自らの管制下に置くアメリカに反旗を翻すことなくして、マスコミは職務を果たしているといえますか?

 

 一言「戦争」と宣言すれば、マスコミを初め全てがその怪獣である「戦争」に、「怪獣様(戦争様)のお通りだ!」と言って、ひれ伏さなくてはならないのですか?

この怪獣が手のつけられない怪獣に大化けして行く事をなんとしても食い止めなくてはいけないのです。


 それにしましても、今回のアメリカのイラク侵攻は戦争でしたか?

「弱いものいじめ」であり、そして、「侵略」ではありませんか?

なのに「戦争」との「錦の御旗(?)」(「悪魔の御旗」)を振り回すのはインチキではありませんか?


目次へ戻る