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イマジンと仏教と宗教

20031018

宇佐美

 

ジョン・レノンの『イマジン』の歌詞に対して、アメリカ共和党の大物パトリック・J・ブキャナン氏の著作『病むアメリカ滅びゆく西洋(宮崎哲弥監訳:成甲書房発行)』には次のように記述されています。

 

 レノンはポスト・キリスト教主義社会の到来の夢を『イマジン』の歌詞に込めている……

 

 想像してごらん 天国などないと

 簡単なことだろう

 僕らの下に地獄はない

 はるか頭上に空があるだけ

 想像してごらん 誰もが今日を生きるさまを

 

 想像してごらん 国境などないと

 難しいことじゃない

 殺し合いなど起こらない

 宗教も何もない

 想像してごらん 誰もが平和に暮らすさまを

 

 自称「本能的社会主義者」レノンは、すべてのものは共有で「何ひとつ占有しない」社会を夢見ていたらしいが、四十で早世したとき、ちゃっかり二億七千五百万ドルも貯め込んだ大富豪だったという事実が知れ渡った。が、レノンや盟友ポール・マッカートニー、ボブ・デイランらの描く世界がユートピアに過ぎないとわかっても、若者を魅了する力は衰えなかった。なぜなら彼らは崇高なるヴィジョンのもとに、キリスト教に代わる新しい信仰を提案したから。

『ジョン・レノンの遺産』の著者デイヴィッド・ノーベルによると、この詩人ソングライターは自分の立場をしっかり把捉していたという。六〇年代半ば、レノンの発した預言は全米を唖然とさせた。「キリスト教は消えてなくなる。間違いなく。僕の言ってることが正しいことはじきにわかるよ。今や僕らはイエス様より人気者だ」

 

 ここに掲げた『イマジン』の日本語訳は、ブキャナン氏の『イマジン』に対する解釈を反映するように訳されているのだと思いますが、このブキャナン氏の『イマジン』に対する解釈(日本語訳)は、間違っているのではないでしょうか?

 

 先ずは、朝日新聞(2003.9.1)の次なる記事を掲げます。

 

「イマジン」はヨーコとの合作 英紙「レノン認めた」

 31日付の英日曜紙サンデー・タイムズは、故ジョン・レノンさんの名曲「イマジン」が、妻のオノ・ヨーコさんとの合作であり、第2次世界大戦中の日本で少女時代を過ごしたオノさんの願いを反映したものだと報じた。曲の由来を、英BBCが9月20日にドキュメンタリー番組で放映する。

 同紙によると、フレーズの「イマジン」は、オノさんがレノンさんと出会う前につくった詩から取り入れられた。レノンさん自身も死の2日前のインタビューで、「レノンとヨーコの業績とされるべきだ」と認め、オノさんの貢献を公にするのは男の体面にかかわると考えていた、と話したという。

 

 この記事から判りますように、『イマジン』の歌詞は、オノ・ヨーコ氏の思想が反映されていると思います。

(少なくとも、この詩を作成した当時は)日本人であるオノ・ヨーコ氏だからこそ、最初のフレーズで「天国」も「地獄」の存在、即ち来世の存在を否定しているのです。

 

 その理由は、彼女には、仏教的思考が(無意識といえども)備わっているのだと思います。

 

 多くの人々は、仏教というと、「地獄」「あの世」「浄土」「輪廻」等を連想して、オノ氏の最初のフレーズと正反対の事を思い浮かべるでしょう。

 

 しかし違うのです。

数年前に惜しくもこの世を去られてしまった中村元氏(インド哲学、仏教学、比較思想、と研究の幅が広く、原始仏典の翻訳も含めて膨大な著作がある)の著作(例えば『ブッダの言葉』(岩波文庫))を見ても、ブッダの教えの中には、日本の仏教に登場する「地獄」「極楽」の思想は無かったと思われるのです。

 

この点を端的に示す例として、次の朝日新聞(1998.11.17)の記事を抜粋して掲げます。

 

 「仏教とともに日本に伝わったので誤解されがちだが、輪廻転生は古代インド社会の一般的な考えであって、仏教の本質ではありません。といって、釈尊は当時の民衆の思いをあえて否定もしなかった。霊魂についても、信じたい人は信じなさい、というおおらかな態度でした。この世には、いかに正しく生きるか、というもっと大事なことがある、と考えたのです」

 「いわゆる西方浄土とか極楽とかも、紀元一、二世紀の人々が理想の世界として描いたことです。釈尊自身は語らなかったと思います。わたしが岩波文庫に翻訳したパーリ語仏典などには登場していません」

 

 この中村氏のご発言からお判り頂けますように、(私は、中村氏の色々の著作から教えて頂いたのですが)今日、日本人の心を支配している「仏教」は、ブッダ(釈尊)のお言葉から乖離している部分が多々あるようです。

 

 更には、朝日の記事は次のように続いています。

 

 第十九巻の『インドと西洋の思想交流』は、戦後間もなく発表された論文が基礎になっている。古代キリスト教に仏教の影響があった、という説だ。当初は奇抜にも思われたが、最近はキリスト教の側から似たような研究も出ている。

 「人間だれもが自分を大切に思っており、だからこそ他人を傷つけてはならない、と釈尊は教えた。この慈悲の教えが、ギリシャの哲人らに影響を与えたことは間違いない。仏教でいう大悲とキリスト教のアガペー(愛)は根本でつながっていると思います」

 

 このような「他人を傷つけてはならない」とのブッダの教え(慈悲)とキリスト教の教え(アガペー)が根本的に繋がっているのだと認識できていれば、ブキャナン氏を初めとして多くの方々の『イマジン』の歌詞の解釈が変わってくる筈です。

 

 即ち、次のように訳したり解釈したりしては不十分なのです。

 想像してごらん 国境などないと

 難しいことじゃない

 殺し合いなど起こらない

 宗教も何もない……

 

 この「殺し合いなど起こらない」の訳では不十分だと私は思うのです。

この原文の「nothing to kill or die for」に於ける「for」の語句へ対する認識が甘過ぎると思うのです。

 

 この「for」は、「nothing to kill or die for」のみに掛かっているのではない筈です。

ですから、原文の解釈も、日本語訳も「there's no countries(国境などない)」、「no religion too(宗教も何もない)」だけで留まってはいけないと思うのです。

for」の後ろに「the country(その国)」、「the religion(その宗教)」が続くのだと思います。

 

 即ち、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン両氏は、次のように訴えておられるのだと思います。

there's no countries to kill or die for the country(その国の為に、殺したり死んだりしなくてはならない、そんな国はないのです)

there's no religion to kill or die for the religion(その宗教の為に、殺したり死んだりしなくてはならない、そんな宗教はないのです)」と。

(だって、そうではありませんか?

他人を傷つけてはならない」との教えの仏教、そして、その影響も受けたキリスト教が、その宗教の為に「他人を殺せ」と「自らの命を捨てろ」と説くなんて可笑しいではありませんか!?)

 

 ですから、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン両氏を、「無政府主義者」「無神論者」とのレッテルを貼るべきではないのです。

 

 又、「想像してごらん 誰もが今日を生きるさまを(imagine all the people living for today)」のフレーズからは、中村元訳『ブッダの言葉』(岩波文庫)にある、次のようなブッダのお言葉を思い浮かべます。

 

 過去にあったもの(煩悩)を枯渇せしめよ。未来にはそなたには何ものもないようにせよ。中間においても、そなたが何ものにも執着しないならば、そなたはやすらかにふるまう人となるであろう。

 

 このブッダのお言葉:「過去未来への煩悩を捨て、今を生きよ、但し、何ものにも執着せずに」にオノ・ヨーコ氏は共鳴されてるのではないでしょうか?

 

 ですから、「Imagine no possesions(財産なんて無いんだよ)」と現世での執着を戒めるフレーズを書かれているのでしょう。

そして、この点は私見ではありますが、先ほどの「nothing to kill or die for」のフレーズがこの「possesions」にも掛かってくるのではないでしょうか?

 

 ですから、ブキャナン氏が「すべてのものは共有で「何ひとつ占有しない」社会を夢見ていたらしいが、四十で早世したとき、ちゃっかり二億七千五百万ドルも貯め込んだ大富豪だった」と、ジョン・レノン氏を非難するのは少し的はずれなのかもしれません。

なにしろ、ジョン・レノン氏は「二億七千五百万ドル」を人殺しをして貯め込んだのではないのですから。

 

 従って、ブキャナン氏が非難すべきなのは、ジョン・レノン氏ではなく、ブッシュ大統領親子とその政権中枢部の方々だと思います。

なにしろ、彼等は、石油産業、軍事産業、又それらに投資するファンド会社の幹部に収まりつつ(或いは過去のその経歴を有しつつ)、アフガニスタン、イラクに攻撃を掛け、多くの人々の命を奪っているのですから。

(彼等は、「李下に冠を正さず」とは正反対の行為を行っているのですから。)

(この件に関しては、拙文《ブッシュ元大統領と国防関連企業への投資会社との関係》、《911の同時多発テロを今思うと》、《暴君はフセインですか?アメリカではありませんか!》等にも、目を通して頂けたらと存じます。)

 

 更に、ブキャナン氏は、次のようにも彼の著書の中で嘆いています。

 

もはやこの国(アメリカ)は、社会学者のウィル・ヘルベルクが一九五五年に『アメリカ宗教社会学小論』で評したような、プロテスタントとカトリックとユダヤ教の国ではない。モルモン、ムスリム、ヒンドゥー、仏教、道教、神道、サンテリア、ニューエイジ、ヴードゥーから、無宗教者、無神論者、ヒューマニスト、ラスタフアリアン、妖術使いまで何でもありだ。

 

 ブキャナン氏は、更に次のように悩みます。

 

 けれどキリスト教が西洋を生み、西洋社会の土台となっているとしたら、この土台の死を西洋は乗り越えられるだろうか? 「歴史上、宗教の助けなしにモラルを維持できた社会の例は見当たらない」と、ウィル・デュラントは指摘する。ベロックのエビグラムに「信仰はヨーロッパなり。ヨーロッパは信仰なり」というのがある。だがその信仰が死んだとしたら、われわれは何に依拠すればよいのか。モラルの根源はなんなのか。西洋を西洋たらしめる特質、西洋諸国を結ぶ絆とは?

 民族の連帯、と答える向きもあろう。しかし過去五百年問の欧州の歴史は果てしない殺し合いの歴史でもある。しかもその間、西洋文明・文化を敵対視する一大勢力が内部から生まれた。……

 

 しかし、私見ではありますが、現在の宗教は、その本来の姿を変えてきているのではないでしょうか?

 

 私は、城山三郎編『男の生き方四〇選(上)』(文春文庫)に見る、元国鉄総裁石田禮助氏の次の言葉に心から共感致します。

 

 私が、好んで聖書の句を引用することから、あなたはクリスチャンですかと聞かれることがあるが、私はクリスチャンではないし、またいわゆる仏教徒でもない。しかし、キリストと釈尊を尊崇する気持は強い。私に宗教があるとすれば、キリスト個人、釈尊個人を敬うのであって、教会や寺とは無縁である。……

 

 先の拙文《平和憲法は奇跡の憲法》にも引用させて頂きましたが、トルストイが死ぬ二、三年前にガンディーに宛てた手紙のなかで、仏教、儒教、キリスト教等を、「世界人類の全ての賢者、インド人、中国人、ユダヤ人、ギリシャ人、ローマ人の違いをこえて……」と、トルストイは「世界の宗教」を「世界の賢者の教え」的表現をされております。

従って、このトルストイの世界では、次のような発言が新聞記事(以下、毎日新聞(2003.10.18)を引用)として掲載される筈はないのでしょう。

……米国防総省高官が軍服姿で宗教的な集会に出席し、ブッシュ政権の推進する「テロとの戦争」をキリスト教とイスラム教の宗教戦争と見なす趣旨の発言をし物議を醸している。

 この高官は国防次官代理のウィリアム・ボイキン中将。……

 ボイキン中将は熱心なキリスト教徒で、今年6月にオレゴン州で開かれた集会に出席した際、「我々の敵はサタン(悪魔)だ」「彼らが戦いを仕掛けてくるのは、我々がキリスト教の国だからだ」などと軍服姿で発言。昨年には米軍を「神の軍隊」と呼び、ブッシュ大統領は「神が任じた」と語ったという。米メディアが16日に報道して表面化した。

 発言は「イスラム諸国への配慮に欠ける」などとの非難を呼んだが、ラムズフェルド国防長官は「立派な軍歴の持ち主で、私見を披露しただけのようだ」などと擁護に回っていた。……

 

 ここで一寸儒教について補足しますが、宇野哲人氏の著作『論語(上)』(明徳出版社:発行)には、次の記述があります。

……その仁というものを孔子が尊んだところが、孔子の全くの創見というべきことでありましょう。さて、自分自身が立派な修養をすることは何のためかというと、これを以って天下万民を救済するためです。だから儒教の目的を一括していえば修己治人――己れを修め、人を治めることです。自分自身が立派になれば、ひいて天下万民を救済して万民をして皆立派な人格たらしむることが儒教の本当の理想です。……

 

 そして、中村元氏の著作『ブッダの言葉』には、“……汝もまた信仰を捨て去れ。そなたは死の領域の彼岸に至るであろう……”とのブッダのお言葉も記述されています。

 

 従って、ブッダの教えも仏教という宗教という名のもと寺院に閉じ込めるべきではないのではないでしょうか?

 

 ですから、ブキャナン氏が取り上げた、ウィル・デュラントの「歴史上、宗教の助けなしにモラルを維持できた社会の例は見当たらない」との指摘は、不的確と存じます。

 

 なにしろ、儒教(道教)、そしてブッダの教えは、或る意味では、一昔前日本に存在していたという「修身の教科書」的存在でもあるはずです。

そして、その教えが、私達や中国の方々の生き方を今まで導いてきたのです。

 

 ですから、私は、石田禮助氏の「私に宗教があるとすれば、キリスト個人、釈尊個人を敬うのであって、教会や寺とは無縁である」との言葉をブキャナン氏初め多くの方々は、真摯に受け止めるべきと存じます。

 

 そして、この石田氏の思想の延長線上に、オノ・ヨーコ、ジョン・レノン両氏による『イマジン』が存在していると私は思うのです。

 

 そこで、最後に『イマジン』の原詩を、以下に引用させて頂きたいと存じます。
それと、先の拙文《愛国とアメリカ》に書かせて頂いた、私の訳詞を併せて掲げさせて頂きます。

 

 

Imagine

Imagine there's no heaven
it's easy if you try
no hell below us
above up only sky
imagine all the people
living for today...

Imagine there's no countries
it isn't hard to do
nothing to kill or die for
no religion too
imagine life in peace...

Imagine no possesions
I wonder if you can
no need for greed or hunger
a brotherhood of man
Imagine all the people
sharing all the world...

you may say I'm a dreamer
but I'm not the only one
I hope someday you'll join us
and the world will be as one

イマジン

想像してご覧 天国なんてないって事を 地獄なんてないって事を

やってみれば簡単だろう

私達の上にあるのは空だけさ

想像してご覧 全ての人達は今日を生きているのだということを

ね、簡単だろう

その為に殺したり死んだりしなければならない国や宗教なんて無いことを想像することも

全ての人達が平和に暮らすことを想像してみようよ

財産なんか無いことを想像してみようよ 出来るよね

そしたら欲張る必要なんか無くなって、飢えることもなくなるよね

人類皆兄弟

全ての人が全ての世界を分かち合うことを想像しようよ

こんな事を言う私をあなた方は「夢想家」と言うかもしれない

でも、こう思っているのは、私だけではないんだよ

そして、いつの日かあなた方も私達に加わって

世界が一つとなってくれることを願っているのだよ

 

 

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