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菅さんは、ベントを促す為福島へ飛んだと言い続けるべきです

20131026
宇佐美 保

 原発事故の翌日の菅さんの行動に関して、週刊文春(原発崩壊311私はそこにいた 2012.3.8号)に於ける藤吉正春氏(福島原発事故独立検証委員会ワーキンググループ)の記述に見ることが出来ます。

……朝五時、菅首相がベントができていないことを知った時だった。首相は枝野官房長官の反対を聞かず、ヘリで第一、原発に向かうと言い出したのだ。

 

 この件に関して、マスコミや、インターネットでは「菅の“カイワレ大根系のパフォーマンス”」などと非難されました。

 

 しかし、私は新聞等の記事から、格納容器の耐圧限界まで圧力が上昇しているのにも拘らず、東電のベントが遅れている事態に、菅さんは、危機感を抱いて周囲の反対を押し切って福島原発へ飛んだと確信し、私のホームページには「菅さんは私達の大恩人」との感謝の念を込め、12通以上掲載しました。

 

このベントに関しては、私のホームページ≪恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(3≫の一部(東京新聞(レベル7:番外編その時官邸は 201232日)の記述)を以下に再掲します。

 

元経産副大臣池田元久氏の次のような証言が掲載されています。

 

 国の現地対策本部長となった経産副大臣の池田は十二日午前零時、福島第一から五`離れた国の防災拠点オフサイトセンター(0FC)に着く。午前四時すぎ、そこに首相の菅が福島第一を視察すると連絡が入る。

 「(震災の)人命救助は初動の72時間が重要だ。官邸の方が情報が入る」

 池田は菅が非常時に官邸を離れることを危ぶみ、「どうしても来るというなら、視察先はオフサイトセンターにすべきだ」と、同行していた原子力安全・保安院の審議官に伝える。だが、池田の意見は菅に届かない。

 午前七時すぎ、池田はヘリで第一原発に到着した菅を出迎える。

バスに乗るなり、菅は東電副社長の武藤栄に「なぜベント(排気)をやらないのか」と詰問する1号機で原子炉を覆う格納容器の圧力が高まっており、ベントをしないと爆発する可能性があった。

 東電の現地本部がある免震重要棟に着いても、菅は「何のために俺がここに来たと思っているのか」と武藤らに怒鳴る。作業員たちのいる前だった。所長の吉田昌郎が会議室で

応対し、津波で電源を失い、ベントの弁を遠隔操作で開けることができないと説明。放射

線量の高い中を手作業で弁を開けなければならないと話す。

 二十分ほどのやりとりの最後、吉田が意を決したように言う。

 「決死隊をつくってでもやります

一瞬、室内がしーんと静まりかえる。

 「総理を落ち着かせろよ」。池田は、首相補佐官の寺田学に声をかけた。いら立つ菅。

その姿に、池田は「指導者の資質を考えざるを得なかった」と振り返る。菅が第一原発を離れた午前八時すぎ、吉田は午前九時のベント実施を指示した。

 

 菅さんは、格納容器が爆発すると大惨事に陥る事態(後藤政氏の著作『「原発を作った」から言えること:株式会社クレヨンハウス発行』の40頁の記述:“1機でも格納容器が爆発すると、全機が全滅する”)を防ぐ為に、命がけで、福島第1原発に乗り込み、吉田所長にベントを強要し、吉田所長は「決死隊」による決行を約束したのです。

 

「指導者の資質を考えざるを得なかった」と振り返る池田氏の証言なのですから、菅さんが“なぜベント(排気)をやらないのか”、“何のために俺がここに来たと思っているのか”が怒鳴ったことは確かでしょう。

菅さんこそ大恩人なのです。

又、「カイワレ大根パフォーマンス」説の流布も、菅さんのブログ「みのもんた氏に対する陰謀説」の次なる記述の一種なのでしょう。

みのもんた氏は汚染水問題など原発問題で東電と安倍総理を厳しく批判していた。この発言に対して原子力ムラがみのもんた氏失脚の陰謀を仕掛けたという説が流れている。……

批判する政治家もかつての福島県知事のように陰謀によって失脚させられてきた。今も原発稼働に慎重な知事や議員を引きずりおろすため、一部マスコミを使ってスキャンダルをでっち上げる陰謀がたくらまれているという、うわさが流れている。原発ゼロ実現のためには、原子力ムラのマスコミ支配をまず打ち破らなくてはならない。


 ただ、格納容器などの何処からかの漏れが、まるで安全弁のような役目を果たした為か、格納容器の爆発はなく「菅さんのベント強要:“菅は「何のために俺がここに来たと思っているのか」と武藤らに怒鳴る。”」が、宙に浮いてしまい、菅さん自身引っ込みがつかなくなり、“視察に行った”等との初期の目的と異なる発言をしているのが、私には残念で堪りません。

 あくまでも“俺は命がけで、ベントを強要する為、第1原発に行ったのだ!”を言い続けて頂きたいのです。

 

しかし、先に引用させて頂いた後藤氏の著作の記述で気になった点があります。

先ず、23頁の2号機の件です。

さて、福島第一原発の事故のようすです。1号、2号、3号、4号とあります。1号、3号、4号は原子炉建屋という四角い原子炉が入った建物が壊滅的に壊れました。2号機は建屋は壊れませんでした。2号機は運がよかったのです。ほかの説もありますが、わたしは、地震で何かものがぶつかって穴が開いて、その穴から水素が出ていったのだと思います。一説には穴を開けた、という報道もありますが、わたしはそうではないと思います。なぜなら、1号と3号が手遅れになっていで、水素爆発について手を打てない状態であり、2号機についでも建屋に穴を開けるような策はとれなかったはずだと思います。


 この件は、次のWEBを見ますと「ブローアウトパネル」が開いたことが判ります。


吉田「未確認ですが、2号機のブローアウトパネルが1号機の爆発で、はずれている

本店「おお、ラッキー、パチパチパチ」

吉田「まだ未確認だから、あまり喜ばないでね」

(東京新聞の「ビデオは語る」にもこの会話が載っていました。

そして、東電がこのパネルの開口部を閉じている状況も東電のWEBで見ることが出来ます
 

 私は、吉田所長の「1号機の爆発で、はずれている」ではなく、2号機自体の異常(格納容器の爆発?)でパネルが外れたと解釈します。

しかし、東電は、1~3号機のパネルが、安全弁として機能するように点検しておくべきでした。

 

 この件に関しては、次のサイトの記述をご参照ください。


"はじめまして。 私の家族は福島第一で働いてる東電社員です。

事故直後に留まった50人(実際は70人位)の一人です。

……このブローアウトパネルですが、中越地震の際に地震の揺れで柏崎・刈羽原発のブローアウトパネルが開いてしまったことを重く見て保安院が開かないように改修することを東電に指示したため、中越地震後、東電管轄内の原発のブローアウトパネルは溶接等で閉じられたのです3.11地震後、現場の社員達が危険を顧みず開かなくなったブローアウトパネルの代わりの穴をあけに向かいましたが作業が間に合わずにとうとう爆発してしまったのです…

 更には、拙文(私のホームページ)≪水素爆発の責任は、菅首相ではなく東電≫、≪福島3号機はブローアウト・パネルで「爆轟」が防げた筈なのに≫もご参照してください。

 

次は、後藤氏の著作の28頁の「非常用復水器」件ですが、

 しかも、電気を使わなくてよいところの非常用復水器という冷却システムが1号磯にはAB2個ついでいますが、これがまた、なぜか止まってしまい機能しませんでした。……

1号機のみが取りざたされていますが、多くの方々は23号機のそれには何も触れておられません。

しかし、拙文≪恩人(菅直人氏)を叩き出した私達≫の(参考資料:1)に引用させて頂いた、『週刊文春(2011.6.9号)』“福島原発非常時冷却システムを撤去した勝俣会長”の抜粋を再掲させて頂きます。

……

「なぜあれほど簡単にメルトダウンしてしまったのか。私は福島第1原発の事故以来、ずっと不思議に思っていました」

 こう語るのは佐賀大学元学長の上原春男氏である。

上原氏は福島第一原発の復水器の設計に携わった経験を持つ。事故後、政府の招きで東電本店を訪れていた上原氏は、ある重大な事実に気がついたという。

 

福島原発の設計時には、『蒸気凝縮系機能』という最後の砦となる冷却システムが存在していました。それはどうなったのかと東電に聞くと、『(そのシステムは)ない』というのです」

 蒸気凝縮系機能というのは、原子炉から出る蒸気を配管に通し、「熱交換器」で冷やして水に戻し、再び原子炉に注水するという冷却システムのことだ。注水により炉心を冷やし、かつ原子炉内の圧力を下げる機能があるとされている。

 

「このシステムはECCS(緊急炉心冷却装置)の一系統なのです。通常の場合は原子炉を止めても、高圧炉心スプレーと低圧炉心スプレーなどの系統で冷却が出来る。しかし、これらの系統は電源がないと動かない。蒸気凝縮系機能は、電源がなくても作動する。ある意味、震災などの非常時にはいちばん大事な役割を果たすはずだった冷却システムなのです」(同前)

 

 五月十二日、東電は三月十二日に福島第一原発の一号機がメルトダウンしていた事実を認め、24日には2号機、3号機もメルトダウンしている可能性が高いと発表した。原子炉が停止した時にはECCSという非常用冷却システムが作動するはずだった。だが、そこには″最後の砦″となる機能が存在しなかった。

 いったいどういうことなのか──。

 ここにある内部文書がある。〇三年二月十七日に開催された「第十回 原子力安全委員会定例会議」の議事録だ。

……

議題に上がつていたのは〈(福島第一原発 二〜六号機の)蒸気凝縮系を削除する〉という設置変更について、

つまり最後の砦″の蒸気凝縮系機能の撤去が検討されていたのだ。

…… 中電の動きに追随するかのように東電も「蒸気凝縮系削除」の申請を進めた。

前出文書によると申請者は(東京電力株式会社 取締役社長 勝俣恒久)となっている。勝俣現会長だ。 ……

 

 五月二十九日、東電本店で行われた会見で、私は「蒸気凝縮系」を削除して問題はなかったのかと質問した。すると東電の担当者はこう答えたのだ。

「現実問題としてこれまで一度も使ったことがなく、水位の制御が極めて難しい。浜岡原発で水素ガスが爆発した事故もあり、撤去したということです

 

 だがそもそも原発の安全は多重防護により築かれていたはずである。なぜあえて多重防護システムの一つを削ったのか。前出の上原氏もこう訝しがる。

「蒸気凝縮系は、最悪の場合≠ノ使う冷却システムです。それを使ったことがないからと撤去してしまうのは、安全神話ありきの発想だったとしか思えません」

……

 だが、東電が福島第一原発から蒸気凝縮系機能を撤去しょうとしていた平成十五年は、まさに小泉政権時代だ。電力会社と二人三脚で原発を推進してきたのは自民党政権そのものだった。当時の経産大臣は原発推進派で知られる平沼赳夫氏(当時自民党、現たちあがれ日本)である。……

 

 上原元学長はこう語る。

「結果としてメルトダウンをしている訳ですから、安全性に問題があったのは明らか。なぜ撤去したのか、東電には納得のいく説明を求めたいですね。ECCSは全ての原発に使われているシステムですから、福島第一だけの問題に止まらない可能性もあるのです」

 

 あまりに杜撰な安全意識の上に、福島第一原発は存在していたのだ。


こには、申請者:東京電力株式会社 取締役社長 勝俣恒久 として、福島第一原発 二〜六号機の蒸気凝縮系を削除する申請を進め、小泉政権時代に認可されていた事実が暴かれています。

その上、

東電の担当者はこう答えたのだ。・・・

浜岡原発で水素ガスが爆発した事故もあり、撤去したということです


とのことですから、今回、福島第一原発で「蒸気凝縮系」が残っていた1号機は、「浜岡原発で水素ガスが爆発した事故」と同様な原因で水素爆発が発生した可能性があります。

そして、26号機の「蒸気凝縮系」を除去するのではなく、(1号機も含めて)改良を加えていたら、今回の爆発事故は防げていたかもしれません。

 

更に、拙文≪恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(8
原発非常時冷却システムを撤去していた勝俣会長≫もご参照ください。

 

ですから、菅さんはご自身のブログに次の記述に誰しも納得すると存じます。


……福島原発事故の原因の大半は事故発生の2011311日以前にある。これが私の結論だ。


 次は、後藤氏の著作の
36頁です。

 

このままでは爆発してしまう状況でした。菅直人元首相が316日に東京電力の対応に危機感を強め「東日本が壊滅する」と言ったとの報道がありますが、その意味がよくわかります。

……

 さらに2重におかしいことがあります。まずひとつに、格納容器ベント、つまり放射能を外にまき散らすという、とんでもないことをやらなくではいけない状況になっていることです。

どうしようもなく本気で格納容器ベントをやらなくてはいけないのであれば、きわめて慎重にするべきなのです。放射能を外へまき散らすわけですから、どうやって市民を逃してから行うかを充分に考えなくてはいけません。

それなのに、格納容器が爆発すると危ないからやむを得ずベントします、とシラーツと格納容器ベントをして放射能をまき散らした。ベントするということに対しての認識が、きわめて甘いと言えます

もうひとつは前述したように、そもそも格納容器ベントが成功していないということです。

これは何を意味するのかというと、今回のように、シューシューと水素が漏れておらず、圧力が上がりすぎたうえ、ベントがうまくいかなかったら、格納容器が爆発しでいたかもしれないということです

 格納容器のベントに関しては、後藤氏が前から唱えておられた、“ベントはフィルター付きであるべき”に尽きると存じます。

只、今回は、フィルターを無視した為に、原発周辺と首都圏までとを秤にかけたという事なのだと存じます。

 

 更に、驚くべき事実を後藤氏は45頁に書かれておられます。

●事故の絶えない原発、制御棒脱落事故は隠されていた

 今回の事故で、決定的な原子力安全の崩壊が起こりました。地震後、なんとか運転を止めることには成功しました。地震が起きると核反応を止めなければいけないので、揺れを感じると制御棒が数秒単位でスポーンと入るようになっています。今回の場合も制御棒が入り、核反応は止まりましたが、そのあとの冷却に失敗したのでメルトダウンしました。

 冷却に失敗し、放射性物質を閉じ込めることに失敗しました。結局、格納容器も圧力が上がりすぎて壊れでしまいました。2号機では爆発的な破壊もしました。したがって、放射能を閉じ込める格納容器の役目を果たせませんでした。もうここで安全は完全に破綻しています。

 もうひとつ言いたいのは、「制御棒で止まった」というのは「運がよかった」ということでしかありません。

全国の原発で1978年から2005年までの間に十数回も制御棒の誤挿入や脱落などのトラブルがあり、
そのうちの
2回は「臨界」に達しています……

……それでも長い間、「チェルノブイリは核反応の制御に失敗した、日本ではあんなことは起こらない」と言われていました。核反応を制御するいちばん基本の基本のところで誤挿入や脱落などの事故が起きているようでは、原子力を扱う資格はありません。しかもこれらの事故は全部隠されていました。

 

“「制御棒で止まった」というのは運がよかった」ということでしかありません。”
と同様に先の“格納容器の何処からかの漏れが、まるで安全弁のような役目を果たし……”の如く、
更に、海側へ吹く風によって、陸地側の放射性物質の飛散が少なくて済んでもいる事などから、
今回の大事故(先の柏崎刈羽原発事故も)は、ある面では、「運が良かった」為、
菅さんがご心配された「日本沈没」の大惨事を免れたのです。

 

 このような状態を認識しつつも(否!認識を拒否して?このような運が今後も続くと信じ?)原発の再稼働、輸出を企てるのは、かつて、日本を悲劇のどん底に陥れた「神風信奉でしかないと存じます。

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