目次へ戻る

 

福島3号機はブローアウト・パネルで「爆轟」が防げた筈なのに

201166

宇佐美 保

 

 『東京新聞(201166日):3号機爆発は「爆轟」』には、次のような記述があります。(全文は、文末の(補足)に引用させて頂きます)

 

 

3号機は三月十三日午前二時四十分、原子炉の燃料棒を冷やす注水機能が停止。燃料棒の周囲の水が温まって水蒸気となり、燃料棒を覆うジルコニウム合金と水蒸気が化学反応を起こし、大量の水素が発生した。

 水素は酸素と反応すると爆発し、空気中の水素濃度が18%を超えると爆轟現象が起きやすくなるという。3号機では最終的に五百四十キログラムの水素が発生。原子炉建屋最上階での濃度は約30%となり、注水停止から約三十二時間後の十四日午前十一時一分に爆轟が起きた。

 

 

 このように3号機の原子炉建屋最上階での空気中の水素濃度が約30%に上昇した状態では、東電の本来の設計通りに「非常時に建屋内の圧力が高まった際、圧力を逃がすため自動的にパカッ″と開く」と言う「ブローアウト・パネル」が「パカッ″と開き」、「爆轟」が防げた筈で、東電の「パネルが開くほど圧力が上昇しないまま水素が充満し、地震の揺れでもパネルは開かず、水素爆発にいたった」との説明の欺瞞であり、「ブローアウト・パネル」は地震の影響で開かなくなり「爆轟」に至ったと解釈するのが順当でしょう。
(それでも、水素の増えた分、空気が何処からの隙間から逃げたというのでしょうか!?
せめて、地震で炉心内で制御棒を挿入する事態となった場合には、ブローアウト・パネルが開くようにしておくべきだったのでしょう)

 

 

 この「ブローアウト・パネル」の件に於いても地震の被害を隠蔽し、今回の福島原発事故の原因を全て「想定外の津波」に押し付けてしまう姿勢が見え見えです。

(このような体制(東電、保安院等々)では、原発の安全運転など望むのが無理と言う事です)

更には、このような彼らの欺瞞が厳しく追及されるべきです。

(なのに、その矛先が「菅バッシング」に向かっているのは余りにも異常で理解に苦しみます)

 

 

 では、その「ブローアウト・パネル」に関しては、先の拙文≪水素爆発の責任は、菅首相ではなく東電≫に於いて、『週刊金曜日(2011.5.27号):福島原発でブローアウト・パネル機能せず』の明石昇二郎氏(ルポライター)による記事中、次のように紹介して下さいました。

(詳細は、拙文≪水素爆発の責任は……≫をご参照ください)

 

 

五月上旬、東日本大震災で被災した東北電力女川原子力発電所(宮城県女川町)を訪れると、二号機と三号磯のタービン建屋の外壁に、鉄骨の足場が組まれていた。……

一方、三号機タービン建屋外壁の足場は、「地震の揺れで、タービン建屋の(圧力を調整する)ブローアウト・パネルが開いてしまった」ため、それを閉めた上で足場を組んでいるという。

 ブローアウト・パネルは、非常時に建屋内の圧力が高まった際、圧力を逃がすため自動的にパカッ″と開くのだが、今回は地震の揺れで開いてしまったそうだ。

……

 そこで、ブローアウト・パネルが福島第一原発にも装備されていれば水素爆発は避けられたのか、昭和の時代に作られた原発は古すぎて装備されていなかったのか、などを東京電力に確認した。

 東京電力によると、第一原発一〜三号横のいずれにもブローアウト・パネルは付いていたものの、パネルが開くほど圧力が上昇しないまま水素が充満し、地震の揺れでもパネルは開かず、水素爆発にいたったという。ボタン一つで開くような仕組みもなかった。

 ではなぜ、二号機は爆発しなかったのだろうか。東京電力では、三号機の水素爆発の爆風で、二号機のブローアウト・パネルが開き、水素が大気中に放出されたため、爆発を免れたとみているのだという。

……

 

 

(補足:『東京新聞(201166日):3号機爆発は「爆轟」』)

 

3号機爆発は「爆轟」 

201166 0705

 三月十四日に東京電力福島第一原発3号機で起きた水素爆発は、衝撃波が音速を超える爆轟(ばくごう)」と呼ばれる爆発現象だったことが、財団法人エネルギー総合工学研究所(東京都港区)の解析で分かった。発生した水素の量の違いで、1号機より破壊力が高い爆発が発生したという

 3号機の爆発は、灰褐色のきのこ雲のような煙が上空約三百メートルまで立ち上り、海外の一部では「核爆発」説も流れた。白煙が横方向に噴き出すような形の1号機の爆発に比べて格段に規模が大きかった。同研究所は、経済産業省から委託を受けて開発したシミュレーションソフトを使い、水素がどのように爆発したかを解析した。

 3号機は三月十三日午前二時四十分、原子炉の燃料棒を冷やす注水機能が停止。燃料棒の周囲の水が温まって水蒸気となり、燃料棒を覆うジルコニウム合金と水蒸気が化学反応を起こし、大量の水素が発生した。

 水素は酸素と反応すると爆発し、空気中の水素濃度が18%を超えると爆轟現象が起きやすくなるという。3号機では最終的に五百四十キログラムの水素が発生。原子炉建屋最上階での濃度は約30%となり、注水停止から約三十二時間後の十四日午前十一時一分に爆轟が起きた。燃焼時間は〇・〇二秒で、建屋内の圧力は約六十気圧(通常は一気圧)に達し、建屋上部が吹き飛んだ。

 一方、1号機は冷却停止から爆発までの時間が約二十四時間で、炉内の燃料棒も3号機より少なかった。水素発生量は二百七十キログラムで3号機の半分となり、建屋最上階での濃度は15%にとどまった。このため爆轟は起きずに水素の燃焼は数秒間続き、建屋の壁が壊れて煙が噴き出した。

 内藤正則・同研究所部長は「3号機は建屋の鉄骨がぐにゃぐにゃに曲がっており、爆轟の破壊力の大きさを裏付ける。航空写真からは1号機の壁は建屋近くに崩れ落ちており、解析結果とよく一致する」と話している。

設計に影響大きい

 三宅淳巳・横浜国立大教授(安全工学)の話 爆轟が起きるかどうかは気体の濃度のほか、空間の密閉強度や着火する際に加えられるエネルギーの大きさによって左右される。爆轟が起きたと分かれば、今後の原発の設計に与える影響は非常に大きい。



目次へ戻る