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拉致家族より国家を重視した安倍晋三氏

20094

宇佐美 保

 

 私は、雑誌『世界(20078月号)』に関西学院大学教授の野田正彰氏が書かれた「虜囚の記憶を贈る(第1回)」の記述(特に拉致家族に対する安倍氏の対処法)を読み、腰を抜かしました。

 

 野田氏は次のように書き始めています。

 

 二一世紀の世界。あいかわらず人類は小さな事件に自己中心の象徴的意味を持たせ、生存の不安を募らせ、歴史に学ばない衝動行動を取っているように見える。アメリカは二〇〇一年の911テロを契機に、アフガンを攻撃し、イラクを蹂躙し、小型の世界第三次大戦を引き起こしていったニューヨークの高層ビル破壊が、世界を不安定にするに値する大事件だったのか、どうか。それよりも第二次大戦後、ここまで至った中東政策を、ひいては中南米、アジア、アフリカ、ソ連圏についての政策全体を反省し、新興国家アメリカに潜む不安を分析すべきではなかったのか。

 

 「9.11テロ」に関しては、既に6年の歳月が流れましたが、アルカイダやオサマ・ビンラディン氏が犯人であるとの証拠を私達は未だに提示してもらっていません。

私は、これまでにも書きましたように、4機のジェット旅客機をハイジャックし、生まれて初めて操縦する犯人達が別々の4つの目標に向かって突撃するとは信じられません。

私が実行犯なら、4機全て「世界貿易センタービルに突っ込め!」と指令したでしょう。

それに、2機目のジェット旅客機は、水平飛行ではなく、翼を45度ほど傾けて、斜めになって世界貿易センタービル南棟に突っ込んで行ったのです。

こんな芸当が、初飛行で出来ますか?

それに、ジェット旅客機がペンタゴンに突っ込んだとしたら、その残骸は何処に消え去ったのでしょうか?

 疑問だらけです。

これらの疑問を全て置き去りにして、又、アルカイダやオサマ・ビンラディン氏が犯人であるとの証拠も提示せず、「テロとの戦争」を宣言し、未だに、「911テロを契機に世界は変わった」といい続けるのは無責任と存じます。

 大量破壊兵器が隠されてもいなかったイラクに攻め込み、イラクを破壊してしまった残虐行為と同じ根から発生している様に見えてなりません。

 

 では、野田氏の記述を続けさせて頂きます。

 

 同じく極東アジアで発火し、日本人の心を非理性的な政治へ駆り立てた事件がある。

 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による拉致問題は小さな事件に見えるが、象徴的意味を帯びて、日本の政治を変え私たちの生き方を貧しいものにしている。

 拉致の事実はすでに知られていただが、警察も政府もマスコミもそれを軽視してきた。被害者の立場に立った対応を粘り強く行なってくることはなかった。調査をほとんどしてこなかったし、してこなかった責任も問われていない

 にわかに焦点化したのは小泉純一郎首相であった。意図したわけではなかろうが、国家による拉致という外交問題が社会問題化し、政治と社会が近接したとき、彼のパフォーマンスは国民の不安に核を与えるものとなった。当時を振り返ってみよう、私たちがいかに一方的に「してあげる」立場に立ち、被害者と対等な関係を取ってこなかったかを。国民は小泉純一郎になり、政府になっていなかったか。

 

 イラクの件同様に、野田氏の言われるように「拉致の事実はすでに知られていたのに調査をほとんどしてこなかったし、してこなかった責任も問われていない」のは恐ろしい事です。

それにしても、何故、小泉氏は、一部とはいえ拉致家族の帰国に成功したのでしょうか?

「外交機密費」などの裏金を使用したのでしょうか?

それとも、(小泉氏を支えていた?)米国や大きな力を利用したのでしょうか?

この点を明らかにして欲しいものです。

 

 更に、又、野田氏の記述を引用させて頂きます。

 

 二〇〇二年一〇月一五日、北朝鮮にさらわれた五人が二四年ぶりに一時帰国した。・・・

 当時の政府部内での決定を取材して、船橋洋一の『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン──朝鮮半島第二次核危機』(朝日新聞社)は次のように書いている。

 (政府部内では、福田と安倍の意見が対立した。福田は、外務省が北朝鮮との間で「返す」という前提で交渉した以上、五人をいったんは返し、家族ともどもそろって帰国するしかないのではないかと主張した。もし、返さないと平壌に残された家族が交渉材料に使われ、新たな人質〃ができるおそれを福田は心配した。しかし、安倍は、五人を返すべきではない、との立場を取った。安倍は、「北朝鮮に戻るか永住帰国するかは、個人の判断しだいというのは国家の責任を放棄していることになる」との論理を用いた

 1024日。官邸。福田は安倍に対し「返さないというが、拉致被害者の一人一人の意向はどうなのか」と質した。「まだ、確認していません」という安倍に、福田は「電話でいいから、すぐ連絡をとってほしい」と指示した

 数時間後、安倍は「全員、平壌に帰る意思はないことが確認できました」と報告した

 

 この記述には本当に吃驚しました。

安倍氏は『美しい国へ』の中で次のように記しています。

 

 帰国後は、家族による必死の説得が行われた。その結果、五人は「北朝鮮には戻らず、日本で子どもたちの帰国を待つ」という意志を固め、中山恭子内閣官房参与とわたしに、その旨を伝えてきた

 わたしは、「かれらの意志を表に出すべきではない。国家の意志として、五人は戻さない、と表明すべきである。自由な意志決定ができる環境をつくるのは、政府の責任である」と考えていた。

 マスコミや政界では、五人をいったん北朝鮮に帰すべきという意見が主流であった。しかし、ここでかれらを北朝鮮に戻してしまえば、将来ふたたび帰国できるという保証はなかった。

十月二十三、二十四日の二日間にわたって、官邸のわたしの部屋で協議をおこなった

 

(この部分などを、引用しました先の拙文《醜い国の首相に相応しい安倍晋三氏》もご参照下さい)

 

 一体どういうことなのでしょうか?

この安倍氏の記述からでは、少なくとも1024日以前には、“五人は「北朝鮮には戻らず、日本で子どもたちの帰国を待つ」”旨が安倍氏に伝わっているのに、野田氏(船橋洋一氏)の記述には、1024日官邸で、福田氏にせめて電話ででも確認するようにと指示されて、安倍氏は、拉致被害者の一人一人の意向を電話確認しているのです。

大きな矛盾です。

 真実は一つ、野田氏(船橋洋一氏)と安倍氏、どちらが真実なのでしょうか?

次の野田氏の記述から、真実が垣間見えてきます。

 

 これが小泉政権の意思決定のレベルである。・・・

上司に命じられて初めて個人の意思を問い合わさせるような人が、今は小泉彼の首相になっている。こんな電話確認で五人の思いが伝わるはずがない。方針決定の意図を、古川貞二郎官房副長官は「もし、五人を返し、そのままとなった場合、内閣はつぶれる。われわれはみな腹を切らなければならなくなる」と言ったと、船橋は続けて書いている。人さらいに対して腹を切る、北朝鮮と日本は相変わらず似ている。

 

 この古川貞二郎官房副長官の談話が安倍氏の行動を裏付けているように私には思われてなりません。

安倍氏は「腹を切らなければならなくなる」事態を避けたかったのだと私は邪推します。

たとえ、この方々のご家族の帰国に成功せずとも、5人の帰国に成功した実績は残るのですから。

 

 更に、安倍氏の欺瞞が、次の記述からも明らかになってきます。

 

 拉致された者の本心はどうであったか。二〇〇三年一〇月、地村保志、富貴恵夫妻は手記を発表している。そこには重要な思いが、あえて書かれていた。「日本に留まることを最終的に決めたのは、結局日本政府が『一時帰国者を帰さない。北朝鮮と毅然とした態度で臨む』と言明した時点であった

 

 地村さんご夫妻の「手記」から、少なくとも地村さんご夫妻に関しては、安倍氏の『美しい国へ』の記述が嘘である事が分ります。

 

安倍氏の策略の為に、地村さんご夫妻が、娘さん達と離れ離れになる辛い事態に陥ったかは、安倍氏は想像だに出来ないのです。

 

だってそうではありませんか!?

安倍氏は、「かれらを北朝鮮に戻してしまえば、将来ふたたび帰国できるという保証はなかった」と記述していますが、だとしたら、5人の方々が北朝鮮へ戻らなくても、ご家族が帰国できるという保証はあったのでしょうか!?

ご家族が帰国できるという保証が無ければ、“五人は「北朝鮮には戻らず、日本で子どもたちの帰国を待つ」”状態が一生続く心配があったはずです。

 

 安倍氏には、5人の方々(親御さんたち)の心の痛みを全く理解できていなかったのです。

 

 この件に関して、野田氏の記述を続けます

 

それは家族、友人の思いより日本国政府の決断、対応が今後の問題解決の決め手であると確信していたからだった」と。

 地村夫妻は自分たちの思いを軸にした会話の機会を持てなかった。逆に自分たちに判断選択の余地はないと気づかされた。夫妻は再び日本社会でしたたかに生きていく道へ追い込まれた。それは自律との引き換えであった。このような自律を許さない人間関係、あなたのことを思って行なっているという善意の押しつけ、それに応えること、従うことが人の道だと主張される通俗道徳に、戦後六〇年たってなお私たちは生きている。また地村夫妻は「拉致は戦争の延長、犠牲とも受け止められる」と書き込んでいたが、日本世論は無視した

 

 この地村さんご夫妻の苦しみを「日本世論は無視した」し、又、安倍氏をはじめとする議員たちも無視したのです

 

 ここで、拙文《曽我ひとみさんをご家族のもとへ帰して》、《曽我ひとみさんをご家族のもとへ帰して(2)》《曾我ひとみさんをご家族のもとへ帰して(3》に記述しましたように、曽我ひとみさんも、ご家族と引き離された事に涙されている事が分ります。

 

拙文《曽我ひとみさんをご家族のもとへ帰して》の一部を下記に抜粋いたします。

 

 曾我ひとみさんのお姿をテレビで見るたびに、いつもいつも、お気の毒な思いで胸が一杯になります。

曽我ひとみさんの帰国して約半年間の思いを新聞記事(朝日新聞14日付け)で読みますとその思いが尚一層大きくなりました。

どんなに辛い事でも過ぎてしまえばある程度は耐えることは出来ましょう。

しかし、生き別れはどうやって耐えたらよいのでしょうか?

本当にお気の毒です。

 

……20年あまりも一緒にわらい、一緒に泣き、一緒にはげまし合って生きて来た私の大切な大切な家族との生き別れ。

 

 初めは旅行、今は家出でもなくなんと言えばいいのだろうか?

 

 私に会う人達は「がんばって下さい」とあたたかく声をかけてくれます。「ありがとうございます」と答えながらも、時々どうしてがんばればいいのか、自分でもわからない時が多くなりました。一つ解決したら又新しく悲しい出来事。あまりにも私にとってはつらいです。

 

 この半年、家族の深い深い愛を心から感じています。1月に届いた娘の手紙の中に、こんな言葉がありました。

 

 「おかあさん。おかあさんとこんなに長くはなれたのは初めてだヨネ。もうすぐ冬休みです。冬休みになったらおとうさんにおいしい物を作ってあげます」と泣きながら書いてくれた手紙。それは私にとってこの世界の中で一番の宝物です。

 

私の二つの家族。おとうさんとおかあさんと私と妹の一つの家族、むこうにいる夫と私と娘2人の家族。この二つの家族をばらばらにしたのはだれですか

 

 そしてばらばらになった家族を又一緒にしてくれるのはだれですか? そしてそれはいつですか?

 

 心からよろこびあえる幸せの日を一日でも早く私にかえして下さい。

 

 この悲痛な曽我ひとみさんの「ばらばらになった家族を又一緒にしてくれるのはだれですか?」訴えは、安倍氏の「眼」や「耳」に届いていたとしても、決して安倍氏の「心」には届かなかったと存じます。

 

 安倍氏には「ばらばらになった家族」の苦しみが分らないのです。

それも、曽我さんご自身が裕福な日本に帰り、子供達(そしてご主人も)が苦しみの北朝鮮に残っている状態よりも、親である曽我さんの思いは、どんなに苦しくとも一刻も早く北朝鮮でお子様方と一緒に暮らしたいと願っていたはずです。

 

 ここで又先の拙文《曽我ひとみさんをご家族のもとへ帰して》の一部を再掲します。

 

何故、家族会の方々や、その取り巻きの北朝鮮拉致議連の方々は、曽我ひとみさんの心持を理解してあげないのでしょうか?

この曽我ひとみさんの心を理解してあげる方が、女性の中から出てこないのでしょうか?

しかし、新拉致議連の副会長でもある小池百合子議員は、2002111衆議院外務委員会「北朝鮮拉致問題」で、次のような発言をしているのです。(小池氏ホームページより)

 

┄┄ 私は、いろいろと家族の方々との接点を持たせていただいて感じるところは、この御家族の方々、そしてある意味では御本人も含めてだと思いますけれども、基本的に微動だにしていない。そしてまた、時間がかかるということ、これについてももうおなかの中にすとんと落ちているというような状態にありますので、余り日本側から一生懸命努力をして、何月何日にしましょうよというような誘いかけをする必要もないんではないか。むしろ今は、北朝鮮側が日本が要求した回答を寄せてくるという、そういったものを見ないと、日本側から次の交渉を呼びかけることも、その必然性もないのではないか。┄┄

 

 小池氏は本当に女性なのでしょうか?

曽我ひとみさんは、毎日毎日家族のもとへ帰りたい思いで一杯だと思います。

(曽我ひとみさんにとって、どんなに一日一日が苦痛なのか、女性の小池氏はわからないのでしょうか?)

何故、小池氏は(又、安倍晋三氏も、他の議連の方々も)、“自分が曽我さんと一緒になって北朝鮮へ行く”との行動をとらないのでしょうか?

そして、外務省の役人ばかりを非難しているのは、(そして、非難されているばかりでなく川口外相が率先して北朝鮮へ出向かないのが)、私にはとても奇異に映ります。

 

それに、横田さんのお父さんも、お孫さんのところへ出向いたりすれば、そこから又新しい道が開けるかもしれないではありませんか!

何故、安倍氏はじめ国会議員の方々は、横田さん共々、北朝鮮へ出向かないのですか?

 

私は、曾我ひとみさんの“この二つの家族をばらばらにしたのはだれですか?”の答えは、帰国された5人の拉致被害者の方々の北朝鮮への訪問などを差し止め、“北朝鮮との交渉は長期戦になる”と平然と言ってのける小泉首相を初めとする安倍官房副長官、川口外相、そして拉致議連等の国会議員、家族会等と、曾我さんの思いを代弁しようとしないマスコミ(更には、私達)ではありませんか!?

 

 今にして思いますと、なにしろ小池百合子氏は、「スシ」であって「人間」ではないようですから、他人の心など分る筈はないのかもしれません。

 

(この件は拙文《小池百合子氏がスシである理由》をご参照下さい)

 

 更に、「北朝鮮に戻るか永住帰国するかは、個人の判断しだいというのは国家の責任を放棄していることになる」との論理を用いた」という安倍氏の情のなさを示す記事を「週刊現代200781827号」から抜粋させて頂きます。

 

 いまや身内の自民党内からも「バカ社長」呼ばわりされる安倍首相だが、そもそも政治家・安倍晋三は、つねに洋子さんと二人三脚で歩んできた。洋子さんの親しい友人が証言する。

「洋子さんは、夫である晋太郎氏が新年の自民党総裁選に敗れたあげく、’91年に膵液がんで死去した際、仏壇に向かって、「あなたにはなかった運をどうか晋三に授けてください」と必死に祈っていました。晋太郎氏は、『晋三には政治家にもっとも必要な情が欠如しているとして、最後まで晋三氏の政界人りを懸念していました。しかし洋子さんが「私が面倒を見る」と周囲を押し切って、晋太郎氏の死後、′93年に跡を継がせたのです」

 

 更には、安倍氏の取り巻きは、2世、3世の議員が占めています。

そして、彼らを大臣等に抜擢しています。

安倍氏はこの事で、自分は「他人に対する思いやりに溢れている男」と勘違いされているのではないでしょうか?!

お坊ちゃまとして育ってきた方々に、苦しみにあえぐ人達の心が分るのでしょうか?!

ですから、野田氏は次のようにも記述しています。

この国では何を言っても無駄である、ただ単純なひとつの見解に従わされるだけだ、北朝鮮も祖国日本もそれほど違っていない──これが地村夫妻の印象でなかったのか。その後、横田夫妻の娘を返せという精力的な活動が、マスコミによって逐一報道されてきた。こうなると、どこまでが横田夫妻の意思なのか、マスコミや政府がどれだけ関与しているのか、判断できない。横田夫妻は我が子の拉致と共に、戦前日本の朝鮮人強制連行について考えることもあるだろうが、そんなことは周囲が言わせないだろう。

 こうして拉致で煽られた北朝鮮は何でもする国という憎悪と恐怖と蔑視は、ミサイル、核実験でさらに煽られた。北朝鮮に接している韓国政府が、緊張よりも対話を運んでいることの意味すら、考えようとしてこなかった。・・・

 

本当に野田氏の記述通りに「この国では何を言っても無駄」なのかもしれません。

なにしろ、麻生太郎氏の父上の麻生炭鉱は、「戦前日本の朝鮮人強制連行」(いわゆる弱者的立場の方々)によって支えられてもいたと存じますが、その麻生太郎氏が、野中広務氏への差別発言(拙文《野中広務氏への麻生氏の差別》をご参照下さい)や、「アルツハイマーの人でもわかる」発言などなど心無い発言を繰り返しながらも、この度自民党の幹事長に就任したのですから、無茶苦茶です。

 

野田氏の記述から、更に、多くを教わりましたが、今回はここまでとさせて頂きます。

勿論、私が「この国では何を言っても無駄」と諦めたからではありません。

 

 (補足)

 安倍氏の『美しい国へ』の記述が正しく、野田氏の記述、即ち、『ザ・ペニンシュラ・クエスチョン──朝鮮半島第二次核危機』(船橋洋一著:朝日新聞社)の記述が違っていているのなら、『週刊現代:2006年11月18日号(講談社)』に対して通告書を送付したように
拙文《醜い国の首相に相応しい安倍晋三氏》などをご参照下さい)朝日新聞に通告書を送付し、又、訴えたら如何でしょうか?

 
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