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政治も外交も社会通念が基本

2005年6月8日

宇佐美 保

 小泉首相の「『罪を憎んで人を憎まず』というのは(中国の)孔子の言葉だ。……」発言に呆れ果てている私は、朝日新聞の『声』欄で、「日本人だから謝るのはなぜ」との若者からの次のような投書を目にして「日本のトップがトップなら……」落ち込んでしまいました。

 

 「南京で通じた『ご免なさい』」(8日)で、中国人の子どもに「私は日本人です。ご免なさい」と言ったことに違和感と驚きを覚えた。私には、いくら自分が日本人でも、昔の日本人がした行為に対して謝るという感覚が希薄だ

 場を共有していない両者間の連続性が感じられず、昔の日本人の罪は、私にとっては「他人」の罪だ

「ひどいね、でも関係ない」というのが正直なところだ。おそらく多くの若者も似た考えではないか

 今までは、そうした意識の分断に疑問を持つことすらしなかった。歴史書をたくさん読んだこともなく、祖父母の戦争体験すらよく知らない。だが、余りにも無関心や無知でいると、反日デモや在日中国人犯罪などに過剰反応し、一転して「反中」ムードに転じてしまいかねない。最近、自分を含めた若者の考え方が危ういと思うようになった。

 そこで今、私は歴史を学ぶことを大学在学中のひとつの目標にしようと思う

長期休暇には日本各地の歴史資料館を訪れたい。そうすれば私の感覚も、いつか変わるのだろうか。

 

 今のほとんど若者が、こんなだったら、日本は世界から爪弾きされてしまいます。

この若者が、世界の多くの恵まれていない国々の若者が夢にまで見るであろう豊かな生活を、日本という国で、エンジョイ出来るのは誰のお陰ですか?

今の日本の繁栄は、若者自身が築いた繁栄ですか?

今の日本の国土は、若者自身が確保したのですか?!

先の日本人が築いた都合の良い部分を貪り食って、都合の悪い(戦争責任など)を“昔の日本人の罪は、私にとっては「他人」の罪だ”といけしゃあしゃあと書いてしまう無神経さに、私はびっくりして腰が抜けそうになりました。

でも、最近の日本家族の状況を思えば「然もありなん」です。

子供の犯罪に対して、親は無責任!

「子供は子供」、「親は親」

これでは、子供は「親に迷惑をかけまい」、「親に心配をかけまい」の心が芽生えてこないのですから、子どもの犯罪抑制力が失われても当然と言えば当然です。

悲しい事に、親が子供の罪に無関係と唱えれば、子供は、親、更には、祖父母の代の罪には無関係と唱えるのは自明の理ともいえるのでしょう

 

 この若者は“私は歴史を学ぶことを大学在学中のひとつの目標にしようと思う”と書いていますが、歴史なんかを学ぶ以前に、人間性に磨きをかけるべきです。

なにしろ、歴史的事実(当時の事実が全て明白とはならず、結局は断片的な事実)の最終的な解釈は、その解釈を行う人物の人間性に委ねられるのですから。

(憲法ですら、政治家達は勝手に自分の都合の良いように解釈しています。)

人間性が欠落している男が首相におさまり続ける国では、若者までもが人間性欠落症候群に陥ってしまうようです。

 

 それでは、この若者が「違和感と驚きを覚えた」との投書(高校非常勤講師のご年配の女性)を次に掲載させて頂きます。

 

南京で通じた「ご免なさい」

 日中関係の難しさをみていて、1年前の体験を思い出しました。友人と4人で南京市を観光で訪れ、大虐殺記念館を見学しました

 館内で日本語を話すとまずいので、やめておこうと事前に申し合わせていました。小学生ぐらいの子どもが次々と入館しました。私たちに同行していた中国人通訳が言います「子どもたちは日本人はひどいと言っている。日本が嫌いになって帰っていきますよ」

 このままでいいのかと思った私は、覚えたての中国語で子どもたちにとっさに言いました。「私は日本人です。ご免なさい」

女の子が進み出て私の目をじっと見つめ、話し始めます。「展示は過去のことです。あなたが悲しむことはありません。「あなたの気持ちが通じたのよ」と通訳は喜んでくれました。

 日本は中国に反省とお詫びを表明しているといいますが、国民は痛みを感じているでしょうか。過去をきちんと受け止め、どう反映させるのかを近隣諸国民は注視していると思います。

 「過去のことです」という言葉は中国の人たちが発して初めて意味を持つと感じました

 

 この投書からは実に素晴らしい人間の心の動きを感じさせて頂きました。

 先ず、この女性は、「館内で日本語を話すとまずいので、やめておこうと事前に申し合わせていました」と言うことで、嫌な事には関わりたくないの気持ちだったのでしょう。

 

 それでも、次々入館してきた小学生ぐらいの子供達が「日本人はひどいと言っている。日本が嫌いになって帰っていきますよ」との中国人通訳の言葉に、本来の心を呼び覚まされ、「覚えたての中国語で子どもたちにとっさに言いました。「私は日本人です。ご免なさい」」と人間としては当然の行為をされたのです。

 (でもこの行為を実行するのが難しいのです。なにしろ知らん振りしているのが一番楽で、無難ですから!)

 

 そして何よりも素晴らしいのは次の段でしょう!

女の子が進み出て……展示は過去のことです。あなたが悲しむことはありません

(まるで、芝居の、又、オペラの舞台のようです!)

この女の子の心を、先の投書の若者は全く理解できていないようです。

勿論、小泉氏は理解できないでしょう。

 

 でも、投書の主の女性はしっかりと理解されて「「過去のことです」という言葉は中国の人たちが発して初めて意味を持つと感じました」と書かれているのです。

 

 このような人間の心(社会通念)を全く理解できない小泉氏は、自らが加害者側の首相であるにもかかわらず「『罪を憎んで人を憎まず』というのは(中国の)孔子の言葉だ。……」と息巻いたのです。

 この小泉発言を聞かされたら、先の中国のお子さんはどう感じるでしょうか?

こんな小泉氏に向かって、「展示は過去のことです。あなたが悲しむことはありません」との言葉を発するでしょうか?!

 

 中国のお子さんの言葉は、投書の女性の「私は日本人です。ご免なさい」の言葉があってこそ発せられた言葉ではありませんか?!

この投書の女性の言葉がなければ、そのお子さんも、中国の通訳の方が「子どもたちは日本人はひどいと言っている。日本が嫌いになって帰っていきますよ」と語った他の中国の子供たち同様に日本に対する嫌悪感を持って「南京市大虐殺記念館」を後にしたのでは?

 

 多くの日本人は、南京虐殺など無かったなどと発言していますが、被虐殺者数何10万人は兎も角、虐殺の事実はあったのでは?
なにしろ、南京以外でも、残虐行為は行われてきたのですから!

その例として、平頂山事件のホームページを訪ねてみては如何でしょうか
そこでの次の記述に私は愕然としました。

 1932916日日中、撫順独立守備隊は、平頂山の住民を一ヶ所に集め包囲し、一斉に機銃掃射を浴びせた。機銃掃射が終ると、兵士たちは死体の山に踏み込み、生存者を調べ始めた。生存者を見つけると、銃剣で突き刺し息の根を止めた。赤ん坊も、子供も、妊婦も情け容赦なく突き刺した。後日、日本軍は、虐殺の事実を隠蔽するため、遺体に石油をまいて焼却し、ダイナマイトで崖を爆破させ、死体の山を埋めた。これによって、約400世帯、約3000人が住んでいたといわれる平頂山村が消滅し、住民の大部分が虐殺され、その場から逃げ出した者は、ごく僅かに過ぎなかった。

 

 そして、拙文《JR西日本の脱線事故と戦争》にも掲載させて頂いた、私宛のメールの一部を再掲させて頂きます。

私が某社に入ったときの上司(今でも鮮明に覚えている名前;S.U)は戦争帰還者で中国に行っていました

日本刀で数多くの中国市民を切り捨てたと平然と言っていました

しかもいろいろな殺し方を楽しんだと酒の席で自慢する有様です。

 

 更には、朝日新聞(5月31日)の投書には次の「声」も載せられています。

 

 テレビで靖国神社参拝間題のニュースを見ていた約半月前、今秋88歳になる父が戦争中、北京の北にいたことを知った。

父は「日本軍が中国でしたことを考えると、参拝はしない方が良いと思うがな」と話し始めた。父は大学在学中に中国語を学んだこともあり、1939年、召集で入隊すると、軍の中国語係になったという。

 係として最もつらかったのは、首をはねられる村人にそのことを説明する時だったという。また共産党と疑われた人々に対して行った拷問の話もした。そして「そうしたことを覚えている人がいるうちは、慎重に行動すべきだ」とぼそぼそ話した。……

戦後60年、家族にも話すことがなかった、父の心の傷を思った。

 父のような体験をした人は、靖国参拝とそれに伴って引き起こされた中国との問題を、複雑な思いで見ている人が少なくないように思われる。こうした参拝に疑問を感じる声を今、もっとあげるべきだと考えた。

 

 そして、これらの残虐行為は、何も日本人だけの固有の行為ではないはずです。

戦争となれば、どの民族も同じ人間の残虐性が牙を剥き出して来るのではありませんか?!

 

 海兵隊員としてベトナム戦争の前線で戦ったアフリカ系アメリカ人アレン・ネルソン氏の著作『ネルソンさん、あなたは人を殺しましたか?(講談社:発行)』には、戦争の残忍性がえぐり出されています。

 

先ずは、海兵隊員の新兵としての訓練時の話を抜粋させて頂きます。

 

夜になっても、訓練は終わりません。新兵に対する洗脳は続くのです。

兵舎でねていると、突然に教官たちが入ってきてどなりはじめます。

「おまえたちは何者だ?」

おどろいて目を覚ましたわたしたち新兵は、すかさず大きな声で答えます。

「海兵隊員です!」

おまえたちのしたいことはなんだ?

殺す!

「もう一度!」

殺す!

「スペルを言え!」

KILL! KILL! 殺す! 殺す! 殺す」

最後は興奮状態になり、ウォーという喚声が兵舎をゆるがすのです。

 そのような洗脳はつねに行われます。

 たとえば、点呼のときなど、少しでもぼんやりしていようものなら、教官がやってきて耳元でこうささやくのです。

「どうした? ガールフレンドのことでも思い出してるのか? おまえのことなんか待ちつづけるもんか。いまごろほかの男とつきあってるにちがいないさ」

 若者の心を、教官はそんなふうにしてもてあそび、ズタズタにし、基地の外側に広がる平和で平凡な生活に対する未練や夢をうばい去っていくのです。

 そんな日々のくり返しの中で、わたしたちは人を殺すことへのためらいや、罪の意識を少しずつ失っていきました

 そしてそれが海兵隊員になるということでした。戦場で、おそれることなく、上官に言われるがままに人を殺す人間になるということが。

 兵士は考えてはいけないのです。考えるのは上官の仕事だからです

 新人キャンプは三か月ほど続きました。

 この苛酷な日々にたえることができた者だけが、晴れて海兵隊員になることができました。

 

 海兵隊の訓練たるや、「殺人鬼」の養成訓練のようです。

そして、訓練を経てベトナムに向かう前、沖縄に一旦寄った模様を抜粋させて頂きます。

 

 当時、沖縄はまだ日本に返還されておらず、アメリカのものでしたので、アメリカ兵は沖縄は自分たちの国の一部という感覚でいました。

 しかし、そこに住む人々は、アメリカの島でありながらアメリカ人ではなく、それは東洋人であり、つまりベトナム人と同じ人種で、住む国がちがうだけなのだと思っていたのでした。

 わたしたちは東洋人の一人一人を見分けることができませんでした。みんな、同じ顔に見えましたし、それでもまったく問題はなかったのです。なぜなら、わたしたちは東洋人 を、そして沖縄の人々を人間として見てはいなかったからです。

 アメリカ兵はベトナム人のことを「グークス(gooks)」という言葉でよんでいました。それは東洋人をバカにしていう言葉です。サーカスの見せ物小屋にいる異形の人間。

 そんな意味もあります。

 アメリカ兵が沖縄の人々をよぶときは、この「グークス」ではなく、「ジャップ」という日本人をさげすんで言うときの言葉を使っていましたが、その意味するところは「グークス」とそれほど変わりません。そこからも、わたしたちが沖縄の人々をどんなふうに考えていたかがわかるでしょう。

 たとえば、街にくり出して飲んだくれたときなど、キャンプ・ハンセンにもどるにはタクシーを使いましたが、料金をふみたおすのはしょっちゅうでした。タクシーの運転手が支払いを催促しても、わたしたちはニヤニヤ笑って無視します。それでも、運転手がしつこく請求すれば、わたしたちは運転手を車の外に引きずり出し、気絶するまでめちゃくちゃになぐるのです。

 それは女性と遊ぶときも同様です。女性がお金を要求しても、はらう気がなければ無視しましたし、それでもしつこく要求してくれば、女性でもようしゃなくなぐりつけました。

 街を歩いていても、わけもなく沖縄の人々をバカにしたり、おどしたりしました。

 そんな悪行のかぎりをつくしても、アメリカ兵は逮捕されることはありませんでした

基地のゲートをひとたびくぐってしまえば、わたしたちは安全であり、沖縄の警察の手がおよぶことはなかったのです。軍にとがめられることもありませんでした。

 

 このような沖縄の人々の惨状を沖縄以外に住んでいた日本人は殆ど無視し続けていたのです。

そして、沖縄の人々へのこの米兵の行為が、かっての日本兵の中国の方々に対する行為とかけ離れていたとは私には思えません。

(米兵が、日本人を「ジャップ」と呼んでいたように、父の世代の人々が、中国の方々を「チャンコロ」と侮蔑的に呼んでいた記憶が私にはあります。)

 

 更には、ベトナムでの戦闘の模様を一部抜粋させて頂きます。

 

 それは、サッカーの試合前に、控え室で監督が選手に作戦を説明し、鼓舞するのににています。隊長は作戦を説明し、そしてこうつけくわえます。

「これから行く村はベトコンしかいない村だ。だから、村ごとぶっつぶせ!!

 そして、威勢のいい言葉をならべ、わたしたちを試合直前の選手たちのようにふるい立たせようとします。

 この戦闘が戦争の終わりを近づけるんだ!!

 オレたちは海兵隊だ!!

 オレたちは勇士だ!!

 オレたちは不死身だ!!

 オレたちは歴史に残るんだ!!

 ベトコン野郎を皆殺しにするんだ!!

 そんな言葉にわたしたちは反応し、興奮し、その高揚した気分のままヘリコプターに乗りこみ、出撃するのです。

 ヘリコプターは爆音とともに村はずれに着陸し、わたしたちは飛びおり、村におそいかかります。

 村の男たちが銃をつかんでジャングルにかけこみ、そしてはげしい銃撃戦が始まると、女性たちもまた子どもの手を引き、あるいはだきかかえ、ジャングルの中へとにげこんでいきます。どれがベトコンで、どれが女性や子どもだなどと見分けている余裕はありません。ジャングルの中で動いている者はすべて撃ち殺すのです

 とにかく、ひとたび攻撃が始まってしまえば、気持ちはとてつもなく高ぶり、自分に対するコントロールを失ってしまいます。いわばリングに立ったボクサーがゴングの音とともにファイティング・ポーズをとるように、わたしたちは血なまぐさい別の人間になってしまうのです。

 ですから、何人でも殺せました。何度でも火を放てました。

 そして、実際に、大勢の女性や子どもたち、年寄りたちを、わたしたちは殺すのです

いともたやすく、無感動に、なんのためらいもなく。

 そのようなことは、ほんとうにたくさんありました。

 報復のための皆殺しもありました

 

 南京虐殺の際には、中国兵が南京市民の中に紛れ込んだから、止むを得ず中国兵共々、南京市民も殺してしまったのだと、虐殺を正当化する方も居られるようですが、当時の日本兵と、ここに書かれた米海兵隊員は「同じ穴の狢との印象を私は受けます。

 

 更に、戦争の残忍さを抜粋させて頂きます。

 

 やがてとても効果的な方法が見つかりました。それは残虐非道なものでしたが、これに

まきる戦術はありませんでした。

 それは、村に残っている女性や子ども、老人を殺すことでした。

 これは彼らにとって、家族を失うと同時に、食糧などの支援も失うことを意味しました。

 わたしたちは村人の死体、つまり女性や子どもや老人たちのむごたらしい死体を、かくれている男たちによく見えるように、村の入り口にならべます

 男たちは家族を皆殺しにされたことを知ると、ようやくみずからすがたをあらわし、わたしたちと真正面から戦うようになるのでした。

 みんなグークスなんだ。わたしはそう思っていました。

 女だろうが、子どもだろうが、年寄りだろうが、みんなグークスなのだ。みんな野蛮人なのだ。ほうっておけば、わたしたちを殺しにくる獣なのだ。

 そう思っていました。

 

 とても人間の行う行為とは思われません。

でも、又、これが人間なのです。

ひとたび戦争となれば、人間は悲しい事にこのような残忍な行為を平気で行ってしまうのでしょう。

そして、戦争を遂行する上層部は、これらの残虐行為を見てみぬ振りをしているのです。

更に、人間の残忍さを次のようにも記述して下さっています。

 

 部隊の中にはモンスターのような兵士が何人もいました。

 人間というものが、いかに環境に従順で、残虐さにすらたちまちになれるものだということを戦場で知りましたが、と同時に、一線をこえてはならないというタブーの感覚もまた消えないものだということも知りました。

 でも、そのタブーの感覚すら持たない人間、つまり、一線をこえてどこまでも突き進む人間もまた、現実に、しかも大勢いることにわたしはおどろきました

 そんな連中を、わたしはひそかにモンスターとよんでいました。同じ人間とは思いたくありませんでした。

 彼らは、だれよりも多く人を殺し、そして戦闘が終われば死体から頭を切り取り、その頭とともに記念写真を撮ります。

 また、生きている女性ばかりでなく、死んだ女性をも乱暴し、もてあそぶのです。

 彼らにとって、タブーは存在しません。まさに、この世で彼らがしてはならないことは何もないのです。

 刑務所に入っている殺人鬼とモンスターがちがうのは、殺人鬼は自分のために殺すのですが、モンスターは上官の「殺せ」という命令にしたがって殺すという点です

 モンスターらは確実に任務をこなす殺人マシーンなのです。

 軍は彼らの行きすぎたおこないを知っていましたが、軍は彼らをほめこそすれ、とがめることはいっさいありませんでした。軍にとって、モンスターらは有用な兵士であり、飼い主以外の者ならだれでもかみ殺してくれる、飼い主に忠実なよい犬だったからです。

 自分もいつしか、そんなモンスターの仲間入りをしてしまうのではないかと、わたしはおそれていました。知らぬ間に、人間性の最後のひとかけらをも失ってしまうのではないかと。

 

 このような恐ろしい「殺人鬼(モンスター)」は、どんな過去の戦争にも存在していたでしょう。

今のイラクに於いても!

勿論、中国国民に対した日本軍の中にも。

殺人鬼(モンスター)」を有用な兵士として認識してしまう戦争行為を、何故民主的国家が実施する事が正当化されるのでしょうか?!

こんな「殺人鬼(モンスター)」を是認する政治家達が、子供達の残虐行為を食い止める事が出来るのですか?!

 

 個人が行う残虐行為が罪であって、国家が(それも民主的国家が)行う残虐行為が正当化されるのは何故ですか!?

「自衛隊」と言う言葉はわかりにくいから「軍隊」にしようとの暴論を吐く小泉氏よ、何故、国家的残虐行為が正当化されるのか説明して下さい。

小泉氏は、特攻隊に感激の涙を流したそうですが、特攻隊員が、爆弾諸共突っ込んだ先には、米兵がいたのではありませんか!?

戦時中は、「鬼畜米英」と日本人を洗脳したようですが、米英人とて同じ人間ではありませんか!?

特攻隊の攻撃対象の被害者も人間だったのです。

(勿論、原爆や大空襲や、沖縄戦での被害者の方々も人間です。)

ネルソン氏が記述されたような残虐行為が平然と行われてしまう戦争に、誰が進んで行くのですか!?

そもそも、このような残虐行為が行われると、前もってわかっている戦争を誰が引き起こすのですか!?

 

 

 最近の日本では「普通の国」との言葉が闊歩しています。

“普通の国として、「軍隊」を持ち、国際貢献すべき!”旨を、「人食いライオン」のような形相をした小泉首相は吼えまくっていますが、誰も異議を唱えないのは何故ですか?

 

 人間の悲しい習性として、誰もが常識に束縛されてしまいます。

 

「軍隊」を持つ国が「普通の国」なのではありません!

「軍隊」を持つ国が「異常な国なのです!

 

本来は

軍隊」を持たない国が「普通の国なのです。


 1985
8月、中曽根康弘首相は、

さもなくしてだれが国に命をささげるか

といって靖国神社に公式参拝をしたそうですが、戦争が起こって、国民が国に命を捧げる羽目に陥る前に、何故、国の指導者達は命を張って戦争阻止、平和への道を築こうとしないのですか!?

国家の最大責務は、国民を戦争に巻き込まないことではありませんか!?

(そして、国民一人一人は、国家が戦争へ暴走しないように常日頃から監視の目を光らす責務があると思います。

なにしろ、戦争は「国に命をささげる」との(言葉上の)奇麗事ではなく「残虐行為」そのものなのですから!そんな「残虐行為」に誰が参加するのですか?!)

 

 それなのに、516日の衆院予算委員会での、小泉首相と仙石氏(民主党)との質疑は次のような有様です。

毎日新聞:2005年5月17日より抜粋

……

仙谷氏 靖国神社には年内は行かないか?

首相 戦没者に対する追悼の仕方に他国が干渉すべきではない。戦没者に心からの追悼の誠をささげるのがなぜいけないのか、理解できない。民主党の中にも靖国参拝すべしという意見がある。国民の中にもいろんな議論がある。A級戦犯問題がたびたび国会でも論じられるが、そもそも「罪を憎んで人を憎まず」とは孔子の言葉。戦没者全体に対し、哀悼の誠をささげるのがけしからんというのは理由が分からない。いつ行くかは、適切に判断する。

 

 小泉氏の「戦没者に対する追悼の仕方に他国が干渉すべきではない」との発言は、まるで酔っ払いの戯言のように聞こえます。

私は、電車内で酔っ払いの醜態を注意するとよく絡まれます。

“お前に、とやかく注意される筋合いはない!”、“折角いい気持ちでいるのに!五月蝿い黙ってろ!”と。

 

 小泉氏は、もうご存知のはずです。

拙文《仁なき詭弁家小泉純一郎首相》《小泉首相の靖国参拝(お蔭様を忘れずに)》などにも何度も引用させて頂きましたが、次の『文芸春秋:20019月特別号に古山高麗雄氏の書かれた「万年一等兵の靖国神社」。』での、中国の首相周恩来(当時)の大英断です。

 

一九七二年、当時の首相田中角栄が、日中国交正常化のために訪中したとき、当時の中国の首相周恩来は、「あの戦争の責任は日本の一握りの軍国主義者にあり一般の善良なる日本人民は、中国人民と同様、握りの軍国主義者の策謀した戦争に駆り出された犠牲者であるのだから、その日本人民に対してさらに莫大な賠償金支払いの負担を強いるようなことはすべきでない。すべからく日中両国人民は、共に軍国主義の犠牲にされた過去を忘れず、それを今後の教訓とすべきである」と言って、賠償請求を放棄した。

 

 そして、次のように続いているのです。

 だから中国政府としては、東京裁判のA級戦犯を合祀する靖国神社に日本の首相が参拝することによって、A級戦犯の戦争青任が曖昧になったり、その名誉が回復されたりすると、自国民を納得させられない、というのである。



 何故この事実をマスコミは日本国民に正確に伝えないのでしょうか?

朝日新聞(63日)には、「一から分かる靖国問題」との記事を全面に掲げていましたが、この周恩来氏の大英断には一言も触れていません。

 

 更に、6月5日の社説でもこの件に触れていません。

この社説には次のような矛盾した記述がありました。

 

……命を落とした人々を追悼し、その犠牲に敬意を払うことと、戦争自体の評価や戦争指導者の責任問題とを混同するのは誤りだ。上官の命令に従わざるを得なかった兵士らと、戦争を計画し、決断した軍幹部や政治家の責任とは区別する必要がある

 靖国神社は78年、処刑された東条英機元首相らを含む14人のA級戦犯を合祀(ごうし)した。このことが戦死者の追悼の問題をいっそう複雑にしてしまった

 かつて陸海軍省に所管されていた靖国神社は、戦死者を悼むと同時に、戦死をほめたたえる、いわゆる顕彰の目的があった。戦意を高揚し、国民を戦争に動員するための役割を果たしてきた

 

 靖国神社での合祀の事務は戦前は神社を所管した陸海軍省が行った(6月3日朝日新聞)のですから、「A級戦犯」の支配下で行われたのです。

なのに、「A級戦犯」が合祀されると、彼らの決定によって合祀されていた方々が異議を唱えるのでは、矛盾も甚だしいではありませんか?

靖国神社には、戦死者も又戦死者を戦場に送り、合祀を決めた「A級戦犯」も一緒に合祀されてしかるべきではありませんか!?

 
 私は靖国神社の決定には、それなりの理を認めます。

但し、先の拙文《仁なき詭弁家小泉純一郎首相》にも引用させて頂きましたが、「自主・平和・民主のための広範な国民連合」のホームページの記述にある「靖国神社は、被差別部落の人びとも死してなお差別して合祀の対象から除外している」の件も、事実であるのなら、改めてご配慮頂きたいと存じます。

 

 但し、靖国神社の理と、故周恩来氏と故田中角栄氏との取り決めとは齟齬をきたします。

 

 そして、若し、「A級戦犯」を分祀するなら、信教上の理由からも分祀を願っている仏教徒の方々キリスト教徒の方々、沖縄の方々、韓国の方々のご意向も適えてしかるべきです。

そして、戦死者を「軍神」と決定した「A級戦犯」を分祀し、靖国神社から除外するのなら、戦死者犠牲者の方々を「軍神」として祀るのをやめ「魂」を慰めるべきです。

そして、戦争犠牲者の方々の「魂」を慰める場としたら、何も靖国神社に拘らずに、戦死者のみならず、原爆、空襲、沖縄戦などなどでの多くの民間の戦争犠牲者も共々の「魂」を慰める場を新たに設けるべきと存じます。

 

 ところが驚いたことには、故周恩来氏の大英断を、「無理に変な理屈」と解釈する人がいるのには吃驚しました。

6月4日放映の朝日ニュースターの番組『パックインジャーナル』に於いて、田岡俊二氏(元朝日新聞論説委員、現AERAスタッフライター)は次のように発言していました。

 

中国は、日本と仲良くしたいから、無理に変な理屈(日本国民は被害者で、悪かったのはA級戦犯だけ)を作って国内向けに説明した。

日本にとっては、しめたもので、死んだ人に責任を担がせて、日本は悪くないと、わざわざ毛沢東や周恩来が言ってくれたその有利な話(向こうが自国民を騙すためにつくった)を、こちらからひっくり返そうと言う訳ですね……

 

 この田岡発言を耳にして、田岡氏の心の貧しさを感じました。

(田岡氏は「軍事オタク」としては、確かに尊敬に値しますが。)

田岡氏にしてこの発言ですから、尚一層、心の冷たい小泉首相なら、故周恩来氏の大英断を「屁とも思っていない」のかもしれないと思わざるを得ません。

他人から得た恩恵に対して、その背景を色々と勘繰っていたら、感謝の気持ちを表すことが出来なくなってしまいます。

これでは心の交流などできるわけはありません。

 

先の南京市のお子さんの気持ちも心からの気持ちではなく、そう言えば先生に褒められるから、または、そう言えば日本女性の涙を誘ってお土産に何か貰えるから云々と、当所の女性が勘繰っていたら、お二人の心の交流はなかった筈です。

(“与える側は心を込めて与え、受けたる側も心を込めて受け取る”、これが人間社会の「いろは」ではありませんか?)

 

町村外相の発言(朝日新聞:6月7日)にも落胆します。

 

 町村外相は6日、有識者による外相の諮問機関「ODA総合戦略会議」の会合で「靖国神社に行ったから軍国主義だとか批判はあるが、とんでもないこと。赤字国債を出してまでODAを一生懸命出し続け、90年代は第1の供与額だったことは、胸を張って国際社会に言える」と発言した。

 

この町村発言は、社会通念を完全に逸脱しています。
町村発言は、ODAを与えた側の発言でしょうか!?

又、小泉氏も、このODAの件に関して、同様に“感謝することのない国なのでしょうか?”の類を発言していました。

 

こんなお粗末な(一般的な社会通念から逸脱した)人間が国のトップに居座っていて良いのでしょうか?!

 

先日のテレビ朝日の『報道ステーション』では、

“サンフランシスコ平和条約では、戦勝国は賠償金の請求権を放棄している、
それもあって中国も賠償請求権を放棄した”

旨を古舘氏(だったと思います)が語りました。

どうも、マスコミは表面的な事実を伝えることで責任を果たしたつもりでいるようです。

 

 中江要介元駐中国大使の「サンフランシスコ講和条約」に関する次の発言を、テレビ朝日の関係者は、どのように考えるのでしょうか?

http://www.jlp.net/interview/010905.html

 

 第二は賠償問題である。これまでの戦争は、ばく大な賠償が要求されたが、今回は請求権問題としてケリをつけた。
 だが、一番賠償を請求する権利があるはずの中国は講和条約には参加していない。さらに中国は日中共同声明、日中平和友好条約で賠償請求を放棄した。そのことをわが国はどう受け止めるのかが問われている。
 小泉首相をはじめとする多くの政治家は、靖国参拝に当たり、そのことをまったく配慮していない。



この中江氏の発言にある「これまでの戦争は、ばく大な賠償が要求された」件に関しては、(http://www2u.biglobe.ne.jp/~hmminami/note-kokusaiseiji.htm)を、次の記述を教えて貰いました。

 

第一次世界大戦の結果、ドイツは敗れ、ヴェルサイユ条約が結ばれた(1919年)。この時フランスは、敗戦国ドイツに対して1320億金マルク当時のドイツの国家予算の17年分)という苛酷な損害賠償を認めさせた。

 

 日本の国家予算は約80兆円ですから、その17倍は1360兆円です。

 

拙文《衣食足りて礼節を忘れた日本人》にも引用させて頂きましたが、野田毅氏(自民党衆議院議員・日中協会会長)は、417日のテレビ朝日『サンデープロジェクト』に於いて、次のように発言されていました。

 

 “日清戦争以来、日本が中国に与えた損害は、数百兆円にもなるだろう。……”

 

このように、日本が中国に、1000兆円ほどの賠償金を支払っていたのなら、町村氏、小泉氏の発言に少しは説得性がありましょうが、その数百分の一の3兆円のODAです。

加藤紘一(元自由民主党幹事長)は、この3兆円のODAは有償(要返却)であって、中国は今それを日本に返却中であって、現状では日本から中国への支払いよりも中国からの日本への返却金のほうが多いとテレビで語っておられました。

 

それに、前にも書きましたが、日本から他国へのODAには政治家、大手業者への多額の見返り金(即ち税金の横流し)の存在が危惧されます。

 

とても、町村氏の寝言のように「胸を張って国際社会に言える」ような賠償ではありません。

 

更には、「サンフランシスコ講和条約」に於いて、戦勝国が賠償金の請求権を放棄したといっても、主だった、米英仏、そして、ソ連(調印を拒否)の国々の本土は、日本軍の損害を蒙っていないのです。

そして、中国、韓国もその会議には参加していません。

アジアの小国の不満の声は、米国に押さえつけられたのです。

この点は、「愛国顕彰ホームページ」を参照させていただきます。

http://www.asahi-net.or.jp/~un3k-mn/0815-sf.htm

 

フィリピンは、日本による占領と激しい陸戦によって多大な戦争被害を受けた。賠償請求権の放棄に対して政界はもとより民衆からも強い反対の声が上がった。これに対しアメリカは「安定的で健全な日本が、この地域における利益につながるとの信念によっている。もし仮に日本の工業潜在能力や人的資源がソビエトと中共にわたたったら、フィリピンは深刻な危機にさらされるだろう。」と脅迫とも取れる説得をした。フィリピン上院は対日講和条約を承認せず、昭和31年に日比賠償協定が締結されるに及んで講和条約も承認した。

 

これ以外の戦争当事国が、アメリカに直接不満を述べる機会は無かった。

中国は、昭和24年の革命により中華民国から中華人民共和国に変わった為に、条約の対象国とはならなかった

朝鮮は、日本の敗戦と共に独立し、昭和23年に大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国という分裂国家を成立させた為に、戦争当事国とはされず対象国とはされなかった

インドネシアインドシナ諸国は、独立運動のさなかで積極的な関与ができなかった。

アジア太平洋の諸国は、アメリカの講和条約案に反対する意見が強かったが、アメリカの支援を必要とする国家事情から強く反対できず、国際的な発言力もほとんど無かった。

 

インドビルマユーゴスラビアは参加を拒否。

ソ連ポーランドチェコは参加したが調印を拒否している。

 

 報道ステーションももっと問題を掘り下げて番組制作を行って頂きたいものです。

それとも圧力が掛かっているのですか?!

 

 先のホームページでは、中江氏は次のようにも記述されています。

 

靖国神社問題でも反対を叫べば右翼や暴力団の妨害を心配しなくてはならないとのことである。

憲法で保障されている言論・思想・表現の自由はどうなっているのか。

 

 それなのに、小泉氏は、「私の信条から発する参拝で心の問題」と発言しています。

おかしなことです。

そこで、小泉氏は首相になる前は靖国参拝を行っていたのか?との疑問を持ち、朝日新聞の広報課に問い合わせたところ、“「小泉氏が靖国に参拝した」と言う朝日新聞の記事は過去にない”との返事を得ました。

(民主党の岡田代表も、この点(小泉氏は首相就任前に、靖国神社に参拝していたのか)をはっきりと国会で小泉氏に質して頂きたいものです。)

 

 

 64日の朝日ニュースターの番組『パックインジャーナル』で、紺谷典子氏(経済評論家?)は、“小泉首相は、首相になる前は、靖国に参拝していないと聞いている”と発言していました。

そこで、ホームページを訪ねましたらと、次のように、小泉靖国参拝の経緯を記述されているページを拝見する事が出来ました。

http://hayawasa.tripod.com/japan02c.htm

 

自民党総裁選挙告示前の4月13日に「神の国」総裁自民党森善郎派番頭小泉純一郎は日本遺族会事務局を突然訪ねた

前遺族会会長は総裁選を争う橋本龍太郎である。

小泉は「橋本は8月15日に靖国神社に参拝しないがおれは必ず行く。」と遺族会に公約した

遺族会の中井会長にも電話で伝えた。(8月7日夕刊)

遺族会の会員世帯は104万。昭和28年に設立され「九段会館」を国から無償貸与されている。

元常務理事の尾辻秀久を参院に送り込んだり、靖国神社の国家護持法案を5回も自民党に提出させたりしている極めて政治的な団体である。

家族の生を人生の途上で突然断ち切られたのだから、その戦争責任者を激しく追及したり、戦争に繋がる小銃一丁でさえ日本には必要ないと言って、苦痛のうちに死んでいった者を反戦の決意で追悼している団体だろうと普通の国民なら思う。

しかしまったくちがう財団法人なのである。

戦争は絶対嫌だ、死にたくない、といいながら殺された戦没者の気持ちを想うと暗澹としてくるのは若者だけではない筈だ。

 

 この記述が事実なら(何しろこの話は、多くの方が語っておられます。今夜(6月8日)のTBSのNEWS23にて、同様な事実を後藤田正晴氏も語っておられました。)小泉氏は、自らが首相の座に着くために国を売り渡したことになります。

(従って、小泉氏が靖国参拝をやめるのは、首相の座を降りる時なのでしょう。)

 

 ですから次なる質疑も空しく聞こえるのです。

仙谷氏

 日本はポツダム宣言を受け入れた。首相の靖国参拝は国際政治問題になっている。日本がアジアにどうやって溶け込んでいくかという努力をするために、(参拝を自制する)政治選択をしなければいけない。

首相

 なぜ軍国主義を美化することにつながるのか。日本は平和国家として、国際社会の平和構築に努力をしてきた。戦争にも巻き込まれずに、戦争にも行かずに、一人も戦争において死者を出していない。何ら問題があるとは思っていない。

 

 小泉氏は“なぜ軍国主義を美化することにつながるのか”と答える前に、何故、国立の追悼施設を作らずに靖国神社に固執するのかをはっきりと答えるべきです。

日本は平和国家として……”の話は、小泉氏登場前の話です。

小泉氏がしゃしゃり出てきてからは、日本の平和は脅かされています。

 

又、2003114 の首相就任後3回目の参拝の際、小泉氏は、

“戦没者に対する敬意と感謝を込めて哀悼の念を示した。どの国でも伝統とか文化は尊重しあっている”

と発言していますが、このような伝統文化は、日本では明治以降ではありませんか!?

そして、これらは「平和憲法」を有さない他国の伝統文化ではありませんか!?

 

 小泉発言の詭弁さには辟易としますので、私あての中国の方(日本で働かれておられる)のメールを次に紹介させて頂きます。

 

何故今の中日関係は仏独関係のように正常化できないか考えなければならないと思います。

・ドイツではヒトラー等の戦犯を一切祭っていないが、日本では大々的に賛美されている(小泉首相に代表されるように)。

・ドイツでは戦犯の殆どが裁かれていたが、日本では数多くの主犯格の戦犯も逍遥法外(裁きから逃しているという意味)、自民党政府の要に据え続けていた(かつて首相になった人物もいる)。今日の日本政界(特に自民、民主)には当時の戦犯に当る人物の子孫がかなり多く、過去の歴史を美化しょうと精力的に活動している

・ドイツとフランス等の経済格差は小さいが、中日韓等の経済格差は広いため(?)、自民党政府は本気で過去への謝罪はしていない。

 村山談話は今までの最高レベルの謝罪談話か?

口では言っても行動には移せない。

自民党政府の日本語も乏し過ぎる。

謝罪というと「反省」、「お詫び」ぐらいである。

 今回のJR事故でJRが「反省」と「お詫び」を持ち出して謝罪すると遺族達は許せるか?

 

・中国は百年以上の苦難をようやく乗り切って発展しようとしている。

中国が発展すればするほど一部の日本人の気分が悪くなる。

それが所謂「中国脅威論」「中華思想論」に化かしていると思われる。

中国は大陸である為、数千年来分離統合が繰り返し、周辺国や民族間の紛争も絶えなかった。

 しかし、中国はしばしば侵略されたにも関らず、他国を植民地化する事はなかった。

歴史的に中国は平和主義の国と言える。

万里の長城は外侵を防ぐ為に築かれた(その為の中国の歴代王朝の暴政も否定できないが)。 今の中国も所謂「平和五原則」を堅持しつつ、唯一(?)核不先制使用を宣言していた核保有国でもある。また、周りの国々との関係作りを最優先課題としている。

・一部の日本人の気分が悪くなる所謂日本の朝貢も強制されたものではなく、当時の日本から自発的に行われたもの。代わりに、中国からも多くの技術や物が伝来した。

百数年までの日本社会を考察すれば、それがプラスに働いたか、マイナスに働いたかは一目瞭然である。

・今回の反日デモの原因は江沢民時代の教育ではありません。

小泉の靖国参拝などの象徴的な事件が主原因だと思われる。

中国が自由・民主的になり、市民が直接意見を言える時代になった。

一般市民の声を中国政府が強制的に統制できない時代に。

今回の反日デモに関する日本の報道も短片的(一面的とかの意味)。

テレビでの議論も江沢民時代教育が原因と一点張り。

視点が狭すぎる。本当の原因が分かっても公に言えないのが印象的。

これは将来の日本の民主主義かと思わず心配する

 

 最近の日本のマスコミはどうも右寄りになりつつ感じがする。

田原総一郎氏の番組もよく見ますが、自民関連者にはよく発言させて反対者の発言をすぐに邪魔する。

理屈的に言えないときは強引的に詭弁し、時時煽動的言動も。ジャーナリストとしては失格と思われる

 

 冷静的に考えれば、互いに非難する事は意味のない事。

互いに発展する事が重要。

最近のDNA研究によると今の人類の祖先は東アフリカ由来。

中国も日本も例外ではない。

 あるNHKの番組ではDNA調査の結果、日本人の4割は中国、4割は朝鮮半島から来ているではとの事。

 数百年・千年・万年前我々の祖先は皆兄弟だった事を思えば、互いに尊重し合い、許し合う事ができるではないかと思います

 

(追記)

中国では国を愛すとか人民を愛すとかの教育はありますが、中国は世界の中心で世界を支配するという『中華思想』(?)教育はありません。そんな教育をしても笑われるだけです。

 

 先ず、ご指摘の「今日の日本政界(特に自民、民主)には当時の戦犯に当る人物の子孫がかなり多く、過去の歴史を美化しょうと精力的に活動している」に関しては、先ずは、自民党の安倍晋三幹事長代理が頭に浮かびます。

何しろ、安倍氏の祖父の、元首相の岸信介氏は、戦前は、商工大臣で、戦後、戦争犯罪人、A級戦犯として裁かれていましたが、復権して、首相となっているのですから。

 賀屋興宣氏は、A級戦犯として終身刑を言い渡され1958年赦免されるや、1963年から池田内閣の法相を勤めました。

 更に、経済産業大臣(200116日〜2003922)を勤めた平沼赳夫氏は、A級戦犯平沼騏一郎の息子さんなのです。

 板垣正氏(元参議院議員)は、A級戦犯として絞首刑に処せられた板垣征四郎氏の長男。

 

 そして、(http://www.muneta.jp/tsuusin/html/1116722302.html)を訪ねますと、次の記述を目にします。

町村外相は戦犯と、大きなつながりがあります。

町村氏の父親、町村金五氏は、戦前、戦争反対する人々を弾圧し、拷問などで多くの命を奪った特高警察の警保局長でした。
戦後、金五氏は、国会議員になり、北海道知事にもなっています。


(特高警察などにより、「戦前、戦争反対し、拷問などで命を奪われた方々」は、戦場で命を落とされた方々同様に、否!それ以上に国家から、それ以上に国民から追悼されてしかるべきではありませんか!?)


 

村山談話は今までの最高レベルの謝罪談話か?」の疑問に関しても同感です。

何しろ、村山談話の核心は次のようなのですから!

 

 わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます

 

 私が中国側の立場に居たら、“この程度の謝罪の言葉と、有償(要返却)の3兆円のODAを与えたからといって大きな顔をするな!”と怒鳴りたくなるでしょう。

 

 本当に、

今回のJR事故でJRが「反省」と「お詫び」を持ち出して謝罪すると遺族達は許せるか?

との中国の方の声は、至極当然と存じます。

JRが、何回もご遺族に謝罪したのだから、もう許すのが当然だ!とか、

JRが、これだけ幾ら払ったのだから、ご遺族がご納得するのが当然だ!

何回謝れば良いと言うのだ!

幾ら払ったら良いのだ!

いい加減にしてくれ!

などとは、JR西日本は、御遺族の方々へは言えないことです、又言うべきことではありません。

加害者側のJR西日本は、もっぱら謝罪に徹し、その謝罪を受け入れるか否かは、専ら被害者側の御遺族のお心次第なのです。

 何故、この社会通念を政治家達は理解できず又実行しないのでしょうか?!

 

 そして、北朝鮮の核保有疑惑に対しては、

今の中国も所謂「平和五原則」を堅持しつつ、唯一(?)核不先制使用を宣言していた核保有国でもある

という中国だからこそ、北朝鮮の核廃棄を強く主張できるのではありませんか!?

それとも、日本は、北朝鮮に核廃棄せよと抗議すると、北朝鮮に対する内政干渉になるので、日本は北朝鮮に対して直接的な働きかけをしないのでしょうか?!

 

 次のマスコミに関しても、大問題ではありませんか!?

 

今回の反日デモに関する日本の報道も短片的(一面的とかの意味)。

テレビでの議論も江沢民時代教育が原因と一点張り。

視点が狭すぎる。本当の原因が分かっても公に言えないのが印象的。

これは将来の日本の民主主義かと思わず心配する

 

 前述しましたように、賠償金に関してもテレビ報道は思慮に欠けています。

特に、

田原総一郎氏の番組もよく見ますが、……ジャーナリストとしては失格と思われる

に関しては、私も全く同感です。

田原氏に関しては、別途考察を加えたく存じております。

 

 そして、メールの方の

数百年・千年・万年前我々の祖先は皆兄弟だった事を思えば、
互いに尊重し合い、許し合う事ができるではないかと思います

の御見解に関しても、笹川氏の

“人類みな兄弟”

を信奉する私にとっては全く依存は無いのです。

 

 そして、もう一つ朝日新聞(6月7日)への投書『中国問題 南京でデモが無かった訳は』を引用させて頂きます。

 

 友人から嬉しい話を聞きました。北京や上海で激しいデモがあったのに、南京で無かったのはなぜかということでした。日本人が中国人を多数殺害したという地なのにです。

 日本の心ある人々が、購罪のために毎年、南京に木を植え続けて20年になります。友人がこの春、その一員として訪れた時、虐殺記念館の庭に、北京や南京で公演したこともある日本の紫金華合唱団が贈った紫金草の花壇がありました。

 紫金草は、日本では「花大根」とか「紫花菜」と呼ばれています。陥落後の南京を訪れた日本の軍人が、紫金山麓の瓦礫の間で見つけた野草の種を持ち帰り、犠牲者への供養の花、「紫金草」と名付けて国内に広げたといいます。……

 友人たちには、植樹活動の窓口になってくれている南京市の職員から便りが届きます。今回も南京でデモの申請がたくさん出されましたが、市長はこれを押しとどめて許可しなかった、と知らせてきました。ただの雑草と見過ごしていた花が、このような働きをしたのでしょうか。

 

 従って、社会通念を全く理解できない(二世、三世議員として温室育ちの為?)、今の政治家達をリストラして、マスコミなども当てにせず、このように植樹活動を続けて下さる方々、又、「南京で通じた『ご免なさい』」の投書の方のように、一般民間人同士による社会通念通りの心と心の近所付き合いの輪を、中国はじめ、アジアの方々、そして世界の方々へと広げて行くべきと存じる次第なのです。

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