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護憲も欺瞞と宣う法哲学者

2015916

宇佐美 保

 

 東京新聞(2015916日)の「こちら特報部」の紙面にて、「9条削除で真の安全保障論議を」と唱える法哲学者の井上達夫氏(東京大大学院教)の談話が掲載されておりました。

 

 その中で気になる点が多々ありました。

 

1)“井上氏は一連の安保論議をどう見るか。「今後の安保政策をどうするかといった実質的な議論ではなく、憲法の解釈論や、集団的自衛権の行使要件など瑣末な話になっている。保守派も護憲派も欺瞞的だ」”の件ですが、「安保政策」以前に、日米の関係(いわゆる隷属関係)をどうするかが問題と存じます。

 

2)“……『専守防衛の範囲』という内閣法制局の見解自体が、解釈改憲そのものだ。解釈改憲の自衛隊を容認しておきながら、集団的自衛権は許をないというのは、ダブルスタンダード以外の何ものでもない」

 原理主義的藩憲派にも矛先を向ける。「自衛隊と安保条約を廃棄しようと努力しているかと言えば、していない。矛盾を解消するために改正するでもない。自衛隊を違憲と主張し続ける方が、専守防衛の枠内にとどめておくことができると思っている。彼らはこれを 『大人の知恵』と正当化しているが、憲法を政争の具にして蹂躙している。抜け落ちているのは自衛隊の立場。法的に認知しないが、一朝ことあれば命を張って俺たちを守れ、と言っていに等しい。修正主義的護憲派以上に欺瞞は深い」”

 

 この“一朝ことあれば命を張って俺たちを守れ、と言っていに等しい”の件に関しては、拙文《小泉純一郎氏とヒトラー》から一部を抜粋いたします。

 

 

 3月(2004年)の終わりの、テレビ朝日の「たけしのTVタックル」で、経済アナリスト(?)の森永卓郎氏が、

「戦争は反対、悪い奴等が攻めてきても、何もしない」

と宣言していました。

大変立派だと思い、私は感銘を受けました。

 

……

 

では、自衛隊をどうする?

張り子の虎的存在」で良いのでは?!

 

自衛隊に30年居られた作家の浅田次郎氏が『それでも私は戦争に反対します:平凡社発行』に次のように記述されています。

 

 おまえも寒さには慣れているだろうが、イラクの夏はひどく暑いらしい。何でも暑さの世界記録は、バスラで観測されたそうだ。信じられるか、摂氏五八・八度だとよ。

 あのな。ロートル小隊長の最後の命令を聞いてくれるか。

 おまえ、撃たれても撃ち返すな。橋や学校をこしらえていて、もしゲリラが攻撃してきたら、銃を執らずにハンマーを握ったまま死んでくれ。

 正当防衛も、緊急避難もくそくらえだ。他人を殺すくらいなら、自分が死んでこその人間じゃないか

 自衛隊は世界一猥褻な、世界一ぶざまで滑稽な軍隊だけれど、そんな俺たちには誰も気付かぬ矜りがある。それは、五十何年間も戦をせず、一人の戦死者も出さず、ひとつの戦果さえ挙げなかったという、輝かしい不戦の軍隊の誇りだ。

 GHQと戦後日本政府がこしらえたおもちゃの兵隊が、実は人類の叡智の結晶ともいえる理想の軍人であることを、ブッシュにも、無能な政治家どもにもわからせてやれ

 いいか。俺は昔の戦で死んだ大勢の先輩たちと、ほんとうの日本国になりかわっておまえに命ずる。

 やつらの望んだ半長靴を、人間の血で汚すな。われらが日章旗を、人間の血で穢すな。誰が何と言おうと、俺たちは人類史上例を見ない、栄光の戦わざる軍人である

 復唱せよ。

 

 私は、この文章を読み涙が止まらなくなりました。

今も溢れてきます。

 

私は、小泉氏のアホな発言よりも、この浅田氏の文章こそを、小中学生の教科書に載せて頂きたいと存じます

 

 なにも万一他国が攻めてきても、自衛隊は戦う必要はないのです。

戦うべきではないのです。

自衛隊の役割は、他国が攻めてこないように、政治家たちが他国と交渉する際の「張り子の虎」の役割を果たして下されば良いのです。

 

3)“九条を削除することで、シビリアンコントロールなど、もし戦力を保持した時の『条件付け制約』を憲法で固めることもできる」

 憲法に書き込むべき最も重要な「条件付け制約」が徴兵制と考える。徴兵制は忌避されがちだが、井上氏は「徴兵制が無責任な好戦感情の一番の防壁になる」と訴える。政治家の息子も政治に無関心な中流家庭の息子も、誰もが戦場に行く可能性が戦争を回避することにつながる。米国では、ベトナム戦争の反戦運動も徴兵制の拡大で高まった。

逆に徴兵制廃止後のイラク戦争は歯止めがないまま泥沼化した。”

 

 こんなことを宣っていて教授職が務まるのでしょうか?

戦前戦中に於いて、日本の要職に就かれておられた方々の多くの御子息は、戦場に赴かれましたか?

ベトナム戦争の反戦運動も徴兵制の拡大で高まった”に於いても、米国の要職に就かれておられる方々のご子息が反対運動を展開したのでしょうか?!

“徴兵制廃止後のイラク戦争は歯止めがないまま泥沼化した”は、今の政府は、日本を格差社会として、貧しい方々を、入隊するように仕向けていると思われますが、この件は「徴兵制」とは別問題で、この格差社会傾向に対して法哲学者の井上達夫氏は立ち向かうべきです。

 

(4)“安保法案が成立した場合、井上氏が想定する「最悪のシナリオ」は、解釈改憲の現状が固定化することだ。立憲民主主義の腐敗はここに極まる。改憲が発議されれば、国民はいや応なく国民投票で一票を投じることになるが、安倍政権に改憲の体力があるのか。国会前の車道を埋め尽くすほどの抗議行動を実現した護憲派は、自分たちの歩みに自信を深めている。

 井上氏に言わせれば、「九条の形骸化が進んでいるのに、言葉だけ守っていれば大丈夫だという考えが、現実の進行を止めなければならないという危機感を失わせている。憲法改正というと保守と思われるとちゅうちょするなら、それは自由ではない」。

 「えっ、そこまで言いますか」と心配になるほど筋を通すことにこだわるのは、責任を明確にすることが「民主主義を機能させる条件」だからだ。

 「民主主義を愚民政治と非難する人がいるが、違う。311の際、原子力ムラの学者がいかに愚かだったか。エリートも含めてみんなバカだからこそ民主主義が必要。自分たちで失敗して学ぶプロセスが機能するためには、誰が間違っていたか、何が間違っていたかを明確にする必要がある。それをごまかしていたら失敗から学べない」

九条の会の発起人で哲学者の故・鶴見俊輔氏の言葉を引用しながら警鐘を鳴らす。

「鶴見は改憲プロセスを恐れるなと言った。『護憲派は64で負けるかもしれない。けれど4の意思が示されることが重要で、そこから立憲民主主義を日本に定着させモいくんだ』と。今、護憲派に鶴見の覚悟はあるのか」”

 

 “311の際、原子力ムラの学者がいかに愚かだったか。エリートも含めてみんなバカだからこそ民主主義が必要”、更に又、“4の意思が示されることが重要”とのことですが、今や、誰でもが恐ろしいと認識している「原発」は再稼働されて行きます。

 

 法哲学者の井上達夫氏は「戦争」をどのように認識されておられるのでしょうか!?

私は、「戦争」は人間が行ってはいけない行為と存じます。

先に引用させて頂いた「森永卓郎氏」、「浅田次郎氏」と同じ思いです

 

ところが、朝日新聞(2015910日)には次の記事を見ます。

 

 武器輸出「国家戦略として推進すべき」 経団連が提言

 

 経団連は10日、武器など防衛装備品の輸出を「国家戦略として推進すべきだ」とする提言を公表した。10月に発足する防衛装備庁に対し、戦闘機などの生産拡大に向けた協力を求めている。

 

 提言では、審議中の安全保障関連法案が成立すれば、自衛隊の国際的な役割が拡大するとし、「防衛産業の役割は一層高まり、その基盤の維持・強化には中長期的な展望が必要」と指摘。防衛装備庁に対し、「適正な予算確保」や人員充実のほか、装備品の調達や生産、輸出の促進を求めた。具体的には、自衛隊向けに製造する戦闘機F35について「他国向けの製造への参画を目指すべきだ」とし、豪州が発注する潜水艦も、受注に向けて「官民の連携」を求めた。産業界としても、国際競争力を強め、各社が連携して装備品の販売戦略を展開していくという。(小林豪)

 

 武器が存在するからこそ、又、武器で儲かるからこそ、戦争が多発、テロの発生するのではありませんか!?

 

 何故、法哲学者の井上達夫氏は、「武器輸出」に対して真っ先に異を唱えないのでしょうか?

日本の社会が米国社会より日常生活が安全である背景には、日本人は武器を持つことを禁じられておりますが、米国はおかしなことに(というより武器を作って儲かる人が多いのでしょう)武器を持つことが権利化さえされております。

 

 このような、立憲どころか「金だけ」、「自分だけ」、「今だけ」と言った「利権」が蔓延る日本に、(又、民主主義と言いつつも利権が闊歩する米国等に向けて)法哲学者の井上達夫氏は、先ず異を唱えるべきと存じますが?

(この件は、拙文《恐ろしい毒茸が大発生しているそうです》を御参照下さい)

 

 

(補足)

この東京新聞の記事の最後に「デスクメモ」には次の記述がありますが、今井氏は、原発反対運動をやったはずですが、今はどうなっておられるのでしょうか?

 

 

 護憲派の欺瞞について深堀したい向きには、ジャーナリストの今井一氏の近著「「解釈改憲=大人の知恵」という欺瞞」がおすすめである。今井氏は長年、孤独な戦いを強いられてきたが、井上達夫氏と出会って同士を得た思いだったようだ。九条を亡骸にした責任は、私にもあなたにもある。(圭)

 

 先の拙文《自衛隊は軍隊でなく仮城で》に補足しましたように、「『イソップ寓話』の「橋の上の犬」」のように、「憲法の文字面」を整えようとするあまり、今手にしている「大事な平和憲法」を失いたくないと私は強く願うのです。

私の、現憲法への思いは、拙文《平和憲法は奇跡の憲法》をも御参照下さい。

(補足:1)

 この東京新聞の記事の副題として『法哲学者井上達夫教授の「筋論」』と銘打たれております。
記事を纏められた方の皮肉でしょうか?
筋が通れば、実もなくても、いわんや害があっても結構との「筋論」なのでしょうか?
どうも私にはそう思えてなりません。

 

(補足:2)

 東京新聞の別の面には、「参院公聴会 奥田氏の発言」としてシールズ中心メンバーの奥田愛基氏の全文が掲載されておりました。

 

 私には、井上達夫教授のご発言より格段に立派であると感じ入りましたので、その一部を引用させて頂きます。

 

 

 デモや至るところで行われた集会こそが『不断の努力』です。そうした行動の積み重ねが基本的人権の尊重、平和主義、国民主権といった、この国の憲法の理念を体現するものだと私は信じています。

 私は、私たち一人ひとりが思考し、何が正しいのかを判断し、声を上げることは、間違っていないと確信しています。また、それこそが民主主義だと考えています。

……

選挙の時に集団的自衛権に関してすでに説明した、とおっしゃる方々もいます。しかしながら自民党が出している重要政策集では、アベノミクスに関して は26ページ中8ページ近く説明されていましたが、それに対して、安全保障関連法案に関してはたった数行でしか書かれていません

 昨年の選挙でも、菅官房長官は『集団的自衛権は争点ではない』と言っています。さらに言えば、選挙の時に国民投票もせず、解釈で改憲するような違憲で法的安定性もない、そして国会の答弁をきちんとできないような法案を作るなど、私たちは聞かされていません。

 私には、政府は法的安定性の説明することを途中から放棄してしまったようにも思えます。憲法とは国民の権利であり、それを無視することは国民を無視するのと同義です

……

 確かに若者は政治的に無関心だといわれています。しかしながら、現在の政治状況に対して、どうやって彼らが希望を持つことができるというのでしょうか。関心が持てるというのでしょうか。

 私は彼らがこれから生きていく世界は、相対的貧困が5人に1人といわれる、超格差社会です。親の世代のような経済成長も、これからは期待できないでしょう。今こそ、政治の力が必要なのです。

 どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。

 何も賛成からすべて反対に回れと言うのではありません。私たちも安全保障上の議論は非常に大切なことを理解しています。その点について異論はありません。しかし、指摘されたこともまともに答えることができないその態度に、強い不信感を抱いているのです。

 政治生命をかけた争いだとおっしゃいますが、政治生命と国民一人ひとりの生命を比べてはなりません。与野党の皆さん、どうか若者に希望を与える政治家でいてください。国民の声に耳を傾けてください。まさに、『義を見てせざるは勇なきなり』です。……

 尚、全文は、ジャーナリスト岩上安身氏のIWJ Independent Web Journal

のサイト「【緊急アップ!意見陳述全文掲載】「今日は、国会前の巨大な群像の中の一人として、ここにきています」SEALDs奥田愛基さんが参院で堂々意見陳述「安保法案」に反対を表明

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/264668

 

にも掲載されておりますので、ご高覧下さい。

 
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