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林真理子氏と海老蔵そして藤原義江(1

20101215

宇佐美 保

例によって、林真理子氏は、「週刊文春2010.12.16号」のコラムに於いて「提灯持ち芸」を披露しています。

(消費期限偽造問題では、「週刊文春」の良き広告主であった「赤福」を弁護し、その結果(?)、今また、毎週「赤福」の広告が「週刊文春」を支えているようです

この件は、先の拙文≪賞味期限切れの日本人(2)〈週刊文春と「赤福」の関係〉≫等をご参照ください)

 

 今回の林氏の提灯記事の一部を次に引用させて頂きます。

 

 市川海老蔵さんが夜中にケンンカして、大ケガを負ったそうだ。

 根本的には被害者なのに、どうしてこんなに悪く言われなきゃいけないんだろうか。クスリやったり、何か盗んだわけでもない。ワル仲間とやり合ってのケンカである。

 ・・・

 言ってみれば「自業自得」であるが、それでいいではないか。顔をポコボコにされて、いちばんこのことを悔いて、つらいのは本人であろう。別に誰にも迷惑はかかてってない。ただ無責任に面白がっているだけ

 

 しかし、相手方も怪我をしているそうですし、京都・南座「吉例顔見世興行」では、海老蔵の代役を片岡仁左衛門、片岡愛之助が急遽務めているのです。
御迷惑を多くの方にかけているのではありませんか!?

・・・

「こんな事件を起こしたら、贔屓がみんな引くよ」

 と言ったキャスターがいたけれど、こんなことで引くなら贔屓なんかしてませんよ。

 海老蔵伝説というのは、世間にはたくさんあって、私たちは実は楽しんでいた。私が聞いた中でいちばんすごいのは、瀬戸内寂聴先生に向かって、「源氏物語書いたの、先生なの?

 と聞いたというのだ(瀬戸内先生にお開きしたら事実とのこと)。

 

 私も確かにどこかで、この海老蔵の寂聴氏への発言に関して目にした記憶があります。

そして、その際、寂聴氏は海老蔵の勉強不足を諌めるどころか、“若くて魅力的な美男子なら何でも許してしまう”との御見解だったと記憶しています。

 

 私は、海老蔵の贔屓ならその都度彼の欠点は修正してあげるべきと存じます。

何しろ、

今回の事件で海老蔵は“死ぬかと思った”と発言しているのですから、贔屓の方々の叱責不足の為、
相手のパンチが顎に命中していたら)彼は命を落としていたかもしれません

(まあ、贔屓の引き倒しとでもいうのでしょうか!?)

 

 

 あと、初対面の人に「月給いくら」と聞くということで、ワイドショーで非難されていたが、これはなんだかわかるような気がする。大人になって松竹の給料だか、自分のCMの額だかを聞いて、彼はそれこそたまげたに違いない。

「オレってすごいじゃん」

 これって特別なのかもしれない。

いや、案外普通なんだろうか。他の芸能人ってどうなのか。サラリーマンって、作家っていったいいくらぐらい稼ぐものなのか。彼は知りたくてたまらない。赤ん坊が手に触れたものすべてしげしげ確かめるように、会う人ごとに、いろんな職種の人に尋ねずにはいられない。

「給料いくら」

 私は海老蔵をかばい過ぎであろうか。

 

 

 林氏は確かに海老蔵をかばい過ぎです。

「週刊現代(2010.12.11号)」では次の記述を見る事が出来ます。

 ・・・

「結婚前の話ですが、ある若手芸人が六本木のクラブで、美女数人を連れていた海老蔵と会った。その若手芸人とトイレで鉢合わせになると、酔った海老蔵は『お前には、こんなレベルの高い女を連れて歩ける日が来るかな』と絡んで、一触即発状態になった」

 これでは、いつ激しいケンカになっても不思議ではない。今回の一件も、身から出たサビなのかも。

・・・

 

 僻みっぽい私から、このような海老蔵を見ると、自分より遥かに少ない他人の月給を口に出させ、連れの美人を見せつけ相手を馬鹿にして喜んでいるとしか見えません。

 

 又、林氏の提灯芸に戻りますと、

 

だけど私はワイドショーを見ている人たちに言いたい。

 品行方正のつまんない俳優の演技を見たいのか。

私生活での破天荒さと狂気が、どこかにじみ出る演技を見たいのか。

 私は古いといわれようと、後者の方だ。舞台という魔界の住人は、ふつうの人である必要はまるでないと、思っている。

 それに断言していいのであるが、海老蔵はこんなことで絶対に潰れない。何年かたつと、「あの頃はやんちゃしちゃって」と笑って語るに決まってる。

 

 

 このような林氏の発言を、週刊現代(2010.12.25号)にも見る事が出来ます。

 

 

・・・歌舞伎ファンの作家・林真理子氏は、

「海老蔵さんは大物です」と言い切る。

・・・

 私は11月に、対談を見事にすっぽかされました。20歳ぐらいの彼にインタビューした時も、ずっと「たまごっち」をしていた。でも、それ、それと芸事の才能は別です。

そういうことも彼の個性をつくっているのではないでしょうか。

 

 

 林氏は対談をすっぽかされても、海老蔵ファンとして我慢できましょうが、その対談を載せる印刷物(「週刊朝日」でしょうか?)の編集者たちは大変な苦労(尻拭い)を背負い込まされます。

 

 更には、海老蔵がインタビュー中ずっと「たまごっち」をしていたと言うのは、林氏に対して海老蔵氏が魅力を感じなかった為では?

インタビュー者が、海老蔵の奥様のような(若しかしたら、結婚前の)方だったら、「たまごっち」を放り出して、一生懸命答えていたかもしれません。

(いや!それより、内容ある答えが無かったのかもしれませんが)

 

 又、「提灯芸」を引用させて頂きます。

 

私は、彼が行儀よく優等生になって、芸の修行に励まなくてはいけないなんて、ちっとも思っていません」

林氏は海老蔵の才能をこう認めたうえで、「歌舞伎は独特の世界だからこそいい」と主張する。

「御曹司は甘やかされるし、みなからちやほやされる。

しかし、それを悪いと決めつけ、サラリーマンみたいになればいいのかと言うと、違うでしょう。そうなっては、舞台が味気ないものになってしまう。私は、舞台で素晴らしいものを見せてもらえれば、彼が私生活で何をしたって、犯罪さえ起こさなければいいと思う。

タチのよくない人とつき合っているなとは感じますが、海老蔵は人生訓を語っているわけではないし、一般市民の代表としてコメンテーターをしているわけでもない。梨園という特殊な環境の中で、特異な育てられ方をして、倣慢だったりよくないところもあるかもしれないけれど、彼の舞台が素晴らしかったら、それでいいんじゃないでしょうか」

 

 

 ここでの林氏の“サラリーマンみたいになればいいのかと言うと、違うでしょう。そうなっては、舞台が味気ないものになってしまう”との見解は、
サラリーマンを馬鹿にしています。

歌舞伎役者も色々なら、サラリーマンも色々です。

 

 

 林氏は「御曹司は甘やかされるし、みなからちやほやされる」、「梨園という特殊な環境の中」等を正当化していますが、今回、盛大な拍手を受けながら海老蔵の代役を務められておられる片岡愛之助は歌舞伎役者の生まれ(「御曹司」、梨園の生まれ)ではなく、氏のホームページには次のように記述されておられます。

 

5歳のとき、「松竹芸能」の子役オーディションを受け、子役としてテレビや大衆演劇等に出演。

昭和56年12月、十三代目片岡仁左衛門の部屋子となり、南座「勧進帳」の太刀持で片岡千代丸を名のり初舞台。

平成4年1月、片岡秀太郎の養子となり、大阪・中座「勧進帳」の駿河次郎ほかで六代目片岡愛之助を襲名。・・・

 

 そして、片岡仁左衛門、愛之助の相手役を務められた坂東玉三郎も、

19504月 東京都に生まれる。生家は料亭」

とウィキペディアに紹介されています。

 

更には、玉三郎ご自身のホームページには、演技に関して「大切な「感受」、「浸透」、「反応」という過程」、更には、「歌舞伎」、「女形」などとても魅力的な記述をされておられます。

 

 そして、玉三郎の「女形論」を読みますと、氏は林氏を「女形」の対象とは考えられないのでは?と思わずには居られません。

何しろ、「週刊文春(2010.11.25号)」には、林氏は、“マイレージがちょうどたまっていたので、ハワイに行こうと思いついた。”と書かれる

くらいなのですから。

 

私は、「マイレージ」等使った事がありませんが、多分飛行機に乗るたびに、その距離に応じて、特典が加算されるのでしょう。

だとしますと変ですね、林氏のような作家だと(時には、個人的な旅行などもありましょうが)飛行機を利用するのは取材等が主ではありませんか?

 となりますとその費用は出版社等の負担では?

それを個人的な旅行に利用して良いのでしょうか?

少なくとも、日ごろお世話になっている優秀な秘書であられる「ハタケヤマ」氏にお使い頂くべきではありませんか?

 と言った事が、下種の私には思い浮かんで来てしまうのです。

ですから、「マイレージ」の言葉は使わなくても良いのではと思うのです。

(しかし、林氏はJALへの「提灯芸」の一環として、(JAL)マイレージとでもアナウンスしたかったのかもしれませんが)

 

それにしましても、梨園と言うのは、ここで生まれると「脳無」でも「梨」として通用してしまうのかしらと思ってしまうくらい私にはよくわからない存在ですので、この件に関しては拙文≪現在の古典芸能の声を批判される岡田嘉夫氏≫での岡田氏の御見解をご参照ください。

 

 

 更に林氏の「提灯芸」を引用させて頂きます。

 

 ところで全然話が変わるが、このところ、朝早く犬を連れて散歩していると、いつもすれ違う青年何人かがいる。みんなワイドパンツみたいなズボンにキャップをかぶり、作業袋を手にしている。典型的なガテン系ファッションなのであるが、みんな惚れ惚れするような男振りなのである」イケメン、という表現ではなく、精悍な男らしさ。背も高い。そして髭のあたりに、

「昔やんちゃしてた」

 という証がありありと残っている。

 

 では、林氏は、これらの青年たちに、取材の一環としてでも“あなたたちの月給はおいくら?”と聞かれましたか?

 

 

 それにしても中野翠さんも書いていたが、やんちゃ≠ニは便利な言葉だ。ヤンキーレベルもあきらかな犯罪も、「やんちゃ」という言葉でひと括りされ、曖昧となって許される。

 そしてつい先日のこと、道を歩いていたら、彼らとは違う植木屋の職人さんが、お弁当をつかっているのを目撃した。コシビニ弁当なんかじゃない。保温ジャーに入った、手の込んでいそうなお弁当である。通りすがりに、色彩の多さで何となくわかる。

職人さんも若いから、奥さんだってきっと若いのだろう。職人さんの髪は金色に近く、眉も薄い。もしかすると最近まで「やんちゃ」(ヤンキーレベルの)をしていたかもしれない。けれども今は、二人でしっかりした家庭を築いているのであろう。いいな、いいな。こんな光景。

 

 

そして、ここでの植木屋の職人さんにも“あなたたちの月給はおいくら?”と聞かれましたか?

植木屋の若い職人さんが奥さんを養って行けますか?

我が家に来てくれる植木屋さんは去年までは、二人の若い職人さんと三人で来られておりました。

今年は親方お1人で来られました。

御近所のお庭の手入れも、親方お1人でした。

 

だとすると、若い奥さんも必死で働きに出かけているかもしれません。

それよりも、

結婚する余裕もなく、若い職人さんのお母さんが一生懸命こしらえたお弁当かもしれません。

それを傍から見て“いいな、いいな。こんな光景。”と言うのは無責任すぎませんか?

 

 

 若い時は、ほとんどの人の胸の中に、いきどころのない熱いマグマが渦まいている。それがうまく処理出来なかった人たちは、いわゆる「やんちゃ」に走るのであろう。

 が、これまた多くの人たちは、生活のために「やんちゃ」を卒業しなくてはならない。そして高校時代からつき合っていた、賢く、けなげな恋人と結婚して、若いお父さんとお母さんになる。それが今の日本を支える健全な層へと変化していくのであろう。

 

 

 ここに来て、先ほど貶していた「サラリーマン」を「今の日本を支える健全な層」と持ち上げるのですか?

 

 

 しかし特殊な職業をしていて、お金がある人は、この「やんちゃ」期間が長く続くようである。男性作家にも何人かいるからわかる。

 ちなみにうちの夫は、海老蔵さんのニュースに強く反応する。

「全くふつうじゃないよな。こういう手合いはガツンとやらなきゃいけないんだ。いい気味だよな」

 これはホリエモンの時と全く同じであった。「エビゾー」と「ホリエモン」、この二人は日本の中高年をいたく刺激する。「やんちゃ」とは無縁だった、マジメだけのおじさんたちを。

 

 

 林真理子氏のコラムには目を背けるようにしている私ですが、今回のようにちらっと見てしまい、精神状態が悪くなるのです。

(それでも、土屋賢二氏のコラム、そして「新聞不信」見なくなってずいぶん経ちます)

 

 それでも、林氏のコラムに登場する、林氏のお母様、や、御主人の御見解を読ませて頂くと、一息付けます。

 

 そのたびに、

「林氏の御主人は林氏を妻となさった事」が残念に思えてなりません。

さあらずんば、林真理子氏は今の「極楽とんぼ」状態ではなく、もっと他人の痛みを感じる女性、
「玉三郎が演じたくなるような女性」になられていたかもしれません。

 

 

 それにしましても、

今回の海老蔵事件が、歌舞伎役者の「芸の肥やし」になるのでしょうか?

私には、海老蔵が「畑に撒く肥やし」を頭から浴びてしまっただけのように思えてなりません。

 

 

 こんな程度の海老蔵が大好きなお方は、『ピンカートンの息子たち 斎藤憐著 2001223日 岩波書店発行』をお読みになってはいかがでしょうか?

 

そこには、戦後、「我らのテナー」として、又、自ら「藤原歌劇団」を組織して、一世を風靡したオペラ歌手藤原義江の波瀾に満ちた(と言うより満ち過ぎた?)人生(声楽を習いにイタリアに渡り、ロンドンで歌い、父の生地スコットランドでも、パリでも歌劇「ボエーム」の主役を務め、ニューヨークではビクターの赤盤にも吹き込み、それも、行く先々で、美女たちとの道も極めつつの人生)が描かれています。

 

 

その藤原義江の人生の波乱ぶりの一部を、次の拙文≪林真理子氏と海老蔵そして藤原義江(2≫に抜粋させて頂きます。

(補足:1

 

“髪は金色に近く、眉も薄い。もしかすると最近まで「やんちゃ」(ヤンキーレベルの)をしていたかもしれない。”との林真理子氏が憧れた職人さんをお雇いになりますか?と我が家の面倒を見て下さる工務店の社長さんに、質問しました。

 

すると答えは一言:“無理です”

 

その理由として次の点を挙げて下さいました。

 

1.   工務店といえどもお客さま商売です。

お客様が、茶髪の職人さんを見て不安心を抱かれるかもしれません。

2.   (この不況の最中、)今まで一生懸命やって来た若者と、つい最近まで(好き勝手に)やんちゃしてきた若者とどちらを採用するかと言えば、心情的にも(又、面接をしっかりした結果からも)一生懸命やって来た若者を採用します。また、そうして来ました。

3.   こうして、わが社も、今まで生き延びて来たのです。

4.   やんちゃするのは、「小中学生までです」

5.   昔風に行って見れば、やんちゃは元服前までです。

 

(海老蔵襲名の口上の中には“これから一層、精進し、芸の向上に努めます”とかの文言はなかったのでしょうか?)

 

(補足:2

 

補足のついでにもう一点補足させて下さい。

海老蔵の父、団十郎は“海老蔵の手を見たら怪我していなかったから、海老蔵から手出ししたのではない事が分かった”旨を発言していました。

おかしいですよね。

巷間言われているように「海老蔵が灰皿で殴っていたら、海老蔵の手は無事ですよね」

 

 それに今回の問題は海老蔵が殴ったか殴らなかったかは、父親が進んで発言する問題ではない筈です。

 

 “今回の事件は、海老蔵が悪く、そして、その父親たる私の躾が悪かった為に、多くの方々にご迷惑をかけまして誠に申し訳なく存じます。”と得意の大見得をきられたら良かったのにと、私は思うのです。


では、次の拙文≪林真理子氏と海老蔵そして藤原義江(2≫に移らせて頂きます。

 


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