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戦争よりもエコが良い(3

(鳩山由紀夫首相への期待)

2009106

宇佐美 保

 

 先の拙文《戦争よりもエコが良い(2)(鳩山由紀夫首相の「友愛」へ期待)》に引き続き鳩山首相の「私の政治哲学」から引用させて頂きます。

 

 

 言うまでもなく、今回の世界経済危機は、冷戦終焉後アメリカが推し進めてきた市場原理主義、金融資本主義の破綻によってもたらされたものである。米国のこうした市場原理主義や金融資本主義は、グローバルエコノミーとかグローバリゼーションとかグローバリズムとか呼ばれた

 米国的な自由市場経済が、普遍的で理想的な経済秩序であり、諸国はそれぞれの国民経済の伝統や規制を改め、経済社会の構造をグローバルスタンダード(実はアメリカンスタンダード)に合わせて改革していくべきだという思潮だった。

 

 

 「グローバルスタンダード(実はアメリカンスタンダード)」とは、米国の一部の人達の金儲けを容易にするスタンダードであったわけです。

金融資本主義」等とネーミングしても、所詮は「ネズミ講」でしかありません。

「株」がどれ程高値となっても、実体経済がそれに伴って成長していなくては、その「株」は収集、投機対象の「切手」と同じ存在でしかありません。

(この件は、拙文《株価を経済の指標と思い込み続ける愚かなマスコミ》をご参照下さい)

 

 そこで、実体経済の成長を安易に求める結果、住宅バブル誘発させたことにもなります。

返済能力のない人達にも、「サブプライム・ローン」で貸し付け、住宅建設ブームの中に巻き込んだのでした。

 

それも、当初の利率を低く設定し返済が容易のように見せかけ、住宅価格の急騰により、買い換えれば、借りた金も直ぐに返せると宣伝もしたのでしょう。

 

 しかし、住宅価格が高騰し続ければ、買い替え用の住宅価格も上昇し、ローンの利子は増大して行き、その高くなった利息が負担となり、「サブプライム・ローンゲーム」から脱落します。

 となれば、当然の結果、「住宅ローンという名のネズミ講」に於ける「孫、ひ孫……」の数も減少し、このネズミ講が破綻したのです。

 

 それなのに、

グリーンスパン前FRB総裁
サブプライム・ローンのおかげで多くの人が家を買えたのです”
との電話インタビューでの発言が、
米国で
20071017日放送の「デモクラシー・ナウ」から流れていました。

(一体全体どういうことなのでしょうか?!)

 

 

……

 資本や生産手段はいとも簡単に国境を越えて移動できる。しかし、人は簡単には移動できないものだ。市場の論理では「人」というものは「人件費」でしかないが、実際の世の中では、その「人」が地域共同体を支え、生活や伝統や文化を体現している。人間の尊厳は、そうした共同体の中で、仕事や役割を得て家庭を営んでいく中で保持される

 

 

 派遣問題の渦中に巻き込まれた方々が御気の毒でなりません。

 私は、御手洗冨士夫氏(日本経団連会長)を映し出すテレビからは、“私は、社員の尊厳、社員の家族などは考えたくない、わが社は機械が稼いでいるのだ!”と、機械油がにじみ出たような脂ぎった顔が見えてくるのです。

しかし、御手洗氏からは“何をほざくか、今の機械は油を注さなくても動くのだ!”との反論が飛び出して来そうに思えて、直ぐにチャンネルを変えてしまいます。

 

 

 ……冷戦後の今日までの日本社会の変貌を顧みると、グローバルエコノミーが国民経済を破壊し、市場至上主義が社会を破壊してきた過程と言っても過言ではないだろう。

 

 

 この期間は、ブッシュ氏、チェイニー氏、ラムズフェルド氏らが、米国政権の中枢に納まっていた期間です。

そして、世界を不幸にした彼らの懐には多額の金銭が舞い込んできた事でしょう。

その世界が、そんな彼等に奉仕していたと言う事?!

(勿論、日本にも彼らの分け前を預かった方も居られるようですが)

 

 

……

 グローバリズムが席巻するなかで切り捨てられてきた経済外的な諸価値に目を向け、人と人との絆の再生、自然や環境への配慮、福祉や医療制度の再構築、教育や子どもを育てる環境の充実、格差の是正などに取り組み、「国民一人ひとりが幸せを追求できる環境を整えていくこと」が、これからの政治の責任であろう。……

 

 

 企業だけが幸せでは、「国民一人ひとりが幸せを追求できる」事にはならないのです。

(否!その企業の「経済外的な諸価値に目を向け」る事のない大経営者達も大金を手にします。

多くの人の犠牲の上で、大金を得て、大経営者達が幸せと感じるのなら、先の拙文《戦争よりもエコが良い(2)(鳩山由紀夫首相の「友愛」へ期待)》に書きましたように、自由の下では、やはり、「進化論」は、本質的には「弱肉強食論」でしかありません。

その本質を放置するのか、それとも「みんなが幸せを追求出来る様に努力する」に人間自身の力で、改革して行くのかが問われるべきです)

 

 

 この間、日本の伝統的な公共の領域は衰弱し、人々からお互いの絆が失われ、公共心も薄弱となった。……経済社会が高度化し、複雑化すればするほど、行政や企業や個人には手の届かない部分が大きくなっていく。経済先進国であるほど、NPOなどの非営利活動が大きな社会的役割を担っているのはそのためだといえる。それは「共生」の基盤でもある。それらの活動は、GDPに換算されないものだが、われわれが真に豊かな社会を築こうというとき、こうした公共領域の非営利的活動、市民活動、社会活動の層の厚さが問われる。

 「友愛」の政治は、衰弱した日本の「公」の領域を復興し、また新たなる公の領域を創造し、それを担う人々を支援していく。そして人と人との絆を取り戻し、人と人が助け合い、人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会、そうした共生の社会を創ることをめざす。

 

 

 「公共心も薄弱となった」の件は、どなたも日々実感されておられると存じます。

なにしろ、国のトップである政治家、大経営者が「」を失い「公共心も薄弱」さを曝け出しているのですから!

一方、「人が人の役に立つことに生きがいを感じる社会」の件では、雑誌「ビッグイシュー」を販売し生活費を得られておられる「ホームレスの方」の御言葉を思い起こして下さい。

(先の拙文《雑誌「ビッグイシュー日本版」をお勧めします》から、再掲させて頂きます)

 

人を愛すれば、人を好きになれるし、その人たちがいる街も好きになれる」、

今は、自分のためにではなく、人のために何かできないかと思っているんです

 

 この言葉を今の政治家や、大経営者達にお聞かせしたい思いが一杯です。

所得格差(富裕層と貧困層の2層化)が問題となっている現在、

「累進課税」を考慮すべきです。
御金持ちがお金で人の役に立つのも生きがいと感じて頂きたいものです。

ところが、税金が高くなると、より困難なより難しい仕事への挑戦勤労意欲が無くなるとおっしゃる方も多いようですが、『東京新聞2009930日夕刊』「編集者の見た松本清張」の佐野眞一氏による連続コラムには、次の記述があります。

 

 

「清張さんの作品は四百字詰めの原稿用紙の18行までが税金で、残りの2行だけが収入になると、計算した人がいる。それを聞いた清張さんは、「そんなばかばかしいことを考えて仕事ができるか」って、ズバッとおっしゃっていた

 

更には、拙文《戦争よりもエコが良い(2)(鳩山由紀夫首相の「友愛」へ期待)》に記述しましたが、鳩山一郎氏が(私の兄に呟いた)“人間にとって一番良い世界とは、どういう社会かな?”を彼らに重く受け止めて頂きたく存じます。

 

 

 ……クーデンホフ・カレルギーの「友愛革命」(『全体主義国家対人間』第十二章)の中にこういう一説がある。

 「友愛主義の政治的必須条件は連邦組織であって、それは実に、個人から国家をつくり上げる有機的方法なのである。人間から宇宙に至る道は同心円を通じて導かれる。すなわち人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、自治体が郡(カントン)をつくり、郡が州(ステイト)をつくり、州が大陸をつくり、大陸が地球をつくり、地球が太陽系をつくり、太陽系が宇宙をつくり出すのである

 

 

 私は、「人間が家族をつくり、家族が自治体(コミューン)をつくり、……大陸が地球をつくり」とのカレルギーの一説が大好きです。

 

 この同心円から、私達日本の家庭では、武器も持たずに、警察に治安を依頼します。

その延長で、国は、武器も持たずに、国連に任すべきです。

 ブッシュ氏、チェイニー氏、ラムズフェルド氏ら退いた今こそ!

小沢一郎氏がかつて(現在も?)唱えていた「国連中心主義」を今こそ!

 

 

 「友愛」が導くもう一つの国家目標は「東アジア共同体」の創造であろう。もちろん、日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづけるし、それは紛れもなく重要な日本外交の柱である。同時にわれわれは、アジアに位置する国家としてのアイデンティティを忘れてはならないだろう。経済成長の活力に溢れ、ますます緊密に結びつきつつある東アジア地域を、わが国が生きていく基本的な生活空間と捉えて、この地域に安定した経済協力と安全保障の枠組みを創る努力を続けなくてはならない。

 

 

 悲しい事に、「東アジア共同体」を云々するには、取り敢えず「日米安保体制は、今後も日本外交の基軸でありつづける」と書かざるを得ないのでしょう。

そして、確かに「「東アジア共同体」の創造」は必要でしょう。

しかし、その為には、政界を引退した野中広務氏が行おうとしている「戦後未処理の問題」にも、配慮すべきです。

 

 その件の一部を、先の拙文《差別する石原慎太郎氏、される野中広務氏》より、野中氏の談話を再掲させて頂きます。

 

 

 私にとっての戦後処理とは、わが国が他国を侵略したんだ
中国にも日本が軍隊を送ったんで、中国が日本に軍を送ったわけではないわね。
また北朝鮮に関して言えば、他の国とはそれぞれ平和友好条約なり国交樹立をしたのに、唯一取り残しておると。
その国を、アメリカじゃないが、「悪の枢軸」みたいに呼んでいる。
どうも、自らが戦後問題の処理をしようという意欲に欠けているのではないか。それが一番大きなこと。……

 

 

 私には、この野中氏語る「戦後処理」なくしては、「「東アジア共同体」の創造」を目指すのは、アジアの他国へ対して礼を欠いていると存じます。

とても「友愛の世界」とは言えません。

 

 

 今回のアメリカの金融危機は、多くの人に、アメリカ一極時代の終焉を予感させ、またドル基軸通貨体制の永続性への懸念を抱かせずにはおかなかった。私も、イラク戦争の失敗と金融危機によってアメリカ主導のグローバリズムの時代は終焉し、世界はアメリカ一極支配の時代から多極化の時代に向かうだろうと感じている。しかし、今のところアメリカに代わる覇権国家は見当たらないし、ドルに代わる基軸通貨も見当たらない。一極時代から多極時代に移るとしても、そのイメージは曖昧であり、新しい世界の政治と経済の姿がはっきり見えないことがわれわれを不安にしている。それがいま私たちが直面している危機の本質ではないか

 

 

 私は、「為替市場」には、不信感を抱いております。

先にも記述しましたように、私達人間社会は放置(自由に)したら「弱肉強食」或いは「悪いやつほど良く眠る」の世界に陥ってしまいます。

投機家達の好餌となっている「為替市場」の改革を各国強調して行うべきと存じます。

 

 

 アメリカは今後影響力を低下させていくが、今後二、三〇年は、その軍事的経済的な実力は世界の第一人者のままだろう。また圧倒的な人口規模を有する中国が、軍事力を拡大しつつ、経済超大国化していくことも不可避の趨勢だ。日本が経済規模で中国に凌駕される日はそう遠くはない。

覇権国家でありつづけようと奮闘するアメリカと、覇権国家たらんと企図する中国の狭間で、日本は、いかにして政治的経済的自立を維持し、国益を守っていくのか。これからの日本の置かれた国際環境は容易ではない。

 

 

 私達は、ここでの鳩山首相の記述にあるような「日本は、いかにして……国益を守っていくのか」に囚われていると大変な事になります。

中国が、軍事力を拡大……」の状況になりますと、先の拙文《日米同盟の正体を知らなかった日本人》などで引用させて頂きました孫崎亨氏(前防衛大学校教授)の著作『日米同盟の正体 講談社現代新書』の次の一節を思い出します。

 

 

一九八五年のハーバード大学でのナイの授業で、筆者が鮮明に覚えている言葉がある。

「戦争はどんなときに起こるか。ナンバーワンがナンバーツーに追い越されそうになるときです

 冷戦終結前後、米国はナンバーツーの日本を追い落とすため、戦争に臨むような気持ちで戦略の構築に臨んだ。これに対し残念ながら日本に危機意識はなかった。……

 

 

 このナイ氏の見解通りに「米国の軍備が中国の軍備に追い越されそうになる」と、とんでもない事態が発生してしまいます。

 

 

……その巨大化する経済活動の秩序化を図りたい。これは、この地域の諸国家のほとんど本能的要請であろう。それは地域的統合を加速させる大きな要因でもある。

……インターネットの普及は、ナショナリズムとポピュリズムの結合を加速し、時として制御不能の政治的混乱を引き起こしかねない。

 そうした時代認識に立つとき、われわれは、新たな国際協力の枠組みの構築をめざすなかで、各国の過剰なナショナリズムを克服し、経済協力と安全保障のルールを創りあげていく道を進むべきであろう。……

……地域的統合を阻害している問題は、じつは地域的統合の度合いを進める中でしか解決しないという逆説に立っている。たとえば地域的統合が領土問題を風化させるのはEUの経験で明らかなところだ

 

 

 

地域的統合」を云々するからには、
「国益」だとか「美しい国日本」等と口にすべきではないと存じます。

 

 

 私は「新憲法試案」(平成十七年)を作成したとき、その「前文」に、これからの半世紀を見据えた国家目標を掲げて、次のように述べた。

 「私たちは、人間の尊厳を重んじ、平和と自由と民主主義の恵沢を全世界の人々とともに享受することを希求し、世界、とりわけアジア太平洋地域に恒久的で普遍的な経済社会協力及び集団的安全保障の制度が確立されることを念願し、不断の努力を続けることを誓う」

 私は、それが日本国憲法の理想とした平和主義、国際協調主義を実践していく道であるとともに、米中両大国のあいだで、わが国の政治的経済的自立を守り、国益に資する道でもある、と信じる。またそれはかつてカレルギーが主張した「友愛革命」の現代的展開でもあるのだ。

 

 しかし、残念な事に、この鳩山首相の「新憲法試案」には、

“日本国は、自らの独立と安全を確保するため、陸海空その他の組織からなる自衛軍を保持する”

との項目が存在します。

 

 ここで、又、孫崎亨氏の著作『日米同盟の正体』から引用させて頂きます。

 

国際的に高い評価を得る日本

20062月 BBCWorld Public Opinion と共同で行った世界の世論調査

国名 インド 中国 ロシア イラン
肯定する国 31 28 26 22 20 13 13 5
否定する国 2 4 5 6 10 16 18 24

*日本に関して、否定する2カ国とは、中国と韓国である。


世界主要34カ国(各大陸)が
各国の影響力拡大をどう評価するか(国数)
各国ごとに日本と米国の影響力拡大を何%が肯定的に見ているか(%)

国名

ブラジル

エジプト

トルコ

インドネシア

韓国

中国

日本

62

57

54

47

73

42

85

44

16

米国

34

33

16

24

29

11

7

40

35

28


 

 このように、「平和憲法」の下、紛争地に兵力を送らない日本が、多くの国から(米国以上に)評価されているのです。

 

 

従いまして、
家庭の安全を警察に任せた」と同様に
国の安全を国連に任す」べく、
日本は努力し、世界をリードして行くべきです。


……しかし、われわれが直面している世界が混沌として不透明で不安定であればあるほど、政治は、高く大きな目標を掲げて国民を導いていかなければならない

 いまわれわれは、世界史の転換点に立っており、国内的な景気対策に取り組むだけでなく、世界の新しい政治、経済秩序をどうつくり上げていくのか、その決意と構想力を問われているのである。

 今日においては「EUの父」と讃えられるクーデンホフ・カレルギーが、八十五年前に『汎ヨーロッパ』を刊行した時の言葉がある。彼は言った。

 

 「すべての偉大な歴史的出来事は、ユートピアとして始まり、現実として終わった」、そして、「一つの考えがユートピアにとどまるか、現実となるかは、それを信じる人間の数と実行力にかかっている」と

 

 

 「change―変革」を掲げ米国大統領に当選し、“Yes we can”の合言葉と共に、米国大統領に就任されたバラク・オバマ大統領は、多くの変革を試みようとしていますが、現在抵抗勢力の存在に苦労されています。

 

祖父の一郎氏より伝来の「友愛」を(看板)旗印に掲げる鳩山首相は、
この「友愛」を「
You I」とし、
You=オバマ大統領 I=鳩山首相 You&I=We」で肩を組み、
Yes we can」と、御互いに「武器よさらば」と軍需産業から脱却し、
「グリーン・ニューディール」、「温室効果ガスの25%削減」と
新たな産業構造への「
change―変革」を高らかに謳い、
改革に向けての新たな日米同盟」を育んで頂きたいものです。

 

 

 

(補足:映画「武器よさらば」)

 

 映画「武器よさらば」に関して、「法学館憲法研究所」のホームページを訪ねましたら、次の様に記載されておりました。

 

「武器よさらば」の発想は、日本国憲法の戦争の放棄にもつながるものを含んでいます。ちなみに、映画化された第一作目は、1933年に日本でも公開されましたが、内務省当局から題名が反戦的だとして「戦場よさらば」に改められ様々な箇所がカットされました。

 

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