差別する石原慎太郎氏、される野中広務氏
2009年9月11日
宇佐美 保
では、先の拙文《小泉純一郎氏の裏を語る野中広務氏》を、引き続き、野中広務氏と辛淑玉氏の対談を綴った『差別と日本人 発行所:滑p川書店 2009年6月10日初版 8月10日 6版発行』を引用させて頂きながら継続致します。
朝日ニュースターの『パックインジャーナル』を司会されている愛川欽也氏は常々
“小泉純一郎という人物は稀代の名優!” |
と絶賛しています。
(そして、政治家小泉には、小泉ブームの前から不信感を抱かれて(危険視されて)おられました、愛川氏は立派な洞察力の持ち主と尊敬しております。
今度も朝日ニュースターでの「パックインジャーナル」の司会を期待させて下さい)
それにしましても、小泉氏の顔がテレビに映るたびに、私は何故か、新井将敬氏の顔が脳裏に(否!眼前に)浮かんでくるのです。
(容貌が、どこか似通って見えるのかもしれません)
そして、対談の中に、次のような記述を目にするのです。
●新井将敬の死は何を意味するのか? |
|
辛 |
一九九八(平成十)年二月に、新井将敬が亡くなりました。 私は彼と仕事先で何回か顔を合わせています。あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのかを教えてはしいんです。 |
野中 |
僕は新井将敬に関わったほうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってるんだ。 |
辛 |
それは、彼は死ぬような人ではなかったと? |
野中 |
うん、客観的な状況の中で。ただ、彼は間違っていた。また自分がやってきたこと は間違ってないんだ、という思いが強すぎた。僕は彼に直接話したんだから。彼は「議会 運営委員会に出て、自分がどんなに正しかったかということを発言します」と言うから、僕はいさめた。…… それが亡くなる二日前かな。 |
辛 |
彼は何て言いましたか。 |
野中 |
いや、私は正しいんだ。私は正しいことを正しく国会の議運で証言するんだ。そうしたら私の潔白はわかってもらえる」と。「そんな甘っちょろいところじゃないんだ。 おまえは純粋過ぎる。いまさら、そんな恥ずかしいことするな」と僕は言ったんだけどね。 で、その二日後かな、僕が本会議場で座っておったら、亀井静香が「おい、えらいこっちゃ」って言いに来た。「何だ?」と尋ねたら、「新井が行方不明だ」と。亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死んだ状態だった。しかしまだ高輪の警察も知らなかったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さんがおらなかった。亀井が僕に言うには、「発見から警察がくるまでに二時間ぐらい間がある。その間に何があったのか、その謎が全然僕には掴めない。この事件はおかしい」と。 |
辛 |
殺されたと? |
野中 |
うん。だから新井は口封じをされたんだと。 |
辛 |
新井さんが国会で、「自分は朝鮮人だから、在日だから差別されてる」ってことをおっしゃっていたので、……、私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思ってるんですね。最初の選挙の時に……。 |
野中 |
ああ、ビラを貼ってということか? |
辛 |
そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで「北朝鮮から帰化」と書かれたものを貼った。同じ選挙区だったので脅威に感じたのでしょう。すさまじいまでの差別事件でした。確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。そんなこともあって、お そらく、新井将敬は「日本人に愛される政治家」になりたかったんだと思うんですね。…… |
新井将敬(元衆議院議員)一九四八(昭和二十三)年大阪市生まれ、十六歳のときに日本国籍を取得。一九八三年の衆議院議員総選挙に東京2区から初出馬するも落選。この選挙で対立候補であった石原慎太郎陣営から新井の出自を誹謗する黒シールを選挙ポスターに貼られるという事件が起こり、石原を告訴している(当時は中選挙区制で、自民党から複数の立候補があったが、票を取り合うため党内での妨害がすさまじかった。後に告訴取り下げ)。 石原は当初は「秘書が勝手にやった」と発言していたが、民族的出自を誹謗したことに関しては「選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある」として恥じることがなかった。その後、新井は、一九八六年の衆議院議員総選挙で初当選し、以後四期連続当選する。自由党、新進党をわたりあるき、自民党に復党した。 しかし、一連の証券スキャンダルでの借名口座による株取引が問題化。更に日興証券に利益要求していたという疑惑も浮かび上がる。1998年2月、衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に「最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です」と発言をし、翌日、真相が解明されないまま都内のホテルで首を吊っているところを発見された。 |
これだけの記述では、新井将敬氏が関連した事件の内容が私には良く分かりません。
(上記の記述は、『フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)』に見る事が出来ますし、また、より詳しくも書かれておりますのでご参照下さい)
石原慎太郎氏“選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある”との賜っているそうですが、ご自身の「パーソナルヒストリー」はいかがなものでしょうか?
(弟の裕次郎氏に関しては盛んに吹聴されておられますが、父上(石原潔氏)の「パーソナルヒストリー」などは如何なのでしょうか?
『フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)』で、次の記述を見る事が出来ます)
潔の山下汽船入社時の身分は「店童(てんどう)」だった。これは海運会社独特の制度で、商店でいえば 丁稚のようなものにあたり、宿舎と食事は確保してくれるかわりに、給料は一切なかった。痰壺洗い、便所掃除、社員の靴磨き、使い走りなどが仕事だった(佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』31-32頁)、32-33頁に「慎太郎、裕次郎兄弟は十代から湘南の海でヨットを乗り回した。そのブルジョワ的イメージから、そもそもからして資産家階級の出身だと思われがちである。父親も大学出のエリートサラリーマンだったと思うのが一般的な見方だろう。だが実際の潔は中学もまともに卒業せず、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの船会社にもぐりこんだとはいえ痰壺洗いという最末端の仕事から這いあがっていかざるをえない男だった。肉体労働者階級出身でありながら、そんなことはおくびにも出さずリッチな生活はあたかも天与のものだったかのごときにふるまう。イメージと現実のこのあまりにも大きすぎる落差のなかに、慎太郎という男の謎を解く一つのカギがかくされている。」とある |
人の評価は、「パーソナルヒストリー」とは無関係なのではありませんか?
私は、佐野氏の記述にある慎太郎氏のお父様(潔氏)もご立派な方だったと存じます。
(しかし、石原慎太郎氏が、新井将敬氏に対して「選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある」との態度を取ったならば、石原氏の御父上の「パーソナルヒストリー」を自ら進んで披露されているべきです。
勿論、私は、その必要性を求めませんが)
(但し、石原氏は、次著『法華経に生きる 幻冬社 平成12年8月25日 初版発行』の中で、51歳で亡くなられた御父上の件に関しては、40代後半からの
「当時の造船疑獄のせいで上役の多くが逮捕されてしまい、総務部長から重役になった父は……」 |
との、輝かしい時期に関して若干触れておられますが……)
しかし、
“イメージと現実のこのあまりにも大きすぎる落差のなかに、慎太郎という男の謎を解く一つのカギがかくされている”との佐野氏のご見解は、「あの傲慢ともいえる、居丈高な態度の謎を解くカギ」なのでしょう。 |
民主党の女性議員が今回の選挙で当選するや、その方々の過去を(写真を)週刊誌などが暴き立てています。
先の選挙で、「トラ退治を行った姫」の場合もそうでした。
私は、何の苦労もなく(他人と比べたら)世襲で議席を確保される世襲議員の方々よりも、野中広務氏のように、多大な悲惨な苦労体験を経て議員になられた方を信頼します。
(森元首相に立ち向かわれた田中美絵子氏にも心からエールを送ります)
その野中氏に対しての麻生太郎氏の差別発言を、次のように書かれておられます。
(先の拙文《野中広務氏への麻生氏の差別》もご参照下さい)
野中氏に対するの麻生太郎氏の差別発言 |
|
辛 |
私は麻生さんの顔を見ると背筋が寒くなるんです。 とくに彼の中にあるひどい差別意識には、ぞっとさせられる。 |
野中 |
まだ麻生さんが総理になる前の、二〇〇一年四月の頃だったけれども、ある新聞社の記者が僕に手紙をくれたんです。手紙には、こんな内容のことが書かれていた。 〈麻生太郎が、三月十二日の大勇会の会合で「野中やらAやらBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハ」と笑っていた。これほ聞き捨てならん話だと思ったので、先生に連絡しました〉 彼がそれを言ったとき、その輪の中に数名の政治家がいたらしいのだが、その一人が、今は国民新党にいる亀井久興君だった。私自身が亀井君に確認したら、「残念ながらそのとおりでした」と。……それ以外の二人についてほ、まだ自民党の中にいるから、あえて言わないけども。かわいそうだから。 |
辛 |
麻生さんとぃうのは、自民党の中でもそういう発言をする人なんですか。 |
野中 |
そうだろうね。実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬはどこき使って、金儲けしてきた人間だから。 彼が初めて選挙に出た時、福岡の飯塚の駅前で、「下々の皆さん」って演説した。これが批判を受けて選挙に落ちたんだ。 |
辛 |
飯塚って在日も部落の人もたくさん住んでいるところですからね。 |
野中 |
何の疑問もなしにそう言うんだ。不幸な人だ。一国のトップに立つべき人じゃない。 |
辛 |
そうですね。他の先進国でこんな発言をしたら、たとえ過去の発言であっても二発で首が飛ぶ。 こんな「国会議員の誰が部落だ」みたいな情報は、国会の中で回るものなんでしょうか。 |
野中 |
いや、そんなのわからんと思うよ。僕はA君の詰もB君も初めて知ったんだから。 それにしてもどこからそんな情報が出たか、知らんですよ。 |
辛 |
麻生さんは差別意識が体の中に染み込んでるんだと思う。 |
野中 |
そうそう。 |
このように差別発言する麻生氏に憤慨する野中氏は、石原慎太郎氏とは会食したりするようなのです。
野中氏は、石原慎太郎氏とは会食 |
|
野中 |
……昨夜石原と飯を食ったんですよ。 |
辛 |
え?なんで石原さんと御飯食べられるんですか。なんで!?だって石原さんってハンディのある子どもたちを見て、「ああいう人ってのは人格あるのかね」といいはなった。 私、そういう言い方をする人は、自分の人生の中でも想像がつかないんですよ。 |
野中 |
想像つかない |
辛 |
あの人はそれ以外にもいっぱい差別発言をしています。私なんか「石原差別語録」を、ちゃんと自分でまとめたぐらいですから。(そのファイルを手にとって野中氏に差し出し)見てください、これ。どれほどいっばいあるか! |
野中 |
そうかね。あんなのボンボンですよ。 |
辛 |
ボンボンにあんな煽動されたら困るんですよ。私、知事が石原さんに替わった直後まで、東京都の生涯学習委員やってたんですね。何年間もかけてまとめたものを、あの人一枚も見ずにべろって変えちゃうんですよ。あれは民主主義の手続きをまったく踏んでいない。どうしてその人を助けるんですか。それがわからない。 |
野中 |
いやいや……。 |
辛 |
私はそれが聞きたい。 |
野中 |
いやあ、あれはまたいい男だからだ。 |
辛 |
まあ、どこがいい男なんですか。もう私にはわからない |
野中 |
彼にも、僕のように忠告をできる人間がおらないといかんでしょ。 |
辛氏同様に、私にも野中氏の石原慎太郎氏に対する思いが全く分かりません。
それに、野中氏が忠告したのなら、石原氏のどこが変わったというのでしょうか?
(しかし、野中氏は、佐野氏が書き綴った石原氏の父上の、そして、それは石原氏ご自身の「パーソナルヒストリー」をご理解され、野中氏ご自身の「パーソナルヒストリー」に照らし合わせ、石原氏の今後に大きな変化と希望を見出そうとされておられるのかもしれません。
それでは、最後には「石原氏のどんでん返し」が控えているのでしょうか?
と申しますのは、次の野中氏の思いに大いなる期待と希望を抱いているのです。
野中氏の思いに大いなる期待と希望 |
|
辛 |
野中さんは二〇〇三(平成十五)年に政界を引退されたわけですが、 |
野中 |
みんながどこまで共鳴してくれるかわからないけれども、 |
辛 |
福田さんというのは、あの福田康夫さんですか。 |
野中 |
おお、彼はそう思っていたんですよ。しつかりしてるんですよ、彼は。 |
辛 |
なるはど。 |
野中 |
二〇〇八年の五月に、中国の胡錦涛国家主席が来日されたけど、その前に、当時の福田首相と会って、言ったことがあるんだ。 「戦後、中国は我が国に戦後賠償を求めなかった。『以徳報怨』という考え方、 そのお陰で日本は戦後これだけの経済復興を遂げることができたんだ。それを今度胡錦濤さんに会う時に言ってほしい」 すると、福田さんは「その通りです」と理解してくれた。 言ってくれないと格好がつかないんですけどね」と心配するわけだ。 |
辛 |
福田さんらしい反応ですね。 |
野中 |
それで主席来日の一ケ月前の四月に、僕は中国に飛んで、胡錦濤さんが福田首相に対して、ODAのことに言及してほしいという旨を根回しをしてきた。向こうもわかったということで了承してくれた。 五月、胡錦濤さんが来日した。僕が伝えたことがご本人の耳には入っているだろうとは 思っていたけど、ほんとうに言ってくれるかどうか、内心、気をもんでいた。 「日本の長年にわたる有形、無形の援助のおかげで中国は近代化を成し遂げることができた。謹んで御礼を申し上げる。 |
辛 |
うまいですね。 |
野中 |
そうなんだ。僕も胡錦濤さんに直接会って挨拶をしたけれども、こう言うんだね。 主席は、副主席時代に六回来日して僕と会っていると。僕は訪中した時に胡錦濤さんには十回会っている。 政治家も外交官も、戦後賠償のことには気づいてほしいね。 |
辛 |
野中さんにとって「戦後処理」というのは具体的に何を指しているんでしょう。 |
野中 |
私にとっての戦後処理とは、わが国が他国を侵略したんだと。 それと、六十三年経ったいまでも、中国大陸の遺棄化学兵器の問題がある。 それと、日本民族が、日本軍が、日本が遺棄してきた日本人たち、つまり中国にいる孤児の問題ね。 |
辛 |
そうですね、あれは日本の国家によって置き去りにされた。だから「中国置き去り日本人」という呼び方が正しいと思いますが。 |
野中 |
あれは遺棄したんですよね |
辛 |
そうです。中国置き去り日本人の人たちは、たとえば中国で医療の技術を持っていても日本では使えないし、また言葉の問題もあって、彼らが日本の社会で立ち上がっていくための社会的システムやサポートはとてもすくなかった。いっぽうで、北朝鮮の拉致被害者たちに対しては、政治家が実績をPRするとか、政治的活用がいろいろな形でできると思ってか、就職も斡旋し、手厚くやったじゃないですか。 中国置き去り日本人やその孫や連れてきた人たちと、拉致被害者の人たちとを比べると、明らかに中国置き去り日本人のはうが生活に困窮している。そういう実態をみるにつけ、日本の政府っていうのは都合のいい時には日本人にし、都合が悪くなると日本人じゃないとする。置き去り日本人たちに関しては、日本に入れてやったんだからもうそれでよし、みたいな感じじゃないですか。だから政治家はその問題にも関わりたくなかったんでしょうな。 …… |
このような、素晴らしい野中氏の思いが実現される事を願わずには居られません。
どうか長生きされて野中さん頑張ってください!
(そして、この野中さんの御仕事に石原氏が協力される事を私は期待してやみません)
(補足:1)
先の会話の中で、野中氏の“福田さんとも話をしながら、戦後未処理の問題をやりたいなと思っているんです”の言葉を受けて、辛氏は、“福田さんというのは、あの福田康夫さんですか”との驚きの声(?)を上げておられますが、先の拙文《真実だとしたらとても怖い話》にも引用させて頂きましたが、『週刊金曜日(2008年10月3日号)』に、掲載されているニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩氏の記述の一部を再掲させて頂きます。
米国民の関心から日本が消えて久しい。二月四日の大統領選挙へ向けて、オバマ候補(民主党)とマケイン候補(共和党)は、「私こそ、米国の内外の難問を解く大統領にふさわしい」との売り込みに懸命である。・・・ それでも、オバマとマケインの両陣営の中には、来年一月の大統領就任を手中にするのを予定して、米国の対東アジア政策の一つとして、これまでのブッシュの対日姿勢を続けるべきかを考えている者もいる。彼らにとっては、九月一日の福田辞任表明も別に驚きでもなかった。麻生が公明党のボスと組んで「福田おろし」に暗躍していたのを知っていたからだ。 ・・・・・・ |
ですから、この霍見氏の記述が真実なら、福田氏はマスコミなどで言われ、辛氏が信じられておられるような「自分勝手に政権を投げ出した無責任な政治家」ではなかったのかもしれません。
(確かに、福田氏の投げやりとも思える答弁の仕方は、私も好きではありませんでしたが、安倍氏や麻生氏よりも格段優れた政治家であると信じております)
(補足:2)
この麻生氏の福田氏降ろしへの暗躍ぶりが、小沢一郎氏の親友(心友)であり、政治面でのバックボーンである平野貞夫氏の著作『わが友・小沢一郎 株式会社 幻冬社 2009年5月5日発行』にも暴露されています。
福田首相は秋の臨時国会に向けて、8月2日、内閣改造に踏み切る。……
しかし、福田首相のこの改造には誤算があった。それは自民党幹事長に前年の総裁選で戦った麻生太郎氏を起用したことだ。もともと自民党内には、福田内閣の支持率が低迷していたことから「福田首相では総選挙を戦えない」と首相交代を望む声が強まっていた。そこで行われたのが麻生氏による「クーデター」である。
私が関係者から聞いたところによると、麻生氏は就任直後の8月下旬、創価学会の幹部と会談し、「自分が首相になれば、公明党が主張する定額減税を実施する」と約束を交わしたという。
財政再建を目指す福田首相は、この定額減税には消極的で、公明党との関係はぎくしやくしていた。そこにつけ込んで、麻生氏は公明党の支持母体である創価学会に「公明党の主張を実現するから、自分を首相にしてほしい」と要請したわけだ。
この情報は福田首相のもとにも入った。秋の臨時国会が民主党との対決で極めて厳しい状況になることが確実な中、自分を支えるはずの幹事長が、連立相手の公明党と手を組んで、「福田降ろし」に動いたのである。これでは政権がもたないことは明らかだ。そして、福田首相は9月1日、安倍前首相に続き、任期1年足らずで、突然辞任を表明することとなった。「私はあなたと違うんです。客観的に自分を見ることができるんです」という辞任の記者会見での言葉は、「福田降ろし」に動いた人たちへの痛烈な皮肉だったに違いない。
福田首相の辞任表明を受けて、自民党では9月22日に総裁選が行われ、麻生氏が選出された。…… |
この次の記述も……、又、更に、平野氏の著作には興味深い記述を見る事が出来ますが、それらは次なる機会に紹介させて頂きます。
目次へ戻る