目次へ戻る
野中広務氏と小泉純一郎氏そして差別問題
2009年9月9日
宇佐美 保
8月30日の総選挙で、自民党が大敗を喫したので、自民党政権の提灯を持ち続けてきた田原総一朗氏も、これで、自民党の提灯持ちを辞職されたろうと思い、9月6日、長らく見向きもしなかった地上波テレビ(田原氏が取り仕切るテレビ朝日の「サンデープロジェクト」)にチャンネルを合わせてみましたら、なんとスイッチを入れた瞬間に、(はっきりした文言は忘れましたが)田原氏の次の言葉が吐き出されてきました。
“今回の選挙で、民主党は大勝したが、その勝利は小沢一郎と言う選挙の名人の力によるものであり、 若し、自民党に小沢氏同様な選挙名人が居たら自民党が勝っていた筈だ” |
私は、びっくりして、直ぐにスイッチを切りました。
そしてその夜の朝日ニュースターの番組『日本の設計図』“民主党政権の目指すべき政治とは”(司会:早野透氏)でゲスト出演された平野貞夫氏(元参議院議員:自民党を作った人々の薫陶を受けて参院議員として2期12年間を務められた)は、次のように発言されて居られました。
“特定のテレビ芸者、男芸者と言える男が自分の意向で世の中、政治を動かそうと、総理大臣と飯食う事が最大の喜びみたいで、そこから情報をとって偉そうな事を言って、自分のあれを作ろうとしている。
これは明治ファシズムですよ、そういうのが数人いるんですよ”
このように(名前を上げはしませんでしたが)田原氏を断罪する平野氏は、小沢氏のブレーンでもあります。
(そして、同じ放送局の朝日ニュースター『パックインジャーナル』に時折、ゲストで出演される氏の発言を傾聴させて頂いております)
そして、平野氏は、今回の自民党の敗北を次のように解釈されておられました。
自民党崩壊のきっかけは、昭和55年ごろ、50年代に明治生まれの与野党から消える、その頃から国会議員の質が変って来た。 それ迄は、与野党共に政治を自分が行うと言う忠誠心が見えていたし、自民党の指導者達には大金持ちの人が少なかった。 彼らは、他人の世話や援助を受けつつ立ち上がってきたのであって、逆に共産党社会党の人達に大金持ちがいた。(“社会正義、人類愛を背景に”と早野氏が補足) そして、(方法は対立していたとはいえ)社会全体が良くなるにはどうしたら良いかを自民党から共産党まで同じ意識を持っていた。 このように権力運営の慎重さや責任を持っていた自民党が、談合で作られた森内閣後に劣化し始めた。 更に、今の自民党に問題なのは、400年続いてきた資本主義が崩壊過程に入ったという歴史認識が(民主党にはそれらしき意識はあるが)自民党には全くないことである。 リーマンブラザーズショックに対する自民党の対策は、重化学工業時代の経済構造への改革論であり、第3次産業革命が起こって高度情報社会が起こり文明が変わったとの認識が全くない。 |
更に、これからの民主党に対しては次のような心配も披露されておられました。
昭和30年40年50年と金脈問題だとか色々な問題を抱えながらも、国民の為には結構良い政治をして日本を繁栄させた自民党のノウハウを権力運営の良い部分を客観的に分析することなくしては民主党はよい政治が出来ない。
自民党の崩壊、130年続いてきた日本の政党政治の崩壊に続く、これからの新しい政治を築く為の重大な責任を持った民主党は、ここ10年自民党の壊れてきた本当の根っ子の部分を勉強して欲しい。
この平野氏が(名指しこそしませんでしたが)蛇蝎の如く忌み嫌う田原氏が、首相に担ぎ上げた小泉純一郎氏(拙文《真実だとしたらとても怖い話》もご参照下さい)の行為の中で、次の2点に感銘を受けておりました。
私が感銘を受けた小泉純一郎氏の2つの行為 | |
---|---|
(1) | 北朝鮮へ飛び拉致問題の交渉を自ら行った事 |
(2) | ハンセン病回復者と握手し、控訴を取りやめた事 |
しかし、野中広務氏と辛淑玉氏の対談を綴った『差別と日本人 発行所:滑p川書店 2009年6月10日初版 8月10日 6版発行』を購読して、この件に関しては裏があっとことを知り、愕然としました。
先ずは、次のような記述です。
『差別と日本人 発行所:滑p川書店 2009年8月10日 6版発行』より | |
---|---|
辛 | 小泉さんの性格がよく表れていたのが、北朝鮮に行った時、向こうでお茶一杯飲まないで帰ってきたことだと思うんですね。 |
野中 |
お茶飲まない、食べない、それから泊まらない。全部日本から持っていったものを食べていたようだ。一切向こうから出されたものは食べないということで徹底しておった。 向こうは共産主義国家とはいえ、もともとは儒教の国ですよ。そういう国に行って、おまえが出したものは一切食べんぞと、こんな失礼な言い方があるかと。そこからこの訪朝は間違っている。 |
このような小泉氏の態度で、外交が可能でしょうか!?
更に驚くべき発言を野中氏は披露されておられます。
野中 |
・・・それと、このあいだ、北朝鮮問題に関して新しい情報を仕入れたんだけど、それを聞いて、日本ほど恥ずかしい国はないと思った。二〇〇二(平成十四)年に五人、そして二年後には子どもたちやジェンキンスさんらを帰国させた。これらの見返りとして、北朝鮮側はある条件を出してるんですよ。ところが、それを日本は何一つ履行していない。そのため、北朝鮮側でその時に中心になった人物がいま非常に厳しい状況に追い込まれている。 それを耳にして、小泉っていうのはひどいことしたと思った。
|
約束を守らないと言うことは、その後の拉致問題の進展、解決など小泉氏の眼中には無かった事になります。
(野中発言が真実なら、小泉氏は専ら小泉内閣支持率向上の為に、拉致被害者の方々を利用したことになります)
更に不思議な事は、小泉氏から首相の座を引き継いだ安倍晋三氏の存在です。
安倍氏は、小泉氏に同行して北朝鮮に渡っているのですから、この密約はご存知でしょう。
ところが安倍氏は北朝鮮との密約を無視し対話路線を蹴飛ばして強硬路線(少なくとも表向きは)をひた走り続けていました。
(そして、その安倍氏の成果は皆無です!
更に、安倍氏と北朝鮮となりますと、「元公安調査庁長官の緒方重威氏が、朝鮮総連中央本部の土地・建物売買で詐欺罪に問われた事件」を思い浮かべますが、この件は別文《拉致問題の暖簾を掲げる政治家達(1)》並びに《拉致問題の暖簾を掲げる政治家達(2)》をご参照下さい)
それでは、次は「ハンセン病訴訟で国が控訴を断念」の件に移らせて頂きます。
ハンセン病訴訟で国が控訴を断念 | |
---|---|
辛 | ハンセン病回復者の人たちから提訴された訴訟で、小泉さんが控訴を取りやめたじゃないですか。 |
野中 |
あれは、僕が小渕内閣の官房長官の時に、回復者の人たちが熊本地裁に提訴したんですよ。 …… 僕は所用で出かけていて国会へ行こうと思ったら、官邸の前で人がたむろしているわけ。「何だ、あれ?」と秘書官に聞いたら、「ハンセン病の訴訟団が会わせてほしいと言ってるんです」と言うので、僕は「会うたらいいじゃないか」と言った。すると「いやいや、もう各省、会いませんから」って言うから、秘書官に「国会へ行くのにまだ時間あるんだろう。みんな入ってもらえ」と。それで官邸の入口の応接室で話を聞いてやったんだ。 一人ずつ挨拶して握手して、「頑張ってやれ」と言うてやったんだ。 しかし、熊本地裁で勝訴して、すぐ僕のところに来て上訴しないように頼まれたのだけど、僕のところに来たって解決しない。あんな小泉みたいな変わった奴がおるんだからね。 これは策を弄さなあかんということで、公明党の坂口力さん(小泉内閣の厚生労働大臣)に会う段取りを付けたんだ。坂口さんは非常に良心的な方だからね。そこでこう言ったんだ。 「公明党の代議士で、医者をしている福島豊というのが厚生労働を専門にやっている。彼は良心的だから、彼をこれからここへ来さすから、福島と一緒に坂口さんのとこへ行ってほしい。まず坂口さんに話をして、坂口さんから総理に意見を上げてもらおうじやないか。 そうでもしないと、反小泉の僕が関係しているのがわかったら、小泉は反対するよ」 その後、実際に国が控訴を断念してから、訴訟団の人たち、「あの時は先生に元気づけられた。先生が握手して頑張れと言うてくれたから、一審で勝つことができました」と言うてくれたんですよ。 …… |
私が大感激した小泉氏の「ハンセン病回復者の方々」に対する応対の影には、 |
では、「拉致問題に関しての日朝首脳会談など」に於ける小泉氏の演技は 私は、米国のブッシュ大統領(当時)或いは彼に近い方のシナリオでは?と推測しています。 |
と申しますのは、小泉氏の2回目の訪朝時に、曽我ひとみさんのご主人へ不可思議な説得が見事に結実したのですから。
この件に関しては、先の拙文《小泉氏首相を支持する日本人と曾我ひとみさん》の一部を以下に抜粋させて頂きます。
小泉氏は、ジェンキンスさんに対して身柄の保証が何も無いのに、日本に来るようにと説得されたとのことです。
そして、ジェンキンスさんに、“米国の対応を日本の新聞からも得ている”と反論されてしまっているのです。
(朝日新聞:5月20日には、次のように書かれています。)
……米国防総省当局者は18日、曽我ひとみさんの夫で元米兵のジェンキンス氏について「極めて深刻な統一軍事裁判法違反に問われていることを日本政府にすでに伝えてある」と述べた。さらに同氏が北朝鮮に滞在中は時効期間が停止していると指摘。「国籍に関係なく訴追対象となる」との見方も示した。 一方、別の米政府高官は同日、ジェンキンス氏への対応が日米両国間の「重大な問題」になっていると述べ、あらゆる可能性について検討していることを示唆した。 恩赦などの例外的措置に対しては、特に米軍の制服組に反対意見が根強いことを踏まえ、同政府高官は「彼は重い罪に問われている」と指摘したうえで「まだ決定は下されていない」と話し、米政府が慎重に対応を検討していることを示した。 |
この様なジェンキンスさんの反論に対して、小泉氏は、外務省役人の助言で、
“「I guarantee(私が保証する)」と英語でメモを書いて手渡し、身柄の安全を約束したが、拒否の姿勢は変わらなかった” |
とのことですが、冗談ではありません。
いくら小泉氏が保証すると云ったって、相手(米国)が居ることです。
その上、小泉氏の首相の座にいる期間だった不安定です。
それに、縁起でもないことですが、いつ小泉氏が命を落とさないとも限りません。
この様な状態で、ジェンキンスさんの訪日を促すのは詐欺行為でさえあります。
平壌での1時間にわたる説得は、小泉氏の全くの政治的パフォーマンスでしかなかったはずです。
このような小泉氏の説得が成功した背景には、小泉氏の書いた英語のメモ
I guarantee(私が保証する) |
の
“I”とは、“I=私=小泉”ではなく“I=私=Bush(ブッシュ)” |
だったからではないでしょうか?
朝日ニュースターの『パックインジャーナル』を司会されている愛川欽也氏は常々
“小泉純一郎という人物は稀代の名優!” |
と絶賛しています。
(そして、政治家小泉には、小泉ブームの前から不信感を抱かれて(危険視されて)おられました、愛川氏は立派な洞察力の持ち主と尊敬しております)
それにしましても、小泉氏の顔がテレビに映るたびに、私は何故か、新井将敬氏の顔が脳裏に(否!眼前に)浮かんでくるのです。
(容貌が、どこか似通って見えるのかもしれません)
そして、対談の中に、次のような記述を目にするのです。
●新井将敬の死は何を意味するのか? | |
---|---|
辛 |
一九九八(平成十)年二月に、新井将敬が亡くなりました。 私は彼と仕事先で何回か顔を合わせています。あの時の、新井将敬を取り巻く自民党の中の状況はどうだったのかを教えてはしいんです。 |
野中 | 僕は新井将敬に関わったほうなんですが、いまだに彼は自殺じゃないと思ってるんだ。 |
辛 | それは、彼は死ぬような人ではなかったと? |
野中 |
うん、客観的な状況の中で。ただ、彼は間違っていた。また自分がやってきたこと は間違ってないんだ、という思いが強すぎた。僕は彼に直接話したんだから。彼は「議会 運営委員会に出て、自分がどんなに正しかったかということを発言します」と言うから、僕はいさめた。…… それが亡くなる二日前かな。 |
辛 | 彼は何て言いましたか。 |
野中 |
いや、私は正しいんだ。私は正しいことを正しく国会の議運で証言するんだ。そうしたら私の潔白はわかってもらえる」と。「そんな甘っちょろいところじゃないんだ。 おまえは純粋過ぎる。いまさら、そんな恥ずかしいことするな」と僕は言ったんだけどね。 で、その二日後かな、僕が本会議場で座っておったら、亀井静香が「おい、えらいこっちゃ」って言いに来た。「何だ?」と尋ねたら、「新井が行方不明だ」と。亀井がホテルに飛んでいったら、部屋で新井が死んだ状態だった。しかしまだ高輪の警察も知らなかったと。昨夜から一緒にいたという第一発見者の奥さんがおらなかった。亀井が僕に言うには、「発見から警察がくるまでに二時間ぐらい間がある。その間に何があったのか、その謎が全然僕には掴めない。この事件はおかしい」と。 |
辛 | 殺されたと? |
野中 | うん。だから新井は口封じをされたんだと。 |
辛 | 新井さんが国会で、「自分は朝鮮人だから、在日だから差別されてる」ってことをおっしゃっていたので、……、私は新井将敬を精神的に殺したのは石原慎太郎だと思ってるんですね。最初の選挙の時に……。 |
野中 | ああ、ビラを貼ってということか? |
辛 |
そうそう、新井将敬のポスター三千枚に、真っ黒いシールで「北朝鮮から帰化」と書かれたものを貼った。同じ選挙区だったので脅威に感じたのでしょう。すさまじいまでの差別事件でした。確か、彼の秘書が捕まったけど、その後も石原さんは、日本人の血ではないものが国政に関わっていいのか、と執拗に言い続けていた。そんなこともあって、お そらく、新井将敬は「日本人に愛される政治家」になりたかったんだと思うんですね。…… |
新井将敬(元衆議院議員)一九四八(昭和二十三)年大阪市生まれ、十六歳のときに日本国籍を取得。一九八三年の衆議院議員総選挙に東京2区から初出馬するも落選。この選挙で対立候補であった石原慎太郎陣営から新井の出自を誹謗する黒シールを選挙ポスターに貼られるという事件が起こり、石原を告訴している(当時は中選挙区制で、自民党から複数の立候補があったが、票を取り合うため党内での妨害がすさまじかった。後に告訴取り下げ)。 石原は当初は「秘書が勝手にやった」と発言していたが、民族的出自を誹謗したことに関しては「選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある」として恥じることがなかった。その後、新井は、一九八六年の衆議院議員総選挙で初当選し、以後四期連続当選する。自由党、新進党をわたりあるき、自民党に復党した。 しかし、一連の証券スキャンダルでの借名口座による株取引が問題化。更に日興証券に利益要求していたという疑惑も浮かび上がる。1998年2月、衆議院本会議で逮捕許諾が議決される直前に「最後の言葉だけは聞いてください。私は潔白です」と発言をし、翌日、真相が解明されないまま都内のホテルで首を吊っているところを発見された。 |
これだけの記述では、新井将敬氏が関連した事件の内容が私には良く分かりません。
(上記の記述は、『フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)』に見る事が出来ますし、また、より詳しくも書かれておりますのでご参照下さい)
石原慎太郎氏“選挙民は立候補した人のパーソナルヒストリーを知る権利がある”との賜っているそうですが、ご自身の「パーソナルヒストリー」はいかがなものでしょうか?
(弟の裕次郎氏に関しては盛んに吹聴されておられますが、父上(石原潔氏)の「パーソナルヒストリー」などは如何なのでしょうか?
『フリー百科事典:ウィキペディア(Wikipedia)』で、次の記述を見る事が出来ます)
潔の山下汽船入社時の身分は「店童(てんどう)」だった。これは海運会社独特の制度で、商店でいえば 丁稚のようなものにあたり、宿舎と食事は確保してくれるかわりに、給料は一切なかった。痰壺洗い、便所掃除、社員の靴磨き、使い走りなどが仕事だった(佐野眞一『てっぺん野郎─本人も知らなかった石原慎太郎』31-32頁)、32-33頁に「慎太郎、裕次郎兄弟は十代から湘南の海でヨットを乗り回した。そのブルジョワ的イメージから、そもそもからして資産家階級の出身だと思われがちである。父親も大学出のエリートサラリーマンだったと思うのが一般的な見方だろう。だが実際の潔は中学もまともに卒業せず、当時飛ぶ鳥を落とす勢いの船会社にもぐりこんだとはいえ痰壺洗いという最末端の仕事から這いあがっていかざるをえない男だった。肉体労働者階級出身でありながら、そんなことはおくびにも出さずリッチな生活はあたかも天与のものだったかのごときにふるまう。イメージと現実のこのあまりにも大きすぎる落差のなかに、慎太郎という男の謎を解く一つのカギがかくされている。」とある |
人の評価は、「パーソナルヒストリー」とは無関係なのではありませんか?
私は、佐野氏の記述にある慎太郎氏のお父様(潔氏)もご立派な方だったと存じます。
民主党の女性議員が今回の選挙で当選するや、その方々の過去を(写真を)週刊誌などが暴き立てています。
先の選挙で、「トラ退治を行った姫」の場合もそうでした。
私は、何の苦労もなく(他人と比べたら)世襲で議席を確保される世襲議員の方々よりも、野中広務氏のように、多大な悲惨な苦労体験を経て議員になられた方を信頼します。
その野中氏に対しての麻生太郎氏の差別発言を、次のように書かれておられます。
(先の拙文《野中広務氏への麻生氏の差別》もご参照下さい)
野中氏に対するの麻生太郎氏の差別発言 | |
---|---|
辛 |
私は麻生さんの顔を見ると背筋が寒くなるんです。 とくに彼の中にあるひどい差別意識には、ぞっとさせられる。 |
野中 |
まだ麻生さんが総理になる前の、二〇〇一年四月の頃だったけれども、ある新聞社の記者が僕に手紙をくれたんです。手紙には、こんな内容のことが書かれていた。 〈麻生太郎が、三月十二日の大勇会の会合で「野中やらAやらBは部落の人間だ。だからあんなのが総理になってどうするんだい。ワッハッハッハ」と笑っていた。これほ聞き捨てならん話だと思ったので、先生に連絡しました〉 彼がそれを言ったとき、その輪の中に数名の政治家がいたらしいのだが、その一人が、今は国民新党にいる亀井久興君だった。私自身が亀井君に確認したら、「残念ながらそのとおりでした」と。……それ以外の二人についてほ、まだ自民党の中にいるから、あえて言わないけども。かわいそうだから。 |
辛 |
麻生さんとぃうのは、自民党の中でもそういう発言をする人なんですか。 |
野中 |
そうだろうね。実際そう思っているんでしょ。朝鮮人と部落民を死ぬはどこき使って、金儲けしてきた人間だから。 彼が初めて選挙に出た時、福岡の飯塚の駅前で、「下々の皆さん」って演説した。これが批判を受けて選挙に落ちたんだ。 |
辛 | 飯塚って在日も部落の人もたくさん住んでいるところですからね。 |
野中 | 何の疑問もなしにそう言うんだ。不幸な人だ。一国のトップに立つべき人じゃない。 |
辛 |
そうですね。他の先進国でこんな発言をしたら、たとえ過去の発言であっても二発で首が飛ぶ。 こんな「国会議員の誰が部落だ」みたいな情報は、国会の中で回るものなんでしょうか。 |
野中 |
いや、そんなのわからんと思うよ。僕はA君の詰もB君も初めて知ったんだから。 それにしてもどこからそんな情報が出たか、知らんですよ。 |
辛 | 麻生さんは差別意識が体の中に染み込んでるんだと思う。 |
野中 | そうそう。 |
このように差別発言する麻生氏に憤慨する野中氏は、石原慎太郎氏とは会食したりするようなのです。
野中氏は、石原慎太郎氏とは会食 | |
---|---|
野中 | ……昨夜石原と飯を食ったんですよ。 |
辛 |
え?なんで石原さんと御飯食べられるんですか。なんで!?だって石原さんってハンディのある子どもたちを見て、「ああいう人ってのは人格あるのかね」といいはなった。 私、そういう言い方をする人は、自分の人生の中でも想像がつかないんですよ。 |
野中 | 想像つかない |
辛 | あの人はそれ以外にもいっぱい差別発言をしています。私なんか「石原差別語録」を、ちゃんと自分でまとめたぐらいですから。(そのファイルを手にとって野中氏に差し出し)見てください、これ。どれほどいっばいあるか! |
野中 | そうかね。あんなのボンボンですよ。 |
辛 | ボンボンにあんな煽動されたら困るんですよ。私、知事が石原さんに替わった直後まで、東京都の生涯学習委員やってたんですね。何年間もかけてまとめたものを、あの人一枚も見ずにべろって変えちゃうんですよ。あれは民主主義の手続きをまったく踏んでいない。どうしてその人を助けるんですか。それがわからない。 |
野中 | いやいや……。 |
辛 | 私はそれが聞きたい。 |
野中 | いやあ、あれはまたいい男だからだ。 |
辛 | まあ、どこがいい男なんですか。もう私にはわからない |
野中 | 彼にも、僕のように忠告をできる人間がおらないといかんでしょ。 |
辛氏同様に、私にも野中氏の石原慎太郎氏に対する思いが全く分かりません。
それに、野中氏が忠告したのなら、石原氏のどこが変わったというのでしょうか?
それでも、最後には「石原氏のどんでん返し」が控えているのでしょうか?
と申しますのは、次の野中氏の思いに大いなる期待と希望を抱いているのです。
野中氏の思いに大いなる期待と希望 | |
---|---|
辛 | 野中さんは二〇〇三(平成十五)年に政界を引退されたわけですが、 今後おやりになりたいことは何でしょう? |
野中 | みんながどこまで共鳴してくれるかわからないけれども、 福田さんとも話をしながら、戦後未処理の問題をやりたいなと思っているんです。 |
辛 | 福田さんというのは、あの福田康夫さんですか。 |
野中 | おお、彼はそう思っていたんですよ。しつかりしてるんですよ、彼は。 戦後未処理問題については、政治家だけじゃなしに、経済界や言論界、いろいろな人を入れて、 戦後未処理問題の促進委員会をつくろうじやないかと。 こういう問題は、みんなが関わったはうがいい。第二次世界大戦の日本が残した戦後処理を検証し、 そしてそれをどう整理をしていくかという問題をやっておこうと。そして次の世代につないでいこうと。 |
辛 | なるはど。 |
野中 |
二〇〇八年の五月に、中国の胡錦涛国家主席が来日されたけど、その前に、当時の福田首相と会って、言ったことがあるんだ。 「戦後、中国は我が国に戦後賠償を求めなかった。『以徳報怨』という考え方、 そのお陰で日本は戦後これだけの経済復興を遂げることができたんだ。それを今度胡錦濤さんに会う時に言ってほしい」 すると、福田さんは「その通りです」と理解してくれた。 言ってくれないと格好がつかないんですけどね」と心配するわけだ。 |
辛 | 福田さんらしい反応ですね。 |
野中 |
それで主席来日の一ケ月前の四月に、僕は中国に飛んで、胡錦濤さんが福田首相に対して、ODAのことに言及してほしいという旨を根回しをしてきた。向こうもわかったということで了承してくれた。 五月、胡錦濤さんが来日した。僕が伝えたことがご本人の耳には入っているだろうとは 思っていたけど、ほんとうに言ってくれるかどうか、内心、気をもんでいた。 「日本の長年にわたる有形、無形の援助のおかげで中国は近代化を成し遂げることができた。謹んで御礼を申し上げる。 |
辛 | うまいですね。 |
野中 |
そうなんだ。僕も胡錦濤さんに直接会って挨拶をしたけれども、こう言うんだね。 主席は、副主席時代に六回来日して僕と会っていると。僕は訪中した時に胡錦濤さんには十回会っている。 政治家も外交官も、戦後賠償のことには気づいてほしいね。 |
辛 | 野中さんにとって「戦後処理」というのは具体的に何を指しているんでしょう。 |
野中 |
私にとっての戦後処理とは、わが国が他国を侵略したんだと。 それと、六十三年経ったいまでも、中国大陸の遺棄化学兵器の問題がある。 それと、日本民族が、日本軍が、日本が遺棄してきた日本人たち、つまり中国にいる孤児の問題ね。 |
辛 | そうですね、あれは日本の国家によって置き去りにされた。だから「中国置き去り日本人」という呼び方が正しいと思いますが。 |
野中 | あれは遺棄したんですよね |
辛 |
そうです。中国置き去り日本人の人たちは、たとえば中国で医療の技術を持っていても日本では使えないし、また言葉の問題もあって、彼らが日本の社会で立ち上がっていくための社会的システムやサポートはとてもすくなかった。いっぽうで、北朝鮮の拉致被害者たちに対しては、政治家が実績をPRするとか、政治的活用がいろいろな形でできると思ってか、就職も斡旋し、手厚くやったじゃないですか。 中国置き去り日本人やその孫や連れてきた人たちと、拉致被害者の人たちとを比べると、明らかに中国置き去り日本人のはうが生活に困窮している。そういう実態をみるにつけ、日本の政府っていうのは都合のいい時には日本人にし、都合が悪くなると日本人じゃないとする。置き去り日本人たちに関しては、日本に入れてやったんだからもうそれでよし、みたいな感じじゃないですか。だから政治家はその問題にも関わりたくなかったんでしょうな。 …… |
どうか長生きされて野中さん頑張ってください!
(この野中さんの御仕事に石原氏が協力される事を私は期待してやみません)
(補足)
多方面から物事を見る才能をお持ちの辛氏でも、「9.11」の犯人を「オサマ・ビンラディン」と決め込んでいる?と思わざるを得ない発言がありました。
辛氏の限界? | |
---|---|
辛 | ……アメリカのあのブッシュでさえ、「9・11」の後、アメリカにいるイスラム教徒は別なんだっていう話をしたにもかかわらず、日本の場合ほ、たとえば北朝鮮関連で何らかの問題が起きたのをきっかけに在日が心無い人たちにボコボコにやられていても、決してそれに対してコメントを出さない。それと同じように、松本智津夫氏の子どもは犯罪者の子どもだということでボコボコにやられても誰も助けない。つまり、叩いてもいい相手を決めて、集団でストレスの発散をする。 |
野中 | 困った民族だ。 |
しかし、野中氏は、「オサマ・ビンラディンを犯人と決め込んでブッシュ……」と次のように発言されておられます。
しかし、野中氏は、「オサマ・ビンラディンを犯人と決め込んでブッシュ……」 | |
---|---|
辛 | 私は、……一つはオバマさんが、「次はアフガニスタンだ」って言ったこと。「は?」って思ったのね。あの9・11をやった犯罪者集団を探すというのならわかるけれど、なぜそれがアフガニスタンという切り口に変わるのか。結局は、失礼な言い方だけども、イラクではなくてアフガニスタンだということによって、うまく切り抜けたんだなっていう感じがしたんですね。 |
野中 |
僕は単純に考えて、アメリカは戦争を継続してなけりゃ経済は成り立たないんだ。 軍需産業をはずしてアメリカ経済というのはもたない。だから何か理屈を設けてどっかで戦争しかけてなきゃならん。 そうすると、アフガンでのオサマ・ビンラディンを犯人と決め込んでブッシュはやってきたから、 |
辛 | そうですね。人道支援の意味も含めてね。 |