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アメリカを見ずに、世界や日本を語るマスコミ(2

200841

宇佐美 保


 先の《
アメリカを見ずに、世界や日本を語るマスコミ(1》に引用させて頂いた、アメリカの大統領選に於ける「電子式投票機械」の罠を紹介してくれた堤氏は、同じ著作『報道が教えてくれない アメリカ弱者革命 海鳴社発行』では、再度アメリカに渡り「アメリカの見えない徴兵制」を紹介してくれます。

 

 先ずは、アメリカの軍隊にリクルートされた親達の集会でのお話しです。

 

 最後の一人が話し終わり、討論会になる前に私は手をあげた。

 「アテンションプリーズ(聞いてください)」

 私は、自分が日本からやって来たこと、高校生が不当にリクルートされているという事実は日本では知られていないこと、お金を出したり自衛隊を送ったりしてイラク戦争に加担している日本の国民は、アメリカ国内で何が起きているかを正確に知る必要があるので協力してもらいたい、ということを一生懸命に話した。

高校生の孫が入隊させられるところだったという、ディー・ウィンターというエクアドル人の男性が、疑わしそうな顔で私を見ると言った。

 六〇歳くらいだろうか。一九〇センチはあるかと思うような巨体に、水兵さんがかぶるような白の帽子をかぶり、だぶだぶしてポケットのたくさんついた綿のズボンをはいている。

 何で鍛えたのか筋肉質で顔はいかつく、いかがわしいエリアを闘歩しそうな迫力だ。

 「日本の国民は政府にちゃんと意思を伝えてるのかね? フン、首相はずいぶんブッシュと仲がよさそうだが」

 「伝えようとしている人たちもいます。でも、ほんとうのことをちゃんと知れば、もっと多くの人たちが立ち上がると思うんです」

 「最近はじめて知ったんだけど、」と、リンという30代後半でメガネをかけたラテン系の女性が言った

 「日本って、軍隊をもつのが憲法違反なんですってね

 それをきっかけに、彼らは私に向かって矢継ぎ早に日本に関する質問をしはじめ、答えながら私は知った。多くのアメリカの一般市民もまた、日本のことをあまりよくわかっていない。

 平和憲法について詳しく説明すると、彼らはみなとても感心し、拍手が起こつた

 私は懸命にうるさく軋みつづけ、望みどおり油をさ一身しもらうことに成功した。親たちは電話番号をくれ、自分か自分の子どもにインタビューしたければ、セットアップしてもいいと言う。

 ディーも、ブロンクスに住む孫の名前と電話番号を書いた紙をくれながら、さっきは意地悪な言い方をして悪かったと謝ってくれた。

 

 

 このように一般的なアメリカ人は、日本の平和憲法を知らないのです。

そして、堤氏は「平和憲法について詳しく説明すると、彼らはみなとても感心し、拍手が起こつた」と書かれているのです。

 

 一体今までの、日本の外交官(駐米大使館の方々)は、どのような働きをしてきたのでしょうか!?

湾岸戦争の際は、「日本は、金だけ出して血を流さない」と周囲から非難されて、縮みあがっていたそうではありませんか!?

勿論、外交官のみならず、マスコミの方々、商社の方々・・・は何をされていたのでしょうか!?

少なくとも、パーティーなどでそのような会話をなさらなかったのでしょうか!?

 

 

 ここで拙文《奇跡と仮城の平和憲法》の一部を再掲いたします。

 

 そして、情けない外務省の内幕が、前レバノン大使天木直人氏の著作『さらば外務省!(講談社発行)』に次のように記されています。

 

 二〇〇三年の大使会議には、さらに驚かされた。米国の対イラク攻撃が迫っている中で大使が東京に一斉に帰ることは非難を呼ぶとして、われわれはアラブ首長国連邦のドバイに集められた。

 その席上、相星孝一中東二課長が聞き捨てならない科白を口にした。

今度こそ、日本として湾岸戦争の二の舞を踏まないように、すかさず目に見える貢献をすることで検討が進められている、しかしそれがなんであるかは官邸から口止めされており、大使会議でも明らかにできない」

 というのである。大使にさえも話せないというのである。なんのための大使会議なのか。それがイージス艦の派遣であることは容易に推測がついた。

 

 更に、拙文《平和憲法は奇跡の憲法》の一部をここに転記します。

 

2001年10月20日のテレビ番組「スクープ」を見ていたら、次の事実が紹介されていました。

 

先の湾岸戦争の際に、駐在の外交官の子供達は学校で、日本が湾岸にお金だけ出して兵力を送らなかった事で苛められ、外務省の役人達には辛い思いをしたといって、なんとしても、自衛隊をアフガニスタンへ向けて派遣しようと焦った。

 
 とんでもない事です。

……

 可笑しいではありませんか!

外務省こそが、日本の平和憲法を世界中に知らしめる役目を担っているのではありませんか!?

(その紹介の為にこそ、豊富な外交機密費を使えばよいではありませんか!)

そして、その役目の為には数々の辛い試練を経なければならないのは当たり前ではありませんか!

外務省の方々は、どのような心を抱いて入省したのですか?

日本の平和憲法を世界に広める為にこそ外務省に入ったのではないのですか!

駐在の外交官の子供達が学校で、日本が湾岸にお金だけ出して兵力を送らなかったと言って苛められたら、駐在の外交官は、自分の子供に日本の役割をじっくり教えるべきではありませんか!

更には、以前にも書きましたが、日本の平和憲法の精神を、何故駐在員たちは、その国の方々に紹介して来なかったのでしょうか?

 何故外務省はこの憲法の成り立ち、その内容を広く世界に訴え続けてこなかったのでしょうか?

駐米(いや各国に駐在)の外交官がパーティーを開くならば、(己の食費の捻出などに精を出さずに、)アメリカ市民を公邸に招き、真珠湾奇襲の真相、そして、平和憲法への思いを彼らに訴えて来なかったのでしょうか?

 

 更には、財界トップの人までが外務省の役人同様なのです。

拙文《お粗末な財界トップ高坂節三氏》から、次を転記致します。

 

 経済同友会憲法問題懇談会委員長の高坂節三氏は、雑誌《論座:2003年7月号》で“憲法を改め、ウソの文化と決別せよ”と、又、《諸君:2003年9月号》で“平和と繁栄は、金では守れない”と息巻いていますが、私には高坂氏の「人間の格」に疑問を感じるのです。

……

高坂氏は次のように書かれているのです。

 

 私の安全保障観に決定的な影響を与えたのは九〇年八月、イラクがクウェートに侵攻した「湾岸危機」の際、たまたま米・コロンビア大学で、エグゼクティブ向けのセミナーを受けていたときのことでした。

 先代ブッシュ大統領がフセイン政権非難のテレビ演鋭を行った翌日、予定されていた講義のプログラムはすべて中止となり、我々受講生は大きな階段教室に集まって、この歴史的事件について、意見を述べ合うことになりました。

 そのセミナーは、アメリカ以外からの参加者が約半数を占めていましたが、各々、説明するなか、日本人たる私は、いったい何を語ったらいいのか、ひとり途方に暮れていました。憲法第九条の制約のなかで、果して何ができるのか。日頃、考える機会がほとんどなかったからです

 思えば、日本は石油使用量の九割近くを中東からの輸入に頼っている。その重要な地域の秩序が、目前で破壊されようとしているのに、どのような態度をとればいいのかも判然としないのです。

 

 更には次のようにも語っておられます。

 

……日本は海洋国家で資源を年間八億トン輸入して、製品を一億トン輸出している、そういう体質です。湾岸戦争のとき、私はアメリカにいました。当時、アメリカの人はどう言ったかというと、湾岸戦争で軍隊を派遣したら、ペルシャ湾を航海している船の大半は日本向けのタンカーで、我々は日本の利益を守るために戦っているようなものだ、と

そういう意識をアメリカ人は持っているわけです。

軍隊を持たずに九条の精神で平和を愛して、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼していけば、それだけでよいと、皆さんが考えるのならそれは一つの選択だが、現実はそうじゃない。

 

 本当に高坂氏は日本の一流企業のトップとなる人材だったのでしょうか?

先ず「憲法第九条の制約のなかで、果して何ができるのか」との発想自体が、おかしくはありませんか?

憲法第九条」は「制約」でも「足枷」でもないのです。

私達日本人の守ってゆく「理想と目的」なのです。

そして、悪戦苦闘しながらも、私達日本人は何とかそれを守り維持してゆこうとしているのです。

 高坂氏が「ひとり途方に暮れる」といった愚か者でなかったら、この「憲法第九条」の意味合いを、アメリカ人、そして世界の人達に高らかに歌い上げていたはずです。

たとえ、同席の方々の同意を得られず、袋叩きに合おうともそれはそれで良いではありませんか!

 

 私の感じでは小者ほど外国の非難に対して、怯えバタバタするようです。

 

 それに引き替え、寺島実郎(日本総合研究所理事長)氏は、『週刊金曜日(2003.4.25)“21世紀はルールと協調の世界”』にて、次のように語っています。

 

 湾岸戦争のころ僕は米国にいて、「日本は血も金も出さないのか」という論理に対し、日本のような理念を持っている国があっていいじゃないかということを「説得力」を持って話した。その時「卑怯者の国だ」と言われたためしははありません。いま問われているのは、「説得力」と「信念体系」なのです。

 

 

 私達は、寺島実郎氏を気概を見習って、今後、機会あるたびに、アメリカ人(世界の方々に)日本の平和憲法を紹介してゆくべきと存じます。

 

 

 再び、堤氏の著作に戻りますと、「アメリカの見えない徴兵制」の基礎となるなんとも奇怪な「落ちこぼれゼロ法案」を紹介されています。

(こんな法案もいつの日か、日本にも出現するかもしれません)

 

 

 2002年、春。

ブッシュ政権による新しい教育改革法案が議会を通った。

「落ちこぼれゼロ法案(No Child Left Behind Act)と呼ばれるこの法案の目的は、全米の高校からドロップアウト(中退)する生徒を救いあげ、その数をゼロにすること

そのためにはまず、周りの大人たちがきちんと状況を把握していなければならない。この場合の大人とは、学校側だけでなく、教育省やアメリカ政府、そしてアメリカ軍も含まれる。

教育省のホームページで公開されているこの法案を読むと、びっしりと書かれた条項の中に一行、こう書かれている。

すべての高校は、生徒の親から特別な申請書が提出されないかぎり、軍のリクルーターに生徒の個人情報を渡さなければならない

また、軍の関係者にも、普通の業種のリクルーターと同じょうに、就職説明のために生徒と接触することを許可することを義務づける107110項)」

 ロッドペイジ教育省長官とラムズフェルド国務長官は、教育省から全米の学校に配られた手引書に共同で署名し、各州の教育委員会に、すべての学校がこの法案に従うことを徹底せるように指示を出した。

 拒否した場合は、政府からの助成金が打ち切られる

 裕福な私立の学校はそれでもいいが、助成金でぎりぎりの運営をしている貧しい地区の公立高校に選択の余地はない。

 軍に渡される情報には、生徒の名前、住所、国籍、両親の職業、入学してからの成績、市民権の有無、そして携帯番号と、かなり個人的なものまで含まれる

 

 

 「軍のリクルーター」は、この結果で目星をつけた高校生の携帯電話を鳴らすのです。

そして、軍のパンフレットには、次のように甘い文言が連なっているのです。

 

 

 レイモンド(注:軍のリクルーター)に渡された軍のパンフレットには、陸海空軍の制服を着た凛々しい表情の青年たちの写真が載せられていた。

 その上に書かれているコピーは(祖国アメリカのために働くヒーローたち)。

 そしてマークは、レイモンドから夢のような説明を聞いた。

 軍に入隊すれば、大学費用は全額、軍が支払うこと。

 入隊の契約を交わすときに軍の中で就きたい職業をチェックする欄があり、契約期間中に受けた職業訓練がその後の就職活動に非常に有利に働くこと。

 軍の医療保険が家族にまで適用され、除隊したあとも退役軍人用のクリニックで生涯無料で治療を受けられること

 いいことづくしの内容に、マークは信じられない思いだった。

・・・

 「あの、俺、危い場所には行きたくないんだけど。イラクとか……」

 そう言うと、レイモンドはふたたび真っ白な歯を見せて笑った。

 「わけないよ。それなら君は予備兵に登録すればいい。そうすれば戦場に行かされる確率は数パーセントだからね

 マークはふたたびどきどきしてきた。

 

 

 こんな嬉しい話を聞かされれば、多くの高校生は喜んで入隊するでしょう。

それに、予備軍に入れば戦場に行かされる確率が数パーセントと言うのですから!

ところが、この甘い話は全て真実には程遠いようです。

 

 

 みなマークと同じように、軍のリクルーターから熱心にアプローチされた経験をしている。

 カンザス基地の話に、カレンは最初、とても心惹かれたという。

 「私の両親は離婚していて、お父さんがカンザスに住んでいるから、一緒に暮らせるかもって思ってうれしかった。でも、それに、戦いたくないって言ったら、リクルーターのお姉さんが、じゃあ州兵にすればいいって言うの

 州兵なら月に一回基地で訓練業務をするだけで、あとは普通に大学に行く生活ができるんだって。だから、入隊しょうかと思ったんだけどね」

 「どうしてやめたの?」

 「幼馴じみのジニーのボーイフレンドの話を聞いたから。

 ジニーの彼も同じこと言われて州兵になったけど入隊して3週間であっという間にボスニアに送られたの。それで先週から、今度はイラクのバグダッドに行かされたんだって」

 二〇〇四年のこの時点で、中東地域に送られた州兵の数は三〇万人を超している。現在イラクに駐留しているアメリカ兵の10人に1人は州兵と予備兵だ。

 そして、一度契約を交わして入隊したら、イラクだろうがアフガニスタンだろうが、上官からの派遣命令にノーとは言えない。

 

 

 ブッシュ大統領が州兵になった時代とは違うようです。

戦場に行きたくない高校生も「アメリカ兵の10人に1人は州兵と予備兵」と言うのですから、彼らの思いとは異なって戦場に送り込まれてしまうのです。

 

 更に、軍にリクルートされた高校生は、酷い目に遭うのです。

 

 

 「入隊したら軍が大学費用を全額出すって言うのにも、巧妙なからくりがあったんだ

 そう言うのは、2歳年上の兄が今年の5月に入隊したという16歳のジェイムス・リードだ。

 ジェイムスの兄は大学に行きたい一心で入隊し4か月の訓練のあとでイラクに送られた。

 だが、先月になって学費の申請をしようとすると、最初の年に前金として1200ドル払うという条件がついていることがわかった

 そんな大金を毎月700ドルの給料の中からやりくりするのは不可能だ。

 契約時にリクルーターが何も説明してくれなかったことを軍の上官に話したが取り合ってもらえず、すでにあとの祭りだった。

 もっと悪いことに、兄からこの話を聞いたのは、ジェイムスが入隊の契約書にサインした二週間後だった。

 「俺はこの戦争には反対なんだ、」とジェイムスは言う。

 「でも学歴社会のアメリカで、大学に行かなかったらろくな仕事はないよ。

 ファーストフードで働くことに、どんな未来がある?

俺は絶対に大学に行きたかったんだ。そのためにはどんな犠牲を憤ってもって思ってたけど、こんなふうにだまされるなんて」

 非政府組織であるインターナショナル・アクションセンターのデータによると、入隊してから実際に軍から大学費用を受け取る兵士は全体の35パーセント、そのうち卒業するのはわずか15パーセントだという。

 1200ドルの前金を払えずに学費自体を受け取ることを断念するジェイムス兄弟のような

兵士たちや、たとえなんとか払えたとしてもリクルーターの言う「全額保障」にはほど遠く、平均して18000ドル(約200万円)しかもらえないため、途中で断念する兵士たち

 90年代の初めから大学の授業料は年々上昇しつづけ、10年で50パーセント以上アップ

した。

 たとえば、アメリカではもっとも安い部類に入るニューヨーク州立大学の一年間の授業料は4350ドル(約51万円)、つまり四年で200万円強となる。授業料だけ見れば、軍から出る学費でなんとか足りそうだが、これ以外に教科書代や食費・住居費などの生活費がかかるため、これだけではとても大学生活を続けられない。不足分を働いて補おうとして仕事をかけ持ちする若者たちの肩に、生活費と学費の両方が重くのしかかってくる。

 結局、支払いが追いつかなくなり、大学を途中でドロップアウト(中退)してしまうのだ。

 

 

 更に、堤氏は「リクルーターが勧誘に使う魅力的な条件は他にもある」と記述されます。
(少し、私が一部分を纏めました)

 

“不法滞在だってわかったら強制送還されちゃうから”と脅えながら、時給3ドルでレストランの皿洗いをして、失業中の両親妹達を養う為に働いている少年にも携帯に電話がかかってくるのです。

 

なにしろ、「イラク戦争開始後に、ブッシュ大統領は、ビザをもっていない外国人に対して、2001年のテロ以来すっかり取得が困難になった市民権を入隊と引きかえに出すという条件を加えた。」というのですから。

 

その結果、「国防総省の記録によると、2003年末の時点でアメリカ市民でない現役兵士の数は37401人。」

 

 

 そして、アメリカの恐ろしい超格差社会の一部を紹介しています。

 

 世界の富の25パーセントを所有する大国アメリカ

現在人口の8人に1人がアンヘル(注;時給3ドルでレストランの皿洗いの少年)のような貧困生活「2人家族で年収140万円以下」を送っている。

 中でも貧困児童数は、先進国でもっとも多い1300万人だ。

1998年に国連食糧機関が行った調査によると、アメリカ国内の飢餓人口(次にいつ食べ物を口にできるかわからない状態の国民をさす)は、中東と北アフリカの数字を合わせたよりも多かったという。

 入隊前のアンヘルのように、慢性の飢餓状態の国民の数は3100万人にのぼる。

 かつてアメリカンドリームと同義語だった、外からの移民を受け入れる政策「オープンドアポリシー」をもつこの国で、貧しさから逃れようと入隊する移民の若者たちが今、別の貧しい国の人間に銃を向けている

 

 

 堤氏が紹介する次の「グッバイレター」は、日本の先の戦争での兵士達の残した手紙を思い起こさせます。

 

 

 「上官には言えないけどね。でも、夜になると、砂漠の真ん中に張ったテントの中で俺たちは手紙を書いた。『グッバイレター』。

 人を殺したあとの俺たちにとって、死ぬことはそう怖くなくなっていた。戦場にいると、そういう感覚が身についてくる。遅かれ早かれ自分の順番がくるんだっていうふうにね

 怖いのは、自分が死ぬことじゃなくて、自分の死が、愛してる人たちに与えるショックや悲しみだった

 俺は書いた。どうか悲しまないでほしい、そして、今までその人たちが俺にしてくれたすべてのことに感謝してるって。

 グッバイレターは俺たちのお守りみたいだった。いつも、ポケットの中やヘルメットに入れて持ち歩くんだ。

 でも、状況がひどくなってきたとき、俺はそれを軍の上層部に送って、自分が死んだときに家族に転送してもらうようにした」

 「あなたは誰に書いた?」

 「父さんと母さん、それに二人の妹たちに。今だから言えるけど、俺、入隊したときは結構せいせいしてたんだ。父さんが失業中で、両親が金のことでけんかばっかりしてる家がいやで、いつも逃げたいと思ってたから。俺は軍に入って、特別なことをして、もっといい暮らしを手に入れてやるぞって思ったんだ」

 「お父さんは何の仕事をしてたの?」

 「前はメリーランド州のボシュロムの工場で働いてたんだけど、97年にそこが閉鎖されて失業したんだ。俺たち家族は仕事を探してブルックリンに移ったけど、その後政府が失業保険をカットしたから生活できなくなった」

 

 

 恐ろしい話しです「人を殺したあとの俺たちにとって、死ぬことはそう怖くなくなっていた」それで「怖いのは、自分が死ぬことじゃなくて、自分の死が、愛してる人たちに与えるショックや悲しみだった」と自分の愛する者への思いやりを持ちつつも、外国の人達を殺して続けるのです。

 

 

 戦場に追いやられるのは、大学入学を願う高校生達だけでないことも、堤氏は教えてくれます。

 

 

1994年以降、NAFTA(北米自由貿易協定)のおかげでアメリカ国内で多くの工場が閉鎖され、90万人分の雇用が失われた。

 製造業は空洞化し、肉体労働者は単なる失業者に変えられ、その結果、社会の中で無用な人間として切り捨てられている。

 アブ・グレイブ刑務所でイラク人捕虜の虐待事件が起きたとき、拷問にかかわった若い兵士たちもまた、職を奪われた元工場労働者たちだった。

 サブリナ・ハーマン技術兵は、地元のピザ屋の副店長を解雇され入隊、刑務所護衛官のイヴァン・フレデリック軍曹は、勤めていた工場が閉鎖されて入隊しイラクの刑務所に来たという。

 もっとも非難を受けたリンディ・イングランドも、大学費用がほしくて入隊した1人だった。大学の授業料は、1990年以来50パーセント増額している。

 また、アメリカでは、2004年の1月から2月にかけての2か月間で約76万人の失業保険が打ち切られ、国内にいる貧困および飢餓状態の3100万人に少しずつ加わっている。

 2003年の時点では医療保険に加入していないアメリカ国民は4500万人にのぼり、個人破産の半数は高額の医療費が原因だ

 そんな中、アメリカ軍は、入隊と引き換えに大学費用、医療保険などを条件に差し出して新兵を勧誘する。

 兵士たちの残酷な行為がマスコミで激しく取り立てられる一方で、彼らもまた、弱者に厳しいアメリカ社会で経済的に追いつめられて入隊し、最前線に追いやられ、殺しのマシーンとなる教育を受けた若者たちなのだ。

 

 

 この恐ろしいアメリカの状態に、日本はドンドン近づいてゆくようです。

なのに、日本の舵取りたちは、更に日本をアメリカに近づけようとしています。

まるで、状況に応じた舵取りが必要な海域(漁船への衝突も懸念される)を、アメリカにインプットされた(あたかも日本国政府への米国政府要望書のような)メニューによる自動操縦で航海を続けて、漁船を沈没させてしまった自衛隊のイージス艦を思い起こさずに入られません。

恐ろしい事です。

 

 

 大学費用の全額援助の空手形で戦場に送り込まれた若者は、帰国後もPTSD(心的外傷後ストレス)に悩まされ、別の空手形を掴まされていた事に気が付くのです。

 

 

 「帰国してからの体調はどうだった?」

 ジムは顔を曇らせた。

 「PTSDがひどくつてね。夜、寝られないんだよ。実は今も三日寝てないんだ。帰還兵用の病院は診察予約がとれないし

 「どうして?」

 「さあ、診察まで一年待ちだって言われた。あんまりひどいから、貯金をはたいて民間の病院で診てもらったら、PTSDによる不安症、不眠症とうつ病だって診断された。でも、それっきりだよ。治療も受けられないまま、こんな状態じゃ仕事もできなくて、今、無職なんだ」

 兵士は、兵役中は国防総省の傘下だが、帰国したときから今度はVAVeterans Association=退役軍人協会)の保護下におかれる

 兵士は帰国したあと、心と体の治療のための病院の紹介から、再就職活動の手伝い、家がなければアパートの面倒まで、VAから無料でサービスを受ける権利をもっている。

 ブッシュ政権は、イラク戦争が始まってから、戦争予算と軍のリクルート予算を増やす一方で、毎年一億ドルずつVAの予算を減らしていった

 その結果、国内で多くのVAが閉鎖され、生き残ったVAもスタッフ不足に医療器具不足、衛生問題などさまざまな問題を抱えている。

 「帰ってきた他の兵士たちも同じ状況なの?」

 「みんな似たようなもんだね。同じ部隊で一番仲がよかったティムってやつは、奥さんと二人暮らしなんだけど、帰国してから誰ともしゃべらずに一人で部屋に引きこもってる。

 夜になると叫び出すから、奥さんも不眠症になって、収入がゼロになって今、アパートを追い出される寸前だよ。

 凶暴化して家族も手をつけられず、犬みたいに庭で寝てる元兵士もいる。それでも治療が受けられないんだ。

 この国の政府は、イラクで戦って帰ってきた俺たちに野たれ死ねって言ってるんだよ

 ジムは、帰国してから、「イラク帰還兵反戦の会」に入会している。

 そのことを聞くと、彼はうなずき、そばにあった紙ナプキンに電話番号を書いてくれた。

 「イラクにいる兵士も、帰ってきた兵士も、みんなうんざりしてるんだよ。俺は入隊する前、政治にはまったく興味がなかったけど、今じゃ政府への怒りと将来への不安でどうにかなっちまいそうだ。

 この会の設立者は、イラク戦争開始のころに行ったやつで、イヴァンって言うんだ。連絡してごらんよ」

・・・

 

 

 PTSDに間しては、堤氏は、次のように書かれています。

 

2004年の12月に陸軍が行った調査によると、現在イラクにいるアメリカ兵の6人に1が重度の精神障害をもっているという。

 

 

 ところが、帰国した兵士は「VAVeterans Association=退役軍人協会)の保護下におかれ」、彼らを戦場に送り込んだリクルーターの約束では「軍の医療保険が家族にまで適用され、除隊したあとも退役軍人用のクリニックで生涯無料で治療を受けられる」であったはずなのに、「ブッシュ政権は、イラク戦争が始まってから、戦争予算と軍のリクルート予算を増やす一方で、毎年一億ドルずつVAの予算を減らしていった」結果、彼らは、「診察まで一年待ちだって言われ・・・仕事もできなくて、今、無職なんだ」の状態に落とし込まれているのです。

 

 

 又、イラクで、戦死した息子の為に立ち上がった母親(スー・ニーデラーさん)の話を次のように堤氏は紹介しています

 

「・・・イラクで私の息子は、道路わきに仕掛けられた爆弾を調べている最中に死にました。爆弾を扱う訓練など何も受けていない息子が、なぜそんな役をさせられたんでしょう?

 軍からは数々の言い訳めいた報告が送られてきました。それが全部違うストーリーなんです。

そのときはじめて私は気がついたのです。息子が、意味のない戦争で無駄に命を落としたことを。そして同じように、2000人近い他の兵士たちもね」

・・・

 大学生卒業したとき、セスは母親に、自分はCIAFBIに就職したいと告げた

 「彼はこの国を、誰もが信頼しあえる、もっといい社会にしたいと願っていました。私たち家族は、そんなセスをほんとうに誇りに思っていたんです。

 ですが、そんな息子の善意につけこんだのが、軍のリクルーターでした。リクルーターはセスに、退役軍人であるほうがCIAの就職に有利になると言ったんです。

 そしてリクルーターは、もう一つ約束しました。入隊しても、セスが戦場に行かされる可能性は3パーセント以下だと。たとえ行かされたとしても、前線に行くことは決してないと」

 息子の死の知らせが届いたあと、スーはルース・ホルト上院議員に会いに行き、彼らのような政治家の息子や娘のうち、いったい何人が今、兵士としてイラクにいるのかと尋ねた

 返ってきた答えは「一人もいない」だった

 2004年の9月。スーは、ローラ・ブッシュ大統領夫人の講演会に行き、夫人のスピーチの最中に、大統領が息子を殺したと大声で叫びはじめた。

 彼女は即、逮捕されたが、まったく後悔はしていないと言う。

 「目的は、少しでも多くの人々に私のメッセージを伝えること。彼らが私を逮捕したおかげで、より多くの人が私のやっていることに注意を向けたんです」

彼女はそれ以後も、過激な形で兵士たちを撤退させるための平和活動を続けている。

彼女の周りの人間はみな保守派だったために、友人は離れてゆき、教会では恥知らずだと陰口を叩かれた。

今まで政府をサポートしていたくせに、息子が死んだからと急に豹変するのは偽善だと、面と向かって非難されたこともある。・・・

 

 

 当然と言えば当然ですが、でも恐ろしい事です。

政治家の息子や娘のうち、いったい何人が今、兵士としてイラクにいるのかと尋ねた

 返ってきた答えは「一人もいない」だった

とは!

 

 イラクで息子さんを奪われ「兵士たちを撤退させるための平和活動を続けている」スーさんに、“今まで政府をサポートしていたくせに、息子が死んだからと急に豹変するのは偽善だ”と非難を浴びせる方々も、当然戦場に行かれていないし、その息子さんたちも行かれていないのか?なくなっていないのでしょう?

 

 

 このような堤氏のアメリカの現状は、堤氏の著作の題名『報道が教えてくれない アメリカ弱者革命 』にある「報道が教えてくれない」事実です。
日本の報道も、アメリカに追随と言う事でしょうか!?

 

 更には、“日本も自衛隊を軍隊にして、金だけ出しているのではなく、他国同様に戦場で血を流すべき!”と吼え捲くる方々も、ご自身もそして彼らのお子さんも戦場に行く事はないのでしょう。

 

 

 なにしろ、日本もアメリカ同様な超格差社会として、貧困層の方々を戦場に送り込もうと企んでおられるのでしょうから!?

 

 恐ろしい事です。

悲しい事です。


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