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岡本太郎氏に学ぼう(5)〈人間だれでもが身体障害者〉

200727

宇佐美 保

 では、又、《岡本太郎氏に学ぼう(4)〈親子の問題〉》に引き続き、岡本太郎氏の記述を引用させて頂きます。

 

 社会対個という問題はさけて通ることができない。大きな、重い、人間の宿命だ。

 しかし、この闘いはキッイ。妥協、屈辱の結果、欲求不満、いらだち、告発が群がりおこる。そして、社会のモラルがすり切れた布袋みたいにビリビリ裂け破れ始めているのが、近ごろのいじめや家庭内暴力をはじめ卒業式騒動その他だ。ぼくが子供心に、孤独のなかに抵抗していた虚偽、それへの憤懣が次第にあらわに社会現象になってきていると思う。

 この世に苦しみ悩んでいるのは決して自分だけじゃない

 世の中の人ほとんどが、おなじ悩みを持っていると言ってもいい。不満かもしれないが、この社会生活以外にどんな生き方があるか。ならば、まともにこの社会というものを見すえ、自分がその中でどういう生き方をすべきか、どういう役割を果たすのか、決めなければならない。

 独りぼっちでも社会の中の自分であることには変わりはない。その社会は矛盾だらけなのだから、その中に生きる以上は、矛盾の中に自分を徹する以外にないじゃないか。

 そのために社会に入れられず、不幸な目にあったとしても、それは自分が純粋に生きているから、不幸なんだ。純粋に生きるための不幸こそ、本当の生きがいなのだと覚悟をきめるほかない。

 

 この岡本太郎氏の生き方と対極的な生き方として、毎日毎日、食って寝て、テレビの馬鹿番組を見て、小泉劇場(今は幕を閉じてしまいましたが)などを楽しみ、馬鹿笑いして過ごし、“これが、俺の人生なんだ!傍からとやかく言われる筋合いはない!”と怒るくらいで、他に苦しみ悩む事もない人生も御座いましょう。

 

 私の母は、生前、自分の心を鼓舞しなければならない時、女学生時代「修養団」に体験入団した際習った次の歌を歌っていたと「自伝」に書き残しています。

 

「私は、なにゆへ生まれて来た、

生まれて私は何をする

ただ、食い、ただ、寝て暮らすなら

鳥やケモノと変りやせぬ 鳥やケモノと変りやせぬ」

 

 更に、岡本太郎氏は、次のように続けられております。

 

 自分はあんまり頭もよくないし、才能のない普通の人間だから何も出来ないんじゃないか、なんて考えてるのはごまかしだ。

 そういって自分がやらない口実にしているだけだ。

 才能なんてないほうがいい。才能なんて勝手にしやがれだ。才能のある者だけがこの世で偉いんじゃない。

 才能のあるなしにかかわらず、自分として純粋に生きることが、人間の本当の生き方だ。

 

 再び、申し訳ありませんが、私の母は、女学校時代に、藤原義江が金沢の公会堂で素晴らしい声で歌ってくれた歌(下記)が大好きだったそうです。

 

『求めよ、さらば与えられん、叩けば開く、向上の

    一路たどらん、我が友よ。

 来たれ、遥かに永遠の、希望の光 仰ぎつつ、

    尊く生きん、諸共に、

    尊く生きん、諸共に。』

 

 「尊く生きる」とは「自分として純粋に生きる」ことではないでしょうか?!

そして、「自分として純粋に生きること」を思っているだけではいけないのです。

その道への扉を自らの手で叩き、開き、歩んで行かなくてはならないのです。

 

 

 今は亡き藤原義江氏は、スコットランド人を父として、日本人の母から生まれ、優れた容貌と、イタリアで声楽を学んだ美声によって「我等のテナー」との愛称で、戦前戦後の日本で大活躍された後、藤原歌劇団を創設されたり、艱難辛苦をものともせず独自の道を切り開いて進まれた方であります。

 

 では、岡本太郎氏の言葉を続けます。

 

 頭がいいとか、体がいいとか、また才能があるなんてことは逆に生きていく上で、マイナスを背負うことだと思った方がいいくらいだ

 先だって、ある身体障害者の音楽家に会った。顔のつやは良いのだが、筋が萎縮する病気で、手足ともに、なえ、ひんまがっている。痛々しい。車椅子に身をよじりながらハーモニカを吹いて聞かせてくれた。自分の作曲した曲なんだそうだ。やがてオーケストラと歌手がそれに合わせて歌い始める。彼の頬に涙が流れるのが見えた。

 ぼくは異様な感動をおぼえた。曲や、涙にではない。この、一つのささやかな運命がクライマックスに達した瞬間。象徴的な瞬間にである。

 あのゆがんだ手、足。動かない、もどかしい、ひんまげられた人生。ぼくはそこに、逆になまなましい「人間」の姿を見る思いがした。このように残酷に象徴化されているが、実はこれこそ人間そのものの姿ではないか。

 人間だれでもが身体障害者なのだ。たとえ気どったかっこうをしてみても、八頭身であろうが、それをもし見えない鏡に映してみたら、それぞれの絶望的な形でひんまがっている。しかし人間は、切実な人間こそは、自分のゆがみに残酷な対決をしながら、また撫でいたわりながら、人生の局面を貫いて生き、進んでいくのだ。

 人間はたしかに他の動物よりも誇りをもっているかもしれない。しかしその誇りというのは奇怪な曲折を土台にしている。悲しみ、悔い、恥じる。あるいは無言に、また声をあげて。しかしそれも人生の一つの歌にすぎない。

 自分のひそかな歪みにたえながら、それを貫いて生きるしかない。そして救われたり、救われなかったり。目をこらして見れば、それがあらわに人間生活の無限のいろどりとなっているのが見えるだろう。とりわけ、強烈な人間像に接するとき、ぼくはふとグロッタの奇怪で峻厳な、そして圧倒的なイメージを目に浮かべる。

 あの身体障害者の萎縮してひんまがった手を見ながら、ぼくは自分自身の肌にふれるような、むしろ喜びに似たセンセーションを覚えた。それは痛烈に、やさしい感動だった。

 

 この岡本太郎氏の記述から、私は、直ちに石原慎太郎都知事の顔を思い浮かべました。

先ず、“頭がいいとか、体がいいとか、また才能があるなんてことは逆に生きていく上で、マイナスを背負うことだと思った方がいいくらいだ”の件では、石原氏の田中康夫前長野知事に対する態度を思い浮かべました。

 

 石原慎太郎氏は、常々、田中康夫氏に対して「作家としての才能の優位性」を誇示していました。

確かに、石原氏の小説を仕上げる能力はたいしたものです。

(田中さん御免なさい!田中さんの作品は読んでないのです。)

なにしろ、石原氏の作品は、一気に一冊を読ませる魅力を有しています。

(旅行の際の暇つぶしにはもってこいかもしれません。)

しかし、作品からの感銘は、ゼロです。

そして、その作品の主役的登場人物たちに、嫌悪感を抱きます。

 

 どうもその作品の嫌な登場人物に石原慎太郎氏ご自身がそっくりなようです。

都の交際費を乱用し、身内、息子に、勿論ご自身にも、恩恵を施し、平然の風を装っています。

こんな石原氏が、東京にオリンピックを招致するとなると、その裏に何かが隠されているに違いないと思わざるを得ません。

少なくとも、オリンピック招致の旗の下、次の都知事選では、土建業界の組織票をかき集める事は可能でしょう。

更には・・・???

私は、地元の市会議員の新年会に義理で出席した際、同席していました都議会議員が、“自分は環境問題に力を入れている”と挨拶しました。そこで途中退場する彼を追いかけて“東京にオリンピックを招致するよりも、その施設建設予定地に、緑を植えてください!”と訴えましたが、彼は、“しかし、オリンピックは東京に世界の人を呼び込む為・・・今は忙しいので、この次、お話しましょう・・・”と石原氏に反旗を翻しそうにもありませんでした。

それでも、いつか、お話を伺ってみたいとも思っています。)

 

 そして、それ以降の岡本太郎氏の記述から、拙文《石原慎太郎都知事とテロ》に引用させて頂きました下記のごとき「石原都知事の身体障害者の方々に対する発言」を思い出します。

 

(次のホームページから引用させて頂きます。)

http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/ishihara/data/19990918fuchuu.htm

 

1999年9月18日、府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)視察後の記者会見

 

 ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。
絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって……。しかし、こういうことやってやっているのは日本だけでしょうな。
人から見たらすばらしいという人もいるし、おそらく西洋人なんか切り捨てちゃうんじゃないかと思う。そこは宗教観の違いだと思う。
ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする。

(出典:朝日新聞1999年9月18日

 

 この ああいう人ってのは人格あるのかね 石原発言は、逆に“石原氏には人格があるのかね”と書き換える必要が有るのではありませんか!?

石原氏は、“人間だれでもが身体障害者なのだ。・・・”との岡本太郎氏見識をしっかりと受け止めるべきと存じます。

 

 私は、一見、五体満足といえども、そのカラダは惨めなものです。

走ったって、泳いだって、そのスピードは、オリンピック選手達(否!一般的な運動の選手達に)の半分にも及びません。

彼らから見たら全く“身体障害者”でしょう。

昔の私は、少なくとも女子選手の記録には太刀打ちできました。

ですから、昔の私から、見た今の私も“身体障害者”でしょう。

でも、毎日のようにプールに行って、カラダを鍛えています。

そして、家に帰ると、疲れでばったり倒れています。

でも、そういう鍛錬のお陰で、今でも、オペラ「トゥーランドット」のテノールの有名なアリア“誰も寝てはならない”(曲の最後の聞かせどころには、5線の上の高いシの音が有る難曲でもあります。)を歌う事が出来ます。

(若い頃は、力任せに強引に声を出し、録音した自分の声に、“この録音装置は、自分の声を正しく録音できない悪い装置だ!”と八つ当たりしていました。

今でも、(その傾向は若干残ってはいますが)録音された自分の声に聞き惚れ、ナルちゃん気分に浸っています。)

 

 次の件は、自慢話めいて恐縮ですが、私は、中学時代、知能検査(田中式でしたかしら?)を受けた際、その中に数ページもの計算問題がありました。

先生の合図と共に、生徒全員がその問題に取り組みました。

でも、私は、先生が“ストップ”の声を聞く前に、“先生全部解きました!”と手を上げました。

先生は“宇佐美君、五月蝿いね、間違っているかもしれないから、もう一度やりなさい!”と、怒りました。

(なにしろ当時の私は、“授業とは、先生をからかったり、悪戯する場”と心得ていた「とんでもない生徒」でしたから)

で、暫くして、又、“先生全部解きました!”と手を上げました。

そして、同じように怒られました。

やっと、3度目の途中で、先生の“ストップ”の声が聞こえました。

私達の生徒の中には、そろばん2級の友人が2名いましたが、彼女達といえども、1度目の計算すら終わっていませんでした。

 

 しかし、その計算能力も今では、買い物に行けば、支払い計算は、自分では全く出来ず、全てレジの方にお任せです。

“お釣りを確認してください”と言われても、手から小銭がこぼれ落ちたりする始末です。

中学時代の私にとっては、今の私は“身体障害者”でしょう。

 

 でも、そんな私でも、今から150年以上前に確立されたファラデーの法則、マクスウェルの法則などの、誰でもが信じて疑わない電気の法則を、次から次へと書き換える『コロンブスの電磁気学』(拙文《『コロンブスの電磁気学』の概略》をご参照下さい)の研究執筆に勤しんでいます。

(私は、この業績は、「ノーベル賞」以上の業績と信じています。)

 

 勿論、その研究中でも、その一寸前に行った実験の内容でも忘れてしまったりします。

そして、このホームページを書く際にも、以前に書いた事を思い出すのに四苦八苦していますが、若い時にはこんなに一生懸命考える事は無かったでしょう!

(何でも、直ぐに“分った!分った!”と鵜呑みにして遊びに出かけていたでしょうから。)

今は、四六時中、電気のことを考えています。

(でも、残念ながら、時折、このホームページ(《こんな事でよいのでしょうか?》)の事も考えなくてはなりません。)

 

 ですから岡本太郎氏の“自分のひそかな歪みにたえながら、それを貫いて生きるしかない”との見解に、諸手を挙げて賛同いたします。

 

 “あの身体障害者の萎縮してひんまがった手を見ながら、ぼくは自分自身の肌にふれるような、むしろ喜びに似たセンセーションを覚えた。それは痛烈に、やさしい感動だった”と発信する偉大な芸術家(偉大な人間)岡本太郎氏がご存命なら、石原氏の3選を阻み都知事に就任して頂きたいと願わずに入られません。

 

 否!安倍氏に代わって首相を務めて頂きたいものです。

先日、朝日ニュースターの番組「噂の真相」で、評論家の佐高信氏は、

“下には下がいるもので、森の酷さには驚かされたが、
その後、小泉、安倍とどんどん酷くなっている、
更に、安倍の次は、麻生と来ると言うのだから!”

といったファックスがニューヨーク市立大の

霍見芳浩教授から届き、その通りだと嘆いておられました。

 

 その麻生太郎氏が、インターネットの世界では、抜群の人気を誇っていると言うのです。

“麻生氏は、領土問題に関しても強硬意見を吐いているから、支持する!”とのメールが私の所に届きます。

私には、信じられません!

元自民党幹事長の野中弘務に対しても「差別発言」をし(拙文《野中広務氏への麻生氏の差別》をご参照下さい)、“日本の核武装も検討すべし”などと暴言を吐いている危険人物である麻生氏を本当に支持するのでしょうか?

 

 あるテレビ番組で、“憲法が改正されて、日本が軍隊を持った場合には、徴兵制度が導入されるのか・”との問いに対して、元防衛庁長官の石破茂氏は、

“徴兵制度は、入隊しても数年で辞めて行くので、近代兵器を扱う今の時代には無理、
従って日本は徴兵制度を導入しない。”

と答えていました。

 

 では、憲法改正しようとしている安倍氏や麻生氏を支持する若者達は、日本に軍隊が出来たら、進んで入隊するのでしょうか!?

 

 自分は軍隊に入隊するのは真っ平だけど、他の誰かが入隊してくれ!では虫が良すぎませんか!?

 

 私の身近な方が、“戦争なんて反対、まして入隊するなんて、御免蒙ると思っていたので、東大に入学して重要人物となって徴兵に引っ掛からないようにと、一生懸命勉強しようと思っていた。”との昔話をしてくれました。

 

 

確かに、安倍氏のお祖父さんの岸信介氏も、
麻生氏のお祖父さんの吉田茂氏も、お父さんの麻生太賀吉氏も、
それに小泉純一郎氏のお祖父さんの小泉又次郎氏も、お父さんの小泉純也氏も、
国の要職に就かれていたりして兵隊ではありませんでした。


只、安倍氏のお父さんの安倍晋太郎氏だけは、東京帝国大学法学部在学時に学徒動員で海軍に入隊したそうです。

 

尚、麻生氏のお父さんの麻生太賀吉氏が経営した麻生炭鉱について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように記述されています。

 

麻生太賀吉の経営した麻生炭鉱(のちの麻生商店・麻生産業、現麻生グループ)は戦前、納屋制度などがあり労働環境が劣悪だとして問題になることがあった。筑豊地方において同社は三菱系についで朝鮮人炭鉱労働者、被差別部落民が多かった1932年には朝鮮人による労働争議が起き、これは筑豊全体に広がる大規模なものであった。争議により納屋制度の一部が改善された。石炭産業の衰退により、1966年に炭鉱労働者は全員解雇された。

 

(この件に関連する麻生太郎氏の話は長くなりますので、次の拙文《麻生太郎氏をヨイショする福田和也氏》をご参照下さい。)

 

 このようなお祖父さん、お父さんを持っている方々が、 “国のために戦って、命を落とされた英霊に感謝の意を示し、且つ、不戦を誓うために靖国神社に参拝する”と発言するのは、何かおかしく思われませんか!?

 

 それに、幾ら近代兵器を装備する軍隊といっても、米国がアフガニスタン、イラクで行っている戦争は、最終的には歩兵戦です。

そして、ブッシュ大統領は、イラクへ2万人増強する宣言しています。

 

 戦争なんて始めてしまったら、こうなるのは明らかです。

なにしろ安倍氏が提唱する「美しい国」を守るために!

ですから、日本もいつの日か「徴兵制度」が導入されるかもしれません。

(なのに、その「美しい国」を守るのは、提唱者達や、そのご子息達ではないのですから!)

 

 その頃の日本は、勝ち組、敗け組みの差が大きくなり、東大に滑り込み徴兵を避ける事が出来る若者は、一握りの勝ち組の子息だけとなるかもしれません。

(又、徴兵制度が導入されなくても、食べるため(米国のように、大学に行くための手段を得るため)の処は、軍隊以外には無い状態の方々が増えているかもしれません。)

その上、“女性は子どもを産む機械”発言をした柳沢厚生労働相は今では非難されていますが、その頃では、そんな発言を誰も非難しなくなります。

そして、産めよ増やせよ、富国強兵の掛け声共々、次のように、誰もが絶叫するでしょう!

 

女性は子どもを産む機械

男性は他国の人を殺す機械

 

 若者達はそんな状況を待ち望んでいるのでしょうか?

 

 岡本太郎氏は、次のようにも書かれています。

 

 若者は解放されている。このように若さが自由感を与えられている時代は、かつてなかったろう。しかし、またそれゆえに、逆に自失していることもたしかだ。一応、身ぎれいだし、表情は明るい。が、その内面のむなしさも、おおいがたいのだ。

 この矛盾 − 彼ら自身はもちろん、いわゆる大人たちも、とまどってしまっている。自覚するしないは別として。

 ところで、いまぼくは、大学に進もうとする現代の最も恵まれた社会層の若者に対していうのだが、何がなんでも大学へ進む、進学しなければならないという要請、これはいったい何なのだろう。

 大学出でなければ、社会的にいい地位にはつけない。だから大学に行くのだ。それにまた、大学出のガクレキは、紳士の身だしなみ″でもある。大学ぐらい出ていなければ、恰好がつかないというわけだ。むかし、明治時代には「洋服」を着て、ヒゲをはやしているのが紳士の条件であった。近ごろでは、そんなものでは別段、尊敬されない。その代わりが、大学出という肩書。つまり、ヒゲのようなもの……

 

 しかし、「大学出という肩書」は単なる「ヒゲのようなもの」ではない時代が来るかもしれません。

(しかし、「大学出という肩書」は東大に限られるかもしれません。

あ!でも、小泉氏の慶応大や、安倍氏の成蹊大や、麻生氏の学習院大は東大以上かもしれません?!)

 

 ここでの岡本太郎氏の“若者は解放されている。このように若さが自由感を与えられている時代は、かつてなかったろう”の記述は確かでしょう。

若者達はインターネットで自由に自分達の意見を展開しています。

でも、一度、軍隊に入れられたら、その状態からおさらばしなければなりません。

 

 先の拙文《岡本太郎氏に学ぼう(4)〈親子の問題〉》に引用させて頂いた、『十七歳の硫黄島(発行:文芸春秋社)』この著者、秋草鶴次氏のテレビ出演した際の発言を再度引用させて頂きます。

 

“軍隊とは、入った時から人間ではなくなる処”

 

 この点を、第2次大戦に参戦された今年87歳の方に確認しましたら、“当たり前だよ、毎日ピンタの連続だよ!”との答えが返ってきました。

 

 そして、歩兵でしたから、中国からヴェトナム、シンガポールへの転戦の道中は、全て自転車を漕いでいたそうです。

(銃などを含めて、多い時は100キロ位を身に付けて!)

 

 そして、相手国の人達を、銃で撃ち殺すのです。

そうそう、麻生太郎氏は、ご自身のホームページに、(誇らしげに?)、次のように記載されています。

昭和51 7 21回オリンピック競技会(モントリオール)射撃(クレー・スキート競技)に日本代表として出場

 

 しかし、幾ら麻生氏が銃の名手であっても、ご自身が戦場へ行く事は無いのでしょう。

 

「麻生太郎」と「岡本太郎」、同じ「太郎」でも大違いです。

(ちなみに、今回の一連の拙文《岡本太郎氏に学ぼう》に於いては、当初、「岡本太郎氏」ではなく「太郎氏」と記述していましたが、「「太郎氏」から麻生太郎氏」のイメージを排除する為に、「岡本太郎氏」と記述し直しました。)

 

 では、岡本太郎氏は、戦時中はどうだったのでしょうか?

次のように記述されています。

 

 社会的に力がないとか、筋肉が弱いとかいうことも、人間が本当に生きるということ、それに対する強さとは関係ないんだ。

 他に比べて弱くても、自分は充実して生きている、これで精一杯だと思えば、悔やむことも欺くこともない。人生はひらく。

 ぼくは太平洋戦争がはじまる直前に十二年間のフランス生活を切り上げて日本に帰ってきた。そしてすぐに兵隊にさせられた。中国の真中、漢口の近くにつれて行かれて、言うに言えない苛烈な軍隊生活を送った

 三十を過ぎた、パリ帰りの男が十八、九の若者たちと一緒に初年兵訓練を受け、徹底的にしごかれたんだ。辛いなんてもんじゃなかった

戦争も軍隊も知らない、いまの人たちにはわからないだろうが、「ホフク前進」という、銃を地面につけないように捧げたまま、這って前に進む訓練があった。これはキッイ。フラフラ、目もくらむまでそれをやって、最後に「突撃に前へー」という号令でバッと立ち上って突っ込む。また「伏せーっ」という号令。息もたえだえで地面に這いつくばったとき、ぼくは目の前に小さな花がゆれているのを見た。雑草のなかに、ほとんど隠れるようにして、ほんとうに小さい、地味な、赤っぽい花だった。

 そいつと鼻をつきあわせて、ぼくは、いのちがしぼりあげられるような感動にふるえた。

 こんなに広い大陸の、荒れた原野で、これっぽっちの、小さい、何でもない、いのち。おそらく誰にも見られることのない。オレのような、惨めな初年兵が偶然にも演習で身を投げ出したから、はじめて目を見はったのだが。

 だが何という美しさなのだ。小さい、その全身を誇らかに、可憐に、なまめかしくひらいて、はてもなく青いこの空の下に咲いている。

 ぼくは「残酷について」(『私の現代芸術』)というエッセーのなかで、この花について書いたことがあるが、それはまさに残酷な、しかし崇高な思い出である。

 人間だから、花だから、と区別することはない。いのちの共感は一体だ。

 

 この軍隊生活は、岡本太郎氏にとっては、どんなに大変な事だったでしょうか?

その様相はこれ以上は書かれていませんでした。

 

 それにしましても、憲法改正に賛成する若者達は、こんな軍隊が好きなのでしょうか?

自ら、入隊したいのでしょうか?

 

そして、何より不思議な事は、《岡本太郎氏に学ぼう(2)〈出来難き事を好んで之を勤るの心〉》の記述を再掲させていただきますが、次の点です。

 

何故誇りある日本国民は、
危険だ、という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。

ほんとはそっちに進みたいんだ”という「平和憲法の道」を捨てて、
誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道”である

軍備の道を選択しようとしているのでしょうか?!

私には不思議ではなりません。

 

 若者は若者らしくこのより危険な(そして誇りある)『平和憲法』の道を歩もうとしないのでしょうか?!

 

 しかし、いかに私が不思議に思い、危険と思い、警告の言葉をここに書き連ねていても、先の霍見氏のファックス通りに、“下には下がいるもので、森の酷さには驚かされたが、その後、小泉、安倍とどんどん酷くなっている、更に、安倍の次は、麻生と来ると言うのだから!”と世の中は推移し、事態はどんどん悪くなってゆきそうです。

 

 (勿論、小泉氏、安倍氏、麻生氏の、お祖父さん方が戦場に行かなかったように、彼らも行く事は無いでしょう。

そして、彼らのご子息達も、お孫さんたちも・・・・・・

そして、「憲法改正」に賛成した若者達が戦場へ駆り出されるのです。)

 

 そして、私は、無力感に襲われます。

 

 でも、岡本太郎氏は次のように書かれています。

 

 激しく挑みつづけても、世の中は変わらない。

 しかし、世の中は変わらなくても自分自身は変わる。

 世の中が変わらないからといって、それでガックリしちゃって、ダラッと妥協したら、これはもう絶望的になってしまう。そうなったら、この世の中がもっともっとつまらなくみえてくるだろう。

 だから、闘わなければいけない。闘いつづけることが、生きがいなんだ。

 しかし、いままで、ぼくはずいぶんと闘ってきたが、世の中が変わらないどころか、逆に悪くなってきている。つまらなくなったことは確かだ。

 変えようと思っても、変わらないのは事実なんだ。だけど、挑むということでぼく自身が、生きがいをつらぬいている。

 ぼくは絶対に、変わらない社会と妥協しない、これが、ぼくの姿勢だ。

 

 この岡本太郎氏に、私は敬意を払います。

ですから、私は、岡本太郎氏を見習い、これからも頑張って行きたいと存じています。

 

(補足:2007213日)

ハンディを超越した名歌手:トーマス・クヴァストフ

 

石原慎太郎氏は、この2月(4日〜19日)に、クラシカ・ジャパンで放送された、トーマス・クヴァストフ(バリトン)が歌う、シューベルト:歌曲集『冬の旅』を御覧になりましたでしょうか?

彼の写真を放送画面から撮影させて頂きました。

ダニエル・バレンボイム&トーマス・クヴァストフ


又、番組の案内には次のように書かれています。

 

サリドマイド障害のために手足が短いというハンディを負いながらその美声と端正な歌唱が多くの人の心を打ち、今やヨーロッパで最も注目されるバリトン歌手。今回は、指揮者でピアニストのバレンボイムと共演した『冬の旅』を放送。現実と幻覚の間を彷徨する男の心情をドラマティックにナイーヴに歌うクヴァストフ・ワールドに、観客は総立ちの拍手。

 

[ピアノ]ダニエル・バレンボイム[収録]2005年フィルハーモニー(ベルリン)

 

 私も画面に釘付けになりました。

彼は、フィッシャー・ディスカウのような柔らかな声から、イタリアのバリトンのような響きをもった輝かしい声までも駆使して、身体のハンデを超越した素晴らしい歌を聞かせてくれたのです。

 石原氏にも是非とも御覧いただきたく存じます。



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