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岡本太郎氏に学ぼう(4)〈親子の問題〉
2007年2月4日
宇佐美 保
《岡本太郎氏に学ぼう(3)》を続けます。
最近では、「いじめ問題」に端を発して「子育て論議」が賑やかです。
岡本太郎氏は、「親子の問題」を次のように記述されています。
ぼくはここで、今日特にさし迫った大きな危機として、親子の問題を言いたいんだ。 ・・・ ぼく自身は、子どもはいないし、息子であった時代にも親に対して、肉親であるがゆえの心のからみあいやトラブルを経験したことがない。だから察しがつかないわけではないが、ナマの実感としては、ちょっとつかめないところがある。 親子だって人間同士、もっと素直にぶつかりあえばいいではないかと思うからだ。 考えてみれば、両親とぼく。一家三人の関係は特異だったのかもしれない。ぼくは幼い頃から、子どものくせに、と言われたことは一度もない。 ほんとうに赤ん坊のときのことは別として、小学校に入ったときくらいからは、ぼくの場合、両親とは人間同士としてまったく対等の関係だったんだ。 母はさまざまの悩みや愚痴、社会的な憤憑、あらゆることを一人前の大人に話すように、めんめんと打ち明け、投げかけて来た。人一倍多感な、悩みの多い母だったから、ぼくはそれを聞きながら、純粋な者に対する世の非情や残酷に、魂の冷える思いで拳を握りしめた。 そのように精神的には対等に激しくぶつかって来たが、いわゆる母親らしく面倒をみたり、べたべた可愛がるということはまったくなかった。一日中、机に向かっている。時には、あまりうるさいと、ぼくを兵児帯で縛って、箪笥の錠に結びつけてしまう。いくら泣きわめいても、知らん顔で背を向けて本を読んだり、字を書いたりしている。 画家の中川一政さんなんか若い頃うちに遊びに来て、犬っころみたいに柱につながれているぼくを見たと言って、ときどきぼくをからかうが。 全然相手にしてもらえないのは恨めしかったが、しかしぼくはその何もしてくれない母の黒髪をばさりと背にたらした後姿に言いようのない神聖感、一体の親愛を覚えていた。強烈な思い出だ。 一方、父は淡々として、何か対等の男同士という感じ。母とぼくの激情がぶつかりあって口論していると、「タゴシ」(太郎氏のなまった愛称)、お母さんは身体が弱いし、女なんだから、キミがいたわってやらなければいけない」ともっぱら仲裁役をつとめていた。 小学校三年の時、親子で夏休みの旅行に島根県に行ったことがある。親戚づきあいの旧家に泊った。夕食後、お座敷でみながくつろぎ、いつものようにいろいろ議論をしたのだが、翌朝、ぼくが早起きしてお茶の間に出て行くと、その家の奥さんや女中さんたちが、くすくす笑いながらぼくをさして「モチロンちゃん」「モチロンちゃん」と言うんだ。 「ぼくはモチロンちゃんじゃない、タローだよ」と抗議したが笑ってばかりいる。 「どうしてそんなこと言うの」と聞いたら、昨夜、食事が終ってから、子どもなのにお父さん、お母さんとさかんに議論をしていたっていうんだ。 うちでは小さい頃からしょっちゅう議論しあっていたから、ぼくらは何とも思わなかったんだけど。それに、どちらかというとぼくのほうが両親より論理的だった。 だからよく彼らを言い負かしていた。その晩もその調子でぼくの方からピシャツと切り込んだり、また向こうのいうことが納得できると、「モチロン」「モチロン」とうなずいていたというんだ。 その時分、子どものくせに親と議論するなんてことがまず、奇想天外のこと。まして田舎の旧家の人たちだ。奇妙な一家を眼の前に見て、びっくりし呆れたらしい。 目上の人に言われたことは何でも、ハイハイって聞かなきやならない。そういう厳格な風潮の時代だった。まして、まったく対等の態度で、ちっちゃな子どもが「モチロン」などとやるのだから。それでぼくのあだ名が「モチロンちゃん」になってしまった。 つまり親子関係というより、人間対人間の関係だったんだ。今思うと、一人の人間として、本気でぼくの挑戦にこたえてくれた両親が、やはりえらかったという気がする。 自分で言うのはなんだけど、ぼくは生まれつきとてもはげしい性格で、母とそっくりなんだ。それで、陽電気と陽電気がぶつかり合うと火花を散らして反発し合うように、すぐケンカしちゃうわけだ。だから父が因って、そのうえ、母が身体があまり丈夫でなかったから、ケンカばかりしていては身体に悪いから、しばらく離れて住んだ方がいいと医者にも言われた。そんなこともあって、ぼくはパリに行って、十年くらい離れて暮したんだ。 そして、パリで、母が死んだという知らせを聞いた。十年も離れていたのに、ぼくは身体の芯がくずれ落ちたようにヘバッてしまった。正直いって、自分が死んで母が生き返ってほしい。真剣にそう思った。 それは、親子の愛なんて、そんな甘ったるいもんじゃない。真剣に生き合った者同士の愛なんだ。 ぼくは父・一平にも、母・かの子にも、親子というより人間同士として、強烈な愛情を抱いていた。純粋で無条件な一体感だ。 |
この“ぼくは幼い頃から、子どものくせに、と言われたことは一度もない”と“小学校に入ったときくらいからは、ぼくの場合、両親とは人間同士としてまったく対等の関係だったんだ”いう事実は大変貴重と存じます。
子どもだってしっかりした思考能力を有しており、逆に私達大人が失った心を持ってもいます。
只、大人に比べて経験などが不足してはいますが。
しかし、“つまり親子関係というより、人間対人間の関係だったんだ。今思うと、一人の人間として、本気でぼくの挑戦にこたえてくれた両親が、やはりえらかったという気がする”そして “うちでは小さい頃からしょっちゅう議論しあっていたから、ぼくらは何とも思わなかったんだけど。それに、どちらかというとぼくのほうが両親より論理的だった”とありますように、このような岡本太郎氏の親子関係は、真剣な議論をする親子の存在があって初めて可能となるのです。
ところが、週刊文春(2007.2.1号)には、一月十九日、学習院創立百周年記念会館で行われ雅子様も出席された「子どもをだいじに育てよう」と題されたこの講演で、三つの”怪しげな言葉〃(下記に掲げました)に惑わされてはいけない、と話された初等科で皇太子に国語を教えたこともあり、いわば皇太子の恩師でもある学習院名誉教授の川嶋優氏に聞かれた内容を〈雅子様の目の前で皇太子の恩師が「欧米流子育てを大批判!」〉との記事の中で次のように紹介しています。
@子供の〃個性〃を大事にしよう A親の〃価値観〃を子供に押し付けるな H初めから教えず、子供の思考力〃を尊重しよう 「三つとも格好のいい言葉ばかりですが、そんな理屈では子供は育たないのです。 大人だって自分の個性がわからないのに、子供の個性を見抜くことなんてできません。価値観だって、『こういう人間になってほしい』という思いで、親が良いことと悪いことをはっきり子供に押し付けることができなければ駄目。また思考力といっても、子供の頭や心に材料がない状態で考えろ、とかいっても無理なんです。 そんな出来ないことをやろうとするのではなく、まずは道徳心〃と基礎学力〃を徹底的に教え込みなさい、ということをお話ししました。そのためにも、九歳頃までは特に躾を厳しくしなければいけないのです。普段は愛情たっぷりに接してあげながら、時には顔を真っ赤にして叱らなければいけないこともあります。『叱るのはいいけど怒っちゃいけない』なんてもっともらしいことを言う人もいますが、我が子供を叱るときは、感情をいっぱい見せて怒らなきゃいけない。怒りを抑えて諭すようなニヒルな教育では子供に伝わりません。 |
更に次のようにも書かれています。
川嶋教授の講演内容を知り、ある宮内庁関係者は皇太子ご夫妻の教育方針との差異を感じざるを得なかったという。 「皇太子殿下は昨年の誕生日会見で愛子さまについて『意欲や自主性を大切に見守っていきたい』と仰り、妃殿下も『愛子が幼稚園生活を楽しく送れるよう、できる限りの手助けをしたい』と文書で述べられました。ご夫妻のお考えは『なんでも話してわからせる』『子の自立を助ける』ということのようで、川嶋さんの考えとは百八十度違っている。雅子さまも講演をお聞きになって、驚かれたのではないでしょうか。 もちろん、ご夫妻は愛子さまの教育方針について熟慮されてきましたが、宮内庁や東宮食の間で躾が少し甘いのではないか、という疑問の声があったのも事実です」 例えば昨年秋、幼稚園の運動会でのこと。登園時、愛子さまの手を引かれた雅子さまは、園舎の正門前で小山久子園長に挨拶された。だが、園長が愛子さまに笑顔で話しかけているのに、愛子さまは挨拶をなさらない。その後、愛子さまは突然、雅子さまの手を離し、サッと園舎に入ってしまわれたのだという。 「そういったとき、ご夫妻は愛子さまを叱ることはなさいません。一昨年の天皇誕生日の際も、一人で東宮御所に帰るのをむずかる愛子さまを、雅子さまは無理に帰すことはなさらず、付き添われました。それが結局、両陛下を長時間お待たせする原因となったわけですが、その際、子育て経験のある宮内庁関係者たちも『あの場合、子供が泣いても言うことを聞かせるべきだったのでは……』と洩らしていました。 『幼稚園のお疲れ』を理由に昨年の皇后誕生の挨拶を休まれた時もそうです。 皇太子が幼い頃には、東宮侍従の故・浜尾実さんが美智子さまから託されて、厳しく躾をしていました。それこそお尻を叩いたりして、殿下が泣かれたこともあったのです。昨年九月の大相撲観戦の時、愛子さまが頬杖をついているのに、両側に座っていらっしたご夫妻が愛子さまに笑顔で話しかけたりされていたのを見て、やはり不思議に思っておりました」(同前) ・・・ 十五日の「歌会始の儀」に雅子さまが寄せたのは愛子さまの成長を詠んだ歌だった。愛子さまがお生まれになってから、五年連続でお子様の成長ぶりを詠まれており、雅子さまがどれだけ育児に情熱を注がれているかがわかる。 川嶋教授の言葉は、今後のご夫妻の子育てにどう反映されていくのだろうか。 |
私は、この川島説は、子供の躾ではなく、「犬の躾」「犬の訓練」では!?と感じます。
更には、軍隊訓練とも感じます。
秋草鶴次著『十七歳の硫黄島(発行:文芸春秋社)』には次の記述があります。
その年の九月一日。満十五歳の秋草さんは横須賀海兵団に入った。少年たちにはすぐに真っ白な夏の軍服、セーラー服が支給された。いざ着てみるとリボンが解けたり結んだリボンの左右が揃わなかったりで、なかなか難しい。海兵団で、はじめての体罰を体験するのは、このセーラー服の着方にまつわるものだった。入団から何日も経たぬある日、服装点検が行われた。並んだ水兵の着衣を担当班長が見てまわる。「一歩前に」と声をかけられた者がいた。見れば確かにそいつのリボンの結び方は少し変だった。班長は「ただいまより軍人精神を注入するっ」と言った。着付けを教えるのではない。バットで、野球ならホームランになる振り方で腎部を叩いた。 身支度のよい者も、全員その体罰が加えられた。その瞬間、呼吸が止まった。全身の筋肉が石のように硬直した。骨の髄まで食い込む衝撃で、握った挙が催眠術にかかったように固く締まって震えた。たった一人のために、班の全員が一様に、理不尽、ともいえるような制裁を受けるのは、ここでは逃れられないことなのだと、このとき知った。 |
そして、この著者(秋草鶴次氏)が、テレビ出演した際には、次のように発言をされました。
“軍隊とは、入った時から人間ではなくなる処” |
川島説は、この軍隊訓練と同類と感じます。
週刊文春は、“川嶋教授の言葉は、今後のご夫妻の子育てにどう反映されていくのだろうか”と書いていますが、私はご夫妻の子育てが今のままである事を願って止みません。
AERA(2007.2.5号)『皇太子夫妻「本当の仲」』には次の記述があります。
・・・皇太子さまは05年2月の誕生会見で、愛子さまの養育方針について聞かれたおり、アメリカの家庭教育学者であるドロシー・ロー・ノルトの詩を読み上げた。
という一節で締めくくられるこの詩は、会見の数日前、東京大学経済学部長の神野直彦さんから紹介されたものだった。 |
私は、この詩は、人間の最も大事な本質を謳いあげていると存じます。
ところが、悲しい事に、評論家の八幡和郎氏は次のように述べたようです。
「お二人とも『感激屋さん』なのでしょう」八幡さんによれば、こうした人たちの特徴として、次のようなことがいえるという。 「相手の喜ぶ顔を見たいという行動原理に支配されがちです。皇太子さまは雅子さまや愛子さまの喜ぶ顔を見ることが一番になっており、昔の父親のように社会の規範を体現し、泣こうがわめこうが『こうしなさい』と強く言っことが出来ない。また雅子さまは、これまで先導役をはたしてきた『強すぎる父』のもとを離れ、方向性を見失って戸惑っているのでは」 |
皇太子ご夫妻を、八幡氏のように『感激屋さん』等との言葉遊びで片付けては失礼です。
(八幡氏の発言は、私には”下種の勘ぐり”に思えてなりません。
皇太子ご夫妻は、他人をやさしく思い遣る事の出来るお二人ではありませんか!?
“世界中の愛情を感じとること”が出来、その愛情を、更には、他人をやさしく思い遣る心を愛子さまに、更には、世界中に注ごうと勤めておられるお二人ではありませんか!?
子どもにとって大事なのは、「犬の躾」ではなく 「他人を思い遣る心」が育ってくれば、「躾」なんかは自分で獲得できます。 |
禅の大家であられた故鈴木大拙師が、次のように書かれていたことを思い出します。
(何という本だったか忘れましたが)
“私が米国へ行った時は、西洋料理を食べるマナーなど何も知らなかった。 フォークやナイフの使い方すら! でも、私は、他人に不快な気持ちを抱かせない心遣いで食事を味わった。 この私のテーブルマナーは大好評だった。” |
(注)
鈴木 大拙(すずき だいせつ) |
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
本名:貞太郎〔ていたろう〕、英字:D.T.Suzuki, 1870年10月18日 - 1966年7月12日) は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。石川県金沢市本多町に、旧金沢藩藩医の四男として生まれる。1959年日本学士院会員、文化勲章。 100冊ある著書のうち、23冊が英語で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。同郷の西田幾多郎、山本良吉、藤岡作太郎とは石川県専門学校以来の友人であり、鈴木、西田、藤岡の三人は加賀の三太郎と称された。 |
鈴木大拙師の境地までには至らずとも、「他人を思い遣る心」さえ持っていれば、大人になってからも「躾」は完成されてゆきます。
「犬の躾」で終わっていたら、その後の「躾」の成長は期待できません。
例えば、多くの方々は、ザックを背負ったまま、電車(混んでいても)に乗り込みます。
ザックを背負ったままでは、一人で二人分の場所を占めてしまいます。
そんな時は、少なくとも、ザックを両肩で背負わずに片側だけにするか、手に持つか、網棚に載せるべきです。
更に、お店の中までも、ザックを背中に背負ったまま入って行きます。
自分が振り向いたりしたら、背中のザックが予期せぬ動きをして、陳列してある商品を落下させてしまうかもしれません。
前にも書きましたが、本屋さんでは、自分の鞄などを平積みされている本の上に置いて、立ち読みしています。
そして、鞄を平気で、食堂のテーブルの上に載せます。
(そして、その鞄は、公衆トイレ(最近は随分綺麗にはなりましたが)の床にも置いているのです。)
スーパーなどでは、桃などの果物の熟し具合を、指で押して確かめたり、少しでも消費期限の長い商品を選ぶ為に陳列棚の奥まで手を突っ込んで、陳列をぐちゃぐちゃにして平気でいます。
「犬の躾」だけでは、こんな状態は当たり前の事でしょう!
しかし、「他人を思い遣る心」を持っていたら、誰に言われること無く、このような恥ずかしい行為を避けるはずです。
(何度か失敗しても、自分で気が付くはずです。
そして、その事に後から気が付くと、以前の失敗を大変恥ずかしく感じ、以後その失敗を繰り返すまいと思うのです。)
川嶋教授の“まずは道徳心〃と基礎学力〃を徹底的に教え込みなさい、”説には私は大反対です。
なにしろ、
「他人を思い遣る心」があれば、 心も頭も常に活性化されているのですから、 道徳心〃は自然に、 そして基礎学力〃などは、自分がその気になれば、 いつでも必要な時に、獲得できます。 |
「宮内庁や東宮食の間で躾が少し甘いのではないか、という疑問の声があったのも事実です」や「子育て経験のある宮内庁関係者たちも『あの場合、子供が泣いても言うことを聞かせるべきだったのでは……』と洩らしていました」の類は、「可愛がられ抱きしめられた子どもは、世界中の愛情を感じとることをおぼえる」を信じて愛子さまの教育に当たっておられる皇太子ご夫妻に誠に失礼な態度と存じます。
「子育て経験のある宮内庁関係者たちも・・・」と言うことですが、その方々がどのように御立派なお子様をお育てになったのでしょうか?
では、もう一度、岡本太郎氏の記述に戻りましょう。
近頃の青少年の暴力や、大人とのトラブルが残酷なイメージでしきりに報道され、それについての議論もさかんだ。それを聞いていて、ぼくはどうも納得できない。 親や教育者、評論家などの発言は、何か空しい。ナマ身に手ごたえのないように思われるからだ。 致命的なポイントは、子どもに対して一段上というか、別な立場に立って口をきいているということ。ぼくはいつも、子ども側に立って、腹が立つ。あれでは、どんなことを言っても無駄だ。 誰でも子どもだったことがあり、今も存在の底の底には子どもそのものの心が生きているはずなのに、ほとんどがそれを忘れてしまっている。思い出してみるがいい。七つか八つ頃から、もう大人なのだ。今の社会制度が「子ども」という枠にはめてしまって、人間的責任、誇り、人格を認めないから、そのズレに、いらだち、無力感、憤懣が生まれてくる。 親子、先生と生徒、当然立場の違いはある。親だから生活的面倒はみる。先生は教える。としても、しかし人間としてはまともに、向きあうべきだ。人間同士として。 でなければ尊敬も愛情も、一体感も生まれるはずがない。 |
ここに書かれた“人間としてはまともに、向きあうべきだ。人間同士として”と言う事は、今の母親達のように母娘が友達のような関係と言って、「真剣な議論」もなく、同じ服を着たりしてベタベタとじゃれ合っているのとは違うのです。
それでも、“近頃の青少年の暴力や、大人とのトラブルが残酷なイメージでしきりに報道され、それについての議論もさかんだ。それを聞いていて、ぼくはどうも納得できない”と岡本太郎氏は書かれていますが、私は、成人式などでグループを組んで壇上に駆け上がり乱暴狼藉を働く少年を弁護する気は毛頭ありません。
何か異議を感じたならば、ブループで暴れず、先ず、岡本太郎氏のように一人で行動すべきです。
(グループで殴り込みをかけるのは、ビートたけしの類です。
又、武器(こうもり傘といえども)を使っては、テロです。
尚、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』(フライデー襲撃事件)によりますと、今回、宮崎県知事に当選した「そのまんま東氏」に関して次のように記述されています。
「師匠が行くなら俺たちも」と愚直に、たけしと共にフライデースタッフに飛びかかる軍団を尻目に、そのまんま東は入り口付近でタバコを吸いながら傍観を決め込んでいた事実があった。・・・ |
もう一度、岡本太郎氏の“一人の人間として、本気でぼくの挑戦にこたえてくれた両親が、やはりえらかったという気がする”や“親子の愛なんて、そんな甘ったるいもんじゃない。真剣に生き合った者同士の愛なんだ”との記述を思い起こしてください。
愛子さまも、暫くすれば、岡本氏の記述の“七つか八つ頃から、もう大人なのだ”の「七つか八つ」になります。
そうすれば、日頃から、皇太子ご夫妻の愛情を一身に受けておられる愛子さまも、ご自身の心の成長をも遂げられ、先に記述されていた“昨年九月の大相撲観戦の時、愛子さまが頬杖をついているのに、両側に座っていらっしたご夫妻が愛子さまに笑顔で話しかけたりされていたのを見て、やはり不思議に思っておりました」”のような非難も自然に消滅すると存じます。
愛子さまに関しては、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には、次のように記述されています。
愛子 内親王(あいこ ないしんのう) |
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皇太子徳仁親王と同妃雅子夫妻の第1子・長女。今上天皇明仁には3人目の孫にあたる。称号は「敬宮(としのみや)」、お印はゴヨウツツジ。皇室典範に定める敬称は殿下。マスコミ等からは「愛子さま」と呼ばれている。 |
平成13年(2001年)12月1日、宮内庁病院で出生。12月7日、秋山虔、鎌田正、米山寅太郎の案を受けて、祖父の今上天皇が称号と名前を決定した。出典は『孟子』離婁章句下の「仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬ふ。人を愛する者は人恒に之を愛し、人を敬ふ者は人恒に之を敬ふ」(仁者愛人、有禮者敬人、愛人者人恒愛之、敬人者人恒敬之)に拠る。両親からは「愛ちゃん」と呼ばれ、自分自身も「愛ちゃん」と呼んでいる。 |
平成18年(2006年)現在の趣味は大相撲の観戦。力士の四股名だけでなく下の名前も覚えており、父の徳仁親王をして「とてもかなわない」と言わしめるほど。2006年9月10日、両国国技館にて両親と共に秋場所を観戦し、「夢じゃなかったのかしら」との感想を述べたという。 |
『孟子』の、「礼ある者は人を敬ふ」の「礼」とは、川嶋教授の唱える“我が子供を叱るときは、感情をいっぱい見せて怒らなきゃいけない”によって植え付けられる「道徳心」(私には、「犬の躾」に思えてなりません)ではない筈です。
「礼」とは、「犬の躾」の類ではなく、「他人を思い遣る心」なのだと存じます。 従って、「他人を思い遣る心」を持つ者は「人を敬ふ」のは当然と存じます。 |
先に抜粋したAERA(2007.2.5号)『皇太子夫妻「本当の仲」』には、次のような記述もありました。
皇太子さまは大の愛妻家である。03年、結婚10年を迎えて発表された文書で、こんな心情を吐露している。 「感謝したい点は、まず、雅子がそこにいてくれることです。雅子がいてくれるだけで心が明るくなるのを感じます」 公務についても、こんなコメントを残している。 「結婚当初私が(雅子さまから)学んだこととして丹念に資料に目を通すことが挙げられます。(中略)雅子の態度を見て改めて資科を読み直し、気付いた点もありましたし、自分のいい加減さに反省させられました」 |
雅子様は、精神を病んでおられるのにマスコミは好き勝手、云いたい放題に非難しています。
(そのようなマスコミの方々の神経が私には理解できません。)
その雅子様にこれほどに、暖かいお心使いをされる皇太子殿下を私は大変尊敬し大好きです。
なのに「闘う政治家」と汚い言葉を名乗り「美しい国へ」などと自国本位の「他人(他国)への思いやり」に欠ける標語を掲げる人物が我が国の首相に納まっているとは、なんと悲しい事でしょうか!?
私達日本人は、
「美しい国」を目指す前に、「美しい日本人」になるように努力すべきではありませんか!? |
(昨夜(2月3日)、朝日ニュースターの番組「噂のチャンネル」を見ていましたら、鈴木宗男代議士による、同様な発言が流されていました。
そのような発言を鈴木宗男氏がもっと早くから発していたら、安倍氏の前、否!小泉氏の前に鈴木氏が首相に就任していたかもしれません。
残念です。)
最後にもう一度、《岡本太郎氏に学ぼう(3)〈独自な人間像の魅力〉》にも掲げました岡本太郎氏の言葉を掲げます。
「日本人」は変身しなければならない。 政治家よ、エコノミストよ、官僚よ、もっと人間になってほしい。そして芸術家に。 |
そして、私達も、“もっと人間に、そして芸術家に”なろうではありませんか!?
では、又長くなりましたので《岡本太郎氏に学ぼう(5)》に続けさせて頂きます。
(補足:2007年2月13日)
「昨年九月の大相撲観戦の時、愛子さまが頬杖をついているのに、両側に座っていらっしたご夫妻が愛子さまに笑顔で話しかけたりされていたのを見て、やはり不思議に思っておりました」の件ですが、国技館の貴賓席は2階ですから土俵から愛子さまが大好きな相撲を観戦するには、身を乗り出して「頬杖をついている」状態にならざるを得ないでしょう。
そして、そんなにまで熱中して観戦した相撲ですから、「夢じゃなかったのかしら」の感想をもたれたのでしょう。
「頬杖」を非難する前に、愛子さまが大好きな相撲を間近(「砂被り席」、少なくとも「桟敷席」)で観戦出来るように配慮されるべきではないでしょうか?!
そして、「夢じゃなかったのかしら」との愛子さまの感想を裏切らないように(夢を悪夢にしないように)、相撲協会は「週刊現代」などが問題視している八百長相撲を根絶すべきでしょう。