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宮澤賢治 と 童話  そして私の朗読

1996年9月20〜28日  宇佐美 保

 

 

   私は、朗読に興味を持って以来(今年の5月から)、初めて宮沢賢治の作品に接し、その何編かを、テープに録音して来ました。

そして、多くの方が、宮澤賢治の残された、多くの童話等に対して、多くを説かれている文章を目にしましたが、私は、それらの多くに納得出来ません。

特に酷いのは、雑誌トリッパー1996年夏号に掲載された、劇作家北村想氏の「アスラからアスラへ」でした。

 

  それは、次のように始まって行きます。

  “なんだい、きみは生まれてから、100年にもなるのか。俺はきみのことを、ほとんど知りもしないくせに、きみの謎々にひっかかって、きみの作品を[演劇]という、最近ずいぶんと市民権を得たシロモノに仕立てあげ、またそのおかげできみのことをあちこちの雑誌や新聞に書かされたりしたけれど……”

   おまけに、『セロ弾きのゴーシュ』だ。ありゃいったい、なんの話なんだ。へたくそなセロ弾きが努力して成功をおさめる話というふうに、俗な評価はなされているけれど、そんな物語など、晩年のきみが瀕死の床で、推敲をするほどの作品であるわけがない。正直にいうと、俺は、あの作品が何を書いたものなのか、わからないことを内緒にしていたのだけれど、だから、芝居にしてみたら何かわかるかもしれないと、いつもながらの向こう見ずの無鉄砲で、舞台にしてみたのだけれど……”

    “じゃあ、カッコウや猫やたぬきやネズミは何のパラメータなのだ。この方程式を解くために、俺はきみを演劇スルことを続けてしまった。

ヤイ悪人。と俺は思わずきみのことをそう叫んで、おどろいてしまったが、善人なんてモノのどこに魅力という、核力(原子核をくっつけている力)よりも強い力があるものか。凡庸なる正気の時代が長くつづいているようにみえるし、きみは、彼らに聖人のようにいわれているが、俺はちがう。大悪党ほど魅力的な人間はいないのだ。きみの穿った小さな穴が、仏の毛孔の巨大さとなって、正当なる狂気の時代をみちびくことを予見している俺はマチガッテ居るだろうか。……”

    “もうひとつ、くやしまぎれにこう歌うことにする。

『月の夜にゴーシュの小屋を訪れしそはみな菩薩ときみは書きたり』

    返歌ヲヨコセ  ケンジ ドノ  キタムラ ソウ 拝”


で、終わってます。

 

  北村氏の、この書き出しから、氏は随分傲慢な人だなと思いました。

“権威”“巨大な存在”等に対して、“無条件に屈する事のない態度”が、最近芽生えて来ていますが、それは誠に結構な事です。

しかし、その態度は、“単なる傲慢”であってはならない筈です。

敬意を払うべき点には、素直に敬意を払う等、謙虚な態度が必要なのでは?

  しかし、北村氏は文中にも“大悪党ほど魅力的な人間はいないのだ”と書いているように、自ら“大悪党”を演じる事で、マスコミ、芝居の世界に踊り出ているのかもしれませんが

  でも、“こういう態度”こそ、賢治がもっとも嫌悪したのでは?

そして、“こういう態度”では、賢治の真意を感じる事が出来ないのでは?

1.『セロ弾きのゴーシュ』へ

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