宮澤賢治 と 童話 そして私の朗読 1996年9月20〜28日 宇佐美 保
1.『セロ弾きのゴーシュ』 |
北村氏は、“カッコウや猫やたぬきやネズミは何のパラメータなのだ”と悩まれてますが、賢治は、その作品の中にきちんと書いてます。
ゴーシュ達が練習していたのは、「第6交響曲」なのです、それは、当然ベートーヴェンの「第6交響曲 田園」です。
その曲中では、田園風景の部分で、カッコウ等、鳥の啼き声が、楽器で奏されるのです。
そして、賢治は、もっと親切に書いてくれてます。
楽長は、ゴーシュのセロの欠点を、次のように、はっきりと指摘しています。
イ.セロがおくれた。…… ロ.セロっ糸が合わない。困るなあ。ぼくはきみにドレミファを教えているひまはないんだがなあ。 ハ.表情ということがまるでできてない。怒るも喜ぶも感情というものがさっぱり出ないんだ。 ニ.それにどうしてもぴたっと外の楽器と合わないもなあ。いつでもきみだけとけた靴のひも引きずってみんなのあとをついてあるくようなんだ。 |
そして、これらゴーシュの欠点が、猫達との交流によって、無意識のうちに、改善されて行くのです。
a.三毛猫との交流
ゴーシュが三毛猫に怒りを感じ、何としても三毛猫を懲らしめてやろうとの一念で「インドの虎狩り」を一心に弾く事で、上記の欠点(ハ)が改善されて行きます。
b.カッコウとの交流
カッコウはゴーシュに「先生どうかドレミファを教えてください。わたしはついてうたいますから。」と頼みます。
このドレミファこそ、上記の(ロ)項に相当し、且つ、カッコウは、「わたしらのなかまならかっこうと一万云えば一万みんなちがうんです。」と同じ音符でも、演奏次第で、演奏者の気持ち次第で、如何様にも変化する事をゴーシュに身をもって伝えるのです。
c.狸の子との交流
狸の子の小太鼓に、面白がって合わせて弾く事で、当然、上記の(ニ)項(それと(イ)項も)が、改善されて行きます。
d.野ネズミとの交流
楽長に指摘された全ての欠点は、前述の三毛猫、カッコウ、狸の子との交流から、改善されて行くのですが、野ネズミとの交流では、音楽の力を、音楽の愛をも、感じて行くのです。
これだけでしたら、北村氏の指摘のように、“おまけに、『セロ弾きのゴーシュ』だ。ありゃいったい、なんの話なんだ。へたくそなセロ弾きが努力して成功をおさめる話というふうに、俗な評価はなされているけれど、そんな物語など、晩年のきみが瀕死の床で、推敲をするほどの作品であるわけがない。……”となってしまいますので、北村氏と、俗な評価をなさる方の為に、次なる点を書き加えなければなりません。
私が、『セロ弾きのゴーシュ』を読んで、一番感じるのは、賢治の“優しさ”です。
ゴーシュは勿論、楽員達(ゴーシュが失敗しても非難せず、成功の際、「よかったぜ。」と云う、又、ヴァイオリンの一番の人は「君だ、君だ。」とゴーシュを優しく舞台に送り出しています。)
それから、野ネズミの母親の子供への優しさです。
ゴーシュは、夜中の練習でクタクタな時に「……おれはいそがしいんじゃないか。それに眠いんだよ。」と言いつつ、自分の差し迫った第6交響曲の練習に到底役立つとは思えないサービスを、訪ねて来た動物達に、施すのです。
特にゴーシュの“優しさ”は、カッコウとの交流で顕著です。
“「黙れっ。いい気になって。このばか鳥め。出て行かんとむしって朝飯に食ってしまうぞ。」ゴーシュはどんと床をふみました。
するとかっこうはにわかにびっくりしたようにいきなり窓をめがけて飛び立ちました。そして硝子にはげしく頭をぶっつけてばたっと下へ落ちました。……
そしてまたガラスへ飛びつきそうにするのです。ゴーシュは思わず足を上げて窓をぱっとけりました。ガラスは二、三枚物すごい音して砕け窓はわくのまま外へ落ちました。そのがらんとなった窓のあとをかっこうが矢のように外へ飛びだしました。……」”
カッコウの為に、こんなにも、瞬間的に、我が家の窓を蹴破ってしまうゴーシュの優しさに私は吃驚仰天です、そして感激するのです。
更に、“「その晩遅くゴーシュは自分のうちへ帰って来ました。……
それから窓をあけていつかかっこうの飛んで行ったと思った遠くのそらをながめながら、「ああかっこう。あのときはすまなかったなあ。おれは怒ったんじゃなかったんだ。」と云いました。”と、作品を結んでいるのです。
若しもゴーシュに、この様な“優しさ”が無かったら、訪ねて来た動物達の言葉を解する事も、彼等との心、そして音楽の交流も無かったでしょう。
ですから、敢えて書き続けますと、北村氏の『月の夜にゴーシュの小屋を訪れしそはみな菩薩ときみは書きたり』との指摘は的を得ているのと思うのですが、但し、北村氏のように“俺はちがう。大悪党ほど魅力的な人間はいないのだ。”と、(自らを売らんが為に?)悪党ぶる方々には、動物達は、決して菩薩とはならず、動物達の儘だったでしょう。
(そして、この動物達は、若しかしたら、ゴーシュが一心に弾く「セロの音に感じ」ゴーシュの家を訪れた、観世音菩薩だったかも知れません。)
だからこそ、賢治は、この作品を「瀕死の床で、推敲」し続けたのでしょう。
そして後述しますが、この作品は「雨ニモマケズ」と“双子の兄弟”です。