こんな事でよいのでしょうか? 我が歌の世界



藤山一郎と古賀政男そして森進一

2004330

宇佐美 保

(文中、敬称は略させて頂きます)

 

古賀政男の数々の名曲は、藤山一郎の歌唱によって私達の貴重な財産となっています。

しかし、国民栄誉賞を受賞されたこの二人の関係が何処かギクシャクしているように、私は、常々(二人の生存中)感じていました。

 

 そんな私は、CD販売などを行っている叶V星堂が発行している情報誌「ミュージックタウン195号」に、同社の港北東急店の鈴木伸男氏が書かれている次の記述を見て、“ああ、成る程そういう事だったのだ!”と納得しました。

 

「藤山さん、古賀政男・服部良一・古関祐而この3人の作曲家のうち、誰が一番好きですか?」

 無謀とも思えるこの質問に対する藤山一郎さんの第一声は作曲家?作曲家というのはコンポーザーだろ。和声の基礎をふまえ、オーケストレーションまで含めた曲づくりをするのがコンポーザー。古賀さんはメロディ・メーカーであって、コンポーザーじゃないぞ。」このあとはややこしい話になったので割愛させていただく。……

 

なにしろ、藤山一郎は東京音楽学校(現芸大)で、いわゆる正規の音楽教育を受け、そこで獲得した発声法を誇りにしていたのですから。

一方、古賀政男は明治大学在学中にマンドリン倶楽部創設に力を注ぎ、在学中に『影を慕いて』を作曲したとはいえ、いわゆる正規の音楽教育を受けて居ないのです。

 

私は、この日本に於ける「正規の教育(学歴)偏重主義」の風潮を苦々しく思い続けております。

長年、半導体分野でのエンジニアに従事していた私の体験からは、学歴と仕事に対する能力との相関関係を認めることは出来ませんでした。

 

 最近では、学歴偏重主義はだんだんその影響力を弱めてきてはいますが、藤山一郎の登場時には、流行歌の世界での「東京音楽学校(現芸大)」の御威光は、水戸黄門の印籠以上の効果であったのかもしれませんが?

 

 確かに、藤山一郎のクルーン唱法は立派です。

ご参考の為に、このクルーン唱法に関して少し記述致します。

クローン唱法とは一般的には、1931年以降、ソロ歌手として,ラジオ放送とレコードで不況時代のアメリカ人の心を掴み、42年に録音した《ホワイト・クリスマス》は世界で最大の売上げ枚数を記録したアメリカのポピュラー音楽の歴史に最大の足跡を残したビング・クロスビー(BING CROSBY)に代表される唱法と云われています。

 

そして、藤山一郎の学んだ音楽学校の世界では、メッツァボーチェ(Mezza voce)と云われる唱法となるのでしょう。

この唱法の素晴らしい例は、デル・モナコ先生の前の世代の大テノール歌手ベニアミーノ・ジーリの歌唱に聞くことが出来ます。

私は、古いレコード(ベスト・オブ・ジーリ:東芝AB-8083)を持っています。

このB面の第3曲目の“耳に残る君が歌声”を、ジーリは見事なメッツァボーチェで私を魅了してくれます。

 

 更に、より一般的な話し声に例をとれば、森本レオの声に聞かれると思います。

 

 そして、このクルーン唱法は、喉には絶対力を入れません。

(力が入った途端に破綻を来します。)

従って、長時間、聞いていても聞き手が疲れることはありません。

 

 そして、又、藤山一郎同様に、いわゆるクラッシックの発声を学んだ流行歌手として東海林太郎の名を忘れることは出来ないでしょう。

 

 そして、又、東海林太郎も又クルーン唱法で歌っています。

クルーン唱法は、喉には絶対力を入れません」と申しましても、下腹の力は絶対に必要です。

(一聴するとヒョロヒョウロ声の森本レオでも、テレビのワイド・ショーなどの情報から察しますと、公私にわたり下腹には充分力が入っているようです。)

 

 ですから、『男の生き方四十選 上(城山三郎編 文春文庫)』の中で、東海林太郎は、“今の歌手はみんな落第”と語っていますが、その中に次の記述があります。

 

 だいたい、今の人は「チェスト・プレス(胸式呼吸)」で歌ってますね、だから声が固い、地声ですわ。……

あの「アーアーツ」って、はじめから声をふるわしたりして。あれでは動物園のライオンの檻の中におった方がもっといい声が聞けるな。「オーツ」と吠えてね。

 やたらバイブレーションをとってくる歌手も出て来ましたね。だいたいわたしはああいう歌は聞かない。変なことをいうようだが頭が悪くなるから。……

 

 (私は、バイブレーション云々などよりも、歌詞に描かれている世界がせせこましく、スケールが小さいのが不満です。)

 

 そして、更には次の記述があります。

 

 ポリドールの専属になったのが、昭和八年の十二月二十八日。その日に「これはあんたが正月八日にやる吹き込み初めの曲だ」と渡されたのが、『赤城の子守歌』でした。

……楽譜を頂いて帰ろうとすると、辻順治先生、奥田良ちゃんの岳父で、吹き込みをする人が、

「ちょっと、ションツァン、これは男の泣く歌だと思うがな、泣き方にもいろいろあるからね」って変なことを言うんです。秋田の訛りでね。

 だから帰ってから、正月休み中その泣き方の研究をした。その当時、先輩からは、マイクロフォンの前でささやくように静かに歌うと、泣くように聞えると教えられてたんだ。ところがこれじゃ男の泣き方が出ないのです。そこでわたしは、マイクから三尺も離れて、まさに絶叫したんだ。これは当時のビクターのオペラなどを吹き込んだ″赤盤″の歌い方。これでないと男泣きの感じは出ない。……

 

 残念ながら、私はこの東海林太郎が「オペラなどを吹き込んだ……歌い方」という『赤城の子守歌』のSPはもとより、その復刻版も持っていません。

(只、後年吹き込まれたCDでこの曲を聴きますと、「オペラなどを吹き込んだ……歌い方」という感じは受けません。)

 

 でも、不思議ですよね。

東海林太郎(藤山一郎も)『赤城の子守歌』だけでなく、他の曲も「オペラなどを吹き込んだ……歌い方」で吹き込んで欲しかったものです。

 

 そして、何よりも可笑しいのは、“わたしは、マイクから三尺も離れて、まさに絶叫したんだ。これは当時のビクターのオペラなどを吹き込んだ″赤盤″の歌い方”と、日頃歌う流行歌の唱法とオペラの唱法を区分けしていることです。

ジーリだって誰だってオペラ歌手は、殊更「メッツァボーチェ」を特別扱いしてはいません、必要と感じた際に、その唱法で自然に歌っているだけです。

 

 なのに、東海林太郎も藤山一郎も彼等が正規に学んだというクラシックの唱法で、何故流行歌を歌わなかったのでしょうか?

 

 失礼ながら、お二方とも彼等のいわゆるクラシック唱法が不完全だったからだと思います。

お二方とも、ご自身の口で“自分はバリトンだ”と語っていました。

でも、私は、お二方ともイタリア人が云う「怠け者のテノール」だと思います。
(藤山一郎は、「キャンプ小唄」「東京ラプソディ」「丘を越えて」などテノールそのものの感じで、実に軽快に歌っています。
しかし、曲によって、低い音では時折汚い声が耳障りになります。)

 

イタリアのテノールは必ず5線の(ファとかソの音の上からの)上の音は、それ以下の音と違ってアクート(acuto)という発声方法に自然に切り替わるのです。

このアクートをお二方がマスターしていたら、立派なテノールの歌声を残していたのではないでしょうか?

でも、このお二方はこのアクートが出来なかったのでしょう。

否!多分当時はドイツ的発声方法が主流で、この様なアクートのテクニックを全くご存じなかったのではないでしょうか?

 

 このドイツ的発声に縛られていた東海林太郎は、“わたしは、マイクから三尺も離れて、まさに絶叫したんだ。これは当時のビクターのオペラなどを吹き込んだ″赤盤″の歌い方”の言葉通りにオペラの歌を、“絶叫し”て歌っていたのだと思います。

 

 なにしろ、お二方がイタリア的発声をマスターしていたら、クルーン唱法(メッツァボーチェ)といわゆる地声部分とはスムーズに繋がります。

(私は、ビング・クロスビーのLPレコード(VOLUME3  DL 6010)を持っていますが、クロスビーは低音部を綺麗な地声で歌い、高音部をクルーン唱法で歌ったりしています。)

 

 でも、藤山一郎には(私の持っているCD「SP盤復刻による懐かしのメロディ 藤山一郎 影を慕いて」を聞く限り)この様な変化に富む歌を聞くことは出来ません。

高齢となった東海林太郎の録音したCD(昭和を飾った名歌手達8 東海林太郎)は、クルーン唱法部分は流石!と思うのですが、低音部は、とても汚いガナリ声的な地声で歌っています。

(ですから、耳障りで、聞いていると大変疲れます。)

 

 悲しいことに、未だに日本の声楽界(?)は、この状態を引きずっているようです。

2003823日の朝日新聞には、「ベルサイユのばら」等で有名な劇画家・声楽家池田理代子さん95年、東京音大声楽科に入学)は、次のように述べています。

 

 20年ぐらい前、子どもたちの音楽の教科書から、美しい日本語の歌が消えているという新聞記事を読んで、それなら、そういう歌を私が歌えば、漫画を読んでくれている子どもたちが聞いてくれるかなあと思ったの。それから正式に習い始めて、とうとう、47歳で音大に入ることになってしまった。

 先月、やっと古き良き日本の唱歌や童謡のCDを出しました。でもまだまだ日本語の歌は難しい。

西洋式の発声方法と、日本語という言語はあっていないからですね。それに、唱歌はソプラノの音域よりずっと低いでしょう

 

 可笑しいですよね。

私達、理工学部を出ただけの人間が科学者だとか、エンジニアだとかは名乗れません。

しかし、音楽大学出ると、声楽家という肩書きが付いてしまう用です。

そして、平気で“西洋式の発声方法と、日本語という言語はあっていない”とか、“唱歌はソプラノの音域よりずっと低い”からまだまだ日本語の歌は難しい“とのたまわるのですから。
 それに、藤山一郎も、その共演者の双葉あき子、奈良光枝、安藤まり子も綺麗な日本語で歌っているというのに!
 可笑しいですよね!

(私は、流行歌のデモCDを録音する時(《私のデモCDについて》等を御参照下さい)には、カラオケの伴奏をわざわざテノールの音域に音を上げています。

そして、自然に話すように歌えるように自分の声を鍛えています。)

 

 古賀政男は、自分に対して、以下のの見解(前掲しました)を持つ藤山一郎に自分の歌を託したくないと思っていたはずです。

 

作曲家?作曲家というのはコンポーザーだろ。和声の基礎をふまえ、オーケストレーションまで含めた曲づくりをするのがコンポーザー。古賀さんはメロディ・メーカーであって、コンポーザーじゃないぞ。」

 

私は、古賀政男の歌を歌う時に、和声がどうの、オーケストレーションがどうの等考えたことはありません。

メロディを愛しているのです。

誰にも書けないメロディを書く事だけで偉大な作曲家ではありませんか!

私は、イタリアの作曲家ベッリーニ(180135)の魅惑的なメロディに溢れたオペラが大好きです。

和声だのオーケストレーションだの大家でもあったベートーヴェンも彼のメロディに憧れていたと、何かの本で読んだ記憶もあります。

和声だのオーケストレーションだのは、音大を出れば誰でも一通りはこなせるのではありませんか!?

 

 余談でありますが、今は亡き世界的な指揮者で、又、ミュージカル『ウェストサイド・ストリート』等の作曲家、レナード・バーンステインの次の言葉を思い出すのです。

 

 作曲していて困るのは、何か良いメロディが浮かんだと思うと、それは過去の作曲家の作品であることが多いことだ。

 
 更には、文末の(補足:2):(2004.4.7)“メロディーこそは音楽の本質なんだ”(モーツァルト)を御参照下さい。


 古賀政男の方こそが、藤山一郎に対して、次のような不満をかかえていた筈です。

 

“声楽のプロ(専門家)と云うなら、クルーン唱法だけでなく、もっと生々しい声、ドスのきいた声でも歌ってくれ!”

 

ところが、私の持っているCDの解説には、藤山一郎の歌に対する信念が次のように書かれています。

 

これは本人が今までにあちこちで語り、書いて来たように「プロは正式に声楽を習い、明瞭に行儀よく自然に歌うべきだ」という信念にもとづいて歌って来た……

 

 確かに私の手持ちのCDからは、藤山一郎の信念通りの歌を聞くことが出来ます。

そして、私の気持ちを和ましてくれます。
しかし、彼が描き出してくれる歌の世界に関しては、欲求不満に陥ります

 更には、「SP原盤再録による東海林太郎ヒット・アルバム」も然りです。

 

 でも、私の好きなCDは、「古賀メロディーを唄う 森進一」です。

森進一の話し声は、喉がつぶれてしまって声になっていません。

でも、このつぶれた喉から声を出す工夫の過程で、彼独自のクルーン唱法を獲得して見事な歌声を聞かせてくれるのです。

 

 先に掲げた本の中で、東海林太郎は次のようにも語っています。

 

 これはいつも思うことなんだけど、歌の深さと愛情の深さにはきりがありませんね。

歌って「これが最高だ」なんて、うぬぼれちゃいかん。歌は途方もなく深く広い世界をもっていて人間の成長につれて、肥っていくものだ美声が衰えても、内容が変ってくる。別にわたしの弁解をするんじゃありませんがね。

 

 前掲の老齢となって吹き込んだと思われる東海林太郎のCDからは、この東海林太郎の言葉を実感することは出来ません。

それよりも森進一の歌に東海林太郎の言葉を感じます。

 

何年も前、古賀政男の「人生の並木道」を森進一が吹き込んでいる模様を、テレビが紹介されていました。

(残念ながら、記憶力が薄れ細かい点を忘れてしまいました。)

吹き込み後、森進一の歌に感激した古賀政男は(森進一も、そして、テレビを見ていた私も)涙していました

古賀政男は、(その最晩年に)森進一という歌手に出会えて、最高の幸せを獲得したのではないでしょうか!?

 

 私は、森進一の歌にマリア・カラスを感じます。

私の手持ちのレーザー・ディスク『マリア・カラス伝説の東京コンサート』の解説書に、輪嶋東太郎氏による次の記述があります。

 

 彼女と多くの舞台を共にしたあるバス歌手は「耳障りな声質だった。でも彼女が歌い出して1分もするとカラスの声は聴こえなくなり、その代わりに聴こえてきたのは天の声だった。一緒に舞台にいると涙が止まらなくて困ったものだったよ」と回顧していた。汚い声が、天の声になり得たのはなぜであろう。

 

 演奏家としての彼女の生涯を貫いたのは作曲家に対する絶対的奉仕であったといわれる。彼女は作曲家について「作曲家は天才です。私たちは彼らに仕える下僕でしかないのです」と語ると同時に、「私たち歌手は曲全体の中で作曲家の筆が鈍った個所がないかを注意深く見守り、もしそれを発見したときには、どのようにその個所をカバーしてその作曲家が実際に聴衆に伝えたかったと思われるものを適切に表現できるかを考えなければいけない」とも述べている。

……

 実際に彼女は録音編集の際、「自分の声を収めた複数の音源サンプルの中で、耳に心地よく響くものと、そうでなくとも作曲家が伝えようとする感情をより的確に表すものとでは“一瞬の躊躇もなく”前者を捨てた。彼女にとってどんなに耳に美しく響く音でもそれ自体には何の意味も持たなかった。(EMIプロデューサー ミシェル・グロツツ談)」という。

……

 厳しい美意識を持ったカラスにとって美しい声、美しい音楽とはそういうものだったのである。彼女の最大関心事は、自分をどう見せるかというよりも作曲家がそれを望むかどうかであったのだ。演奏家としては一見当たり前のことのように思われるこのことを、カラスほど誠心誠意実践し尽くした人が、一体どれだけいるだろう。

 彼女にとっては、作曲家は絶対的な神であり、心から愛する恋人のような存在であったに違いない。

そして彼女は自分自身のことよりも常にその恋人の想いを優先させ、決してその人を裏切ろうとはしなかった。

 

 私は、この様なマリア・カラスの態度、そして森進一の態度が大好きです。

 更に、付け加えさせて頂くなら(皆様は不遜と感じられましょうが)、古賀政男がもっと長生きされて、私に出あえたら、お互いにもっともっと幸せだったろうなあと、思っているのです。
私は、そう思っていただけるようにこれまで努力してきましたし、今も努力を続けています。
(《私のデモCDについて》に於ける「日本の歌」を御参照下さい)
 

(補足:1

 この件はあくまでも、私が古賀政男の立場だとしたらの話です。

どんな曲でも歌いこなせる声を持っていた美空ひばりを古賀政男はどう評価していたのでしょうか?

多分それ程評価されてはいなかったと思います。

その理由は、『悲しい酒』に在ります。

確かに、一度埋もれてしまっていたこの曲を世に名曲として認知させた功績はあります。

 

 しかし、美空ひばりは、この曲の1番と2番との間の間奏が長すぎると云って、その間に美空ひばりが口にする台詞を作詞家に要求したとのことです。

 

 古賀政男としたら、曲の中に自分の思いを全て注ぎ込んでいたはずです。

(若し、台詞が必要だと彼が思っていたら最初から彼自身が挿入していたでしょう。)

先ほど引用させて頂いた作曲家に対する、マリア・カラスの思いと美空ひばりの行動は、全く正反対です。

 

 森進一のCDにある『悲しい酒』には、美空ひばりが依頼した台詞は挿入されていません。

そして、その台詞がない方がすっきりしています。

(但し、台詞の言葉が、女言葉である関係もありましょうが。)

 

(補足:2):(2004.4.7)

メロディーこそは音楽の本質なんだ”(モーツァルト

反音楽史(石井宏著、新潮社発行)よりの抜粋

 

 マイケル・オ・ケリーという作曲家(楽長)志望のイギリスの青年がいて、ウィーンの宮廷オペラでテノール歌手として働いていた。彼は一七八六年のモーツァルトのオペラ《フィガロの結婚》の初演に際してバジーリオの役を歌ったが、モーツァルトを心から尊敬していて、その家に入り浸って遊びのパートナーを務めていた。……

その彼が対位法の勉強について、モーツァルトとの間に次のような会話を交わしたことが彼の『回想録』の中に語られている。

 

 私はいくつかの小型のアリアを試作して彼(モーツァルト)に見せたところ、彼は喜んで賞めてくれた。そこで私はいよいよ対位法の勉強に乗り出すことにした。すると彼は言った

 「きみがぼくの忠告を求めるのなら、はっきり言わせてもらうけれど……もしきみがナーポリに行って作曲を習うとすれば、そしてほかのことに目もくれないとすれば、たぶん、きみはうまくやっていけるだろう。しかし、きみの関心があるのは舞台の仕事だろう。とすれば(対位法のような)無味乾燥な勉強を始めるのは賢明な方策とはいえない。信じてもらいたいが、きみはメロディーを書く天分に恵まれているだから(対位法を習うことは)きみにとって妨げとなる以外の何ものでもないだろう。考えてごらん。『生兵法は大ケガのもと』と言うだろう。

 きみの作曲したものにかりに誤りがあるとする。この世にはその誤りを見つけたり直したりする以外には能のない音楽家は無数にいる。とすれば、きみの折角の天分の妨げとなる勉強をする必要はないよ。メロディーこそは音楽の本質なんだ。メロディーを書ける人は、たとえていえば、競走用の名馬。ところが対位法なんてただの駄馬だ。それがわかったらほうっておくことだ。イタリアの諺にこういうのがある。『たくさん知っている者はほとんど知らない者だ』。この偉大な人物に教えられたことは永く私の頭から離れなかった。

 

 モーツァルトはマルティーニ神父について対位法を学び免許皆伝となっている。そのモーッアルトにしてこの言ありなのである。

こんな事でよいのでしょうか? 我が歌の世界