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幣原総理の平和への願い

201638

宇佐美 保

 「平和アレルギー」お方も居られましょうから、
先ずは先に拙文《
ケネディ大統領の話し合いによる平和(3》にも引用させて頂いた
アメリカン大学での有名な演説の一部を再掲いたします。

 

 

 

あまりにも無知がはびこり、真実が理解されていない。

世界で最も重要なテーマは「平和」です

 

我々はどんな平和を求めているか?

アメリカの兵器がもたらすアメリカ支配による平和ではありません。

 

 墓場の平穏でもなければ、奴隷の安全でもないのです。

私が言いたいのは、「真の平和」

価値ある生活を実現する平和です。

 

 戦争に絶望し、平和到来を願う思慮深い市民一人一人が、
平和の可能性、ソ連冷戦の経緯、
自国の自由と平和に対する自分の態度を見つめなおすことから始めるべきです。

 

 先ず、平和に対する態度です。

多くの人が平和の実現は不可能だと考えています

それは危険な敗者の考えです

そこから導かれるのは、戦争は避けがたく、
人類は破滅する運命にあり、我々は力に支配されるという結論です。

 

 しかし、人間が生み出した問題は、人間の手で解決できるのです

 

 このケネディの言葉をはっきりと頭に刻み込んで頂きつつ、

幣原喜重郎総理(当時)の平和への思いを

お読み頂きたく存じます。

 

 “平和に対する態度です。

多くの人が平和の実現は不可能だと考えています

それは危険な敗者の考えです。”

 

 

 

 

『幣原先生から聴取した戦争放棄条項等の生まれた事情について 平野三郎氏記』との
貴重な資料は、『
みんなの知識 ちょっと便利帳

 

をクリックすると、その全文を目にすることが出来ます。

その一部をここに抜粋掲載させて頂きます。

(抜粋といっても少し長いので、色付き文字部を拾い読みしてみて下さい。

 

 

 

 

はしがき

 

 この資料は、元衆議院議員平野三郎氏が、故幣原喜重郎氏から聴取した、
戦争放棄条項等の生まれた事情を記したものを、当調査会事務局において印刷に付したものである。

  ……

 

  昭和三十九年二月           

 

憲法調査会事務局

 

 

  第一部

 

 私が幣原先生から憲法についてのお話を伺ったのは、昭和二十六年二月下旬である。
同年三月十日、先生が急逝される旬日ほど前のことであった。
場所は世田谷区岡本町の幣原邸であり、時間は二時間ぐらいであった。……

 

 

問  ……実は憲法のことですが、私には第九条の意味がよく分りません。
あれは現在占領下の暫定的な規定ですか、それなら了解できますが、
そうすると何れ独立の暁には当然憲法の再改正をすることになる訳ですか

 

答  いや、そうではない。あれは一時的なものではなく、
長い間僕が考えた末の最終的な結論
というようなものだ。

 

 

問  そうしますと……軍隊のない丸裸のところへ敵が攻めてきたら、どうするという訳なのですか。

 

答  それは死中に活だよ。一口に言えばそういうことになる。……

たしかに今までの常識ではこれはおかしいことだ。
しかし原子爆弾というものが出来た以上、
世界の事情は根本的に変わって終ったと僕は思う。

何故ならこの兵器は今後更に幾十倍幾百倍と発達するだろうからだ。
恐らく次の戦争は短時間のうちに交戦国の大小都市が悉く灰燼に帰して終うことになるだろう。

そうなれば世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。
そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証になる。

 

問  しかし日本だけがやめても仕様がないのではありませんか。

 

答  そうだ。世界中がやめなければ,ほんとうの平和は実現できない。
しかし実際問題として世界中が武器を持たないという真空状態を考えることはできない

 

  ……僕は世界は結局一つにならなければならないと思う。
つまり世界政府だ。世界政府と言っても、
凡ての国がその主権を捨てて一つの政府の傘下に集るようなことは空想だろう。
だが何らかの形に於ける世界の連合方式というものが絶対に必要になる。
……二個以上の武力が存在し、その間に争いが発生する場合、一応は平和的交渉が行われるが、
交渉の背後に武力が控えている以上、結局は武力が行使されるか、
少なくとも武力が威嚇手段として行使される。

したがって勝利を得んがためには、武力を強化しなければならなくなり、
かくて二個以上の武力間には無限の軍拡競争が展開され遂に武力衝突を引き起こす。
すなわち戦争をなくするための基本的条件は武力の統一であって


例えば或る協定の下で軍縮が達成され、
その協定を有効ならしむるために必要な国々か進んで且つ誠意をもってそれに参加している状態、
この条件の下で各国の軍備が国内治安を保つに必要な警察力の程度にまで縮小され、
国際的に管理された武力が存在し、
それに反対して結束するかもしれない如何なる武力の組み合せよりも強力である、というような世界である

 

  そういう世界は歴史上存在している。ローマ帝国などもそうであったが
、何より記録的な世界政府を作った者は日本である。
徳川家康が開いた三百年の単一政府がそれである。
この例は平和を維持する唯一の手段が武力の統一であることを示している

 

  要するに世界平和を可能にする姿は、
何らかの国際的機関がやがて世界同盟とでも言うべきものに発展し、
その同盟が国際的に統一された武力を所有して世界警察としての行為を行う外はない。
このことは理論的には昔から分かっていたことであるが、今まではやれなかった。
しかし原子爆弾というものが出現した以上、
いよいよこの理論を現実に移す秋がきたと僕は信じた訳だ

 

問 ……日本のような敗戦国がそんな偉そうなことを言ってみたところでどうにもならぬのではないですか。

 

答  ……君の言う通り、正にそうだ。しかし負けた日本だからこそ出来ることなのだ

 

  恐らく世界にはもう大戦争はあるまい。
勿論、戦争の危険は今後むしろ増大すると思われるが、
原子爆弾という異常に発達した武器が、戦争そのものを抑制するからである

第二次大戦が人類が全滅を避けて戦うことのできた最後の機会になると僕は思う。
如何に各国がその権利の発展を理想として叫び合ったところで、
第三次世界大戦が相互の破滅を意味するならば、
いかなる理想主義も人類の生存には優先しないことを各国とも理解するからである。

……

 

  そこで軍縮は可能か、どのようにして軍縮をするかということだが、
僕は軍縮の困難さを身をもって体験してきた。世の中に軍縮ほど難しいものはない
。……
軍縮交渉とは形を変えた戦争である
平和の名をもってする別個の戦争であって、
円滑な合意に達する可能性などは初めからないものなのだ。……

 

  要するに軍縮は不可能である。……

  一、二、三の掛声もろとも凡ての国が兵器を海に投ずるならば、忽ち軍縮は完成するだろう。
勿論不可能である。それが不可能なら不可能なのだ。

 

  ここまで考えを進めてきた時に、第九条というものが思い浮かんだのである。
そうだ。もし誰かが自発的に武器を捨てるとしたら

 

 最初それは脳裏をかすめたひらめきのようなものだった。
次の瞬間、直ぐ僕は思い直した。
自分は何を考えようとしているのだ。相手はピストルをもっている。
その前に裸のからだをさらそうと言う。
何と言う馬鹿げたことだ。恐ろしいことだ。
自分はどうかしたのではないか。若しこんなことを人前で言ったら、
幣原は気が狂ったと言われるだろう。正に狂気の沙汰である。

 

  ……何のために戦争に反対し、何のために命を賭けて平和を守ろうとしてきたのか。
今だ。今こそ平和だ。今こそ平和のために起つ秋ではないか。

そのために生きてきたのではなかったか。そして僕は平和の鍵を握っていたのだ。
何か僕は天命をさずかったような気がしていた。

 

  非武装宣言ということは、従来の観念からすれば全く狂気の沙汰である。
だが今では正気の沙汰とは何かということである。
武装宣言が正気の沙汰か。
それこそ狂気の沙汰だという結論は
、考えに考え抜いた結果もう出ている。

 

  要するに世界は今一人の狂人を必要としているということである。
何人かが自ら買って出て狂人とならない限り、
世界は軍拡競争の蟻地獄から抜け出すことができないのである。
これは素晴らしい狂人である。

世界史の扉を開く狂人である。

その歴史的使命を日本が果たすのだ

……僕は第九条によって日本民族は依然として神の民族だと思う。
何故なら武力は神でなくなったからである。
神でないばかりか、原子爆弾という武力は悪魔である。
日本人はその悪魔を投げ捨てることに依て再び神の民族になるのだ。
すなわち日本はこの神の声を世界に宣言するのだ。それが歴史の大道である。
悠々とこの大道を行けばよい。死中に活というのはその意味である。

……

  この考えは僕だけではなかったが、国体に触れることだから、
仮にも日本側からこんなことを口にすることは出来なかった。
憲法は押しつけられたという形をとった訳であるが、
当時の実情としてそういう形でなかったら実際に出来ることではなかった

 

  そこで僕はマッカーサーに進言し、命令として出して貰うように決心したのだが、
……マッカーサーは非常に困った立場にいたが、
僕の案は元帥の立場を打開するものだから、渡りに舟というか、話はうまく行った訳だ。
しかし第九条の永久的な規定ということには彼も驚ろいていたようであった
僕としても軍人である彼が直ぐには賛成しまいと思ったので、
その意味のことを初めに言ったが、
賢明な元帥は最後には非常に理解して感激した面持ちで僕に握手した程であった。

 

  元帥が躊躇した大きな理由は、アメリカの戦略に対する将来の考慮と、
共産主義者に対する影響の二点であった
。それについて僕は言った。

 

  日米親善は必ずしも軍事一体化ではない。
日本がアメリカの尖兵となることが果たしてアメリカのためであろうか。
原子爆弾はやがて他国にも波及するだろう。
次の戦争は想像に絶する。世界は亡びるかも知れない。

世界が亡びればアメリカも亡びる。
問題は今やアメリカでもロシアでも日本でもない。
問題は世界である。いかにして世界の運命を切り拓くかである。
日本がアメリカと全く同じものになったら誰が世界の運命を切り拓くか

 

  好むと好まざるにかかわらず、世界は一つの世界に向って進む外はない。
来るべき戦争の終着駅は破滅的悲劇でしかないからである。
その悲劇を救う唯一の手段は軍縮であるが、
ほとんど不可能とも言うべき軍縮を可能にする突破口は
自発的戦争放棄国の出現を期待する以外ないであろう。

同時にそのような戦争放棄国の出現も亦ほとんど空想に近いが、
幸か不幸か、日本は今その役割を果たし得る位置にある。
歴史の偶然はたまたま日本に世界史的任務を受け持つ機会を与えたのである。

貴下さえ賛成するなら、現段階に於ける日本の戦争放棄は、
対外的にも対内的にも承認される可能性がある。
歴史のこの偶然を今こそ利用する秋である。
そして日本をして自主的に行動させることが世界を救い、
したがってアメリカをも救う唯一つの道ではないか。……

 

 

 

無刀流

米国人とは異なり、武器を持たない日本人

誠に日本的な「平和憲法」ではありませんか!

なのに「憲法調査会」に於ける改憲派諸氏の発言は聞くに堪えません。

例えば、早稲田大学教授の吉村正氏の発言は次のようです。

 

 

 たとえ内容がいいものであっても、我が国が完全な独立を回復した今日、
我々の手で作り直すのは当然の要求だ

 

 

 

 幣原氏の”あれは一時的なものではなく、長い間僕が考えた末の最終的な結論


とのご発言内容をお読みになったのでしょうか!?

 

 又、公職追放組である広瀬久忠参議院議員の発言を掲げます。

 

 

 現行憲法の平和主義は非常に高い理想であるが、
それは理想倒れであって、実際の政治には合致しない

 

 

 更には、改憲派の潮田江次氏(政治学者)は次の発言です。

 

 

 アメリカのハイスクールの作文だと申しましたが、
みっともない前文なので是非変えて頂きたい。

 

 

 

 この件に関しては、一人で舞台を務める芸人の松元ヒロ氏は、「憲法くん」との演目中
憲法の前文を、一字一句、声を上げて謳い上げ、人々に感動を与えてくれます。

何処が「みっともない前文」なのでしょうか!?

 

更には、

 「私は日本国憲法。みなさんの理想だったじゃないですか
理想をどんどん現実に合わせて引き下げちゃっていいんですか?」―。

(但し、このYou Tubeでは、ここの部分はカットされております)

と、舞台から訴えておられました。

 

 高く掲げた理想に向かって日々努力するのが、私達の人生ではないのでしょうか!?

(もう一度、ケネディの演説を思い起こしてください)

 

 

 ところが、改憲派の聞くに堪えない発言の中で、評論家の坂口志保氏のご発言は、実にご立派でした。

 

 

 

戦争と敗戦の責任を負う私たちが
何を好んでもう一度大きな危険を冒して憲法改正をやる意味が分からない

私達はもう少し謙虚であっていい、

今になって戦争も敗戦の責任も自分たちにないようなことを言う。

そして、将来の世代の為に、憲法改正が自分たちの使命だと聞かされると、
私は非常に強い憤りを感じる。

 そういう人たちが何故あの戦争を止めることが出来なかったのか?

 

 

 この坂口氏の問いかけに、改憲論者(公職追放組)は真摯に答えるべきです。

 

 更に、今回憲法調査会の音声データを発見したジャーナリストの鈴木昭典さんの言葉は次のようです。

 

 

 

16歳の時、新聞で新憲法について知った。

当時の一面に、象徴天皇、主権在民、戦争放棄、いわゆる3原則が踊っていた。

当時の国民にとっては、すごい贈り物だし、励みにもなった。

憲法調査会では新しい時代が始まっているんだという感覚がほとんどない人がしゃべっている

 

 

 アベ氏は、この「幣原総理のご見解」などを御存じなのでしょうか?

御承知の上で、改憲を口にするとしたらアベ氏
(又、類は友を呼ぶの喩えのごとく、アベ氏の周辺に集まっている方々)は、
「軍産複合体」の操り人形と判断されて然るべきです。

 

 私は、幣原総理の「平和憲法」は、「奇跡の憲法」と認識し、
拙文《
平和憲法は奇跡の憲法》を掲げましたのでご参照頂けましたら幸いです。


 

 

(追記)

フリー百科事典ウィキペディアで「平野三郎」を検索しますと、

……思想家の内田樹は元女婿

の文言を見ます。

 

だとしましたら、内田氏は、今でも多くのご見解を発信されておられるのですから、
「平和憲法」の成り立ちを、誰よりも早く発信されておられて当然
と思えてならないのですが?

 



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