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アベ氏の急務は拉致問題の解決だった筈です

2015103

宇佐美 保

 多くの方々が、「戦争法案反対」、「アベ政権を許さない」とのプラカードを掲げデモが国会を取り巻き、多くの憲法学者が憲法違反と訴えようが、「アベ政権」は、これらの反対運動を全て無視した異常現象が発生しました。

 

 しかし、この件は初めから、異常でした。

なにしろ、「集団的自衛権」の行使容認の例として、日本人母子を載せた米艦のイラストまで掲げて「邦人輸送の米艦防護」の必要性を訴えたのですから。

 

 そして、この瞬間に、何故の多くの方々は、異議を唱えなかったのでしょうか!?

(「アベ政権」の広報誌化となった新聞や、広報放送化したテレビ等は論外として!)

 

 何しろ、『衆議院議員 安倍晋三 公式サイト』の「基本政策:外交」 には、今も次のような記述を見るのですから!

 

 私は当初から拉致問題に取り組んで来ましたが、今後も拉致被害者家族の皆様と協力して問題解決に向け、全力をあげる決意です。

 
日本人母子を載せた米艦……”の件は、あくまでも将来発生するかどうかもわからない仮定の問題です。

 ところが「拉致問題」現実の問題で多くの方々が苦しんでおり、早期の解決を何年も待ち望んで知るのです。
何故、「集団的自衛権」云々の前に、「拉致問題」の解決にアベ氏は力を注がないのでしょうか!?!

 そこで、拙文《
醜い国の首相に相応しい安倍晋三氏》の一部を転記させえて頂きます。

 

 

 先ずは、「拉致問題の安倍」のキャッチフレーズで首相の座を掴んだ安倍晋三氏の著作『美しい国へ』の中から「拉致問題」に関する記述を引用させて頂きます。

 

 小泉首相と金正日国防委員会委員長によるはじめての日朝首脳会談から一カ月たった二〇〇二年十月十五日、蓮池薫さんら五人の拉致被害者が、全日空機のタラップから降り立った。二十四年ぶりに踏む祖国の土であった。

・・・

わたしたちの粘り強い交渉の後、北朝鮮側は「二週間ぐらいなら帰国してもよい、と本人たちがいっている」というようにしだいに変化し、ようやく帰国が実現することになったのである。

 帰国後は、家族による必死の説得が行われた。その結果、五人は「北朝鮮には戻らず、日本で子どもたちの帰国を待つ」という意志を固め、中山恭子内閣官房参与とわたしに、その旨を伝えてきた

 わたしは、「かれらの意志を表に出すべきではない。国家の意志として、五人は戻さない、と表明すべきである。自由な意志決定ができる環境をつくるのは、政府の責任である」と考えていた。

 マスコミや政界では、五人をいったん北朝鮮に帰すべきという意見が主流であった。しかし、ここでかれらを北朝鮮に戻してしまえば、将来ふたたび帰国できるという保証はなかった。

十月二十三、二十四日の二日間にわたって、官邸のわたしの部屋で協議をおこなった。

さまざまな議論があった。

「本人の意志として発表すべきだ」、あるいは「本人の意志を飛び越えて国家の意志で帰さないといえば、本人の意志を無視するのはおかしい、とマスコミに批判されるだろう。

家族が離ればなれになれば、責任問題にもなる」という強い反対もあった。

しかしわたしたちは、彼らは子どもたちを北朝鮮に残しているのだから、彼らの決意を外に出すべきでない、と考えた。

何より被害者が北朝鮮という国と対峠しようとしているとき、彼らの祖国である日本の政府が、国家としての責任を回避することは許されない。

最終的にわたしの判断で、「国家の意志として五人を帰さない」という方針を決めた。

ただちに小泉総理の了承を得て、それは政府の決定となった

 日朝平壌宣言にしたがって開かれる日朝国交正常化交渉の日程は、十月二十九日と決まっていた。政府が「五人を帰さない」という方針を北朝鮮に通告したのは、その五日前のことであった。

 その日、ある新聞記者に「安倍さん、はじめて日本が外交の主導権を振りましたね」といわれたのを鮮明に覚えている。たしかにそのとおりだった。

 

 この記述を一読すると、安倍晋三氏の適切な決断行動の素晴らしさを賞賛してしまいます。

 

 でも一寸待ってください!

このような内輪話は、「拉致問題」が全て解決した時点でなされるべきではありませんか?

 

なにしろ、「拉致問題」は未解決の状態にあるのです。

今の時点でのこのような内輪話を(北朝鮮側にも)披露する安倍氏の心底では、「拉致問題」を解決するよりも、「拉致問題」をとことん利用して自分の人気を稼ぎたいとの思いが沸騰しているように見えてなりません。

(私の記憶では、“五人の方々は、日本に二週間滞在した後、北朝鮮に戻る”と発表されていたのに、いつの間にか不思議な事に、“五人の方々の滞在日数が二週間と限定などされていない”との説が政府筋から流れていたように思っていますが?

それにしましても、何故、お子様達の帰国が、曽我さんのご主人が日本に来る事が、可能になったのでしょうか?

小泉氏の説得のみで金正日氏が決断したのでしょうか?)

 

本当に、安倍氏が『拉致問題』を解決しようとしているのなら、
小泉前首相と共に20029月に平壌を訪れた後、のこのこと帰ってくるのではなく、
「拉致問題」が全面的に解決するまで、平壌に一人ででも残って
金正日と膝詰め談判を繰り返しているべきだったのではありませんか?!

 

 

 人一倍「拉致問題」に熱心な安倍氏が直接交渉に打ち込んでいたら、五人の方々に長期の苦しみを与えることなく、短期間に解決していたのではありませんか?!

それに、横田めぐみさんも、娘さんのキム・ウンギョンちゃん共々、何年も前から、ご両親との幸せな日々を日本で送っていたのでは?!

 

 

首相の座についても、平壌に飛んで、
金正日氏と膝詰め談判に挑まない安倍晋三氏が、
私には大変奇異な人物に思えてなりません!

 

 

 以上の記述は「2007627日」でしたので、現在では「金正日氏」ではなく「金正恩氏」と書き換えるべきでしょうが、何故、日本人母子を載せた米艦のイラストまで掲げて「邦人輸送の米艦防護」の必要性を訴える前に、小泉元首相(裏にはどのような事情があったのかは分かりませんが)の如くに、単身ででも、「金正恩氏と膝詰め談判」に向かわなかったのでしょうか?!

 更に、拙文《拉致家族より国家を重視した安倍晋三氏》の一部を転載いたします。

 

……安倍氏の情のなさを示す記事を「週刊現代200781827号」から抜粋させて頂きます。

 

 ……

「洋子さんは、夫である晋太郎氏が新年の自民党総裁選に敗れたあげく、’91年に膵臓がんで死去した際、仏壇に向かって、「あなたにはなかった運をどうか晋三に授けてください」と必死に祈っていました。晋太郎氏は、『晋三には政治家にもっとも必要な情が欠如しているとして、最後まで晋三氏の政界人りを懸念していました。しかし洋子さんが「私が面倒を見る」と周囲を押し切って、晋太郎氏の死後、′93年に跡を継がせたのです」

 

 更には、安倍氏の取り巻きは、2世、3世の議員が占めています。

そして、彼らを大臣等に抜擢しています。

安倍氏はこの事で、自分は「他人に対する思いやりに溢れている男」と勘違いされているのではないでしょうか?!

お坊ちゃまとして育ってきた方々に、苦しみにあえぐ人達の心が分るのでしょうか?!……

 

 私には、拉致問題に対するアベ氏の対応からも、残念ながらお父さん(晋太郎氏)の御懸念『晋三には政治家にもっとも必要な情が欠如している』が真実である事に納得せざるを得ないのです。

 

 アベ氏を絶対的に支持する方々は、何故、強硬に、「拉致問題」の早期解決の為に、「金正恩氏と膝詰め談判」に向かうように、助言協力抗議をしなかったのでしょうか!?
又、しないのでしょうか!?

 

今からでも、アベ氏に助言協力抗議をして頂きたいのですが、如何でしょうか!?

 

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