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権利を主張する醜い日本人

20147月1日 宇佐美 保

 駅前では、常に不思議な光景を目撃します。
発着するバスを或いはタクシーを待たせたまま、大多数の人々は“歩行者優先権”を「錦の御旗」として振りかざし、バスやタクシーの前をのんびりと歩いて行くのです。

(立ち止まって、バスや、タクシーを先に通す方を、見掛ける事はまずありません。

自分の時間を一寸犠牲にして立ち止まって、バスを通せば、何十人かの乗客の方々の時間(自分が犠牲にした時間の数十倍の時間)を無駄にすることが無くなるのに〜〜〜!)

 

 このような自己の権利を強硬に主張する人々が多い日本を「美しい国」と言えるのでしょうか!?

 多くの方々が、こんなにも自分の権利ばかりを主張するようになったのは、何故なのでしょうか?

 

 その上、現在、この国のトップに居座る安倍晋三なる人物は、自国の権利として、訳の判らない屁理屈を付けて、「個別的自衛権」に留まらず「集団的自衛権」までを錦の御旗として振りまわし、(どこの誰の為かは、私には分りませんが)戦争に日本人を送り込みたがっている状態なのです。

こんな国は「美しい国」でしょうか!?

 

 しかし、2014619日に、憲政記念館で開催されたシンポジウム『これでいいのか日本!(第一回東京)<臨時>』に於いて、元俳優の菅原文太氏(いのちの党)の発言は、「美しい国の美しく生きる方の御発言」だと存じます。

ご発言の概要は次のようでした。

戦争だけはやめなくてはならない……

理不尽な戦いを挑んでくる人や国があったら、無抵抗と言う抵抗があります。

逃げずに踏みとどまり、殺されるなら、殺されましょうという戦い方が一番今の日本に合っている。

 

 私も、そのように思い、そのように実行したく存じます。

 

勿論、菅原文太氏同様なご見解を披露される方も居られます。

 この件に関して、先の拙文≪平和を築くのは人であって銃ではないの一部を再掲致します。

 

……東京新聞(200752日)に掲載された森永卓郎氏(独協大経済学部教授)談話に見る事が出来ます。

 

……

 あるテレビ番組で「非武装で家族の命が守れるのか。先制攻撃が必要なんだ」と言ったコメンテーターに、「人を殺しに行くぐらいなら、殺された方がましです」と言ったことがあります。それがオンエアされると、会社や自宅に「お前こそ死ね」という大量のファクスや電話の嵐です

流れに逆らうことを許さない全体主義的な空気のまん延は危険です。

 

……この森永氏の“人を殺しに行くぐらいなら、殺された方がましです”と同様な発言を聖路加病院日野原重明先生がなさっておられました。

 

この件に関しまして、先の拙文《戦争に嵌っている人は精神病》での日野原先生の談話の一部を再掲させていただきます。

 

あの憲法を読みますとね、前文にあります、全ての世界が平和に向いている、その先頭に立って日本はやれ!と言うんでしょ。

ところがね、世界は平和に向いていないと言う事が起こっているでしょ。

61年の間に。

だから、原爆反対反対では、子供には駄目なんですよ。

反対では成功しない

私達は、もっと愛の精神で、この世界に愛のゴスペルを浸透させる事で、愛する事には犠牲が伴う(と言う)愛。

 

だからですね、私達はあのアメリカとの協定が無くてね、平和にするんだったら、どうしてね、

それじゃ日本は潰れても良いから何も無抵抗だと言うガンジーとキング博士のような思想に徹底すればよかった

 

それで、もしも、どこかから、(こないだあたりから北朝鮮で問題があったけど、)世界は黙っていない、国連も今度ね、レバノンとイスラエルの問題があっても、何もない国に攻め込んだら黙ってないでしょ!

 

これを子供にメッセージを送りたい。

 

 ここでの日野原氏の“私達はあのアメリカとの協定が無くてね、平和にするんだったら”のあの協定は「日米安全保障条約」と存じますが、この条約が無ければ安倍氏が「集団的自衛権」を行使する例として列挙した「攻撃される米軍の保護云々の件」は消滅します。

他の国際的な活動に関しては、「国連」の枠組みで行動すればよい筈です。

 

 そして、残る一つの例:「外国での有事の際、保護した邦人輸送中の米輸送艦の防護」に関しても結論は明らかです。

 

菅原氏、森永氏、日野原氏ご自身、或いは、ご家族が米輸送艦に保護された状態に於いて、その米輸送艦が攻撃を受けも、その艦の防護への日本からの出動を決してお望みにならないでしょう!

 

ご自身、または、ご家族の命と引き換えに、日本人全体が(ひいては世界が)戦争に巻き込まれることをお望みにはならないでしょう。

 

ところが、本拙文の冒頭に掲げましたように、最近の日本人は自己の権利を聲高に主張し、他人を慮る気持ちが薄いようですから、このようなことを私のホームページに載せますと、先の森永氏の例ほど酷くはありませんが、“お前みたいなやつは、自分の庭に、他人が住み着いても何にもできないだろう〜〜〜!”といった類のメールが、紛れ込んできたりします。

(でも、私一人で、泥棒を追いかけ、素手でとれたこともあります。

拙文≪小泉首相、改憲を支える世論と空き巣事件≫をご参照ください)

 

 更に、“自分達は、国によって生命財産を守られる権利を有する”と、「自己の権利」ばかり主張していると、安倍晋三氏の「自国の権利」等々との甘言に簡単に乗せられてしまうのです。

 

 安倍晋三氏の放つ「3本の矢」とはなんなのでしょうか?

それは、安倍晋三氏が、私達貧乏人に向けて放っている矢ではありませんか?

安倍晋三氏は、「安倍ノミクス」の正体をご存知でしょうか?

この「安倍ノミクス」は、角(ツの文字)が隠されていて、実際は、「安倍ノミツクス」即ち、「安倍飲み尽くす」なのです。

 

 何を「飲み尽くす」のでしょうか?

 

当然、私達貧乏人に向けて「3本の矢」を放ち、“国によって生命財産を守られる権利を有する”と主張していた、その「私達の生命財産等々」を「飲み尽くす」(安倍ノミツクス)のです。

 

 ですから、安倍晋三氏が“保護した邦人輸送中の米輸送艦の防護する為「集団的自衛権」を行使する!”と喚かれても、“私達がその当事者であっても、この件は「自己責任」の範囲であって私達の為への「集団的自衛権」の行使を拒否します”との声を上げましょう。

 

 

(補足:1

 

6月29日に、JR新宿駅南口付近の歩道橋上で、集団的自衛権の行使容認などに反対する演説をした後、ガソリンとみられる液体をかぶり、焼身自殺を図られた男性も、菅原文太氏、森永卓郎氏、日野原重明氏と同じ思いであると存じます。

 

(補足:2

 

自衛隊に関しては、先の拙文≪小泉純一郎氏とヒトラー≫の一部を再掲致します。

 

……自衛隊に30年居られた作家の浅田次郎氏が『それでも私は戦争に反対します:平凡社発行』に次のように記述されています。

 

 おまえも寒さには慣れているだろうが、イラクの夏はひどく暑いらしい。何でも暑さの世界記録は、バスラで観測されたそうだ。信じられるか、摂氏五八・八度だとよ。

 あのな。ロートル小隊長の最後の命令を聞いてくれるか。

 おまえ、撃たれても撃ち返すな。橋や学校をこしらえていて、もしゲリラが攻撃してきたら、銃を執らずにハンマーを握ったまま死んでくれ。

 正当防衛も、緊急避難もくそくらえだ。他人を殺すくらいなら、自分が死んでこその人間じゃないか

 自衛隊は世界一猥褻な、世界一ぶざまで滑稽な軍隊だけれど、そんな俺たちには誰も気付かぬ矜りがある。それは、五十何年間も戦をせず、一人の戦死者も出さず、ひとつの戦果さえ挙げなかったという、輝かしい不戦の軍隊の誇りだ。

 GHQと戦後日本政府がこしらえたおもちゃの兵隊が、実は人類の叡智の結晶ともいえる理想の軍人であることを、ブッシュにも、無能な政治家どもにもわからせてやれ

 いいか。俺は昔の戦で死んだ大勢の先輩たちと、ほんとうの日本国になりかわっておまえに命ずる。

 やつらの望んだ半長靴を、人間の血で汚すな。われらが日章旗を、人間の血で穢すな。誰が何と言おうと、俺たちは人類史上例を見ない、栄光の戦わざる軍人である

 復唱せよ。

 

 私は、この文章を読み涙が止まらなくなりました。

今も溢れてきます。

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