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ノーブレス・オブリージと日本人

2009713

宇佐美 保

  先日、市内の町内会、町会の長を集めた市側の説明会に参加(私は会長さんが仕事の為代理出席)してビックリしました。

 

 町会長さんたちは、町民の皆様の為に熱弁をふるって市側に色々と注文を付けられて居られました。

 

市側の“市民の50%近くの方々が町会に加盟しているが、より多くの方に入会を勧めて欲しい”との説明に対して、中年の女性の方の“未加入の方へ、町会へ誘っても、「町会に入ったらどんな利点があるんですか?」と問われると返答に困ってしまいます。町会に入る利点を市の方で纏めていただけないでしょうか?!”との発言に対して、市側は“ご指摘はご尤もです。町会へ入会するとどんな利点があるかを纏めて今度提出しましょう。”と答弁していたのに私は驚かされたのです。

 

成る程成る程、

今の日本人の行動基準は、「損か?得か?」なのだ

と思い知らされました。

 

そして、『騙されやすい日本人』(宮脇磊介著 新潮社)の「あとがき」での、次の記述を思い出しました

 

 

 198671日、私は内閣広報官の職に就いた。当時の中曽根康弘内閣において新設されたこのポストに就任したことにより、その後の2年余りの間に大勢の報道関係者や言論人といわれる人々と交流を持つことになった。

 

 痛切に感じたのは次の3点だった。

 

1族議員といわれる政治家の利権追求の行動。

2官僚たちの国益を2の次にした省益追求の行動。

3)それに、マスメディアの思慮の浅い目先のトピックス追及の行動。

 

 この3つが、日本の政治を限りなく内向きなものにし、経済を悪化させ、社会秩序の構築に背馳し、ひいては国民の利益を日々損なっている現況であることを確信した。

(注:3つの番号は筆者が補足しました)

 

 

 宮脇氏が掲げた3つの確信の内、

1番の「族議員・・・利権追求」は日々テレビに映る政治家達を見ると私も痛感します。

そして、あまりにも醜い彼らの姿に辟易してテレビのチャンネルを変えてしまいます。

 

2番目の「官僚たちの国益を2の次にした省益追求」に関しては、先の拙文《私達の貴重な財産をトイレに流す官僚達》に記述しましたように、「国益」更には、「私達、そして、私達の未来」そして、「全世界の宝」である「公文書」を01年の情報公開法施行前に廃棄してしまっているのです。

その廃棄の行為は「省益追求」、更には「自己保身」と言われて然るべきです。

 

しかし、第3番目の「マスメディア」に関しては、「思慮の浅い目先のトピックス追及の行動」に留まらないのです。

 

 宮脇氏は次のようにも記述しているのです。

 

 

さらにマスメディアの影響力の近年における肥大化が、問題の増幅力を強めている。

批判されべきことは、やるべきことをやらない責任放棄が、また本音と建前の陰で行われる場合のほんのちょっとした消極的な姿勢が、大きく広がって国民全体に影響する事である。

日本の刑法には、その第193条に「公務員職権乱用罪」が規定きれている。そこでは職権を乱用して「人に義務のない事を行わせ」たときだけでなく行うべき「権利の講師を妨害したとき」にも罪になる。この後者の場合の法解釈としては、「“法律上”行うことのできる権利」の行使をさまたげること、となる。

 だが、もし国民の「知る権利」を日本のマスコミが金科玉条のごとく尊重し強調するのであれば、「知る権利」がよしんば法律上の権利でないとしても、その行使を「書くべきことを怠る」ことによって妨害するマスメディアの「職権乱用」について神経質であってよいのではなかろうか。

 

 

 この宮脇氏の「国民の「知る権利」を「書くべきことを怠る」ことによって妨害するマスメディアの「職権乱用」」との見解と同じ思いを抱きつつ、元日経新聞論説委員の和佐隆弘氏は、(重い病気で苦しまれておられる奥様を看病しながら)古巣の日経新聞が“真実を伝えていない”と訴えたり、生涯現役のジャーナリストとして活躍しておられます。
そして、過日、ニューヨーク市立大学教授の霍見芳浩氏へのインタビューの一部を次のように話して下さいました。

 

 

 日本のマスメディアは、霍見氏の原稿に書かれた企業、企業幹部、政治家などの具体名を削ってくれと言ってくるので、霍見氏自らその原稿を没にせざるをえない。

 

 

 これでは、マスメディア自身が自主的に「伏字」を行い「言論統制」を施行していることとなります。

宮脇氏が非難する「マスメディアの「職権乱用」」そのものです。

 

 

 そのような訳で、霍見氏の今回の1週間余りの滞在中のテレビ出演は、朝日ニュースターの「パックインジャーナル」だけのようです。

 

 この件に関連して、先の拙文《戦争とマスコミ》の一部を再掲させて頂きます。

 

 かつて、衛星放送の画面を通じてではありましたが、テレビ東京の番組WBSに出演中の亀井静香氏へ面と向かって“腐った政治家”と罵倒したニューヨーク市立大教授の霍見芳浩氏は、日刊ゲンダイの紙面では次のように発言されています。

(そして、亀井静香氏が腐った政治家であること実証のように、そのとき以降、霍見芳浩氏の姿を、テレビ東京の画面で拝見することが出来なくなりました

 

 拙著「アメリカのゆくえ、日本のゆくえ」でブッシュ帝国主義の暴発を警告したが、ネオ・コンの源流は40年ほど前になる。それまでは東部の富裕な中道穏健派が共和党の主流で、内向きの保守政治を好んでいた。しかし、その後南部や西部の石油成り金や中小企業主の国粋保守派の白人たちに占領された。

 彼らは使用人以外の有色人種を嫌い、民主的市民連帯の内外策を敵視する。民主主義の騎士を気取るが、保守反動で言論の自由、妊娠中絶、人種平等そして国際協調を拒否し、自分たちの偏見を「神の教え」と正当化する。ワシントン・タイムズ紙やフォックス・ニューズテレビなどの御用メディアを使い反対者を潰すのには手段を選ばない。「テロ奇襲の後ろ盾がサダム・フセイン」とのブッシュの大ウソなどネオ・コンの手口である。この大ウソを信じたのが米国民の半分と小泉首相である。

 

 このようなアメリカのとんでもないウソを信じる日本人は小泉首相だけではなく、アメリカ報道をそのまま垂れ流すマスコミ、そして、それに踊らされる大多数の日本人です。

こんな事で良いのですか!?

 

 

 そして、今では「日刊ゲンダイ」での霍見氏の活躍をインターネットで見ることは出来ません。

 

 

 それでも、

紙面に大企業の広告を掲載しない雑誌『週刊金曜日』では、霍見氏の記述を目にする事が出来ます。

その2008103日号に書かれておられる「米国の「4代目ポチ」麻生首相」(CIA極秘ファイルの破壊力)の内容からも霍見氏の慧眼に感服するのです。

その一部を抜粋させて頂きます。

 

・・・日本の悲劇は続く。

 日本の商業メディアから社会の木鐸(権力腐敗の監視と国民啓蒙)としてのジャーナリズムが消えている

このために、明日の日本の姿は今の米国の惨状だと気づいている者は少ない

・・・

 〇一年四月、小泉首相誕生で、小泉・竹中平蔵・奥田碩(経団連会長)のトリオによるブッシュの振り付けどおりの日本の大改悪が始まった。何が何でも民営化と政府規制撤廃だとして、「新自由主義」だの「市場主義」だのというエセ学理で経済オンチのメディアや人や御用学者を操り、「所得格差は経済成長をもたらす」だの「企業は短期の株価極大で株主に酬いることに専念しろ」だのと日本経済のマネー・ゲームカジノ化を強行した。ブッシュの狙いは日本の金融資産、企業資産、そして科学技術資産の買い叩きと自衛隊の米国傭兵化、つまりブッシュ帝国主義の海外膨張に日本の人、もの、金を使うことだった

 米企業による日本企業の買い叩きと解体を容易にするために、小泉・竹中・奥田トリオは日米企業株式の交換制度を合法化して、これに法人税上の優遇措置までつけた。そして、九〇年代半ばから進行していた労働基準法のなし崩し改悪を一気に推し進めて、偽装請負、もっぱら派遣、フリーターなどのワーキングプアの増大を作り出した。この行き着くところは今のブッシュ米国の惨状である。製造業の空洞化、貧困の増大、金権主義とマネー・ゲームの跋扈。

そして、ついに金融崩壊から大不況。

 麻生太郎の極秘ファイルには、これまでの政治歴と腹黒い寝技が記されているのは間違いない。そして、秋葉原オタク好みの本人の浅慮と無教養。これは歴代の自民党首相の特徴だから別に驚くに値しない。しかし、本人が無防備の瞬間によく、「私はマンガしか読みませんから」と認めるとの風聞は真実に根ざしている。

 八〇年代、レーガン共和党政権によるいわゆる日本叩きが激しく、日本の中曽根首相以下自民党とこれに連なる霞ケ関宮僚の対米外交オンチと無策に呆れて、私は訪日の祈に宮沢首相(当時)に近かった麻生を訪ねたことがあった。日本の対米外交に括を入れたかったからだった。愛想よく私を迎えてくれたが、世界のこと、米国のこと、そして日米関係と日本の将来についてできるだけ具体的に説明した。だが説明すればするほどすべてが素通りした。「英国留学」ということだったので英文資料も持参していたが、見せようとすると、私は、英国では遊んでばかりで、何も勉強しなかった」と正直な告白だった。ご謙遜かと疑ったが、そうではないのはすぐに明らかになった。

麻生は苦笑いして、「先生、私はマンガしか見ませんから」と話してくれて、傍らに積んであったマンガ集と雑誌を指さしてくれた。目を転じると、年頃の子どもが家にいたらとても持って帰れないエロマンガだった

この頭では、後年、「南京大虐殺は中国の捏造」だとか「帝国日本の軍隊には『従軍慰安婦』はいなかった」などと恥も外聞もない小泉・安倍首相に同調していたのもうなずけた。

 もちろん、CIAは英国のMI6諜報機関と協力して麻生太郎の英国留学中の言動に加えて、太平洋戦争中の麻生炭坑での英、米、加、オーストラリア兵端虜や中国人・朝鮮人連行の強制虐待労働の実態も調べ上げている。また、麻生自身がアフリカのザンビアのダイヤモンド採掘の監督人として麻生鉱山から一年半派遣されており、この間に不法ダイヤモンドをめぐるザンビア人虐待の血なまぐさい話もある。

 麻生首相誕生にはとくに英国とオーストラリアの在郷軍人団体がすでに批判的な動きを示している。日本の前途は暗い。

・・・

今の米国にするな

 

 日本再建には、小泉、安倍、福田、そして麻生と続く米国追従の清算が必要である。これには世界が日本を見直すきっかけを日本人の手で作り出さねばならない。このきっかけとは自民党の中でのたらい回しの政権交代ではなく、有権者の手で、民主党に政権を渡して、日本破綻の清算を託すことである。

 民主党はアラビア海での米艦船への給油停止を求めており、内政でも派遣労働規制や米国発の世界金融市場破綻の日本への影響を小さくするためにも、日銀の財務省からの独立に固執している。日銀の貨幣政策の財務省からの独立にはまず、総裁と副総裁人事で財務省の差し金を拒否したことは、米国の知日家でオバマ候補に近い者は評価している。日米ともに真の政権交代が、両国のためにも有益なのである。  (敬称略)

 

 

 このように、奥田碩(経団連会長)さえも名指しで非難する霍見教授の見解を採用するマスメディアはトヨタからの広告が無くなり収益の悪化を招くと判断し、霍見教授から距離を置いているのが現状なのでしょう。

 

このようなマスメディアは問題であり、又、トヨタのような広告主も糾弾されて然るべきです。
(それに、大学教授として米国に身を置きながら、臆せず米国批判を展開する霍見氏を私は尊敬します)

 

 更には、一般書店では販売されていない月刊誌『ニューリーダー』では、霍見氏の「アメリカインサイト“ニュースに映る日本の惨めな有様”」とのコラムを掲載されておられるようです。

20097月号での一部を引用させて頂きます。

 

日本軽視を煽る日本の官僚

 

 「ジャパン・パッシング(日本軽視)を通り越して、最近では「ジャパン・ナッシング(日本無視)が米国世論だし、ワシントンや財界の対日観だろう。ニューヨーク・タイムズ紙はじめ指導的一流メディアが最近では日本に関する記事を載せるのは珍しい載せても、「日本がいかに非民主的な国か」という切り口である

 例えば、最近では、小沢民主党前代表の政治的失脚を狙った日本の検察官僚と、検察リークのネタを無批判に増幅した日本の商業メディアの在り方が問題になった検察リーク情報以外の独自の調査報道をした東京新聞検察庁から村八分にされたが、日本の大メディアはこの「言論統制」に対して講義もしなかったことがこちらではニュースになった。

 

 

 そこで、私は定期購読していた朝日新聞を断り、東京新聞に切り替えました。

それでも、拡販員の方が一生懸命に朝日新聞を勧めますので、この霍見氏の記述のコピーを渡して、“このコピーを朝日新聞の上層部に見せるようにして、ここでの東京新聞の文字が朝日新聞に換わるようになれば、考えましょう。”と答えました。

 

 

 そして、霍見氏は先の週刊金曜日の記事で「各界で無責任と我欲の横行」も指摘しておられます。

 

実際、政治家も、官僚もマスメディアに携わる方々も、「初心を忘れ?」、「無責任と我欲の横行」に埋没しているようです。

 

 ここで、スピリチュアル・カウンセラーと名乗っておられる江原啓之氏が週刊現代(2009711日号)受け持たれているコラム「ニッポンを見る! (今回のキーワード“一長一短”)」を抜粋させて頂きます。

 

 

 国会と言えば、先ごろ、麻生総理と民主党新代表の党首討論が実現しました。私もニュース報道で討論の様子を見ましたが、民主党の鳩山由紀夫代表が「人の幸せを自分の幸せと思えるような世の中にしたいと発言されているのを見て、大変驚きました。この発言に「そんなのは理想論だ」とか「何を、奇麗事を言っているんだ」と感じた人もいたかむしれません。けれど、スピリチュアルな視点からいっても、鳩山氏が発言されていたことは、とても重要なことだったと感じるのです。

 私はよく「幸せになりたかったら、まず人を幸せにしましょう」というふうに話しているのですが、あなた自身も周りも広い目で見れば、ひとつ。だからこそ、自分も他人も同じように幸せを感じられる社会を創っていくことが大切なのです。この世を見渡すと、そんな理想とはかけ離れ、嫉妬心ばかりが浸透しています。どちらかと言うと人の幸せは妬むもの」という発想の人のほうが多くなつてしまっているかもしれません。
筆者補足:その上、”人の不幸は蜜の味”との言葉がテレビから流れてきたりする嫌な時代です

 そんな世の中にあって、たとえ理想論であっても、件のような発言をされるのは、悪いことではないと思うのです。先日の党首討論は、最終的にはお互いの非をつつき合うような展開になってしまったのは残念でしたが、鳩山代表の志は感じることができたように思います。この国はいま、残念なことにそういった「奇麗なこと」や「清らかなこと」を敬遠してしまうような風潮があるかもしれません。理想論を言うほうがウソくさく、足を引っ張り合っているほうが正しいという、何ともねじ曲がった方向に行ってしまっているようにさえ思えます

 けれど、理想を掲げること自体は、そんなに悪いことでしょうか?有言実行さえできれば、私は、理想はスローガンとしてどんどん掲げていいと思うのです。私は、鳩山氏が発言していたように、人の幸せを自分のことのように喜ぶことができるような時代になれば、この国はもっと幸せになると考えています。泥まみれの世界の中で、蓮のように美しい花を咲かせて、本当にこの国が「友愛」になっていくことができたら、どんなに幸せでしょうか

 

 

 私は、江原氏の「霊、前世・・・云々」の世界を拒否していますから、このコラムを読む事は殆どないのですが、時々、何かの言葉に惹かれて読んだりします。

(“それは霊の力だ!”と江原氏はおっしゃるかもしれませんが、)

そして、今回も、このコラムを目にしたのです。

しかし、今回のキーワード“一長一短”の通りに、前半部分は私には「一短」そのものでした。

そこで上記に「一長」の部分を引用させて頂きました。

 

 

 そして、本当にこの国が鳩山由紀夫代表の掲げるキーワード「友愛になっていくことができたら、私も江原氏同様に、どんなに幸せでしょうか。と思わずに入られません。

 

 なにしろ

友愛」とは「YouI


であって、

「私」の前に「貴方」を考えること

になるのですから!

 

 江原氏の「私はよく「幸せになりたかったら、まず人を幸せにしましょう」というふうに話している」は、古くからの日本の言葉に置き換えれば、

「情けは人の為ならず」

となるのでしょうが、ここの引用させて頂いた江原氏の見解に対しても、私は「一長一短」を感じざるをえないのです。

それは、「幸せになりたかったら」の言葉が、私には不要と思われるのです。

ですから、「喜捨」の方が近い言葉かもしれません。

それでも、なにか、上から下への方向感を感じてしまいますが、横文字を使わせていただければ、

ノーブレス・オブリージnoblesse oblige

と言うことになりましょう。

 

 勿論、この言葉を「広辞苑」で引きますと「高い地位に伴う道徳的・精神的義務」と言う厳しい言葉が出てきて、地位の高低までがあからさまに出てきています。

 

そして、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』をみますと、「この言葉の意味する概念自体は、新約聖書の福音書に由来している。「すべて多く与えられた者は、多く求められ、多く任された者は、更に多く要求される。」(「ルカによる福音書」1248)(新共同訳)。」と書かれていますが、これらの解説には余り共感できません。

 

 「道徳的・精神的義務」、「求められたり、要求されたりして行う行為」ではないのではありませんか?!

 

 私は庭のえさ箱に、餌を補給すると小鳥達が喜んで啄ばみに来ます。

水盤に水を汲んでおくと、水浴びに来ます。

小さな四十雀でも、水盤内で水浴びする際は、羽を思い切って振わす為に、水が1メートル四方にまで飛び散ります。

別に義務でやっているわけでもありません。

それに、いつまで経っても小鳥達は私になれることもありません。

私が庭に出れば、一斉に羽音を大きく立てて逃げ出します。

ですから、昼間は小さな庭は鳥達に占領されています。

 

 鳥と人間を一緒くたにするな!と非難される方もございましょうが、そういうあなた方は、

ご夫婦間で、又、ご家族へ、
このような感謝を目的としない好意的な行為を日々実施されているのではないでしょうか!?

 

 

その好意的な行為が、
隣人へ、又、他の多くの方々へと成される事が、
私には「ノーブレス・オブリージ」なのだと認識しているのです。

 

 この「ノーブレス・オブリージ」に関しては、拙文《ノーブレス・オブリージとビル・ゲイツとウォーレン・バフェット》から、少し再掲させて頂きます。

 

 

 

バフェット氏(世界最大の投資持株会社であるバークシャー・ハサウェイの最高経営責任)

・・・

だから私に言わせればこの国の税率はあまりにもフラットです。

率直に言ってビルや私はもっと高い税率を課せられるべきなのです。

多額の税金は払っていますが、税率にすると非常に低い。

25年前はるかに所得が少なかった時代に支払っていた税率の半分以下ですよ。

政府は本当に金持ちを優遇しています。

 

ゲイツ氏(マイクロソフトの会長)

私もウォーレンの意見に賛成です。

財政の収支を合わせるためには、もっと累進的な課税が必要だと思っています。

いずれみんなその必要性を認識するでしょう。

 たくさん稼いでいる人が、より高い税金を負担するべきだと気付くはずです。

キャピタル・ゲインにかかる税金も見直すべきでしょうね。

相続の際の税金もさほど重いものではありません

私たちが言うのは、少々皮肉に聞こえるでしょうが、税率の一部はもっと累進的であるべきです

 

 

 お金持ちご自身達が、自分達にかかる税金は少ない、“もっと累進的な課税が必要だ・・・”と話されているのです。

日本では、「累進課税を強化すると、金持ちは税金の安い国に移るし、又、金持ちになろうとする意欲を奪うので、結果的に国の力が衰える・・・」等と言われています。

なんだか恥ずかしいですね?!

 

 ・・・・・・

 更に、録画内容を続けます。

 

ゲイツ氏

重要なのはこういうことです。

ウォーレンは自分の会社の大株主、私もまだ自社株をたくさん持っています。

恵まれない人達に富を使うのは消費ではありません。

いいですか、一寸考えてみて下さい。

例えば、5000万ドル稼いだ人がいたとして、それをただ家を建てたり、自分たちの為に使ったとしたら、それはただの消費です。

富を貧しい人に分配せず、自分たちの目的の為だけに使っているからです。

もしあなたが幸運にも、社会の富の一部を手にすることが出来たら、ぜひ世の中の恵まれない人の為にどんどんそれを使ってください

 一番上から富を循環させる。

 それは、義務なんです。

 地位が上がれば上がるほど、責任は大きくなります

もっといえばそのような慈善事業に富だけではなく、頭脳も活用して欲しいのです。

 

 

 このゲイツ氏の「地位が上がれば上がるほど、責任は大きくなります」は、とても大事な言葉です。

仏語では、有名な「noblesse oblige(ノーブレス・オブリージ)」と言われています。

日本の御金持ちで、バフェット氏、ゲイツ氏のような志(noblesse oblige(ノーブレス・オブリージ))を持ち行動されておられる方が居られるのでしょうか?!

 

 私はこの自分のホームページで常々「noblesse oblige(ノーブレス・オブリージ)」の重要性を訴え続けてきました。

しかし、「noblesse oblige(ノーブレス・オブリージ)」を実践されるような方は「聖人君子」であり、その存在は「絵に描いた餅」であるとのメールを私は頂いてきたりしました。

事実、今の日本のお金持ちの中に、バフェット氏、ゲイツ氏のようなお方の存在を私は知りませんでした。

そんな私に、バフェット氏、ゲイツ氏は、明るい光を与えて下さいました。

 

 しかし、お金持ちではなくても、1949年、日本人として初めてのノーベル賞を受賞(1981年に死去)された湯川秀樹博士は、核兵器廃絶を訴える平和運動にも積極的に携わっておられました。

・・・・・・

 

 

バフェット氏

・・・

成功について一つ話をしましょう。

私と同じ位の年で多くの人に愛されている人に尋ねると、

全員が例外なく「人生は成功だった」と言います。

年をとったとき、愛してくれる人が必ず傍にいる人たちです

家族や仕事仲間などがねえ。

それはとても幸せな人生だと思います。

一方、大富豪で、自分の名前の付いた学校があり、晩餐会の主賓になるような人も知っています、ところが実際は誰も、その人のことを気に留めていないのです。

勿論、本人もそのことに気づいています

そうなると、人生のすべてが空しくなってしまいます

長者番付に載っていてもそういう仲間に入ってしまう人がいます。

誰とは言いませんが。

 ごく普通の仕事をしていたり、境遇は恵まれてなかったりしても、まわりから愛されている人は、大きな成功を感じているものです

そういう人を、私は沢山見てきたのです。

 

 

 かつては、「ホリエモン」なる人物が“金で全てが買える”と豪語されたそうですが、彼同様に「金と心を交換してしまった今の日本人」は、バフェット氏とゲイツ氏の心を少しでも、取り入れるように改心すべきと存じます。

私も、ゲイツ氏の会社の恩恵を蒙ったパソコンを愛用しつつ、御二人に、そして又、湯川秀樹博士に近づけるよう残り少ない命の中で奮闘して行きたいと思わずにはいられません。

 

 

 なのに、日本では「累進的な課税」の必要性を無視して、米国の金持ち優遇策を真似して竹中平蔵氏などは、「全国民一律同じ税率:人頭税」の実施を図ろうとしたようなのですから驚きです。

 

 “累進課税(所得に応じて税率が上昇する)では、勤労意欲、企業意欲が失われる”などとの意見を聞くたびに、私にはその方々が「さもしい根性」の持ち主に思えてなりません。

 

 

 しかし、この累進課税での増税分を、政治家や官僚による私利私欲の餌食にならないことを祈らざるをえません。

(バフェット氏もゲイツ氏も、この点を見越して、“慈善事業に富だけではなく、頭脳も活用して欲しい”と語っていたのかもしれません)

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