「闘う政治家」を詐称して「戦う国へ」導く安倍氏
2007年7月16日
宇佐美 保
安倍氏は「闘う政治家」を標榜し、又、“論議の徹底を図る為”と言いつつ国会の会期を延長しながら、その延長された会期中に開かれるべき「衆院決算行政委」の出席を拒みました。
(朝日新聞:2007年7月4日)
衆院決算行政監視委員会は4日、民主党の仙谷由人委員長が開会を促したものの、自民、公明両党が開会に反対して出席せず、開催されないまま終わった。衆院事務局によると、与党が出席しないため委員会を開会できなかったことは極めて異例という。 民主党は年金問題や久間前防衛相の原爆投下をめぐる「しょうがない」発言を追及するため開会を求めたが、与党側は「不信任決議案を突きつけたばかりで委員会を開ける正常な状況ではない」と拒否した。 結局、委員会室で民主委員が着席し、仙谷委員長が開会を宣言したが、定足数に満たないため開催できず、夕方に流会となった。 |
朝日ニュースターの番組(パックインジャーナル:その週の土曜日(7月7日))では、長妻昭議員は、
“安倍氏への質問書の回答では、 「政府が年金の問題を気が付いたのは昭和39年9月1日93万件の記録事故があった」” |
と発言していましたから、このような不祥事をテレビ中継までも予定されていた「衆院決算行政委」で追及されることから安倍氏は逃げて、その夜のテレビにはのこのこと出掛け、(政権のご機嫌取りであるテレビでは痛い処を突かれる事はありませんから安心して)お好きなように発言されていたようです。
(と、申しましても、私は、その夜、安倍氏がテレビに登場するや、直ちにテレビを消してしまいましたので、実際にはどんな発言をされていたかは分りません。)
このような人物である安倍氏が「闘う政治家」を標榜する資格があるとは思えません。
そんな安倍氏は、「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」を開催しています。
(以下に引用しました官邸のホームページの記述をご参照下さい)
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/anzenhosyou/index.html
我が国を巡る安全保障環境が大きく変化する中、時代状況に適合した実効性のある安全保障の法的基盤を再構築する必要があるとの問題意識の下、個別具体的な類型に即し、集団的自衛権の問題を含めた、憲法との関係の整理につき研究を行うため、内閣総理大臣の下に開催するものです。 |
そして、この会の構成メンバーたるや、全て安倍氏の希望通りに「戦争肯定派」の方々のようですから、日本は「美しい国」どころか「戦争する国」となって行くのでしょう。
(勿論、日本が他国と戦っても、安倍氏御本人が戦場で戦うことは絶対無いでしょう!)
この「有識者懇メンバーがイラク戦争で言ったこと」を週刊金曜日(2007.6.8号)は、纏めて紹介してくれていますが、どの方も呆れ果ててしまう発言をされています。
その一部を以下に抜粋させて頂きます。
(尚、岡崎氏の発言は、他にも、拙文《ちんけなチェンチェイ中西輝政京大教授》をもご参照下さい)
柳井俊二(全駐米大使 座長) イラクの場合と北朝鮮の場合、いかなる脅威があるのかという点でございます。特に私どもが住んでいるこの北東アジアの地域に対するイラクの脅威というのは一体何なのかいう点について考えてみますと、一つは核を中心とする大量彼壊兵器の拡散の問題、これが我々にも影響を与えるということがあると思います。 二〇〇三年三月二日のシンポジウムでの発言 |
岡崎久彦(元駐タイ大使) 私はどんなに反戦運動をやってもどうせ戦争は始まる。そうなれば一カ月足らずで反戦運動は無意味となり、バグダッドの市民たちは歓喜の渦となってフセイン政権の崩壊を祝福するだろうと予測しました。 これは普通の情報感覚をもっていれば当然予測しうる結末だった。 『諸君!』〇三年六月号 |
北岡伸一(東京大学大学院教授) 政治には、究極のところ、好ましからざる手段を使わざるをえないときがある。 ……私は、目的は手段を正当化しないが、よい結果は手段を正当化することがある、と考える。つまりアメリカのイラク攻撃は何よりも、よい結果を実現したときに、正当化されるというべきだろう。 『中央公論』〇四年二月号 |
・・・
よくもまあ、このように安倍氏そっくりのメンバーを恥も外聞もなく揃えたものかと、感心します。
それにしても、
北岡伸一氏の“よい結果は手段を正当化する”は、 先の久間発言と全く同じではありませんか!? |
久間氏は“米国はソ連が日本を占領しないよう原爆を落とした。無数の人が悲惨な目にあったが、あれで戦争が終わったという頭の整理で、今しょうがないなと思っている”と発言し、防衛相を辞任しました。
なのに、安倍氏は、久間氏同様な見解を有している北岡伸一氏を「有識者懇メンバー」に居座らせ続けています。
恐ろしい事です。
そして、私達は、このメンバーの答申を盾にこの日本を再び「戦争する国」に変貌させようと画策する安倍氏に首相の座を委ね続けていてよいのでしょうか?!
何しろ、安倍氏は氏の著作『美しい国へ』で次のように記述しているのですから。
(以下に於いても「安倍氏の記述」として『美しい国へ』から引用させて頂きます)
国のために死ぬことを宿命づけられた特攻隊の若者たちは、敵艦にむかって何を思い、なんといって、散っていったのだろうか。彼らの気持ちをつぎのように語る人は多い。 《かれらは、この戦争に勝てば、日本は平和で豊かな国になると信じた。愛しきもののために──それは、父母であり、兄弟姉妹であり、友人であり、恋人であった。そしてその愛しきものたちが住まう、日本であり、郷土であった。かれらは、それらを守るために出撃していったのだ》 わたしもそう思う。だが他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしょうとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。彼らは「公」の場で発する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである。 今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている。だが、戦後生まれのわたしたちは、彼らにどうむきあってきただろうか。国家のためにすすんで身を投じた人たちにたいし、尊崇の念をあらわしてきただろうか。 たしかに自分のいのちは大切なものである。しかし、ときにはそれをなげうっても守るべき価値が存在するのだ、ということを考えたことがあるだろうか。 わたしたちは、いま自由で平和な国に暮らしている。しかしこの自由や民主主義をわたしたちの手で守らなければならない。そして、わたしたちの大切な価値や理想を守ることは、郷土を守ることであり、それはまた、愛しい家族を守ることでもあるのだ。 |
安倍氏は、このように「特攻隊の若者たち」を美しく記述されていますが、安倍氏の分身の如き方々だけではなく、俳優の西村晃氏や、三国連太郎氏の戦争体験をお聞きになったことがあるのでしょうか?
週刊金曜日(2007.6.22号)の「佐高信の人物メモワール 井筒和幸」には、「特攻隊の若者たち」の悲惨さが記述されています。
『パッチギ!LOVE&PEACE』と、ほぼ同時に石原慎太郎プロデュースの特攻映画が封切られた。それに対して井筒は、特攻に行かずに逃げまわって死んだ人もいるはずなのに、国のために純な思いで死んで行ったなどと美化するのは「ゴッツイ気持ち悪い」と反発する。 三国連太郎や西村晃に戦争の現実をずいぶんと知らされたからである。予科練体験をもつ西村は、いつ自分の番になるかわからないと思いながら、特攻に発つ先輩たちを見送っていた。 「気持ちのおさめようがないから、毎日、時間だけ経たないかなという感じで生きていた」 こう述懐する西村は井筒に、リアルな特攻の映画をつくってくれ、と言った。
その西村と三国が共演した『陸軍残虐物語』は井筒にとって忘れられない作品だった。自分の父親と重なるのである。 二〇歳で赤紙が来た息子に母親(つまり井筒の祖母)は、どうでもいいけど、あんた早う帰って来いや、と言ったという。そうしたリアリズムを井筒は大切にしたいと思うのである。 『バッチギ!』で井筒は「逃げる」を一つのメッセージとしている。 若い人たちは、(石原)慎太郎みたいにワーッとやると、のせられるが、その時に
逃げそうにない井筒が、逃げていいと言うから、胸に響くのである。 「いや、僕は戦争が起こったら真っ先に逃げますよ。そういう人間ですから」 井筒は髭面をほころばせて、こう言った。脱走バンザイである。 |
優れた映画監督である井筒氏は、「親父が脱走しなければ自分は生まれていなかった」とのことですから、戦死してしまった方々は、戦争がなければ、井筒監督に優とも劣らない素晴らしい人物をこの世に送り出していてくれ、私達をより幸せにしてくれていたかもしれません。
井筒監督のお父様は脱走できたから良かったのですが、脱走したくても脱走できなかった日本軍の残酷さを昨年(2006年)6月に放映されたNHKスペシャル
「硫黄島玉砕戦〜生還者61年目の証言〜」 |
を見て驚かされます。
その一部を以下に記述させていただきます。
「投降は厳しく禁じられていました」 元硫黄島守備隊金井啓氏談 “出てゆけば出ていったって、何日かすれば呼び出しをくらって銃殺を受けると教育されている |
投降を呼びかけた米兵談 「一部の日本兵が投降の説得に応じました」しかしそれは時に悲劇を生みました。 “ぼろぼろの軍服を身に纏った憔悴しきった兵士が洞窟の入口から5メートルほど出てきたとき、 「投降すれば撃たれる」その恐れが地下壕の大越さんたちを縛り付けました。 |
元硫黄島守備隊大越晴則氏談 “捕虜になれば国賊といわれて、戸籍謄本に赤バッテンで書かれるらしいんですね。 |
元海軍少尉竹内明氏談 壕の中の150人の半数は負傷兵、3人一組の小部隊を作って竹やりと手榴弾くらいを持たせて、 ・・・ 出口の見えない戦争は兵士達の人間性も奪って行きました。 |
大越氏談 “もう人間という感じではないですよね、畜生になっていますからね、 |
大曲覚氏談 “理性があればね、死に行く人に人間として言ってきでも水を飲ませてあげようという気持ちになりますよね、 ・・・ 米軍が壕の中に海水と油を注入し火をつけるとやけどして重傷を負った兵士を銃で日本兵が殺した、 |
元海兵隊兵士アル・ペリー氏談 “戦争に勝者も敗者もありません、我々がやった殺し合いは何もかもが馬鹿げています。 戦争が終わった後、日本軍の洞窟に入ってみました。負傷者を寝かせていた台がありました。 |
『十七歳の硫黄島』も書かれた秋草鶴次氏談 “死んで意味があるんでしょうかね。だけど無意味にしたらかわいそうですよね、 |
このように西村晃氏、井筒氏、そして、硫黄島の戦いで、意識を失い或いは負傷して動けなくなり、結果的に米軍に救われた兵士達の悲痛な叫びを無視して、「だが他方、自らの死を意味あるものにし、自らの生を永遠のものにしょうとする意志もあった。それを可能にするのが大義に殉じることではなかったか。彼らは「公」の場で発する言葉と、「私」の感情の発露を区別することを知っていた。死を目前にした瞬間、愛しい人のことを想いつつも、日本という国の悠久の歴史が続くことを願ったのである」と奇麗事として戦争を解釈する安倍晋三氏に首相の資格があるとは思えません。
そして、又、安倍氏は“今日の豊かな日本は、彼らがささげた尊い命のうえに成り立っている”と戦争、国民の戦死を美化しています。
安倍氏が、国民の戦死を如何に美化しようが、戦死者は戦争の為に命を落としたのです。
それも、負けると分っている戦争の為に!
この件は、先の拙文《鵜の真似をする鴉が君臨する不幸》の一部を再掲させてください。
朝日新聞(2007年06月30日)には次のような記述があります。
久間氏は講演後、朝日新聞の取材に対し、「核兵器の使用は許せないし、米国の原爆投下は今でも残念だということが発言の大前提だ。ただ日本が早く戦争を終わらせていれば、こうした悲劇が起こらなかったことも事実で、為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」と発言の意図を説明した。 |
ここに書かれているように、今回の「広島、長崎への原爆を投下を、しょうがないなと思っている」発言の意図が「為政者がいかに賢明な判断をすることが大切かということを強調したかった」というのであったなら、同じ講演中に、“勝ち戦ということが分かっていながら、原爆まで使う必要があったのか、という思いは今でもしている。”と語った久間氏は、
「負け戦と分っている戦争に突入した日本の為政者の判断」 |
を糾弾すべきです。
そして、この久間発言を支持した安倍氏も「負け戦と分っている戦争に突入した日本の為政者の判断」をはっきり糾弾し、反省し、再び戦争を起こさない事を誓うことで、はじめて戦死者の無念の思いを僅かといえども軽減させて頂けるのではないでしょうか?
安倍氏が「特攻隊の若者たち」を美化しようが、 「米兵」にも家族がいたのです! |
先に掲げた硫黄島で戦った元海兵隊兵士アル・ペリー氏の談話“戦争に勝者も敗者もありません、我々がやった殺し合いは何もかもが馬鹿げています。”を真摯に受け止めるべきです。
先月、「安倍内閣メールマガジン(第33号 2007/06/14)」が飛び込んできました。
そこには安倍氏の自慢話が書かれていました。
サミットといえば、各国首脳は台本を読み上げていると思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、全くそうではないですね。議題こそ決まっていますが、自分の見識で、率直な意見をぶつけ合います。私も自分の価値観を展開しました。首脳会談とは、そうした人間力の勝負の場です。 ・・・ 温室効果ガスを「2050年に半減」する長期目標、これに向けた次期枠組みづくりの3原則「すべての主要排出国の参加」、「各国ごとの事情に配慮する柔軟性」、「成長と環境の両立」を訴えました。 ・・・ 結果として、私の3原則はすべて宣言文に反映させることができました。 同時に、数値目標を含む日本の提案を各国が「真剣に検討する」ことも明記されました。 |
とまるで、サミット即ち「人間力の勝負の場」で安倍氏が勝利を収めた如く記述されています。
しかし、そのメール中には、次のようにも記されていました。
サミット直前に行った日米首脳会談で、私は、この姿勢を評価し、技術革新の分野では日米が協力をし、世界をリードすることでブッシュ大統領と一致。この合意が、G8での最終的なとりまとめに大きく貢献できたと思います。 |
ですから、安倍氏の提案は「ブッシュ大統領」が合意できる範囲の案であった事が分ります。
従って、朝日ニュースターの「ニュースにだまされるな(6月23日放映)」に於いて、
金子勝氏(慶応大学教授)は、 “メルケル独首相の提案こそが優れており、 6月7日付けガーディアン紙の記事によれば、 環境保護主義者たちが、ほぼ「一文の値打ちもない」合意だとしている。” 旨を発言されていました。 |
安倍氏にどれほどの「人間力」があるのかは私には不明(本心では???)ですが、安倍氏ご自慢の「人間力」(「武力」ではなく)を発揮して、世界中の首脳を説得して、世界平和を構築していただきたいものです。
なにしろ、安倍氏は『美しい国へ』の中で次のように記述されているのですから!
中曽根康弘元首相は、自らの在任中、四期三年八カ月にわたって、父の晋太郎を外務大 臣に起用した。外遊回数は三十九回。わたしは秘書官として、うち二十回ほど同行した。 「創造的外交」──それが父のテーマであった。レーガン大統領と中曽根首相の「ロン・ヤス」関係はとても有名になったが、父も、シュルツ国務長官とのあいだに深い信頼関係を築いていた。この時期、日米関係がきわめて友好的だったのは、こうしたそれぞれの信頼関係が影響している。 |
・・・
石油資源の約七〇パーセントを中東地域に依存している日本としては、戦争の終結は国益にかなうことだった。 じつは、これよりさかのぼる二年前の八三年、父は、依然として戦争のつづくイランとイラクをほぼ同時期に訪問していた。中曽根首相の会談は、このときの訪問が土台になっている。 当時アメリカはイラクを支援していて、イラン革命によって成立した政権とは敵対していた。当然アメリカは、父のイラン訪問をこころよく思うはずがない。だがアメリカはイラン訪問を了承した。シュルツ国務長官の力が大きかった。わたしも同行したが、このとき、同盟国との信頼関係を強化するうえで、政治家個人の信頼関係がはたす役割のきわめて大きいことを実感した。 |
・・・
一九九〇年一月、自民党訪ソ団の団長安倍晋太郎とゴルバチョフの会談はモスクワのクレムリンでおこなわれた。わたしも同席した。 「日本国民は、あなたの訪日を待っている。来年、桜が咲く四月頃が一番美しいが、どうか」 「それに、なんら支障が起きないことを期待している」 会ってすぐの訪日の誘いに、書記長は了承した。いつもそうだが、父は、あいまいないいかたはしない。ずばり要求をだした。 「日ソ両国は、両国間の困難な問題を克服する時期にきている。ゴルバチョフさんが書記長の時代に、ぜひ叡智をもって解決してはしい」 安倍晋太郎のこの呼びかけは、書記長から、日本の領土返還の主張は「固有の権利である」とする回答を引き出すことになった。領土問題を解決する方向で考えよう、ということである。講和条約をたてに、返還をかたくなに拒否していたかつてとくらべると、大きな進展だった。 |
・・・
このように記述されている安倍晋太郎氏を私は尊敬します。
しかし、彼の息子たる安倍晋三氏は、この立派な晋太郎氏のただ自慢話をするだけで、又、第二次世界大戦中、1942年の翼賛選挙に際しても東条英機らの軍閥主義を鋭く批判したという晋太郎氏の父上の安倍寛氏(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』参照)の政治姿勢を引き継ぐことなく、母方の祖父岸信介氏の道を猛進しているのに脅威を感じます。
例えば、安倍氏は次のようにも記述しています。
交戦権がない″ことの意味 軍事同盟とは、ひとことでいえば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする知恵だ。集団的自衛権の行使を担保しておくことば、それによって、合理的な日本の防衛が可能になるばかりか、アジアの安定に寄与することになる。またそれは結果として、日本が武力行使をせずにすむことにもつながるのである。 アメリカのいうままにならずに、日本はもっといいたいことをいえ、という人がいるが、日米同盟における双務性を高めてこそ、基地問題を含めて、わたしたちの発言力は格段に増すのである。 もうひとつ、憲法第九条第二項には、「交戦権は、これを認めない」という条文がある。 これをどう解釈するか、半世紀にわたって、ほとんど神学論争にちかい議論がくりかえされた。 どこの国でももっている自然の権利である自衛権を行使することによって、交戦になることは、十分にありうることだ。この神学論争は、いまどうなっているか。明らかに甚大な被害が出るであろう状況がわかっていても、こちらに被害が生じてからしか、反撃ができないというのが、憲法解釈の答えなのである。 たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することばできないのだ。わが国の安全保障と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界にあることがおわかりだろう。 |
かくも幼稚な理論が通用するのが今の日本の政治のなのでしょう!
「軍事同盟とは、ひとことでいえば、必要最小限の武力で自国の安全を確保しようとする知恵だ」 などは寝言ではありませんか!? |
それは、最近までの東西冷戦時代を思い起こせば明らかではありませんか!?
東が軍事同盟を強めれば、西も同じことをします。
そして、片方が軍事力を増強すれば、他方もそれに追随します。
「軍事力増強デス・マッチ」に陥ります。
そして、悲しい事に「軍事産業」はこの「軍事力増強デス・マッチ」を喜び、両方に加担します。
この新たな「軍事力増強デス・マッチ」兆候を次の朝日新聞(2007年07月14日)の次の記事に見る事が出来ます。
ロシアのプーチン大統領は14日、「欧州通常戦力(CFE)条約」の履行を一時停止する大統領令に署名した。米国による欧州へのミサイル防衛(MD)関連施設配備の動きへの対抗措置。戦車や戦闘機などの保有上限の順守義務がなくなり、「冷戦後最悪」とも言われる欧米とロシアの関係がさらに緊張しそうだ。新たな軍拡競争の危険も懸念される。 軍備管理・軍縮条約のCFE条約は92年に発効し、「東西冷戦終結の象徴」と言われた。今回の大統領令は「ロシアの安全保障を損なう状況で、緊急の対応が必要」と説明している。 ・・・ 米ブッシュ政権は「イランの脅威に備える」として、チェコやポーランドへの施設配備などMD計画に力を入れてきた。プーチン大統領は米国や、加盟国拡大に動く北大西洋条約機構(NATO)を「ロシアを想定している」と強く批判。4月の年次教書演説ではCFE条約の履行停止の可能性に言及していた。 |
更に、安倍氏は“憲法第九条第二項には、「交戦権は、これを認めない」という条文がある。・・・明らかに甚大な被害が出るであろう状況がわかっていても、こちらに被害が生じてからしか、反撃ができないというのが、憲法解釈の答えなのである。
たとえば日本を攻撃するために、東京湾に、大量破壊兵器を積んだテロリストの工作船がやってきても、向こうから何らかの攻撃がないかぎり、こちらから武力を行使して、相手を排除することばできないのだ。わが国の安全保障と憲法との乖離を解釈でしのぐのは、もはや限界にあることがおわかりだろう。”
おかしいではありませんか!?
安倍氏は、次のようにも記述しているのです。
わたしが政治家を志したのは、ほかでもない、わたしがこうありたいと願う国をつくるためにこの道を選んだのだ。政治家は実現したいと思う政策と実行力がすべてである。確たる信念に裏打ちされているなら、批判はもとより覚悟のうえだ。 |
だとしたら、「武力」に頼らず安倍氏ご自慢の「人間力」を最大限に発揮すべきではありませんか!?
何故、安倍氏は「テロリストの工作船」、或いは「テロリストの本拠地」に単身でも乗り込んで、「テロリスト」と直接交渉しようと思わないのでしょうか?
更に、安倍氏は次のように記述しています。
百年前の日露戦争のときも同じことがいえる。窮乏生活に耐えて戦争に勝ったとき、国民は、ロシアから多額の賠償金の支払いと領土の割譲があるものと信じていたが、ポーツマスの講和会議では一銭の賠償金もとれなかった。このときの日本は、もう破綻寸前で、戦争を継続するのはもはや不可能だった。いや実際のところ、賠償金をとるまでねばり強く交渉する力さえすでになかったのだ。 だが、不満を募らせた国民は、交渉に当たった外務大臣・小村寿太郎の「弱腰」がそうさせたのだと思いこんで、各地で「講和反対」を叫んで暴徒化した。小村邸も暴徒たちの襲撃にあった。 |
安倍氏がこの「小村寿太郎」を支持するのなら、何故、リットン報告書を受け入れず「国際連盟」を脱退した日本の非を反省しないのでしょうか?!
リットン報告書に関して、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』から一部を引用させて頂きます。
柳条湖事件及びその後の日本軍の活動は、自衛的行為とは言い難い。 満州国は、地元住民の自発的な意志による独立とは言い難く、その存在自体が日本軍に支えられている。 と、中国側の主張を支持しながらも、 満州に日本が持つ権益、居住権、商権は尊重されるべきである。一方が武力を、他方が「不買運動」という経済的武力を行使している限り、平和は訪れない。 などの日本側への配慮も見られる。 |
この「リットン報告書」を受け入れる事こそ「人間力」ではありませんか?!
なのに、日本は「武力」のみに頼って戦争に突入したのではありませんか?!
その上、安倍氏は、次のようにも記述しているのです。
一九七七年(昭和五十二年)から十一年にわたって駐日大使をつとめたマイク・マンスフィールド氏が、当時外務大臣だったわたしの父、安倍晋太郎に、こんな質問をしたことがある。 「わたしは日本の経済発展の秘密についてずっと考えてきたのですが、安倍さん、何だと思いますか」 「日本人の勤勉性ですかね」 父がそう答えたら、大使は皇居のほうを指していった。 「天皇です」 戦後の日本社会が基本的に安定性を失わなかったのは、行政府の長とは違う「天皇」という微動だにしない存在があってはじめて可能だったのではないか──当時、まだ二十代のわたしは、その意味が実感としてよくわからなかったが、後年になってようやく理解した。 ほとんど混乱なく終戦の手続きが進められたことも大きかった。そしてそれは、国民の精神的な安定に大きく寄与してきた。事実、天皇は国民とともに歩んできたのである。 |
私は、「日本の経済発展の秘密」は、晋三氏の父上の安倍晋太郎氏の「日本人の勤勉性」との見解に同意します。
敗戦により自信をなくした日本人は、湯川英樹博士のノーベル賞受賞、フジヤマの飛魚と讃えられた古橋広之進選手の水泳での数々の世界記録の樹立に自信を取り戻し、「粗悪品」の代名詞であった「メイドインジャパン」を、「憧れの製品」に進化させたのは、ソニーの井深氏、盛田氏、ホンダの本田宗一郎氏を初めとする多くの方々の努力のお陰ではありませんか!?
(勿論、彼らとて、「日本の経済発展」の為に努力したというより、自社の為、自分の為に努力したのでしょうが)
更には、聖武天皇の大仏建立の件に関して、安倍氏は次のように書かれています。
大仏造営は国家的事業ではあったが、古代エジプトのピラミッドとはだいぶ様相がちがった。国家の命令で民を徴用するのではなく、仏の前では、天皇も民も平等であるとして、自発的な事業への参加を呼びかけたのだった。 そうした天皇の、日本国の象徴としての性格は、いまも基本的に変わっていない。 |
(しかし、エジプト学の吉村作治氏(早稲田大学教授)はテレビで“エジプトのピラミッド建設は、渇水期の農民救済の為の失業対策事業であった”と話されていましたから、エジプト王は民を徴用していたのではないと存じます)
アメリカという国には、日本のように百二十五代にわたって天皇を戴いてきたという歴史があるわけではない。 |
このように安倍氏にとっては、「国民」を尊重すると口では言いつつ、結局は「天皇」が第一存在なのです。
しかしながら、「天皇」に敬意を払う様相を見せつつ、“君が代、日の丸を強制するのは良くありません”との天皇陛下の「御心」を無視し、「美しい国へ」の教育改革の旗印の下、「君が代、日の丸を学校教育の場で強制」しているのです。
このような戦前の軍幹部の亡霊のごとき方は、一刻も早く政治の場から立ち去って頂きたいものです。
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