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ちんけなチェンチェイ中西輝政京大教授

2003年8月13日

宇佐美 保

 田中康夫氏は、日刊ゲンダイ(2003年7月10日 )にて雑誌「諸君!」(8月号)に掲載された中西論文等から、京大教授中西輝政チェンチェイのオツムの程度を、次のような調子で揶揄されています。

……中西輝政なる京都大学で政治学を教える人物が巻頭で、「日本国核武装への決断」を誇らし気に語っています。
 まあ、この中西チェンチェイは過日も「産経新聞」紙上で、アメリカとイギリスには学ぶべき点が数多いが、フランスとドイツには何もない、ってな天下の暴論を得々と説いて、失笑を買っていましたから、その程度のオツムの持ち主とも言えるのですが、ここはガツンと一発、彼らの核武装論が如何に非現実的なユートピア思想であるか、お伝えしておかねばなりますまい。

 

 私は、同誌、並びに、同誌の6月号での、中西チェンチェイと岡崎久彦氏との対談を読みますと、中西チェンチェイは、オツムもさることながら、ハートが大変ちんけな方だと思いました。

 

 先ずは、6月号では、次のように中西チェンチェイは発言されています。

 ロシアと北朝鮮がフセインに精密誘導兵器を妨害する装置を大分売りつけていたと言われています。だから、その装置が使用された時に限って一部目標から外れたということもあったようです。

 つまり、精密誘導兵器は極めて人道的な兵器であり、それを誤導させ少しでも多くの市民を殺傷させようとする非人道的兵器を売りつけたのがロシアと北朝鮮であり、そのための光ファイバー通信網をイラクに作ったのは中国と言われますから、イラク市民に被害が及んだ責任の一端は彼らにあるということは強調しておくべきなのに、そんな批判的視点が日本の一部マスコミや「市民主義者」にないのは奇妙なことです(笑)。

 こんな発言をされる方が、京大教授であり、(8月号で“国民の生命・安全を第一義と考える言論人の責務として……” と、ご自身が自らを名乗っている)言論人なのでしょうか?

 

 他国からの攻撃をご心配され,核武装すべきと発言される中西チェンチェイは、日本の国家中枢機関は兎も角、ダムや原子力発電所などが真っ先に攻撃対象となる事を危惧されないのでしょうか?

そして、それらの施設が破壊されたら、周囲は甚大な被害に見舞われます。

だとしたら、そのような施設には、中西チェンチェイが「非人道的兵器」といわれる精密誘導兵器を妨害する装置をロシアや北朝鮮から輸入して設置すべきではありませんか?

それとも、中西チェンチェイは、“そんな「非人道的兵器」は設置せず、そのままダムや原発に直撃弾が命中する事を選択すべき!”と喚くのですか?

 

 アメリカが人道的な国なら、「精密誘導兵器を妨害する装置」が設置された施設には誤爆を懸念して、「精密誘導兵器」をも使用を控えるべきではありませんか?

しかし、彼等は使用したのです。

何故でしょう?

彼等が非人道的であったと共に、又、「精密誘導兵器を妨害する装置」の性能をチェックしたかったから、又、その「妨害装置」を打ち破るテストを実施したかったからだと、私は思うのです。

 

 その上、中西チェンチェイは、次のようにも述べています。

 バグダツト市民の生活にしても、精密誘導兵器による攻撃でしたから、その点ですっかりアメリカを信頼していて空爆中であっても、スクールバスやマイカーが市内をのんびりと行き来しているのがテレビでも見られましたが、こんなシュールリアルな戦争は過去にはありえなかった。市民たちが、アメリカの精密誘導兵器なら、やられるのはフセイン一派だけだと安心していた証拠でしょう。

 

 イラクを攻撃した兵器は、精密誘導兵器だけでしたか?

朝日新聞(8月2日付)には、次の記述があります。

 米英は開戦前、精密誘導兵器の多用を公言した。「軍事目標を確実にたたき、無用な被害が民間に及ぶ事態を避ける」という名分で、ハイテク兵器の比率は9割に達する、との見通しもあった。

 ところが、両軍の集計によると、イラク空爆で使われた約2万9千発の爆弾やミサイルのうち、ハイテク型は68%にとどまった

 英国の軍事専門家ロバート・ヒューソン氏は「共和国防衛隊を中心とするイラク兵力を、旧来型の重爆で繰り返し攻撃した実情を裏づけるデータ」と語る。

 米英軍はイラク戦争中、B52爆撃機などから、クラスター爆弾を約1200発投下した。1発の親爆弾から200前後の子爆弾が飛び出し、数ヘクタールの範囲に散らばる敵を一網打尽にする。

 地上の多連装ロケットシステム(MLRS)も猛威を振るった。自走車両から連射される12発のロケットが炸裂(さくれつ)し、20ヘクタールに及ぶ広域に散弾の雨を降らせる。

 いずれも湾岸戦争でも使用された。新鋭兵器ではない。が、ヒューソン氏は「敵兵を大量に殺傷するには、効率的で安価な技術」と説明する。


 多くの不発弾が、その後「地雷」の如くに、被害をもたらすクラスター爆弾が人道的兵器ですか?

 

更には、「週刊金曜日 2003.7.18(468号)」には、次のように報告されています。

 米英軍は、放射能汚染の危険がない通常兵器として、今回のイラク侵略でも劣化ウラン弾を五〇〇トン使用したと認めている。私は、今回の戦争中に首都バグダッドの中心部での劣化ウラン弾使用を現認していた。(本誌458号〔五月九日〕参照)

 そして、六月下旬には広島から来た「劣化ウラン弾禁止ヒロシマ・プロジェクト」の森瀧春子さんと一緒に土壌や水、尿のサンプル採集も行なった。そして、バグダッド西部のアブ・グレイプでも、南部のマハムディーヤでも、南部の都市バスラ近郊でも、持参した放射線測定器はイラクでの通常値の約一〇〇倍から約四〇〇〇倍もの放射線を計測した。

 七月八日、米国の民間シンクタンク、核政策研究所がついに、「『ウラン酸化物による突然変異の誘発など、住民や兵士、とりわけ子供にとって有害なことが確認された』と結論づけ、米政府に対して速やかな使用停止を求め」た(『毎日新聞』 七月九日付夕刊)。

 イラクの大地を汚染した放射性物質の影響が想像を絶する形で周辺住民の体に現われるのは、これからである。……

 

 それなのに、中西チェンチェイは、こんなイラン国民の惨状を無視した発言を行っています。

 

二十世紀は……あまりに大きな戦争の惨禍を前にして、「人類的正義よりもとにかく平和」となったのです。しかし二十一世紀には、戦争の被害はこんなに小さくなりましたから、この点でも二十世紀は終わるわけです。


 そして又、次の如くです。(但し、原文には「戦争の違法化」と印刷されていましたが「戦争の違法性」の誤植ではないでしょうか?)
 

これほど大きな作戦をあんなに小さな犠牲で行なえることもはっきりした。二十世紀の「戦争の違法化」という観念は通用しなくなりました……


 更には、次なる発言も行っています。

 とくに今の日本としては、北朝鮮のノドン、テポドンの対日脅威を考えれば、イラク戦争に於ける米軍の目ざましい勝利は誠に慶賀すべきことで、アメリカ大使館の前で提灯行列をしてもいいぐらいですよ(笑)。

 

 更に、中西チェンチェイは、次のようにビックリさせてくれます。

 今のアメリカと世界のあり様を、うまく表現しているのが、渡部昇一さんの「アメリカ幕府が始まった」(『ボイス』五月号)という論文です。

・「現在の世界を比喩的にあらわすなら、ソ連の解体によって、四百年前の日本と同じ状況になった」

・「一六〇〇年の関ケ原の戦いで西軍(石田側)が敗北し江戸幕府が開かれ、以後、徳川家に武力で対抗する藩がなくなったように、現在のアメリカに武力で対抗できる国はない。そうイメージすれば、世界が現在どのような構図にあるのか、はっきり見えてくるだろう」

・「現在の世界が江戸開幕期の状況にあるとするなら、これから起こるのは『大坂冬の陣と夏の陣』で、つまり共産主義の最後の残党である北朝鮮と中国を潰す戦いが始まる」

 大変面白い譬えですが、今回のイラク戦争は、国際版「関ヶ原の戦い」であって、その電撃的な勝利によって、「悪の枢軸」「ならず者国家」が地球上で一斉に衰微していく流れを決定付けたと思います。その意味でも、画期的な戦争であったといえきす。ただ、「夏の陣」はまだ先ですから、あの頃の家康の「慎重さ」が求められはするでしょう。


 中西チェンチェイは、渡部昇一さんの「アメリカ幕府が始まった」との論文を“大変面白い譬えですが……”と述べていますが本気なのですか?

アメリカ幕府が始まった」ならば、日本も各国もアメリカの統治下に入る事ではありませんか?それが面白いのですか?

(只、私は、徳川幕府崩壊後、藩という、いわば日本の中の小国家単位が無くなって、日本という一つの国家にまとまったと同様に、アメリカ単独支配の後、世界中の日本だ、アメリカだのという、大国小国単位が雲散霧消する事を期待はしています。)

 

 尤も、中西チェンチェイは次のようなアメリカのポチ丸出しの発言をされる方ですから、アメリカ一国が世界を制覇して、日本がアメリカの完全なる属国となる事を大歓迎して、率先して、アメリカ大使館へ提灯行列してお礼に行くお積りなのでしょう。

そこで、中西チェンチェイのポチ丸出し発言を抜粋致します。

 緒戦の「苦戦」という報道もアメリカ側の一種の陽動作戦、デイスインフォメーションだったのかもしれません(笑)。アフガン攻撃の時も途中で二度「苦戦」という報道が出ましたし、湾岸のときも「泥沼化」が言われた。今回も「補給が追いつかない、兵士は一日一食になってしまった」と大きく報道されましたよね。私は今回も、「あのやり方だ」と思って見ていました。そしてやっぱり、と今、自信を深めています。

 そもそもソ連崩壊後のアメリカの世界戦略は、誰が味方で誰が敵かを峻別することに力点を置いています。この前の湾岸戦争の時も、終戦後に数十ヵ国に調査団を派遣して、戦時中にその国の政治家や識者・マスコミがどんな発言をしたかを克明にレポートしているんです。日本にも、ジャパノロジストが大挙して来訪し全国を回っていました。今回も同じ調査がなされるでしょうが、勝ち馬に乗った時ではなく、苦戦している時の発言の中にホンネがあるわけですから、日本の政治家やマスコミ・識者は、前回の失敗からしっかり学んで、「今度は乗せられまい」と心しておくべきでしたが、かなりの人がまた失策を重ねていましたね。


 このポチの言葉が御理解し難い方も御座いましょうから、私なりに下記のように書き換えさせて頂きます。

 世界戦略上アメリカは、各国の政治家や識者・マスコミの発言を克明に調査して、彼等の誰が味方で誰が敵であるかを峻別する事に力を注いでいる。

但し、この峻別作業に於いては、通常の場合では、彼等の本音を見極める事は困難であるが、「只今、アメリカ苦戦中」といった偽情報を流すと、日頃からアメリカを快く思っていながら、それをはっきりと口に出せなかった「隠れ反アメリカ」が“それ見た事か、アメリカざまー見ろ!”的発言をして、うっかりと馬脚を現すものです。

 ですから、日本の政治家やマスコミ・識者は、アフガン攻撃、湾岸戦争時の失敗からしっかり学んで「今度は乗せられまい」と心しておくべきでしたのに、アメリカが、前回同様に、イラク戦争でも緒戦「苦戦」の偽情報を流したら、かなりの人が、又又“アメリカざまー見ろ!”的発言をして失策を重ねていましたね。

勿論、私は、そんなアメリカの手口は百も承知で、引っ掛かったりは当然しませんよ。

第一、私はアメリカのポチですから。


 と、キャンキャンと吠えておられるようなのです。

 

 そして、中西チェンチェイの対談相手の岡崎久彦氏も、中西チェンチェイの相和してキャンキャンと吠えて居られます。(例えば次のように)

「自由と民主主義」という文明的価値観がかくも世界的に支持されるといった事態は人類史上初めてでしょう。

アメリカは、自由と民主主義、そして人間性を尊重する政治原則を外交政策の上でも重視していくとの世界戦略を打ち出しています。……

 かいつまんでいうと、″イラク攻撃の目的は「イラク解放」であり、イラクの自由化、民主化、ひいてはパレスチナ問題の解決、中東全域の自由化、民主化を目指す″というのです。大量破壊兵器の破棄は目的の一つでしかないという。……


 よくもまあ、こんな屁理屈を掲げられるのかと呆れてしまいます。

 

 次のように述べている岡崎氏の頭の中はどうなっているのでしょうか?

国際情勢を的確に見極めて、いかにして日本国民の安全と繁栄を守るかという国益外交に徹すれば、アメリカとの協調を選択するしかないんです。


 日本は、「自国の国益の為」に、アメリカに尻尾を振らなければならなくて、アメリカは「自国の国益を無視」して、“自由と民主主義、そして人間性を尊重する政治原則を外交政策の上でも重視していくとの世界戦略を打ち出しています”と言うのですか!?

アメリカだって「国益」で動いているのではありませんか?

 

 中西チェンチェイは、次のように書かれていますよ。

 まず第一の画期は、九一年一月の湾岸戦争である。日本人は、当時、この戦争の持つ世界史的な意味をまったく誤解していた。それまで冷戦構造のもとで各国を縛り続けてきたアメリカの統制力は、ソ連という主敵が消滅した今後、急速に弱まり、代わって国連を中心とした新しい世界秩序が現出する。そこにいたる第一幕が、多国籍軍によるイラクヘの攻撃である、ととらえたのである。

しかし、十二年後、今回のイラク戦争が終ってみれば、この見通しは正反対の結果に終ったと認めざるをえまい。あの湾岸戦争は、アメリカが新たな覇権を確立するための、まさに第一歩に他ならなかった


 と、中西チェンチェイは、“十二年後、今回のイラク戦争が終ってみれば、……あの湾岸戦争は、アメリカが新たな覇権を確立するための、まさに第一歩に他ならなかった。”と呑気に書かれていますが、アメリカが今まで、正義のみで動いた事がありますか!?

アメリカは、今回、攻撃の対象としたなイラクへ、イラン・イラク戦争の際は、大量破壊兵器まで援助したのではありませんか?

更には、拙文「暴君はフセインですか?アメリカではありませんか!」に多く引用させて頂いた、ラムぜー・クラーク氏(1961〜68:米国法務省次官、長官)の著した『湾岸戦争』(地湧社発行:1994年8月15日初版)を見ますと、この「湾岸戦争」が、驚くべきアメリカの「マッチポンプ」行為が判ります。

 

このアメリカのマッチポンプ習癖は、「週刊金曜日 2003.3.14(451号)」の本多勝一氏のコラム“今こそ合洲国の正体直視を”に次のように記述されています。

 この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。(中略)

 合州国は〃民主主義〃をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。これを書いている九日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって″報道″されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。

 

 この様に、国民を捏造情報で戦争に導く国が民衆主義国家なのでしょうか?

この傾向はアメリカだけではありません。

 “イラクによる大量破壊兵器の保有が脅威であることに疑問の余地はない”と発言して、アメリカのイラク攻撃に荷担したブレア英首相は、その情報操作疑惑で苦境に陥っていながらも、“情報が誤っていたとしても非人道的な政権を倒したことで歴史に許されるだろう”と嘯いています。

偽情報で国民を操っておきながら、「結果が良ければそれで良し」と首相が尻を捲る国が、民主主義国家でしょうか?

(ところが驚くべき事に、この「駐米クウェート大使の娘の偽証」に対して、元朝日編集委員の田岡俊治氏は、“戦争だからそんな事当たり前”と発言をされていました。)

 

 しかし、中西チェンチェイも岡崎氏も、アメリカ、アメリカという前に、アメリカとブッシュ政権とを切り離して考えるべきではないでしょうか?

 

ジャン=シャルル・ブリザール ギヨーム・ダスキエ 共著の《ぬりつぶされた真実:褐カ冬社:2002年9月10日発行》の下記の記述を見るまでもなく、中西、岡崎両氏は「アメリカは正義」とほざく前に、アメリカ中枢部の石油利権に目を注ぐべきと存じます。

……ブッシュ政権の重要ポストにエネルギー業界出身の者が数多くいることにある。……テキサスの石油及び天然ガス会社こそが、ブッシュ・ジュニアの選挙戦の最初の協力者グループだったからだ。……

 副大統領ディック・チェイニーからして、石油産業関連のサービス会社では世界第二位のハリバートン社を長い間経営していた。チェイニーは大統領選を機に同社を離れた。

 すべての諜報機関を統括する安全保障の最高機関、国家安全保障会議の責任者であるコンドリーザ・ライスは、シェブロン社で九年間を過ごした。この巨大石油企業で、一九九一年から二〇〇一年一月まで社外重役を務めていたのだ。……

 W・ブッシュの親友でもある商務長官ドナルド・エバンスは、エネルギー長官のスペンサー・エイブラハムと同様に、天然ガス及び石油を扱うトム・ブラウン社の社長として、それまでの経歴のほとんどを石油業界に捧げてきた。経済問題担当の商務副長官キヤサリン・クーバーは、世界的企業エクソン社のチーフエコノミストであった。

 さらに大臣官房にも似たような経歴の者たちがたくさん見られる。……

 

 更には、なんと、ブッシュ自身そして彼の父親までが、石油並びにそれ周辺事業の中心人物でもあるのです。

 

 投資資産管理会社カーライル・グループの投資財団は、その顧問として、元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュまたは、その息子の現大統領ジョージ・W・ブッシュを取り巻く多くの人物を擁している。

 取締役会は特に、ブッシュチームの有力者たちで構成されている。たとえば、ジョージ・ブッシュ政権時の国務長官だったジェームズ・A・ベーカー三世、ロナルド・レーガン大統領時代に国防長官を務めた、フランク・C・カールッチ(CIA副長官も務めた)。一九八九年から一九九三年までジョージ・ブッシュ大統領の下で行政管理予算局長官だったリチャード・G・デーマン、そして同じく父ジョージ・ブッシュ時代のホワイトハウスの首席大統領補佐官ジョン・スヌヌである。……

 アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは、一九九〇年から一九九四年まで、カーライル・グループの子会社の一つケイタレア社の取蹄役会のメンバーであった。……

 ジョージ・W・ブッシュが一九八六年から一九九三年まで役員を務めたテキサスの石油会社に、……

 だから、ジョージ・W・ブッシュが経営していた別の有限会社二社(アルバスト79とアルバスト80)の資本の中に、テキサスの大物財界人ジェームズ・R・バスの名があっても不思議ではない。……

 ジョージ・W・ブッシュが設立したこの二つの企業は、その後ハーケン・エナジーと合併し、一連の株式取引は、その痕跡さえ見えなくなってしまった。

 ブッシュ・ジュニアは、七八年石油探査会社アルバスト・エナジーを設立。しかし、八六年ハーケン・エナジーに吸収され、ブッシュは役員に就任した。

注 カーライル・グループ:投資資本百二十億ドル。……未公開企業の株式を購入して転売し、米国最大の兵器メーカーを傘下に収め、通信分野の会社を多く持つ。サウジ政府の金融アドバイザーでもある。


 このような利権(石油に加えて兵器まで)に首を突っ込んでいる人達が、利権に無関係な正義の政治を実行するでしょうか?

「正義」よりも、「国益の名を借りた利権」に走るのが常ではありませんか?

この件に関して、雑誌《NIPPON 2003.6》に掲載された“イラク侵略戦争に見るアメリカの真の狙い”との木村三浩氏(新右翼団体「一水会」代表)による論評の中から抜粋させて頂きます。 

 アメリカが掲げる「イラク解放」とは、極端にいえば西洋が非西洋の文明を叩きのめし、自分たちの「正義」を押しつけるプロセスに他ならない。しかも、今回の攻撃でアメリカが得るであろう利益は莫大なものだ。新兵器の実験と旧式兵器の在庫処分によって軍需産業が潤い、戦後復興にはアメリカ企業が次々と参入してくる。イラクの地下に眠る世界第2位の埋蔵石油の利権も、優先的に確保するつもりでいる。ロッキード・マーチン社は、今年1月から3月期の売り上げが昨年に比べて18%増加したといい、インフラ復旧事業ではベタテル社が800億円あまりのプロジェクトを受注し、油田の復旧作業はハリパートン社やブーツ&クーツ社などのテキサス系の企業が引き受けている。

 だが、これに至るまで、イラク国民の上には爆弾が降り注ぎ、民間人は3000人近く、イラク軍人は数万人が亡くなった。アメリカ軍の戦死者とは比べ物にならない数だ。イラクの人々を殺すことでアメリカが利益を得る……この構図は、かつて東洋の解放を唱えた岡倉天心が述べた、「西洋の栄光は東洋の屈辱」そのものではないか。とりわけブッシュ政権は、多くの高官たちが、戦争で利益を得る大企業の顧問などを務める「利権屋集団」だ
この最も基本的な点を忘れ「力こそ正義」という論理に傾けば、力のない人々が絶望的な行動に出ることは避けられない。テロを防ぐどころか、全世界にテロが広がっていくだろう。大義も正義もない、今回のイラク侵略に対しては、きちんと批判の声を上げ、決してアメリカを許してはならない。 

 

 このアメリカ・ブッシュ政権の利権主義を象徴するのは、イラクの戦後復興の主導権争いに関してのライス報道官の“「血と宝」を費やした国々だけがイラクを動かし、国連の役割は人道援助に限られる”との発言だと思います。

 

 この発言は、獲物をねじ伏せたライオンが、“自分が倒した獲物なんだから、お前等にはやらない!”と、そのお零れに預かろうと群がってきたハイエナや禿鷲たちに吼えているようではありませんか?

(このライス補佐官なる女性は、なんと品のない人なのだろうか?と私は思いましたが、マスコミは一言も非難の声をあげませんでした。)

 

 この様にとんでもない利権構造の上に築き上げられているブッシュ政権だからこそ、尚のこと、本多勝一氏の言を待つまでもなく、彼等は捏造報道をぶちまけながら国連を無視し(或いは騙し)、彼等以外には全く不要な戦争に突入していったのではありませんか!?

 

 それなのに、中西チェンチェイは“「国連中心の集団的安全保障」はもう過去の夢” と早とちりして、次のような暴言を吐いています。

 アメリカだけでなく、やがて多くの国が「一国主義」を当然の選択として行動することになる。早い話、「北朝鮮の脅威があるからイラク戦争は支持する」と唱えた小泉内閣の日本は、まさに一国主義の権化として行動したわけである。

一言でいえば、二十一世紀は″バック・トウ・ザ・ベーシックの時代″となろう。……

国際政治は、本質的に「力」と「国益」という基本要因を軸として展開される。その上に二次的要因として、国際協調が、ときとして実現する場合があるにすぎない。


 “北朝鮮の脅威があるからイラク戦争は支持する”との発言は、一国主義の権化ではなく、「ポチ発言の権化」ではありませんか?

 

 そして、次のカビだらけの文言を引きづり出してきます。

 近代歴史学の始祖レオポルド・フォン・ランケは、自らの意志によってその未来を切り開くことのできる国々のみをさして「列強」と称した。歴史の主体たる気概と力を持たない国は、いかに経済的に豊かであろうとも、決して彼のいう「列強」の列に数えることはできない。

 

 そして、この「列強」の仲間にはいるように、日本も努力すべし(それも「核兵器も装備せよ」とまで)と言っているようなのですが、中西チェンチェイは、フランス(核兵器を装備しています)をはじめとする欧州の無力ぶりを次のように述べています。

……激化する民族紛争を鎮静化するため、国連安保理決議を受け、NATO(北大西洋条約機構)軍のボスニア空爆が挙行された。

 以後、九九年のベオグラード空爆に至る一連のバルカン半島情勢が証したのは、つまるところ欧州各国に安全保障能力はない、という一事に他ならなかった。混乱を終息させたのが、結局、アメリカの空軍力だったという現実に対して、欧州が抱いた無力感、屈辱の思いは、昨今の米・欧の確執に直結していると見てよい。

 

 となりますと、中西チェンチェイの次の発言となるのでしょう。

 そしてそこで重要なアクターとして注目されるのは、ロシアである。数千発の戦略核弾頭を持ち、アメリカのすべての都市を一瞬のうちに灰燼に帰すことのできるこの国は、歴史的に、大国としての衿持、独自の外交を展開しようとする強靭な意志を持ち続けている。二十一世紀の日本にとって、このことの持つ意義は大きい。


 と言う事は、日本もロシア並みの核兵器を持てとほざいているのでしょうか?

中西チェンチェイは、このご自分の文章をもう一度読み返しては如何ですか?

そして、 “二十一世紀の日本にとって、このことの持つ意義は大きい”とのご見解の真の意味は、「突出した力を持つアメリカに対抗するには、ロシア並み或いはそれ以上の核を持たなければ意味がない」、即ち、結局は「そのような巨大な核を持つ事は、経済的にも、又、アメリカを脅かす事態に到るので、アメリカに阻止され不可能だ」との結論に到ると思うのですが如何ですか?

 更に付け加えますと、核兵器以外に於いてもアメリカは、突出した兵器を備えているのです。

(先に抜粋しました、《ぬりつぶされた真実》に書かれていますように、「兵器メーカーを傘下におさめるカーライル・グループの投資財団にブッシュ親子をはじめアメリカ現政権の中枢の多くが関わりを持っているのです。」

そして、中西チェンチェイご指摘のNATOのコソボへの空爆の如くに、アメリカ以外の国々では、戦争を簡単に終結する程の力を持っていないのです。

従いまして、先に引用しました中西チェンチェイの以下の記述等は全くのナンセンスである事が判るのです。

これほど大きな作戦をあんなに小さな犠牲で行なえることもはっきりした。二十世紀の「戦争の違法化」という観念は通用しなくなりました……

 (それとも、中西チェンチェイは“アメリカだけには「戦争の違法性」は存在しない”と言い張るのでしょうか?)

 ところが、中西チェンチェイは、アメリカにはポチであっても、中国北朝鮮に対しては、次の如くに記述して、主人然と振る舞いたがるようです。

 私の考えでは、以下、三つの事態のうち、いずれかひとつでも現実のものとなるならば、日本は核保有宣言することをためらってはならない

 まず第一に、アメリカの日本防衛に関するコミットメントが明確に揺らいだときである。たとえば、米軍がグァム、ハワイにまで帰っていく気配をみせたとき、「核の傘」があてにならないことは、誰の目にも明らかであろう。そのとき、日本は自ら核抑止力を持つ決断をしなければならない。……

 第二の事態は、中国の海洋軍事力が本格的に外洋化し、沖縄、尖閣列島周辺に恒常的なプレゼンスを確立するようになることである。中国海軍の航空母艦を備えた外洋艦隊がアジアの海を我が物顔に往来するようになったとき、日本は核兵器を保有して通常兵器における劣勢を補わざるを得ない。

 そして第三の事態は、……北朝鮮の核が曖昧なままに見過ごされたときである。形ばかりの核査察で米朝合意が成立し、金正日体制の存続を保証、経済援助再開といった展開にいたるなら、日本は断じてこれを座視してはならない。……

 

 中西チェンチェイが、このような発言する背景には、次の記述があるのです。

 インターネットに"VOTE.co.jp"というサイトがある。……昨年の安倍、福田発言直後からの約一年間、「日本は核を持ってもいいのか?」という問いを発している。これまでに八千人近くが回答し、「イエス」という答えは五三パーセントで、「ノー」の四七パーセントを僅かながら上回っているのである。調査方法の特殊性を考慮したとしても、大いに注目すべき結果ではある。……

 昨年来の日本人の意識には歴史的な大変化が起こっている。これは、健全な庶民感覚が国際関係の底流にあるものを鋭く感じ取っての反応であるとしか、私には考えられない

 知識人の怠慢をよそに、国家の本来の主人公である国民が、はっきりと戦後的な文脈から離れ、なんとしても生き延びたいという国家としての根本的衝動を、いわば歴史の本能として受けとめ始めた。これらの徴候は、その端的なあらわれといえるのではないだろうか。……

 広島・長崎の被爆体験を感傷的に反芻していられた時代はもはや決定的に去ったのである。金正日の手によって、日本に″第三の被爆地″を生じさせないために、我々は、鳴り物入りの集会や資料館詣でとは違う、より具体的な行動に出なければならない状況に立ち至ったのだ。


 庶民のアンケートに対して、“健全な庶民感覚が国際関係の底流にあるものを鋭く感じ取っての反応であるとしか、私には考えられない” と記述するに至っては、中西チェンチェイは京大教授の職を辞すべきと存じます。

私も一庶民として、常々自戒している事は、“私等庶民は、馬鹿で簡単に騙されて、時流に流されてしまう”と言う事です。

(この点に関しては、自らの反省を込めて拙文『私が60年安保闘争で学んだ事』にも書きました。)

中西チェンチェイは、“自分は優秀な人間だから時流には流されないし、又、流された事もない!”とでも思っておられるのでしょうか?

安保に反対したり、太平洋戦争に賛成した庶民が不健全であって、今の庶民のみが健全であると思っているのでしょうか?

そして、又、9・11のテロ事件後“米国民は、「敵」の市民に被害が出ても報復すべきだとする世論が66%(CBSテレビ調査)に達している”と報じられた米国民は健全ですか?

自分の都合の良い時だけ「健全な庶民感覚」という文言を用いるのでは教授職を全うする資格がないと存じます。

広島・長崎の被爆体験を感傷的に反芻していられた時代はもはや決定的に去ったのである”とおっしゃいますが、被爆されて亡くなった方々には、“なんとしても生き延びたい”との思いがなかったのですか?

そのお気の毒な犠牲者の声を受け止め、私達が根絶を訴え続けるのに対して、“広島・長崎の被爆体験を感傷的に反芻していられた時代はもはや決定的に去ったのである”と何故言えるのですか?

その上、心ある言論人なら“犠牲者の苦痛を我が身に受け止め、たとえ、私達が″第三の被爆地″としての被害に遭う虞が有ろうとも、核廃絶への道を進むべし”と念じないのでしょうか?

 

 何故北朝鮮が我が国へ向けて核兵器を発射しなければならないのですか?

核兵器を使用した国は世界の孤児となるのは明かです。

今の時代、世界から孤立した国は存続出来ますか?

北朝鮮が核兵器を用いて日本を占領して何かメリットがありますか?

人的資源以外、資源は何もない日本を占領して世界から全く孤立してしまって、北朝鮮にとって何が得なのですか?

(アメリカのイラン侵略前、 “イラクの経済封鎖による国民の被害は、これから起こるであろう戦争に因る被害以上に酷い、その経済封鎖を取り除く為に、一刻も早くイラクに侵攻すべきだ”と訳の判らない暴論をテレビで吐いている評論家も居たくらいです。)

 

 しかし、拉致のメリットを誰が考えても判らないのに、北朝鮮は拉致をした事実を思うと、彼等にとって、メリットが有ろうが有るまいが、彼等は日本に核兵器を撃ち込むかもしれません。

だからといって、我々が核兵器を持ったところで、そんな彼等の暴挙を食い止める事は不可能でしょう。

そして、今日本が核兵器を持っていたとしたら、何か外交交渉上メリットがあるのですか?

2003年7月24日付けの朝日新聞には、次の記事があります。

 中国沿岸の6千余にのぼる無人島の使用権が売り出されることになった。日中間で領有権論争が起きている尖閣諸島(中国名・釣魚島)も含まれ、中国側の対応次第では日中間の新たなトラブルの種になりそうだ。 ……


 この尖閣諸島問題を日本が核兵器を持つ事で解決可能なのですか?

かえって、デメリットになるのではありませんか?

日中核兵器を抱え込み睨み合い、いつの日かどちらかから暴発してしまうかもしれません。

 ですから持っても役に立たない核兵器など持つ事はないのです。

そして、使えもしない(使ったら破滅)の核兵器に怯えてあたふたする事こそが、核兵器保持国の思う壷ではありませんか?

 

 更に、田中康夫氏の論のように、日本が核兵器を持てば、アジアの各国だって核兵器を持つようになるでしょう。

なにしろ、《通販生活2003春号》伊藤孝司氏は、次のように報告されているのですから。

 アジアで稼働している原発は2001年12月現在、日本の52基を筆頭に、韓国16基、インド14基、台湾6基、中国3基、パキスタン2基。韓国は4基が建設中で、16基の建設計画がある。中国は世界でもっとも多くの原発建設計画を持っており、原発での現在の発電量210万キロワットを、2010年に2000万キロワット、2020年に4000万キロワットにする計画だ。2005年までに8基の原発が稼動する予定。

 アジア諸国が原発建設を積極的に推進しょうとしているこうした状況へと導いたのは、日本を含む米国、フランス、カナダ、ロシア、韓国などの原子力産業による強力な働きかけである。しかも、それぞれの国の政府が積極的な後押しをしている。世界の原子力産業にとってアジアは、今や最大の市場である。

(中略)

ベトナム2020年頃をめどに、初めての原発の運転を開始しようとしている。1993年、インドネシアでの原発建設の可能性調査に「日本輸出入銀行(現在の「国際協力銀行」)」が融資……

アジアでの原発建設への日本の関りはプラントの輸出だけではない。……

アジア諸国に日本製原発を導入させるため、その購入資金まで融資しているのだ。しかも「国際協力銀行」の金融業務での資金は、国民年金・厚生年金、郵便貯金・簡易保険を使っての財政投融資によるものである。


 こんなにもアジアには核予備軍が控えている状態で、日本が核開発に踏み切ればアジア各国の核開発をどうやって食い止めるのですか?

(しかし、何故我々の年金資金や預金を勝手に、アジアの核開発の危険性を孕んだ原発へ投入するのですか?)

 

 そして、このチンケな中西チェンチェイは、アメリカには散々尻尾を振っておきながら、対中国となると “中国海軍の航空母艦を備えた外洋艦隊がアジアの海を我が物顔に往来するようになったとき、日本は核兵器を保有して通常兵器における劣勢を補わざるを得ない”と、キャンキャン吠えたてる背景には、彼の次の記述があるのです。

 我々日本人はいまこそ歴史を思い出すべきなのである。この国はかつて一度として、中国のアジアにおける優越を受け入れたことはなかった。聖徳太子が隋に向けた国書を「日出る処の天子……」と書き起こして以来、日本は中国と対等に接することをもって国是としてきた。


 この中西チェンチェイの珍説に対して、拙文《「日没する処の天子」とは?》にて触れましたが、中西チェンチェイは《隋書》に目を通した事があるのでしょうか?

《隋書》に於ける「日出る処の天子……」の前段を見れば、中西チェンチェイの珍説は早々に引っ込めて貰わなければならなくなります。

 

 以下に、その部分を岩波文庫の《魏志倭人伝他三編(編訳者:石原道博)》から「訳注『隋書』倭国伝」の一部を(注意書き共々)抜粋させて頂きます。

 大業三年(注:1)その王多利思比孤、使(注:2)を遣わして朝貢す。使者いわく、「聞く、海西の菩薩天子、重ねて仏法を興すと。故に遣わして朝拝せしめ、兼ねて沙門数十人、来って仏法を学ぶ」と。

その国書にいわく、「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙なきや、云云」と。

帝、これを覧て悦ばず、鴻臚卿(注:3)にいっていわく、「蛮夷の書、無礼なる者あり、復た以て聞するなかれ」と。

 

(注:1)隋煬帝の年号、推古天皇十五年(六〇七)。

(注:2)遣隋使小野妹子をさす。

(注:3)四夷に関する事務、朝貢来時のことをつかさどる官。今の外相のごときもの。


 この《隋書》に見る如く、聖徳太子は小野妹子を遣わして、随に朝貢しているのです。

更には、先の拙文に書きましたが、“太子は、落日の中、金色に輝く菩薩の世界、阿弥陀如来の浄土と、随(中国)を重ね合わせ、随の皇帝を“海西の菩薩天子”と崇め、太子自らを朝日が昇って間もない“現世で修行中の声聞”と謙った表現をされ、その慈悲深き“海西の菩薩天子”のもとへ小野妹子を遣わし朝貢し、仏法の教えを学ぼうとされた”と解釈も出来るのではなかろうかと存じているのです。

 

 更に、《後漢書倭伝》の一部を岩波文庫から引用させて頂きます。

 建武中元二年(光武帝、五七)、倭の奴国が貢を奉じて朝賀した。使人はみずから大夫と称した。倭国の極南界である。光武帝(後漢第一代、二五−五七在位)は印綬(金印紫綬、志賀島発見の金印「漢委奴国王」であろう)を賜うた。


 《後漢書倭伝》などの中国正史に於ける記述の信憑性が“志賀島発見の金印「漢委奴国王」であろう”によって裏付けられ、日本が中国に朝貢していた事実がはっきりするわけです。

 

 なのに、中西チェンチェイのように“日本は中国と対等に接することをもって国是としてきた”等と日本人に根も葉もない選民意識を植え付けようとしては、日本はアジアの孤児となってしまいます。

そして、この“選民意識”こそが、現在世界各地での民族紛争の火種になっているのではありませんか?

 

又、中西チェンチェイご自身がこんな「選民意識」を抱いているという事は、先に拙文《愛国とアメリカ》にも書きましたが、中西チェンチェイも又「えせ文化人」たる事を自ら公言されているようです。

 

 かって、内戦状態のユーゴから来日したユーゴの方が“少し前までは、民族など意識せずに、皆仲良く暮らしていたのに、何故こんなにも隣同士が憎しみ合うようになってしまったのか?とても悲しい”とテレビで語っておられました。

民族間で結婚された方々は、どちらの民族なのですか?

紛争相手の民族の女性を犯して、自らの民族の子供を増やす等との記述も目にしましたが、「民族」「民族」と口にする方々は狂っているのではありませんか?

それに、我が日本人とて単一民族ですか?南方系、北方系、又、縄文系、弥生系等と入り乱れているのではありませんか?

 

 テレビ朝日の番組《朝まで生テレビ》で、司会の田原総一朗氏(一年くらい前のテレビでの高市早苗議員に対する「下品発言」以来、右翼にキ○○マを握られてしまったのか、最近は盛んに“私はかっては軍国少年だった”と喚き散らすようになってしまいました。そして、以前は「国連中心主義」を標榜していた筈なのに、最近では“国としての条件は、軍隊を持つ事だ”と喚くようになってしまいました。)が、アメリカ共和党の大物パトリック・J. ブキャナンは彼の著作"病むアメリカ、滅びゆく西洋" に於いて、“ジョン・レノンの「イマジン」が、何をしたって自由なんだと歌い上げ、(アメリカ人のたがを外してしまい)アメリカを害している”と嘆いている旨を語っていました。

でもおかしくはありませんか?

拙文《愛国とアメリカ》にも書きましたが、イマジンはニヒリズムではなく「その為に殺したり死んだりしなければならない国や宗教なんて無い」と歌い上げている、これからの地球市民の「地球歌」でもあるのだと私は思います。

 

そして、このブキャナン氏の著作の翻訳者である評論家宮崎哲弥氏は、8月13日付け朝日新聞夕刊に、《ナショナリズムを問い直す》との注目に値する論評書いていました。

その最後の部分を抜粋させて頂きます。

……フツ族とツチ族の部族対立が最悪のジェノサイドに発展したルワンダで起きたことだ。

 事態がようやく収拾に向かいはじめた97年、ジェノサイド実行者の残党が寄宿学校を襲い、十代の女子学生17人を捕らえた。襲撃犯が少女たちにフツ族とツチ族に分かれるよう命じたところ、彼女らは「自分にちはただルワンダ人である」とこれを拒んだ。そして無差別に射殺されたのである(フィリップ・ゴーレイヴイッチ『ジェノサイドの丘』WAVE出版)。

 この話も一見、単なるナショナリズムの発露のようにみえる。無論、そうした側面もあったに違いない。

だが、その裏で「偶然にくる或る不幸」(藤田)を事もなげに引き受けてしまえる意思が働いている。安逸に流されず、偶然の不幸、死の虚無を見据えながらも、なお善く生きることを求め続ける意思。これこそがナショナリズムに内在しつつ、ナショナリズムを超える自由の可能性ではあるまいか。

 
 此処でのルワンダの少女達の“「自分にちはただルワンダ人である」とこれを拒み、そして無差別に射殺された”行動に対する宮崎氏の“「偶然にくる或る不幸」(藤田)を事もなげに引き受けてしまえる意思が働いている”との見解には、全面的に首肯する事は出来ません。

フツ族とツチ族に分かれる”事を拒否した少女達は、先のテレビで発言されたユーゴの方同様に、今まで仲良くしていた仲間同士が「民族」との名の下に、勝手に理不尽に区別される事を拒んだのではないでしょうか?

「自分にちはただルワンダ人である」と言った少女達にとっては、「ルワンダ人」を「地球人」或いは「人間同士」と言い換えても良かったのではないでしょうか?

少なくとも少女達には民族意識などは必要なかったのです。

少女達に必要だったのは、仲良しの関係だったはずです。

この意味では、宮崎氏の言う「ナショナリズムを超える自由の可能性」に結びつくのかもしれません。

 

 更に中西チェンチェイは、次のようなおかしな事を、書き続けます。

 日本が、国家としての自己生存能力を確保し、また二十一世紀型国家としての基本要件を身につけるために、必要とされるのは、武道でいう「心・技・体」の順を踏んでことに臨むということである。

 心とは、憲法、歴史教育、国家観といった国の根幹を成す精神の部分である。戦後的な迷妄によって歪められた国柄を糾すところからしか、真の国家戦略は生まれない。「核」という重荷を背負い、国家存立のためにその保有を効果あらしめるための、最も重要な柱は、日本人の確かな国家観と精神の機軸である。憲法改正がすべての前提となることはいうまでもあるまい。

技とは、戦略論とそれを支えるノウハウである。そこには直面する喫緊の課題に対処するための実務的な能力の錬磨も含まれる。 TMDの整備、「専守防衛」戦略からの転換、集団的自衛権の行使、また自衛隊の弱点というべき対地攻撃能力、水陸両舟作戦能力の向上、情報収集・評価能力、特殊作戦能力の強化など、取り組むべき″繋ぎ″の課題は山積しているのである。

 そして、体とは、日本に真の安全保障をもたらす総合的な核戦略システムそれ自体である

 三つのいずれが欠けても、国家は存亡の危機を免れまい。

 
 なぜ日本という国家が、“武道でいう「心・技・体」の順を踏んでことに臨む”必要があるのですか?

仮にそうだとしたら、私達一人一人も、それなりに「心・技・体」を備えなければ成りません。

そして、国家が国家の存亡の危機を免れる為に、「核戦略システムそれ自体である」と言うのならば、私達、個人個人も自己の存亡の危機を免れる為に、「武器を持つべし」と言う事になります。

なにしろ、素手では、マイク・タイソンにもボブ・サップにも朝青龍にも(中西チェンチェイはいざ知らず)敵いませんから。

となると、日本も(世界中何処も)アメリカ同様な「銃社会」となり危険きわまりない社会になってしまいます。

世界中が核兵器で溢れたら、いつか、核は暴発するでしょう。

今後、ヒトラーの如き狂気(?)の政治家が世界の何処かの国に出現しないとは、誰が保障出来ますか?

そして、その国に偶々核兵器が存在していたらどうなるのですか?

例えば、先に中西チェンチェイが言及した“NATO(北大西洋条約機構)軍のボスニア空爆”に於けるユーゴに、核兵器があったらどうなっていたのでしょうか?

 過去の戦争で、正当な戦争など有りましたか?

 

 安易に、「心・技・体」等との言葉を使って悦に入るのは止めて欲しいものです。

相撲に於いても、「心・技・体」を兼ね備える事が出来るのは、一部の横綱くらいです。

大関は大関、関脇は関脇、小結は小結、幕内は幕内、皆それぞれの相撲があって良いわけです。

誰もが横綱相撲を取る必要はないのです。

 

 国家だって個人だって皆それぞれ違って良いではないですか!?

国家が皆、核兵器を持ち「列強」になる必要が何処にあるのですか?

 
 そして、中西チェンチェイの論文の最後は次のように結ばれています。

私たち言論に携わる人間の責任も重い。国民一般の意識の変化とは別に、「日本軍国主義の復活」、「アジアの民衆の間に日本脅威論を起こしてはならぬ」といった俗論は相変わらず大新聞などを舞台に幅をきかせている。

 これらレベルの低い議論に対処するのは煩わしく、かつ、ときに空しくはあるが、それに影響され、ためらい、ひるむ政治指導者がいる以上、国民の生命・安全を第一義と考える言論人の責務として一々論駁していかなければならないと考えている。

 日本人の生存能力が回復するか、否か。知力、精神力の限りを尽くした戦いが、いま始まろうとしている


 中西チェンチェイの「精神力」が如何ばかりかは存じ上げませんが、此処で引用させて頂いた論文を拝読するからには、チェンチェイの「知力」に関しては嘆かわしい限りという事でしょう。

中西チェンチェイは、“これらレベルの低い議論に対処するのは煩わしく、かつ、ときに空しくはあるが、それに影響され、ためらい、ひるむ政治指導者がいる以上、国民の生命・安全を第一義と考える言論人の責務として一々論駁してい心なければならないと考えている。”と書かれていますが、私にはこの「レベルの低い議論」とは、中西チェンチェイご自身の論評であって、「こんな中西チェンチェイの論評に、対処するのは煩わしく、かつ、大変に空しくはあるが、それに影響される方を心配して、一々論駁していかなければならないと考えて」私は本文を書いたわけです。

 

 それにしましても、自分達だけの延命を図らず、友達共々死んでいったルワンダの少女達に比べて、核兵器を日本に導入して、他国民(場合によっては地球全体)を死へと追いやる危険性などはお構いなく、日本国民の生命・安全を確保すると息巻く中西チェンチェイは、なんとチンケな存在なのかと存じます。

 

 そして、先の宮崎論評の「偶然にくる或る不幸」は、「ある日、襲い来るかもしれない核(或いは戦争)の被害」を暗示しているのではないでしょうか?

この事を踏まえて宮崎氏は、彼の論評を次のように結んでいるのではないでしょうか?

安逸に流されず、偶然の不幸、死の虚無を見据えながらも、なお善く生きることを求め続ける意思。これこそがナショナリズムに内在しつつ、ナショナリズムを超える自由の可能性ではあるまいか。



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