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子供たちを心配する前に自らが鑑となれ(
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200749

宇佐美 保

 先の拙文《子供たちを心配する前に自らが鑑となれ(1》を続けさせて頂きます。

 

 そして、「次代を担う子供たち」の心配をする前に、メンバー(「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」)の方々同士で切磋琢磨し、己を磨き上げて、子供たちが憧れる人物になる事が先決ではありませんか!?

 

 しかし、この方々が国会内を闊歩している裏には、彼らに同調するマスコミ人が多いということでしょう。

東京新聞(200745日夕刊)で、ルポライターの早坂隆氏は、コラム「早坂隆の日本三面鏡」で、次のように記述しています。

 

 先日、評論家の竹村健一氏とこんな話題について話した。

 「国際社会の日本に対する眼は、日本人が自分たちで思っている以上にずっと良い。そのことを日本人は、もっと知っていていい」

 それを裏付けるようなある集計結果が発表された。BBC放送と米メリーランド大学が、世界二十七カ国の約二万八千人を対象に行った世論調査で、「世界に最も好影響を与えている国」を聞いた所、日本がカナダと並んで54%で堂々のトップだったのである。以下、EU53%)、フランス(50%)といった答えが続いた。

一方、「悪影響」との評価が多かったのは、イスラエル(56%)、イラン(54%)、米国(51%)、北朝鮮(48%)の順であった。

 

 日本のマスコミほど日本叩きが好きなのはいない。戦後、日本を覆った悪しき左翼思想の残骸である。

 「日本が世界から孤立する」「アジア各地で日本バッシングが起きている」といった誤った情報を読者に喚起させるような誌面づくりは、厳しく批判されるべきである。実際には、国をまとめる軸として「反日」を利用している「御近所さん」の数カ国を除き世界は概ね親日的である。そのことば先に引用した世論調査でも実証されているし、私がこれまで取材してきた五十カ国近くでの体験を通じて得た実感でもある。

・・・

 「日本は資源の少ない国だが、努力と勤勉さによって世界で二番目に豊かな国となった」こんな言葉を外国人の口から聞くことば珍しくない。逆に、日本人がこう言っているを、私は聞いたことがない。

 もちろん、「自慢主義」に陥る必要はないが、「自虐主義」もはどほどにしないと、将来ある子どもたちは自分の国に嫌悪感を抱くのみである。ジャーナリズムは叩くべき所を叩けばその機能は十分果たすはずなのだが、何でもかんでも叩こうとするのは、些か歪である。

・・・

 

 この「早坂隆の日本三面鏡」の記述は、「三面鏡」と銘打ちながら、「一面鏡」的です。

日本は資源の少ない国だが、努力と勤勉さによって世界で二番目に豊かな国となった」は、世界中の人が認める事実でしょう。

(早坂氏は、“日本人がこう言っているを、私は聞いたことがない。”と書かれていますが、日本人誰もが言うまでもないことですから言わないだけです。)

 

 更に、世界が日本に好感度を抱いている背景には、今までは「平和憲法」のもと、軍事行動から無縁であった事実が、早坂氏の「一面鏡」には映し出されていないようです。

(今後は、「改憲」して、世界に悪影響を与えている第3番目の国である米国に軍事的にも歩調をあわせて行けば、好影響国から、悪影響国に転落するのは明らかです。

米国だって、軍事行動を控えれば、好影響国の第1位だったかも?)

 

 一方、“「日本が世界から孤立する」「アジア各地で日本バッシングが起きている」といった誤った情報を読者に喚起させるような誌面づくりは、厳しく批判されるべきである。実際には、国をまとめる軸として「反日」を利用している「御近所さん」の数カ国を除き世界は概ね親日的である。そのことば先に引用した世論調査でも実証されているし、私がこれまで取材してきた五十カ国近くでの体験を通じて得た実感でもある。”に関しては、早坂氏の「一面鏡」には、“世界は概ね親日的である”は正しく映し出されてはいても、私達が最も大事にしなくてはならない、そして、戦争で大いなる迷惑を与えてしまった「御近所さん」の数カ国の印象を、“国をまとめる軸として「反日」を利用している”と簡単に片付けています。

 

 

この早坂氏の論法で行きますと、
日本中で憤慨している「北朝鮮の拉致問題」も、
安倍氏らが“国をまとめる軸として「反北朝鮮」を利用している
と簡単に片付けられてしまいます。

(先の、安倍氏の質問でも“強制的にある日、突然、拉致されてしまうわけですから、横田めぐみさんみたいに連れていかれちゃう。”と拉致問題を引き合いに出しています。

この安倍氏の態度に、なにやら胡散臭さを感じるのです。

この件は長くなりますので、別文にて記述する予定です。)

 

 早坂氏が“「自虐主義」もはどほどにしないと、将来ある子どもたちは自分の国に嫌悪感を抱くのみである と書かれている、「自虐主義」、即ち、「自虐史観」とは何であるかと、「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」を見ると、次のように記述されています。

 

第二次世界大戦敗戦後、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による統制の下で、歴史学界や教育界(学校教育の現場、日本教職員組合に入っている教師ほか)などでは「なぜ敗戦に至ったのか」という視点から過去への反省がなされ戦前の日本国民の価値観は徹底的に覆される事になった

 

日本の近代化の遅れや歪み、民主主義の未成熟などが問題とされることが多かった。また、戦前のいわゆる皇国史観が歴史学の研究に規制を設け、歴史学の発展が阻害されたという反省からマルクス主義の影響を強く受けた歴史研究が主流となった

 

「新しい歴史教科書を作る会」などの運動をする人達はこうした状況下で育まれた歴史観を「自虐史観」とし、「戦後の歴史教育は日本の歴史の負の面ばかりを強調し過ぎ、あまりにも偏った歴史観を自国民に植え付ける結果となった。」と主張する。

 

そのような教育を受けた結果「自分の国の歴史に誇りを持てない」、「昔の日本は最悪だった」という意識を植え付けられ、「いわゆる戦後民主主義教育によって誤った歴史観(自虐史観)が蔓延した」として、「誤った歴史観」の修正を唱えている。

 

 確かに「マルクス主義の影響を強く受けた歴史研究が主流」となって「戦前の日本国民の価値観は徹底的に覆される事になった。」というのは行き過ぎではありましょうが、“「なぜ敗戦に至ったのか」という視点から過去への反省”が大事なのであって、その「反省」を、その行き過ぎを「自虐」という言葉で片付ける事は大問題です。

自虐」という言葉は不適切です。

 

 「反省」は、とことん行われるべきです。

とことん行われる「反省」は、決して「自虐」ではありません。

中途半端な反省では「新しい未来」は拓けてきません。

そして、過去の失敗を繰り返してしまうのです。

 

なのに、読売新聞(2007.3.18)で、編集委員の永原伸氏は、次のように記述しています。

 

・・・

 米国で今、「奴隷」という言葉が氾濫している。いわゆる従軍慰安婦問題を巡り、米下院が審議中の決議案にこうある。

 「日本政府は若い女性を『性奴隷』(sexual slavery)にした歴史的な責任を明快に認めよ

 米メディアも「性奴隷」という言葉を使って、日本の対応を論難している。

 おそらく多くの日本人は、慰安婦問題に対し、「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた」(1993年の河野洋平官房長官談話)と認識し、旧慰安婦に「心からお詫びと反省の気持ち」(同)を抱いているであろう。

安倍首相も、同様の発言を繰り返している。

 だが、日本の官憲が組織的に慰安婦を強制連行していたことを示す旧軍資料は、今に至るも見つかっていない。その事実をあえて無視し、日本は「性奴隷」制の国だったと決めつける米国の物言いには、首をかしげる人も少なくないのではないか。

・・・

 それにしても、こう何度も慰安婦問題が蒸し返されると、ではあの時、旧日本軍はどう行動していたらよかったのか、という素朴な疑問がわいてくる。

 秦郁彦氏(現代史家)の「慰安婦と戦場の性」(新潮社)によると、旧ソ連軍は兵士が強姦するがままに任せた。米軍は兵士たちが現地の売春宿を利用するのを事実上黙認した。15万箱の避妊具を前線に送り出したとの記録も残っている。

 日本も兵士の好き放題にさせていれば、「性奴隷」制の国呼ばわりされることはなかった、ということなのだろうか

 慰安婦問題が日本の「不名誉」であるのは確かだが、それは他国の「名誉」を意味しない。

 日米の「不仕合せ」な関係を拡大しないために必要なのは、自らを省みるまなざしである

 

日本の官憲が組織的に慰安婦を強制連行していたことを示す旧軍資料は、今に至るも見つかっていな」と記述する永原伸氏は、前述の「吉見教授の従軍慰安婦に関する研究」(先の拙文《子供たちを心配する前に自らが鑑となれ(1》をご参照下さい)を全く無視しています。

 

 その上、永原伸氏の“日米の「不仕合せ」な関係を拡大しないために必要なのは、自らを省みるまなざしである。”との記述は、「日本側にもっと自らを省みるように」との意味ではなく「米国側も自らを省みるように」との意味です。

 

 そして、この主張の裏には、「米国の方々よ自らを省みてください。そうすれば、戦時に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたのは、(日本軍同様に)あなた方〈米軍〉も然りである事に気が付くはずです。お互い様ではありませんか!ですから、何も日本の従軍慰安婦問題だけをとやかく言わないで下さい」があるのです。

 

更には、“秦郁彦氏(現代史家)の「慰安婦と戦場の性」(新潮社)によると、旧ソ連軍は兵士が強姦するがままに任せた。米軍は兵士たちが現地の売春宿を利用するのを事実上黙認した。15万箱の避妊具を前線に送り出したとの記録も残っている。”から、“日本も兵士の好き放題にさせていれば、「性奴隷」制の国呼ばわりされることはなかった、ということなのだろうか。”としか、認識できない人物が、日本の大新聞の編集委員として、日本の世論を導いて行くのですから、悲しくもあり驚きでもあります。

 

 “秦郁彦氏(現代史家)の「慰安婦と戦場の性」”の記述を眼にしたら、

「日本の慰安婦問題を正当化」するのではなくて

私達、人間は、ひとたび戦争が勃発してしまうと、
(何も、日本軍、又、旧ソ連軍、米軍に関わらず)
どこの国でもどこの軍隊でも、
「多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけ」たり、
多くの惨たらしい行為を平気で繰り返すという
私達の残虐性をはっきりと再認識して、

戦争を放棄する決意を新たにすべきなのです。

 

 安倍氏、中川氏を初めとする「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」のメンバー各氏、又、国会議員たちも、戦争の正当性を論うのではなく、戦争の悲惨さを今以上に徹底的に暴きだし反省し、二度と戦争を起こさない決意を新たにすべきです。

 

米国の侵略の結果、イラクの方々がどのような苦しみに陥っているかをもっと認識すべきです。

 

日本政府は、「大量破壊兵器を保持していなかったイラク」への米軍侵略を支持したことの非を認め、をイラク国民に謝罪すべきです。

 

 早坂氏は“「自虐主義」もはどほどにしないと、将来ある子どもたちは自分の国に嫌悪感を抱くのみである と書かれていますが、先にも書きましたが

「反省」は「自虐」ではないのです、
「反省」は「反省」すればするほどに、
それに見合うだけの新しい芽が出てきます。


そして、その大事な「反省」を疎かにして「自己を正当化」する態度(先の戦争だけでなく、議員としての態度)、更には、明らかに誤った判断行動をして

イラクに甚大な被害を与えておきながら、
反省せず謝罪ひとつしない日本政府の態度に対してこそ、
「将来ある子どもたちは自分の国に嫌悪感を抱く」のです。


(若し、子供等が、嫌悪感を抱かないなら、彼らは、そんな大人の態度を真似てゆくのでしょう。

早坂氏が、コラムを「早坂隆の日本三面鏡」と銘打って「将来ある子供を思って」書くからには、早坂氏ご自身が「子供たちの鑑」的存在であるべきと存じます。)

 

 「将来ある子どもたちの教育」を心配する方々は、どのような教育を受けてきたというのでしょうか?!

 

 私は、先に例を挙げた、京の島原からは忠臣蔵の大石内蔵助を思い起こします。

そして、内蔵助の主君浅野内匠頭は、どなたもご存知の如く、忍耐する事を怠り(?)江戸城松之大廊下において吉良上野介に対して刃傷におよび、即日切腹を申し渡されています。

一方、江戸の吉原からは、吉原の三浦屋の前で繰り広げられる歌舞伎十八番のうちの「助六」を思い起こします。

そして、「助六」の舞台では、花川戸助六が、吉原の遊客たちに「股潜り」をさせて喧嘩を売ります。

 

 でも、今の議員さんたちやマスコミの人達は、この「股潜り」の意味をご存知なのかしらと疑わざるを得ません。

 

 私達は、子供の時には「韓信の股くぐり」を何度も叩き込まれました。

「韓信の股くぐり」を安倍氏らは、ご存じなさそうなので「フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』」から引用させて頂きましょう。

 

韓信の股くぐり(かんしんのまたくぐり)は中国の秦末から漢の時代にかけて活躍した武将、韓信が残した故事。「大きな志を持った者は、ささいな恥辱を意に介さない」という意味の教訓となっている。

 

[編集] 股くぐり

韓信は若いころ、淮陰に住んでいたが、貧乏だった。あまりの様子を見かねた老婆に飯をおごられたというほどであった。しかし、常に剣だけは身につけていた。ある日、韓信が河で釣った魚を市場で売ろうとして大通りを歩いていると、ごろつきたちが集まってきて、「お前はいつも剣を偉そうに差し、大通りを我が物顔で歩いているが、勇気があるなら俺を刺して見ろ」と韓信を挑発した。韓信は、罪を犯してもいない人を殺すわけにはいかないといって断った。するとごろつきたちは「臆病者め。それなら俺の股をくぐれ」とさらに挑発した。すると韓信はいわれるまま男の股をくぐりぬけ、そのまま市場に向かったこれを見ていた者たちは韓信を臆病者と大笑いし、この噂はたちまち広まった

 

 子供の時には「韓信の股くぐり」を何度も叩き込まれた私は、近隣諸国に何度でも何度でも謝るのは吝かではありません。

(勿論、近隣諸国を「ごろつきたち」と申しているのではありません。)

そして、私達は、「世界の平和」という「大きな志」を抱いて「自虐」等と言葉の遊びをすることなく「反省」に「反省」に重ねて何度でも何度でも謝ることを厭ってはならないのだと思っているのです?!

 

 

私達は、今の「政治家」が、
将来を担う子供たちの鑑へと脱皮する事を期待したいのです。

 

 しかし、今の国会議員たるや、「3LDK(82平方メートル)で、家賃は周辺相場の約5分の1とされる9万2000円」の衆院赤坂議員宿舎に収まろうというのですから、呆れてしまいます。

 

それも、批判を恐れる入居者が多いとなると、次のような談話(毎日新聞:43日)が飛び出してくるのです。

 

 

衆院赤坂宿舎(東京都港区)の問題で、衆院議院運営委員会の逢沢一郎委員長は3日、家賃の妥当性を訴え、議員に入居を促す異例の「委員長談話」を発表した。「東京での居住環境を合理的な自己負担の下に保障することで、国政に専念できる環境を整備することは、国民の負託に応える上で必要不可欠」と訴えている。 

 

 でも、国会議員が「国政に専念」されるのなら、文句はありません。

しかし、「国政に専念」されておられる議員が、どれだけお方は居られるのですか?!

 

元衆議院議員の久野統一郎氏が、10年間の議員時代を回顧された談話(取材・文:ジャーナリストの溝口敦氏)が、通販生活(2006年春号)に掲載されています。

 

──政治家は偉くなるためには近道なんでしょうけど、不特定多数に笑顔を向けたり、握手したり、大声を出したり。たいした仕事じゃないなと思います。失礼ながら、賎業なんじゃないか。政治家をお辞めになって、どう感じます?

 

久野氏 確かに賎業的なところはあります。選挙に勝って当選した次の日から、次の選挙に勝つために、もう朝から晩まで全力を尽くして、気を抜く暇がないんですね。

 私は10年間やらせていただいたんですけど、本当にのんびりしたなと思ったのは、石井一先生(民主党)、昔は竹下派の幹部だったものですから、その石井先生に連れていってもらって、モンゴルヘ行ったんですよ。1日以上汽草に乗っていたと思うんですけど、あのときは、乗っていて何もやることがなかったものですから「ああ、本当にのんびりしたな」と思った。

 そんな想い出は、その1日だけで、もう10年間、朝から晩まで、いろんな会合があって、人が集まっているといわれたら、呼ばれてもいないのに出かけて、そこで挨拶するとか。

何もやることがなければ、もう選挙区の有力者回り。盆踊りとか、老人会とか、婦人会とか、町内会の総会とか、もう人が集まっていると、何でもそこに出掛けていった。

 ほんとはバカげたことをやっていてはいけないんですよね。国会議員だから、国会議員らしい、本当に国全体のためのことを考えてやらないといけないな、と。賎業と言われたけど、確かにそういうところはありますね。

 

 このように語られる久野氏の例が特殊だとは思えません。

(久野氏は、正直に語って下さったのだと存じます。)

大部分の議員達は、かつての久野氏同様に次の選挙に当選する事が議員活動ではないのでしょうか!?

更には、自分の子供達に選挙地盤を引き継いで行く事が議員活動なのでしょう。

選挙地盤を子供に引き継がせるのは、
自らの姿かたちを
子供のそれに変えての天下りのようなものです。

そんな政治家達に期待できますか!?

 

 現在のこのような政治家ではなく、

「将来を担う子供たちの鑑となる政治家」を選出できるよう、
又、自分達が子供たちの鑑となれるように、(くだらないテレビ番組に別れを告げ)
私達自らを磨けあげる事が必要であり、
明るい将来を切り拓くための近道なのだと存じます。

(石原晋太郎氏を「リーダーシップを発揮できる人物」等との評価をして都知事に選出してしまう私達自らを磨き上げるべきです。

さもないと、国民投票に踊らされて、奈落へ通じる道を選択してしまうでしょう!)

 

 なにしろ、私達の身の回りには、私達の鑑となる方が居られるのですから!

自らをとことん磨いてゆく事は可能です。

ここでは、東京新聞のコラム「筆洗」に記述されたお二人を紹介させていただきます。

 

先ずは、200742日付けの「筆洗」に紹介された松井秀喜選手です。

 

 体は丈夫だったが、何をやってもすぐに習得できる天才型ではなかった。人より進歩は遅く、努力しなければ人並みになれないタイプだった。米大リーグ・ヤンキースの松井秀喜選手が振り返る自分の少年時代だ▼小学校三年のころ、父親から「努力できることが才能である」と毛筆で書かれた半紙を渡される。打てずに悔しいとき、部屋に張った半紙を見つめ素振りを続けた。著書『不動心』(新潮新書)には、この言葉が「希望」だったとある・・・

野球選手の最高の幸せは「松井も頑張っているんだから、自分も…」と思われることにあると考えているからだ。・・・

 

私達には「努力」が必要なのです。

しかし、私は、野球選手(大打者)としての松井秀喜氏には最近不満を抱いております。

何故、日本で長嶋氏から伝授された打撃術に固執し続けるかしら?

松井選手ほどの選手なら、恩人の殻を破って成長してこそ、恩返しとなるのだと思うのですが?!

長嶋氏を遥かに凌駕する強打者、好打者(ヤンキースのチームメート、A・ロドリゲスは超人過ぎるとしてもアブレイユなど)の打撃術を取り入れないのが不思議でなりません。

(この件に関しては拙文《超一流(松井選手)と凡人》もご参照下さい)

 

 更に、200748日付けの「筆洗」に紹介された「官僚らしくない官僚佐橋滋さん」です。(あまり素敵なコラムなので全文引用させて頂きます。)

 

 官僚らしくない官僚だったのだろう。佐橋滋さんには『異色官僚』と題した著書がある。通産省(現・経済産業省)の事務次官を退任した際のあいさつには、異色ぶりが現れている

▼課長以上の幹部を集めて「ポストは仕事のためにあることを忘れないでほしい。ポストは君たちのためにあるのではない。いわんや出世のための階段のごとく考えるものがあるとすれば、とんでもない心得違いというべきである」と説いた。就任のあいさつのようだと冷やかされたという

▼佐橋さんは「後輩どもにいい残す言葉として、僕自身いささかの偽りもない」と記している。その証拠に退任後、「高給厚遇」のポストに天下ることをしなかった。四十年ほど前の話だ

自分たちが志をもって国を動かしているとの気概が、佐橋さんにはあったと思う。だから自分を厳しく律せよと幹部に説き、実践することができる

▼国家公務員の天下り規制をめぐり、官僚組織の抵抗が続いている。ポストが自分たちのためにあると、心得違いしているように見える。中央省庁が所管する四千五百超の公益法人などに、昨年四月現在で国家公務員OB約二万八千人が天下っている。そこへ補助金交付や業務契約の形で、約六兆円の税金が半年間で支出されている。天下りポストの四割超は、取締役に相当する役職員だった

▼OBの受け入れと国からの支出に因果関係があるとすれば、天下りが税金の無駄遣いや、官製談合を常態化させることにつながる。「天下り天国」をなくすことに「待った」はもう許されない。

 

 この佐橋滋さんに関しては、週刊文春(200745日号)の記事「政財界人が語る「わが心の城山三郎」10冊」の中に次の記述があります。

 

官僚たちの夏』で若手通産官僚のモデルの一人とされる棚橋祐治元通産事務次官はどうだったのか。

「当時、私は入省数年目で城山さんの取材は受けていないんですが、上司からいろいろ聞いたことはあります。いずれにせよ『官僚たちの夏』には感激を覚えました。モデルとなった佐橋滋次官と、後に次官となった両角良彦さんを中心にして『官民融合化』という画期的な試みをしたんです。しかし金融界が賛成せず成功しなかった。とはいえ当時の官僚は野武士のようなところがあって、燃えていたんです」

 

 そこで、私は早速『官僚たちの夏』を発注しました。

他には、次のように中曽根康弘元首相が、『男子の本懐』と、『落日燃ゆ』を推しておられましたが、両著とも既に購読していましたので、今回は購入しません。(なにしろ『落日燃ゆ』は単行本と文庫本を購入していますので。)

 

 終戦時、城山氏は海軍特別幹部練習生。そのころ海軍主計少佐だった中曽根康弘元首相も『落日燃ゆ』を挙げる一人だ。

「城山さんの作品で、私にとって最も印象深いのは、浜口雄幸のことを書いた『男子の本懐』と、広田弘毅について書いた『落日燃ゆ』です。二人共、信ずる政策に命を懸け、人間味ある決断と断行の人でしたが、悲劇的な生涯を送った政治家でもあった。その政治にかける人間味の卓越した人物像ゆえに、城山さんは、この二人を選んだと思うが、城山さんらしい選び方だと思いました。

 

 更には、

 

城山氏とともに住基ネットや個人情報保護法に反対した桜井よしこ氏が語る。・・・

 作品では広田弘毅を描いた『落日焼ゆ』や前尾繁三郎、灘尾弘吉、椎名悦三郎という三人の政治家を描いた『賢人たちの世に感銘を受けました。政治家の実像というよりも、彼らの思いを城山さんというフィルターを通して描く手法で、城山さんの思いを書いているような感じでしたね」・・・

 

 ですから、この賢人たちの世も購入し勉強させて頂こうと存じております。

 
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