いじめと石原都知事とビートたけし氏(3)
2006年12月10日
宇佐美 保
先に《いじめと石原都知事とビートたけし氏(1)》、《いじめと石原都知事とビートたけし氏(2)》を書いたのですが、次のような記事を見ましたのと、先の拙文に関して貴重なメールを頂きましたので、続けさせて頂きます。
先ずは、産経新聞(12月8日)の次の記事です。
いじめ相談の後輩暴行 全裸写真撮影 高3ら4人逮捕 被害者の後輩は小金井市に住む高校1年の男子生徒(17)。両親と離別したため養護施設を転々とし、住み込みで新聞配達をしながら高校に通っていた。少年らとは小中学校からの先輩後輩の関係で、浅黒い肌をバカにされたり、「親がいないから汚い」と、いじめられていた。 高校でも教室などで話した悪口が少年らに伝わる度に暴行を加えられており、11月7日には職員室で先生に「(少年らに)狙われている」と相談している途中に少年が乱入、もみ合いになっていた。 4人は2日後の9日夕、同市の公園に男子生徒を呼び出し、顔などを殴って軽傷を負わせたほか、「裸になるか、指の骨を折られるか、とことんつぶされたいか決めろ」と迫り、現場にいた女子生徒3人の前で全裸にさせ、携帯電話のカメラで撮影していた。 |
何故このような酷い行為を少年達は行ったのでしょうか?!
まるで、ビートたけし氏などが制作している映画や、テレビドラマのようではありませんか!?
先の拙文《いじめと石原都知事とビートたけし氏(1)》には、週刊ポスト(2006.12.1号)にて、ビートたけし氏は次のように発言しています。
・・・ でも、お笑い番組がいじめの原因だなんてのはお笑いに対する差別だよな。それだったらヤクザ映画とか殺人ドラマはいじめの原因にはならないのかよってね。 サスペンスドラマじゃ、理不尽な殺人事件や通り魔事件、バラバラ殺人事件まであるんだから、人殺しはいけないってことになるだろうにさ。お笑いで殺人をやったことは一度もないんだからね。殺人ドラマには文句つけないでおいて、お笑いだけ取り立てていうのは笑えない冗談じゃないかっての。ジャン、ジャン! |
私は、ビートたけし氏の監督した映画を何本か見ましたが、その映画に共通して出てくる場面は、私が日頃心の奥深くに押し込めている残虐行為願望をそのまま映像化してくれているのです。
(もう、記憶が定かでなくなりましたが)ヤクザの眼の中に棒を差し込んだり、派手に銃をぶっ放したり・・・
これらの場面は、私の心のガス抜きにはなるのかもしれません。
しかし、先と同じ週刊ポスト(2006.12.1号)には、ビートたけし氏は次のように書かれています。
・・・ オイラたちのギャグをウソでやってるというバランスのわかるヤツもいるけど、今の子供たちはバーチャルゲームで育ってきてるから、バーチャルと本物の違いがわからないんでさ。本音とウソのバランス感覚がなくなってるんだろうな。 オモチャのピストルで遊んだ経験のある子は、ドンパチやる拳銃映画を観ても映画の殺し合いはリアル感がないし、本物だと思わないけど、ゲームで育った子は本物の区別がつかないんでさ。 |
ここで、たけし氏は“ゲームで育った子は本物の区別がつかない”と述べていますが、たけし氏の映画を見る人達の多くは、ゲームではなく、「オモチャのピストルで遊んだ経験のある」人達と存じますが、彼らにとって、たけし氏の「映画の殺し合い」は、十分にリアル感がある筈です。
(勿論、私にとっても、十分にリアル感がありました。)
だからこそ、人気が出るのではありませんか?!
そして、子ども達には、それが自分の心のガス抜きと言うより、自分の行動の手本にもなるでしょう。
更には、ビートたけし氏は、同じ週刊ポスト(2006.12.1号)で、「いじめで自殺した親の問題に触れない方がよっぽど問題なんだよ」と発言しています。
その箇所を再掲させて頂きます。
・・・だけど、「わかってるけど誰もいわないこと」がまだあるだろってオイラはいいたいね。 それは、いじめられた子の親の問題はどうなってるんだってことでさ。そういうと、被害者に鞭打つような残酷なことをいうのかって批判されるんだろうけど、いじめで自殺した親の問題に触れない方がよっぽど問題なんだよ。 ・・・ 学校のことは教師の責任と、まかせっきりにしてなかったか。少なくとも、教育において親と教師の責任は半々じゃねェのかな。 それを考えた時に、あれほど学校側を一方的に責めるってのが、オイラにはわかんねェんだよ。少なくともオイラだったら、「子供のことでは先生にもご迷惑おかけしました」ってトコから始めると思うんだよ。 そりや確かに学校が明らかにおかしいこともあるだろうさ。でも、マスコミが「子供を失った親は被害者で、学校が加害者」とまではいわないまでも、「いじめの片棒をかついだ責任者」って図式で報道することには違和感があるね。親だって責任者の片割れじゃねェのかよってね。 ・・・ |
しかし、今回は「両親と離別したため養護施設を転々とし、住み込みで新聞配達をしながら高校に通っていた」少年が被害に合われたのです。
このような少年を「親がいないから汚い」といじめた少年達には、親がいるのでしょう!
だとしたら、何故このような酷いことをした少年達の親は謝罪されないのでしょうか?
(謝罪されていても、記事には載っていないのでしょうか?)
「オイラなんか全部いじめギャグで食ってきた」と広言するビートたけし氏は、自らのいじめを正当化するために、いじめられる側の責任を突き、いじめ側の責任に頬被りしている感があります。
しかし、私はいじめ側の責任は重大であると存じます。
今回の事件に於いても、たけし氏流に書くなら「いじめた側の親が「子供のことでは先生にもご迷惑おかけしました」ってトコから始めると思うんだよ。」となるべきです。
それにしても、何故いじめた側の親の顔が隠れているのでしょうか?
私の小学生時代は、拙文《いじめと石原都知事とビートたけし氏(1)》に書きましたように、「焼き鏝状態の針金の先端を私の目の上に押付けたガキ大将」のお母さんは、直ぐに我が家に謝罪に来られました。
その頃の私達は、どんないたずらっ子でも、いじめっ子でも、親に迷惑をかけまいと思っていた筈です。 |
最近、映画「硫黄島からの手紙」話題となっていますが、硫黄島で全滅すると分っていても、降伏せず最後まで戦って死んでいった方々に対して、「戦陣訓(生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ)」の影響は絶大だったのかもしれません。
(なにしろ、(ウィキペディアを参考にさせて頂きますと)ポツダム宣言(1945年)で日本軍の無条件降伏が発令されたことを知らされず、グァムに残ってジャングルや自ら作った地下壕などで生活し、1972年現地の猟師に発見され、日本に帰還した横井庄一氏の、帰国の際の第一声は
「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」 |
だったのですから。)
しかし、下種の私がその場にいたら「戦陣訓(生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ)」など糞くらえ!で、なんとしても(虜囚となって)生き残りたいと思ったでしょう。
でも、結局は「虜囚」とならず、最後まで戦って死んでいたと存じます。
なぜなら、
私が「虜囚」となれば、国の親達が「非国民の親」との謗りを受ける事が耐えられないと思う |
からです。
そこで、「戦陣訓」に関して、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』には次のように説明されています。
戦陣訓(せんじんくん)は、1941年(昭和16年)1月8日、当時の陸軍大臣・東条英機が示達した、陸軍軍人としてとるべき行動規範を示した文書。島崎藤村が文案作成時に参画した。 敵の捕虜となることを戒めるといわれる本訓其の二第八「名を惜しむ」の「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」の一節が特に有名であるが、これは降伏禁止の意味ではなく、(降伏をしないこと自体は日露戦争以降当然視する風潮が強くなった。)「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思ひ、愈々奮励して其の期待に答ふべし。生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ。」と全体の文面で解釈すると、軍人として恥ずかしい行いをすれば、捕虜になったときはもちろん、死んでからも罪禍の汚名を着ることになるのだからそういう恥ずべき行い(捕虜、民間人の虐殺、強姦など)はやってはいけないという意味である。 |
したがって、「生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」だけが一人歩きしていても、兵士の行動は「常に郷党家門の面目を思ひ」によって支配されていたのではありませんか?!
以下は、「栗林中将、素顔の手紙 家族らへ300通 硫黄島で指揮」との朝日新聞の記事(2006年12月08日)を参考にさせていただきながら書かせていただきます。
先ず、硫黄島の戦いは、
海兵隊を主力とする米軍が45年2月19日に上陸。5日で戦闘を終える予定だったが、日本軍の予想外の反撃に遭い、戦闘は36日後の3月26日まで続いた。太平洋戦争の後半期、米軍が出した死傷者約2万8000人の被害は、日本軍を上回る唯一の戦闘となった。補給も退路もない孤島で繰り広げた日本軍の決死の戦いぶりが知られている。 |
そして、この戦を率いたのが、栗林忠道中将(当時53)だったのですが、何故このよう全滅覚悟の戦いを実行したのでしょうか?
朝日新聞には、「戦略的な要地のため、堅固な地下陣地を築いて持久戦に持ち込み、日本本土への空襲被害を軽減しながら講和の時間をつくろうとしたとされる。」と書かれていますが、だとしたら、このような多数の犠牲を無にして講和をあくまで躊躇した日本の中枢は責を負わなくてはなりません。
しかし、日本の中枢の無能振りとともに、天邪鬼的な見方をすれば、この戦い:「日本軍は20,933名の守備兵力のうち20,129名が戦死した(ウィキペディア参照)」は、多くの兵士の命を奪った上に、日本軍の優れた戦闘能力を米国に植えつけてしまった結果、その後の原爆投下の口実(米軍兵士の損害を少なくしての平和に漕ぎつける)を与えてしまったとも考えられます。
いずれにしましても、
演技の際、「ミリタリズム(軍国主義)を鼓吹しないよう注意した」 |
と話す主演の渡辺謙さん(役作りのために実家を訪れ、栗林中将の墓参りもした)に、私は敬意を払います。
そして、栗林中将の胸の内を、下種の私は垣間見る事は出来ませんが、下種なりに勘ぐらせて頂きますと、家族や親類へ、約300通の手紙を送り続けた優しい栗林中将は、日本国のため云々よりも、死後、残される家族が、周囲から後ろ指を差されることのないようにとの思いから、捨て身の戦いに全力を傾注したのではないでしょうか?
勿論、彼に従った兵士達も同じ思いで戦い、又、同じ思いで戦うであろうと栗林中将は信じていたのではありませんか?!
ですから、
昔の日本人は、自分の恥よりも「親の恥、家族の恥」に重視したのではありませんか?! そして、その結果「親の面が見たい」の言葉が存在したのでは?! |
そして、それだけ家族の絆が強かったのでしょう。
しかし、その絆が弱まると、子ども達は「親の恥など頓着せず」、親達は「子どもへの責任を放棄し、学校に押付ける」事態に陥ってしまうのではありませんか?
しかし、この親子の絆の強さがおかしな具合に作用すると、又、横井庄一氏の「恥ずかしながら、生きながらえて帰ってまいりました」に代表される「恥」の意識を忘れると、とんでもない事になります。
「しんぶん赤旗(2006年12月6日)」には、次の記事〈全文〉が載っています。
東京都は石原慎太郎知事の四男・延啓(のぶひろ)氏に、旅費などを委託契約のなかに盛り込ませる形で税金を支出していた疑いが五日、明らかになりました。日本共産党東京都議団が同日、都庁で記者会見し、情報開示請求で入手した文書から、この問題を指摘しました。 同文書は二〇〇三年十一月に荒川満氏(都生活文化局文化振興部長・ワンダーサイトコミッティ委員長=当時)から、今村有策氏(都参与、ワンダーサイト館長)にあてたメールです。 〇四年一月に石原知事がスイスのダボスへ海外出張した際、都知事主催のレセプション「東京ナイト」が開かれました。同メールは、レセプション出演者への公演委託契約について、「(演奏者との)契約の中に鏡板(舞台背景)制作費を盛り込まさせていただきます。この鏡板は、○○さん(演奏者)から延啓さんに制作発注してもらいます。延啓さんの旅費も含めて」と記述しています。 これについて都側は、演奏者が社長を務める会社と「会場装飾委託契約」(約三百三十万円)を結んだと説明。マスメディアにたいし、延啓氏が公費で海外出張などをした事実を認めていますが、「都は演奏者と契約している。演奏者がどんな人材を使おうが、意見を言う立場にない」としています。 そのほかメールには、石原知事の側近である高井英樹特別秘書とみられる名前も記されており、同氏が関与した疑いもあります。 日本共産党都議団の吉田信夫幹事長は「公職にある知事として自らの息子を都の事業にかかわらせることは厳に慎むべきで、今回のように条例による手続きも踏まずに、税金が迂回(うかい)支出された疑惑は極めて重大だ。共産党都議団は石原知事の都政私物化をただすため、引き続き全力を尽くす」とのべました。 |
ところが朝日新聞(2006年12月05日)の記事は次のようです。
石原知事は5日、報道陣に対し、起用に知事自身が関与したのか問われ、「そんなこといちいち口を出す必要は無い。断っておきますけど、うちの息子は立派な絵描きですよ」と反論。「(演奏者と四男に)タダでやってもらって、旅費も(自分で)払ってなんて言えない。当たり前のことじゃないですか。違法性があるなら指摘してもらいたい」と話した。 |
万が一、「違法性が」ないとしても、このような「税金を使って我が子へ愛情を注ぐ行為」(それに加えて、ご自身の海外出張費や、「若手芸術家育成」の名で石原知事が始めた「トーキョーワンダーサイト」の都政私物化も含めて)を栗林中将も、歩兵第38部隊伍長の横井庄一氏も「恥」として嫌悪されたと存じます。
(しかし、この記事の「税金が迂回(うかい)支出された疑惑」の部分は、「税金が迂回(うかい)支出された事実」と書き換えるべきと存じます。)
それに、このように父親か管理する税金を貪ってしまう息子さんに“うちの息子は立派な絵描きですよ”と言われる資格があるのでしょうか?
先の拙文《石原慎太郎都知事とテロ》にも引用させていただきましたが、再掲させて頂きます。
(http://homepage3.nifty.com/m_and_y/genron/ishihara/data/19990918fuchuu.htm)
1999年9月18日、府中療育センター(重度知的・身体障害者療育施設)視察後の記者会見 ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。ぼくは結論を出していない。みなさんどう思うかなと思って。 (出典:朝日新聞1999年9月18日) |
このように、他人には厳しい発言をして平気でいながら、自分の子どもには、他人から後ろ指を指されるような愛情を注いで平然としている石原氏に、為政者としての資格があるのでしょうか?
教育問題、いじめ問題を云々する資格があるのでしょうか?!
12月9日放送されたNHKの「真珠湾への道1931-1941」では、戦争直前、東条首相にその座を譲った近衛文麿首相と息子の文隆氏との次のような親子関係が紹介されていました。
文隆氏は、高校、大学と6年間を米国で過ごし、プリンストン大学でも学友からの人気者でもあったそうです。 そして、帰国後、中国に渡り、秘密裏に日中の和平に奔走しているのを快く思わなかった軍部の圧力で帰国を命じられ、アメリカかぶれで自由主義的だとの文隆氏への批判をかわすため文麿自身が、彼を陸軍2等兵に入隊させたのです。 そして、中国大陸に送られ、終戦間際ソ連軍の捕虜となり、11年間の捕虜生活の後、モスクワから300キロ北東にある冬にはマイナス30度にもなるチェレンツィ村で病死されたそうです。 |
この近衛家の親子関係と石原親子の関係は、全く異質です。
最近は、政治家(首相)の血筋が云々されていますが、その面から言っても近衛文隆氏は、ずば抜けています。
小泉氏、安倍氏など足元にも及びません。
ましてや、石原氏も!
それよりも、何よりも、洞察力行動力等もずば抜けています。
命を落とさず、帰国して戦後の日本の首相になって欲しい方だったと思わずにはいられませんでした。
それなのに、12月10日のテレビ朝日「サンデープロジェクト」では、提灯持ちの田原総一朗氏は、石原氏の長男、石原伸晃氏を、“次の首相になる方”と持ち上げていました。
なんと悲しいことでしょうか!?
その上、石原知事本人は、まだ知事に居座るご所存のようです。
朝日新聞(2006年12月8日)の記事は次のようです。
東京都の石原慎太郎知事(74)は7日午後の都議会本会議で、「五輪招致を言い出したからには途中で投げ出すわけにはいかない。引き続き首都のかじ取りを命がけで行いたい」などと語り、来春の都知事選に3選を目指して立候補することを正式に表明した。知事選では自民党が支援する構えを見せており、石原知事も受ける考え。過去2回の知事選は無所属で立候補しており、政党の支援は受けていなかった。
・・・ |
自分の息子をエコ贔屓するお方に、「五輪招致を言い出したからには途中で投げ出すわけにはいかない。引き続き首都のかじ取りを命がけで行いたい」と言われると、私達都民は、いつ東京に「五輪招致」を願ったのかしら、願ったのは「五輪招致」に伴う公共事業の恩恵に与るゼネコン、土建業界の方々ではないのでしょうか?と思わずにはいられません。
そして、石原氏はそのような方々の為に「首都のかじ取りを命がけで行いたい」と宣言したのだと思うのです。
これからの日本はどうなってしまうのでしょうか?!
それに、このような石原氏たちがテレビ画面に登場しても、子ども達は、“石原氏たちのようになりたい!”と憧れるでしょうか?!
(先のNHKのテレビで紹介された、近衛文隆氏なら子ども達の憧れの対象ともなりましょう。)
なんと可哀相な子ども達でしょうか?
一日のうち4時間も見るテレビには、「いじめのお笑い」や、あほな番組が満ち溢れ、その上、TBSテレビは「亀田けんか祭り」などを宣伝しています。
子ども達全員が、テレビから、大人の世界から集団的にいじめにあっているようです。 |
このような可哀相な子ども達を救うのは、ひとえにお母さん達の愛情だと存じます。
この件に関しての貴重なメールを頂きましたので、次に抜粋して掲載させて頂きます。
脳の基本素子であるニューロンは生まれたときから大人並みの150億ニューロンあります。
ところが生まれたときの脳の重さは400グラムぐらいで、10歳で1200グラムになります。何が増えたのでしょうか?? それは、ニューロン(コンピュータで喩えれば、トランジスタ或いはIC)を結ぶつなぐ神経細胞(軸索と枝状突起:コンピュータで喩えれば、電気配線、ネットワーク)が、どんどん増えたからです。 非常に重要な概念:このネットワークは経験によって生まれた記憶の歴史です。 記憶が刷り込まれた=インプリンティングと言います 「三つ子の魂百までも」ということわざがありますね。
脳の中の神経ネットワークが形成される時期が3歳までで70%、5歳でほぼ完成するといわれています。
5歳でネットワークが完成するとは驚きですね!
さらに驚きは、 その後一生涯、そのネットワークは変わらないのです。
支離滅裂にあらゆる情報を何でも取り込みます。 おいしい、まずい、暑い、寒い、気持ちがよい、気持ちが悪い、痛いなど、楽しい感触とつらい感触があり、つらい感触はお母さんが愛情をもって最後に取り除きます。 (これは本当に重要なことです。 ネットワークに愛情が刷り込まれます。これをインプリントラブと言います。) その後は、環境や教育でネットワークの接点が強力につながったり弱くつながったりして修正を加えます。
支離滅裂なネットワークの要不要を整理して論理的な人間に仕上がります。
(しかし最初のネットワークはそのままです。私は英語のrとlの発音の区別ができません。この時期に刷り込まれたら、全く苦労しないで区別できるようになっていたでしょう。) インプリントより後でネットワークをシナップス結合の強弱で修正することの難しさがわかったと思います。
もし愛情が足りないときは、何時までもお母さんの愛情に飢えて、マザーコンプレックスになります。必然的に独立心が少なくなりますね。
インプリントラブこそ独立心と向上心、何事にも立ち向かえる勇気を持つ元になります。
愛情だけではだめなこともわかりました。「いろいろなつらい感触を十分与え、最後に愛情で解決する」、「楽しい感触も十分与える」が本当に重要なことです 生まれたときから5歳までの間に2次的本能をお母さんやお父さんが作り上げる、 言い換えると、 脳のネットワークに埋め込むことが出来るのです。お母さんやお父さんがしっかりしないとよい子は育たないのです。
学校の教育は論理の形成とその論理のもとづく人格の形成となるだけで、性格の形成は両親が責任を持って行う必要があります。
恋人が出来、愛が生まれ結婚しますね。
この愛をコンシャスラブ(意識愛)といいます。意識しないと生まれない愛で、消え行くことを防止するため、欧米では常に「愛しています」と毎日口で言う必要があるのはこのためです。
絶対に消えない5歳までの経験と、さび付くと使えないその後の記憶とははっきりと区分されるべきものと思います。 |
更には、次のように書いてくださいました。
中国が1人子政策で愛情豊かに育ったため、すばらしい子供が多いです。2人目を孤児にしてしまう弊害で社会がひずんでいるようですが、一昨年上海に行ったときは真夜中でも女性が一人歩きできるぐらいに安全であると豪語していました。実際にその環境を見ています。 子供を育てるのは親です。教育者はそれを手助けするに過ぎない補助者です。 |
どうかお母様方、大事なお子様達の為に頑張ってあげてください。