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いじめと石原都知事とビートたけし氏(2

2006125

宇佐美 保

 では、《いじめと石原都知事とビートたけし氏(1)》を続けさせて頂きます。

 

 再び、サンデー毎日(2006.11.26号)に記載されている〈「悪いのは教師だけか!」現場教師緊急ホンネ座談会〉を抜粋させて頂きます。

 

 − 当の子どもたちは昔とどう変わりましたか。

I まったくしつけを受けていない子が多くて4年生のクラスを受け持っているのですが、クラスの誰一人として、まともに箸が持てなかったんです。ちょっと教えてあげたら、持てるようにはなりましたが。

 

 自分の子どものしつけもしない親達に文句を言われて耐えている教育者に対してもたけし氏は「今の教育は過保護すぎる」と認識されるのでしょうか?!

 

 

 では、又、たけし氏の発言に戻りましょう。

 

 それに、いじめなんて昔からあったんでさ。それを仕切ってたのが教師なんで、教師の体罰が実はいじめを陰湿化させない歯止めになってたんだよ。それが教師の体罰は暴力で禁止だってことになって、収拾がつかなくなったんだっての

 教師の暴力がなくなった途端、やりたい放題でレフェリーのいない格闘技みたいになっちゃったんだよ。

それでみんな平等で競争はいけないなんてやるから、優劣がなくなって余計に無法地帯になってるんでさ。

 動物の社会でみんな仲良くってのは、無理な話なんでさ。猿や犬の社会にも序列があるし、ボス選びの壮絶な戦いや縄張り争いも絶えないからね。

 ところが、人間社会は暴力はいけない、みんな平等で競争もいけないってやっているから、権力構造ができにくくなって、弱いヤツがより弱いヤツを探しちゃ裏でネチネチといじめるんでさ。いじめでやられたヤツがもっと弱いヤツを見つけていじめの仕返しをする

構造になるんだよ。

 

 先の先生方の対談にありましたように“子どもが『あの先生はよくない』と言えば、『そうよね、あの先生は悪いよね』と親子で一緒になって教師の悪口を言う”状態で、「教師の体罰」が有効でしょうか?

 

 私は、たけし氏よりもずっと年寄りですが、学校時代に「教師の体罰」にお目にかかったことはありません。

只一人、中学校の化学の先生が、教室が騒がしいと、白墨を生徒の方に投げつけたくらいです。

私は、小学校時代、廊下に立たされた事が一度あります。

でも、廊下から教室を覗いて手や口の動きで茶々を入れたりするので、先生に、“授業の邪魔ですから、家に帰りなさい!”と言われ、喜んで下校して、みんなが学校で勉強している間、人気が殆どない日の当たる街中をのんびり散策して、お店を覗いたりして、最高に楽しい思いをさせてもらった事があります。

今でも、その時の楽しさを懐かしく思うのです。

(先生は、その後、私が家に帰っていないので、驚いてしまったようですが)

 

教師の体罰」に関しては、先日、終わりの部分を一寸だけ見た「たけしのTVタックル」で、評論家の三宅某氏が、“「教師の体罰」は必要だ!”と喚いていました。

更に、123日のテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」で、元総理の森氏は、“親が、自分の子どもに体罰を下すのは当然!”と喚きました。

 

しかし、動物の調教ならいざ知らず(動物の調教でも、尤も必要なのは、動物への愛では?)

教師の体罰」で、子ども達は成長するのでしょうか?

確かに、上からの命令に絶対服従する人材の育成には有効かもしれません

そして、そのような人材を「美しい国」の指導者を歓迎するかもしれません

 

なにしろ、私の知人の一人は、“最近の若者は、なっていない、
昔のように徴兵制度を確立して、そんな奴ら皆、軍隊で扱き直せば良い!”と喚いたりしています。

 

 “動物の社会でみんな仲良くってのは、無理な話なんでさ。猿や犬の社会にも序列があるし、ボス選びの壮絶な戦いや縄張り争いも絶えないからね。”との事ですが、私がテレビで見る動物の争いは、相手をとことん傷付けたりはしていません。

争って、互いに、序列が分る程度でとどめています。

(勿論、動物が、食のために相手を殺す場合は違います。

人間も、食の為に、動物を殺します。

しかし、人間は人間同士で、正当な手段として戦争などを行うのですから、人間は、動物以下なのかもしれませんね!

なにしろ、人殺し兵器(核兵器までも)を次々開発してゆくのですから、恐ろしい限りです。)

 

 そして、たけし氏の発言で一番の問題点は次の点です。

 

 いじめ発言でもっと腹立つのが、お笑い芸人のギャグが子供のいじめの原因を作ってると発言した某番組司会者なんでさ最近のお笑い芸人の笑いはいじめギャグばかりで、子供が真似するからよくないっていうけど、お笑いは昔から予定調和のいじめギャグで笑わせてきたんでさ。そういう言い方なら、オイラなんか全部いじめギャグで食ってきたんでね。

 

 熱湯風呂なんてのは、全部ヤラセの演出なんで、本当に何十度もある熱湯だったら、みんな大ヤケドしてるぜってね。ぬるいお湯をいかに熱く見せるかという、そのリアクションの芸がお笑いの芸なんだから。熱さを芸で見せてるってのがわかってないんだよな。

 昔の親は利口だから、芸人の芸がわかってたんでさ

あれは芸人がわざと痛そうにやってるお芝居なんだから、芸人のやってるバカなことを真似するんじゃないよって子供に説明したはずが、今は親までが本気でやってると勘違いしてるから本当にバカなんだよ。

 オイラたちのギャグをウソでやってるというバランスのわかるヤツもいるけど、今の子供たちはバーチャルゲームで育ってきてるから、バーチャルと本物の違いがわからないんでさ。本音とウソのバランス感覚がなくなってるんだろうな。

 オモチャのピストルで遊んだ経験のある子は、ドンパチやる拳銃映画を観ても映画の殺し合いはリアル感がないし、本物だと思わないけど、ゲームで育った子は本物の区別がつかないんでさ。

 

 たけし氏は「最近のお笑い芸人」と発言していますが、テレビに登場するようになったお笑いさんは、「芸人」ではなく「タレント」です。

少なくとも、昔の芸人と同じではありません。

私は、「昔の芸人」が演じているのを見たのは、疎開先の村の祭などで、今のように立派な劇場ではなく、丸太で組んだ枠に筵を垂らして造った囲いの中です。

それも、その芸を、筵の隙間から覗いているくらいでした。

その後は、6球スーパーラジオから流れてくる「志ん生」の落語を耳にするくらいでした。

近所の落語家桃太郎氏のお家は、とても小さく侘しいお家でした。

ですから、余程の子どもでない限り「(昔の)芸人」に憧れる事はありませんでした。

誰も、「(昔の)芸人」になりたいと思わなかったでしょう?

ですから、

芸人のやってるバカなことを真似するんじゃないよって子供に説明した”が通用するのは、昔の話です。

 

 (後年、高校への通学の途上に、テレビ出演されるようになった落語家小金馬氏の広い庭と大きな家〈屋敷?〉を見るようになりました。

だんだん状況が変ってきました。)

 

 たけし氏は“熱湯風呂なんてのは、全部ヤラセの演出・・・昔の親は利口だから、芸人の芸がわかってた”との認識ですが、私は、その「熱湯風呂」の場面を23回見ましたが、いつも「ヤラセの演出」とは気が付きませんでした。

(テレビの画面では、「熱湯風呂」から脱出してきた「タレント」の肌は、熱湯で赤くなっているように見えました。)

 

今は、子ども達は、「お笑いの方々」を、「筵を垂らした囲い」の中で見るのではなく、テレビの向こうで、光り輝いている状態で見ているのです。

「お笑いの方々」は、子ども達の「アイドル」です

ですから、子ども達は、「お笑いの方々」と同じ事をやりたがって堪らないと存じます

テレビの威力は絶大です。

(この私ですら、テレビ(「題名のない音楽会」)出演した際は、“君の人生で最高に輝いていた!”と、例の百科事典のお友達から便りを頂きました。)

 

 「昔の芸人」の稼ぎに比較して、現在の「タレント」の収入は、高額所得者ランクの上位を占めるのですから、子ども達は、うらやましくて堪らないでしょう、自分達もそうなりたくて堪らないでしょう。

タレント」の影響力は絶大です。

ですから、私は、たけし氏とは逆に「オイラなんか全部いじめギャグで食ってきた」と尻まくる輩が、大嫌いです。

 

 だけど、いじめギャグについてはコント55号の時代からあったんでね。欽ちゃんが坂上二郎さんをいじめるギャグがあったからこそ、55号があれだけウケたんでね。

 二郎さんを後ろから飛び蹴りしたり、舞台の端から端まで走りまわってセットを壊したりメチャクチャやってたんで、55号は二郎さんいじめのお笑いでもってたんだからさ。

 その55号がダメになったのは、急にマジメなことをいい出して、ファミリーでみんな一緒に仲良くとか、24時間チャリティなんてやりだしたからなんでね。

 でも、お笑い番組がいじめの原因だなんてのはお笑いに対する差別だよな。それだったらヤクザ映画とか殺人ドラマはいじめの原因にはならないのかよってね。

 サスペンスドラマじゃ、理不尽な殺人事件や通り魔事件、バラバラ殺人事件まであるんだから、人殺しはいけないってことになるだろうにさ。お笑いで殺人をやったことは一度もないんだからね。殺人ドラマには文句つけないでおいて、お笑いだけ取り立てていうのは笑えない冗談じゃないかっての。ジャン、ジャン!

 

 たけし氏は自己弁護のつもりで「欽ちゃんが坂上二郎さんをいじめるギャグがあったからこそ、55号があれだけウケた・・・その55号がダメになったのは、急にマジメなことをいい出して、ファミリーでみんな一緒に仲良くとか、24時間チャリティなんてやりだしたから」との見解を発したのだと存じますが、この事は、決してたけし氏の弁明にはなりません。

 

 この発言中の「55」を「たけし氏」に置き換えて考えれば明白です。

いじめるギャグがあったからこそ、たけし氏があれだけウケた」のであって、
たけし氏」が“急にマジメなことをいい出して、ファミリーでみんな一緒に仲良くとか、
24時間チャリティなんてやりだしたから
たけし氏」はダメになるのでしょう。

 

ですから、たけし氏は、“オイラなんか全部いじめギャグで食ってきた”との発言は、“オイラなんか全部いじめギャグのお陰で食ってきた”と訂正されるべきです。

 

(それから、この文の最後のように、たけし氏は自らの発言を“ジャン、ジャン!”でしめます。

この“ジャン、ジャン!”は、“私の今までの発言は、ビートたけしという、一人のしがない芸人(実は大金稼ぎのタレント)の発言ですから、何か御気に触る点がございましたら、その点をご斟酌の上、どうかご容赦下さい。”との言い訳のように、私は感じます。)

 

 そして、この「いじめギャグで食う」事の容易さは、週刊現代(2006.12.2号)町山智浩氏(米在住コラムニスト)が書かれた「米中間選挙 アメリカ人が民主党を選んだ本当の理由」の中の次の文から明らかです。

  

 共和党に支配されていたのは議会だけではない。ここ10年ほど、アメリカのメディアもまたそうだった。

 始まりはラッシュ・リンボーだった。レーガン政権末期の‘88年、ローカル・ラジオのDJだったリンボーは「マスコミは左翼、人権派に偏向している!」と攻撃し始めた。それまでマスコミでは流れなかった女性差別、人種差別、反福祉、反エコロジーのアジテーションを撒き散らしたのだ。

・・・

フェミニズムのせいでブス女がのさばっている」「人口の12%しかいない黒人のことなんか無視しろ

 リンボーはたちまちカリスマになった。政治について考えたこともなかった層がリンボ一にアジられて「マスコミと民主党はアカだ」と言うようになった。

リンボーは共和党に投票するよう呼びかけた。

 例年、議会の上下院で過半数を獲得した共和党議員たちが最初にやったことは、「名誉議員」の称号をリンボ一に贈って、彼の功績に感謝することだった。

・・・

 対抗してリベラルなトーク番組も始まったが、聴取率で敗退して消えていった。「差別や戦争はいけない」などと常識的なことでは「移民はマシンガンで撃ち殺せ」「戦争に反対する売国奴はカナダに追放しろ」という倣慢な物言いに面白さで勝てるはずがない

 テレビも同じだった。‘96年に「リベラルに偏向したテレビ報道の是正」をモットーに、ニュース専門のTVFOXニューズ・チャンネルが始まった。社長はレーガン大統嶺のメディア参謀だったロジャー・アイルズ。’00年の大統領選挙ではブッシュを徹底的に支援し、911テロ以降は完全に政府の大本営発表と化した。中立を維持しようとしたCNNFOXの景気のいい戦意高揚報道に視聴者を奪われ、ニュース局の王座を明け渡してしまった

 こうして、ラジオやテレビからはブッシュ万歳しか聞こえなくなった。新聞は 無事だったが、アメリカ人はあまり新聞を読まない。そのため、‘04年になっても国民の半分が「イラクには大量破壊兵器があった」「イラクは9.11テロの黒幕」という政府のウソを信じ続けていた。かくしてブッシュが再選された

・・・

 

 ここに書かれた、「ラッシュ・リンボー」の“フェミニズムのせいでブス女がのさばっている”、“人口の12%しかいない黒人のことなんか無視しろ”、“移民はマシンガンで撃ち殺せ そして 戦争に反対する売国奴はカナダに追放しろ”の発言は、ビートたけし氏の「いじめギャグ」と全く同類ではありませんか!?

そして、これに対して「常識的なことでは・・・面白さで勝てるはずがない」となるのです。

 

 ですから、「いじめギャグ」で容易に(勿論、ご本人は、ご本人なりの大変な苦労はありましたでしょうが)人気を稼いでいるのに“殺人ドラマには文句つけないでおいて、お笑いだけ取り立てていうのは笑えない冗談じゃないかっての”と不服を漏らしているのはおかしいです。

この台詞は、「タレント諸氏」が、「いじめギャグを脱却」した「お笑い芸人」となってから吐いて貰いたいものです。

 

それに

いじめギャグ」はあくまでも脇役でなければなりません。

アメリカの「ラッシュ・リンボー」のように主役に納まって、アメリカは狂ってしまいました。

日本に於いては、「いじめギャグ」がテレビを席巻しています。

(唐辛子は、貴重な調味料、でも唐辛子ばかり食わされたらと堪ったものではありません!)

 

 それに“殺人ドラマには文句つけないでおいて”との事ですが、映画「バトル・ロワイアル中学生が殺し合いを強いられると言うアクの強い内容で、映画に於いては公開された年は、西鉄バスジャック事件を初めとする少年犯罪が多発していた為、国会でもこの映画が話題として取り上げられ社会的問題となる)の暴力性を国会で非難した石井紘基(当時衆議院議員)は、凶刃に倒されました

 

 月刊誌「文芸春秋(2006年12月号)」の対談で、杉並区立和田中学校校長の藤原和博氏は中学教育の現状を、次のように発言されています。

 

 中学生が、一日の内テレビを見る時間は、平均4時間

従って、1年間でテレビを見る時間は、4×365=1460時間

一方、学校の1年間の授業時間は、800時間

そのうち、英数国理社の時間は、400時間

 

 なんと、

子ども達は、学校での授業時間の2倍近くの時間テレビに貼りついているのです。

子ども達は、学校で教育を受けるのではなく、テレビで受けているのです。

そのテレビが、「いじめギャグ」を垂れ流しているのですから、子ども達の心は荒んで行くのは当然です。

(殺し屋がヒーローの映画を見た後は、私達は、自分が殺し屋のヒーローになったような表情態度で映画館を後にします。

私達は、テレビや映画から影響を受けます。

テレビや映画から、私達が何ら影響を受けないのでしたら、先に記述しました高校時代の国語の先生の質問(この作者は何の目的の為に、この作品を書いたのでしょう)への私の答え(作者は、お金のために書いたのです)が正解となってしまいます。

 

 その上、

この一日の内の4時間は、子ども達と親との大事な心の触れ合いの貴重な時間も奪い去っている

のです。

 

 更には、心の欠落した小泉劇場を散々押付けられて、日本中の親子の心は知らず知らずの内に荒んでしまったのだと存じます。

 

 安倍晋三首相の著作「美しい国へ」に関しては、衆議院予算委員会(平成18106日)での、田中真紀子委員からの質問に対して、安倍氏は次のように答弁されておられます。

 

田中真紀子委員からの質問:

大変多忙をきわめていらっしゃる中であの本をお書きになったわけですが、いつごろお書きになりましたか。また、口述筆記でございましょうか、どなたかがお書きになった、ゴーストライターか、ちょっと教えていただけますか。簡単で結構です。



安倍内閣総理大臣の答弁:

・・・私なりに、二年ぐらいの時間をかけ、私が書きためてきたもの、あるいは私が口述したものを合わせてまとめさせていただいたということでございます。

 

 一国の首相となる人物が、2年かけて纏めたにしては、支離滅裂で、私は途中まで見て放り投げている状態です。

その支離滅裂状態の一部に、次のような一節があります。

 

 映画「三丁目の夕日」が描いたもの

 日本の映画賞を総なめにした映画「AIWAYS 三丁目の夕日」を観た。舞台となるのは昭和三十三年、建設中の東京タワーのそばの下町だ。みんなが貧しいが、地域の人々はあたたかいつながりのなかで、豊かさを手に入れる夢を抱いて生きていく様子が描かれる。

 昭和三十三年といえば、テレビでアメリカのホームドラマ「パパは何でも知っている」が放映されていた年である。翌年には「ビーバーちゃん」や「うちのママは世界一」が放映された。わたしもそれらを見て、アメリカの家庭の豊かさに圧倒された一人だった

 広い家と広い庭。室内には電化製品がたくさんあり、冷蔵庫の中にはいつもミルクびんやジュースが入っていて、子どもごころに、「ああ、日本も早くこんな国になればいいなあ」と思ったものだ

 映画の主人公の一家も、テレビが入り、木の冷蔵庫が電気冷蔵庫に変わり……物質的な豊かさがつぎつぎと実現していく。ところが、映画は後半、それと矛盾するように、お金では買えないもののすばらしさを描いていく。

 ・・・

 この映画は、昭和三十三年という時代を記憶している人たちだけではなく、そんな時代を知るはずのない若い人たちにも絶賛された。いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきたからだった

 

 勿論、「映画の主人公の一家も、テレビが入り・・・」のテレビには、ビートたけし氏のような「いじめギャグ」が幅を利かせている事はありませんでした。

私達は、勧善懲悪の権化である力道山の活躍に勇気付けられ、安倍氏同様にアメリカ文化に憧れていました。

 

 この安倍氏も憧れたホームドラマ「パパは何でも知っている」の世界、そして、「「ああ、日本も早くこんな国になればいいなあ」と思ったものだ」の国を支えていた当時のアメリカの健全な「パパ達」に関して、『超・格差社会アメリカの真実(小林由美著:日経BP社発行)』には次のように記述されています。

 

かつて製造業は、未熟練労働者が技術を身につけ、現場監督に昇進して、安定した中産階級に仲間入りをするための、貴重な就職の場だった。その機会は製造業の衰退とともに狭まり貧乏人が未熟練労働力から抜け出すことは一層困難になつた。アメリカの絶頂期には、自動車労連といった工場労働者の組合は、終身年金や終身医療保険などで引退後の生活保証を獲得した。しかしそれらの保証制度は、企業の存続を脅かすコスト負担になり、激しい労使交渉を経て、次第に姿を消しつつある

 

先のたけし氏の“学校に行きたくない子供は無理して行かなくていいというルールを作らなきゃタメだよな”の発言は、「未熟練労働者が技術を身につけ、現場監督に昇進して、安定した中産階級に仲間入り・・・」の世界が、その上「年金、保険制度」もアメリカならず、日本でも崩壊しつつある今、難しい事となっています。

 

そして、

安倍氏は、ご自身が憧れたアメリカ社会が崩壊してきた道に、私達日本人を導いてゆくのです。

 

 更には、「いまの時代に忘れられがちな家族の情愛や、人と人とのあたたかいつながりが、世代を超え、時代を超えて見るものに訴えかけてきたからだった」と言いつつ、「愛国心」を強制します。

あからさまでは反発を食うのを恐れて、彼は著作の中で次のようにカモフラージュします。

 

 地域社会が壊れつつあるといわれて久しい。

《あなたはこの土地に帰属しているのだから、この場所はあなたの一部でもあるのです。

この場所をきれいにするということは、とりもなおさず、あなたの一部を高めていくことにもなるのですよ》

 若者たちが、自分たちが生まれ育った国を自然に愛する気持ちをもつようになるには、教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ国にたいする帰属意識は、その延長線上で醸成されるのではないだろうか。

 

 こんな方が、日本の首相ですから悲しくなります。

映画「三丁目の夕日」で私達が感激するのは、
先ずは、家族愛より(いわんや郷土愛)より、他人の愛ではありませんか!?

 

個人企業(自動車修理)に東北から集団就職した六子チャンに対する社長の鈴木氏と奥さん温かい心遣い、そして、又、母親から見放された淳之介君に対する作家志望の茶川竜之介の思いやりに私は感動しました。

 

ですから、映画「三丁目の夕日」は、「郷土愛をはぐくむことが必要だ国にたいする帰属意識は、その延長線上で醸成される」等との安倍氏のご託宣よりも、「他人への愛」「他人への思いやり」の尊さを教えてくれるのです。

 

朝日新聞(20061124日)で、タレントのソニンさんが、次のようなメッセージを発しています。

 

(いじめている君へ)いじめられる自分想像して

 

 いまいじめている君は、だれかにいじめられたことはありますか?

 私は小学校から高校まで、いろんないじめにあいました。ずっと在日コリアン向けの民族(みんぞく)学校に通っていたのですが、小学生の時は、寮(りょう)の先輩(せんぱい)から殴(なぐ)られたり、寮のそばにある山の上でふとんをしいて寝かされたりしました。高校では、クラスメートから無視されたこともあります。

 でも私は、進んでいじめに加わったことは一度もないつもりです。それは、いじめられる側のつらさをよくわかっていたからです。「私と同じ思いをさせてはいけない」と考えました。

 中学生の時に、こんな子がいました。小学生の時から同級生をいじめ続け、中学に入ったら、今度はみんなから、無視されるようになったのです。その子は反省して、いじめをやめました。

 一度、いじめられたことがあれば、人をいじめようとは思わなくなるはずです。いじめられたことがなくても、いじめられる立場に立ってみることはできます。想像(そうぞう)してみることは、できるでしょう

 ・・・

 

 「他人への愛」「他人への思いやり」は、いじめの場合のみならず、ここで、ソニンさんが訴えているように「いじめられる立場に立ってみること」、即ち、「相手の立場に立ってみる」事が重要なのです。

この事が出来ずに、安倍氏が唱える「教育の現場や地域で、まずは、郷土愛をはぐくむことが必要だ国にたいする帰属意識は、その延長線上で醸成される・・・」と言うのでは、教育現場を「フリーガン養成場」にするのかと思わずにはいられません。

 

 なにしろ、安倍氏は、『映画「三丁目の夕日」が描いたもの』の次の章では、『「お金以外のもの」のために戦った野球チーム』とのコメントする気も起こらない駄文を掲げているのですから。

 

 そして、

この「相手の立場に立ってみる」事は、
何も子ども達だけに必要なのではなく私達全員に必要なのです。

特に、政治家達に!

 

 最後にもう一度、サンデー毎日(2006.11.26号)の座談会から引用させて頂きます。

 

− 学校選択制や免許更新制などの教育改革が進められようとしています。現場では、これらの改革をどう見ていますか。

D 猫の目のように変わる教育方針の下でやらされている現場の身にもなってほしい。というか、あの人たちが考えたことを実行しようとすると、ますます子どもと向き合えないという呪縛に陥る。意味のない書類や報告書を書かせる負担を現場に負わせているだけです。

E 教育を変えれば明るい未来がある、という発想は大変迷惑です安倍さんも教壇に立ってみるといい。いろんなことが見えてくるはず。あそこ(教育再生会議)で議論している人も、手分けして朝から晩まで学校で過ごしてみたらいい

先生たちだけがホントにダメなのか。社会全体がモラルハザードを起こしている時に、学校や教師のせいだけにするのは間違っていると、きっとわかる。

 

 本当に、安倍氏も、石原氏も、ビートたけし氏も教師達の立場に立ち、教壇にお立になっては如何ですか?!

(私は、高校時代、先生は、春休み、夏休み、冬休みと休みが多いから、自分もなりたいなあ〜〜!と思いました。

でも、自分みたいな生徒を面倒見るのは耐えられないと直ぐに諦めました。)

 

 それから、先の杉並区立和田中学校校長の藤原和博氏は、いじめが原因で自殺された方の「遺書」を生徒達に読ませているそうです。

直ぐには、いじめられている人達の立場に立てないのなら、先ずは、このようにいじめられている人、いじめられた人からのメッセージを真摯に受け止める事が大切と存じます。

この事が尤も教育に必要な事ではありませんか!?

 

 私の小学校の時の担任の先生は、映画「二十四の瞳」の大石先生のように、生徒の誰からも、保護者の誰からも好かれ尊敬されていました。

でも、私の記憶では、クラスにいじめが3件ありました。

そのうちの2件は、ガキ大将の号令とともに、みんながその子にかかって行きました。

一人は、刃物を振り回したりして抵抗していました。

もう一人は、黙ってズボンを脱がされてしまいました。

1件は、5人位で行動しているグループの内の一人が、高い所から無理に飛び降りさせらりたりのいじめを受けていたようです。

私は、戦争ごっこをやっているときのように、ガキ大将の号令に従っていました。

全く、いじめられている子の立場を考えることなく。

 そして、そのことをずっと忘れていましたが、いじめ問題を知って、いじめられた友達の心の痛手に気が付きました。

 なにしろ、同窓会の記憶をたどりますと、その3人のお友達の出席を思い出せないのですから。
(昔のいじめは陰惨ではなかったという方が居られますが、無知な私は、2人のお友達の心を深く傷付けてしまったのだと申し訳ない思いで一杯です。)

 自分の立場で考えている事と、相手が考える事には大きな違いがあること、だからこそ相手の立場に立って考える事の重要性を、小さい時からもっともっと、子ども達に教えるべきです、教えてあげるべきです。



(補足)

 そこで、自殺された娘さんのお母さんの苦しみを受け止めていただく為に、「北海道滝川市「女児いじめ自殺隠ぺい事件」の真相」(週刊現代:2006.1028号)の記事を抜粋させて頂きます。

 

自殺現場のドキュメント

 

・・・

 昨年99日、北海道の滝川市立江部乙小学校6年生女子児童が自殺した。小学生が教室で首吊り自殺というショッキングな内容にもかかわらず、当時の報道は郵政解散・総選挙一色で、この事件はほとんど報道されることはなかった。・・・

「事件のあった9日、私は早朝から(給食関係の)仕事で、朝食と昼食のお弁当を娘に準備して出かけました。出かける前に娘と『行って来るからね』『うん』と、いつもと同じ調子で挨拶を交わしました。これが娘と交わした最後の言葉になりました。

 仕事中の午前8時くらいだと思います。職場に学校の先生から電話が入りました。『娘さんが首を吊ったので来てください』という声が聞こえました。その後のことは、あまり覚えていないんです。とにかく急いでタクシーに乗って病院に向かいました。娘は目をつぶったままベッドに横たわっていて……。どうしちゃったんだろうと、何も考えられず娘の名前を呼ぶのが精一杯でした。

 その日の夕方でした。私が病院から家に戻って、書き置きなど残してないかと、部屋を探していた時でした。ものすごい勢いでチャイムが鳴ったんです。私は怖くて耳をふさいでいたのですが、それでも続くので扉を開けたのです。すると、校長ともう一人の教師(担任の教師ではなかった)が立ってました。玄関に入るなり『手紙を持ってきました』と、遺書の入った封筒を私に渡したんです

 遺書は7通ありました。

二人が『(私たちにも)見せてください』と言うので、7通のうち学校宛と6年生宛の2通をその場で開封しました。

 私は文面が頭に入らないくらいの状態でしたが、校長は私の目の前で遺書の内容を書き写してました。それははっきり覚えています。そして校長と教師は、『申し訳ございません』と頭を下げたのです」

 

遺書を黙殺した市教育委幹部

 

 今年101日、少女の遺族が遺書の公開を決断、その内容が新開、テレビで大々的に報道された。同日、記者会見に出席した河江邦利校長は遺書について「当日はサッと目を通しただけ。概要は昨年10月に知った」とシラをきった。また、滝川市教育委貞会は当初、いじめがあったことを認めようとしなかった。しかし、全国から抗議が殺到、伊吹文明文部科学相が「(遺書を)握りつぶすことはあってはならない」と発言。105日、市教委側はようやく遺族に謝罪、1010日に安西輝恭教育長は辞意を表明した。

前日、いつも娘とは2組の布団で別々に寝るのですが、なぜかその日は1組だけ敷いてあって、寝る前のわずかな時間にいつも以上に娘は私にじゃれついてきたのです。あんまり続くものですから『ハイハイ分かりましたよ』と、寝かしつけてしまったのです。今思うと……翌日のことがあって……」

 ここまで話すと母親は身体を震わせながら鳴咽し頭を垂れた

・・・

 残された遺書はあの子の生きてきた証でもあるのです。事件翌日、市教育委員会の幹部(辰巳信男教育部長)があの娘の入院先の病院を見舞いにきた時、私は『これが遺書です。読んでください』と言いました。

すると、その幹部は、『それは文書だ。見たくない』と、差し出した遺書を受け取らなかったのです」

 ・・・

 母親は改めて遺書を読み、こう呟いた。

「やっぱりいじめだったんですね……。どうして気がついてあげられなかったんだろう。こんなに苦しんでいたのに私は何もしてあげられなかった。なぜ、先生は修学旅行のトラブルについて何も話してくれなかったのでしょうか」・・・

 

 

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