心を理解出来ない田原氏と森氏
2004年2月2日
宇佐美 保
1月5日放送のTBSのnews23「テレビのここが駄目」との題目による、司会の筑紫氏に加えて評論家の田原総一朗氏、桜井よしこ氏との鼎談に於いて、田原氏は“森さんを擁護するつもりはないんだけど”と云いつつ次のように発言しました。
森さんは番記者と喧嘩ばかりしていた。 森さんは怒っている、森さんは番記者を大事にしていて5分10分チャンとしゃべる。 ところがニュースに出るのは、一言だ。最後のサービスに云った一寸した事。 例えば、最初に問題になるのは、「日本は天皇を中心にした神の国」を捕らえてガーンとやる、ところが良く読むと後は、親鸞もいる日蓮もいるつまり日本は多神教の国だと云っているのに、必ず新聞テレビ、特にテレビは判りながら後半部分を全部切っちゃって、最初の一行だけで、「森はけしからん」と書く事を森さんは怒っている。 私は森さんが総理の時は擁護しなかったが、今では可哀相だと思う。 それから、もう一つ云うと、選挙の時に「寝ていてくれるといいがなあ」をとられた。「だけどそうはいかないわなあ」と彼は云っている。 |
この田原発言に対して、桜井氏は、次のように反論しました。
“でも、その事例はね、やっぱり寝ていてくれては困るのです。国民は選挙に行って頂かなくては困るのです。政治家は言葉に気を付けないという事がありますけども……” |
私も桜井氏の見解に賛成です。
「寝ていてくれるといいがなあ」の後にどんな言葉が続こうと、この「寝ていてくれるといいがなあ」は森氏の本音であるのですから大変な問題発言なのです。
日本は、曲がりなりにも民主主義国家なのです。
従って、出来るだけ多くの人々の声を政治に反映する必要があるわけです。
そして、その為に、選挙があるのではありませんか!
なのに、森氏が「投票率が低い方がよい」と考えるのでしたら、森氏は誰の為の政治を考えているのでしょうか!?
こんな森氏を可哀相という田原氏の神経を私は理解出来ません。
「日本は天皇を中心にした神の国」の発言全体を調べてみましたが、朝日新聞(2000年05月16日夕刊)に次の要旨(前文はともかく)を見ることが出来ました。
森首相「神の国」発言の要旨 森喜朗首相が十五日の神道政治連盟国会議員懇談会(会長・綿貫民輔代議士)の結成三十周年記念祝賀会でしたあいさつの要旨は次の通り。 「神様を大事にしよう」という最も大事なことをどうも世の中忘れているじゃないか、ということから、神道政治連盟、そして国会議員懇談会を設立した。 最近、村上(正邦参院議員)会長はじめとする努力で、「昭和の日」を制定した。今の天皇ご在位十年のお祝いをしたり、先帝陛下(在位)六十年だとか、政府側が及び腰になるようなことをしっかり前面に出して、日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民の皆さんにしっかりと承知していただくというその思いで我々が活動をして三十年になる。 子供時代を考えてみますと、鎮守の杜(もり)、お宮さんを中心とした地域社会を構成していた。 人の命というのは両親からいただいた。もっと端的に言えば神様からいただいたものだ。神様からいただいた命は大切にしなければならないし、人様の命もあやめてはならないということが基本だ。こんな人間の体のような不思議な神秘的なものはない。やっぱりこれは神様からいただいたということしかない。 神様であれ仏様であれ、それこそ天照大神であれ、神武天皇であれ、親鸞聖人さんであれ、日蓮さんであれ、宗教というのは自分の心に宿る文化なんだから。そのことをみんな大事にしようよということを、もっと教育の現場でなぜ言えないのか。信教の自由だから触れてはならんのか、そうじゃない。信教の自由だからどの信ずる神も仏も大事にしようということを、学校でも社会でも家庭でも言うことが、日本の国の精神論から言えば一番大事なことなのではないか。 |
この要旨を普通に読めば、前半部分の「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国」を、後半部分の「どの信ずる神も仏も大事にしよう」で打ち消してしまっているようで、この発言は支離滅裂と片付けられてしまいます。
しかし、自らの頭脳を、この発言者の知能指数に合わせて、この要旨全体を統一的に解釈しますと、次のようになると思います。
「信教の自由だからどの信ずる神も仏も大事にしよう」と云うことが「日本の国の精神論から言えば一番大事なことなの」である。 しかしながら、将来は「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民の皆さんにしっかりと承知していただくというその思いで我々が活動をして三十年になる」 |
との趣旨で森氏は発言されたと私は思うのです。
ですから、森氏はやはり「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国」と言いたかった筈です。
なのに、何故田原氏は森氏を弁護するのでしょうか!?
可哀相なのは、森氏ではなくて、こんな頭脳の持ち主を(短期間とはいえ)首相に戴いてしまった日本人ではありませんか!?
更には、次なる森氏の発言を田原氏はどう擁護するのですか?!
(朝日新聞:200年4月4日付け)
森氏は2000年1月、福井県敦賀市での講演で、かつての自分の選挙運動を振り返る中で「(農業団体の有力者が対立候補にいて)私が『ごあいさつに参りました』と行くと、農作業をしていた農家の方が全部家に入っていきました。なんかエイズが来たように思われちゃってね」と発言した。 |
この様な森氏の心ない発言は数知れません。
(それらの一部を先の拙文《私は、森、野中両氏が大嫌いです》にも書きました。)
その上、首相の座から滑り落ちても自民党少子化問題調査会会長に収まっている森氏は、2003年6月26日に鹿児島市内で開かれたシンポジウムで、次のような発言をしています。
(朝日新聞:2003年7月4日)
子どもを一人もつくらない女性が、自由を謳歌(おうか)し、楽しんで、年とって、税金で面倒をみなさいというのは本当はおかしい…… 子どもをたくさんつくった女性を将来、国が『ご苦労さまでした』と言って面倒をみるのが本来の福祉だ…… |
この様に心ない発言をする人が、前首相であるなんて、とても信じられません。
この様な発言が罷り通るなら、逆に「この様な心ない発言をする人には、子供を持つ資格がない」と言われても文句はないはずです。
即ち、ヒトラーがユダヤ人の撲滅を図ったように、又、これに対抗(?)して、アメリカ大統領のルーズベルトが対独戦の行方がほぼ見えたとき「ドイツ人を去勢するか、それに近い方法を考えねばならない。そうすることで二度と過去のような行いが出来ないようにすべきだ」と語ったように。(ルーズベルト秘録(下):産経新聞社)
しかし、こんな森氏を何故田原氏は擁護するのでしょうか?
それは、田原氏自身の心も、森氏に相通じている所があるのです。
田原総一朗の最近の著作『聞き出す力:カナリア書房』には次のように書かれています。
対立しないで触れ合う インタビューで、相手をヨイショしたり持ち上げたりするのはダメだね。そんなことしたって本音なんか聞き出せない。とくに政治家は百戦錬磨だから、ヨイショなんかしたらすぐ見破られて、逆にあいつヨイショしやがってと軽蔑されるよ。 やっぱり本当に聞きたいことって、いろんな意味で重要なことなのね。それでそのことを、いまそれがとっても重要だってことをちゃんと言って、それが伝われば自然と相手の口から出てくる。よく波長が合うっていうけど、そういうことなんじゃないかな。 この間もサンプロで少子化の話題になって、僕は社民党の土井たか子さんに「土井さんどうして子どもを産まなかったんですか」って聞いた。僕以外にこんなことを聞く人はいないと思うよ。 それで土井さんが「いや、産まないんじゃなくて結婚しなかったんですよ」って答えたから「なんで結婚しなかったんですか」とさらに突っ込んだ。僕は土井さんに惚れてる。 好きだから、土井さんみたいな素敵な人がなぜ結婚しなかったんだろうってのは、正直不思議だったんだ。 それで「土井さんみたいな人が子ども産まないっていうのは良くない。やっぱり土井さんが子ども産まないと、ああいう素晴らしいリーダーになるには子どもを産んじゃダメなのか、結婚したらいけないのかと世の女性たちは思ってしまう」と言ったら、土井さんが「いや、実は女性たちの集会に行くと、結婚して子ども産まなきやダメよ」と言っているというんだ。それでさらに「土井さん、反面教師になつてるんですか」となつて、どんどん話が弾んでいった。 電話で〃セクハラ〃だというクレームが殺到しました。〃田原は女性差別者だ〃とガンガン抗議が来た。僕は土井さんを尊敬している、だから言ったのですが、土井さんに謝りました。 土井さんに関しては、ちょうど社民党の辻本清美さんが秘書給与疑惑で逮捕されたときにも、スタジオに来てもらっていた。そのときは他の出演者から、土井さん辞めるべきだという声がたいへん強かった。 でも僕はそう思わなかったから「土井さんは辞めるべきじゃないと思う。あなたが辞めたら社民党がなくなっちゃう、だから頑張るべきだ」とまず自分の気持ちをちゃんと言ってから、インタビューに入った。 とにかく相手と対立関係になったら、本音は絶対出てこない。攻撃しないで、惚れて、触れ合う。それで、あ、触れ合ったと思ったら、そこから入っていくんです。 |
私には、この田原氏の土井氏へのインタビューは「〃セクハラ〃だとか、〃田原は女性差別者だ〃」だけの問題ではないと思いました。
「田原氏は、傲慢だ」と云うのが私の印象です。
「僕は社民党の土井たか子さんに「土井さんどうして子どもを産まなかったんですか」って聞いた。僕以外にこんなことを聞く人はいないと思うよ。」
この「僕以外にこんなことを聞く人はいないと思うよ」との文言はその最たるものではありませんか?!
何故「僕以外にこんなことを聞く人はいないと思うよ」と田原氏は言えるのですか?
「僕は土井さんに惚れてる。好きだから、土井さんみたいな素敵な人がなぜ結婚しなかったんだろうってのは、正直不思議だったんだ」と云って、「惚れてる。好きだから」と云って何でも聞く権利があるのですか?
放送前後の茶飲み話の席でならともかく、全国へ流されるテレビの前で、何故個人的な秘密を話さなくてはいけないのですか?
同じ下種でも、森氏よりは少し増しと自負する私は、土井氏の心の中を、誠に失礼ながら、次のように勘ぐるのです。
(勿論、私の勘ぐり以上に、もっともっと深い事情がおありなのだと思いますが。)
1)
全人類の平和の為に、私の人生全てを懸けた。 2)
しかし、その思いが今空しくも、自衛隊の海外派遣、平和憲法の改正の動き等で、断ち 切られようとしている。 3)
これらに抵抗する仲間達も、先の選挙で、自民党などは当然暗黙の内で行っている秘書 手当の流用事件などの為に惨敗を喫してしまった。 4)
私の人生は何だったのか!? 5)
こんな事を他人に愚痴ったって何の益にもならない。 なのに、田原氏は、「僕は土井さんに惚れてる。好きだから」と云って、 何故こんな事をテレビの前で答えなくてはいけないのでしょうか!? |
私の友人の一人は、何年も前に結婚していますが、「他人から“何故、お子さんがおられないのか?”と聞かれるたびに頭に来る!」と怒っていました。
人間誰しも生物の本能として、己のDNAを残したい欲望を持っているの当然ではありませんか!?
DNAを残していない人には、その人なりに何かの事情があるからではありませんか?
単純に、森氏のように「自由を謳歌(おうか)し、楽しんで」と推論するのは愚か者の極みでしょう!
子供が欲しくても、土井氏同様に結婚しなかったり、出来なかったりして子供を持たなかった方々以外にも、ご夫婦の病気(性的、遺伝的など)の問題、財政的な問題(女性お一人の方では職場と保育所の関係の問題)、養育する為には年を取りすぎた等の年齢的な問題などで、子供を持てず寂しい人生(若い時は兎も角)、或いは不和の家庭生活を送って居られる方も御座いましょう。
結婚しなかった、或いは出来なかったお方にも、私の土井氏への勘ぐり以上に色々なご事情があったはずです。
田原氏が、好きで惚れて素敵だと思う土井氏のような女性が、ご自分一人で結婚したり、子供を産んだりは出来ないのです。
必ず、相手の男性が必要なのです。
(そして、その男性は単なる種馬ではないのです。)
女性が立派であればあるほど、相手となる男性の選択肢が増えるとは言い切れないのです。
かえって減ってしまう事も考えられるのです。
若し、この様なご事情で、結婚出来ず、又、子供を産めなかった女性(土井氏とは敢えて申しませんが)に対して、“あなたは、何故お子さんを生まなかったのですか?何故結婚しなかったのですか?”と執拗に食い下がるのは大変失礼な事と存じます。
勿論、結婚したり、お子様をお持ちの方々も、その為に多くのご不幸を背負い込んでしまっている方が大勢居られることでしょう。
何が何でも、結婚して子供を作るのが人間の(日本人の?)使命だとしてしまうのは、余りにも乱暴ではありませんか!?
更に、田原氏の土井氏に対する執拗な質問に対して、「〃セクハラ〃だというクレームが殺到しました。〃田原は女性差別者だ〃とガンガン抗議が来た」との電話での抗議は尤もだと思うのです。
電話での抗議をガンガン受けているのに、「土井さんみたいな素敵な人がなぜ結婚しなかったんだろう」と氏の著作にまで記述してしまう田原氏の心が問題なのです、その心がテレビ画面に映し出されていたのではないでしょうか?!
だってそうでしょう!?
「土井さんみたいな素敵な人がなぜ結婚しなかったんだろう」と思う田原氏の心の裏側には「土井さんが素敵でなければ結婚しなくて当然だ」との思いが存在していた訳なのですから。
素敵でない女性は結婚してはいけないのですか!?
素敵であろうと無かろうと、どのような方でも、結婚する権利はあるのではありませんか!?
それにしても、“女性が素敵か否か”を誰が決めるのですか!?
(斯く申します私は“森氏のような方には結婚する資格が無かったのに!”と心の中では叫んでいるのです。)
更には、「惚れて、触れ合う。それで、あ、触れ合ったと思ったら、そこから入っていくんです」との記述は下品そのものではありませんか!?
この事を記述したかったのなら、この表現を使いたかったのなら、何も女性である土井氏の項に書くべきでなかったと思います。
田原さんのこの著作『聞き出す力』の別のページで次のように書かれています。
ひとつだけ、ちょっと申し訳なかったなと思うのは、高市早苗さんに対してね。『サンデープロジェクト』(特集「激論!靖国問題、国立基地建設の是非」〇二・八)の中で、彼女が「昭和の戦争は自存自衛の戦争だった」って言ったから、僕は「冗談じゃない、そんなことはないよ」と言って、その勢いで「あなた下品だ」とやっちゃったのね。これはだから謝りましたよ、次の週の番組で。下品っていうのは、失礼千万な言い方だ。われながら恥ずかしい限りです。 |
高市氏が下品であるか否かは、ここでは別にして、田原氏の記述は下品そのものだと私は思います。
更に、田原氏の著作『聞き出す力』の中には、インタビュー前の田原氏ご自身の膨大な資料の読破、そして気持ちの準備などに関しては、記述されていますが、田原氏自身の「聞き出す力」だけが披露されているだけで、インタビューに答えてくれる相手方への感謝の気持ちが何処にも記述されていなかったと私は感じています。
私はとても不思議に思いました。
田原氏は傲慢なのだなあと感じました。
最後に、もう一言、付け加えさせて頂きます。
田原氏が司会をされているサンデープロジェクト(2月1日テレビ朝日放送)では、ゲストの伊藤忠の丹羽社長が、次のように嘆いておられました。
“政治はビジョンと哲学を語るべきなのに、政治が官僚と同じことをやっている。” |
森氏の談話には、哲学がありましたか?ありますか?
「全ての日本人は結婚して、子供を作れ」というのが森氏の哲学ですか?
森氏のビジョンは何ですか?
「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるぞということを、国民の皆さんにしっかりと承知していただくというその思い」を完遂させることなのですか?!
何故この様な森氏を「可哀相だ」と云って弁護する田原氏の心が私には判りません。
ひょっとしたら、田原氏は、森氏と「同じ穴の狢」なのかしらとも思いました。
(追記)
森氏に関しては、拙文《私は、森、野中両氏が大嫌いです》をも御一読戴きたく存じます。
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