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文系理系と何故分ける

200421

宇佐美

 

 近頃は、若い人達の理数離れが問題視され、124日の新聞記事(朝日)には、次のような記事も出る始末です。

 

「理数は苦手」鮮明 高3・10万人学力テスト

 期待の正答率、超えたのは数学で30問中1問

 文部科学省は23日、全国の高校3年生約10万5千人を対象に、02年11月に実施した学力テストの結果を発表した。数学と理科では文科省側が期待した正答率を大幅に下回り、とくに数学では30問中1問しか上回らなかった。国語と英語は期待した程度の成績で、理数系教科が苦手な傾向がはっきりした。併せて実施したアンケートでは、「勉強嫌い」の生徒が7割を超え、勉強に対する意欲が乏しいことが浮き彫りになった。……

 

 しかし、この「理数は苦手」は、若い人達の問題だけではないのです。

日本のマスコミにて活躍跋扈している方々の大多数の方々も、「理数は苦手」のようです。

しかしもっと問題なのは、日本人は、自らを「文科系人間」「理科系人間」と名乗ることで、「文化系人間は、理数に疎くて当然」、「理数系人間は、文系に疎くて当然」という「免罪符」を世論から(或いは、自ら)発行して貰い、安住してしまっている事なのです。

 

 文系も、理系も頭を使うことには変わりないのですから、両方の能力を備える事は可能であり当然なのです。

 

 特に、多くの人達の運命を左右する地位に居られる方は、文系理系の区別のない能力を備えるべきであり、備えるように努力すべきなのです。

 

 そして、いわゆる「文系人間」が、日本のオピニオン・リーダー達として君臨している為、日本の進路が迷走したりしてしまうのです

 

 田原総一朗氏は、テレビ画面上では怖い者知らずの様に振る舞っておられますが、残念ながら、理数系能力に全く欠けているようです。

 

例えば、今年111日の谷垣禎一財務大臣を迎えてのサンデープロジェクトに於いて、田原氏は、年金問題に対して、次のように憤慨していました。

 

“今75歳の人間は、1300万円支払って、6800万円年金で貰うが、35歳の人間は、なんと6100万円支払って、せいぜい5000万円くらいしか受けとれない!

国民は年金に対して信頼出来ずに、若者の半分以上は国民年金を払っていない。

さらに、年金の積立金が財投に入っているが、財投の半分くらいが腐って不良債権化している。”

 

それに対して、谷垣大臣は次のような嘘答弁で口をつぐんでしまいました。

“年金が始まって日が浅く、加入年数が少なくてもこれだけは出そうという過渡期の現象と、少子化の為支え手が少なくなり数字あわせの見通しと狂ったのが原因。”

 

この谷垣大臣の答えが真っ赤な嘘であることは拙文《インチキ評論家が年金は黒字と嘘を言う》をお読み頂ければ十分に御納得頂けると存じます。

 

 即ち「私達が現役時代に積み立てたお金」を、国の年金機関が間違いなく運用してくれれば、積立金の3.8倍位(6800万円/1800万円3.8)は、私達は確実に年金として受け取ることが出来たのです。

(年金積立金の運用利回りが、予定通り5.5%であるなら(私の拙文に於ける大まかな計算では)積立金の5倍以上は受け取れるのです。)

ですから、年金制度の問題は、「少子化」ではなく「年金運用のミス」(年金の積立金が財投に入っているが、財投の半分くらいが腐って不良債権化している)が一番の問題なのです。

 

ところが、田原氏は、更に酷いことに『週刊朝日(2003.12.12)田原総一朗のギロン堂』に於いて、「年金改革は大胆な発想の転換が必要だ」との表題を掲げて、次のように記述して理数音痴ぶりを披露するのです。

 

……

 少子化が進んでいて、年金の給付水準が現在より下がるであろうとは、国民のだれもが覚悟しているのである。

……

一少子化が進み、物価や給与形態がどう変わるか、変動要素が多いなかで、給付水準や保険料率など論議しても意味はない。

いま、給付水準50%以上と言っても、だれも信用しない。思い切って年金制度そのものを根本的に考え直すべきである。

 若い世代の信用を獲得するためには、現在の賦課方式をやめて、たとえば国庫が負担する基礎年金を6方〜7万円と定め、この部分は消費税などで賄うとして、保険料は自分が現役時代に支払った額を確実に得る、つまり自己責任方式としては、いかがなものか

 自分が支払った保険料は確実に得られる。しかし保険料を支払わなかった場合は、基礎年金しか得られない、というはっきりした制度にすれば、若い世代も支払い放棄はしまい。

 具体的に制度化するには、当然ながら細やかな配慮が必要だが、現在の妖課方式では、いかに工夫しても、年金制度に対する若い世代の信用は、とても得られないのではないか。

 大胆な発想の転換がいま、迫られているのである。

 

如何ですか?

田原氏は理数に疎いが為、役人達の「年金制度の破綻は少子化が原因」を鵜呑みにしています。
田原氏の「大胆な発想の転換」と宣う「保険料は自分が現役時代に支払った額を確実に得る、つまり自己責任方式」自体、即ち「積立金方式」が、何のことはない、本来の年金の姿だった事に田原氏は、気が付かなくてはいけないのです。

 

勿論、数学に疎いのは田原氏に限った話ではありません。

何故か『朝まで生テレビ』の番組等では、田原氏が毎度のようにバカにしている慶応大学の金子勝教授(日頃優れた評論を披露して下さり、私は大変尊敬しているのですが)は、中村敦夫議員との対談(『通販生活2004春号』)で、次のように発言されています。

 

中村 今必要なのは、事実をすべて表沙汰にして、責任者を明確にして責任を取らせること。大人がそんな当たり前のことをしないで、教育も何もあったもんじゃない。

金子 大人、なかでも「団塊の世代」(19471949年のベビーブーム時代に生まれた世代)が一番ひどいと思う。最後まで年金を食い逃げして、若い世代を苦しめて死んでいく。オレは「食い逃げ世代」と呼んでいます。ドイツでは団塊の世代が緑の党で新しい価値観を創ったりしたけど、日本の団塊の世代は新しい価値観を何一つ作らない。もう一度、自分たちの世代の利益や利害を捨てて、日本の社会、特に20代、30代の人にどういう社会を残してやれるのかを考えてほしい。このままじゃ、若い世代は地獄だよ。

 社会保険庁の国民年金のポスターに「年金もらえないって言った人は誰?」と書いてあるけど、あそこに「オレだ!」と書きたいね(笑)。

「もらえると言った嘘つきは誰だ!」ってね。

 特殊法人全体で60兆円の不良債権があるとか、債務超過は35兆円あるとか言われています。オレたちの財産である年金の3分の2がそこで運用されてドボドボ穴を空けているのに、会計も公開しないんです。ごまかしているから、みんな不安が募るんです

 

 如何でしょうか?

金子氏も(多分数学的センスの無さから)田原氏同様の誤解をしているのです。

決して、「「団塊の世代」が……年金を食い逃げ」ではないのです。

本来「団塊の世代」に、支払われるべき年金は、彼等の積立金(運用益を含め)から捻出される方式だったのに、「オレたちの財産である年金(彼等の積立金)3分の2がそこで運用されてドボドボ穴を空けて」しまった為、その方式が挫折してしまったのです。

役人や政治家達は、この失敗を隠蔽する為に、「世代間扶養」などと云う、いんちき熟語を使い出して私達を誤魔化しているのです。

そして、私達同様に数学的センスに乏しいマスコミ人も役人や政治家達に言い包るめられてしまっているのです。

ですから、いくら中村議員が“今必要なのは、事実をすべて表沙汰にして、責任者を明確にして責任を取らせること”とほざいても、頬被りしている役人や政治家達の「頬被り」を誰もがはぎ取ることが出来なければ、又、その能力がなければ、彼等は当然「頬被り」し続けてしまうのです。

そして、頬被りし続ける輩のおかげで日本は益々奈落の底へと沈んで行くのです。

 

更には、15日放映のTBSnews23に於ける「テレビのここが駄目」との題目で、司会の筑紫氏に加えて評論家の田原総一朗氏、桜井よし子氏との鼎談にて、桜井氏は次のような問題を提示され憤慨していました。

長野県の住基ネットのファイヤー・ウォールの侵入テスト(桜井氏も関与)で、ファイヤー・ウォールを破ったけれども、その先のサーバーに最新のパッチが掛かっていて、つまり戸締まりを良くしていたものですから、そこに入る事は出来なかった。

これに対して、長野の新聞は「ファイヤー・ウォールを破る事が出来なかった」と間違いを書いてしまった

そこで、もう一度審議会を開いてチャンと説明して、「ファイヤー・ウォールを破ったけれども、その先に最新のパッチがこの町にはあったからで、他の町ではそれがありませんからファイヤー・ウォールを破って取りますよ。」と説明した結果、みんな“判った、大変な誤報をした”と記者は青くなりながらも、なんと、翌日の新聞では「チャンとした情報開示をしていない、情報開示の仕方が悪い」と逆に私達を非難してくる始末で、ファイヤー・ウォールを破った事を全く報道していない

何故事実を事実として伝えないのか!

 

 そして、この誤報問題は、長野地元紙だけではなく、その記事を吸い上げている大手の新聞も同じであって、あなた(田原氏)の番組(サンデープロジェクト)も正確には伝えていなかった

 

 この桜井氏の弾劾に対して、田原氏は“それは良かった”と何か訳の判らないことを一言返しただけで、桜井氏の言葉を遮って、強引に次のように話を切り替えてしまいました。

 

 「事実というのは難しいのですよ。昔テレビのディレクターをやった時、学生と警官隊とのぶつかり合いがあった、このぶつかりを警官隊から撮れば、覆面し学生は暴力集団です。学生側から撮れば過剰警備ですよ。」これはどっちも事実ですよ。事実を見つけるのはマスコミは大変難しくて、そこで最近のマスコミはサボっている。

 

 しかし、桜井氏の問題視したのは、「ファイヤー・ウォールを破った」事実を、「ファイヤー・ウォールを破れなかった」と誤報したこと、即ちもっと端的な例で言うと「青信号信号を、赤信号だ」と虚言を呈し続けていることなのです。

青信号は誰が見ても青信号なのです。

それを間違って「赤信号だった」と報道してしまったら、はっきりとその誤報を訂正するのが、真っ当な報道ではありませんか!?

 

 田原氏のサンデープロジェクトでは、ゲスト出演した麻生太郎総務大臣は

“長野のテストでは、ファイヤー・ウォールは破れなかった!”


と得意気に話していたと私は記憶しています。

そして、多くの人達はこの発言から、“住基ネットは、安全なのだ!”の思い(誤解)を強くしたのではないでしょうか?

 

 このような事態を防いで頂きたい為に、次のよう書き出しで、拙文《マスコミの方々も科学への理解力を養ってください!》をホームページに掲載したのでした。

 

 オームの松本サリン事件で、科学への理解不足から、お気の毒な河野さんを犯人呼ばわりしてしまったマスコミの方々は、その後も科学への理解力を高める努力を全くしていません。

 

 ところが、問題なのはマスコミの方々だけではないのです。

中村修二・米カリフォルニア大サンタバーバラ校教授の青色LEDの発明に対して、二百億円の支払いを東京地裁が、中村氏が発明当時所属していた日亜化学工業に命じた件に関して、次のような記事に出くわすのです。

(読売新聞:2004131日)

 

 「課長 島耕作」などで知られる漫画家・弘兼憲史さんの話

「個人的には違和感の残る判決。発明は会社の施設、カネで生み出されたものということが認識されていないのではないか。こうした訴えを認めてしまうと、文系の社員でさえも『あの契約は私が取った』と主張するようになるかもしれない。ただ、社員のやる気を出すために、入社する段階で一定のインセンティブ契約を結ぶということも一つのアイデアだと思う」

 

 そして、30日のニュースステーションでは、経済アナリスト(?)森永卓郎氏は、次のような惚けたコメントを発していました。

 

 (発明者がそれだけ貰うなら)発明者の協力者への報償は?

 

 弘兼憲史氏、森永卓郎氏には、「コロンブスの卵」、そして、その「コロンブスの卵を産む鳥」の希少価値がお判りでないようです

そして、それを孵化する能力に対する認識が欠如しているようです。

 

 弘兼氏は、入社時にインセンティブ契約(自分の好きな漫画を書き、且つ、それ相応の報酬を得ることが出来る等)を結んで、大手出版社の社員として、漫画家として仕事をしていたら、今の名声と報酬と満足感を確保出来たでしょうか!?

 

 そして、弘兼氏はどうか判りませんが、テレビで紹介され手塚治虫氏の漫画の制作には多くの助手の方が協力していました。

ここで、森永氏流の疑問を呈するなら、手塚治虫氏と助手の方々は対等な報酬を取っていたのでしょうか?!

 若しそうだとしたら、誰でも次のような非難を声を上げるでしょう。

 

“それは可笑しい!”

助手のなり手は、いくらでもいる!

“世界の手塚は、手塚治虫だけだ!”

世界の手塚氏は、それ相応の報酬を手にすべきだ!

 

 でも、発明となると、科学の世界になると、何故、この様な声が小さくなってしまうのでしょうか?!

 

 それは、残念な事に日本人の大多数が、「文科系人間」と詐称(安住)している為ではありませんか?

 

 今朝のサンデープロジェクトでは、倒産寸前の伊藤忠を再建した丹羽社長が出演して、「物作りから、技術へ転換し、国際的の特許戦争に勝つこと」、そして、暗黙知」が、これからの日本に必要で重要なのだ、日本の強みは優れた中間層の存在であって、アメリカのような経営者の賃金が一般労働者の約300倍といった2極分化した社会ではいけない。

そして、「21世紀はウォー・フォー・タレント」と説いておりました。

 

丹羽社長が、経営者に不可欠と言われる「暗黙知」とは何でしょうか?

丹羽社長は次のように語っておられました。

 

 「暗黙知」とは、いわば「ドタ感」である。

「ドタ感」がある(プロであると)と感が働く、この最近の日本の会社には、この暗黙知が欠けているから事故が増えているのだ。

 

経営者に限らず、或る一定の社員に、「暗黙知」が必要なのである。

この暗黙知は、煙とか臭いを感じる力でもあるのだ。

即ち、この「暗黙知」とは、他の人には見えないけど煙が立っているとか、どうも匂いが臭いぞ、ここに何かあるんではないか?というドタ感的なものをいうのである。

 

それをどうやって育てるかと言いますと、長い間の下働きをするとか、或いは、汗水たらして仕事をする中から、経験と実際の労働の中から得られるのである。

一方、形式知というのは、教科書に書いてあったり、文章に書いてあったりしていたこれは何処にでも手にすることが出来る。

学校を出たから、MBAを取得したからといっても(得られるものは、「形式知」であって「暗黙知」ではない為)経営は出来ない

 

 しかし、丹羽社長ほどの方でも、理数の世界(科学の世界)には、疎いようです。
 
丹羽社長がその必要性を力説する「暗黙知」は、いわゆる「理数系の人間」にも不可欠なこと、そして次の点にお気付きになっていないようなのです。

 

即ち、この「暗黙知」の有無が、彼らを「理数系人間」として安住、詐称させたままで存在させるか、中村教授のような「稀有の発明者」に変貌させるかを決定してしまうのです。

 
 そもそも文科系理科系の明確な区別など無いのです。
そして、この「暗黙知」こそが、文科系を理科系に結びつける橋でもあるのです。
先の拙文《インチキ評論家が年金は黒字と嘘を言う》にも書きましたが、私達が(家を建てる時など)銀行から借金すると、「借りた金の2倍を銀行に返さなくてはいけない。」と云うのは常識でした。
だったら、年金として積み立てたお金が、2倍以上になって私達に返ってきて当たり前
 それなのに、年金として払い込んだお金よりも、年金として貰えるお金が少なくなるのは不自然だ!
これは何かおかしい!何か臭いぞ!と「暗黙知」が教えてくれるのです。
何も、学校で習った数学のお世話にならなくても、この「暗黙知」が教えてくれるのです

 
 私達は、これから自らを「文系人間」「理系人間」等と狭い壁の中に押し込めるのを止めようではありませんか!?


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