国債音痴の政治家と田原総一朗氏
2003年9月7日
宇佐美 保
今日(9月7日)のテレビ朝日の番組「サンデープロジェクト」では、自民党総裁選への立候補を予定している亀井(自民党前政調会長)、高村(自民党・元外務大臣)、藤井(自民党・元運輸大臣)の3氏は、亀井氏の“1400兆円の民間の金を活用して、10兆円位の国債を発行して景気の浮上を図る”旨の発言に大同小異の国債発行派でした。
そして、3氏とも“構造改革は、景気回復の後”とほざいていました。
この方々は、“自民党という井戸の中にドブ浸かりしている蛙たちなのかしら?”と思いました。
(こんな蛙たちは、腐った自民党という井戸の水に浸かりながら、早晩消えて亡くなる方々なのだと思いました。
それにしても、何故、高村氏がポスト小泉首相と嘱望されているのか私には訳が判りませんでした。)
倒産寸前の日産を立て直したカルロス・ゴーン氏の改革は、日産の業績回復を待ってから行うと言っていたら絶対に不可能だったはずです。
不況の際だからこそ出来た改革ではありませんか!?
(日経BPセンター発行の《ゴーンが挑む7つの病》を読み益々この思いを強く感じました。)
更には、高村氏は、“財政は、不景気の時には緩和し、景気の良い時は緊縮するのが基本”と宣って居られました。
そして、3人揃って“今迄は、景気が良くなると直ぐ財政を引きしめってしまったから、国債発行の効果が発揮出来なかった”とぬかしておりました。
既に、年間税収の20倍もの国債を発行しておいて、こんな台詞が良く吐けるものです。
又、6月22日の同番組で、麻生太郎自民党政調会長は、“民間の預貯金が1400兆円あるのだから、国債発行高が700兆円だろうが問題はない”と嘯いていました。
しかし、司会の田原氏は、この国債と民間資金の関係の欺瞞性を暴く事が出来ませんでした。
田原氏をはじめ日本の評論家は経済に対して不勉強だと思います。
先の拙文《銀行、郵貯、国債の悪》等にも引用させて頂いた「銀行と株(吉田春樹:東洋経済新報社)」に記載された「日本興業銀行調査部作成」による、2000年末の個人資産の流れを一見すれば、誰しもビックリするはずです。
600兆円の国、地方公共の債務の引受先(2000年末時点)を、再度抜粋させて頂きますと以下のようです。
1)
郵便貯金の総額:255兆円の98%の251兆円
2)
民間預金の総額:465兆円の40%の187兆円
3)
機関投資家(投信、年金、保険等)から158兆円
この第3項の機関投資家の内、年金基金が占める割合は私には不明なのでこの点はさておきまして、先ず郵便貯金は殆ど全て国債地方債に食われてしまっているのです。
更には、銀行預金の40%もが国債地方債が向けられているのです。
この理由は、先の拙文にも書きましたが、銀行のBIS定義の総資産の定義にあるのです。
と申しますのは、国債のウェート比は0%(地方債は10%)なのですから、銀行は、BIS規格8%を死守するの名目で、企業への貸し付けすべきお金を国債を国債購入に向けるのです。
こんな訳で、日本では国債の安定した受け皿として郵貯、銀行、更には年金基金を持っている為に、国債を幾ら乱発しても、国債の暴落の心配はなかったのです。
ですから、亀井氏の“1400兆円の民間の金を活用して、10兆円位の国債を発行して景気の浮上を図る”旨の発言は“1400兆円の民間の金をちょろまかして、10兆円位の国債を発行……”と変えて貰わなくてはならないのです。
なにしろ、一般庶民の私達の預貯金が私達へ断りなく勝手に国債購入に向けられているのです。
何故こういう「国債のカラクリ」を、田原氏は麻生氏にぶっつけられないのでしょうか!?
しかしこのとんでもないカラクリをいつまでも続けられないのです。
なにしろ、もう郵貯の大半、そして銀行預金の40%もが国債に化けているのですから、もう今まで通りには国は国債を発行出来ないと覚悟しなくてはならないのです。
(なのに、今回の自民党総裁候補の3名揃って、まだまだ国債を発行し続ける意気込みなのです。)
そして、この「国債カラクリ」の最大の問題点は、私達の預貯金が郵便局や銀行を経由して民間企業に流れ、民間の企業活動を活発にすべき本来の任務から離脱させられてしまっているのです。
そして、そのお金は、国債を経由する事によって、多くの無駄を孕んだ公共投資に向けられてきてしまったのです。
そして、未だ懲りずに、国債を発行しようと言うのです。
更に馬鹿げた事には、郵貯という絶好の受け皿が満杯になってきたので、郵便局や銀行の窓口で、個人向け国債を売るというのです。
(この事が可能なのは、国債の利子が預金の利子がよりも高いからです。)
でも待って下さい。
私達が国債を買おうとするお金は、本来は預金しようとしたお金なのです。
若し、郵貯や銀行のお金が国債に向けられずに、民間企業に向かっていれば、私達の国は、未来の世代に借金を押し付ける事もなく、より良い国になっていたかもしれないのです。