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恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(1)
(後出しジャンケンで言い逃れる東電をマスコミは黙認
2012年3月12日
宇佐美 保
毎日新聞(2月27日)には、「民間事故調報告」の “菅氏が昨年3月15日に東電に「(福島第1原発からの)撤退なんてありえませんよ」と、第1原発にとどまるように強く求めたことについては、「結果的に東電に強い覚悟を迫った」と評価した。”との一部を紹介しています。
ところが、東京新聞(2012.3.11)には、原子力安全・保安院次長 平岡 英治さん(56)の次の談話を紹介しています。
三月11日夜から十三日午前中まで、官邸にとどまりました。 …… 水素爆発は思いもしなかった。漏れた水素がどうなるかというのは、あまり考えたことがなかった。不勉強だったと思います。 東電が福島第一から撤退するという話は、保安院に戻って聞きました。小森さん(明生東電常務)に電話すると、「事態は緊迫していて、これ以上悪化するようなら、必要な人を残し退避させることも考えている」と。官邸がなぜ「全員撤退」と受け取ったのか分からない。 |
この小森明生氏(東電常務)の見解は、TBSテレビ(2011.12.25)「「報道の日 2011」記憶と記録そして願い」に於いても紹介されていました。
“東京電力としては、全員撤退という判断、或いは、申し入れをしたことはないとはっきり言えると思います。” |
しかし、テレビのテロップには、肝心の最後の「……と思います」が削除されていて、東電側は「撤退の意思、要請もしなかった」と受け取れる画面でした。
この発言に至るまでのテレビ放送は次のようでした。
アナウンサー ……この日(事故四日目)午後一時ごろ、2号機にも異変が起きていた。 3号機と同じように、なんの手立ても取られずに、冷却システムが停止メルトダウンに突き進みつつあった。 危機が相次いだその日の夜、海江田、枝野そして首相補佐官細野にも、東電社長清水から相次いで電話がかかる。 官邸側によれば、その内容は、福島の第1原発からの全面撤退の要請。 海江田 深夜の電話でしたけれども、これ非常に緊張してまして、“退避したいと思う”と言うことで、電話がありました撤退しないと作業員の方々の大量被曝ということも十分考えられますので アナウンサー この撤退要請を巡って、官邸と東電の溝は徹底的となる。 原発からの撤退を了承するのか? 官邸は作業員の命に係わる重大な決断を迫られていた。しかし、電話を受けた誰もが菅に伝えることを躊躇った。 総理周辺の人物は即座に報告が上がらなかった理由をこう説明した。 首相周辺“最高指揮官としては、もう少し冷静でいてほしかった” …… 東電からの作業員の命にもかかわる「全面撤退要請」を受けた形で、3月15日午前3時、参加者達が当時御前会議とよんだ菅の判断を仰ぐ会議が開かれた。 寺田氏 “菅さんは吉田所長にも電話していたようだ” 菅さんは、会議出席者の意見を聴いた後、5時35分に東電本社に乗り込むが、記者たちは同席することは許されなかったが、次のように発言する菅さんの声が扉の外に漏れてきました。 “撤退したら、東電は100%つぶれる” “日本は東半分を廃棄物にするわけにはいかない” “60歳以上はここで覚悟してくれ” |
そして、先の小森氏の(と思います)発言となるのです。
テレビ側がこの小森氏の(と思います)発言から“この撤退要請を巡って、官邸と東電の溝は徹底的となる”との結論を出すのは異常です。
“官邸と東電の溝は徹底的となる”と判断したいなら、東電側の主役であった清水社長(当時)の見解を取材すべきです。
更に、次に続きます。
……15日6時15分 吉田所長より「どーんという大きな音がした。緊急事態緊急事態」と、……現場で働く作業員たちの一時退避を本店に求めた。 それを受けての東電本部の対応に、寺田学(元首相補佐官)氏、 “清水社長をトップとして、一時退避の書類作りをして、書類を皆さんで読み上げて、これを稟議に回して承認をとるという悠長な形で非常に驚いた” アナウンサー その書類は東電に陣取っていた菅のもとに届けられた 寺田氏 清水社長が、一時退避の了承を持ってこられたが、(菅首相から)「注水の人間だけは残せ」という指示があった。 アナウンサー 福島第一原発から、経済産業省などへ送られたファックスがある 所長の吉田の名で一時退避を伝える書類だ。 この書類には、「作業に必要な要員を残し」とくわえられている。 これは菅の「注水の人間だけは残せ」という指示にほぼ同じものとなっている。 |
テレビ画面に映ったこの書類(次の写真)の細部はわかりませんでしたが、書類の一番上には、「異常事態連絡様式」……と書かれ、平成23年3月15日 発信時間:6時57分
それと、吉田昌郎所長の名前が発信者欄にあり、その下の名前(?)はテレビ側の処理で(?)消されていました。
そして、「作業に必要な要員を残し」の文言は、書面の一般の文字ではなく、あとから、○囲いで書き加えられていました。
アナウンサー しかし、この通報の修正についても、東電の見解は異なる。 東電:小森氏 “誤解の内容に「一部の保安員を除き」ということを付け加えた。総理に言われたということは特に記憶が無い” |
この小森氏の「特に記憶が無い」を以てして、「官邸と東電 今なお食い違う言い分」と結論付けるテレビ側の隠れた意図を感じざるを得ません。
そこで、東京新聞(2012年3月2日)の「福島原発 その時官邸は」から次を抜粋させて頂きます。
十四日夕には、2号機の原子炉が空だき状態になる。官邸で2号機の危機を話し合っていた官房副長官の福山らに「東電が撤退を考えている」との情報が入る。海江田や枝野らに、東電社長の清水正孝らが伝えた。 集まったメンバーは「作業員に危険が伴うが、撤退すれば膨大な放射性物質が放置される」と認識。菅の判断を仰ぐ。 午前三時ごろ、福山ら政治家五人が首相執務室に入る。「東電が撤退すると言っています」。菅は少し間を置いて、「撤退なんかあり得ない」と言った。応接室であらためて協議し、撤退を認めないことで合意する。菅は「清水さんを呼んでくれ」と指示した。 清水を待つ間、菅は政府と東電による統合本部を東電本店につくれるかどうか秘書官にただす。秘書官は「総理がつくると言えばつくれます」と答える。 菅は福山らに重ねて言った。 「このままでは東日本全体がおかしくなる。決死隊をつくっていくしかない」。事故が起きた原原発を放置すれば、外国からどう見られるか。「海外から(原発を管理しに)やってくるぞ」 午前四時すぎ、清水が官邸に到着する。菅が「撤退なんかありませんから」と言うと、清水は「はい、分かりました」とすんなり答える。海江田らが拍子抜けした顔を見せた。 菅はさらに「細野補佐官を東電に常駐させる。今のままでは全然情報が入らないから」と迫る。驚いた表情で時間がかかるようなことを言う清水に、菅は「(午前)五時に(自分が)行くから」と宣言した。 午前五時半、菅は東電本店に乗り込み、統合本部を設ける。 「撤退した時には東電は百パーセントつぶれます」とほえた。 本部設置で、ようやく政府と東電の情報落差は埋まる。 清水は後に、全面撤退と言ったことはないと釈明している。 |
この件に関して、拙文≪復興は平和の礎(民主党とマスコミ)≫に次のように記述しました。
しかし、東京にいる東電上層部の方々は、現場の方々に致命的な危険が降りかかれば、(安全地帯にいつつも)“退去命令を出さなかったとの責任問題”が発生する事の別の怖れを感じた筈です。 ですから彼らは「退去命令」を出すでしょう。 (現場の方々がその「退去命令」に従わない事を願いつつ) その状況で、 菅直人首相が「現場からの撤退などあり得ない! 覚悟を決めなさい。撤退した場合、東電は百パーセント潰れるぞ!」 東京電力本社に乗り込み、こう怒鳴り上げた事で、責任は全て菅首相が負う事になり、 (身の安心を両面から確保した)東電幹部は現場に作業続行を命じる事が出来たのではありませんか?! ですから、 菅氏は「全ての責任を自らに課して今回の対策に当たっている」 と私は解釈しているのに、マスコミの方々はどうなっているのでしょうか?! |
従って、先の記述“菅が「撤退なんかありませんから」と言うと、清水は「はい、分かりました」とすんなり答える。海江田らが拍子抜けした顔を見せた。”は何の不思議もないのです。
清水氏にとっては、菅さんが原発作業員に対して全面的な責任を負ってもらえるなら、「撤退」の「撤回」は願ってもないからです。
今になって、小森氏も、清水氏も「全面撤退と言ったことはない」と言えるのは、まるで
「後出しジャンケン」 |
です。
本来なら、お二人は“自分たち民間人が、いくら自社の社員とはいえ、命を捨てるような仕事を命じることが出来なかったのを、菅さんが代わりに命令してくれて助かりました”と菅さんお礼すべきです。
なのに「後出しジャンケン」を正当化するお二人には、高給を食んで人々の上に立つ資格はありません。
(それに、世界に対して顔向けもできない方々です)
一方、菅さんに関しては、東京新聞 (2012年1月27日 夕刊)では次の記事を見ます。
米紙ウォールストリート・ジャーナルは二十六日、菅直人前首相のインタビューを掲載した。記事には「日本の前首相が反原発活動家に転身」との見出しが付けられた。 菅氏はこの中で「原発に依存しなくていい世界を目指すべきだ。日本がモデル国になることが望ましい」と強調。首相退任後も、太陽光やバイオマスといった再生可能エネルギーの促進に力を入れているとし、「人からは原点回帰と言われている」と述べた。 福島第一原発事故の発生当初、現場から作業員を撤退させたいとの東京電力の要請を拒否したことに関しては「(事故収束のため)戦後初めて日本の指導者が国民に命を懸けてほしいとお願いした」と振り返った。 |
この菅さんのとった行動(日本の指導者が国民に命を懸けてほしいとお願いした)こそが私達日本人ひいては世界を救ったのではありませんか!?
そして、私達の多くは、この菅さんへ感謝するどころか今以て、非難の声を挙げているのです。
なんと悲しい日本人でしょうか!?
この件は次の拙文≪恩人菅さんに唾する東電メディア官僚そして民間事故調(2)≫に続けさせて頂きます。