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原発導入二人の父(中曽根康弘氏、正力松太郎氏)

201168

宇佐美 保

 

中曽根康弘氏に関して、フリー百科事典『ウィキペディア』を見ますと、次の記述を目にします。

 

中曽根康弘

195432日、一議員でありながら原子力研究開発のための予算を上程、これを通した(具体的には科学技術研究助成費のうち、原子力平和的利用研究費補助金が23500万円、ウラニウム資源調査費が1500万円、計25000万円。これが現在に至るまでの自民党の原子力是認につながっている)。

 

1954年(昭和29年)- 3月、日本で初めて「原子力予算」を国会に提出し成立させる。正力松太郎にこの頃近づき、正力派結成の参謀格として走り回る。共に政界における原発推進の両軸となる

1959年(昭和34年) - 2次岸内閣改造内閣の科学技術庁長官として入閣。原子力委員会の委員長に就任

 

 

一方、

正力松太郎氏に関しては

 

昭和31年(1956年)

1 - 原子力委員会の初代委員長に就任。

 

読売新聞社の経営者として、同新聞の部数拡大に成功し、「読売中興の祖」として大正力(だいしょうりき)と呼ばれる。

 

日本に於けるそれぞれの導入を推進したことで、プロ野球の父、テレビ放送の父、原子力の父とも呼ばれる。

……

週刊新潮2006216日号で、戦犯不起訴で巣鴨プリズン出獄後は正力がCIAの意向に従って行動していたことを早稲田大学教授の有馬哲夫がアメリカ国立公文書記録管理局によって公開された外交文書(メリーランド州の同局新館に保管されている)を基に明らかにし、反響を呼んだ。アメリカ中央情報局(CIA)と日本へのテレビの導入と原子力発電の導入で利害が一致していたので協力し合い、その結果、「podam」、「pojacpot-1」というコードネームを与えられ、これらの件に関する大量のファイルがアメリカ国立第二公文書館に残ることになった。CIAに正力松太郎を推薦したのは、カール・ムント米上院議員だったという。

 

 

 その有馬哲夫氏の著作『日本テレビとCIA 発掘された「正力ファイル」:20061020日新潮社発行』には、次の記述が目に入ります。

 

 

序章 CIA正カファイルの発見

 二〇〇五年も押し詰まったころ、私の探求の旅はようやく終わりを迎えていた。ワシントンDCの郊外にある国立第二公文書館から衝撃的資料がでてきたのだ。「CIA文書正力松太郎ファイル」。この資料には、前に誰かが読んだことを示す折り目はついていなかった。

 それまで四年にわたり私はアメリカ国内を文字通り東奔西走して資料をかき集め、生存する関係者に数度にわたってインタヴューしてきた。その目的は「正力松太郎による日本へのテレビ導入にアメリカはどのように関わっていたのか」という問いに対する答えを見出すことだ。……

 CIA文書は機密性の高さゆえに大部分が黒塗りの状態になっている場合がほとんどだ。だが、今回の「CIA正カファイル」はところどころ固有名詞や日付が削られている以外はほぼ原形をとどめているうえに、分量もフォルダー三つ分、あわせて四七四ページもあった。数年にわたる資料収集によって外堀を埋めていた私には十分過ぎる量だった。

 中身にいたっては、CIAが極秘に正力を支援することを作戦とし、その実施のための必要書類の作成を命じたり、作戦に実施許可を与えたりしたというものだった。これ以上の直接証拠があろうか。

 しかも、この作戦のなかで正力はCIAから「ポダム」という暗号名まで与えられていた。この暗号名は日本テレビ創設以降もCIA文書に登場し続けることになる。正カファイルが四〇〇ページ以上にものぼるのはこのためだ。

 ……正力による日本へのテレビ導入はアメリカが政策として「仕組んだ」ものだった、ということだ。私の行く手にようやくゴールが見えてきた。

 しかし、断っておきたいのは、だからといって、これは特定の関係者や企業、機関を責めれば済むという問題ではないということだ。これから明らかにしていくように、この間題はあまりにも日米の現代史の深いところに根ざしている。見かけよりも広い文脈を持ち、多くの人々が関わっている。……

 確かなのは、責めるかどうかは別にして、現在を生きる者はこの事実と向かい合わなければならないということだ。それはもう終ったことではなく、現在とつながっているからだ。今も現実を動かしている重要な要素の一つだとさえいえる。

 ちなみに、ワシントンの博物館群のなかでもその壮麗さがひときわ目を引く国立公文書館にはこのような銘が刻まれている

過去から引き継がれたものは未来を生み出す種となる

 過去から学ぼうとしない者に未来はない。過去の過ちの永遠の繰り返しがあるだけだ。過去から学んだものだけが、この繰り返しから脱して未来の扉を押し開けることができる。

 このあと私がどのような旅をし、どのようにゴールに達したのかを明らかにしていくが、それは過去のことを暴き、非難するためではない。

 現在を見つめ直し、過去の繰り返しではない未来を招来するためだ。

 

 

 では何故、正力氏は原発に近づいたのでしょうか?

 

 CIA文書は正力がマイクロ波通信網を諦めたのではなく、むしろそれを自分の思い通りに作るために政治に打って出たのだということを明らかにしている。つまり、放送も通信も認可事業であり、政府や国会の意向に左右される。それを無視して強行突破をはかれば国会でバッシングを受ける。だから、いっそ政権を握ってすべて思い通りにしたいと正力が思ったというのだ

 とはいうものの、大した政治的キャリアもなく派閥もない彼が首相を目指すには、彼に求心力を持たせるような大きな政治目標が必要になる

 それが日本への原子力発電導入だった原子力の永遠のエネルギーを導入することの意義は資源小国の日本にとって計り知れないほど大きい。

 また、偶然にも、ホールステッドの大学時代の親友ヴアーノン・ウェルシユが世界初の原子力潜水艦ノーチラスを建造したジェネラル・ダイナミックス社の副社長になっていた。アジアに原子力発電所を売りたがっていたウエルシユは、正力がアプローチするまでもなく、自分のほうから売り込みをかけていた

 ……もともと、正力は政治家志望で、讃責新聞はそのために始めたのだが、この新聞を大きくすることに熱中しているうちにこちらの野望はなおざりになっていたのだ。

 こうして正力は一九五五年に原発導入と保守大合同を公約に掲げて富山二区から衆院選に出馬し、苦戦の末に当選を果たした。めでたく当選したあとは、当選一回にもかかわらず、約束通り北海道開発庁長官として大臣になり、新設の原子力委員会の委員長になりさらにこれも新設の科学技術庁長官となる。あとは知られているように讀賣新聞と日本テレビを動員して、原子力に強いアレルギーを持つ日本の世論を転換して原子力発電導入へと導いていく。そして、「原子力の父」の称号を得る

 首相のほうは、鳩山と三木が日本民主党の総裁と総務会長になった時期にその座に手をかけるところまでいったものの、結局保守合同ののちは石橋湛山や岸信介のような実力派に押しのけられて実現しなかった。

 結果として見れば、「原子力の父」の名誉とマイクロ波通信網を引き換えにした形だ。とはいうものの、正力は「プロ野球の父」、「テレビの父」に加えて「原子力の父」の称号も手に入れたのだから、不運なのか幸運なのかわからない。器量と気概も大変なものだが、途方もない強運の持ち主だということも確かだ。……

 

 

 ここでの記述から、「正力の政治的野望」、「原子力潜水艦ノーチラス」、「アジアに原子力発電所を」、「正力……原発導入を公約……当選」、「新設の原子力委員会の委員長」、「讀賣新聞と日本テレビを動員して……原子力発電導入へ」との道筋が明らかになります。

 

 

 では、正力氏以外にCIAと関係を持った人たちは?

 

 

 GHQが日本各地に作ったアメリカン・センターが、日本人をアメリカ文化に触れさせ、それについての理解を深める上でいかに大きな役割を果たしたか、テレビが普及してしまった今では想像がつかない。

……

 やはり、メディアを使って、より多くの、アメリカについてあまり関心のない人々にもアメリカに触れ、理解を深めてもらう必要がある。

 そこで対日心理戦略計画が強く打ち出したのは、あらゆる方法、手段、チャンネルを通じて、合衆国情報サーヴィスのニュースや素材、すなわちソース、記事、写真、映画、番組などを日本のメディアに使わせることだ。

 ただし、それは「いかにも作為的に行われていると日本人に気付かれないように細心の注意を払って」なされなければならなかった。そうしながらも、合衆国情報サーヴィス報告書はどのくらい自分たちの素材を使わせたかを部門ごと、担当地域ごとに競っている。

 合衆国情報サーヴィスの印刷物部門は、一九五二年一二月で累計四五〇万人、一九五三年五月で累計九五〇万人の読者を獲得したことを誇っている。この読者とは合衆国情報局が製作したパンフレットやリーフレットおよび一六〇〇にのぼる合衆国情報サーヴィスの素材を直接的に使った雑誌や新聞の読者だ。

 ……

 とくにこれに素材を大きく依存している例として挙げられているのは共同通信社で、「編集者たちも一〇〇パーセント好意的だ」としている。いうまでもなく、共同通信社は一二〇の報道機関(合衆国情報サーヴィスの数字による)にニュースを提供する通信社で、たとえていうなら水源地だ。

……

 次にラジオ部門の場合を見てみよう。……

……大使館のなかに設けられた合衆国情報サーヴィスのラジオ部が日本人のスタッフを使って日本で製作したラジオ番組があった。これは無料で提供されたために、当時番組不足に悩んでいた全国23の民間ラジオ局がこぞって使用した。

 週一回のレギュラー番組が四本と、平均週に一回のスペシャル・イヴェントの番組が放送された。これは23の民間ラジオ局がNHKのように全国的にネットワークされていないことを差し引いても、相当な数字になる。しかも、『秘密のファイル』(春名幹男・著)によれば、その出演陣は、いソノてルヲ、三木鮎郎、船山喜久弥、森繁久弥、フランキー堺、中村メイ子、横山道代という豪華な顔ぶれだった

 ……

 

 

 私は、当時「プロ野球放送」程度しかラジオを聞いていなかったので、「出演陣は、いソノてルヲ、三木鮎郎、船山喜久弥、森繁久弥、フランキー堺、中村メイ子、横山道代という豪華な顔ぶれだった」放送がどのような内容だったかが分かりません。

そこで、有馬氏の著作の順序を飛ばしてテレビに関する件を、次に引用させて頂きます。

 

 

…… さらに、日本テレビは数年にわたって「英語レッスンを中心とした番組」を毎週放送していたが、これは合衆国情報局の製作によるものだった、とウィルソン・P・ディザードが『真実の戦略』の中で明らかにしている。

 明らかに日本人向けの、しかも教育番組なので、目くじらをたてるようなものではないだろう。

また、日本テレビがこの番組を無料で提供されていたとしても、あるいは逆に電波料をもらっていたとしても、大した罪ではあるまい。日本テレビは良質の教育番組が手に入り、合衆国情報局は日本人の親米化にこれだけの実績を上げているとアメリカの納税者に対して誇れるのだから、双方にとって喜ばしい限りだ。ただし、合衆国情報サーヴィス報告書が「最近日本人が英語の学習に熱心になってきたのでこれを利用するように」と関係者に指示していたことは指摘しておこう。

 この他にもアメリカの文化を紹介するニュース番組、プロスポーツの番組、ジャズやポピュラーミュージックの番組、ミュージカルやハリウッド映画の番組など、単発だが多くの完全パッケージ番組が放送されている。

 しかし、なんといっても毎晩のゴールデン・アワーを占領したアメリカ製の娯楽番組ほど大きな威力を発揮した番組はない。日本テレビはNHKと歩調をそろえて、次第に合衆国情報サーヴィス的アメリカ紹介番組よりも、アメリカの三大放送網(NBCCBSABC)が本国で放送して実績を残した娯楽番組を多く放送するようになっていった。

 ディザードが親米プロパガンダを広める上で役立った例としてあげたもののなかで日本テレビが放送したテレビ番組を列挙するなら名犬リンチンテン』、『西部の勇者キット・カースン』、『ドラグネット』、『陽気なコーリス』、『われらのキャシディ』、『パパは何でも知っている』などになる。彼はとくに言及していないが内容から判断してこれに『ジャングル・ジム』、『ヒッチコック劇場』、『ディズニーランド』、『モーガン警部』などを加えてもいいだろう。

 日本テレビにとっては合衆国情報サーヴィスからアメリカ紹介番組を無料でもらうより、こちらのほうがありがたかったに違いない。

 合衆国情報サーヴィスの半期実績報告書にあるように、「いかにもプロパガンダくさい番組よりも、ごく自然な娯楽番組のほうが、日本人を親米的にするうえで効果がある」のだ。たとえば、『名犬リンチンテン』を見た日本の視聴者は、広島と長崎に原爆を落としたアメリカ人がなんと動物好きで心優しい人々であることかと驚くだろう。

 また、『パパは何でも知っている』などのホームコメディーを見れば、占領時代に毎日のように見たいかめしい顔つきのアメリカ兵たちが、一旦家庭に帰れば子煩悩でお人よしのパパになるのだということを知って、おもわず頼を緩めるだろう。また、その生活水準の高さと自由な雰囲気に憧れもしたはずだ。

『西部の勇者キット・カースン』 などの西部劇では、開拓者魂に燃え、正義と友情を重んじる純朴な人々という印象を植え付けられる。とくにマッカーシズムの時代では、西部劇は共産主義に対して開拓時代のアメリカ的価値を改めて称揚する意味があった。当時アメリカで西部劇が大人気を博した理由の一つはここにもあったというのがアメリカ・テレビ史での説明だ。

 しかもこれらの番組の価格はかなり安かった。三〇分ものの番組一本が二〇〇ドルから三〇〇ドルというところだったようだ。(註87)海外へのテレビ番組の販売が始まったばかりの当時では、比較の対象がないので判断が難しいが、三〇分ものの人気番組の製作費が一本あたり五〇〇〇ドルから一万ドルのあいだであることを考えれば、安すぎるといわざるをえない。

 少なくともはじめのころの価格は自然に決まったものではないということは明らかだ。これらの娯楽番組ソフトの調達には大手広告代理店ケニヨン・エッカートに勤めていたホールステッド夫人らが仲介に入っていた。

 テレビ用ではない本来の映画を放映した場合も多いが、この場合は二〇〇ドルとか三〇〇ドル程度の使用料では済まなかったはずだ。だからこそ、正力は絶えずホールステッドらを通じて国務省や合衆国情報局に映画を無料で提供して欲しいと頼み込んでいる。

娯楽番組の提供」を国務省や合衆国情報局に頼んでいるということは、当時の正力からすれば当然でも、現代の目からみればやはり異常だ

 これらの娯楽番組が共通して発揮した絶大な効果は、日本人を番組のなかの人物、とりわけ主人公に感情移入させたことだ。つまり、日本人であるにもかかわらず、アメリカ人の気持ちになって考え、彼らの視点からものごとを見るようになったということだ

 これは、単なるアメリカという国とその国民の紹介や、ひたすらアメリカの大義を説き、共産主義を非難するプロパガンダから一歩踏み込んだものだ。その効果は今日の目から見ても明らかだ。

 これまで述べたような完全パッケージでないものとしては、日本人向けのニュース番組がある。

テレビは映像のメディアなので映像ソースは不可欠だが、当時の日本のテレビは海外と国内ともこれが決定的に不足していた。したがって、日本テレビだけでなくNHKも海外ニュースの映像ソースをかなり合衆国情報サーヴィスに頼らざるを得なかった。

 また、このように映像ソースが不足すると、ニュース番組は二重に偏向することになる。つまり、映像ソースがあるニュースをそれがないニュースに優先させるようになるため、映像ソースが豊富なアメリカのニュースが多くなる。

 

 

 テレビ初期の時代は「プロレス」「大相撲」中継に熱中したりする以外は、外で遊んでいてあまりテレビを見ていなかった私ですら、『名犬リンチンテン』、『パパは何でも知っている』、『ヒッチコック劇場』、『モーガン警部』等を見てアメリカの生活に憧れを抱いたものでした。

成程!全く気が付きませんでした!知らないうちに洗脳(?)されていたとは!

 

 何とテレビの力はすごいのでしょうか!?

今では、タレント(?)芸能人(?)を総動員して、日本人全員を洗脳どころか、脱脳でも行っているのかもしれませんね!?

 で、又、引用を続けさせて頂きます。

 

 

 以上は現地製作の番組だが、すべてアメリカで製作された完全パッケージものも、NBC交響楽団の演奏など、数は少ないがあった。

 最後にテレビになるが、一九五三年一月から六月までの半年間に、アイゼンハワーの就任演説など二五本の合衆国情報サーヴィスのフィルムがNHKから放送された。日本テレビは「民間放送局」として言及はされているが、放送開始が八月二八日のため、この実績報告書にはあがってこない。

 メディア・コントロールもここまでくると、メディアにソースや番組を提供するだけでなく、さまざまな形で編集権まで侵害したくなる。つまり、自分たちが望むトピックを希望通りの形で報道させることだ。たとえば対日心理戦略計画には以下のような目標が掲げられている。

 

 ● アメリカと日本の国家的指導者に両国の国益が似ていることを強調させ、それをメディアで広めよ。……

 ● 我々が政府や民間のチャンネルを通じて日本の産業に与えた技術的援助を大々的に報道させよ。そしてこのような援助が産業を効率化し、価格を下げ、世界における競争力を増すということを指摘せよ。……

 ● 共産主義への幻滅を書いた文学作品を日本語に翻訳させ、低価格で出版させなければならない。……

 ● アメリカ政府と国民は日本の自由で民主的な労働組合に好意的だということを示そうとするアメリカの労働界の指導者のことを大々的に報道させよ。……

 ● 日本共産党の暴力的な戦術は、結局所有財産の破壊に終わるだけでなく日本人の自制と秩序を求める習慣にも反することを指摘せよ。……

 

 このような目標を読むと、これはアメリカ大使館とアメリカン・センターのような施設だけでできることなのかと首を傾げたくなる。また、日本のメディアにニュースや素材を提供し、相手が自分の判断で使うのを待つのではとうてい達成できないようにも見える。やはり、言外に日本のメディアをある程度コントロールすることを前提にしていたと考えざるを得ない。

 

 

 ここからは当然ながら「対日心理戦略計画」には「親米」、「反共」が存在していた事は明らかです。

 

 では又、引用を続けさせて頂きます。

 

 

 日本の協力者たち

 この当時では、こういったことは今日考えるほど難しいことではなかった。アメリカが日本を占領し、徹底的なメディアの改造と検閲を行なつていたのはほんの一年とちょっと前のことだ。

占領期間中に諜報部指揮下の民間検閲局の将校たちは日本のメディアの上層部を個人的に知るようになっていた。また、七年間にわたって検閲関係の交渉のなかでマインド・コントロールされつづけたので、合衆国情報サーヴィスの押し売りに抵抗することはなかなか難しかった。

 それに戦前に遡れば、さらにひどい言論統制と弾圧が行なわれていた。当時のジャーナリストや言論人はもともと言論の自由など経験したことがなかったのだ。

 アメリカ側は在日大使館を通じて占領後も日本のメディアの上層部と密接な関係を保持し続けた。そこに「指導者交流プログラム」、大リーグチーム招聴、ニュースや素材の提供、特ダネのリークなどの利益供与が加わる。

 アメリカ側は「非公然」の手段でなくとも、日本側の編集者たちに圧力をかけることができた

一九五三年九月八日付合衆国情報サーヴィス半期実績報告書は、「ようやく最近になって、しかも長期にわたり細心の注意を払って合衆国情報サーヴィスを売り込んだ結果、朝日(新開)は編集方針のバランスをとり、(合衆国情報サーヴィスの)情報素材を受け取ろうとし始めた」と自慢している。

嫌米で鳴る朝日新聞がそうだとすれば、讀賣新聞がどうだったかはいうまでもないだろう。ドゥマンの来日を讀賣新聞よりも詳しく伝え、さらに彼の日本の若者観にもかなりの紙面を割いた毎日新聞も合衆国情報サーヴィスが売り込みに成功した例としてあげられている。

 ジャーナリストのなかにはアメリカ側の情報提供者として個人名まで記録されているものまでいた。かつて占領軍が『世界』や『文芸春秋』と並んで知識人に影響力があり、なんとかコントロールしたいとしていた『改造』の元編集長原勝の例だ。彼は一九五五年、三木が保守大合同を成し遂げようと水面下で動き始めたとき、三木の意図とそれに対する保守党領袖の反応を事細かに分析して知らせている。

 保守系政党が一つにまとまり、憲法改正に必要な三分の二の議席を確保し、再軍備するというのが今日に至るまでのアメリカの願いだ。したがってCIAはこの情報を高く評価した。

 

 ここでの「『改造』の元編集長原勝の例だ。彼は一九五五年、三木が保守大合同を成し遂げようと水面下で動き始めたとき、三木の意図とそれに対する保守党領袖の反応を事細かに分析して知らせている」の記述は、先の拙文≪操り人形と化した菅直人氏(2≫に引用させて頂いた、『週刊ポスト(2011.5.27号):ウィキリークスが暴いた普天間問題の裏切り者』の記事の一部を再掲させて頂きます。

 

高見沢将林防衛政策局長は、米国が日本政府の高官や政治家に、今なお現行案が有効性を保っていることを説明する際には、米軍の軍事能力や戦争計画、緊密化している米軍と自衛隊との連携(中略)も織り込んでほしいと提案した。彼はまた、日本国民に対して再編関連の問題を説明する際に、米国政府が日本政府と協力してほしいとも促した。)

一体、この人物はどの国の公僕で、どの国の国益を担っているのか。さらには(高見沢は、民主党政権が気に入るような形に再編案の「パッケージ」を修正することについて、米国側は拙速に柔軟な態度を示してしまわないよう警告した。)ともあり、なんと交渉相手に「妥協しないでほしい」とお願いしているのだ。

 

 従って、本拙文にて紹介させて頂いている有馬哲夫氏の記述内容は、現在までも引き継がれている事が推測されます。

 

 

では、又有馬氏の著作の引用を(再び順序を変えて)続けさせて頂きます。

 

 

一般的メディアではないものの、一部の特殊なメディアに関してはこの「対日心理戦略計画」のなかにも「非公然の方法を用いる」という表現がでてくる。いくつか例を挙げてみよう。

 

 ● 安全保障軍(駐留アメリカ軍のこと)反対のプロパガンダを否定し、信じさせるために「非公然」の手段を用いよ。……

 ● 日本全国の戦闘的反共産主義学生組織と教員組織に非公然の支援を与えなければならない。……

 ● 日本の労働組合が国際自由労働組合連盟と提携するように非公然の手段を用いること。……

 ● 反共産主義的労働組合の機関紙に対して物質的支援を拡大するために非公然の手段が用いられなければならない。……

 

 このような公然、非公然の手段によって、日本のマスメディアはアメリカの対日心理戦略に確実に組み込まれていたし、ある程度まではコントロールされていた

 しかし、ここで注意しておかなくてはいけないのは、これらはあくまでも合衆国情報サーヴィス側の実績報告書だということだ。……

 

 

 この「日本のマスメディアはアメリカの対日心理戦略に確実に組み込まれていたし、ある程度まではコントロールされていた」が、先の「高見沢将林防衛政策局長」の場合などのように、今も継続されていると思いたくないものです。

 

そうなりますと、小泉純一郎氏の時代以降は、先に記述しました“「対日心理戦略計画」には「親米」、「反共」が存在していた事は明らかです。”の件に於ける、「反共」が「反テロ」の言葉に置き換わっているのかもしれません。

 

 更には、先に引用させて頂いた次の記述も恐ろしい事です。

 

 保守系政党が一つにまとまり、憲法改正に必要な三分の二の議席を確保し、再軍備するというのが今日に至るまでのアメリカの願いだ。したがってCIAはこの情報を高く評価した。

 

 この記述から、「大連立」を言う言葉を連想せざるを得ません。

震災復興と党の合言葉のもと、「大連立」が成立してしまったら、どうなってしまうのでしょうか!?

“菅さんは捨て石になって欲しい”とかわけのわからないことをどなたか言っていたようですが?

 

 

 

 更に、今もって、日本がアメリカ(CIA)によって操られているとしたら、次の記述が気がかりです。

何しろ、次の記述内容(自由民主党にCIAから秘密資金が流れた)が今も続けられているとしたら!

 

 

 朝日新聞が19941010日、13日、1111日の三度にわたって、1950年代から1960年代にかけて自由民主党にCIAから秘密資金が流れたという報道をしたが、この状況証拠からしてもかなり信憑性が高いということが再確認できる

 ちなみに、このような極秘文書の公開・非公開の判定に関わっているメリーランド大学の某助教授は、筆者とこのことで会話した際に「そのようなことを裏付ける文書は一〇年たとうが二〇年たとうが絶対公開されない」と断言した。たしかにCIA文書岸信介ファイルからは彼を礼賛したアメリカの新聞記事しか出てこない

 公文書ではあっても現在の政権や企業や個人の活動に影響するようなものは公開できないルールなので、自由民主党の成立ちに関わるこのような文書は、この党が存在し続けるかぎり、またアメリカ寄りの政策を変えないかぎり、でてこないのだ

 

 

 この有馬氏の記述から、正力氏と共に原発の父である中曽根康弘氏(勿論、ブッシュのポチとまで言われた小泉純一郎氏)に関しての文書は、当面公開されることはないのでしょう。

そして、公開を恐れる方々は、有馬氏のご指摘を十分満足させる為の行動策略を続けて行かなくてはならないのでしょう。

 

 

 そして、私達は、先の『週刊ポスト(2011.5.27号):ウィキリークスが暴いた普天間問題の裏切り者』が、「高見沢将林防衛政策局長」に投げつけた「一体、この人物はどの国の公僕で、どの国の国益を担っているのか」との言葉を多くの政治家に向けて投げ続けて行かなくてはならないのです。


 このような状態ですと、先に有馬氏が紹介して下さったアメリカの「国立公文書館にはこのような銘」を再掲させて頂きますが、

過去から引き継がれたものは未来を生み出す種となる


 

 この記述は、残念なことに、我が国の場合では

「過去から引き継がれた悪い種は悪い未来を生み出す種となる


と書き変えられてしまうのではないかと不安になります。



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