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ポツダム会談とトルーマンそして原子爆弾(2

2011218

宇佐美 保

 先の拙文≪ポツダム会談とトルーマンそして原子爆弾(1≫同様に、『ポツダム会談 日本の運命を決めた17日間(チャールズ・ミー著 大前正臣訳)』からの引用を続けさせて頂きます。

 

 

6章 訪   問

 

 午後一時十五分、トルーマン大統領は昼食をいっしょにするため、チャーチル首相の宿舎に車を着けた。元気よく車から降りるトルーマンの姿を見て、チャーチルの侍医モーラン卿は「彼の強い友好的な表情を見ると、彼が大きな役割を演じそうなことがわかった」と書いている。

 イギリス側はトルーマンと握手するためみな玄関に飛び出した。トルーマンはポーン、バーダマン、チャーリー.・ロスを連れてきたが、食事はチャーチルと二人だけでとった。

 トルーマンはワシントンからきた原爆実験成功の電報を二本とも持参し、チャーチルに見せた。そして、どんなことをスターリンに知らせたらよいかという問題を持ち出した。トルーマンはスチムソンと違い、ソ連に信頼されたいということよりも、信頼を裏切られたと非難されることは避けたいと考えていた。

しかしソ連に知らせれば、ソ連は対日戦の戦利品を取ろうと、大急ぎで対日参戦に突入するのは間違いなかった。チャーチルもトルーマンも、日本征服のためにスターリンの援助はもはや必要ではないと考えていた。それで、ソ連の対日参戦を急がせないためには、ソ連に原爆のことを知らせてはいけない

 このジレンマかち脱出する方法はいうまでもなく、投下の直前までスターリンに対する通告を延ばし、それも正式には知らせないで知らせる≠アとである。

 どのようにして知らせるべきか。文書で知らせれば、あまりにも公式的になり、ニュースにあまりにも多くの注目を集めることになる。同様に、特別会議でも開いて知らせたら、スターリンはニュースの意味を理解し、ソ連軍の極東派遣のピッチをもっとあげるだろう。なにげなくやることがカギである。いつか本会議が終わり、代表たちが書類を集め、スターリンが他のことを考えているざわざわしたとき知らせるほうがよい。

 トルーマンは昼食をたべながらいった。

「本会議が終わったころ、全く新しい型の爆弾、日本の戦争継続意志に決定的影響を与えそうな(原子爆弾といわないで)通常のものとはまったく違うものをつくったといおうと思っています

 チャーチルはちょっと考えてから、同意した。

 二人は対日戦争にひそむもう一つの危険を予想した。それはアメリカが勝つ前に、日本がソ連の外交経路を通じて降伏する危険であった前夜、スターリンがチャーチルに、日本がモスクワに和平を打診してきたことを話した。近衛特使派遣の件である。そこでチャーチルはトルーマンに「日本は無条件降伏は受け入れられないが、他の条件については妥協してもよい、といってきたそうですよ」と知らせた

 トルーマンはもとよりこのことは暗号の解読で知っていたが、「スターリンはなぜ私に知らせなかったのでしょうね」と首をかしげた。

 チャーチルは「スターリンはあなたにソ連が和平をすすめていると思ってもらいたくないのですよ。イギリスも対日参戦をいやがっていると思われたくないですからな」と答えた。

「しかし……」                             、

 と、チャーチルはつづけた。

「わたしはもしも日本に無条件降伏″を無理強いした場合、アメリカが被るたいへんな人的損害と、それよりも少ないでしょうが、イギリスの損害も考えてみたんです。将来の平和と安全のための必要物を全部入手し、日本に軍事的名誉を保たせるなんらかの見せかけ、日本の国家的存在のなんらかの保証を残してやるような、なんらかの他の形式でこれを表現できるかどうかを考えましたがね」

 どうやらソ連もイギリスも、日本に対する無条件降伏≠フ要求を緩和してやってもよいようだった。アメリカもそれにならったらどうだろう。日本はソ連に降伏するかもしれない?少なくともソ連を通じて降伏するだろう。それでは極東におけるアメリカの力はどうなるか。どうしたら勝利を手中から逃がさないようにすることができるか。

トルーマンとしては無条件降伏′`式にあくまで固執し、日本を戦いつづけさせる必要があった

そして原子爆弾を落とせば、日本はアメリカに降伏する。秒読みの進行にともない、この戦略はいっそう明確になり、いっそう緊急性を帯びてきた。スターリンは戦車と軍隊を極東に急がせていた。トルーマンはソ連軍が配置につく前に日本に勝ちたかった。

 ああでもないこうでもないの、降伏形式変更のおしゃべりは終わらないものかとトルーマンはいらいらしてきた。彼はチャーチルが日本の名誉″といったのをつかまえ「私は真珠湾以後、日本にはいかなる軍事的名誉もないと思っています」と答えた。彼に関する限り、との問題には終止符が打たれた。

 

 

恐ろしい事に、トルーマンは日本の早期降伏を何としても避け(ソ連の対日戦争参戦の前に)日本に原爆を投下したかった事が明々白々です。

 その場に於いても「日本の真珠湾奇襲」は「騙し討ち」と解釈されています。

(何しろ、駐米大使からの米国への正式通告が不手際の為「奇襲後」になってしまっていたのですから、それ以前にルーズベルトが知っていようがいまいが、日本の奇襲は不当行為と認定されるのです)

 

 

十八日午後三時四分。

トルーマンはスターリンの表敬訪問のお返しとして、その日の午後三時四分。スターリンを宿舎に訪問した。バーンズ国務長官とポーレン通訳を同行した大統領は、スターリンとモロトフに湖の見える裏のバルコニーへ案内された。それはトルーマンやチャーチルの宿舎からも、セツィーソニンホーフ宮殿からも見える同じ湖だった。トルーマンは湖を見つめ、背景の暗い木立をほめる言葉を見つけだした。

「ニュースをお伝えしなくちゃ」

 とスターリンはいった。そして天皇からのメッセージの写しをトルーマンに渡した

 それは東郷外相が十二日、佐藤大使に伝えた天皇の御趣旨″である。佐藤は本省より指令を受けると早速、モロトフに面会を申し込んだが、ポツダム行の準備で忙しいから、ロゾフスキー外務次官に会ってくれと断わられた。

 十三日夜、佐藤はロゾフスキーに会い、御趣旨″と特使派遣申し入れの文書を渡した。ロゾフスキーは、天皇のメッセージに宛先がないのはおかしい、と首をかしげた。佐藤は、これは天皇の内意なので宛先はないが、ソ連首脳に宛てたものなのだと説明した。さらにソ連首脳部のモスクワ出発前に回答がもらえなければ、ポツダムと電話などで連絡のうえ、回答をもらってほしい、とたのんだ。

 ロゾフスキーは日本政府がひどく急いでいることを十分に了解した。

 トルーマンは、スターリンから日本側のメッセージの写しをもらったが、すでに内容は知っていたので、読むふりをした。

 そしてスターリンがなぜいまごろになって知らせたのかと不思議に思った。もしかしたらスターリンは、チャーチルが自分を説得し、無条件降伏を緩和させたかどうかを探ろうとしているのかもしれない。

 トルーマンはスターリンがアメリカの信頼性をテストしているのだとは考えなかったが、多分、スターリンはテストしていたのだろう。彼がいつ、アメリカの原爆実験の成功を知ったかわからないが、このときすでに知っていた可能性もある。とすれば彼がトルーマンと信頼感を交換しようとしたことも考えられる。

 スターリンが聞いた。

「このコミュニケーションに回答する価値はありますか」

トルーマンは答えた。

「私は日本を信用してませんのでね」

スターリン  子守唄で日本を寝かせつける方がよいかもしれませんね。

日本が派遣を申し込んできた特使の性格がハッキリしないと指摘して、一般的な取りとめもない返事を出しておきましょうか。

 

トルーマンは考えているようだった。

スターリン(助け舟を出すように)それとも完全に無視して返事を出さないか、ハッキリと拒否回答を出しましょうか

 

 トルーマンは第一の案が満足″できると答えた

 モロトフが口を出して、「そうですとも、日本側の真意が全然不明ですから、そのほうが事実に即してます」といった。

これでアメリカとソ連は、どちらが先に日本にゆき着くかの競争に入った。トルーマンとスターリンと側近は湖の向こう岸の黒い木立を眺めた。

 

 

ここでも、トルーマンは無条件降伏を緩和しようとスターリンに持ちかける事も出来た筈です。

(なにしろ、スターリンは、対日戦に参加するまでは、日本が降伏する事態を避けるでしょうから、でも、トルーマンも原爆投下までは、何としても日本を降伏させたくなかったと思われます)

 

 

   第8華 首脳会議

 イギリス代表団の一員、サー・ウィリアム・ヘイタ一によると、チャーチルはくたびれていて、冴えなかった。それに万事知っているとの自信過剰に陥り、会議の予習をしていないのがたたった

 スターリンはいつも会議に遅刻したため、イギリス代表団は控え室で長時間待たされたが、たまたまそこはドイツ皇太子の図書室だった。したがってチャーチルも資料を読むのにちょうど都合がよかったが、彼もイーデンも皇太子の本を引き出したり、「かわいいウィリエ。愛する曾祖母ビクトリア女王より」などの献辞を見ては冗談を飛ばし合っていた。

……

 チャーチルは痛々しいほど耳が聞こえないようだった。会議の途中でよく口出しをしたり、ぶつぶつ長話をした。スターリンのいっている要点がわからないと、イスにすわったまま背中を伸ばし、二列目の随員から、ささやき声でアドバイスを求めた。スターリンの提案に即時回答できないときは、随員に資料を読ませた。聞こえないと、随員も大声を上げねばならなかった。そのたびに会議はストップした。

 イギリス代表団は困った顔をした。するとチャーチルはエコエコ顔にせよ、しかめっ面にせよ、荘重にせよ、大声によるにせよ、取るにたらない細部を取り上げるにせよ、原則的な広い問題を提起するにせよ、またしても止めどもないスピーチを始めるのが常だった。

 

 

チャーチルがこの調子では、会議の主役は必然的に、日本の降伏を先送りしたい思惑を有するトルーマンとスターリンの二人になってしまいます。

 

 

9章 さぐりあい

 スチムソン陸軍長官はグローブズ少将から原爆の本報告がくるのを待っていたが、待ちながら、いらいらした。何を考えてよいかわからなかった。時間がたつにつれ、それが何であれ、トルーマンの決定を合理化する気になってきた。

……

しかし、なんらかの理由でソ連と秘密を共有することが必要となれば、慎重にやらなければならない。閉鎖的なソ連社会をこじあけ、もっと民主的で自由な社会にさせるテコとして原爆の秘密を利用すべきである。原爆をソ連政府の性格を変針させるために利用するという魔術的な新しいアイデアは、彼の想像力をとらえ、彼はこれについて大統領宛のメモを書いた。

 次にスチムソンは、日本に降伏を呼びかけるため発表される「ポツダム宣言」を自分で綿密に分析してみた。彼は初め「現在の王朝による立憲君主制も可」という言葉を宣言にいれ、日本が天皇制を維持できることを日本にそれとなく伝えようと主張した。一週間以上も前にトルーマンとバーンズがこの条項を削ったいまとなってみると、彼もまた同じ気になった。

 彼は自分の注意をひいたほとんどあらゆる問題の両面を考えてみた。しかし彼の心はまだ同じ点で何度も何度も迷っていた。この自問自答の拷問にも、七月二十日午前十一時半、グローブズ少将の報告書が届いて、ようやく安楽に終止符が打たれた。報告書は届いたが、スチムソンは昼食前に小ホワイトハウスにゆきつけなかった。

……

 午後三時、スチムソンはようやく小ホワイトハウスの日光浴室でトルーマン、バーンズと同席する機会を得、二人の前でグローブズの報告書を読みあげた。二人は一言もしやべらないで聞いていたが、

スチムソンは興奮のあまり、しばしばつかえた。

  [陸軍長官へのメモ

  テーマー=実験

1.  本報告は簡潔な正式の軍事報告書でなく、私がニュー・メキシコから帰った際、長官がワシントンにいたものとして、お話し申し上げるものである。 

2.              一九四五年七月十六日午前五時三十分、ニュー・メキシコ州アラモゴルド空軍基地の辺鄙な地域で、原子核分裂爆弾の最初の本格的実験が行なわれた。史上初めて核爆発が起きた。何という爆発だったろう!

 3.実験はいかなる楽観論者の期待もこえる成功を収めた。現在までに収集できたデータに基づいて推定すると、放出されたエネルギーはTNT火薬の一万五千トンないし二万トンに相当する。しかもこれは控えめな推定である。まだ不満足な測定によるデータによると、エネルギーの放出はこの数倍の数値にのぼろう。とてつもない爆発効果が起きた。短時間だが、半径二十マイルの範囲に、真昼の太陽の数個分に相当する照光効果があった。巨大な火の玉が形成され、数秒つづいた。火の玉はキノコ状になって一万フィート以上に昇り、消えた。爆発による光はアルパカーキ、サンタフェ、シルバー・シテトエルパソ、その他約百マイル離れた地点でも明瞭に見られた。こわれた窓ガラスは数枚にすぎなかったが、一つは古二十五マイルも離れた地点のものだった。巨大な雲が形成された。それは途方もないエネルギーで湧きあがり、広がり、約五分間で、地上三万六千フィートの上空に昇った]

 

 

先の拙文≪ポツダム会談とトルーマンそして原子爆弾(1≫に於いて、次の記述を引用させて頂きました。

 

トルーマンがチムソン長官、マーシャル統参本部長、アーノルド陸軍航空隊司令官、キング海軍作戦部長をもてなした。彼らはみな大統領の原爆投下計画に賛成でなかった。しかしトルーマンは彼らの機先を制し、グローブズ少将から本報告を受け取るまでは日本に原爆を落とすかどうかは決定しないといった。(そのころグローブズはワシントンで報告書に取り組んでした。)

 

 

そして、ここに引用したトルーマンの次の発言「グローブズ少将から本報告を受け取るまでは日本に原爆を落とすかどうかは決定しないといった」は、上掲のように「グローブズ少将から本報告を受け取っても」、次の引用文をご覧頂くように「日本に原爆を落とす」であったようです。

 

 

 スチムソンの日記によると、トルーマン、バーンズはともにとてつもなく喜んだ。トルーマンは異常に元気づいた。彼は全く新しい自信が生まれたといい、スチムソンが会談にわざわざ出てきて、このような形で彼を助けてくれたことに礼をいった。

 スチムソンはまったく気づいていなかったが、トルーマンはちょうど彼の解任を決めたところだった。二日後、スチムソンが再びトルーマンに会う機会を見つけ、自分が原爆に関する重要な相談から除外されていることに苦情を申し立てると、大統領は彼に好きなときに帰国してよいといった。大統領としては望みの情報を入手した。もはや彼の勧告に耳を貸したくない

 いまや初めてトルーマンは自分の手にあるものを知った。ヨーロッパでソ連をひるませるために原爆を使う話は、自分が本当に原爆を持っているとの前提のもとにテストできる。原爆は強力に想像心をかき立てた。チャーチルはその衝撃のビジョンにうっとりした。トルーマンはもっと冷静だった。

それにもかかわらず原爆の事実は三首脳の心の中で形成され、解体され、再形成される夢とイメージと幻想、その他の諸要素とともにバランスをとる力となった。

 

 その晩の本会議で、トルーマンは再び攻勢をとった。いまや、ヨーロッパにおけるスターリンの攻勢に対し、彼が反攻を企てたというべきだろう。たとえスターリンが赤軍を大西洋の岸辺まで進撃させるつもりがないとしても、いずれにせよ彼の軍隊はすでにヨーロッパの心臓部まで貫通していた。

ヨーロッパで地位を確保し、それを正当化させるスターリンのやり方はまことに露骨だった。……

 

 

トルーマンは「日本への原爆投下」こそが、「ヨーロッパにおけるスターリンの攻勢」への対抗手段と信じていたのでしょう。

 

 

七月二十一日の本会議はこうして散会した。

 原子爆弾があまりアメリカ側の役に立たなかったことは認めねばならない。それはトルーマンを元気づかせ、彼は確かにスターリンに屈伏しなかった。イーデンも「今日は大統領の最高の日だった」

といった。しかしスターリンを一歩すら後退させなかった。

         *

 翌日、スチムソンが原爆実験の本報告をチャーチルに見せると、彼はまたしても有頂天になった

 彼は葉巻をくわえながらいった。

「スチムソン、火薬とはなんだ。つまらんもんだ。電気とはなんだ。無意味だ。この原子爆弾は第二の神の怒り″だな。これでトルーマンに何が起きたかわかったよ。わしには了解できなかった。昨日の会議では彼は人が違っていたよ。ロシア人に、ここで乗れ、あそこで降りろと指図したよ。会議を牛耳ったね」

 しかし「実際にはトルーマンは会議を牛耳らなかった。彼は対決をしてのけ、取引の大筋を引き出したが、スターリンに何も譲歩させなかった。問題は原子爆弾の力がチャーチルとトルーマンの想像の中にしか存在していなかったことだ。それは幻静か悪夢の力は持っていたが、実際に原爆をロシア人の上に落とさない限り、スターリンに効目はなかった。もしもトルーマンとチャーチルがいつか、スターリンの頭にしっかりとこれをたたき込むことができれば、なんらかの魔術的力を発揮するかもしれない。しかしソ連に関する限り、それは幻想の怪獣であり、それにとどまる宿命にあった。

 事実、七月二十一日の本会議では、アメリカの原爆とソ連の領土保有で何ができるかを正確に示した。二人は離れたまま互いにつかみ合った。トルーマンは足を踏み鳴らし、脅しをかけることができた。スターリンも足を踏み鳴らし、脅しをかけることができた。しかし双方とも相手に突撃できるとは思わなかった。冷戦はのちに進んだが、それもこの足の踏み鳴らしの際限ない順列組合せであり、そのどれも本当の脅しでなく、、ポツダムで根気.よく引かれた線から一歩も出るものでなかった。

……

 その晩、スターリンは正餐会を催した。トルーマンは楽しみ、チャーチルは機嫌が惑かった。

 トルーマンの母への手紙

「スターリンが正餐に招いたが、大当りでした。キャビアとウオッカで始まり、西瓜とシャンパンで終わり、その間、燻製の魚、新鮮な魚、鹿の肉、チキン、アヒル、あらゆる種類の野菜が出ました。

五分おきに乾杯があり、少なくとも合計二十五回ありました。私はほんの少ししか食べず、酒量はそれよりも少なかったでしょう。しかし、カラフルで楽しいパーティでした」

 

 

原子爆弾の力がチャーチルとトルーマンの想像の中にしか存在していなかったことだ。それは幻静か悪夢の力は持っていたが、実際に原爆をロシア人の上に落とさない限り、スターリンに効目はなかった」と認識したとしても、あくまでも「日本への原爆投下」を遂行しようとするトルーマン。

「原爆投下」によって、日本では多くの家庭が破壊されるというのに、トルーマンは「トルーマンの母への手紙」を書き、御自身の家族を大事にしています。

これが人間なのだ!と言えばそうなのかもしれませんが、そうではすまされない問題であるべきです。

(勿論、「日本人に対する人種的蔑視」が彼の心の中に巣くっていたとも思えますが)

 

そして、このような人達が、世界を、世の中を動かしているのか!?と思うにつれて、どんどん鬱状態に陥ってしまいますので、いったん中断して、次の≪ポツダム会談とトルーマンそして原子爆弾(3≫に引き継がせて頂きたく存じます。

 

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