麻生太郎氏をヨイショする福田和也氏
2007年2月25日
宇佐美 保
文芸評論家の福田和也氏は、『週刊現代(2007.1.20号)』〈べらんめえ調の「美しい国」も見てみたい〉で、麻生太郎氏をしきりにヨイショしています。
福田和也氏は、先に藤原正彦著『国家の品格』を褒め上げましたが、私は、その著作に対して拙文《国家の品格について(1)》〜《国家の品格について(6)(天皇)》に於いて異議を唱えました。
そして今回の『週刊現代』での福田和也氏の記述に意義を唱えるのです。
先ず、福田氏の記述の題目にある“べらんめえ調”(“べらんめえ口調”)とは、辞書を引くまでも無いのですが、『日本国語大辞典:小学館』には、次のように記述されています。
江戸の下町で、職人などの間で用いられた、巻き舌で荒っぽく威勢のいい口調。
そして、「江戸の下町で、職人など」である、「えどっこ」に関しては次のようです。
えどっこ【江戸子・江戸児】
江戸で生まれ育ったきっすいの江戸の人。おもに町人にいい、物事にこだわらず、意地と張りに生きる侠気を誇った反面、短気で軽率だといわれた。東京生まれの人にも使う。
確かに、麻生太郎氏は「短気で軽率」であるようですが、“べらんめえ調”の江戸っ子には、なんと言っても「侠気」が不可欠なのです。
「侠気」とは、強きをくじき、弱きを助けです!
お上(体制)に歯向かうのが江戸っ子の真骨頂です。
でも、麻生太郎氏は、体制の中心的人物です。
それとも、次の記述を見ますと、麻生太郎氏を、『遠山の金さん』の遠山景元とでも錯覚しているのでしょうか?
生まれは超一流なのに、べらんめえ口調で、ガラが悪い──という麻生太郎外務大臣(66歳)が、私はかなり好きです。 超一流、というのは2世、3世議員がゴロゴロしている今の政界でも、別格だということ。岸信介の孫、安倍晋太郎の息子、というのが安倍晋三総理(52歳)の看板ですが、麻生氏の場合、格が違う。 明治政府の実質的設計者である、大久保利通の玄孫、つまり5代目。昭和天皇にもっとも信用された側近牧野伸顕の曾孫で、その筋だった吉田茂が祖父という、華麗すぎる出自。岳父が元首相の鈴木善幸だとか、妹が三笠宮に嫁いでいるとかの話柄はいくらでもある。 もかかわらず、ガラが悪い、と世間ではみられている。 これが素晴らしい。 だいたい名家の出で、それなりに世間で通用するような人間は、真面目で線が細いのが通り相場で、安倍現総理などは、その典型です。2度ほど話をしましたが、とてもちゃんとした方だし、意欲もあるのだけれど、岸信介のもっていた豪放さは見あたらない。 麻生氏とは、4年前、後援会での講師を頼まれた時に、会いました。20分ほど一緒にいたのですが、楽しかった。政調会長として、有事法案を通した直後だったためもあるのでしょうが、国会議員も何人か来ていて、みなさんゲラゲラと、大変楽しそうでした。 それからファンになって、テレビ関係者から「出演させてウケる政治家はいませんか」と訊かれると、まず麻生氏の名前をあげたのですが、たいてい「あの人は視聴者に嫌われます」と、にべもなかった。でも、昨年の総裁選以来、大分風向きが変わってきました。 |
何代か政治家が続くとその家系の人間が立派な生まれとなるというのも解せない話ですが、この件はさておき、麻生太郎氏が「遠山の金さん」を気取るのなら、麻生太郎氏は、先ずお父さんの麻生太賀吉氏(1911〜1980)、そして、ご自身に対して鉄槌を下さなくてはなりません。
なにしろ、麻生太賀吉氏の(又、麻生太郎氏も)経営した麻生炭鉱(のちの麻生商店・麻生産業、現麻生グループ)は次のような、状態でしたのですから。
麻生炭鉱 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 |
---|
戦前、納屋制度などがあり労働環境が劣悪だとして問題になることがあった。筑豊地方において同社は三菱系についで朝鮮人炭鉱労働者、被差別部落民が多かった。1932年には朝鮮人による労働争議が起き、これは筑豊全体に広がる大規模なものであった。争議により納屋制度の一部が改善された。石炭産業の衰退により、1966年に炭鉱労働者は全員解雇された。 |
更に、麻生炭鉱に関して、「岡まさはる記念長崎平和資料館(別館)」のサイトには、次の記述を見る事が出来ます。
朝鮮人坑内労働者は給料をろくに払われず、過重労働で、食物も十分に与えられないまま、赤貧の中で組織的に監禁された。かれらは、非衛生的な環境や労働事故から慢性の健康障害に苦しみ、多数の死者を出した。彼らは24時間、残忍な秘密警察によって監視されたが、絶望からなんとかして逃げ出したものもいた。 1945年の日本の敗戦で初めて、かれらはついに解放され、補償も受け取らずに自宅に送られた。 それ以来韓国と北朝鮮からの要請にもかかわらず、被害者も遺族も、個人的な賠償を1銭も受け取ってない。 ・・・ 労働者はみな、一日15時間週7日休日なしで地下で働いた。それらの「住宅」は、6〜7つの小部屋を備えた狭苦しく汚い小屋で、独身者は一畳の面積に何人もが生活し、眠った。暖房も水道もなかった。便所は土に掘った穴だった。通電された有刺鉄線が上部にある高さ9フィートの木製の塀が、外部を囲んでいた。 |
何故、福田氏はこの「麻生炭鉱」の件を無視するのでしょうか?
そして、次の駄文を掲げています。
メディアの露出も増えましたし、支持層も拡大しているように見受けます。高級男性誌「GQ」の最新号は、8ページにわたって、麻生外務大臣を特集していますが、大変好意的に扱っています。力が入っていて、「オヤジに官立の大学受験したいって言ったらバカヤローって一喝された。金のないならわかるが、金のあるヤツが人様の税金遣うようなことをするな! って言われてね」という、30年前の素敵な発言を発掘している。 |
こんな話を「素敵な発言」という福田氏はどうかしていませんか?!
麻生太郎氏が「金のあるヤツ」と言うのなら、その「金」はどこから来たのでしょうか?
「麻生炭鉱」の「朝鮮人炭鉱労働者、被差別部落民」のお陰ではありませんか?!
「30年前の素敵な発言」ではなく、「その何十年も前に、石炭」を劣悪な労働条件下で、発掘されていた方々のお陰ではありませんか?!
それに「金のあるヤツが人様の税金遣うようなことをするな!」を忠実に守るのなら、「議員手当て」も「政党補助金」なども返却してもらいたいものです。
それに、政界を引退された際には「議員年金」も辞退して頂きたく存じます。
更に、駄文を福田氏は続けます。
学習院の高等科でヨット部──当時、応援団とアメフト部とヨット部はガラが悪かった、とは本人の弁──に精を出していた御仁が。 なにしろエピソードには、事欠かない。第1回ウエスタンカーニバルでモギリをしていたのにはじまって、シエラレオネでダイヤモンドを掘っていたとか、額賀(福志郎)経済財政相がKSDからの献金問題で辞任した後任になった時に、「KSDは知らないが、SKD(松竹歌劇団)なら知っている」と云つたとか。 タカ派とみなされていますが、かつては神楽坂の芸者を総揚げにして、靖国神社に参拝していた(『文藝春秋』‘04年7月号)年7月号)というから可笑しい。やっぱり保守はこういう余裕がないといけません。銀座でのクラブ活動にも熱心だと開きますし、非常に頼もしい。 |
「KSDは知らないが、SKD(松竹歌劇団)なら知っている」などを誰が感心するのですか?!
私達をバカにするのにも程があります。
「神楽坂の芸者を総揚げ」、「銀座でのクラブ活動」に使う金があったら、そのお金は、酷使した「朝鮮人炭鉱労働者、被差別部落民」の方々に、お返しすべきではありませんか?!
未だ、福田氏は駄文を続けます。
大変なマンガ好きということが知れわたって、オタクなどに人気が出たといわれていますが、なによりの強みは、話が巧いことでしょう。 秋葉原でも、巣鴨とげ抜き地蔵でも聴衆をひきつける、分かりやすい話しかたができる。「私が外交について説明するとき、子供の人間関係に譬えることがあります。学校で勉強ができる子は級長になり、ケンカの強い奴は番長になる。では一番いじめられるのは誰かというと、勉強もできず、ケンカもできない金持ちの子です。少し豪華な弁当をもっていけばクラスメートに食べられてしまうし、恰好のいいシャープペンシルをもっていれば、貸してくれと取り上げられる。国同士の外交もしょせん人間がやることだから同じです。 ケンカの強さを軍事力、勉強を文化水準、金持ちの子を経済力に当てはめて考えればいい。どうしても日本は、一番いじめられやすい立場にあるんです」(『Voice』‘06年3月号)。どうです、分かりやすいでしょう。また、暗に日本は文化水準も低いといっているわけで、これにも同感します。 |
「外交について説明するとき、子供の人間関係に替えることがあります」、そして、「国同士の外交もしょせん人間がやることだから同じです」と平気で言ってのける麻生太郎氏も、麻生氏に感服する福田氏も、全く「アホかいな!」と思わずにいられません。
先ず第1に、子どもが単純に「勉強ができる子は級長」、「ケンカの強い奴は番長」、「勉強もできず、ケンカもできない金持ちの子」と分類できますか?
若しかしたら、安倍晋三氏は「勉強もできず、ケンカもできない金持ちの子」だったのでしょうか?
しかし、福田氏が「べらんめえ調」と持ち上げる麻生太郎氏は「勉強もできず、ケンカもできない金持ちの子」ではなく(“勉強もできず”の件は私には分りませんが)「ケンカもできない金持ちの子」ではなかった筈です。
福田和也氏が、週刊新潮(2005年12月22日号)のコラム「闘う時評」にて、賛辞を呈している(この件に関しては、拙文《国家の品格について(2)》をご参照下さい)『国家の品格』の著者の藤原正彦氏は、その本の中で、ご自身に関して、”私は体格がよく力も強かった”更に”勉強はめざましく出来ました”と、次のように記述されています。
私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした。父からはいつも、「弱い者いじめの現場を見たら、自分の身を挺してでも、弱い者を助けろ」と言われていました。 父は「弱い者がいじめられているのを見て見ぬふりをするのは卑怯だ」と言うのです。 私にとって「卑怯だ」と言われることは「お前は生きている価値がない」というのと同じです。だから、弱い者いじめを見つけたら、当然身を躍らせて助けに行きました。 私は体格がよく力も強かったので、必ずいじめている者たちを蹴散らしました。それを報告するたびに父は本当に喜んでくれました。あれほど喜んでくれたことは、他にはほとんど思いつきません。 |
更には、次のようです。
私は小学校の時から勉強はめざましく出来ましたが、女性にはいっこうにもてませんでした。いまだに何とかならないかと思っておりますが、世界中の女性の目がくもっているので、なんともなりません。そのうえ絵の才能は小学校からずっと通信簿で「2」でしたし、中高六年間続けて多少は自信のあるサッカーも、ベッカムの足元にも及ばない。夫婦喧嘩では女房にすら敵わない。人の能力はなにひとつ平等ではないのです。 |
藤原氏は、「勉強ができる子」であり、かつ、「ケンカの強い奴」だったのです。
子供は、色々です。
この事実を無視した比喩を吐く麻生太郎氏を、「聴衆をひきつける、分かりやすい話しかたができる」と持ち上げる福田氏の頭を疑います。
そして、又、麻生太郎氏の喩えによると、外交に携わる大人たちも、子ども達と同じ頭のレベルなのでしょうか?!
しかし、今の政治家、官僚達を鑑みれば、「国益重視」、「外交は駆け引き」など言っていて、大人というより、分捕り合戦ごっこに終始する「餓鬼」のレベルでしょうから、麻生太郎氏の比喩は「図星」という事?
そして、この事実は「麻生太郎氏も子どもと同じレベル」である事を是認している事になります。
それでも、子供は、たとえどんなに弱い子でも、殺人兵器で、いわんや原爆で自分を守ろうなどしません。
となると、政治家達は子供以下のレベル?!
いずれにしても、私達は、「子どもと同じレベルの政治家」に国の運命を託したくないのです。
又、そんな政治家にお金を払いたくないのです。
でも、ここで福田氏は「日本は文化水準も低い」との真実を吐露されています。
なにしろ、このような駄文を連ねる「福田和也氏が文芸評論家との肩書きで収入を得る事が出来る日本」なのですから。
その「日本は文化水準も低い」を象徴する存在(?)の福田氏は、又、次の駄文を続けています。
安倍内閣の支持率が落ちていますが、復党やタウンミーティング、本間正明税調会長辞任といった問題は些末で、その本質は、面白くないことでしょう。 よくも悪くも、小泉政権は面白かった。政治ネタが連日スポーツ新聞のトップになるような「サプライズ」がふんだんに提供されました。中韓訪問にしろ、予算案にしろ、安倍政権は実務では健闘していますが、評価が高まらないのは、面白くないからでしょう。もちろん「面白い」政治でなく、「よい」政治でなければ困るのですが、こうした趨勢には時代的必然もあります。 |
「政治ネタが連日スポーツ新聞のトップになる」その「スポーツ新聞」の愛読者であるタクシーの運転手さん達は、小泉政治に辟易していました。
「小泉政権」は福田氏には面白かったのでしょうが、「スポーツ新聞」の愛読者たちを苦境に陥れてしまったのです。
(多くの人達が(若者も)タクシーの運転手となりますが、あまりの収入の低さに直ぐに皆辞めていってしまうと、古参の運転手さんは話していました。)
福田氏よ!「「面白い」政治でなく、「よい」政治でなければ困る」のです。
それなのに、「こうした趨勢には時代的必然もあります」と次のようにして福田氏は逃げています。
名古屋外国語大学の高瀬淳一教授は、その著書『武器としての(言葉政治)』のなかで、右肩上がり時代の指導者は、国民の満足するように利益分配をすればよかったので、さして高いコミュニケーション能力を要求されなかった。だが、現在のように国民に不利益を分配しなければならない時代は、指導者は説得力のある言葉を持たなければならない、と述べています。 その点で小泉政治は時代の要請にあっていたのです。 |
「指導者は説得力のある言葉を持たなければならない」を福田氏是認しながらも「その点で小泉政治は時代の要請にあっていた」と言われては福田氏の頭の中身を疑わざるを得ません。
小泉氏は「人生色々」、「自衛隊が行く所が非戦闘地域」等と、小泉氏が愛読していた(?)「スポーツ新聞」に魅力的な(?)「ヘッドライン(見出し)」を与えていただけではありませんか!?
小泉氏から「説得力のある言葉」を私達が聴いた事がありましたか?!
未だ、福田氏は駄文を続けます。
「新聞は読んじゃダメ。眺めるぐらいがちょうどいい」(『文義春秋』‘05年9月号)という麻生氏は、小泉前総理に似ています。前総理がスポーツ新聞しか読まなかったのに対して、麻生氏は、漫画から時代の空気を読み取っているのでしょう。 |
今の新聞は、各「記者クラブ」で、官から与えられる情報で満足して紙面を埋めているのですから、政治の中枢に居られる方は、それらの内容は百も承知で、そんな新聞は読む必要が無く、只、自分達が流した情報(操作情報(?))が、しっかり新聞が取り上げているかをチェックするだけで、彼らには十分なのです。
万一、新聞が彼らを批判しようと、小泉氏のように、「筋を曲げない男」等と持ち上げられた事を良い事に(と言うより、ブッシュ大統領などからの強い命令に忠実に従う為(?))、全く聞き耳もたず「路線変更」も「反省」もしないのですから、彼らには、新聞など不必要です。
(なにしろ、私が、ある新聞社に電話した際、“新聞社と言え「営利企業」なんですから!” と尻を捲くられた体験をしたほどですから、新聞の大部分は「提灯持ち」に安住しているのでしょう。)
但し、スポーツ新聞の紙面は、「記者クラブ発表」とは違いますから、如何に小泉氏といえども、その内容を予め知っているわけではないのです。
従って、「前総理がスポーツ新聞しか読まなかった」となるだけの話です。
しかし、この件に関しては、雑誌『週刊金曜日(2007.2.16号)での、“映画『チョムスキーとメディア』”に於ける、山口正紀氏(ジャーナリスト)の次の記述が的確と存じます。
(筆者注:チョムスキー氏は、マサチューセッツ工科大学教授。言語学者、思想家)
映画『チョムスキーとメディア──マニュファクチャリング・コンセント』(配給・シグロ/一九九二年/カナダ)。五年問に七カ国二三都市で撮影された講演・インタビュー映像と過去の記録映像を編集した長編ドキュメンタリーだ。 ・・・ マスメディアの第一の機能は、政府や企業の利益に民衆の支持をとりつけること、と彼は言う。全体主義社会で暴力が担う統制機能を、民主主義社会ではメディアが果たす。 ・・・ ・・・広告のターゲットは購買力のあるエリート層、ニュース素材の安定的な供給源は政府と大企業。そのようにして、人口の二〇%の富裕エリート層の「合意」が形成される。残り八〇%は、考えず、関心を持たず、命令に従う。 彼は、「メディアは気晴らしで民衆の脳を鈍らせる」とも言う。異様な話題で重要な問題から目を逸らせ、思考能力を奪う(ワイドショー?いやNHKニュースも!)。 仕事で疲れて帰った人々は、テレビの情報を鵜呑みにし、後はスポーツで気を晴らす。本当に重要なことは報じない。慰みと娯楽と恐怖を与える、思想注入システム。 ・・・ 「民主主義国におけるプロパガンダは、政府の検閲や悪意による報道の歪曲でなく、マスメディアが持つシステムそのものによって、ごく自然に行なわれる」 これが、彼のメディア分析の核心。 報道の現場にいる者さえ意識しないシステム。そして、それを自覚した記者は「組織の機能を阻害する者」として排除される、と。 読売新聞社で三〇年問働いた私には、痛切な実感を伴う指摘だった。・・・ |
福田氏は、メディアの実態をこのように認識されているのでしょうか?
認識されているか否かは別としましても、「麻生氏は、漫画から時代の空気を読み取っているのでしょう」ときては、「日本は文化水準も低い」の最たるものでしょう!
福田氏の駄文も最後に近付きました。
麻生氏は小学生の頃、父親から、「お前が人さらいに誘拐されても、犯人とは交渉しない。だから掠われないようにしろ」と命じられたといいます。誘拐であれば、きっと祖父吉田茂にかかわる要求をしてくるだろう、だから交渉には応じないというのです。 |
「掠われないように」と心掛けていても「朝鮮人炭鉱労働者」は、麻生氏の父親の「麻生鉱山」に「掠われ」て酷使されたのです。
そして、今、北朝鮮に掠われた方々に対しては、「・・・にかかわる要求をしてくるだろう、だから交渉には応じない」との態度で応じると言うのでしょうか?!
福田氏の駄文の最後を次に掲げます。
その祖父は、サンフランシスコ講和条約の調印に赴くに際して、孫を呼び、小村寿太郎と松岡洋右の話をしたといいます。ポーツマス条約を結んで、国民の憤激を買った小村は国を救い、国際連盟を脱退して歓呼のうちに帰国した松岡は国を誤った。祖父は、米軍の駐留を認めた講和条約に、国民が激怒すると考えたのでしょう。こうした体験は、氏の指導者としての覚悟を涵養したに違いありません。 べらんめえ調の『美しい国』も見たいものです。 |
「小村寿太郎と松岡洋右の話」は、「国民の支持を気にして政治を行うと国を誤る」の立派な喩えだと存じます。
(その見事な最近での例が、驚異的な国民の支持の下に行われた小泉政治でしょう。
その例にあやかろうと、支持率向上を目論みつつも下落の一途をたどる安倍政権は愚そのものでしょう。)
ところが、福田氏は、麻生太郎氏に人気が出てきた事を喜んでいるのです。
「メディアの露出も増えましたし、支持層も拡大しているように見受けます。高級男性誌「GQ」の最新号は、8ページにわたって、麻生外務大臣を特集していますが、大変好意的に扱っています」と!
福田氏が、麻生太郎氏が真の政治家となる事を望んでいるなら、こんな記述はしないはずです。
先にも引用しました『国家の品格』では、藤原氏は、次のように書かれています。
もちろん国民が時代とともに成熟していくなら問題はありません。昔の話は単なるエピソードとして片付けることができます。しかし、冷徹なる事実を言ってしまうと、 「国民は永遠に成熟しない」のです。 このような事実をきちんと伝えないといけません。過去はもちろん、現在においても未来においても、国民は常に、世界中で未熟である。したがって、「成熟した判断が出来る国民」という民主主義の暗黙の前提は、永遠に成り立たない。民主主義にはどうしても大きな修正を加える必要があります。 ○「真のエリート」が必要 国民は永遠に成熟しない。放っておくと、民主主義すなわち主権在民が戦争を起こす。 国を潰し、ことによったら地球まで潰してしまう。 それを防ぐために必要なものが、実はエリートなんです。真のエリートというものが、民主主義であれ何であれ、国家には絶対必要ということです。この人たちが、暴走の危険を原理的にはらむ民主主義を抑制するのです。 |
私は、先にも書きましたが、藤原氏の『国家の品格』の内容に異を唱えましたが、この辺の記述には賛意を表します。
私は、この「真のエリート」とは、政治家であって欲しいと願っているのです。
私達(永久に成熟しない)国民は、自ら直接的に判断を下すと、“戦争を起こし”その挙句“国を(世界をも)滅ぼす”ことに陥りかねないので、愚かなりにも、愚かな判断ではありつつも「真のエリート」を何とか選挙で国会に送り込み、彼らによる適切な判断を期待するしかないのです。
従って、
「憲法」などの重要事項を「国民投票」で決めるなどと言うのは、愚の骨頂です!!!!!!!! |
なのに、福田氏は“安倍内閣の支持率が落ちていますが、復党やタウンミーティング、本間正明税調会長辞任といった問題は些末で、その本質は、面白くないことでしょう。”と書き、私達のはかない希望を愚弄するのです。
そして、福田氏は、氏の駄文を”べらんめえ調の『美しい国』も見たいものです。”と締めくくっているのです。
私は、そんな国など見たくありません!
日本経済新聞(2007年2月8日夕刊)には、“健やかさとは 安田暎胤さんに聞く”には「衣食足りて礼節を知るはずが、物が豊かになるにつれ、精神が荒廃している」と次の記述があります。
(やすだ・えいいん1938年岐阜市生まれ。50年、法相宗大本山薬師寺に入る。龍谷大学大学院修士課程修了と執事長・法相宗宗務長、副住職などを経て、03年管主に就任。・・・)
「金もうけの秘訣とか勝ち組に入るノウハウとか、そういう話はもうたくさん。生き方について学び、考え、心のありようを聴きたいという人が確実に増えています」 「慈悲を基本にした、宗教的な情操の涵養が必要です。 仏教について教えてという要望も相次いでいます。先日も全日本仏教会が推薦する国会議員の有志に宗教がなぜ必要なのかを講演しました」 「『法律という綱を作って不正や悪事を防ぎ、健全な社会を築くのが政治家の仕事だが、どうしても網の目をくぐろうとする者が出てくる。宗教家は網の目をくぐらない人間を育ててほしい』という三木武夫元総理からお聞きしたことも引用しながら、宗教者の役割を話しました」 心の教育をする場としてできたのが「薬師寺21世紀まほろば塾」。まほろばとは「すぐれたところ、美しいところ」の意味だ。 「薬師寺で私の兄のような存在だった高田好胤管長が大阪で講演した後、松下幸之助さんが控室に来られ『経済の調子はええが、心の教育が足りません。一肌脱いでくれませんか』と管長に頼んだ。一九七一年ごろのことです」 「できたのが『日本まほろばの会』で、そうそうたるメンバーが全国行脚して心の大切さを説いたのですが、九八年に管長が亡くなってから自然消滅してしまった」 「私が管主に就いた二〇〇三年に再び結成して、毎回、違う講師に依頼して全国各地を回っています。伽藍の再建も大事ですが、人間の心の再建も大切だと思って取り組んでいます」 |
私達に必要なのは「美しい国」ましてや「べらんめえ調の『美しい国』」ではなく、「美しい政治家」、「美しい日本人」、「美しい心」・・・なのです。
目次へ戻る