目次へ戻る

 

安倍首相の闘う相手は国民ですか?

20061219
宇佐美 保

闘う政治家を標榜する安倍首相の参院教育基本法特別委で質問者に対して挑みかかるような表情を目にし、言葉を聞き、先日テレビニュースを見ていた私の背筋は凍りつき、安倍氏への怒りさえも湧いて来ました。

この安倍氏答弁の様子を伝える新聞記事を探したのですが、次の毎日新聞(12月14日)の記事を見つけるだけでした。

 

<給与返納>野党指摘にムッ、安倍首相「失礼ではないか」

タウンミーティングの「やらせ質問」問題の責任を取り、首相給与3カ月分の返納を決めた安倍首相が14日の参院教育基本法特別委で、「お金で済ます問題ではない」との野党議員の指摘に失礼ではないか」と気色ばむ一幕があった首相は「(公務員のけじめのつけ方は)減給などの処分方法が決まっている」と反論した

 

 安倍氏が「失礼ではないか」と気色ばんだ相手は、国会議員であり、私達、国民の代表なのです。

 

 そして、質問された国会議員同様に、私達国民の誰もが「お金で済ます問題ではない」(それも、100万円少々!)の思いで一杯な筈です。

 

 ですから、安倍氏が挑みかかった相手は、国会議員であると共に、私達国民なのです。

(なのに、何故マスコミはこの件を、問題視しないのでしょうか?!))

安倍氏は『美しい国へ』の「はじめに」に於いて、

“「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家の事である”

と書かれていますが、

“「闘う政治家」とは、ここ一番、自己弁護のためとあれば、批判を恐れず国民にも挑みかかる政治家の事である”

と書き換えて頂きたく存じます。

 

 若し、安倍氏が国民のためを思うなら、「(公務員のけじめのつけ方は)減給などの処分方法が決まっている」で済まさずに、新しい規則(事後法)を作ってでも、自らを厳しく処分すべきではありませんか!?

 

 少なくとも『美しい国へ』の印税を全て、恵まれない方々へ寄付されては如何ですか?!

(もう、以前から実行されているのでしょうか?)

私は、この本が素晴らしいからと思って買ったのではありません!

我が国の首相である安倍氏の“安倍氏と政治の関係”が書かれてと思って買っただけです。

そして、少し読んだだけで、その内容に、安倍氏に失望し、途中で放り投げてしまいました。

その後、ぱらぱらとページをめくっても、そのたびに失望します。

 

 例えば、「おわりに」では、次の記述があります。

 

 

政治家という職業柄、わたしは全国を遊説して回るが、・・・・・・

 

 驚きませんか?!
(「政治家として、わたしは全国を遊説して回るが、・・・・・・」で良いのではありませんか!?)

安倍氏は、「政治家」を「公僕」ではなく「職業」と先ず認識しているのではありませんか?!

安倍氏は、お祖父さんの代から続いている「安倍政治商」(「岸政治商」を統合した?)とか云う家業を引き継いでいる3代目なのでしょう。
(勿論、「政治家」も「職業」の1種でしょう、しかし、それでは「安倍氏は政治を商売にしている」と言われても文句はないはずです。
だからこそ、責任も全てお金で解決するのでしょう!)

 

 なにしろ、どのページに目を向けても失望しますので、今回は『美しい国へ』に関してはこの位にさせて頂きます。

 

 そして、失望は『美しい国へ』、タウンミーティングの「やらせ質問」問題の政治家の責任のとり方と共に、官僚たちの処分にも及びます。

 

 なにしろその処分の内容は、次のように留まっているのですから!

処分 人数
懲戒処分(戒告) 1
厳重注意処分 12
訓告 3人
文書厳重注意 4人
口頭厳重注意 1人
給与を1か月間1割自主返納 1


 それに、タウンミーティングでは「やらせ質問」以外にも、税金の無駄遣いという大問題が発生しています。

 

 山陰中央新報の論説(12月14日)には次の記述があります。

 

 明らかになった問題は「やらせ質問」だけではない。内閣府は運営業務を請負契約に基づいて広告代理店に発注してきたが、税金の無駄遣いがまかり通っていた。TM一回当たりの平均金額は一般競争契約に移行した後は七百万円から千三百万円の間だったが、当初の随意契約の際には二千二百万円もかかっていた。

 積算根拠も不透明だ。例えば閣僚送迎用のハイヤー台数水増し、会場でエレベーターを手動にする係の単価が五千円など「社会一般の常識からは理解しがたい単価設定や高すぎる価格」(報告書)が容認されていた。いいかげんな実態を見過ごしていた内閣府も許せない。・・・

 

 ところが、このように

私達の税金をむしり取った広告代理店への責任を誰も追及しません。

何故でしょうか?!

マスコミ(広告収入におんぶに抱っこされている)は、その広告代理店に首根っこを掴まれているから?!

 

 更に、驚いた事は、今回安倍氏が責任を取る際、

政治は結果責任ですから”

と発言したことです。

(伊吹文科相も同じ発言をしていました。)

確かに、安倍氏は、民主党の菅直人氏の衆議院予算委員会10月5日に於ける


“岸元総理は、日米開戦に当たって、その詔書に当時の東条内閣の商工大臣として署名をされております。この事実についてはどのように評価をされますか。”

 

 との質問に対して、安倍氏は色々と発言した後、次のように答えています。

 

 それは、ただいま申し上げましたように、しかし、当時はいろいろな状況にはあったわけでありますが、そのとき、結果として、政治は結果責任でありますから、当然それは、そのときの判断は間違っていた、こういうことではないかと思います。

 

 「政治は結果責任」で良いのでしょうか?!

これでは「勝てば官軍」と同じではありませんか?!

それに今回の「タウンミーティング問題」での「政治は結果責任」と云って責任を取る「結果」とは何なのですか?!

「やらせ質問などの不正がばれた事」が「結果」ですか?!

となると、ばれなければ「結果オーライ」で、全ては不問に付されていたのですか?!

おかしいです。

 

 

「動機」や「手段」に対しては、政治は責任を取らないのですか!?

「やらせ質問」に関しては、明らかに「動機」(「手段」も)は「世論誘導」ですし、「手段」に関しては、税金の無駄遣いも絡みます。

 

(「やらせ質問」は、“会場で一般の人達からの質問が出やすくする呼び水として用いたのだろう”と提灯持ち的発言をするコメンテータをテレビでも見ましたが、「呼び水」に使うなら、一般の人達から発言し難い「主催者側の意見への反対意見」を用いるべきです。)

 

 ですから、「政治は結果責任」との見解は、インチキです。

これでは、世の中の進歩は皆無です。

「動機」や「手段」の間違いを不問にするのですから!

 

 先に引用しました「衆議院予算委員会(10月5日)」の議事録をもう少し引用させて頂きます。

 

菅(直)委員 かなりはっきりしてきました。つまりは、開戦の詔書に署名したことは今考えてみると間違っていたということを今安倍総理がはっきり言われたので、それはそれではっきりしたと思います。

 

 満州国については、安倍さんはどのようにお考えですか。

 

安倍内閣総理大臣 私は、今まで何回か申し上げているわけでありますが、歴史の認識とか分析について、政治家が一々それを神のごとく判断するのは間違っていると思います。

 

 歴史というものに対しては、これは一知半解な意見を言うべきではないし、政治家の吐いた言葉、行った議論というのは政治的な意味を持ってくるわけでありますし、外交的な問題を生ずる場合がある。当然、そのことを頭に入れながら発言しなければならないのであれば、これは歴史の分析にならないわけでありますし、歴史の分析をある意味曲げてくるという可能性もあるわけであります。

 

 歴史はあくまでも歴史家に任せるべきではないか、政治家は謙虚であるのが当然だろう、私はこのように思います。

 

菅(直)委員 どうも矛盾しているんですね。先ほどは村山談話であの戦争は植民地支配と侵略だったということを認められて、一般的にはこれは満州事変から始まると言われているわけです。また、祖父に当たられる岸元総理は、この満州国の経営に非常に高い位置で当たられた時期があった方であります。

 

 つまりは、一方では侵略であるというのを認めながら、そしてまた、岸元総理について戦後のある部分については高い評価をされながら、もう我々は大人なんですから。つまりは、その同じ人物がその前の時代にやったことについても、今、開戦の詔書の署名は間違っていたと言われました。満州国についてそういった満州国をつくった、全部岸元総理がつくられたわけじゃありませんが、つくることになったこと、こういうことに関して、やはりあれは侵略で間違っていたと言われるのが、もしこの村山談話を認められたというんであれば自然じゃないですか。それを、急に何か学者みたいな言い方でされるのは、ちょっとおかしいんじゃないですか。

 

 この安倍氏の詭弁を弄する答弁を読むと“「闘う政治家」とは、ここ一番、国家のため、国民のためとあれば、批判を恐れず行動する政治家の事である”と言うよりも、やはり“「闘う政治家」とは、ここ一番、自己弁護のためとあれば、批判を恐れず国民にも挑みかかる政治家の事である”と認識せざるを得ません。

 

 先ず、“歴史の認識とか分析について、政治家が一々それを神のごとく判断するのは間違っていると思います”と“歴史はあくまでも歴史家に任せるべきではないか”との答弁を読み比べれば、「歴史家は、神のごとく判断する」と言う結論に至ります。

おかしいですよね。

 このおかしさの根源は、“政治家が一々それを神のごとく判断するのは間違っている”に於ける“神のごとく”が余計な言葉であることは明らかです。
そして、”歴史の認識とか分析について、政治家が一々それを判断するのは間違っている”だけでは、”政治家といえども、歴史の認識とか分析が必要”との反論されてしまう事を恐れて、”神のごとく”との「神頼み的な言葉」を挿入したとしか思えません。
(私は、卑怯な答弁だと思います。)

 

 そして、安倍氏は、氏の著作の中でも歴史的逸話を引用しています。

例えば、「はじめに」も次のようです。

 

一九三九年、ヒトラーとの宥和を進めるチェンバレン首相に対し、野党を代表して質問に立ったアーサー・グリーンウッド議員は、首相の答弁にたじろぐことがあった。このとき、与党の保守党席から「アーサー、スピーク・フォー・イングランド(英国のために語れ)」と声が飛んだ。グリーンウッドは、その声に勇気づけられて、対独開戦を政府に迫る歴史的な名演説を行ったという

 初当選して以来、わたしは、つねに「闘う政治家」でありたいと願っている。それは闇雲に闘うことではない。「スピーク・フォー・ジャパン」という国民の声に耳を澄ますことなのである。

 

 此処に安倍氏が引用されたアーサー・グリーンウッド議員の質問の正当性は、「英国がドイツに勝った結果」としてなのでしょうか?

それよりも「英国のために語れ」が正当性の理由なのでしょう。

ですからこそ、安倍氏のモットーは“「スピーク・フォー・ジャパン」であり、「国家のため、国民のため」”なのですから。

 

 このモットーに従って、菅直人氏の“満州国について・・・、やはりあれは侵略で間違っていたと言われるのが、もしこの村山談話を認められたというんであれば自然じゃないですか”との見解を拒絶したのでしょう。

 

 なにしろ、安倍氏の心の中は、“岸元総理は、「国家のため、国民のため」に、満州国の経営に非常に高い位置で尽力した”の思いで一杯なのでしょうから。

 

 しかし待ってください。

政治家が、ある政策を「国家のため、国民のため」であると言い切れる根拠は何なのでしょうか?!

それこそ、「国家のため、国民のため」に関して、
政治家が一々それを神のごとく判断するのは間違っている
との結論に至るのではありませんか!?

 

 多くの政治家達は、国の防衛に関して“国を家族に喩えるなら、外敵とは、家族に危害を与える暴漢である。従って、家族の安全を護る為に命がけで暴漢と闘わなくてはならない”と吹聴されて居られます。

では、「国家のため、国民のため」即ち、「家庭の為、家族の為」自宅を敷地一杯建てたり、隣家の日当たりを無視して高層ビルを建てる事が許されますか!?

 

 安倍氏は、『美しい国へ』の中で次のように書かれています。

 

 家族をもつことはすばらしい、と自然に思えるような気持ちをはぐくんでいくことが大切である。そのためには、家族の価値の大切さを訴えていかなければならないと思っている。父と母だけでなく、祖父や祖母といっしょになって子どもを育てる環境ができるよう、税制等の検討をしていきたい。

 

 確かに、自分の家族は大事な家族です。

そして、又、隣家にとっても、隣家の家族は大事なのです。

“自分の家族を大事にする為に、隣家の家族を蔑ろにして良い”

などが許されない事は自明の理です。

 

 更に、

日本の国の家庭にとっても、満州の国の家庭とっても、家族は同じように大事なのです。

 

 どうも安倍氏の心には、日本人の心が欠落しているようです。

「お互い様」、「お陰さま」の心が!

安倍氏の多用するカタカナで書くなら「ギブ・アンド・テイク」が、全く欠落しているように思えてなりません。

 

 ですから、氏の著作の中で、次の記述「人口が減っても生産性を上げることはできる」に出くわします。

 

 では、少子社会では何が起きるのか。

経済の分野でいえば、労働人口が減ることによって、生産力が落ち、同時に消費需要も減って、経済規模が縮小することが心配される。そこで、人口が減っても生産力が落ちない方法を模索しなければならない。

まず第一に、これまで労働力としてあまり活用されてこなかった女性や高齢者の能力を活かし、労働力の減少を補うことだ

 つぎに、労働生産性を上げることである。一般に、人口の減少した国では労働生産性が高まる傾向がある。九〇年代に労働人口の減少した欧州七カ国(デンマーク、ポルトガル、イギリス、ドイツ、フィンランド、イタリア、スウェーデン)の労働生産性上昇率は二パーセントだった。現在、出生率が日本とほぼ同じ国といえばイタリアだが(日本よりずっと早く少子化が進行した)、そのイタリアは、一貫して労働生産性のたいへん高い国だった。付加価値の高い製品やサービスを売ることにたけていたわけだ。

 労働生産性という面では、日本はまだまだ成長の余地がある。今後はITやロボットの活用によって生産性を上げることができるはずだ。知的財産戦略を推進すれば、技術革新の成果によって競争力が強化され、ソフト、ハードの付加価値はさらに高まっていく。

 いや、労働生産性をあげて生産力を維持しても、人口が減れば需要が減ってしまうではないか、という人もいるだろう。だが、その心配はない。経済のグローバル化が進めば、世界中の消費者を相手にできるからだ。とりわけ、世界の成長センターであるアジアをマーケットとして抱えていけば、国内の少子化がデメリットとなることばない。そのためにも、FTAネットワークを広げていく必要がある。

 そうして現在の経済成長を維持していけば、日本の人口は減っても、国民一人当たりのGNPは増えていく。つまり、国民一人ひとりは豊かになることができるのだ

 

 先ず此処で気になるのは、最後に書かれている“日本の人口は減っても、国民一人当たりのGNPは増えていく。つまり、国民一人ひとりは豊かになることができる”は、あくまでも

平均値としての国民一人ひとりは豊かになる

であって、勝ち組はより豊かになる一方、敗け組みが豊かになる補償はありません。

それよりも「今後はITやロボットの活用によって生産性を上げる」となれば、

勝ち組と敗け組みの2極化

がより進んでゆくでしょう。

 

 そして、“労働力としてあまり活用されてこなかった女性や高齢者の能力を活かし、労働力の減少を補う”という「女性や高齢者」は敗け組みに取り込まれてしまうのかもしれません。

 

 安倍氏の「お互い様」、「ギブ・アンド・テイク」の欠落の様相は、「人口が減れば需要が減ってしまう」対策として、「世界の成長センターであるアジア・・・FTAネットワークを広げていく必要がある」旨の提唱に感じます。

 

アジアの他国としても、当然ながら、その国なりの事情を抱えているのです。

無闇に、FTA(自由貿易協定)を日本と結んで、日本に対して輸入関税を引き下げるわけには行かないのです。

関税を引き下げて、日本製品が氾濫したらその国の産業の成長はストップしてしまいます。

従って、日本は、アジアの他国と協調しながら共に発展(他国の発展は日本の発展)する道(共存共栄の道)を模索しなくてはならないのです。

 

 ですから、我が国の首相である安倍氏が、次のように記述しているを悲しく思うのです。

 

お金以外のもの」のために戦った野球チーム

二〇〇六年三月、野球の国別対抗「ワールド・ベースボール・クラシック」(WBC)は、多くの日本人をテレビにくぎづけにさせた。

決勝戦のときは、たまたま打ち合わせの最中だったが、さすがにわたしも気になって、ちらちらテレビを見やっていた。九回の裏、キューバ選手のバットが、大塚晶則投手のスライダーに空を切った瞬間には、思わず「よしっ」と声がでてしまった。

チームを率いた王貞治監督は、優勝祝賀会で頭からシャンパンを浴びながら、

みんなで日の丸を背負って戦って最高の結果を出せた。日本の野球のすごさをわかってもらえたんですから、監督としてこんなうれしいことはない」

 と、満面の笑みだった。

 マリナーズで十億円を超える年俸をもらうというイチロー選手は、試合後のインタビューで、「世界一を決める大会だから、参加した。シーズンのこととかはまったく考えていない」といった。そして、「僕の野球人生においてもっとも大きな日。すばらしい仲間といっしょにプレーできて嬉しい……ファンの注目度や選手のモチベーションを考えると、すばらしい大会だった」と。

 同じ日、敗北を喫したキューバの監督が記者会見で、「優勝に値するチームだ」と日本チームをほめたたえたあと、たしかこんなことをいっていた。

お金のためではなく、自分の国のために戦うことがどれほど素晴らしいかがわかった大会だった

 社会主義国のキューバでは、選手も監督も公務員である。だから当然といえば当然だが、そのラテン特有の明るい語り口には、自分たちのモチベーションが理解されたという誇らしさがにじみでていた。

 

 このように、安倍氏は、イチロー選手を喝采していますが、イチロー選手のWBCへの参加目的は、「自分の国のために戦う」ではなかった筈です。

 

先の拙文《尊敬する松井秀喜選手と天才野球少年イチロー選手》の一部を再掲します。

 

・・・major.jp(2005/09/17には、次の記述があります。

 

日本の参加が正式に決まった来春のワールドベースボールクラシック(WBC)について、シアトル・マリナーズのイチロー外野手が出場の可能性に言及した。

 イチローは「国別という観点から国際的に野球を見るのは面白い機会」と通訳を通じてコメント。ただし「(自分の出場については)まだ何も考えておらず、これからのこと。どんな選手が出るかにもよると思う」とも語り、出場の是非については明言しなかった。

 

 更に、この拙文にも記述しましたが、イチロー選手は、アジアの他国の選手に対する暴言を発しています。

私にはとても不思議です。

このような選手が、(「勝てば官軍」で、日本チームが優勝してからは)テレビコマーシャルに頻繁に登場し、また、一国の首相である安倍氏も無条件にイチロー選手を支持されているのですから!

 

 更に、チームを率いた王貞治監督のWBCの優勝に対する本音を『週刊ポスト(2007.1.1/5号)』での、「本誌吉例!新春OMK座談会前編」の中に知る事が出来ますので引用させて頂きます。

 

金田 

今回も3人揃ってよかった。
今季最大の出来事といえば、やはりWBC優勝だな。

王 

3回負けても世界一(日本は1次予選で韓国に、2時で韓国と米国に敗れたが、
失点率で決勝トーナメントに進出)になれるという変なルールのお陰ですがね(笑い)。

金田 

韓国は日本に準決勝で1回負けただけだもんな。

王 

2次リーグで日本は米国、韓国に負けて2敗。
この時点で、半ば諦めて、米国の最終戦の時はみんなでビールを飲みながら食事をしていたんですよ。
メキシコが米国に勝つとは思えませんでしたからね。
何しろ、メキシコは消化試合のつもりで、前日にディズニーランドに遊びに行っていたっていうんだから。

金田 

しかしそんな状況で、日本の選手は戸惑っていなかったのか?

王 

3回も負けると、怖いものはありませんからね。

皆、覚悟を決めてましたよ。

 

 更に松井選手の出場辞退に関する部分も引用させて頂きます。

 

金田 

申し訳なく思った松井が、ワンちゃん宛に手紙を書いたと聞いたぞ。

王 

直筆の丁寧な手紙です。

彼はそういう律儀な人間なんです。
だから、松井バッシングが起こったのがボクは残念でしたね。
広岡さん(
NYヤンキース球団広報)が、
わざわざ東京から福岡まで手紙を持って来てくれたことにも感動しました。

 

 更に、王監督は次のように話を続けて居られます。

 

 3月のWBCは開催時期も含め、「説明不足」が最大の問題だったんです。
どういう趣旨でやるのか、どういう位置づけかなどの説明が不足
したことで、
松井だけでなく、参加しなかった選手もたくさんいましたからね。
ただ、何度もいっているように、まずやってみることが大事。
次回の
WBCはいい形で開催されると期待しています。

 

 WBCの開催趣旨は、私の知る限りでは、次のようなものです。

 

野球は、米国(並びに日本)では、人気のあるスポーツであるが、サッカーのように世界的ではない。

そして、そのサッカーの人気の一翼を担っているのが、4年ごとに開催されるW杯である。

従って、野球も、サッカーのW杯に相当する世界的な大会(WBC)を開催し、野球の愛好者を世界に広げよう!

 

 従って、

WBCは、安倍氏が認識されている「お金のためではなく、自分の国のために戦う」大会ではありません。

 

 勿論、W杯も、そして、オリンピックも!

スポーツは「自分の国のために戦う」のではなく、あくまでもスポーツです。

(スポーツに戦いがあるとしたら、それは「自分との戦い」です。)

 

 ですから、私は、

WBCでの優勝に酔う日本人」よりも、
2002年の日韓共催のW杯に於いて、
「日本のみならず、各国のチーム、選手に分け隔てのない拍手を送った日本人」が大好きですし、誇りに思います。

でも、残念なことに、そのような日本人は神隠しにあってしまったようです。
いや!神様ではなく、小泉前首相や安倍氏が隠したのでしょうか!?

 

 こんなわけで、「闘う政治家」を標榜する安倍氏は、「安倍氏自ら闘う」と言うより「国民を戦わせる政治家」と思えてなりません。

 

 そして、冒頭に掲げました例のように、「闘う政治家」を標榜する安倍氏が「国民(国民の代表である議員)に闘いを挑む政治家」では?と思わざるを得ない事例が他にもあります。

 

 『週刊現代(2006.10.28)』〈安倍晋三 首相 が密約した「北朝鮮ロビイストに5000万ドル」〉の記事です。

 

 「(拉致問題を)食いものにしてきたなどと、予算委員会で言うことは失礼じゃありませんか!!

 普段は紳士然として冷静沈着な安倍晋三首相(52歳)が、首相就任以来初めて、公の場で取り乱して激昂した1011日の参議院予算委員会の上である。

 質問に立ったのは、民主党の森ゆうこ議員。森議員は、本誌先週号(1021日号)のコピーを掲げて、安部首相にその真相を迫ったのだった。

・・・

 11日の予算委員会で、森議員は安倍首相に対して、次のように質問した。

「『週刊現代』を総理はもうご覧になったでしょうか。総理が中国朝鮮族の崔秀鎮という方と会談された時のことが詳細に書いてありまして、こういうくだりがあります。

『金正日総書記が謝罪したということは、生存している拉致被害者、及び家族は全員帰国させる決定を下したということです。だから8人の帰国に関してはご安心ください。しかし、8人を帰国させた時点で、これ以上生存している拉致被害者はいないのだから、北朝鮮と国交を正常化させるというお考えでよろしいのですね』

 これに対して安倍総理は、『それは8人の家族さえ帰国させれば、北朝鮮としては、やることはすべてやったということでしょう』

 と答えたと書いてあります。この記事に関する事実関係についてお聞かせください」

 安倍首相はたちまち顔を紅潮させ、左手で森議員を指差しながら激昂したのだった。

「よく分かっていないことを質問しないでいただきたい! 私はいちいちそうした記事は読んでいません。

そもそも『週刊現代』は、(拉致被害者の)有本恵子さんのご両親が、言ってもいないコメントを載せたことがあります。だから、その程度の話なんですよ。その程度の話について、私はいちいちコメントするつもりはまったくありません!」

 そしてこの後、すっかり興奮した安倍首相は、「失礼じゃないか!」という冒頭の暴言≠吐いたのだった。

 だが、失礼千万なのは、本誌の記事を「その程度の話」とこき下ろした安倍首相のほうだ有本さんの母親・嘉代子さんのコメントは、取材テープも存在する

・・・

 

 更には、次のような記述もあります。

 

「拉致問題の解決なくして国交正常化なし」と口癖のように言い続けてきた安倍首相は、裏では北朝鮮に対して、3年以内の国交正常化を確約していたも同然だ。

 加えて、われわれの血税を5000万jも、勝手に裏金として使う密約を交わそうとしていたとなれば、こんな男が日本の最高責任者たる首相を務める資格などないだろう。

 

 安倍氏は、“『週刊現代』は、(拉致被害者の)有本恵子さんのご両親が、言ってもいないコメントを載せたことがあります。”と『週刊現代』の記事に信憑性が欠如しているとして“「安倍晋三は拉致問題を食いものにしている」という週刊現代の記事”に関する私達国民の代表である森議員の質問に対して答弁を拒絶したのです。

しかし、『週刊現代』は“有本さんの母親・嘉代子さんのコメントは、取材テープも存在する”と安倍氏の拒絶理由を排除しているのです。

従いまして、「闘う政治家」の安倍氏は、新しい教育基本法の教育の目的に記載された「真理と正義を愛し・・・」に恥じない姿勢で、正々堂々と『週刊現代』の記事に対峙して欲しいものです!

 

 そして、「闘う政治家」を標榜して、議員達、私達に挑みかかるのは止めて下さい。
どうか「闘う政治家」などという物騒な看板を外していただきたいものです。

まるで

「闘う政治家」と「弱い犬ほど良く吼える」が同義語

のように思えてなりません!

 

目次へ戻る