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文系の方々も「理」の心を(5(再び、靖国神社に関して)


文系の方々も「理」の心を(6

(伊藤忠丹羽会長のお話)

2005年1月9日

宇佐美

 昨年末(1225日)の朝日ニュースターの「パックインジャーナル」に於ける、民主党議員首藤信彦氏の次の発言は、私の心を強く打ちました。

 

経済制裁に反対しているから政治家になった。世界の紛争地域をずっと回って紛争とか戦争とか、ドンパチかと思っていた。ところが、だんだん判ってみると、経済制裁こそが一番悲劇を生んでいる。戦争紛争は兵士が打ち合う。強いもの同士、銃を持ったもの同士が打ち合う。

ところが、経済制裁は弱者が先ず被害をこうむる。経済制裁は決めたとたんに医療品とかは遅れて、とたんに病院にいる白血症の子供とか交通事故の子供とか弱者は、死に続ける。

イラク湾岸戦争のときは、イラクの兵士が5000人とか数千人死んだとかいいますが、その後の経済制裁で子供だけで、50万人死んだと言う国連の調査がある。経済制裁を行えば行うほど、独裁者や軍事政権が強くなる”

 

 ところが、悲しく残念なことに自民党の安倍晋三幹事長代理は、「北朝鮮への経済制裁」を吹聴しています。

例えば、20041212日付け朝日新聞の次の記事です。

 

 自民党の安倍晋三幹事長代理は12日、フジテレビの報道番組で、北朝鮮が横田めぐみさんのものとして提供した遺骨が別人だった問題について、「北朝鮮にもうワンチャンス与え、答えがなければ、ただちに制裁する」と述べ、期限を切って遺骨の鑑定結果に対する明確な説明を迫るよう政府に求めた。回答が不十分だった場合の制裁の内容については、「レベル5まで行かざるをえない」と述べ、党がまとめた5段階の制裁で最も重い船舶の全面入港禁止とすべきだとの考えを示した

 安倍氏はまた、テレビ朝日の報道番組で、政府が拉致問題の打開のため検討を始めた町村外相の訪朝について、「この段階で、日本側から会談を持ちかけるのは、外交として非常に愚策だ。こちらから会いたいと言った瞬間に、向こう側にペースを握られる。そんな外交はやめた方がいい」と厳しく批判した。

 

 私は、小泉首相の第1回の日朝会談以降の、安倍氏の北朝鮮に対する強硬な発言を知るたびに、不思議に思うのです。

 

 なにしろ、安倍氏は、小泉氏と同行して第1回の日朝会談に出掛けているのですから。

福井新聞のホームページには、次のような記述(2002年9月20日付け)があります。

http://www.fukuishimbun.co.jp/jp/rachi/framepage.htm

 

 政府は十九日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の平壌で十七日に行われた日朝首脳会談直前の事務レベル協議で、日本人拉致事件被害者八人の死亡年月日が記されたリストが北朝鮮側から提示されていたことを明らかにした。……

……

 安倍副長官は記者会見で、リストについて(1)十七日午前の首脳会談直前に行われた北朝鮮の馬哲沫外務省第四局長と田中局長の事務協議終了時に渡された(2)首脳会談中に翻訳し、会談終了後の「平壌宣言」署名前に小泉首相らに報告したと説明。首脳会談前の段階では、首相には被害者の「生死情報」だけを口頭で報告していたことを明らかにした。……

……安倍副長官は同日午後、首脳会談に出席した田中局長らから事情を聴いた

 

 この記事からも判りますように、「拉致事件被害者八人」の悲惨な報告を、少なくも平壌を離れる前に、安倍氏は知っていたのですから、おめおめと小泉氏共々、日本に帰ってくることなく、平壌に留まり交渉のやり直しを小泉氏に訴えるべきだったはずです。

小泉氏が帰ると言っても、安倍氏は平壌に留まるべきではありませんでしたか?

 

 しかし、いかなる事情があったのかは判りませんが、そのまま帰国してしまったことだけは確かです。

このような経緯を考えたら、安倍氏は強硬論を吐く前に、町村外相の訪朝を反対する前に、ご自身で平壌に乗り込むべきではありませんか!?

安倍氏お一人では、金正日氏に対して役不足と思われるなら、小泉氏を引き摺り出して、同行すべきではありませんか!?

 

 なにしろ、拙文《小泉氏首相を支持する日本人と曾我ひとみさん》にも引用させて頂きましたが、朝日新聞(2004年6月3日)には、次のように書かれています。

 

 小泉首相は2日の衆院決算行政監視委員会でのやりとりの中で、北朝鮮の金正日(キムジョンイル)総書記を「独裁者」と呼んだ。首相は再訪朝についての民主党の岡田代表の質問に答え、「独裁者の国では、交渉でまとまったものでも、話し合いの進展によっては変わる場合がある」「独裁者自身の考えがどうなのか、確かめるすべは私が行くしかなかった」と2度にわたり言及した。

 

ところが驚くべきことに、最近すっかり自民党の提灯持ちに成り下がった(私は、思っているのです)評論家の田原総一朗氏は、次に様に発言しているのです。

 

北朝鮮向けに、日本にも「経済制裁せよ!」という強硬意見があるのだということを示す為に、阿部さんはわざと発言しているのだ。

 

こんな田原氏の見解的な情報操作が、小泉首相の発言のように金正日氏の心一つで、全てが決まってしまう国に通用すると思っているのですか?!

こんな阿部氏の発言では、北朝鮮のアナウンサーの絶叫で明らかなように、かえって、反日感情を煽るだけではありませんか!?

 

 更に、週刊ポスト(2005.1.14.21号)には、次のような石原慎太郎氏の発言が掲載されています。

 

北朝鮮の外務次官が国連で「我々は核兵器の開発を終えた」と正式にコメントしているじゃないですか。大きな爆弾だからテポドンに乗せて日本に撃ちこむことはできないだろうけど、化学兵器や生物兵器なら積める。日本を攻撃しようと思えば、彼らはできるわけです。しかし攻撃した瞬間、あの国は袋叩きになり、金正日政権は壊滅するだろう。だから日本は何も恐れず経済制裁を発動するべきです。そうすれば金政権は1年で倒れます。金正日の末路は哀れだろうけれど、彼に虐げられている国民は救われる。つまり北を苦しめるのではない。金正日を倒すために経済制裁したらいいんです。

 

 先の、首藤氏の発言のように金正日が倒れる前の北朝鮮の弱者が倒れてしまうことを石原氏は、どのように考えているのでしょうか?

 それに、朝日ニュースターの「パックインジャーナル」にて、田岡俊二氏は、次のように語っていました。

 

 テポドンなど大した事はないが、北朝鮮の秘密工作員が、日本各地で破壊工作をやる心配がある。例えば、新幹線爆破とか……

 

 石原氏の発言は、一寸聞くと理にかなっているようですけど、又、一寸考えると、とんでもない発言なのです。

それこそ、日本中で、テロが頻発する事態に陥ることになるかもしれません。

(しかも、テポドンを使用せず秘密工作員が化学兵器や生物兵器を日本の至る所にばら撒いても、北朝鮮の仕業とわからなければ、世界は北朝鮮を非難できないでしょう。

そして、国連の決議なく日本が北朝鮮へ経済制裁でもしたら、逆に日本が世界中からの非難を浴びるでしょう。)

 

同じ週刊ポストには、次の記述もあります。

 

──中国企業がIBMのパソコン部門を買収して世界を驚かせた。日本は中国に追いつかれるという予測もある。

石原 あり得ませんね。中国はアメリカ人を使って、そうした部分の開発をするのだろうが、しょせん中国人の知恵、技術ではないからね。

 経済には上流、中流、下流があって、上流とは新しい製品を想定し、そのための技術を企画開発し、モデルを作り、改良を加え、「よし、これで行こう」という原型を作る。そこまでが上流。中流は、その上流が企画したものを大量生産し、下流は、その製品を世界の販路にかけて流通・宣伝していく。このうち、今の中国にあるのは中流の低賃金労働による大量生産だけです。下流も中国にはない。中国の製品だと宣伝されても誰も買わない。世界中に出回っているナイキの素晴らしいスポーツシューズは、ナイキが発案設計し、中国人が作っているだけ。IBMのパソコン部門そのものが、最近はやや衰退気味であり、これまでも売却計画があったが売れなかった。しかも上流の部分をそっくりそのまま買い取って、中国人がさらに改良出来るかといえば、真似したり盗む以上のことは難しいでしょう。私は、中国は少なくとも今後20年間は絶対に日本に追いつけないと見ています。

 

 この石原氏の中国に対する評価は、戦後まもなくの日本に対する世界からの評価と全く同じではありませんか!?

当時の日本製品(Made in Japan)は、「安かろう、悪かろう」の代名詞だった

ではありませんか!?

そして、米国で開発した製品を改良して「安く、大量」に、そして、「性能アップ」図って生産することで日本は発展してきたのではありませんか?!

(米国に教わりながらも)

ですから、石原氏の「中国は少なくとも今後20年間は絶対に日本に追いつけない」との見解は甘すぎると思うのです。

なにしろ、現在の技術の進歩の速度は、日本が歩んできた時代より格段に早いのですから。

そして、中国の古い精密な手工芸品を見るたびに、中国の方々の技に感銘しています。

この技が、工業製品に活用されないと誰が言えるのでしょうか!?

 

 更に、石原氏は次のように発言しています。

 

 日本人の潜在能力はものすごいですよ。たとえばアメリカでパテントを一番多く申請している国は日本です。アメリカのパテントを一番多く買って製品にしているのも日本。アメリカは自国で開発した技術を自国の製品にできていない。日本はヨーロッパ全体よりも多いベンチャーテクノロジーを開発しているんです。

 

 でも、特許は申請数を競っても何もならないのです。

その特許が如何に有効に使われているかが問題のです。

数ではないのです。質の問題です。

(私は、半導体関係の業務に携わっている際には、やたらめったら沢山の特許を申請しました。

今、その業務を離れて、『コロンブスの電磁気学』(仮題)の執筆の為に研究を続けていますが、現時点の方が、数は格段に少なくても、質の方は、比べ物にならない位、ずっと高くなっています。

 この件は、学術論文の面でも同じです。

学術論文は、提出数ではなく、その論文の引用された回数が評価されているのです。)

何故、日本人が殊更に中国人より優れていると言えるのですか?

日本人に選民意識を植え付け、戦前の「八紘一宇」的世界を夢見ているのですか?

 

 更に、次なる発言しています。

 

……若者の元気のなさは、最初のうちは「何だ、こいつら」と軽蔑していたけれど、彼らの無気力と画一性が、この頃は心配になってきたなあ。

 − なぜ、そうなったか。

石原 端的にいうと、数年間戦争がなかったからですよ

戦争がないのは有り難いことだけど、つまり国や社会全体が緊張した瞬間が一度もなかった。オリンピックで勝ちたいとか勝たせたいとか期待したことはあるけれど、そんなものは知れている。国全体が緊張したことは全くない。乱暴な言い方になるが、「勝つ高揚感」を一番感じるのはスポーツなどではなく戦争だ。北朝鮮でノドンが開発されたと聞いた時、私は「いいじゃないか、1発日本に落ちたらいいんだ」と思った。もしそんな事態になったら、日本人は自分たちの稀薄さにすぐに気がつくはずですよ。

 

 こんな発言をしている石原氏ご自身が希薄そのものだと思うのです。

なにしろ次のようにも発言しているのですから!

 

……あの時、天皇陛下のためと思って死んだ人間は一人もいなかった。

皆、自分の父親、母親、兄弟、妻、恋人のために死んだのであり、「天皇陛下万歳」と口ではいったかもしれないが、実際はそうではない。だからあの自己犠牲は尊い。僕は特攻隊をアラブのテロと一緒にされたくない。彼らは完全な狂信者であり、自分は死ねば来世で処女に囲まれて暮らせると、うっとりしながら死ねるわけです。特攻隊でうっとり死んだ日本兵は一人もいないと思います。

 

 パレスチナの少年少女が自爆テロを行う際に、“自分は死ねば来世で処女に囲まれて暮らせると、うっとりしながら死ねる”と思っているのですか!?

彼らの状態は、戦時中の日本人が“鬼畜米英!”と喚きながら家庭の主婦たちまでが、竹槍の訓練をしていたことにより近いのではありませんか?

否!彼らの心は、もっと、切実なのでは?
何故日本人の行動だけが、尊かったのですか?

 

 更には、特攻隊をテーマにした映画(今夏公開予定)のシナリオを書いているという石原氏は、次のようにも語っています。

 

 シナリオを書く過程でこんな話を聞いた。実は生き残り、戦後、人前に出られずに過ごした特攻隊員がたくさんいたという。ある少尉は、米艦に激突する直前に対空砲火で吹き飛ばされ、片脚を失い、海に墜落した。米軍は波間に漂っているパイロットの遺体を収容しようとしたら、少尉は生きていた。その後、アメリカの病院で治療を受けて生き残った。同じ病院には、やはり片腕を失った特攻隊員もいたという。

 敗戦になり、2人は解放されたが、復員局で別れ、二度と会うことはない。しばらくしてから、片腕をなくした隊員が少尉の実家を訪ねるが、彼はあのまま行方不明だった。家族も一生懸命探したのだが、姿を隠したまま、どこかで生きたのだというのです。

 私の今度のシナリオの最後のシーンは、その片脚の老人が孤島で杖をつき、夕日を眺めて立っている姿です。

──60年間、どんな気持ちで生きてきたと思うか。

石原 それは「」でしょうね。自分の責任。その思いから、死は選ばなかったものの人前に出なくなった。今の日本人には、そういう「恥」とか「責任」という気持ちがなくなってしまった。だから相手への思いやりも持てない。

 結局、個人ばかり肥大してエゴは充満しているが、中身は何もない。60年間、社会的に揺さぶられた経験がなかったからです。これは平和の有り難さかもしれないが、同時に恐ろしさでもある。

 

 全く石原氏の心は希薄ではありませんか!

実は生き残り、戦後、人前に出られずに過ごした特攻隊員がたくさんいた」という、その方々が、家族からも姿を隠し、60年間、どんな気持ちで生きてきたかとの問いに、「」と片付けてしまう石原氏は精神が狂っているとしか私には思えません。

この石原「」発言に対して、山中恒氏の著作『靖国神社問題』から、次の部分を引用させて頂きます。

 

戦時国際法では、人道的見地から勝ち目のない戦闘では白旗を掲げて降伏し、敵の捕虜となることを認めています。また「捕虜の待遇に関するジュネーブ条約(一九二九年)」によって捕虜の安全は保証することになっていたので、死ぬくらいなら捕虜になった方がましなのです。

ところが、日本は敵軍と日本兵を最後の最後まで闘わせるために、捕虜になることを恥とし、許しませんでした。捕虜になるくらいなら死ねと教え、全滅するまで闘わせたのです。おまけに日本は「捕虜の待遇に関するジュネーブ条約」に加入しなかったので、日本兵は捕虜になりたくてもなれませんでした。

 

明治天皇の『陸海軍人二賜ハリタル勅諭(略称=軍人勅諭)』には「只々一途に己が本分の忠節を守り、義は山嶽よりも重く、死は鴻毛(鳥の羽)よりも軽しと覚悟せよ。其の操を破りて不覚を取り汚名を受くるなかれ」とあり、また一九四一年正月に出された『戦陣訓』にも、「生きて虜囚の辱を受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」とあります。

 これは鳥の羽よりも軽いような命を惜しみ、生に未練を残して、あえて捕虜になることは卑怯で未練がましい行為であるから、捕虜になって後々まで恥や汚名をさらすなと非難し、捕虜になるくらいなら潔く死ねと諭したのです。そのために無理な戦闘を強行したあげく、玉砕戦法で全滅させたので戦死者が増えたのです。

 

 特攻機に乗って「自分の父親、母親、兄弟、妻、恋人のために」米艦に激突する直前に対空砲火で吹き飛ばされ、片脚を失い、海に墜落し、米軍に収容され、アメリカの病院で治療を受けて生き残り、60年間、大事な家族から隠れて生きて居られた方は、全く『軍人勅諭』、『戦陣訓』の犠牲者ではありませんか!

絶対に「」ではありません!

そして、一度、戦争となればこのように多くの方々が犠牲となるのです。

戦争には数々の愚行が付きものです。

日本が戦争に巻き込まれたら自衛隊員(否!その時は日本軍?)は、先の戦争のような犠牲者が出ないと、又、イラクで米軍が行っていると同様な愚行を行わないと、誰が言えますか?

理路整然たる戦争なんて存在しますか!?

なのに石原氏は

「国全体が緊張したことは全くない。乱暴な言い方になるが、「勝つ高揚感」を一番感じるのはスポーツなどではなく戦争だ

と発言しているのですから、狂っているとしか思えません。

戦争に送る高揚感は、強制された高揚感です。

(それも、野獣以下の)

石原氏は「個人ばかり肥大してエゴは充満しているが、中身は何もない。60年間、社会的に揺さぶられた経験がなかったからです」と発言されていますが、石原氏は如何だったのですか?

 

 石原氏は、大企業(バブル崩壊前の)に勤務すべきだったのに!と、私(日本有数の超特大の大企業に勤務した体験を有する)は思うのです。

なにしろ、そこでは、戦争と愚行と思えることを数々疑似体験できたのですから。

何かというと、『軍人勅諭』、『戦陣訓』の代わりに、カビだらけの『創業者訓』、『誰々語録』などが、披露され、全ての意思決定は「上意下達」で、「右向け!右!」との掛け声に逆らえば、途端に、給料やボーナスの査定が「下向け!下!」となってしまいます。

日本中のサラリーマンが、ドブ鼠色の背広を着ていた頃です。

(出勤時に会社の門の前で、共産党員の方々がビラを配っていても、誰もそのビラを受け取りません。でも、へそ曲がりの私は、そのビラを受け取りました。

その(監督不行き届き)分、私の上長には御迷惑が及んだのかもしれません。

そして、私は、緑とか、派手な色の衣装で押し通したり「右向け!」と言われても「左を向いたり」したこともあって、査定は常に最低でした。)

 

 そんな会社に石原氏は、ご自身から入り込みたいですか?

(そんな会社に一度は勤務すべきだったのです!)

でも、石原氏は、そんな会社の独裁者になりたいのでしょう?

しかし、そんな会社が今生き残れますか?

 

 更に、石原氏は馬鹿げた発言をしています。

 

──真の「勝つ日本人」を育てるにはどうしたらいいか。

石原 自信を持つことです。

自分にはこういう力や可能性があると知り、同時に、自分に足りないものは何かを考えることです。いきがるだけでは、喧嘩してもみじめになるだけですからね。

 最近の日本人は、物事を複合的に考えるゲーム感覚が足りないと感じますね。相手の次の手はこうだな、だけど、こうも考えているかな、とかね。チンチロリンとか、せいぜい花札では麻雀やポーカーの世界には勝てない。そういう複合的な発想力が今の日本人には欠けていますね。

……

 以前からいっているけれど、今の日本の政治家や役人には1幕の芝居も30枚の短編小説も書けない。短編小説は11句伏線があったりと難しいが、そういうものは絶対書けませんよ。なぜなら物事を複合的にとらえる発想がないからです。……

 そこを直すところから始めなければ、本当に「勝つ日本」にはなれないと思います。

 

 このような石原発言を目にするたびに「馬鹿は死ななきゃ直らない」との思いを抱いてしまいます。

石原氏の戦争は、「ゲーム感覚」なのです。

どんなに小説に「11句伏線」を置いたりして書き上げても、昔からの常套句「事実は小説より奇なり」なのです。

今回の米軍のイラク侵攻(侵略)は、(最近の日本人には無いと言う「ゲーム感覚」で)作戦を練り上げて行われたはずです。

その結果は、如何ですか?

惨憺たる結果ではありませんか?!

そもそも、どんなに巨大な軍事力を持っても勝てない(只、軍事産業のみが潤う)現在、「勝つ日本人」等との発想が下劣ではありませんか?
 自民党の茶坊主的存在に成り下がったかの観のある田原総一郎氏は、今朝(1月9日)のサンデープロジェクトにて、

”戦後60年ではなく、敗戦後60年と言うべきだ!”

とほざいていました。
戦争の愚行は

勝った負けたではなく、「始まってしまった、やっと終わった」なのではありませんか!?

 

 石原氏は、『法華経を生きる(幻冬社:発行)』を書かれているのですから、法華経を重視された最澄の次なるお言葉を当然ご存知と思います。

(比叡山延暦寺のホームページより)

 

悪事は己れに向かへ、好事は他に与へ、
己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり

  しやすい仕事は他の人にまわし、苦労のいる仕事は進んで引き受け、他の人のあやまちは広い心で許し、社会の人のために積極的に奉仕する、これこそ相手を思ういつくしみ(慈悲)の究極の姿である。

 

 石原氏よ、何故、日本が勝つことばかりを考えておられるのですか?!

(少なくとも、戦争に於いては、軍事超大国の米国ですら決定的な勝利を収めていません。

今の時代、戦争の勝利はあるのですか?)

石原氏は、最澄の言葉など奇麗事で、実生活には無力とでもお考えなのでしょうか?

 

 でも、伊藤忠商事社長(当時)の丹羽宇一郎氏は、見事に実践されたのです。

昨年末(1226)のテレビ朝日のサンデープロジェクトでの、伊藤忠商事の会長、丹羽宇一郎氏のお話に私は感動しました。

 

 先ず、驚かされたのは、伊藤忠商事の玄関には、

商売人はいかなる事があっても嘘をいわぬこと

と書かれたポスターが張ってあるとのことです。

対談相手の田原総一朗氏は、“そんな事、言ったって、商売人は「人を騙して幾ら儲かる」の世界じゃありませんか!?”と、そのポスターの文言に疑問を投げかけました。

私も同感でした。

でも、田原氏も私も間違いなのでした。

 

更に驚くことは、丹羽氏の経営理念は『清く正しく美しく』との事だそうです。

 

「清く」(Clean)とは、法律違反をしない

「正しく」(Honest)とは、嘘をつくな

「美しく」(Beautiful)とは、卑しい事をするな(心の美しい人)

 

 それでも当然ながら社員からの反発はあったとの事です。

例えば、東南アジアの伊藤忠の社員からは、

“そんな奇麗事を言っていては商売できないよ!”

と。

それに対して、丹羽社長(当時)は、

“即座に言うんです。若しそんなことをしなければ、儲からなければ止めなさい
儲からなくて結構と明確に指示している”
その国の人々の為に仕事をせよ!”

と指示し、丹羽氏の理念の基づき7年前倒産に近かった伊藤忠は復活を遂げたのだそうです。

なにしろ、

“お客様を裏切り信用を傷つけることは、ゆくゆくは企業を衰退に導いてします。

 

お客様に嘘をつかないということは、信用を第一と考えることであって、また、トップに正しい情報が上がってくる。

 

更に、丹羽氏は語りました。

 

人々の為、社会の為、国の為に仕事をしない会社は絶対に繁栄しない

世界中の伊藤忠の社員に、必ず仕事をするときには、その国の人々の為、社会の為、国の為に仕事をしろと言い、トップは現場と常に接触している。

 

“企業の常識が、社会の常識に合致しなくてはならない。

企業は、「企業の文化常識」を、「社会一般の常識文化」というものにフィットしてゆくように、出来るだけ努力しなくてはならない。

企業倫理に関して企業は遅れている。

古い常識を脱して、新しい空気に触れてゆかなくてはならない。”

 

 私は、このような丹羽氏のご見解に大変感動しました。

企業は、多くの人々の共同体です。

そして、その共同体の人数が増えると国家になります。

企業に求められる理念は、当然ながら、国家にも求められるべきです。

 

「清く」(Clean)とは、法律違反をしない

「正しく」(Honest)とは、嘘をつくな

「美しく」(Beautiful)とは、卑しい事をするな(心の美しい人)

 

です。

 

そして、国家は、「他国の為に尽くす」べきです。

更に、「国家の文化常識」を、「社会一般の常識文化」というものにフィットしてゆくべきです。

 

 「国益」至上主義の国は、「社会一般の常識文化」から、余りにかけ離れています。

こんな理念が何故通用するのでしょうか?

(「外交には色々な駆け引きが必要」なども、余りにも「社会一般の常識文化」からかけ離れています。)

 

 丹羽氏の素晴らしいお話の中での次の点だけは、異議を唱えさせて頂きたいのです。

 

 技術知識インフラと異なり「人間の心」は、親から子へと順次継承されないから、『浜の真砂がつきるとも、世に盗人の種はつきまじ』と言われるように不祥事と言うのは無くならない。

 

 私は、この点だけは丹羽氏に異議を唱えたいのです。

技術知識も『心』同様に、遺伝子的な世代間継承ではないのです。

しかし、技術知識は、継承すると自分に利益があるから継承しているだけです。

ところが『心』は、一概に自分に利益を齎すといえないから、世代間継承が等閑となっているのです。

「盗みはいけないことだ」、「人を殺すなどいけないことだ」いわんや、国家的な組織で戦争と言う名の隠れ蓑の下「他国民を殺すことはいけないことだ」との『心』は、継承すべきと思っても、必ずしも自分に利益とは感じられないから継承されないだけなのです。

そして、挙句の果ては「国益」、「愛国心」と言えば「戦争が正当化されてしまう」からです。

 

 伊藤忠商事では“商売人はいかなる事があっても嘘をいわぬこと”の『心』が継承されてゆくのですから、そして、丹羽氏の「清く、正しく、美しく」の『心』は、丹羽氏だけに留まらず、伊藤忠のその後の社長に、更には、日本人全体に、そして、世界中の人々に代々受け継がれて行くべき『心』ではありませんか!?

 

 更には、先に掲げさせて頂いた『最澄』のお言葉です。

 

悪事は己れに向かへ、好事は他に与へ、
己れを忘れて他を利するは、慈悲の極みなり

 

 そして、お釈迦様の

 

“あたかも、母が己がひとり子を身命を賭しても譲るように、そのように一切の生きとし生けるものともに対しても、無量の(慈しみの)心を起こすべし”

 

 キリストの

 

汝の敵を愛せ“

 

 等のお言葉は、

 知識としてのみ、世代間で継承されていますが
これらのお言葉は、知識として継承するのではなく、
各世代ごとにそのお言葉を『心』に取り込み、
『心』として世代間継承すべきなのです。

 

 そして

この『心』を世代間継承しないことこそが『恥』だとの思いを私達は強く持つべき

なのだと思います。

 

 (この場合の『恥』とは、石原氏の言う『国家に強制された恥』ではないのです。)

 

 丹羽氏は次の点も語っておられました。

 

 (王、長島時代を含めて)9連覇を成し遂げたプロ野球チーム(巨人)の監督だった川上哲治氏は、“組織の盛衰の99%はトップの責任”と『遺言』との著作の中で書かれている。

 

更には、次のようにも語られました。

 

 企業にとって一番大切なのは、トップが背中で社員を統率できる(表の顔は取り繕える)事だ。

 

(そして、社長時代も、会長に退いた今も、電車にて会社の通われているそうです。)

 

 ここで又、企業、組織の延長線上に国家があるのですから、今の日本の状態がおかしいのだったら、石原氏のように、「国全体が緊張したことは全くない。乱暴な言い方になるが、「勝つ高揚感」を一番感じるのはスポーツなどではなく戦争だ」等との発言をすべきではなく、

国の指導者層の方々がもっと責任感を感じるべきです。

そして、自らが率先して、『清く、正しく、美しく』を実践すべきです。

『政治家に倫理を求めることは愚の骨頂』等という言葉がまかり通ること事態が異常です。

政治家こそが、高い倫理観を有すべきです。

 

 1億円も手にしていながら“記憶に無い”と言い、又、訳も解らない給料を貰っていても“人生色々”と言ったり、

“日本では、罪人でも死んだら仏になる”と言って仏教徒面して「慈悲の心」を持たない輩が、恥じも外聞も無く、我が国の首相を務めていたりして良いのでしょうか!?

 
丹羽宇一郎氏こそが、我が国の首相になって頂きたいと思いました。

 

 

(追記)

 丹羽氏の素晴らしいお話に比べて、昨年末に放映された「朝まで生テレビ!」では、出演者たちの怒鳴りあいに終始していて、この章で取り上げる気力が失せてしまいます。

そこで、その件などは、次章に続けたいと存じます。

 
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