イタリアのテノールは、美声ばかりを誇るテノール馬鹿?
1994年9月29日
宇佐美 保
デル・モナコ先生が生涯を通して「発声練習」を怠らず、常に「喉の休養」を心掛けられたのは、決して「美声」を鳴り響き渡らせたかったからでなく、「喉に負担を掛けず」無理なく自然に声を出されたかったからだと思います。
(そして又、当然の事として、高音域は、アクートしなければなりません。)
この点は、他のどんなイタリアのテノールも同じだと思います。
「美声」とは、あくまでも「喉が自然に鳴った結果」なのです。
昔のカステラートの時代ならいざ知らず、どんなテノール歌手といえど、自由に鳴り響く高音域を獲得するのは大変な努力が必要とされます。
そして、その声を維持するにも大変な努力と節制が必要とされます。
(ですから、その上、その声が、より「美声」であるよう一段と改良努力しようなどとは!否!否!否!「より自由に鳴り響く高薔域」を求めて行く事が、結果として、より「美声」に到達するのです。)
ですからこそ、どんなテノールでも、最高音を歌う時には(今迄の苦労の償いをするかの如く)その音を長々と鳴り響かす訳です。
そしてその瞬間は、歌手にも、聴衆にも「時の流れがストップ」するのです、そして少なくも、その瞬間分は、寿命が長くなる訳です。
(なにしろ、その瞬間は、聴衆は、あたかも難度の高い空中ブランコの技が決まったこの如き安堵感と喜びを共有する事が出来るのですから。)
なのに、一部の指揮者は、先へ先へと(曲を?人生を?)急ぐ余り?このテノールの、そして、聴衆の喜びを我慢出来ないようです。
(なにしろ、A・トスカニーニにしましても、大体に於いて、指揮者の方々は長生きされるので、庶民のささやかな延命効果には、無頓着になられる方もおられるのかもしれませんが。)
でも、この「ストップ・モーション効果」は、手塚治虫を初め、アニメ等の世界でも有効に用いられている訳です。
なにしろ、自由に鳴り響く声を獲得する事によって、歌手は心のままに歌う事が出来るのです。
ですからこそ、その声を獲得した後「心のある(ハー卜のある)」歌手がスターとなり、
「ハートの無い」歌手は消えてしまう事になるのでしょう。
歴史上、「最高の美声」という肩書きだけで、名前を残しているイタリアのテノールはいるのでしょうか?
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