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日本の歌を歌う為の、日本独自の発声法は、全く不要!

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宇佐美 保

1 『日本歌曲コンクール』

“従来、世界の声の主流であるイタリアのベル・カント唱法で、(戦前は、ドイツ的唱法で、)日本歌曲が歌われてきたが、どうも日本語がはつきり聞取れない!この原因は、ベル・カント唱法が、イタリア語(あるいは、他国語)には適していても、日本語には適していないからである!従って、日本語を歌う為には、「日本独自の発声方法」が開拓される必要がある!”との主旨で、『日本歌曲コンクール』が設立されて、今年が5年目との事。

 そして、821日の『題名のない音楽会』で、そのコンクールの優勝者は数々のコンクールで活躍された方と紹介され、『出船』を歌われました。

私には、全く旧態依然!の歌い方に聞こえて、魅力を感じませんでした。

 

2 『日本で最も権威のあるコンクールの優勝者』

 日本で最も権威のあるコンクールの優勝者の某氏が、以前、デル・モナコ先生の国際声楽講座に参加され、デル・モナコ先生にレッスンを仰いでおられましたが、デル・モナコ先生は、某氏を全く評価されておられませんでした。

 

3 『私の持論』(『イタリア詰も日本語も、歌う際は、全く同じ!』)

 43日に、放映された『題名のない音楽会』(偉大なるアマチュア)にて私の持論をも述べさせて戴きましたが、“イタリア語と日本語とは、母音子音は殆ど全く同じ、両者の相違点は、イタリア語(そして多くの外国語)は強弱アクセントに対して、日本語が、高低アクセントである事だけ!しかるに、このアクセント上の相違点は、作曲(あるいは訳詞)時には考慮すべきであるが歌う際には、「高低アクセントは、メロデイ・ラインの中に吸収され(巧みに作曲、訳詞がなされていれば)、一方、強弱アクセントはリズムにより規定さ

れる。」のであるから、イタリア語も日本語も、歌では全く同じなのである!

 

4 『日本でのコンクールが真の横能を果たしていないのでは?』

 払の持論である、“オペラ・アリアがしっかり歌えたら、日本語の歌もしっかり歌える!”筈なのに、“オペラ・アリアがしっかり歌えた!という事で、日本のコンクールで優勝された方の日本歌曲に魅力が無かったり、又、そのような方が、デル・モナコ先生に全く評価されない!”というのは、何故でしょう?私の持論が間違い?いえいえ!若しかしたら、“日本のコンクールが真の機能を果たしていない!”のではありませんか? 

 

5 『デル・モナコ先生の真の偉大さが御判りですか?』

 日本の最も権威あるコンクールの優勝者が、デル・モナコ先生に評価されなくても、多くの方々は、“なあに、デル・モナコ自身が、素人の発声なんだから、他人を云々する資格はないよ!”とおっしゃる方々が沢山おられるのではないでしょうか?、

なにしろ、日本では多くの方が、“デル・モナコの声は凄いが、正当な発声でなく、喉に力を入れた強引な発声で、喉の力が人並外れて強い彼だけに許される発声である!”と誠しやかに言われております。

その上、とっても驚いてしまうのですが、デル・モナコ先生のレコードやCDの解説に迄、この旨を書く評論家がおられるのですから!

 

 デル・モナコ先生の凄さが、若しも御判りでなければ、もう一度改めて耳をすませてデル・モナコ先生のレコードやCDを御聴きになってはいかがでしょうか?

デル・モナコ先生のレコードやCDを御聴きになっても、お判りになりませんでしたか?

 では、トロヴァトーレの有名な(ハイCを歌う)アリア『見よ!恐ろしき焚火を』を御聴き下さい!

いかがでしたか?私は、デル・モナコ先生以外に、こんなにも、喉を自由にされて歌って居る歌手を知りません!

高音を、いとも軽々と出す、かのビョルリンクですら、(ライフで、驚くべき事に“一音!”も下げて歌ってますが、それでも、)デル・モナコ先生程に喉を自由にして歌ってませんよ!

 未だ御判りになりませんでしたら、セビリアの理髪師の、バリトンのアリア『何でも屋の歌』を御聴き下さい、どうでしたか?

喉に力を入れていたら、この様にして軽やかに!自由に!歌えますか?

 

 普段、オペラ等聴いた事のなかった私の友達は、デル・モナコ先生の声を、一声聴いただけで、“なんと軽やかな声!まるで天国から響いて来る声みたい!”と感心されました。

皆様は?

 

 そこで私は心配するのです。“若しも、デル・モナコ先生の声の真の凄さを理解出来ない方が、声楽のコンクールを審査されているとしたら、正当な審査が行われるでしょうか?”

 

なにしろ、一般的には“人は、自分の物差しでしか計れない!”のですから。 

 

6 『イタリアでも、オペラで歌われる言葉は聞取れない!』?

 作曲家の三枝成章氏は、日本語で作曲された氏のオペラが、“歌っている日本語が、まるで聞取れない!”との批評を浴びた際に、“オペラの本場イタリアに於いても、オペラで歌われるイタリア語は聞取れないのが通説になっている。であるからして、今回の私のオペラの日本語が聞取れなくても当然なのです。”との見解を毎日新聞の氏のコラムに書かれておられたと記憶してます。

氏の見解は、適切なのでしょうか?

 私には納得出来ません!

なにしろ、デル・モナコ先生の歌われる言葉は全てハツキリと私は聞取る事が出来るのです。(勿論、ジーリ、ディ・ステファノだって!)

有名な指揮者のA.トスカニーニは、マリア・カラスを、“歌ってる言葉が聞取れない!”という事で、評価されなかったそうです。

なにしろ、A.トスカニーニは、プツチー二等の数々のオペラの初演を指揮された方ですから、観客に歌の言葉がハツキリ伝わる事を、大事にされたのだと思います。

初演に来られた観客は、今現在と異なり、オペラの解説書等も何も無く!その時初めて、そのオペラく歌芝居)を耳にするのですから、舞台で、何が歌われているのか理解出来なくては、途方に暮れてしまうのではないでしょうか?

(初演のオテツロを歌ったタマーニョの言葉も、はっきりしてます。)

ちなみに、デル・モナコ先生御夫妻は、マリア・カラスを、『芸術家』として尊敬されておられました。

 

 三枝成幸氏のおっしゃるように、“オペラの本場イタリアに於いても、オペラで歌われるイタリア語は聞取れないのが通説。”というのが、若しも、現在のイタリア・オペラ界としたら、二つの原因が、私には考えられます。

1)ヴェルデイ、プツチー二等のオペラは、100年にも亙って、何回も何回も上演されているので、観客は歌の言葉に耳を傾ける必要が無い!

 2)ビョルリンク(スエーデン)、マリア・カラス(ギリシャ)等、イタリア人以外の外国人が、活躍してきている!

イタリアでも、絶大な人気を得ていた、ビョルリンクでさえ、私が聞いても、とても不思議なイタリア語?と思う箇所があります。

何れにしても、今では、もうイタリア語を聞き取らなくても、十分楽しめる!?

 

 しかし、これ等の事は、イタリア・オペラの本質ではなくて、イタリア・オペラにとっては、悲なしい現象なのだと思います。

 

 

7 『トステイの歌曲を、日本語に訳して歌うと楽しい!』

 私は、昔、イタリア歌曲、ドイツ歌曲を聞きに、何度も東京文化会館に足を運びましたが、歌の意味もわからず、対訳書に首引きで、一度も楽しい事はありませんでした。

その後、テレビで、カレーラスが、トステイの歌曲を歌うのを聞きました。

そして、そのテレビの画面の下に、歌の直訳が表示され、カレーラスの歌っている意味が、歌とほぼ同時に理解出来てとても楽しく聞く事が出来ました。

 

 で、思いました、「トステイの歌曲を日本語訳で歌おう!」と。

でも、従来の日本語訳は破棄しました。(従来の日本語訳は、多分、歌唱法の問題?で、イタリア語と異なり、一音に対して一語しか付きませんから、原詞の意味が、十分に訳詞に入り切ってない為、殆ど原詞の意味が盛込まれていない別物の歌詞になっていましたので。)

私の歌唱には、「一音に対して一語しか歌えない!」という制約がありませんので、この制約に束縛されること無く、自由に、自分で(原詞の意味に近い)日本語訳を作り、歌いました。

 その結果、私は歌っていて、とても楽しくなりました。

友達も喜んでくれました。

(この私の歌を聞いて(?)発奮して、長年活躍してた新聞社を、その後の生活も考えずに退職してしまった中学時代の友人(今は幸いな事に、大学教授に収まりましたが)は、“宇佐美のトステイは絶品だよ!”と言ってくれます。

又、別の友人は、私の歌の会の会場で、初めて聞いて、“涙を堪えるのが大変だった。”と感激してくれました。)

 

 ピアニスタ内田光子氏の、“シユーベルトの『冬の旅』を日本の歌手と、いつか録音したい、但し、いくらドイツ語が流暢でも、長年ドイツで生活された方でなくては駄目!”との談話を読んだ記憶が有ります。

 

 私にとりましては、イタリア語が、一番生活実感が有る外国語ですが、でもやはり当然!?日本人である私には、日本語で歌う時が一番楽しいのです。

(たとえ、イタリア・ナポリの友人に、“宇佐美は、イタリア人以上にイタリア人!”と言われていても。)

ですから、トステイの歌曲以外にも、イタリア民謡、ロシア民謡、オペレッタのアリア等の日本語訳を自作して歌っています!

(特に、ロシア民謡は(トロイカ等云うに及ばず)、従来の日本語訳が、原詩とあまりに異なつているのにビックリしました!)

 

8 『歌詞が判らなくても楽しめる!』

 確かに、歌の意味がわからなくても、感激する場合もありましょう、声を、『言葉を出す事が可能な楽器!』と定義せずとも、『言葉は出せない通常の楽器と同じ仲間!』と定義しても、勝れた歌手の歌(スキャット?として?)は勝れた器楽演奏として楽しむ事が出来るでしょうから。

(なにしろ、トスカニーニも、オーケストラヘ常に『歌うように!』と指示されていたそうですし、モイーズは、勝れた歌手の歌を聞き込んで、それを彼のフルート演奏に取入れていたそうですし。)

 

 かって東京文化会館に出掛けて、若かったデイスカウの歌う『冬の旅』の第一曲目の出だしの軽く軟らかな声が、それ迄耳にしていた、日本の大大御所の『冬の族』の重く寵もった声とあまりに相違しているのに驚き……

又、シュワルツコップが、ドイツ語の一語一語の意味を丹念に歌い込んでいるのに、ただ、『なにやら美しい声だなあ〜』と、感じ入っていただけの昔が、勿体なくも思われます……?

そして、産経ホールの最前席で、バス・バリトンのホツターの歌う(吼号する?)オランダ人のアリアを聞き、『いつの日か、私もオランダ人の役を歌いたい!』と思った日をも懐かしく思い出します。

 

 そして、ドイツ語の意味を全く聞取れずに聞いていた、これ等の体験は、それなりに貴重な体験でしたが、やはり、ドイツ語が判ったら、もっともっと素敵な体験になったのになあ〜と思います。

(大学時代は、第二外国語で、ドイツ語を学んでいた筈ですが……、

 とわいえ、第一外国語の英語の実力からして、当然の結果!?)

 

 デル・モナコ先生、タリアビーニ、ディ・ステファノ、コレツリ、パバロッティ等のイタリアのテノールの歌の会は、当時イタリア語を全く理解してなかつた私にもスリリングでもあり楽しいものでした。

(とわ申しましても、言葉がもっと判ったら、もっと楽しいと思います。

でも、イタリア民謡を日本語に訳して歌う私でも、『オ・ソレ・ミオ』『カタリ・カタリ』は、イタリア語で歌う方が、とてもとても楽しいのです。)

 

 

9 『ジャズ的発音の日本語なんかありえない!』

 日本の女性ジャズ(?)歌手が、ヨドバシ・カメラのコマーシャル・ソングで、“カメラ”でなく“キャメラ’’と発音して歌っているのを、日本では、ジャズ的な発音として、かえって高く評価してしまうのですから不思議です。

そして、日本のロック(?)歌手が、“あにゃた〜にょ、みょいぇるゅてで〜〜”の如く、CMで歌ってても、これ又ロック的な日本語で通ってしまうのはいかがなものでしょうか?

 

 かって、なかにし礼氏に、当時芸大出のポピュラー(?)系の人気歌手が、“高い音符の所にある「か」の音が歌い難いからその部分の訳詞を変えて欲しい!”と依頼されたのに対し、なかにし氏は、“プロなんだから、文句を言わず俺の訳詞通りに歌え!”と言われたとの事。

おかしいですよね、その歌手が、高い音符の「か」の音が歌える程の声があったら、ポピュラー歌手にならずに、オペラ歌手になっていたと、私は思うのです。

 先の女性ジャズ(?)歌手も、この方と同様に、高い音符の「カ」の声を正しく発音して歌えないから「キャ」と歌っていただけで、本人は、それをジャズ的な日本語と意識して歌ってない筈だと思います。

そして、御本人達が、特に高い音での「力行」を正しく発音して歌えない事を一番、不満に思っておられ、「カ」を「キャ」と発音せざるを得ない御自分に腹を立てておられるのではないでしょうか?

(勿論、御本人が常に、声に対しての向上心を持っていたらの話ですが。)

 

 ですから、ジャズ的、ロック的な日本語などは存在せず、ただそれ等の歌手達が、口先、喉の力に頼って歌っているから、正確な日本語を発音して歌えないだけなのです。

 

 最近は、あまり歌う事もなく(?)、もっぱら男性顔負けの体躯を誇るテレビ・タレントとして活躍されてる女性ジャズ(?)歌手の方も、“迫力ある声で、ジャズ的な発音で、日本語を歌う!”と賞賛を浴びておられますが、先の御二人と同様に、“吠えて歌ってるから、日本語を自由に発音出来ずに歌っているだけで、それが日本人にはジャズ的、英語的と聞こえるだけ!”と私には思えます。

 おかしな日本語が、ジャズ的等と言われているのでは、ジャズの方、英語を話す方に対して、失礼なのでは?とも思うのです。

私が思いますのには、一般的に、アメリカ人の方が、日本人よりも、発音(発声)がきれいです。

 

10 『“オペラ的な声”にはダマサレル!』

 以前、NHK教育テレビでの、歌唱指導の番組(?)で、ポピュラー(?)歌手の尾崎亜美氏が、“私は、声の達人だからこ声に関しては、何でも出来るの!”と言われて、ものの見事に、『オペラ的な声』を出されました。

そして、同じくカラオケ教宰(?)の番組で、作曲家の市川昭介氏は、“私はオペラの声も出せるが、この声では演歌は歌えない!”と言って、又、見事に『オペラ的な声』を出されました。

 勿論、お二方が出された声は、一般的に日本に於いて貴ばれている、いわゆる『オペラ的な声』であります。

 しかし、その『オペラ的な声』とは、デル・モナコ先生達の声では決してありません。

ですから、その声では、御二方がおっしゃるように、ポピュラーも演歌も歌えません!

(いわんや、 “ポピュラーも演歌よりも、オペラ自体を歌う事が困難!”と、私は思っているのです。)

 

 しかし、この『オペラ的な声』の魔力は、とても強い物があるのです。

ある友人が、“日本人歌手による、日本語の歌の会を聞きに行って来た!でも日本語なのに何を歌っているのか、言葉がまるで聞取れなかった!それでも、“声は素晴らしかった!あんな立派な声、自分には絶対出せないもの!”と喜んでいました。

 

 勿論、私とて、この友人を笑えません。

なにしろ、随分と昔、当時最も人気の高かった日本人バリトン歌手の、文化会館の「空気」を「壁」を震わせる声に、大きな拍手を送り、NHKのイタリア歌劇で、ルーナ伯爵を歌う当時世界最高のバリトンのバスティアニーニに、もつと大きな声で歌ってくれれば良いのに!との不満を抱いていたのですから。

 そして、不思議な事に、その日本の人気バリトン歌手が、歌うイタリア歌曲は、とても聞き心地が悪く、日本の歌は、何を歌われてるのか日本語が全く聞取れないような状態でした。でも、私は拍手を送っていました。

 そして、今聞くと、バスティアニーニのイタリア歌曲は、とても魅力的で、誠に当然ながら、イタリア語は全て聞取れます。

 そうです「大きな声、朗々と響く声」に、私もだまされ続けて来たのです、“大きな声なら、デル・モナコ先生に負けないぞ!”とばかりに。

 

「全てを備えた結果としての、大きな声」と「声は大きいけど、他には何が有るの?の声」とでは、同じ「大きな声」であっても、全く別物なのでした。

 

 

11 『“オペラ的な声”が、“真の声”なら、何故、その“オペラ的な声”で、流行歌を(ハンド・マイク無しで!)歌えないのでしょうか?』

 数年前迄は、年末になると、『題名のない音楽会』では、NHKテレビの紅白歌合戦のパロディーとして、日本のオペラ歌手が、ハンド・マイクを片手に、例の‘‘オペラ的な声”で流行歌を歌ってました。

その歌(?)を演歌や、ポピュラー系の作曲家達が審査して、“誠に結構な声で歌って戴き、有難うございました。”

そして、“ベル・カント唱法では、演歌などの日本語の歌には剥いていませんね……”の結論に落着いていました。

勿論、当然、演歌や、ポピュラー系の作曲家達は、その日本のオペラ歌手達の歌には、感銘を受けなかったのでしょう。

感銘を受けていたら、その歌手達に、演歌や、ポピュラー系の歌を作曲し、レコーディングしたでしょうに!

 

 それから、“NHKホールの「壁」さえ震わす。”とさえ言われる、最高の人気を有する日本のソプラノ歌手も、演歌を歌う時にはハンド・マイクを使って歌われる事なのです。

 

 私は、とても不思議に思います。

“本来オペラ歌手たる者は、声の芸術家であり、オペラ自体、その中に色々な歌を含んでいるのですから、オペラ歌手は、どんな歌、どんなジャンルの歌であろうが、聞き手を感動させる歌が歌えなくては、おかしいのでは?”と。

そして、当然!その歌声も、ハンド・マイク無しで!

 

 ですから、私は思うのです。

“『オペラ的な声』は、『真の声』ではない!”と。

 

そして、若し前述の御二人(尾崎氏、市川氏)が、『オペラ的な声』でなく、『真の声』を獲得されたら、御二人の歌の世界が、もっともっと広がるのではないでしょうか?

 

 私は、デル・モナコ先生に教えて戴いた声で、ハンド・マイク無しで、流行歌を歌うと、私には、とても大きな歌の世界が広がって来て、とても楽しいのです。

出来ましたら、皆様も、御一緒にこの喜びを味わって戴けましたらと存じているのですが。

 

12 『「大きい声」と同様に、「美しい声」を出す事は、「結果」であって「目的」では駄目!』

 評論家の吉円秀和氏は、30年位前?イタリア・オペラ団に引続き来日したヴイーン国立オペラについて、氏の著書「オペラ・ノート」の中で、述べておられます。

“何と、この歌手達(ヴィーン国立オペラの歌手達)の大人であることか!彼等は、力まない。彼等は無理強いしない、自分自身にも、聴衆にも。

もともと、声の良し悪しでいったら、ドイツ人はイタリア人にかなわない。

しかも、ドイツ人は、イタリア人みたいに声そのものの美しさより、音楽的内容、アンサンブルの質の高さ、緊張の強さを重要視する。

つまりは、咽喉よりも、頭と心の芸術としてうけとる。”

そして、又、“イタリア語は、片言しかわからないが、”と御断りになられながらも、“ヴィーンの歌手達(フイガロの結婚とドン・ジョバンニを歌った)の、イタリア語の方が、イタリア・オペラ団のそれよりも良く聞取れた。”旨も書かれておられました。

 悲しい事に、イタリアの声の芸術の永い伝統の中で、徐々にその本質が、疎かになってしまったのでしょうか?

 ベル・カント(美しく歌う)の名の下に、只々、美声が「目的」と化してしまったのでしょうか?

本来は、喉等の無駄な力を抜き、無理強いせず、自然に歌う事によって、その歌声は、歌い手の心の動きにつれ、自由に空間を飛翔する、心の芸術となり、そして、「結果」として、その歌は美しく鳴り響いたのだと思います。

(但し、頭の芸術が、人を感動させるのかは、私にはわかりません。)

 

 テノール歌手達の色々のレコ−ド(CD)を開くと、ジーリの歌い回しに、皆似ています。

私は、不思議な事と思います!

本来は、喉等を楽にして歌う事によって、心の動きにつれて、歌い回しも「自然」と発生して来るのだと思います。

デル・モナコ先生のデビュー当時は、ジーリ全盛の時代で、“誰もが、ジーリを真似ていた。”との事。

で、デル・モナコ先生は、殊更、ジーリの真似を回避されたとの事です。

(でも、デル・モナコ先生は、ジーリを尊敬されておられました。)

 

 生前デル・モナコ先生は、おっしゃいました、“そこそこに、美しい声や、大きな声の歌手はいるけど、心ある歌を歌う歌手がいない!”と。

ですから(?)デル・モナコ先生は、私の面倒を見て下ださったのでした。

しかし、デル・モナコ先生の御存命中は、私の頭の中は、「美しい声」はともかく、「大きな声」が渦巻いておりました。

なにしろ、私は、“「大きな声」では、デル・モナコ先生に負けないぞ!”との、天狗の鼻をぶら下げて、デル・モナコ先生の懐に飛込んで行ったのでしたから。

でも、その私の「大きな声」は贋物だったのです、デル・モナコ先生は、私の『情熱』を可愛がって下ださったのでした。

そして、残念でもありました事には、この事実に気が付いたのは、つい最近の事なのでした。)

 

13 『発声練習を真面目に行え!しかし歌う時は、発声の事は全て忘れろ!そして、力まずに、話すように!(但し、疲れた喉で歌うな!)』

 デル・モナコ先生の(私への)教えは上記の2行に集約されます。

誠に簡単なようですが、この教えを実践する事は、私には大変な事なのです。

デル・モナコ先生の発声練習なるものは、体や喉等のどこをどうすりゃ良い!とかいう、小手先の訓練ではありません。

声が鳴り響くように、トコトン発声器官を鍛え上げる事です。

そして、歌う時には、これを全て忘れ!軽々と歌え!という事なのです。

 野球を例にとるなら、筋肉トレーニングを徹底的の行い、毎日素振り練習を何百回も行った上で、いざ試合となり、バツター・ボックスに入ったら、無心にバットを振れという事なのです。

(この時に、バッティング・フォームを考えていてはいけないのです、勿論決して力を込めてはいけないのです、力んではいけないのです。)

 

 ですから、栄光の長島選手の、グランド内での破天荒の活躍の陰には、ファンの目に見えない所での、汗まみれのトレーニングが隠されていた筈です。

 

 そして、車にたとえるなら、パワーのあるエンジンを搭載した車は、どんな場合にも、(エンジンに負担を掛ける事なく)余裕をもってのドライブは可能ですが、パワーの無いエンジンの車は?

そして、声の場合は、このハイ・パワーのエンジンは、徹底した発声訓練によつて得られるのです。

 

 ところが、世の中一般的には、「体のカを抜いて、楽に歌いましょう!」という事は、徹底されているのですが、肝腎の歌う前の、発声器官の大切な鍛練が為されていない!と私には思えるのです。

鍛練なくして、力を抜いたら、その歌声は、腑抜け声になってしまいます。

その歌声に、心が乗れるのでしょうか?

(しかし、日本では、この腑抜け声を、“無駄な力が抜けた理想的な声”と、もて囃しているようですが。)

理想的なフォームさえ獲得すれば、我々が、ゴルフ・クラブを軽く振って、青木、尾崎、中島等を、オーバ・ドライブ出来ると思う様なものではないでしょうか?

(彼らは日ごろ我々にはとても近付けないほどに体を鍛え抜いている筈です。)

 以上を考慮される事なく、“デル・モナコの声は、確かに凄いが、それは、彼の喉が並外れて強いからであって、彼の発声は、喉に力を入れた強引な発声で、正規の発声でないから、なにびとも、彼の発声を真似したら喉を壊してしまう!”等という評価がまかり通ってしまうのは、とても残念な事です。

 

 喉に力を入れて声を出して、声が鳴り響きますか?

歌う際には、喉の力を抜く事から、全てが始まるのです。

発声器官に対する意識が無くなった時点で、心のままに歌が響きのある声に乗って飛んで行くのです。

ですから、歌い手の心が貧しければ、その歌も貧しい歌となってしまうでしょう。

は、頭も貧しければ、臨機応変な、機知に富んだ会話のようには行かないでしょう!

なにしろ、歌は、話すように歌うのですから。)

喉が自由であればある程、歌は歌い手の心(頭)を明確に反映するでしょう。

従って、デル・モナコ先生が、ディ・ステファノのように歌えないのでなく、デル・モナコ先生の歌が、ディ・ステファノの歌にはならないのです。

御二人の心がまるで違うのです。

(ここで、項目を改めて、デル・モナコ先生の教えに就いて書き続けます。)

 

14 『デル・モナコ先生の自制心あってこそ守れる、「教え」。』

 夜は早く寝て、朝早く散歩する、節度ある生活を送るデル・モナコ先生は、ある朝、ホテのロビーで、ディ・ステフアノに出会って、毎夜遊び好き(いわゆる人気テノール歌手の生活そのもの)の彼が、生活悪度を改めたのかと思い、散歩に誘うと、“冗談じやない、今遊びから帰ったばかりで、これからベットに入るのだ!”と別れて行ったとの事なのですから。

(御二人の心が、歌が、同じであろう筈がないのです。)

 そして、この「節度ある生活」を送られたデル・モナコ先生だからこそ出来た事が、『疲れた喉では、歌わない!』なのです。

 どんなに、日頃、発声器官を鍛えていても、それが疲れていては、十分な機能を果たしてくれず、声を出す際、喉等で「力み」が出てしまいます。

デル・モナコ先生は、全盛期に於いてさえ、各公演の間は、必ず三日以上休養を取り、その間は、話し声を出す事さえ慎まれたとの事です。

(そして、日頃の会話に於いても“話し声は、歌う場合よりも、喉に負担を掛ける!”とのデル・モナコ先生の持論に基づき、ファルセットによる会話を多用されておられました。

この「ファルセットによる会話」は、マリオ・デル・モナコ全集の、『マリオ・デル・モナコ/わが歌と人生を語る』のレコード(CD)にて、随所に御聞き頂けます。)

 

 そして、このデル・モナコ先生の喉への配慮は、私のレッスンに於いても、厳しく実施されました。

サラリーマンだった私の短い夏休みを利用しての、レッスン期間中でも、私へのレッスンは、中三日の喉の完全休養の下で行って下さいました。

(たとえ、“翌日、帰国しなければならないので、今日もレッスンを御願いします!”と懇願しましても、“ダメ!昨日レッスンしたのだから、喉を休めなさい!”でした。

強欲な私は、“明日帰国するのだから、今日少し位喉が疲れたって、帰りの飛行機の中でも、喉の疲れは取れてしまう。それより、又、来るのが大変なのだから、今日のレッスンで疲れたって!?”と思ったのですが。

 

 一方、日頃、レッスン時には、私に対して、とても厳しかったデル・モナコ先生の奥様は、“宇佐美は、はるばる日本から来て且つ滞在日数が少ないのだから。”と、毎日でもレッスンして下さいました。

時には、朝に発声練習を見て下ださって、夕方は、歌のレッスンをして下ださったり、帰国の日の朝レッスンして下ださり、夕方、奥様のもとに帰国の挨拶に行くと、私が乗るバスが来る迄、又、レッスンして下さいました。

 しかるに、喉に対しては、とても厳格なデル・モナコ先生は、日頃はとても御優しく、レッスンの際にも、私は一度も怒られた事は有りませんでした。

ですから、レッスンの際、“いつまでも旨く歌えないなら、宇佐美は、もういい加減にテノールでなく、バリトンの練習をしろ!あまり言う事聞かないなら、荷物を窓から、放り出してタタキ出すから!”と、奥様に怒られたりする度にデル・モナコ先生の膝の中へ、“マエストロ!”と泣付いて行くと、デル・モナコ先生は、“よしよし、宇佐美!お前の喉は、今日は疲れてるんだよ!”といつも優しく慰めて下さいました。

 

 しかし、普段はとても厳しい奥様も、私が旨く歌った時は、涙を流して喜んで下ださったものでした。

そして、デル・モナコ先生が亡くなられても、“私の主人は、天国で、お前の声を開いているし、いつも、お前を守っているよ!”と、力付けて下ださったのでした。

 

15 『急がば、回れ!』(疲れた喉では歌わない!)

 御優しく、且つ、厳格な御二人が、天国へと旅立たれた後は、私、一人で、練習してますと、『疲れた喉で歌わない!』の教えを守る事が、全く出来ないのです。

日々、歌う機会の無い私は、“なんとか歌う機会が欲しい!”、“どなたかに私を認めて戴きたい!”との思いで、自分の歌のデモ・テープ作りに励みますが、その完成を焦る為、連日その録音に励みます。

そして、焦れば焦る程、喉の休養を取らなくなります、ですから、尚の事、満足の行くテープは出来ません。

それでも、オペラ・アリアを録音したテープが、まがりなりにも完成すると、日本歌曲のテープの録音、次は、流行歌のテープ、そして、トステイの歌曲、イタリア民謡、ロシア民謡、オペレッタ・アリアと、これ等何本ものテープの録音の完成には、数ケ月が過ぎてしまいます。

 

 そして、嬉しい事に、その間に、私の声は、進歩します。

ですから、デモ・テープの録音も、振出に戻ります。(又、全テープの再録音)

で、尚の事、私は焦るのです、で、尚の事、喉に休養を与える事無くデモ・テープの録音に没頭してしまいます。

 

 このように毎日、録書録音と気が焦っていますと、肝腎な発声練習が出来なくなります、なにしろ、発声練習をしますと、喉がとても疲れますから、デル・モナコ先生の教えに従って23日は、喉に休養を与えないと、歌えなくなってしまいますので、大事な発声練習をなおざりにしてしまいます。

 

 かくして、凡人の私には、『発声練習を怠らず、そして、疲れた喉で歌わない!』の、デル・モナコ先生の「教え」を守れないのです。

『急がば、まわれ!』で、『真面目に発声練習を行い、十分に喉に休養を与えて、録音すれば、デモ・テープの完成も早く、且つ、私の声も早く大きな進歩を遂げる事が出来るのです!』

なのに焦ってしまうのです。

 

 デル・モナコ先生は、喉の休養の3ケ日は、ずっと部屋に閉じ篭ったままでしたから、“私は、歌の為に、人生の23は犠牲にした!”と、おっしゃられる位に、克己心の強い方でしたからこそ、あのデル・モナコ先生独特の歌唱芸術が生まれたのだと思います。

 

16 『モナコの声が、おのずから音の壮麗な建築をつくり出す。』遠山氏評

 

19821016日に亡くなられた、デル・モナコ先生について、同年1025日の毎日新聞の音楽時評にての、評論家遠山一行氏の一文を、ここに抜き書きさせて戴きます。

“モナコをきいたことは、私にはひとつの事件だったといっていい。その事件のなかで、音楽に対する私の考えは確かに変わったのである。演奏家によってこういう経験をするのは、指揮者のフルトヴェングラーとピアニストのコルトオの場合だけである。

 フルトヴェングラーとコルトオは、ヨーロッパ留学のはじめ頃にパリできいたが、モナコは、その留学から日本に帰った直後である。確かNHKの招へいによる二度目のイタリア・オペラの公演の時だったが、モナコはヴェルデイの「オテロ」でオテロの役を歌った。第一幕ではじめて彼が登場し、その第一声が場内にひびきわたった時に、私は文字通り驚嘆し、そして━━正直にいわせていただければ━━何か大切なことが一挙に明らかになったような気がしたのである。

この時きいたモナコの声の印象をここでうまくいいあらわせるとおもえないが、それはただ美しいというものではなかった。ただ美しいだけなら、もっとほかにすばらしい声の持ち主がいくらでもいる。たとえば、戦後の最高のリート歌手であるフィッシャー=ディスカウの若い頃の声━━私は彼を1950年代のはじめ頃にきいたことがある━━は、最上の品質の絹の感触のような、なめらかさと丸さと潤いをもっていて、本当に美しかった。

 モナコの声はそれとは明らかにちがう。何よりも輝かしく、そして強くはりつめている。美しいと感じる前に圧倒される。フィッシャー=ディスカウの声の美しさは、その先に音楽のもっている内面の世界を予想させるが、モナコの声は、ほとんど自立した自然のように私共の前に立っている。

 それは、まるで最高の大理石のように堅牢であり、私共はその磨かれた表面に何かを描くことなどおもいつかないだろう。完璧な素材の表面が、表現という奥行きの世界を拒否するのである。大理石という見事な教会の伽藍をつくりだすように、モナコの声が、おのずから音の壮麗な建築をつくり出す。ヴェルデイの天才も、この素材の力に謙虚に従って協力しているように見える。

 イタリアのオペラというのは、こうした素材のカヘの信頼の上に立つ芸術である。素材が素晴らしければ、音楽家はそれをますます磨くよう努力するだけである。演奏家━━クラシックの音楽の━━が徹底した技術の錬磨にむかうのはそのためだし、オペラがマイクロフォンという仮構の世界を拒否するのも同じことである。ポピュラー音楽があくまで表現の世界を追求するのに対して、クラシック茜楽は素材のもつ自然の力をはなれることはできない。はなれてはいけないのである。

 モナコの声が教えてくれたのは、そういうことだった。言葉にしてしまうといかにも理屈っぽいが、その声が教えてくれたのは、もっと直接な確信のようなものである。

 フルトヴェングラーやコルトオの音楽に感動したのは、それにくらべれば、もっとはるかに芸術の表現のカに属することである。コルトオの音は本当にすばらしかったが、その純粋さはモナコの声に及ばない。ロマン主義という近代の歴史をくぐりぬけてきた彼らの音楽は、もっとはるかに複雑な精神的いとなみのなかで表現の世界の追求にむかうのである。イタリア・オペラは、そうした歴史の外で、音楽の古典性を支えている。モナコの声は━━私には━━その象徴だった。

 モナコの死とともに、果たしてひとつの時代が終わったかどうか。それは、私共の時代の音楽家たちの仕事によってきまることである。私は周囲の音楽の変化を感じながら、イタリア・オペラの伝統的な美を楽しんできた。



 この遠山氏の評論は、デル・モナコ先生に対しての評価として、私が目にする事が出来た最高の文章と私は思っております。

(ですから、私は、今もってこの新聞の切抜きを大切にファイルしてます。)

でも、デル・モナコ先生は、デル・モナコ先生の声が“黄金のトランペット”と称えられた事と同様に、氏の評価を心底から御喜びになられるでしょうか?

 

 今の時代、お金を積めば誰でも “黄金製のトランペット”を手にする事は可能でしょう。(現に、ランパルは、黄金のフルートを吹かれた筈ですし、ゴールドウェイも?)

 

 先に書かせて戴きましたように、デル・モナコ先生は、歌う際は、“発声の事は全て忘れて、喉を全く自由にされて、話すように!”歌われておられるのですから、“モナコの声が、おのずから壮麗な建築をつくり出す。”というにとどまらず、“デル・モナコ先生の声の存在のもとに、デル・モナコ先生の心が、おのずから壮麗な建築をつくり出す。”のだと、私は、思います。

でなくては「デル・モナコ先生はて“そこそこの声はあっても、心ある歌手がいない!”と御嘆きにならなかったと、私は思うのです。

 

17 『日本人の話し方が問題なのだ!』

 デル・モナコ先生の「教え」の、『話すように歌え!』という事が、私には大変難しかったのです。

“発声訓練をした後に、発声を全て忘れ、喉を自由に、話すように歌え!”との、デル・モナコ先生の「教え」に従って、デル・モナコ先生の前で歌いますと、デル・モナコ先生と、奥様の、“宇佐美!駄目!駄目!”の声が飛んできました。

そして、デル・モナコ先生はおっしゃいました、“宇佐美は、発声練習では完璧なのに、何故歌うと駄目なのだ?いっその事、歌でなく発声のコンサートでも開いたら良いよ!”と、私をからかわれたのでした。

 

 そして、デル・モナコ先生が、この世を去られた後のある日、奥様は、日米(?)合作の映画(『将軍』:イタリア語への吹替え無しで、(三船敏郎はじめ)日本語のままで放映された)をテレビで見た後、“何故、宇佐美の歌が、なかなか上達しないのか、判かったよ!日本では、日頃、あんなにも酷い話し方をしているだものね!”と、おっしゃいました。

 そうなのです、愛情込めてデル・モナコ先生郷夫妻が、私に発声訓練して下ださっても、いざ歌う段になって、“発声の事を全て忘れて話すように!”となりますと、もう何十年も私に染み込んでしまった、いわゆる日本人の喉声が顔を出してしまうのでした。

 

 デル・モナコ先生が亡くなれた後、奥様とのレッスンの結果、私の話声自体も変わってきました、イタリア語だけでなく日本語も、母へ電話すると、母は私の話声が、あまりに変わったのでびっくりしていました。

当然、歌も進歩しました。

 奥様と、御別れして日本に帰って知人に電話すると、“宇佐美君!風邪ひいてるの?”と、知人はケゲンそうに尋ねられました。

しかし、この声も、日本で生活していると、いつの間にか、失われてしまいました。

デル・モナコ先生御夫妻の御指導の下では、12週間で取戻せる声も、自分一人の力では、ほぼ10年掛りました。

 

 日本での日々の生活の中、テレビを見ていると、かってデル・モナコ先生の奥様が、腰を抜かす程驚かれた、あの声(喉を詰め、押し殺した声!)が、なんと満ち溢れている事よ!です。なんとその上、その声が日本では、「魅力ある声、美声」と言われているのです。

 

18 アナウンサー(特にNHK)、ナレーター、声優、俳優、歌手等々……

 最近の日本のテレビは、外国映画は吹替えで放映され、しかも特定の外国の俳優に対して、声が似ているという事で、特定の日本の声優が吹替えを担当しています。

しかし、日本の皆様は、“「声」が似ている!”と御思いのようですが、似ているのは、「声」でなく「声色」なのです。

例えば、ドスの利いたテリー・サバラスの声を、担当するK氏の声は、声色はそつくりですが、本物は喉に力を入れない響きの有る声に対し、吹替えの声は喉声のダミ声です。

 

 かって、永六輔氏が、“外国の女性は低音なのに、日本の女性の声は高くてなにか可愛い女性を演じているようで、不自然である!なのに、数人のNHKの女性アナウンサーは低音で素晴らしい!”と話されたように記憶していますが……。

でも、その女性アナウンサーは、その声で歌えますか?

逆に、永六輔氏が不自然!と思われる、高い声で話されている女性(民放の女性アナ)の方が、その話声のままで奇麗に歌えると思いますよ。

私には、高い声で話されてる女性の方が、自然に聞こえます。

低い声で話される女性は、自らの感情を押し殺しているように聞こえます。

この「自らの感情を押し殺した声」が、日本では貴ばれているようですが?

高名な俳優のE.T氏は、この「自らの感情を押し殺した声」で、(喉を押し潰した声で)、テレビのナレーションをおやりになっていますよね。

そして、多分?芝居の時も同じ声なのでしょう?芝居されてる時期にテレビ出演される場合は、喉は疲れてガラガラ声になられていますもの!

でも、同じ俳優さんでも、H.M氏の声は、とても自然に響いておられますよ。

 

 それから、アニメの戦艦ヤマト(?)の吹替えをされるS.T氏は、吹替えの声も素敵で、テーマ・ソングもS.I(or K?)氏によって、吹替えの時と同じ、素敵な声で素敵に歌われていたと思います。

そして、S. I(or K?)氏のような素敵な声の方に、テレビの中で何人かに御目に掛らせて戴いております。

 

 それでも、私の素敵という声は日本本来の声でない!と、おっしゃる方もおられると思いますので、次の項も書かせて戴きましょう。

 

19 『日本の歌といえど、その伴奏は今では、ピアノ、オーケストラ等、西洋の音ですよ!』

 ここ迄、御読み戴きましても、“日本には日本独自の声の出し方が有る!”と、おっしゃる方がおられると思いますが、“日本独自の声!〃とおっしゃっても、日本で歌われる歌、ジャズ、ロック、ポピュラー系は当然として、流行歌、演歌、日本歌曲等の伴奏の音が西洋の音なのに、“声だけは、絶対に日本独自の声!’’と言われるのでしょうか?

私には、とても不思議です!

 

“日本の文化は、外国文化との混在の文化なのだ!だから、伴奏は伴奏!声は声!西洋と日本独自の物の混在こそが日本史化なのだ!”とおっしゃるのでしょうか?

でも、「日本独自の声!」とは、どういう声でしょうか?

日本人の素敵な話声とは?鼻声、ダミ声、シワガレ声等ではない筈ですよね。

(しかし、この鼻声を、どうやら日本人は御好きなようですね、なにしろ、サユリストなるファンを有する女優さんは、立派な鼻声ですものねえ……)

 

 とは言いましても、伴奏のオーケストラが微妙なニュアンスの音を出しているのに、声がそれに応じる事が出来ないのでは、伴奏のオーケストラは、欲求不満になり、怒り出すか、泣き出すかしてしまうのではないでしょうか?

 

 それに、今迄同様にいつ迄も、4畳半、6畳の部屋 (大形)テレビを楽しんでいるのなら、NHKのアナウンサーのように押し殺した声、響きの無い声で結構かもしれませんが、日本の家も変化して、大きな部屋になってゆくと、響きの無い声だと、テレビのヴォリュウムを一杯に上げないと聞取れなくなってしまいますよ!

ですから、生活空間の変化と共に、日本人の話声も当然(徐々ではありましょうが)変化して行くのではないでしょうか?

 

 科学技術が、西洋を追ったように、生活様式も、そして生活空間も、西洋を追って変化して行くのではないでしょうか?

ですから、当然?議声もそのように変化もするのではないでしょうか?

そうしましたら、歌声は?

 

20 『私には、「日本のベルカントの声」より、「雅楽の声」の方が、「デル・モナコ先生に教えて戴いた声」に近いように聞こえるのです。』

“日本人は、あくまでも日本人であって、旦つ、日本語は外国語とは違うのであるから、デル・モナコの声を尺度に、今の日本人の話声や、歌声がおかしい!など言う事自体がおかしい!”とおっしゃられる方が、多いと思いますが、前述しましたように、歌の伴奏は西洋の音ですし、又、テレビの中で、少なからぬ方が、喉声でない素敵な声で表されておられるのです。

 

 そして、驚きました事に、NHKFM放送を目覚ましに使っていました時に感じたのですが、土曜の朝に耳にする、NHKオーディションに合格された方のベルカント(?)による歌よりも、翌日の日曜の朝に聞かせて戴く邦楽の方の歌声の方が、デル・モナコ先生に教えて戴いた声に近いのです。

(能の発祥は14世紀、オペラのそれは、16世紀?)

なにしろ、「謡」は、能面越しにも客席迄声を飛ばさなければならないのですから、体を十分に使った、しっかりした声(口先だけでない声)である必要があると思います。

以前、NHKの「能についての講座(?)」にて、講師の方が、“能に於ける独特の前屈みの姿勢は、舞台での動きの際、足の運びにつれて頭が上下しない為に必要とされているのです。”と。

でも、“頭が上下しない動きの為なら、膝を常に少し曲げてる丈で十分ではないか?おまけに、袴の中で、膝を曲げていても、袴に曲げた膝は隠されて、客席からもわからないでしょうし!”

(それとも古来の足の運びの伝統は、膝は曲げてはイケナイのでしょうか?)

で、その姿勢は「動き」と共に「発声」の為の姿勢ではないのでしょうか?

それは、「前屈み」でいる事によって、「常に、下半身に力が入る状態にしている!」のではないでしょうか?と、私は思いました。

 

 それから、『謡人結節』について思うのです。

「謡」の方は、激しい発声練習によって、一度喉を漬す事によって、一人前の声を獲得すると聞いた事がありますが、これは、喉を潰してしまったら、いわゆる日本人の喉声は出てきませんので、なんとしても体を使わなくてはならなくなります、そして、その結果、「喉声でない!体を使った声!」を獲得されるのではないでしょうか?

 

 森進一の、話声は殆ど聞取れず、聞き苦しいのですが、(この声では歌えないので、)止むを得ず?体を使って歌う声を獲得して、その声で歌うので感動を与える事が出来るのでは?

以前、テレビで、“森進一の歌う『影を慕いて』は、感動を与えるけれど、オペラ歌手のそれは、感動を与えてくれない!”と言う事で、御二人の歌声の波形分析等を行って(とても不思議な理由付けを行って!)おりましたが、ここ迄言かせて戴いた今、私が申す必要もなく、(ましてや波形分析等する必要も無く)皆様には、御二人の相違がどこにあるか、御判り頂けると存じます。

 

 そしてNHKテレビでかって団十郎が襲名の前に、種々のトレーニングをやり直している場面が映されましたが、発声のトレーニングは、デル・モナコ先生のそれに近いものがありました。

なのに、日本の声と、デル・モナコ先生の声とが、どこで違ってしまうのでしょうか?

 

 それは、日本の伝統芸が行われた空間(初期には、社寺の境内、掛け小屋)が響きの無かったのに対し、オペラ劇場は、石造りであった為、十分な響きの有る空間であった事に有るのでしょう。

 どんなに小さな声でも、響きの有る声は、響く空間では、遠く迄飛んで行けますが、響かない空間では、その力を失っていまいます。

ですから、オペラ劇場では、響きの有る声が重要視され、日本では顧みられなかったのではないでしょうか?

 

 そして、デル・モナコ先生の『疲れた喉で歌うな!』の「教え」をなかなか守れない私は、喉の疲れによって、先ず、歌の軽やかさ(小さな声の響き)を失います、(ですから、当然、話声も苦しくなります、)でも、大きな声(決して美しくはありません)を張る事だけは出来るのです。

 響きの無い空間では、小さな声(響きが有っても)は消され、大きく張った声がカを発揮するのでしょう、ですから、『謡人結節』となっても支障がなかつたのでは?

 

 そして、私自身も、あまり疲れた喉で無理していると、『謡人結節』が出来てしまい、いつも疲れた喉で歌っている状悪になってしまうでしょう。

ですから、デル・モナコ先生の「教え」を守り、ある時は、軽ろやかに空を舞う事も出来、又、ある時は、力強くもある、自由闊達な声で歌いと念じているのです。

そして、歌同様に、私の話声も、そうありたい!と念じているのです。

そして、いつの日か、この思いが、皆様に御理解戴けましたらと、念じているのであります。

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