私が童謡(日本の歌、流行歌)を歌うのは
1994年9月7日
宇佐美 保
1 『童謡は、聞き手を幼い頃へと誘ってくれる。』
本来は、子供が歌う為と思われる童謡が、大人にも好んで聞かれています。
この一つの理由は、童謡を聞いていると、その童謡を歌っていたの幼い頃へと聞き手を誘ってくれる効果があるのだと思います。
この効果を童謡が発揮するのには、その童謡が美しく(又、上手に?)歌われる必要はありません。
なにしろ、聞き手は、その童謡の一節を聞いただけでも、『条件反射的』に、聞き手の頭の中で、幼い頃に歌ったその童謡が自然に流れ出すのでしょう。
そして、聞き手自身の心が、聞き手の歌を歌い出すのでしょう。
ですから、この時は、その童謡は、聞き手自身が『条件反射的』に、歌い出すのを邪魔しないように歌われている必要があるのでしょう。
先日、友人の家を訪ねた時、童謡のCDを掛けてくれました。
その童謡の歌い手の出す日本の歌系のCDは、全てベストセラーになっているようです。
そして、その童謡のCDは、二人の会話中、いわゆる美しい声で流れていたのですが、私達の会話を全く邪魔する事はありませんでした。
このCDを一人で聞いていれば、優しく童謡の世界に誘ってくれ、幼い頃、美しい景色も目の浮かんできて、聞き手の脳の中に、多量のβくベーター)波を発生させてくれるでしょう。
そして、このCDの購入者は、全て満足されるのではないでしょうか?
でも、別の歌い方で、私は歌いたいのです!何故?
2 『童謡の作者は、大人である!』
作者は童謡に、多くの、種々の思いを込めて作ったのでしょう!
私は、その作者の(ある時は私の)思いを歌いたいなあ!と思うのです。
時には、子供となり、動物となり、ドングリになり、子供に語り掛ける母親となり、親となり……
しかし、余りに作者の思いを込めて歌いますと、聞き手の心に深く入り込んで、聞き手の心を撹乱して、聞き手のβ (ベーター)波の発生を邪魔する事になるかもしれません。
そして、多くの方が、“やはり童謡は、YSさんのCDが良いわよね!”とおっしゃるのかもしれません。
この事は童謡のみならず、昔の日本歌曲についても同じ事となるでしょう。
昔歌われた日本歌曲を耳にすると、聞き手は、童謡の場合と同じように、その歌を歌っていた、幼い頃、若かった頃に、誘われて行くでしょう。
そして、聞き手も一緒に、自然に、歌い出すでしょう。
ですから、聞き手が聞慣れた歌い方、又、聞き手自身が歌っていた歌い方以外の歌い方には拒絶反応が働くかもしれません。
(勿論、この事は、古い流行歌の場合にも当て嵌まるでしょう。)
それでも、私は私なりの歌い方、私なりの歌の世界を歌いたいのです!
3 『声が進歩すればする程に、歌の世界が広がる!』
デル・モナコ先生の(私にとって)衝撃的な“衣装をつけろ”を聞く迄も、又、聞いた後も、私が、今になって童謡、日本の歌、流行歌を歌うようになる等とは、私自身思いもよらない事でした。
デル・モナコ先生の『衣装をつけろ』を聞いて、“デル・モナコ先生のように歌いたい!”と思っていた頃は、只々、「強烈な大きな声」にのみ憧れていたのですから、童謡等全く意識の中にも外にも有りませんでした。
(勿論、それ以前も、歌った事すら有りませんでした。)
しかし、最近デル・モナコ先生の“教え”の御陰で私の声が進歩してきますと、色々な歌が歌いたくなってくるのです。
そして、喉が自由になればなる程、歌っているうちに、歌の世界がどんどん広がって行くのです。
この事は、全く自然に行われるのです。
ですから、歌っていると(思い上がりと御思いになる方も多いでしょうが)、“あれ!この歌は、このように歌われたかつたのかなあ〜知らなかった!”との発見の連続になるのです。
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