2018.1.5
宇佐美 保
先の拙文《貴乃花親方を支持します(1) 》を、大鳴門親方の遺書的存在となってしまった『八百長 旧版第1刷発行:1996年5月10日 復刻新版発行:2011年3月10日 発行所:株式会社 鹿砦社』を引用させて頂きつつ続けます。
NHKは、貴乃花親方を相撲解説者から早々に下したそうですが、残った「北の富士さん」、「舞の海さん」の現役時代はどうだったのでしょうか?
『八百長』の10頁以降の記述は次のようです。
一章 八百長密議 外を北風が吹き抜ける、昭和45年初(1月)場所前。浅草の料亭『おきみ』に、当時の北の富士(元・陣幕親方、現NHK解説者)と北の富士の名古屋後援会副会長で相撲界の闇将軍として君臨した橋本成一郎氏(故人)。そして私・高鉄山と栃王山(元・清見潟親方=廃業)、四季の花(廃業)、龍虎(廃業)、陸奥嵐(元・安治川親方=廃業)の面々が集まった。 テーブルに酒・肴が並び、コップにビールがなみなみと注がれると、全員で、「今日は我々の記念すべき日だ。これからも一枚岩となってがんばろうではないか」 橋本さんの音頭で乾杯。後は各々が兄弟盃を交わし、結束を誓い合った。 北の富士と橋本さんが兄弟分、私と栃王山が若衆、四季の花、龍虎、陸奥嵐が舎弟として、ヤクザと同じような儀式を行った。この席で、 「今場所が勝負だ。俺たちの手で、北の富士を是非横綱にしようではないか」 橋本さんが音頭をとり、一同に語りかけた。 「そうだよ、今場所を逃したら、北の富士関も横綱になれる見込みがなくなるから、みんなでがんばろう」 …… 私たちは初日から連続で注射(八百長工作)に走った。初日、2日目、3日目、4日目と、私たちの努力が実り、北の富士は白星を重ねていったものの、6日目に出羽海部屋の福の花(関ノ戸親方)に、『突き倒し』で1敗を食らってしまった。 …… 千秋楽の相手はただ1人2敗で、1敗の北の富士を追う玉乃島(後の玉の海。現役中に死亡)。もし北の富士がこの一番で玉乃島に負け、優勝決定戦に持ち込まれてしまっては、とても優勝の目はない。 当時、実力的には玉乃島の方がはるかに上だった。ガチンコ(八百長工作をしない真剣勝負)でいくと本割りで負け、決定戦でも負けて優勝をさらわれてしまう。玉乃島は前々場所の秋場所に優勝したが、前場所の九州場所では10勝で横綱昇進を逃しており、今回13勝2敗で準優勝なら、昇進の可能性もある。 玉乃島に関しては、それなりに説得できる自信があった。前場所の九州場所で北の富士が13勝2放で優勝したのも、千秋楽の玉乃島戦で注射の話をつけていたからだ。 九州場所の千秋楽。玉乃島が北の富士に勝っていれば、年間最多勝記録を樹立できたにも関わらず、玉乃島は、 「わかった。北関が優勝することに協力しますよ」 打ち合わせ通り、千秋楽、北の富士の優勝のかかった一番で、実力的にはずっと上の玉乃島が『外掛け』で北の富士に負け、優勝の美酒をプレゼントしている。…… |
如何でしょうか?
驚きませんでしたか!?
更に、42頁では、
■橋本成一郎氏の証言 「北の富士は、クンロク大関といわれた時代、テイチクレコードから力士で初のレコードを出すというので、場所中だというのに向島の料亭で一晩中芸者をあげて騒ぎ、その足で国技館に向かったことがあります。自分では横綱なんかになれる器じゃないと思っていたようで、私に、 『成ちゃん、あんた期待してくれているようだけど、俺は横綱になれるような器じゃないから、ごめんね』 といわれたこともあります。そのとき私たちが、 『28歳までに横綱にしてみせるから、信用しておけ』 といったんです。大関に昇進したときも、千秋楽で玉乃島に星を借りてようやく10番にして、昇進できたくらいでしたから……。8勝、10勝、10勝で大関にしてしまうんだから、今のように厳しい規定があれば、万年大関候補崩れのエレベーター力士で一生を終えていますよ」 |
では、舞の海さんの現役時代はどうだったのでしょうか?
203頁は次のようです。
舞の海、旭道山、智ノ花のような小兵力士は、土俵を動き回るのでわかりづらいが、勝っても負けてもガチンコでは相撲時間が長くなるから、見ていればよくわかる。
舞の海は2日目の貴乃花戦で、立ち合い、左下手を深く取り、十分になった後攻め切れずに押し潰されて負けた。この一番では、21秒もかかっている。 舞の海のパターンは、勝ち越すと来場所のために星を売ることが多い。貯金を持って下に落ちて、勝ち越して上に上がる。舞の海のような学生出身力士たちがよくやる手だ。これをやらないのは武双山と土佐ノ海、十両の久島海ぐらいだという。 …… 千代の富士時代にはやらなかった明大出身の栃乃和歌も、怪我が多くなり、幕内に少しでも長く残るためにやむをえず注射に染まってしまったと聞いている。 舞の海のように誰とでも注射をやる力士もいるし、借りた星を別の学生出身力士の力を借りて返すというパターンもあるようだ。 |
では、現在の相撲協会の八角理事長(元横綱北勝海)は、134頁では次のようです。
■橋本成一郎氏の証言 「北の富士がいうには、千代の富士は北勝海に絶対に横綱にしてやるからな……と断言していたようです。……」 そして小錦が大関昇進を決めた場所(昭和62年夏場所)の前3場所、千代の富士は小錦に3連敗している。このときは板井や逆鉾(井筒親方)が協力して奔走し、小錦を大関に昇進させたのだ。星を見るとわかるが、3場所とも小錦は北勝海に負けて千代の富士に勝っている。 話のもっていき方としては、 「北勝海を横綱に昇進させてくれるなら、千代の富士の星を回してやる」 「横綱に勝つことが大関取りには有利だ……」 ここ一番で固くなってしまう小錦は、千代の富士が大関昇進のための援護射撃をしてくれると考えたに違いない。板井たちも協力したようで、このときは両方の力士のいる高砂一門の若い弟子が中心となって動いた。 小錦の大関、北勝海の横綱の同時昇進は計画通り見事に運んだ。この場所、小錦はガチンコでも強かった。大乃国と益荒雄(阿武松親方)には負けたが、栃乃和歌(竹縄親方)、両国(中立親方)、花乃湖(廃業)に勝ち、北勝海に負けて、千代の富士に勝って、12勝3敗となった。 |
更に122頁です。
橋本成一郎氏の証言 「北勝海は注射が嫌いだったといいますが、千代の富士に利用され、地位が上がっていくに従って、その地位を維持するためには注射をするしかなくなってしまったという話を若衆から聞いたことがあります。 |
それでは相撲協会に残る方々はどうなのでしょうか?
55頁以降には次の記述を見ます。
当時注射相撲をほとんどやらなかった力士で協会に残っているのは、大受、大潮(式秀親方)、富士櫻(中村親方)、出羽一門の義ノ花や鷲羽山といった力士くらい。おかしなことに、こういった正統派の親方たちは、どうしたことか協会に残ってはいるのだが、要職にはついていない。清国も自分からは星を買わなかったし、断るようなこともあった。しかし現在の彼の立場はと見てみると、理事を落とされてしまったのだから不遇といわざるをえない。 同じように八百長をやっていた力士でも、受けるのが好きな力士と受けさせるのが好きな力士では、どうしても評価が変わってくる。将来の理事長候補といわれている北の湖は 受けるのが好きだったため、敵も少なく、年寄になっても周囲の受けがいい。大鵬や千代の富士は買うことに専念して優勝回数を重ねたため、その実態を知っている親方衆もシラけたところがあり、協会の中でも敵が多いというわけだ。 |
では、今回、暴力沙汰で引退した日馬富士の親方で、協会理事を辞職された伊勢ケ浜親方(現役時代は横綱旭富士)の様子は120頁に次のように書かれております。
旭富士が2場所連続優勝をして横綱昇進を決めたとき(平成2年名古屋場所)、板井と逆鉾の指示でうちの若衆がかなり激しく動いた。両国(中立親方)、久島海(田子ノ浦親方)、安芸乃島、栃乃和歌(竹縄親方)ぐらいがガチンコで、残りは全部注射に走ったという。 1場所で1500万円は使っていたと、私のところの若衆が驚いていたこともあった。 一番高かったのは千秋楽で、千代の富士に勝った一番で、2000万円だったと聞いている。 |
このような状態ですから、210頁の記述は次のようになります。
……はっきりいって、注射が存在しなければ横綱や大関は簡単には生まれない。ガチンコで横綱になった貴乃花や大乃国(芝田山親方)は神業に近いというのが、親方衆の一致した評価だ。協会の思惑通りに横綱や大関を誕生させるために、これまで協会が注射には目をつぶってきたことは事実だ。 ■橋本成一郎氏の証言 「大横綱の北の湖が酒の席でいっていたのですが、15日全勝というのは注射が2〜3本 絡まないと無理。15日間、緊張を維持するのは簡単なことではないとハッキリいっていましたね。ガチンコの11勝は14勝の値打ちがあるともいってました」 |
どうか貴乃花親方の偉大さを再確認してください!!!
更に、北の湖関連の記述(32頁)も引用させて頂きます。
北の湖(北の湖親方)が協会内での評判がいいのは、注射をしなかったからというのではなく、北の湖は星を買うより売るのが好きだったからだ。義理を立てて相手に売っているわけだから、先輩の親方に対しても後輩の親方に対しても、弱みを握られてはいないわけで、引退後も評判がいいのだ。 逆に千代の富士や大鵬みたいに買うのが好きで、優勝を独り占めした力士たちは、当然嫌われることになる |
そして、これら横綱製造装置である「横綱審議委員会」に関しては、171頁には次のように記述されております。
……そもそも横綱審議委員会そのものを、協会はそれほど重要視していない。執行部の北の 富士が、「あんなもの壁みたいなもんだよ。黙って座ってもらって、なにかあったときの防波堤になってもらえればいいんだ」 と話していたことがある。もっともそれが相撲協会の本音でもある。 |
更に、貴乃花親方が「巡業部長」も解任されていたようですが、その地方巡業に関しては、
「十四章 地方巡業はSEXと賭博旅行」 |
と書かれております。
引用するのも憂鬱になりますので、ご興味を持たれましたら、書をご購入されることをお勧めいたします。
しかし、今も巡業がこの書『八百長』に似たり寄ったりであったら、貴乃花親方が巡業部長では目障りなことと存じます。
付足しとなりますが、相撲協会へのベンチャラ記事と、貴乃花親方バッシング記事を書いたりしている「相撲担当記者」への記述は、171頁にあります。
相撲担当記者は他のスポーツに比べ、ベテラン記者がたくさんいる。彼らは力士の出世と共にベテラン記者となっていく。引退後、力士は協会幹部として協会に残るため、記者たちにとっても大事な取材先となる。そのため、協会の不利益になるようなことや力士に嫌われるような原稿を書かなくなる。長年の間、担当記者は相撲界に入り込んでいるから、力士や角界の表も裏もすべて知り尽くしているにもかかわらず、だ。 本来あってはならない協会とマスコミの密接な関係も、このような両者の関係から何か事が起きても頬かむりしてしまう体質を作っている。そんなわけで、事が起きてもスポーツ紙は、大きく報道していいかどうか、協会幹部の顔色をまず見ることになる。 |
以上は、今から20年ほど前の元大鳴門親方の書『八百長』からの抜粋ですが、現状も似たり寄ったりではありませんか!?
“相撲は国技。相撲道は礼に始まって礼に終わる。貴乃花理事の言動は礼を失していたと思う。”と述べた日本相撲協会の臨時評議員会の池坊議長は、この状態をどう思われておられるのでしょうか!?
始まりと終わりが礼によって綺麗に包まれても、肝心の中身である取り組みが八百長では、如何なものでしょうか!?
たとえ“礼を失している”と非難されようが、「肝心の中身である取り組みの充実」を目指す貴乃花親方を私は支持致します。